京都の祇園に在る宿の居室で寛いで居る。過去に利用した経過も在る場所だ。今般、関西空港からの「帰国」に備えて宿を求めることにしたのだが、幾つか思い浮かんだ中、この場所に空室が在って利用可能であると判り、御願いすることとした訳だ。
<スパワールド>でサウナも利用して身体が解れたことに加え、連日のように早朝から動き回って随分と歩いたからであろう。何やら早めに抗えない眠気が射して眠り、一旦は起き出したが再度の眠気でまた眠った。少し長目に深く眠って、頭がスッキリしたような感じで迎えた早朝である。今般のような自身の状況下では「往々にして…」というものかもしれないのだが、御願いしてある宿に入るまでの間に関しては、余り深くも考えていない。そんな状況だ…
「遠方を目指して発つ」という感でもないので、宿で提供の朝食―所謂バイキングだが、サラダを多めに、若干のおかずという形にした。同じチェーンの宿であった、前日の広島と同様…―を頂いて、些か寛ぎながら支度をして発った。
発ったのは午前7時半頃だったが、御願いしてある宿に入ったのは午後5時半過ぎで、既に戸外は薄暗く「土曜日夕刻の賑わい」も見受けられる感だった。「大阪駅・京都駅間はJRの“新快速”で30分余り」という中、大阪・京都間で「1日仕事」になってしまっている。釈明というのでもない―そうする必然性も無いと思うのだが…―が、この顛末を少々綴っておきたい。そのための「運行日誌」である。
結論から申し上げると、思い付いて発った後に訪ねてみた場所で何となく思う以上に時間を要し、気付くと酷く時間が経ってしまっていて、「そろそろ宿へ…」という時点で「夕刻に差し掛かってしまって…」という状態であったに過ぎない。「たかが休暇…されど休暇…」と何処かで聞いたようなフレーズも思い浮かぶのだが、「思い立って」を重ねるようなことをしていると、何やら夢中になって時間も早く経過してしまうという訳だ。それ以上でも以下でもない。
動物園前駅で地下鉄堺筋線の列車に乗った。阪急の路線に直結している列車で淡路駅に出て阪急京都線の列車に乗り継ぐ。茨木市駅まで準急に、以降は快速急行に乗車で京都河原町駅に至った。午前9時前後になっていた。御願いしてある宿に入るまでの間に動き回るには好適かもしれないと思える時間帯だった。京都河原町駅構内のロッカーに嵩張るモノを預けて、少し動き回ってみることにしたのだ。
阪急の京都河原町駅から京阪の祇園四条駅まで歩いた。三条駅へ列車で北上し、地下鉄の三条京阪駅からびわ湖浜大津駅を目指した。そして概ね湖に沿う軌道を行き交う路線の列車を利用し、三井寺や石山寺を訪ね、あの独特なびわ湖浜大津駅を行き交う列車を少し眺めた。三井寺や石山寺は存外に見学(=参拝)に時間を要した…そして凄く興味を持っていたびわ湖浜大津駅を行き交う列車についても、時間を割いてゆっくりと眺めた。そんなことをしていて、殆ど午後2時半になってしまっていた。
びわ湖浜大津駅からは三条京阪駅に移動だ。そして京阪の三条駅から東福寺駅に南下した。東福寺駅近くの店に入って昼食を摂ったが、その時点で午後3時台の後半になってしまっていた。
東福寺駅からJRの列車に一駅間乗れば京都駅だ。京都駅では翌日に京都を動き回ってみる場面で使いそうな「1日乗車券」を入手し。京都タワーに立寄って、そこから宿を目指した。宿を目指す場面では、地下鉄で京都駅・四条駅間を移動し、阪急の烏丸駅へ向かって、阪急の列車で京都河原町駅だ。そして京都河原町駅でロッカーに預けた荷物を引っ張り出して宿に入った訳である。
こんなことをしていれば。「大阪駅・京都駅間はJRの“新快速”で30分余り」という中、大阪・京都間で「1日仕事」になってしまう訳だ…
こういう具合の顛末をとりあえず綴っていて…居眠りに陥ってしまった…そこから眼を覚ました。未だ日付は改まっていない…様々なことは追って綴るが、色々とやっていてエネルギーを使った…
西大寺駅…(2021.12.21)
↓全く初めて立寄っている駅なのだが「何処か懐かしい」という気分が沸き起こる駅だと思った。

↓或いは?国鉄時代に各地で建てられた、駅の標準的な機能を詰め込んだような建物であるかもしれない。

↓公衆電話ボックスも健在だ…

↓判り易い「駅の案内」も掲出されていたのは嬉しい。

↑が、別段に面倒な感じでもないシンプルな駅ではあるが…
↓駅から近い辺りの案内図も掲出されていた…

西大寺駅は赤穂線の駅である。兵庫県の西寄りに在る相生駅と東岡山駅との間が赤穂線である。西大寺駅は岡山駅や東岡山駅の少し東、住所は「岡山市東区」だそうだ。「西大寺」という寺が在り、それに因んで辺りの地域名自体も「西大寺」である。案内図を視れば、様々な官署も小中学校も何でも「西大寺〇〇」である。寺の西大寺を探そうとすると、その何でも「西大寺〇〇」という状況に埋没してしまうかのようで、何やら戸惑った…
↓ICカード乗車券を利用可能な、今では少し見慣れてしまっている改札口の感じだ…

↓近隣の私立学校の広告看板が在って、保線関係のモノと見受けられる車輛が停まっていた。

↓岡山駅へ向かう列車が現れた…

↑「4輛」が基本の113系電車を「2輛」で運用可能なように改造した車輛が使われているのだが、何か少し不思議な外見であるように思う。
↓(時間を遡って)こちらが岡山駅から列車が着いた時の様子で、2輛で運行されている列車の逆側の外見だ…

こういうような雰囲気…何にも替え難いと思っている…更に、保線関係の車輛に「晴れの国」と在ったが、この日の輝くような冬の蒼天も忘れ難いものであった…

↓或いは?国鉄時代に各地で建てられた、駅の標準的な機能を詰め込んだような建物であるかもしれない。

↓公衆電話ボックスも健在だ…

↓判り易い「駅の案内」も掲出されていたのは嬉しい。

↑が、別段に面倒な感じでもないシンプルな駅ではあるが…
↓駅から近い辺りの案内図も掲出されていた…

西大寺駅は赤穂線の駅である。兵庫県の西寄りに在る相生駅と東岡山駅との間が赤穂線である。西大寺駅は岡山駅や東岡山駅の少し東、住所は「岡山市東区」だそうだ。「西大寺」という寺が在り、それに因んで辺りの地域名自体も「西大寺」である。案内図を視れば、様々な官署も小中学校も何でも「西大寺〇〇」である。寺の西大寺を探そうとすると、その何でも「西大寺〇〇」という状況に埋没してしまうかのようで、何やら戸惑った…
↓ICカード乗車券を利用可能な、今では少し見慣れてしまっている改札口の感じだ…

↓近隣の私立学校の広告看板が在って、保線関係のモノと見受けられる車輛が停まっていた。

↓岡山駅へ向かう列車が現れた…

↑「4輛」が基本の113系電車を「2輛」で運用可能なように改造した車輛が使われているのだが、何か少し不思議な外見であるように思う。
↓(時間を遡って)こちらが岡山駅から列車が着いた時の様子で、2輛で運行されている列車の逆側の外見だ…

こういうような雰囲気…何にも替え難いと思っている…更に、保線関係の車輛に「晴れの国」と在ったが、この日の輝くような冬の蒼天も忘れ難いものであった…
「柿の葉ずし」を摘まんだ…:明日香村にて(2021.12.20)
「明日香村へドライブ」という相談になった中、御誘い頂いた方は「昼食は?」と気に懸けて下さった。自身としては「まぁ…何でも構わないでしょう…」という程度に思わないでもなかったのだが…
↓こういうモノを用意して下さった…

↓好天に誘われて、明日香村を眺望出来る丘の上でランチタイムということにしたのだ…

↓押寿司風のモノが柿の葉に包まれているのが「柿の葉ずし」だ。

↓鯖…

↓鮭…

↓椎茸…

↓サンマ…

↓海老…

↓鶏そぼろ…

↓鯛…

包んである柿の葉を使って手を汚さずに摘まむことが出来る「柿の葉ずし」だが、7個入っている各々に異なる具材が使われている。<ヤマト>という会社の製品だそうだ。こういうのは初めてだった!鯖と鮭とは「紅白」の色にもなるので、これが奈良ではよく視掛けるモノになる。恐らく、古くは鯖を専ら使っていて、少し時代が下って鮭が人気を高めたのであろうとは思うが…この<ヤマト>という会社の製品は、非常に好い意味で少し変わっている。
御蔭様で、「絶妙な変化球」というような「奈良県の佳いモノ」に出くわすことが叶った…そして時季としては寧ろ温かい、言わば冬の好天の下で、明日香村の様子を望みながら頂いた「柿の葉ずし」は忘れ難い…
↓こういうモノを用意して下さった…

↓好天に誘われて、明日香村を眺望出来る丘の上でランチタイムということにしたのだ…

↓押寿司風のモノが柿の葉に包まれているのが「柿の葉ずし」だ。

↓鯖…

↓鮭…

↓椎茸…

↓サンマ…

↓海老…

↓鶏そぼろ…

↓鯛…

包んである柿の葉を使って手を汚さずに摘まむことが出来る「柿の葉ずし」だが、7個入っている各々に異なる具材が使われている。<ヤマト>という会社の製品だそうだ。こういうのは初めてだった!鯖と鮭とは「紅白」の色にもなるので、これが奈良ではよく視掛けるモノになる。恐らく、古くは鯖を専ら使っていて、少し時代が下って鮭が人気を高めたのであろうとは思うが…この<ヤマト>という会社の製品は、非常に好い意味で少し変わっている。
御蔭様で、「絶妙な変化球」というような「奈良県の佳いモノ」に出くわすことが叶った…そして時季としては寧ろ温かい、言わば冬の好天の下で、明日香村の様子を望みながら頂いた「柿の葉ずし」は忘れ難い…
足元…:奈良(2021.12.20)
四天王寺へ…:天王寺:大阪(2021.12.24)
大阪の街の南側で幾つか見受けられる繁華な地区である天王寺については、四天王寺が近くに在って「天王寺さん」と近隣住民が親しんでいて、それが人口に膾炙して「天王寺」という辺りの地名が生れて定着したというように聞いている。
大阪に着いて、不意にそんなことを思い出したのも、四天王寺を発願したというかの聖徳太子が産れたという橘寺が佇む様を明日香村で視たからかもしれない。
↓天王寺駅の傍の路を進んで、一箇所曲がるとこういう鳥居が在る。四天王寺の境内へ続く場所だ…

↓境内に足を踏み入れるとこういう具合に堂塔が視えるのだが…

↓廻り込んでこういう角度で眺めるべきなのかもしれない…

↓というのも、四天王寺は門、塔、金堂が直線に並ぶ中心的な伽藍が築かれているからである。「こういう角度で眺めるべきなのかも」としたのは画の上側の門からの眺めである。「四天王寺の境内へ続く」としたのは画の右側ということになる。

↓こうやって眺めると、四天王寺は巨大な超高層ビルである<あべのハルカス>を見上げるような場所に立地しているとは思い悪い…

↓今般、拝観料を払って中を拝観して参拝した…

↓伽藍の建物は「再建」だが、何れも非常に美しい…

四天王寺が立地する辺りは、色々な時代に戦乱の舞台となり、近代にも戦禍を被っていて、喪われたモノも多い筈だ。しかし聖徳太子が発願して建立されたという遥かな昔から、数え切れない程の世代に亘って受継がれたモノが在る。何か、そういうことを考えさせられてしまう。
この四天王寺の辺りは何度も通っていて、伽藍の雰囲気も眺めてはいたが、改めて真面目に立寄ってみて善かった。最近はその「改めて真面目に…」というのが、自身の「一寸したキーワード」になっているかもしれない。
大阪に着いて、不意にそんなことを思い出したのも、四天王寺を発願したというかの聖徳太子が産れたという橘寺が佇む様を明日香村で視たからかもしれない。
↓天王寺駅の傍の路を進んで、一箇所曲がるとこういう鳥居が在る。四天王寺の境内へ続く場所だ…

↓境内に足を踏み入れるとこういう具合に堂塔が視えるのだが…

↓廻り込んでこういう角度で眺めるべきなのかもしれない…

↓というのも、四天王寺は門、塔、金堂が直線に並ぶ中心的な伽藍が築かれているからである。「こういう角度で眺めるべきなのかも」としたのは画の上側の門からの眺めである。「四天王寺の境内へ続く」としたのは画の右側ということになる。

↓こうやって眺めると、四天王寺は巨大な超高層ビルである<あべのハルカス>を見上げるような場所に立地しているとは思い悪い…

↓今般、拝観料を払って中を拝観して参拝した…

↓伽藍の建物は「再建」だが、何れも非常に美しい…

四天王寺が立地する辺りは、色々な時代に戦乱の舞台となり、近代にも戦禍を被っていて、喪われたモノも多い筈だ。しかし聖徳太子が発願して建立されたという遥かな昔から、数え切れない程の世代に亘って受継がれたモノが在る。何か、そういうことを考えさせられてしまう。
この四天王寺の辺りは何度も通っていて、伽藍の雰囲気も眺めてはいたが、改めて真面目に立寄ってみて善かった。最近はその「改めて真面目に…」というのが、自身の「一寸したキーワード」になっているかもしれない。
橘寺を望む…:明日香村(2021.12.20)
↓冬の水田の向こうに小さな古寺が佇む…

↑何か「古くからの景観」を非常に重んじている明日香村の「らしい」という感もする光景だ。
明日香村では『明日香景観デザインマニュアル』(.pdf)というようなモノを用意していて、「景観計画」ということで「戸外の景観を形成するあらゆるモノ」にルールが在るということになっているそうだ。
↓そんな明日香村に所在する橘寺は、かの聖徳太子が産れたとされる辺りに在る古寺だ…

明日香村という場所は、何やら「考古学」(何かを発掘し、出て来たモノから古い時代を推察する)と「歴史学」(書き綴られた記録を読み解き、古い時代の様子を考察する)との「境界?」というような、「不思議な何か」を今日に伝えている場所のような気がした。所謂「飛鳥時代」には、当時の先進技術を有するような人達も多く見受けられた地域であったようだが、現代では「本当に静か…」な場所だ。

↑何か「古くからの景観」を非常に重んじている明日香村の「らしい」という感もする光景だ。
明日香村では『明日香景観デザインマニュアル』(.pdf)というようなモノを用意していて、「景観計画」ということで「戸外の景観を形成するあらゆるモノ」にルールが在るということになっているそうだ。
↓そんな明日香村に所在する橘寺は、かの聖徳太子が産れたとされる辺りに在る古寺だ…

明日香村という場所は、何やら「考古学」(何かを発掘し、出て来たモノから古い時代を推察する)と「歴史学」(書き綴られた記録を読み解き、古い時代の様子を考察する)との「境界?」というような、「不思議な何か」を今日に伝えている場所のような気がした。所謂「飛鳥時代」には、当時の先進技術を有するような人達も多く見受けられた地域であったようだが、現代では「本当に静か…」な場所だ。
<あべのハルカス>を見上げた…(2021.12.24)
<ミックス>:お好み焼き…:新世界にて…(2021.12.24)
大阪での夕食となった…
夕刻に戸外へ出てみたのだったが、小雨が交り始めたので宿の近くへ引揚げ、近隣で夕食を摂ることとした。
↓こういう感じの店を眼に留めた…

新世界の界隈だが「先週の方がもう少し賑やかではなかったか?」というような按配だった。そういう中で店に入ると、居合わせた方が食事を終えて発つところで、来店客が自身だけになった。が、直ぐに何組か現れたが…
↓陣取ったカウンターに鉄板が据えられていて、眼前でお好み焼きが焼かれた…

イカ、エビ、肉類等と卵が溶いた粉と合わせられた状態で小さなボールに入っていて、それを丁寧に混ぜる。それを鉄板に拡げ、丸い形に整えて焼く。傍らで薄切りの肉を焼き、焼けたところでヘラで切って、焼いているお好み焼きに載せる。
↓こういうような具合に容が整って行く…

↓ソース、マヨネーズが点けられ、鰹節粉、青海苔が散らされて「どうぞ!」と眼前に押し出される…

↓ヘラで切って、小皿に取って頂くことになる…

「お好み焼き」という呼称は同じであるが広島のモノとは随分と様子が違った。本当に「別モノ」だと思った。
自身ではこのお好み焼きで十分なボリュームであると思って頂いたが、他の方達は焼きそば等を併せて頼んでいた。「お好み焼きのみを摘まむ」というのと、「焼きそば等と合わせて頂く」というのが在るように見受けられた。
この「大阪のお好み焼き」は「粉モノ」であることには違いないのだが、何か「雑多な具材が入っている蒲鉾か何かのようなモノ…」というようにも、頂いてみて感じた。場合によって、これを米飯等と合わせて頂くというやり方も在るのかもしれない。(最近の自身はやらないと思うが…)
広島のモノと「比べてみる?」という意識が僅かに在ったのかもしれないが、なかなかに美味いと思った。
夕刻に戸外へ出てみたのだったが、小雨が交り始めたので宿の近くへ引揚げ、近隣で夕食を摂ることとした。
↓こういう感じの店を眼に留めた…

新世界の界隈だが「先週の方がもう少し賑やかではなかったか?」というような按配だった。そういう中で店に入ると、居合わせた方が食事を終えて発つところで、来店客が自身だけになった。が、直ぐに何組か現れたが…
↓陣取ったカウンターに鉄板が据えられていて、眼前でお好み焼きが焼かれた…

イカ、エビ、肉類等と卵が溶いた粉と合わせられた状態で小さなボールに入っていて、それを丁寧に混ぜる。それを鉄板に拡げ、丸い形に整えて焼く。傍らで薄切りの肉を焼き、焼けたところでヘラで切って、焼いているお好み焼きに載せる。
↓こういうような具合に容が整って行く…

↓ソース、マヨネーズが点けられ、鰹節粉、青海苔が散らされて「どうぞ!」と眼前に押し出される…

↓ヘラで切って、小皿に取って頂くことになる…

「お好み焼き」という呼称は同じであるが広島のモノとは随分と様子が違った。本当に「別モノ」だと思った。
自身ではこのお好み焼きで十分なボリュームであると思って頂いたが、他の方達は焼きそば等を併せて頼んでいた。「お好み焼きのみを摘まむ」というのと、「焼きそば等と合わせて頂く」というのが在るように見受けられた。
この「大阪のお好み焼き」は「粉モノ」であることには違いないのだが、何か「雑多な具材が入っている蒲鉾か何かのようなモノ…」というようにも、頂いてみて感じた。場合によって、これを米飯等と合わせて頂くというやり方も在るのかもしれない。(最近の自身はやらないと思うが…)
広島のモノと「比べてみる?」という意識が僅かに在ったのかもしれないが、なかなかに美味いと思った。