前夜から連泊中である奈良の宿に在る。精力的に「好い時間」を過ごした1日が終わろうとする中、何やら大きな充足感の中で「何時でも御休み頂いて構いません」という状態で寛いで居る。
前夜…少し馴染んだ感じの中である宿の居室で何となく寛いで居て、「何時でも御休み頂いて構いません」というような状態に入り、何時の間にか訳も分からない感じに休んで、そこから変な時間に目を覚まして、起きている状態と休んでいる状態を繰り返す習性…全然変わらない。そういう中、奈良の宿の居室でこの早朝を迎えた。
今般関西に入ったのは「会いたい人達が在る西日本」で動こうとしたからに他ならない。その“第一弾”が今日なのだ。それで「眠っている場合ではないぞ!!」と無意識に「早寝早起き」になっているのかもしれない。そんなことを想わないでもなかった。
北海道では、「関西の街」と言えば大阪か京都が圧倒的な存在感を示している。それらを遥かに超えて、「関西」とでも言えば「<USJ>に行きたい!!」という話しになる。(<USJ>を関西の地元では寧ろ「ユニバ」と呼んでいるように見受けられるが…)そして大阪でもなく、見所が非常に多いと見受けられる京都に宿を求めた場合でさえ、何やら限られた時間の中で<USJ>を訪ねるに終始という話しも聞く。そんな中に在って自身は「奈良派」を自称している「少数派」だ。自身は大阪府、京都府、兵庫県、滋賀県、和歌山県、奈良県と関西各地に足跡を残しているのだが、<USJ>を訪ねた経験は現時点で皆無だ。そして「国内の遠い辺りから関西に入る来訪者」の選択としては「少数派に過ぎる?」とも見受けられるが、敢えて奈良に泊るようなことも敢えてする。
そういうことで、奈良の方とブログを介してやり取りをするようになって「何時か御会いしましょう」ということになっていた。その「何時か」を今日は実現したのだ。「実は未だ然程親しんでいるのでもない部分の奈良県に親しみたい」という自身の希望を汲取って頂き「明日香村へドライブに…」と御提案を頂き「素晴らしい!」と実施に至った。
先方から「6時半出発」と仰って頂いた中、「では宿の前で待ちます」という話しで、実際に宿の前―バス停が何個か在って、自家用車を停め悪い場所だが…―で御会いした。何やら「“昭和時代”辺りの流儀か?」という感じだった。そういうのも好い…
非常に天候の好い一日となった。適当に雲は在ったが、天は明るく、風は微弱であり、温かくはないかもしれないながら酷く寒いのでもない状態だ。そんな中で<平城宮跡>で朝陽が光を解き放とうとするような様子を眺めてから出発した。有名な社寺や遺跡を巡り、明日香村の景観を愉しみ、奈良市内の<ならまち>地区を夕刻に少々歩いた。利用し易い飲食店が見出し悪いかもしれない明日香村で動こうとしている関係上、午前中に「柿の葉寿司」を仕入れて、素晴らしい眺望を丘の上の展望台で愉しみながら摘まんだランチが愉しかった。そして地元の人達に愛されるおでんの店で夕食を愉しんだ。
本当に、早朝から夜まで、何か「遠方に出ている身内が久々に現れたので一寸辺りでドライブ」というような具合にお迎え頂き、非常に嬉しく、また正しく「実は未だ然程親しんでいるのでもない部分の奈良県に親しみたい」という希望が叶った。明日香村辺りは、所謂「飛鳥時代」の様々な文物、遺構や遺跡、慣習、伝承が色々と在る不思議な場所で、厳しく規制して景観が護られていて、何やら面白いが交通は不便だ。村内の鉄道駅を発着する列車はそこそこに在るが、駅から村内各所を訪ねるのが少し不便なのだ。そういう場所を選んで、ドライブに御誘い頂いたのは幸いだった。そして少数派かもしれない「奈良派」が多少でも増えればという先方の熱意も非常に嬉しかった。
明日香村辺りの、所謂「飛鳥時代」の様々な文物、遺構や遺跡に関しては、「考古学」(何かを発掘し、出て来たモノから古い時代を推察する)と「歴史学」(書き綴られた記録を読み解き、古い時代の様子を考察する)との「境界?」というような、不思議な存在のモノが多い。「どんなことをして造った?」という要素や、華やかな壁画が伝わるという場所が在る古墳、「悪いモノが入らないように“結界”を設ける」とする川の辺りに綱を張る慣例、誰が何のために造ったのかよく判らない中で色々な伝説めいた話しが伝わる不思議な石造物、日本国内に仏教が入って普及し始めたような頃に起源を有しながら栄枯盛衰を経験してきたという寺院等々に触れる中で「考古学と歴史学との境界」というようなことを想ったのだ。
様々な事柄は追って綴って行くようにしたい。明日は?多分「明日の風」に乗るようにするであろう…
大仏殿:東大寺:奈良(2021.12.19)
南大門を潜り抜けると…
↓こういうようになっている…
↑大仏殿の周辺が回廊の壁に覆われていて、大仏殿の正面に相当する箇所が門のようになっている。
拝観する場合、上の画の左側に進んで端に設けられた入口から入る。
「東大寺を真面目に拝観しよう!久し振りに大仏様に面会するのだ!」と思い付いてここに至った。入場券窓口に至ると、<東大寺ミュージアム>との“共通券”も売られている。<東大寺ミュージアム>は東大寺に伝わる名宝を展示している場所なのだが、考えてみると入ったことが無かった。その“共通券”を窓口の係に御願いした。
係の方は妙なことを言う。「大仏殿を御覧頂いた後、<東大寺ミュージアム>のオープンまで間隔が空きますが…」ということだった。窓口に在った時点で大仏殿は既に拝観者を迎えていたが、<東大寺ミュージアム>が開くのは45分か50分か後だった。なるほど、急いで他へ動くなら“共通券”は無用だ。が、私は応じた。「大仏殿の後、あちらの法華堂または三月堂や、二月堂や何かを拝観して、その辺を散策しようかと思います。それなら結構な時間を要しますから…」とである。すると窓口の係の方から笑みが零れた。「そうですね!色々と廻って頂けますね!」と嬉しそうで、そしてその“共通券”を売ってくれた。
↓そして入り込んだが…建物はとにかく大きい…
↓「輝かしい威容!」という程度に思い、暫し眺め入ってしまった…
↓近付けば近付く程、「大きさ」が迫って来るかのようだった…
↓中には大仏が鎮座している…
↓何か「小さな丘」でも見上げるような存在感だと思う…
↓左に虚空蔵菩薩…
↓右に如意輪観音…
↓更に広目天や…
↓多聞天…
これらの周囲の像も「十分に大きい!」と思う…
↓その「十分に大きい!」という各々よりも更に大きな大仏だ…
↓こんな模型も大仏殿の中には在った…
↑整備が進められて完成した頃の様子だというが、大仏殿の脇には東西の巨大な塔も聳え立っていたのだという…
↓本当に見上げるような巨大な建物だ…
↓退出して、鏡池の辺りで様子を暫し眺め入った…
以前に大仏殿に入ったのは何時だったか?随分と御無沙汰だったと思う…今般は非常に善かった!
↓こういうようになっている…
↑大仏殿の周辺が回廊の壁に覆われていて、大仏殿の正面に相当する箇所が門のようになっている。
拝観する場合、上の画の左側に進んで端に設けられた入口から入る。
「東大寺を真面目に拝観しよう!久し振りに大仏様に面会するのだ!」と思い付いてここに至った。入場券窓口に至ると、<東大寺ミュージアム>との“共通券”も売られている。<東大寺ミュージアム>は東大寺に伝わる名宝を展示している場所なのだが、考えてみると入ったことが無かった。その“共通券”を窓口の係に御願いした。
係の方は妙なことを言う。「大仏殿を御覧頂いた後、<東大寺ミュージアム>のオープンまで間隔が空きますが…」ということだった。窓口に在った時点で大仏殿は既に拝観者を迎えていたが、<東大寺ミュージアム>が開くのは45分か50分か後だった。なるほど、急いで他へ動くなら“共通券”は無用だ。が、私は応じた。「大仏殿の後、あちらの法華堂または三月堂や、二月堂や何かを拝観して、その辺を散策しようかと思います。それなら結構な時間を要しますから…」とである。すると窓口の係の方から笑みが零れた。「そうですね!色々と廻って頂けますね!」と嬉しそうで、そしてその“共通券”を売ってくれた。
↓そして入り込んだが…建物はとにかく大きい…
↓「輝かしい威容!」という程度に思い、暫し眺め入ってしまった…
↓近付けば近付く程、「大きさ」が迫って来るかのようだった…
↓中には大仏が鎮座している…
↓何か「小さな丘」でも見上げるような存在感だと思う…
↓左に虚空蔵菩薩…
↓右に如意輪観音…
↓更に広目天や…
↓多聞天…
これらの周囲の像も「十分に大きい!」と思う…
↓その「十分に大きい!」という各々よりも更に大きな大仏だ…
↓こんな模型も大仏殿の中には在った…
↑整備が進められて完成した頃の様子だというが、大仏殿の脇には東西の巨大な塔も聳え立っていたのだという…
↓本当に見上げるような巨大な建物だ…
↓退出して、鏡池の辺りで様子を暫し眺め入った…
以前に大仏殿に入ったのは何時だったか?随分と御無沙汰だったと思う…今般は非常に善かった!
南大門:東大寺:奈良(2021.12.19)
↓扁額に在る「大華厳寺」とは東大寺の異称なのであろう…
この巨大な門を見上げると「東大寺に辿り着いた」とか「東大寺に迎えて頂いた」という程度に思う。
↓他方で門よりも手前にこういうような標柱も在る。何となく眼に留まった…
↓写真を撮るタイミングを掴もうと、他の人達が通り過ぎるのを待っていた面も在るのだが、何かこの巨大な門を見入ってしまった…
↓巨大な門は、巨大な金剛力士が護る…
↓金剛力士は通常は阿形と吽形との対になっている。
この巨大な門は「南大門」という。「南大門」というのは「寺の南側の主要な門」という程度の意味の「一般名詞」に過ぎないとは承知している。が、「南大門」と聞けば東大寺に据えられた巨大な門を直ぐに思い出すので「固有名詞」のような気さえする。この威容に迎えて頂けたことが善かった…
この巨大な門を見上げると「東大寺に辿り着いた」とか「東大寺に迎えて頂いた」という程度に思う。
↓他方で門よりも手前にこういうような標柱も在る。何となく眼に留まった…
↓写真を撮るタイミングを掴もうと、他の人達が通り過ぎるのを待っていた面も在るのだが、何かこの巨大な門を見入ってしまった…
↓巨大な門は、巨大な金剛力士が護る…
↓金剛力士は通常は阿形と吽形との対になっている。
この巨大な門は「南大門」という。「南大門」というのは「寺の南側の主要な門」という程度の意味の「一般名詞」に過ぎないとは承知している。が、「南大門」と聞けば東大寺に据えられた巨大な門を直ぐに思い出すので「固有名詞」のような気さえする。この威容に迎えて頂けたことが善かった…
「注意」…(2021.12.19)
九条通と東寺と…(2021.12.19)
↓静かな九条通に出てみた…
↓バス停が在ったが、バスが動き始めているか否かは敢えて確かめなかった…
↓暗かった中、<X100F>を手持ちで無理に写真を撮っていた…
↓九条通を跨ぐ歩道橋に上がってみた。多分、「1日の中で最も静かな時間帯?」という様相だった…
↓提灯の灯りに引かれるように、門を潜って東寺の境内に入ってみた…暗くとも既に開門時間になっていた…
↓五重塔の背後、東寄りな天が「ほんの微かに明るい??」という様相ではあった…
↓有料拝観の際の入口となる側の辺りへ歩いた…
↓境内に自販機も見受けられた…
↓漸く東寄りな天が明るい感じに視えて来た…
↓境内の社に参拝する人や写真愛好家や、人影も視えるようになって来た…
↓概ね好天と伺える様子だった…
振り返って…こんなに早くから、随分と元気に歩き廻っていたのだった…が、地元でも行動は然程変わらないということにも思い至り、苦笑いが漏れた。
↓バス停が在ったが、バスが動き始めているか否かは敢えて確かめなかった…
↓暗かった中、<X100F>を手持ちで無理に写真を撮っていた…
↓九条通を跨ぐ歩道橋に上がってみた。多分、「1日の中で最も静かな時間帯?」という様相だった…
↓提灯の灯りに引かれるように、門を潜って東寺の境内に入ってみた…暗くとも既に開門時間になっていた…
↓五重塔の背後、東寄りな天が「ほんの微かに明るい??」という様相ではあった…
↓有料拝観の際の入口となる側の辺りへ歩いた…
↓境内に自販機も見受けられた…
↓漸く東寄りな天が明るい感じに視えて来た…
↓境内の社に参拝する人や写真愛好家や、人影も視えるようになって来た…
↓概ね好天と伺える様子だった…
振り返って…こんなに早くから、随分と元気に歩き廻っていたのだった…が、地元でも行動は然程変わらないということにも思い至り、苦笑いが漏れた。
早朝に歩いた大宮通=五条大宮から九条大宮へ南下…(2021.12.19)
京都の宿の居室に在った早朝、思い付いたのは「大宮通を南下して歩き、東寺駅から近鉄の列車に乗ってみる」ということだった。
約1カ月前に京都に至った際には、東寺辺りから大宮通を北上しながら歩いて五条大宮の宿に至ったという経過が在った。明るい日中だった。今般は暗い早朝に同じ経路を南下してみようとした訳だ。宿は違っても、概ね五条大宮辺りの宿だったことを思い出したのだ。
身軽な荷物で出た戸外は少し冷えていたが、多分3℃を挟むような気温帯で、風も微弱で歩き易いという程度に思った。
↓大宮通が五条通に交わる交差点の南東側だ。コンビニが在る。
↓この種の看板は、不慣れな街であっても、歩き廻る際には好い目印になるというものだ。
↓思うと「日曜日の未だ暗い早朝」で、交通量は少ない…京都では路面に「自転車」のマークを視掛けることが多いような気もする。
↓広めな歩道には、「意外に少数派?」という感の公衆電話ボックスも在った。
↓「歩いて南下」の場合、「右側」は「西」であろう…月が視えた…
↓何やら「半地下」というようになっている箇所が見受けられる…
↓道路が高架というような様子が見受けられ、それを支えている橋桁のようなモノの向こうに月が視えていた…
↓トンネル状の箇所を潜った…
↓東寺の北東側が視えた。門の脇に交番も在る…
↓未だ暗い天に五重塔のシルエットが認められるようになって来た。月も視えていた…
↓五重塔が近くに視える辺りへ…
↓大宮通が九条通と交差した…
多分20分間前後だったと思うが、非常に静かな大宮通を南下して至った東寺辺りを少し歩き廻って過ごしたのだった…こういう場合は、身軽な荷物で<X100F>を提げるという程度が好い感じだと思う…
約1カ月前に京都に至った際には、東寺辺りから大宮通を北上しながら歩いて五条大宮の宿に至ったという経過が在った。明るい日中だった。今般は暗い早朝に同じ経路を南下してみようとした訳だ。宿は違っても、概ね五条大宮辺りの宿だったことを思い出したのだ。
身軽な荷物で出た戸外は少し冷えていたが、多分3℃を挟むような気温帯で、風も微弱で歩き易いという程度に思った。
↓大宮通が五条通に交わる交差点の南東側だ。コンビニが在る。
↓この種の看板は、不慣れな街であっても、歩き廻る際には好い目印になるというものだ。
↓思うと「日曜日の未だ暗い早朝」で、交通量は少ない…京都では路面に「自転車」のマークを視掛けることが多いような気もする。
↓広めな歩道には、「意外に少数派?」という感の公衆電話ボックスも在った。
↓「歩いて南下」の場合、「右側」は「西」であろう…月が視えた…
↓何やら「半地下」というようになっている箇所が見受けられる…
↓道路が高架というような様子が見受けられ、それを支えている橋桁のようなモノの向こうに月が視えていた…
↓トンネル状の箇所を潜った…
↓東寺の北東側が視えた。門の脇に交番も在る…
↓未だ暗い天に五重塔のシルエットが認められるようになって来た。月も視えていた…
↓五重塔が近くに視える辺りへ…
↓大宮通が九条通と交差した…
多分20分間前後だったと思うが、非常に静かな大宮通を南下して至った東寺辺りを少し歩き廻って過ごしたのだった…こういう場合は、身軽な荷物で<X100F>を提げるという程度が好い感じだと思う…