大阪の宿に在る…一週間前になっているが、12月17日に辿り着いて夜を明かした宿と同じ場所だ。更に―多分…―「1週間前に滞在した居室の隣室」と見受けられる場所だ…
深く眠って一度起き出し、もう一度深く眠って起き出すという具合で迎えた朝だった。
振り返ると?出発した17日…19日…20日…21日…22日…23日…と殆どの日程で「朝早めな暗い時間に始動」という様相である。冬至の当日を挟むような、1年の中で最も日が短い時季なるが故に「暗い朝」は自然なのだが、連日となっているので「時にはゆっくりとスタートしてみよう」と思い付いた。宿で朝食―サラダと、些かのおかずと、小さなパンを1つ…―の提供を受け、居室で暫し寛ぐ。
「帰国」と呼んでいるが、引揚げるのが関西空港を出るフライトなので、広島からであれば東進しなければならない。色々と道草しながら進むことを思い描いてはいた。が「今度こそ!」と「緩急の“緩”」という1日にしたいような気分になって来ていた。加えて、街の中を動き回ると「広島への断ち切り難い未練」に囚われてしまうというような気もして、結局「迷わずに広島駅へ!前進!!」ということにしたのだった。
実は荷物が増えた…稚内から着て来た上着とワークシャツでは汗ばむので、それを脱ぎ、半袖Tシャツの上に呉で求めたパーカーという服装に切り替えた。そうすると快適だが、上着とワークシャツは「荷物」だ…加えて呉で求めたモノも些か…そこで「モノが増えてしまった時のために…」と用意してあったエンジ色のトートバッグを使うことにした。それで歩き易くはなるが、それでも身軽に方々を見て回るのは余りい具合は好くない。
そして広島駅で切符を求め、乗車したのは<みずほ>という名の列車であった。新幹線の列車で新大阪に至ってしまった。新大阪では地下鉄の「1日乗車券」を入手し、以降はそれを使って少しだけ動き回った…
宿に入る前、近くの<スパワールド>という施設でサウナや大浴場を利用し、宿に入った後は淀屋橋を訪ねた。照明に浮かぶ<中央公会堂>を一寸眺めたかったのだが、何やら催事で周辺が混み合っていた。加えて、少し経って雨も混じり始めた…早々に引揚げ、「大阪の流儀の“お好み焼き”」を夕食として頂いた…
色々なことは追って順次綴るようにしたい。とりあえず、無事に少し東へ進んだのだった。
「串カツ」を摘まんだ…:新世界:大阪(2021.12.17)
少しばかりゴチャゴチャともしながら、本当に「一日仕事」で通天閣を望むエリアに至った。
そうした中、酷く空腹感を覚えたので食事を摂りたかったこと、併せて「自身の、自身による、自身のための“安着祝い”」という気分が盛り上がった。
↓こういう場所に立寄ってみた…

↑界隈は少しだけ賑わっていた感ではあったようだが、「ラストオーダー」が近付いていた時間帯で、1人でカウンター席に陣取るというようなゆとりは在ったのだ。
↓<どて焼き>を摘まみながらハイボールを頂いた。「色々と在りながら、概ね思い描いたようにこのエリアに辿り着いた…」という感慨が沸き起こる…

↓「メイン」の串カツだ!

↑下段の左側から…元祖串カツ…えび…うずら…チーズ…鶏つくね…ウインナー…とんかつ…上段の左側から…唐揚げ…チーズちくわ…さつまいも…餅…と11本である。
↓加えてアスパラが少しだけ後に届いた…

どて焼きと12本の串カツ…好い感じだ!
↓こんな小皿に串カツを取る…

↓昨今の“事情”を踏まえて「独特な方式」ではなく、こういうソースを適当に点けて串カツを頂くというようになっている…

↓こういう按配に頂く訳だ…

串カツは「安定の味!好い感じだ…」と頂いていれば「ラストオーダーとなります」という御話しに…
↓芋焼酎のロックで締め括った…

自身の安着を祝いながら「大阪に乾杯!!」という気分だった…
そうした中、酷く空腹感を覚えたので食事を摂りたかったこと、併せて「自身の、自身による、自身のための“安着祝い”」という気分が盛り上がった。
↓こういう場所に立寄ってみた…

↑界隈は少しだけ賑わっていた感ではあったようだが、「ラストオーダー」が近付いていた時間帯で、1人でカウンター席に陣取るというようなゆとりは在ったのだ。
↓<どて焼き>を摘まみながらハイボールを頂いた。「色々と在りながら、概ね思い描いたようにこのエリアに辿り着いた…」という感慨が沸き起こる…

↓「メイン」の串カツだ!

↑下段の左側から…元祖串カツ…えび…うずら…チーズ…鶏つくね…ウインナー…とんかつ…上段の左側から…唐揚げ…チーズちくわ…さつまいも…餅…と11本である。
↓加えてアスパラが少しだけ後に届いた…

どて焼きと12本の串カツ…好い感じだ!
↓こんな小皿に串カツを取る…

↓昨今の“事情”を踏まえて「独特な方式」ではなく、こういうソースを適当に点けて串カツを頂くというようになっている…

↓こういう按配に頂く訳だ…

串カツは「安定の味!好い感じだ…」と頂いていれば「ラストオーダーとなります」という御話しに…
↓芋焼酎のロックで締め括った…

自身の安着を祝いながら「大阪に乾杯!!」という気分だった…
<そば肉玉>:お好み焼き…:西広島にて…(2021.12.23)
早朝から精力的に動き回っていた中、広電西広島に辿り着いた。JR西広島駅の隣りでもある…所謂「昼食時間帯」に差し掛かろうかというような頃合いだった。
↓こんな店を眼に留め、入ってみた…

↓そしてこの「お好み焼き」を頂いてしまった。<そば肉玉>と号する。

概ね満席な状態がずうっと続いていた。食事を終えて帰った方が在れば即座に場所を片付け、そこに次の方が着席である。
大きな鉄板を駆使して、店の方が切れ間無くお好み焼きを作り続けている。途切れない来店客の分に加えて、店に取りに来て持ち帰るという人達の分までドンドン焼いている。
粘性が在るように見える溶いた粉を鉄板上に垂らして、円形にクレープ状なモノを作る。そこにキャベツとモヤシを載せ、天かすを載せて調味料を振る。肉も載せる。引っ繰り返し、もう一度引っ繰り返してそこに粉を少し垂らす。他方で“そば”を焼き、焼いている他のモノと組み合わせる。そして鉄板上に卵を割って、その上にそこまでの工程で出来ているモノを載せる。モノをへらで押して形を整える。そうすると上の画のような<そば肉玉>が出来上がる…作業は豪快で速い…精巧な機械で作るかのように、殆ど変わらない見た目のお好み焼きがドンドン出来る。時々“トッピング”で標準仕様以外のモノも混じるが、それにも確り対応している。「見事…」と何となく見入ってしまっていた。お好み焼きの作り方としては他所と変わらないと思うが、自身ではここまで凄いの作業の様子は視た記憶が無い…
↓カウンター席の眼前、鉄板になっている箇所に出て来るお好み焼きであるが、好みでマヨネーズやソースを点ける。そして小さなヘラで切って、小皿に取りながら頂く。

西広島駅前の、地元で長く親しまれているように見受けられた店だったが、焼いている様子が見事で驚きながら見ていた。そして大変に美味しく頂いた。840円という価格にも驚いた。満足度としては「倍位なら払っても構わない…」とさえ思った。これもまた「広島が誇る文化!」であると思った…さり気なくそういうモノに触れられて好かった。
↓こんな店を眼に留め、入ってみた…

↓そしてこの「お好み焼き」を頂いてしまった。<そば肉玉>と号する。

概ね満席な状態がずうっと続いていた。食事を終えて帰った方が在れば即座に場所を片付け、そこに次の方が着席である。
大きな鉄板を駆使して、店の方が切れ間無くお好み焼きを作り続けている。途切れない来店客の分に加えて、店に取りに来て持ち帰るという人達の分までドンドン焼いている。
粘性が在るように見える溶いた粉を鉄板上に垂らして、円形にクレープ状なモノを作る。そこにキャベツとモヤシを載せ、天かすを載せて調味料を振る。肉も載せる。引っ繰り返し、もう一度引っ繰り返してそこに粉を少し垂らす。他方で“そば”を焼き、焼いている他のモノと組み合わせる。そして鉄板上に卵を割って、その上にそこまでの工程で出来ているモノを載せる。モノをへらで押して形を整える。そうすると上の画のような<そば肉玉>が出来上がる…作業は豪快で速い…精巧な機械で作るかのように、殆ど変わらない見た目のお好み焼きがドンドン出来る。時々“トッピング”で標準仕様以外のモノも混じるが、それにも確り対応している。「見事…」と何となく見入ってしまっていた。お好み焼きの作り方としては他所と変わらないと思うが、自身ではここまで凄いの作業の様子は視た記憶が無い…
↓カウンター席の眼前、鉄板になっている箇所に出て来るお好み焼きであるが、好みでマヨネーズやソースを点ける。そして小さなヘラで切って、小皿に取りながら頂く。

西広島駅前の、地元で長く親しまれているように見受けられた店だったが、焼いている様子が見事で驚きながら見ていた。そして大変に美味しく頂いた。840円という価格にも驚いた。満足度としては「倍位なら払っても構わない…」とさえ思った。これもまた「広島が誇る文化!」であると思った…さり気なくそういうモノに触れられて好かった。
原爆ドーム…(2021.12.23)
このブログに写真を掲出している例だけでも2015年、2018年、2019年と「広島に立寄った記憶が在る限り」は、殆ど必ず足を向けて、少し眺めているという場所が在る。広島へ立寄る機会が生じたなら、時間が許す限り、この場所を訪れてみるのは、全く初めて広島に入った時以来の恒例となっている…
↓「時間が停まった…」かのような状況で保存されている建物なのだが、それでも「迎えた新たな一日への期待」というような感じで佇んでいるようにも感じられた。薄暗い早朝の原爆ドームだ。

暗い中で何も考えずに路面電車に乗り、少し違う側に出て、何やら逆方向に歩いてしまって迷ったので、通り掛かったタクシーを利用して辺りに至った…
↓ここに足を運ぶと、辺りを何回か廻って様子を眺める…

↓全く初めてこれを実際に視た際には「存外に…小さい?」というようにも思ったのだが、残っているのは建物の概ね真中辺りに相当する箇所で、両脇に相当する6割程度が損なわれてしまっているので、そういう具合に思ったのであろう。

↓好天な朝、朝陽が上る前の「少し明るい…」という按配でこれを眺めるのも好い…

↓少々草臥れた落葉が絨毯のようになっていたのが面白かった…

今般、広島滞在が想い出多いものとなったことから、広島を離れようとする段になって早速に「何時か再訪を…」と思っていることに気付かされる。再訪が叶えば、この場所も訪ねてみなければなるまい。
↓「時間が停まった…」かのような状況で保存されている建物なのだが、それでも「迎えた新たな一日への期待」というような感じで佇んでいるようにも感じられた。薄暗い早朝の原爆ドームだ。

暗い中で何も考えずに路面電車に乗り、少し違う側に出て、何やら逆方向に歩いてしまって迷ったので、通り掛かったタクシーを利用して辺りに至った…
↓ここに足を運ぶと、辺りを何回か廻って様子を眺める…

↓全く初めてこれを実際に視た際には「存外に…小さい?」というようにも思ったのだが、残っているのは建物の概ね真中辺りに相当する箇所で、両脇に相当する6割程度が損なわれてしまっているので、そういう具合に思ったのであろう。

↓好天な朝、朝陽が上る前の「少し明るい…」という按配でこれを眺めるのも好い…

↓少々草臥れた落葉が絨毯のようになっていたのが面白かった…

今般、広島滞在が想い出多いものとなったことから、広島を離れようとする段になって早速に「何時か再訪を…」と思っていることに気付かされる。再訪が叶えば、この場所も訪ねてみなければなるまい。
<582>…:市役所前停留所:広島の路面電車(2021.12.23)
「一日乗車券」を手に、早朝から何度も路面電車に乗降を繰り返して広島市内、一部に廿日市市内を動き回っていた。一部、停留所間を徒歩で動き回ることもした。
市役所前停留所に至った。ここから宿の近くに引揚げようとしていた…
広島電鉄の宇品線は1912(大正元)年に開業したという。紙屋町から御幸橋の間だったということだ。この開業当初から、真菰橋停留場(まこもばしていりゅうじょう)という名で、現在の市役所前停留所に相当する停留場は登場しているとのことだ。1944(昭和19)年に停留場は休止ということになったが、1946(昭和21)年に再開し、その際に「市役所前停留所」ということになって現在に至っている。
↓何やら古めかしい型の車輛が登場した…

↑最近、広島では最新型やもっと新しいモノが多い感じなので、こういう車輛は酷く目立つ…
↓西広島を目指してこの車輛が出発したのを見送ったが、<582>は神戸からやって来た車輛だ。「582」という番号は、神戸で用いられていた独特な書体で書かれているという。

↑<582>は1960年製造で、神戸で運行されていた。「570形」という。1971(昭和46)年に神戸で路面電車が廃止された中、神戸市交通局から広島電鉄が買い取った車輛であるという。
↓「50」というマークが掲出されているが、これは「神戸から広島へ移って50年」ということなので掲出しているそうだ…

↑神戸からやって来たこの型は、現在ではこの1輛だけが運行中であるとのことだ。
こういうように「他所から移って長く稼働を続ける」という車輛は好い。こういうのが幾つも在ることで、何か「現に稼働していながらも“資料館”になっている」という雰囲気になるのが面白い。
市役所前停留所に至った。ここから宿の近くに引揚げようとしていた…
広島電鉄の宇品線は1912(大正元)年に開業したという。紙屋町から御幸橋の間だったということだ。この開業当初から、真菰橋停留場(まこもばしていりゅうじょう)という名で、現在の市役所前停留所に相当する停留場は登場しているとのことだ。1944(昭和19)年に停留場は休止ということになったが、1946(昭和21)年に再開し、その際に「市役所前停留所」ということになって現在に至っている。
↓何やら古めかしい型の車輛が登場した…

↑最近、広島では最新型やもっと新しいモノが多い感じなので、こういう車輛は酷く目立つ…
↓西広島を目指してこの車輛が出発したのを見送ったが、<582>は神戸からやって来た車輛だ。「582」という番号は、神戸で用いられていた独特な書体で書かれているという。

↑<582>は1960年製造で、神戸で運行されていた。「570形」という。1971(昭和46)年に神戸で路面電車が廃止された中、神戸市交通局から広島電鉄が買い取った車輛であるという。
↓「50」というマークが掲出されているが、これは「神戸から広島へ移って50年」ということなので掲出しているそうだ…

↑神戸からやって来たこの型は、現在ではこの1輛だけが運行中であるとのことだ。
こういうように「他所から移って長く稼働を続ける」という車輛は好い。こういうのが幾つも在ることで、何か「現に稼働していながらも“資料館”になっている」という雰囲気になるのが面白い。