日根野駅にて…(2021.12.27)

↓和歌山駅で乗り込んだ列車が日根野駅に到着した…
27-12-2021 X-Pro2 (65)
↑自身はこの駅で乗換えるので下車した。列車はこの駅から更に進み、大阪環状線に進入することとなる。<紀州路快速>という愛称を冠せられた列車だ…

↓和歌山から4輛で着いた列車は、関西空港から4輛で着いた列車と、この日根野駅で連結する。
27-12-2021 X-Pro2 (67)
↑日根野駅と大阪環状線内の各駅との間は8輛の列車となって走るのだ…

↓画の左側、和歌山から乗って着いた列車が、関西空港から着いた列車と連結で大阪方面へ向かう準備が整う様子を見ていれば、画の右側に大阪方向からやって来る列車が到着しようとしていた。
27-12-2021 X-Pro2 (69)

↓この駅で列車は関西空港行と和歌山行に切り離される。目指す関西空港行に乗車する側に在るか確認する…
27-12-2021 X-Pro2 (71)

日根野駅で乗換え、和歌山に道草で関西空港に向かったというのは、これまでに試したことが無かった。が、一寸面白かった…
posted by Charlie at 06:36Comment(0)大阪府

舞茸・シメジ・シイタケの天ぷら…タコザンギ…ジンギスカン…シイタケ焼き…(2022.01.21)

金曜日の夕刻、御近所の御店で過ごした…

↓舞茸やシメジを天ぷらに…所詮、自宅で料理などはしないのだが、するとしてもこういう揚物は手が掛かってしまうので、外で頂くのが好い…
21-01-2022 evening (3)

↓シイタケも天ぷらにしてみると「噛めば出汁のような感じの…」という、なかなかに美味いモノとなる。
21-01-2022 evening (4)

↓「揚物が多い!?」と思わないでもなかったが、タコに味を付けて揚げるタコザンギも好い…
21-01-2022 evening (7)

↓そしてジンギスカンを摘まむ…
21-01-2022 evening (9)

↓天ぷらが酷く美味かったと、焼いたシイタケも頂いてみた…
21-01-2022 evening (11)

こういうような按配…好いものだ…

<海軍さんの珈琲>:昴珈琲店:呉(2021.12.22)

早朝の岡山駅で列車に乗込み、広島駅を目指したのだったが、敢えて車窓を愉しみながら呉線を経由して呉に立寄った。

辿り着いた呉で街を漫然と歩き始めた。港と共に起り、発展したというような感の、独特な雰囲気を帯びた街だと思うのだが、「冬の好天の日」という感じで、温かく快適とは行かないものの「歩き廻っても汗ばまない感じ」というのが好ましいかもしれないという程度に思いながら歩いた。

↓こんな様子に出くわした。地元の信用金庫の本店と見受けられる建物や、様々な商店や、何かのオフィスのビルが在るような一画だ…
22-12-2021 X100F vol01 (67)
↑「海軍さん」が酷く目立つ…

「アレを売っている店…」と一定程度知られていて、店側でもそれを少し前面に押し出したいというような様子…“看板商品”と謂う訳だが、<海軍さんの珈琲>はここの店の正しく“看板商品”となっている。

↓商店街の角の、かなり目立つ場所に「海軍さん」が“看板商品”として掲出されている。
22-12-2021 X100F vol01 (66)

現在では珈琲豆を焙煎したモノを中心に売っている会社、店舗ということになる昴珈琲店であるが、1950年代に店を興した頃には喫茶店も営業していたという。その喫茶店で「あの戦艦<大和>では凄く美味い珈琲が飲まれていたそうだ…」という話しになって、「戦艦<大和>で飲まれた?如何いう珈琲か?」と再現してみようということになったのだそうだ。

“海軍”と言えば、軍艦の中や港の施設で洋食に着想を得た料理を全国各地から入隊して働いていた将兵に供していて、そういう料理が全国各地に拡がったというようなことを聞いた記憶が在る。そんな流れかもしれないが、古くは海軍士官が国外に研修に出るような話しも多々在ったようで、そういう経験もした人達が洋酒や珈琲や紅茶を嗜む習慣を持ち込んで、将兵の間に受継がれていたというようなことも在ったのかもしれない。かなり高級な幹部となる“提督”と呼ばれた人達から、新米の水兵まで大勢が乗務したという大きな戦艦の中なら、色々と美味い料理や飲物が在ったかもしれない…そういうように素朴に思う。

昴珈琲店では「<大和>を擁した海軍が、如何いう珈琲豆を入手していたのか?」というようなことや、「1940年代の焙煎?」というようなことを色々と推定し、呉の街では多く見受けられたという海軍経験者に試飲願う等して「こういう感じ!」というモノに行き当たったのだという。それが<海軍さんの珈琲>だという。

↓昴珈琲店に入ってみた。<海軍さんの珈琲>も含めて、多様なブレンドを手掛けているようだ。
22-12-2021 X100F vol01 (69)

商店街の角の目立つ場所で、文字どおりに“看板商品”として掲出されている<海軍さんの珈琲>を求めてみようと思い立ち、御店の方に御願いした。自身、拙宅の居室で頂く珈琲は“豆”で求め、それを使う分だけ挽いてハンドドリップで淹れる。そこで“豆”の状態で<海軍さんの珈琲>を求めてみたかった訳だ。

↓珈琲豆を計量してパッキングするのを待つ間、用意して在ったブレンド珈琲を勧めて頂いた。これもなかなかに好い感じだった。
22-12-2021 X100F vol01 (71)

↓呉の店で「真空パック」となった<海軍さんの珈琲>だ。確りと拙宅に送り込み、大事に保管した訳だ。
21-01-2022 my coffee (1)

↓使い易いように豆を容器に開けた。「1940年代の焙煎?」と再現を試みたということになるのであろうが、「キツい焙煎」というように見受けられる。或いは?1930年代に起こった焙煎の感じを受継ぐという<大阪ストロング>に通じるかもしれない。が、だからと言って<大阪ストロング>のように「極端?」とも思い悪い。
21-01-2022 my coffee (2)

恐らく…海軍の軍艦の中で珈琲が嗜まれたとするなら、手で回して豆を挽く道具で適当に挽いて、それをハンドドリップで淹れてというように頂いたのだと推定する。そういうことで、普段はグラインダーで18秒挽いているとした場合、敢えて14秒にしてみるというような細かい工夫で、少し粗目に挽く。焙煎がキツい関係上、余り細かく挽くと「渋い??」となってしまうかもしれない。そんなことを思えば、包の中に「細かく挽き過ぎると渋味が強くなり過ぎる場合が在る」と「粗目な挽き方が好い」という旨のアドバイスが書かれた紙片も入っていた。

そんな訳で試してみたのだが、これが好みに合った。香ばしく苦いという感じの奥に珈琲の味の幾つかの要素が滲むというような感じだと思う。なるほど「戦艦<大和>のような軍艦の中で嗜まれた珈琲?」という具合だ。恐らく、1930年代辺りのキツい焙煎の傾向の影響で、ややキツい焙煎であったと思われるのが、1940年代前半の傾向であろう。が…この位の時代には、珈琲豆は余り広く出回らなかったということでもあったとも思う…

何れにしても、遠い時代の人達が嗜んだかもしれない味に想いを巡らせ、ゆったりと好みの飲物を頂いて寛ぐというのは好い。そして、この珈琲を入手した呉の店も想い出深い場所となった。

※珈琲豆の写真は稚内の拙宅で撮っているが、呉の店の想い出という内容でもなる訳で、記事は「広島県」のカテゴリに分類する。
posted by Charlie at 04:40Comment(0)広島県

<広島海上ビル>…(2021.12.23)

↓朝の光を受け、様々な種類の船が停泊または航行という風情…瀬戸内海に開かれた港を擁する広島という街の個性が滲む光景であると思う。こんな様子を眺めるのも好いものだ…
23-12-2021 X-Pro2 (78)

路面電車の広島港停留所の近くに客船が発着していることは知られている訳だが、その辺りの他にももう少し輸送規模が小さな旅客航路の発着や、色々な用途で船で動き回る関係者が出入りする、或いは海上保安や消防というような官公署関係で船を用いるという場合も在って、広島の宇品辺りでは「何となく思う」という以上に多くの船と船の利用者や関係者が動き回っているようだ。そんな様子に少し触れた訳である。

↓旅客が出入りする他、関係の事業所の事務所等が入居しているらしいビルが在った。<広島海上ビル>と称するようだ。
23-12-2021 X-Pro2 (83)

↓建物内に“売店”が設けられている…
23-12-2021 X-Pro2 (76)

↓何か「訳も無く懐かしく感じる…」という感の売店が在った…
23-12-2021 X-Pro2 (80)

↓階段も年季が入っている…
23-12-2021 X-Pro2 (81)

↓牛乳…パン…清酒…売店の取扱品か?何か酷く味わい深い感だ…
23-12-2021 X-Pro2 (82)

↓近くの島江の連絡船が発着していて、その日の最後の便が出た後の夜間は建物を閉め、朝にまた開けることになっているという告知が在った…
23-12-2021 X-Pro2 (77)

こういうような「海辺」を散策するのも好いものだ…何か「かなり古い映画」という世界の中に迷い込んだかのような、少し不思議な気分になった…
posted by Charlie at 07:17Comment(0)広島県

「広島陸軍糧秣支廠倉庫」の一部であった壁…(2021.12.23)

路面電車の広島港停留所を訪れ、興味深い経過が在る車輛を眺める等したのだったが、落ち合った友人に御案内願い、辺りの「宇品」という地区を歩き廻ってみることとした。

↓こういう重厚な煉瓦造の壁に出くわした。
23-12-2021 X-Pro2 (85)

↓こんな具合に「建物の一部」を“記念碑”というようにして敢えて残しているのだ。
23-12-2021 X-Pro2 (84)

↓この「建物の一部」を残している壁の謂れを説くプレートが在った。
23-12-2021 X-Pro2 (86)

広島の宇品は、陸軍が物資輸送等を行う場合の拠点になっていた。明治期以降、陸軍が管轄する各種の倉庫等の施設が多く建てられた。画の壁は、そうした施設の一つで「糧秣支廠倉庫」というモノだった。将兵の食糧や軍馬の飼料を保管するというような用途で用いられたのだという。

当然ながら原爆投下当時にも在った倉庫だが、爆心地辺りから4.5kmと離れていたので、被害は軽微なものに留まったのだという。戦後は長く民間倉庫として利用され、1997年に辺りの道路を整備した際、建物の一部を記念碑ということにしたのだそうだ。

↓こんな壁が在る訳だが、壁の前には鉄道が敷設されていたという。その鉄道が敷設されていたような場所が、現在では道路になっているのだ。
23-12-2021 X-Pro2 (88)

鉄道が敷設されていたような場所が道路になっているという例は方々に在ると思う。が、そこに嘗て在った建物が戦禍の記憶を伝えているというのは、例が限られると思う。何か貴重なモノを拝見した。
posted by Charlie at 06:46Comment(0)広島県

東大寺をテーマにしたハンカチ…(2021.12.19)

↓奈良で求めて、宿の居室で何とな写真にも収めていたモノだ…
19-12-2021 my one.. (1)

↓大仏様の手…大仏殿の屋根の一部…金剛力士像…そういう「東大寺…」と聞くと思い出すような“形”を抽象したイラストを、何か華やかな感じの面に散らしている。美しいハンカチだ…
19-12-2021 my one.. (2)
↑「華厳宗大本山東大寺」、「金光明四天王護国之寺」というような文字もデザインの一部のようになっている。

蚊帳生地を使う奈良のなかなかに好いモノということになろう。日々、時々使うようなモノに「奈良!」という感じの要素が美しく纏まっている。秀逸なデザインだと思う。これ!なかなかに気に入っている…
posted by Charlie at 06:03Comment(0)奈良県

行基…:近鉄奈良駅前(2021.12.19)

京都の大宮通を北寄りから南寄りへと歩き、東寺辺りへ至り、東寺駅で近鉄の列車に乗込んだ。何となく苦笑いも漏れるのだが、早朝に未だ暗い時季ながら、過ぎる程に元気に歩き廻っていた…

↓近鉄奈良駅に到ってみれば「休日の朝、やや早めな時間帯」という具合で静かだったが、この像が迎えてくれた。
19-12-2021 X-Pro2 (6)

↓奈良時代の僧、行基の像だ…
19-12-2021 X-Pro2 (5)

これと対面すると、何やら「奈良に…着いた…」という実感のようなモノが湧き上がる気がする。
posted by Charlie at 07:46Comment(0)奈良県

<七条西洞院>バス停留所の辺り…(2021.12.18)

↓何か特別なモノが在るのでもない。何となく画になる建物とバス停が在る様子に気付き、足を停めてカメラを向けた。
18-12-2021 X-Pro2 (122)

バス停の名「七条西洞院」は「ななじょうにしのとういん」と読むそうだ。

「七条」は京都では「しちじょう」と呼ぶのが正しい。京都に古くから在る人達の間では「ひちじょう」または「ひっちょう」と発音される場合も多いと聞く。「ななじょう」と言えば「何?」と言われる場合も在るのかもしれない…

しかしバス停の名は敢えて「ななじょう」と言って、車内でもそのように放送されるという。バス車内で「しちじょう」と音声で聞くと、一条(いちじょう)や四条(しじょう)と混同し易いかもしれないと、敢えてやっているらしい。

特別なモノが在るのでもない様子で写真を撮ってみて、「だから?」という次元ながら、少しだけ面白いことに気付くことになった…
posted by Charlie at 07:13Comment(0)京都府

<京都関電ビルディング>(KYOTO KANDEN BUILDING)…(2021.12.28)

京都タワーを見上げるような辺りに至り、眼に留めた美味いハンバーガーで空腹を満たし、辺りを歩き始めた…

↓「大都市の普通なビル街」という感だが…何となく美しいと思った…
18-12-2021 X-Pro2 (120)
↑殊に右側の、角が丸まっている建物が美しいと思った。

↓<京都関電ビルディング>という建物のようだ。
18-12-2021 X-Pro2 (121)
↑最初に「KYOTO KANDEN BUILDING」とアルファベットが眼に留まり「“KANDEN”?何のこと??」と思えば「関西電力」の略称の「関電」であるということが判った。

建物は1937(昭和12)年に竣工したらしい。なかなかに美しいと思ったが、こんなモノを眺めながら歩くのも悪くない…

posted by Charlie at 06:56Comment(0)京都府

仁王門と本堂と…:當麻寺(2021.12.18)

看板に導かれるかのように當麻寺に至った。

↓こういう大きな門が迎えてくれる…
18-12-2021 X-Pro2 (55)

↓少し年季が入った仁王像が脇に控えている門だ…
18-12-2021 X-Pro2 (59)

↓<仁王門>と呼び習わしている門であるようだ…
18-12-2021 X-Pro2 (60)

↓「半ば…否…殆ど“伝説”?」というように感じられなくもない、様々な話しが伝わる古刹である當麻寺…門を潜って訪ねてみるということに気持ちが弾んだ…
18-12-2021 X-Pro2 (58)

↓これが「“伝説”?」という曼荼羅を祀る本堂だ…
18-12-2021 X-Pro2 (64)

當麻寺に関しては「冬の好天」という中で、事前に漫然と思ったような時間を大幅に超えながら、「実に多くの文化財が…」と随分ゆっくりと歩き廻った。何か「あの場を“浮遊”していた?!」とでもいうような、不思議な時間が流れていたような記憶を、旅から戻った後にも辿る感だ。

近鉄の列車で訪ね易い辺りで、看板の写真に採用の独特な感じの四天王像も含めて色々なモノが視られる當麻寺は興味深く、この寺と出逢うことが叶ったのは大変に幸いだったと振り返っている…
posted by Charlie at 07:38Comment(0)奈良県

足下…:大阪駅(2021.12.27)

色々な列車が発着する大きな街の主要駅では、乗客が各々に利用したい列車に乗車し易いように、色々と案内が工夫されている。

↓大阪駅の1番ホーム…足下である…
27-12-2021 X-Pro2 (14)
↑このホームでは「奈良行」と「関西空港/和歌山行」が発着している。他に「大阪環状線」という列車も多く発着している。足元の表示を視て、概ねその位置で待っていれば、各々の行先に向かうことが出来るということにしているようだ。

「奈良行」は“鹿”のマークで、「関西空港/和歌山行」に“ミカン”のマークだ。

「関西空港/和歌山行」は8輛で動いていて、途中の日根野駅で「4輛+4輛」と列車を切り離す。一方が関西空港へ向かい、他方が和歌山へ向かう。空港へ向かう車輛が停車する辺りには“飛行機”のマークが使われていた。写真の箇所は和歌山へ向かう車輛が停まるので“ミカン”だ。

こういうの…何か酷く面白い。
posted by Charlie at 07:05Comment(0)大阪府

<大阪近鉄バファローズ>のキャップ…(2022.01.03)

<大阪近鉄バファローズ>が使っていたマークのデザインが気に入っていて、黒い地の上に黒でマークの詩集が付いているキャップを気に入って使っている。

今般は兵庫県大阪府京都府奈良県岡山県広島県滋賀県和歌山県と各地でキャップを使い続けた。

↓北海道に引揚げて、旭川に至ってもそのまま使い続けていた…
03-01-2022 X100F (28)

「だから?」ということになるかもしれない。が…このキャップが酷く気に入っているのだ…

<モカマタリ>…(2022.01.03)

「低温」という中、加えて「やや風が強い?」という中で旭川の街を歩き廻った…

大変に気に入っている像の辺りに出て、「酷く手も冷たくなって…何か熱い飲物でも頂いて一息…」と少々「切実…」に思い始めた。

そうすると大変に気に入っている像の眼前にカフェ…「そうだ!この店も何度か寄っているが、一寸御無沙汰だった…」と思い出し、営業中だったので立寄った…

↓何となく…<モカマタリ>という珈琲を御願いした…
03-01-2022 X100F (31)

↓寒い日に街を歩き、少し切実に温かい飲物でも頂いて寛ぎたいという想いが募るような中、こういう熱い珈琲を悠然と頂くというのは、本気で有難い…
03-01-2022 X100F (29)

何か「珈琲好き」の度合いが更に深まるかのような経験をした…

<サキソフォン吹きと猫>…(2022.01.03)

旭川の都心部を歩き廻り…

↓これに出くわすと、何やら大きな安堵感のようなモノを覚える…
03-01-2022 X100F (25)

旭川では「街に彫刻を飾り…」というようなことを推進した経過が在ったようだ。が、この「概ね等身大の像をベンチに座らせる」という作品は他のモノの存在を忘れさせてしまう程度に印象が強い。本当に、「恰幅のいいおっちゃんが楽器を演奏している」という等身大の像がベンチに座っていて、小さな猫が演奏に聴き入っているかのような様子が再現されているのだ…

↓厳寒の冬季にも夏と同じスタイルで楽器を演奏しているおっちゃんだ…時季を問わず、視る都度に「おっちゃん!また、おっちゃんの居る旭川に御邪魔させて頂きました!」と一言声を掛けてみたい気分になる…
03-01-2022 X100F (26)

冬季には「流石に…寒いよね…」とマフラー等が“差し入れ”られている様子も見掛け、街の人達に愛されている像なのだと、少し嬉しくなる場合も在る。

何となく、久し振りにこの像を写真に収めたような気もするが…時には気に入っている様々なモノを愛でながらゆったりと過ごしてみるというのも悪くないと、改めて思った…

上川神社頓宮…(2022.01.03)

旭橋を眺め、常盤公園に至った。そういうことをやっていたのが「1月3日」だった。これは?所謂「初詣」というのも一興であると思い付いた…

↓常盤公園内に在る上川神社頓宮に寄ってみた…
03-01-2022 X100F (23)

↓雪深い中に佇む風情が凄く好いと思った…
03-01-2022 X100F (22)

↓旭川の街に鎮座する神社に…無事にここに在ることを感謝という感で、真面目に参拝してみた…
03-01-2022 X100F (21)

列車運休というような事情を受け、期せずして「1日長く…」と旭川で過ごすこととなったのだったが、「勝手知った(つもりになっている)他所」ということで、一定の頻度で寄る街でゆったりとすること自体、好いことだとも思いながら過ごしていたのだった…

<241>…:幌南小学校前停留所周辺…:札幌の路面電車(2021.12.30)

↓こういう半世紀を超えて運用されている車輛を眺めるということが好きだ…
30-12-2021 X-Pro2 (59)

↓歩道橋下のカーブを曲がって進む姿が非常に美しいと、視る都度に思う…
30-12-2021 X-Pro2 (61)

↓札幌の路面電車の軌道…現在となっては然程の延長でもない。が、こういう車輛のように何十年間も運用されていれば、累計で凄い距離を走っているのであろうと考えることが在る…
30-12-2021 X-Pro2 (62)

新鋭の安心して乗降出来る低床型の車輛も好きなのだが、こういう古い車輛の外観も凄く好きだ。可能な限り長く活躍して欲しいと思っている。

<もみじ台東2丁目>のバス停留所…(2021.12.30)

明確な理由という程のモノ等無いのだが、時々「小中学生の頃に利用したような経路で札幌都心部へ…」というようなことを思い付く。

↓朝早くにバス停へ足を運んでみる…
30-12-2021 X-Pro2 (2)

2つのバス会社が路線バスを運行している。以前はその2つの会社の停留所の看板が並んでいた。それが何時の間にか「統合型」というような感じになっていた。「2つ在ったものが1つ??」と少し驚いた。

↓掲出されている時刻表だ。2つのバス会社による各路線が纏まって掲載されている。
30-12-2021 X-Pro2 (3)
↑<もみじ台東2丁目>のバス停留所を通るバスは、専ら新さっぽろ駅または新札幌駅へ向かう。地下鉄に乗り継ぐ、JRの列車を利用するという具合の他、新札幌エリアにも向かうべき場所が多々在る訳で、そこでの乗降が圧倒的に多い。他に幾つかの行先が在る。休日は極限られた運行本数になってしまうが、JR札幌駅へ向かうというバスも動いている。

↓冬の朝らしい感じの中、バスが現れた…
30-12-2021 X-Pro2 (5)

↓新札幌駅を経由して札幌駅へ向かうバスは、専らJR北海道バスが運行している。嘗ての「国鉄バス」である。
30-12-2021 X-Pro2 (6)

小中学生の頃には、このバスは新札幌駅を経由していなかった。地下鉄が開通して以降は新札幌駅を経由するようになったと記憶している。

時には札幌市内をバスで移動するのも一寸面白い…

札幌時計台…(2021.12.30)

札幌市内で暮した小中学生の頃、札幌都心部へ出掛ける場面でバスに乗車したものだった。当時の住まいから都心部まで、小一時間の乗車時間という感じか?

時々、その酷く懐かしいような経路を概ね同じ―小中学生の頃とは少し経路が変わって、既に長い年月が経っていると思う…―ように走る路線バスに無性に乗ってみたくなる。

↓バスはこういう景色が視えるような辺りに到る…
30-12-2021 X-Pro2 (7)

↓急いで何かをしなければならないという訳でもないので、何となくこの時計台を眺めた…
30-12-2021 X-Pro2 (11)

↓近年はこうやって時計台を眺めるというのが何となく気に入っている…
30-12-2021 X-Pro2 (10)

時にはこういうのも悪くない…

<1107>&<212>…:幌南小学校前停留所周辺…:札幌の路面電車(2021.12.30)

↓「雪が在る道を路面電車が行く」という様子を見下ろす…札幌で歩道橋に上って路面電車を眺める感じが意外に気に入っている…
30-12-2021 X-Pro2 (40)

↓信号停車を経て、路面電車がカーブの区間に入り込んで行く…
30-12-2021 X-Pro2 (41)

↓意外に迫力が在る様子のように思う…
30-12-2021 X-Pro2 (43)

↓南下する軌道から西進する軌道へ、カーブを曲がって入り込んだ…
30-12-2021 X-Pro2 (44)

↓<1107>は滑るように軌道を進む。そして<212>と擦違う…
30-12-2021 X-Pro2 (45)

↓<212>がカーブに近付く…
30-12-2021 X-Pro2 (46)

↓<212>は北上する軌道へ曲がった…
30-12-2021 X-Pro2 (48)

↓間もなくカーブを曲がり切る…
30-12-2021 X-Pro2 (49)

↓この年季が入った車輛が好い感じだと何時も思う…
30-12-2021 X-Pro2 (50)

近年の低床型車輛も、半世紀以上も動いている車輛も、同じ軌道で擦違いながら運用されているという様子が視えるのが、路面電車を眺める面白さであると何時も思う…

稚内港北防波堤ドーム…(2021.01.16)

余りに酷いので「“日常”を諦めて“休眠”…」という様相になったのが12日だった。その後、「酷さのピーク」が通り過ぎても「“後始末”に酷い手間」という様子が数日続いた。

そういう状態から漸く脱した感の日曜日の夕刻…夕食を悠然と愉しんでみた後、少しだけ歩き廻った。

降雪と、吹溜りが生じてしまう強風とが延々と続いた。降雪が停まっていても強風が停まらないという様子も多く見受けられた。

そういう様子が「0℃から氷点下1℃」というような気温で延々と続くと「少々湿り気が多い雪」となる。そういう具合になると、何かで気温が下った場面で凍ったようになり、除雪・排雪の作業効率を妨げてくれる…

↓中途半端な量になっている積雪だが、表面が凍ったような按配になっている…
16-01-2022 X100F (26)

↓除雪・排雪の努力の跡が見えるのだが、少な目になった積雪の表面が凍ってしまっている…
16-01-2022 X100F (28)

荒天の後始末が漸く落ち着いた感なのだが…然程の間隔を置かず、また荒天が訪れるという話しも出ている…

↓こういう「冬らしい」が当分は続く訳だ…
16-01-2022 X100F (30)

広島港停留所…:広島の路面電車(2021.12.23)

↓朝から「路面電車を眺めるべく、広島港停留所を一寸目指して…」ということにして、到達前に道草もしながら、何やら辿り着いた…
23-12-2021 X-Pro2 (44)
↑京都に登場し、広島に移ったという経過の1900形…今般は見掛ける機会も多く、何度か乗車もした…

↓広島港停留所は、新旧の色々な型の車輛が発着する。朝の時間帯は、少し旧い車輛の登場も増えるらしい。
23-12-2021 X-Pro2 (45)

↓天候が好く、明るさが増す中、何やら光が凄く眩しかった。そして射し込む光による造形というような様子も見受けられた…
23-12-2021 X-Pro2 (50)
↑野球の広島東洋カープのマークがラッピングされている車輛が視えるが、広島で活動する各競技、各リーグのチームのマーク等をラッピングした車輛が見受けられる…そういう感じは好きだ。

この場所は「是非、再訪したい!」という感じの場所だ…
posted by Charlie at 17:22Comment(0)広島県

<海老四本丼>…:岡山にて…(2021.12.21)

↓「海老天?御無沙汰だ…」と思いながら頼んだモノだが…何か零れた笑いに“苦笑い”めいたモノが交じった気がする…
21-12-2021 X-Pro2 (88)

↓メニューを見て「四本」ということにしてしまい…「御飯は少な目で…」ということにはした…
21-12-2021 X-Pro2 (86)

早朝に奈良を発ち、神戸を経て到った岡山で西大寺を訪ね、岡山駅に何となく戻ってみれば「ピークを少し過ぎたランチタイム」という様子だった。奈良を発った辺りから、何やら飲物を飲んではいるが、食事らしい食事を摂らずに在ることに思い至り、岡山駅のビルで飲食店が色々と在る辺りを見出して寄ってみた訳だ…

↓海老の他にも天ぷらが色々と丼の飯に載っていた。何やら「凄いボリューム感」だった…
21-12-2021 X-Pro2 (87)

地元の皆さんの間でも、自身も含む、岡山駅を行き交く各地の旅客も、「誰でも満足、納得の天丼」というような感じだと思った。何となく「記憶に留めたい」という気がするモノだ。これを頂く前も、これを頂いた後も、何となく天丼は御無沙汰だ…「だから?」という話しではあるが…
posted by Charlie at 09:39Comment(0)岡山県

西大寺…:岡山(2021.12.21)

岡山の市域内に西大寺駅が在る。辺りは「岡山市東区西大寺」という住所である。要は「西大寺周辺の門前町」というようなことで、辺りの通称も寺の名と同様の西大寺になっていた訳で、それが現在の住所にまでなっている。

そういうことなので、西大寺駅を起点に「寺の西大寺」を訪ねてみようかと思い付けば…辺りの住所そのものが「西大寺」と称する関係上、何処を視ても、何でもかんでも「西大寺〇〇」というような感じになっていて「寺の西大寺は??」と少々戸惑った…

西大寺駅から少し進んで、何やら商店街の脇に「寺のモノ?」という構造が覗く場所が在る…
21-12-2021 X-Pro2 (53)
↑画の右側の商店が「西大寺玩具」なる看板を掲げているが、本当にこの辺りは「何でもかんでも!」という感じで、殆ど全て、何もかもが「西大寺〇〇」で驚かされた…

↓扁額に山号の「金陵山」と在る。西大寺の門に辿り着いた…
21-12-2021 X-Pro2 (54)

751年に観音像が安置されたという故事が在って、その辺りに777年に堂宇が建立されたということが西大寺の起こりとされているようだ。元々は「犀の角を戴き鎮めた地に建立した」とされていることから、「犀戴寺(さいだいじ)」と称したという。後に後鳥羽上皇の祈願文に合わせて「西大寺」に改称したとされる。

↓三重塔…大きいという印象ではないが、何か美しい形だ…
21-12-2021 X-Pro2 (55)

↓なかなかに大きな本堂が在る…
21-12-2021 X-Pro2 (58)

↓石門というのも、何やら趣深かった…
21-12-2021 X-Pro2 (60)

↓鐘楼門という門も知られているようだ…
21-12-2021 X-Pro2 (63)

↓天候も好く、何か境内でのんびりと過ごしたという感であった。
21-12-2021 X-Pro2 (70)

西大寺については、旧暦1月に行われる新年の祈祷である「修正会」というモノに起源を有するという祭りが知られているという。毎年2月の第3土曜日に開催の会陽(裸祭り)という祭りで、牛玉所大権現(ごおうしょだいごんげん)の裸の守護神を参詣というものであるらしい…

↓立寄ったこの日は、何やら凄く静かな感じであった…
21-12-2021 X-Pro2 (56)

↓何やら不思議な石板が嵌められた箇所も在った…
21-12-2021 X-Pro2 (71)

とりあえず西大寺駅に到って、この西大寺を無事に訪ね、冬の好天という中で散策を愉しんだ。「何となく好かった…」と記憶に残る…こういうような「何となく好かった…」というのを、色々と積み重ねたいような気もする…
posted by Charlie at 08:31Comment(0)岡山県

<椿井市場>…:奈良(2021.12.20)

何処の街にも「古くは酷く賑わった…近年??」というような場所は見受けられるのかもしれない。

↓奈良の<ならまち>というように呼び習わされている界隈の一隅になると思う。こういう場所が在る。
20-12-2021 X-Pro2 (149)
↑<椿井市場>(つばいいちば)と言って、何か「子どもの頃に(保護者に)連れて来て貰った、何やら賑やかだった商店街」というように、奈良の一定以上の世代の皆さんが想う場所だと聞いた。

“商店街”的な店の連なりが、遠目に一棟に視えるような具合に囲われていて「市場」を名乗っている。或いはこういう「市場」を名乗るということ自体、何となく少数派というようにも感じるが、「椿井市場」という文字の「擦れた感じ」が何か名状し悪い感だ。

<椿井市場>という看板の入口辺りについて、奈良で人気の店に寄って、関西の流儀の美味いおでんでも摘まもうというようなことを考える少し前に立寄っていて寧ろ静かだった。それでも、画の入口の周辺で営業中と見受けられる何かの店が何軒か見受けられた他は、「使わなくなって久しい建物の連なり」という以上でも以下でもない様子だった。

↓<椿井市場>という看板の側からやや奥へ踏み込むとこういう具合だ…
20-12-2021 X-Pro2 (150)

↓多分?未だ「昭和」という元号であった頃に活動が休止されて、そのまま何十年も経ってしまっているというような様子になっているのが伺え、些か驚いた。
20-12-2021 X-Pro2 (152)

↓「放置された時間」が何やら「造形」をしてしまうというような雰囲気だ…
20-12-2021 X-Pro2 (153)

↓老朽化して、そして傾いてしまっているというような感じでもある…こういう様子も頻繁に視られるのでもない…
20-12-2021 X-Pro2 (154)

↓傷んでしまって、何やら「倒壊?」というような気がしないでもない。が、自身の見聞の範囲で申し上げれば、こういう「未使用老朽化。改装の手も施し悪い」という箇所は、倒壊するという以上に「火災でも発生した際に危険過ぎ…!!!」ということが問題であると思う。
20-12-2021 X-Pro2 (156)

それにしても…何やら強烈な場所で、少し記憶に残る…

石山寺:大津(2021.12.25)

高野山の宿坊でもある金剛三昧院に多宝塔が伝わる。鎌倉時代初期の建築であるという貴重なモノなのだが、これが北条政子の発願で建てられたのだという。

その話しに加えて聞いたのは、石山寺に「建築年代が明らかなモノとしては日本国内最古と見受けられる」という多宝塔が在って、それが北条政子の夫であった源頼朝の発願で建てられ、寄進されたという話しが在るということだった。話しを聞いた際、金剛三昧院の多宝塔の優美な女性的な感じに対し、石山寺のモノはもっとゴツゴツした男性的な感じかもしれないというようなお話しだった…何やら強く記憶に残った。

過去に立寄った記憶も在る石山寺ではあったが、この多宝塔の話しを聞いて酷く興味が沸いたのだ。

そんな切っ掛けで到った石山寺だった。京阪の石山寺駅に到って、何となく歩けば石山寺の門前には直ぐに至ってしまう。

↓全く初めてという感慨が沸くでもない…何度目かの訪問なのだが…石山寺の立派な門の辺りに辿り着いてしまった…
25-12-2021 X-Pro2 (110)

↓阿吽の金剛力士が護る門ではあるが、年末という時節柄“門松”も登場している。何か「殊更に歓迎して頂いている」というように勝手に感じてしまう面も在る…
25-12-2021 X-Pro2 (111)

↓「“年末のどさくさ”で何やら妙な動き?」と揶揄されそうではあるが、偶々年末時季に時間を設けられたことを幸いに動き回ったに過ぎない…こういう門松は、眺めて美しいとは思う…
25-12-2021 X-Pro2 (112)

こういう独特な風情の門辺りで微妙に感慨に耽り、何となく石山寺の中に入る…

↓「こういう様子」が「石山寺!」という感じなのだと思う…
25-12-2021 X-Pro2 (122)

「石山寺硅灰石」と称するようだが、<石山寺>という呼称の元祖になっている独特な石の山の辺りに伽藍を築いたという経過を強く感じさせる眺めが酷く好い…

↓「紫式部」というような…「酷く古い時代…」というようなことを思う語句も交るような古い時代を想起させる年代の故事を思い出す事柄が語られる本堂が佇んでいる…
25-12-2021 X-Pro2 (126)

↓本当に古くから様々な堂が並んでいて、多くの人々の信心の拠所のようになっている「大伽藍」となっていることを意識せざるを得ないような場所である…
25-12-2021 X-Pro2 (127)

それはそれとして…

↓「石山寺」を少し強く意識する契機となった多宝塔は、兎に角も酷く美しい…
25-12-2021 X-Pro2 (132)

↓この石山寺の美しい多宝塔の様子は、兎に角も記憶に留めたいような気がする…
25-12-2021 X-Pro2 (138)

↓何となく力も入った石山寺再訪という中、「6月生まれは運が好い時期なのかもしれない」という御話しを耳にした辺りは少し愉しかった…
25-12-2021 X-Pro2 (143)

有名な寺に関しては、訪ねてみる人の「各々の向き合い方」というのが夫々に在るのだと思う。自身が訪ねる場合も、そういうようなモノに些か余計な「粋がった奴の勝手な流儀…」が加わるというようなことのようにも思う。が、それはそれとして…

↓色々な事柄が在る有名寺院は、何となく訪ねてみる価値が高いというようには思う…
25-12-2021 X-Pro2 (147)

今般、「思い付いてかの“石山寺”を訪ねて尊い多宝塔を眺めてみて…」よいうようなことを勝手に思っているが、それはそれとして悪くないのかもしれない…
posted by Charlie at 06:24Comment(0)滋賀県

しめ鯖…シマホッケ…トンハツ…<ジェットホルモン>…焼きめし…(2022.01.14)

「少し記憶に無い?!」という程度の荒天に見舞われてしまって、何となくダメージ回復に些か手間取っている感も否定出来ないのだが、年始と<成人の日>関連の連休も終わった中、或る程度「日常」が戻ろうとしていると思う。

年始と<成人の日>関連の連休で休業し、荒天の日には流石に開けていなかった御近所の御店に灯りが入ったことに気付いた夕べだった。灯りに引かれて訪ねると「本年も宜しく御願いします」という感…

↓しめ鯖…
14-01-2022 evening (2)

↓シマホッケ…
14-01-2022 evening (4)

↓トンハツ…
14-01-2022 evening (5)

↓名付けて<ジェットホルモン>…
14-01-2022 evening (8)

というような「気に入っている辺り」をゆったりと摘まんだ…

↓そして焼きめしを頂いた…
14-01-2022 evening (9)

何か「日常」に漸く復するかというような気がした夕べではあった…

三井寺=天台寺門宗総本山 園城寺:大津(2021.12.25)

「“記憶に残る鉄道路線”の列車を駆使して沿線の名所を巡ってみる」という程度のことをするのは面白いと思う。

今般その“記憶に残る鉄道路線”ということで頭の隅に思い浮かべたのは、路面電車のような規格―実際、路面に軌道が敷設される併用軌道の区間も在るのだが…―と見える可愛らしい車輌を2輌連結した列車が行きかっている京阪の石山坂本線だった。概ね琵琶湖の南西側の岸に沿うように大津市内に軌道が敷設されていて、沿線には名所旧跡が多い。過去に何度か利用した経過が在って、独特な雰囲気を時々思い出す。

その石山坂本線の沿線で「駅名になる程度によく知られているらしい場所ながら、思い返すと訪ねてみた経過が無い…」ということで頭に浮かぶ場所が幾分在る。その一つが三井寺駅に近い三井寺だ。

↓三井寺駅からゆったりと歩いて、こういう看板が在る場所に到った…「三井寺に着いた!」と思ったのだったが…
25-12-2021 X-Pro2 (56)
↑三井寺は幾つもの霊場巡りに加わっている場所であることから、ピンポイントで三井寺の中に在るその場所を目指すという方も多い。そこでそういう人達が利用する出入口が設けられている。行き当たったのはそういう場所だった。

↓「正面の出入口」というのを聴いて、そちらの側に廻り込んだ…
25-12-2021 X-Pro2 (57)
↑立派な門で、年始の準備で門松も飾られている…かの徳川家康が寄進した門であるという…

「三井寺」というのは通称だという。「園城寺」が正しい名であるという。実際、門の脇にも「園城寺」と刻まれた石が在る。

壬申の乱(672年 天智天皇の子である大友皇子と、弟である大海人皇子との争い)で敗れた大友皇子には遺児の大友与多王が在った。大友与多王は祖父たる天智天皇所持であったという弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立して父の菩提を弔うとした。大友皇子との争いを制した大海人皇子は天武天皇となっていたが、686年に大友与多王に寺の建立を許した。そして大友与多王が自身の「荘園城邑」(田畑や屋敷等の財産)を投げ打ってでも寺を建立しようとする志に感じ入った天武天皇は「園城寺」という寺号を与えた。

この園城寺の通称が「三井寺」になったのは「御井寺」が転じたからであるという。寺の辺り涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから「御井」(みい)という呼称が在って、これから「御井の寺」という通称が登場し、それが転じて「三井寺」になったのだという。

三井寺もまた古刹の例に漏れず、伽藍等が損なわれて再建されてというようなことが繰り返された経過を有している。故にこの「壬申の乱に敗れた皇子の遺児が…」という時代の創建に纏わる事柄を明確に伝える何かが在るということではない。が、三井寺が勢いを持つようになる時代よりも以前の、奈良時代前期と見受けられる旧い瓦等の出土も見受けられたということで、創建の伝承には史実も含まれている可能性が高いようだ。

↓門を潜ると、境内に数々の堂が並ぶ。門から近い辺りに釈迦堂が在った。
25-12-2021 X-Pro2 (61)

↓少しばかり歩を進めると、若干高くなった、半ば独立しているようにも視える少し大きな堂が在った。
25-12-2021 X-Pro2 (64)

↓これが主要な堂ということになる金堂だ。
25-12-2021 X-Pro2 (69)

↓安土桃山時代の名建築ということになるようだ。
25-12-2021 X-Pro2 (75)

↓江戸時代初期の名工、左甚五郎が彫ったと伝わる龍が視える箇所も在った。
25-12-2021 X-Pro2 (74)

↓天台宗の様式を伝える堂ということであった。中の仏像も色々と在って面白かった。
25-12-2021 X-Pro2 (71)

古い起こりを有する三井寺または園城寺であるが、859年に円珍が入って以降、天台宗系の寺として発展することとなる。

天台宗の高僧で、唐で密教を学んだ経過もある円珍は園城寺を比叡山延暦寺の別院として住み、活動するようになった。そして866年に太政官からの公験(くげん)(=公式的な証明書)を得て、園城寺を顕教、密教に加えて修験道を兼学する場として行くのだ。

やがて天台宗はこの園城寺にあった円珍の流れと、少し前の世代の円仁の流れとに分派するような形になる。園城寺に拠る<寺門>と延暦寺に拠る<山門>という両派で、両派が争う歴史も繰り広げられる。

↓何か「文化財建築の広い展示場」というような境内だ…一切経堂という建物で、向こうに三重塔も視える。
25-12-2021 X-Pro2 (76)

↓「塔が視える」という様子は好きで、寺で出くわすと一寸見入ってしまう。
25-12-2021 X-Pro2 (79)

↓文化財建築を紹介する看板が多々在って、正直「どれが?」とよく判らなくなって来る。が、この「文化財建築の広い展示場」という感の場所で、「訪れた者に迫って来るような、重ねられた信仰や活動の時間」というモノが感じられる。
25-12-2021 X-Pro2 (85)

↓塔頭の微妙寺には黄不動、十一面観音、尊星王となかなかに興味深い仏画、仏像が祀られている。
25-12-2021 X-Pro2 (87)

↓天台宗の先人の石像や…
25-12-2021 X-Pro2 (89)

↓観音の石像というような様々なモノも戸外に見受けられた。
25-12-2021 X-Pro2 (92)

三井寺は想像した以上に広い場所で驚いた。大阪から京都へ移動し、大津に入って辿り着いた三井寺だったが、移動しながら漫然と思っていた以上に時間を費やし、ゆったりと拝観した。冬の好天という様子な中、様々な時代の建築や仏像や仏画を拝見したというのは、なかなかに好い時間だったと思う。
posted by Charlie at 07:06Comment(0)滋賀県

広電本社周辺…(2021.12.23)

広電本社の辺りには、古くからの路面電車の車庫も在るが、創業の時代からの歴史の舞台となった場所でもあるようだ。

「広電」という略称で親しまれる広島電鉄は「広島電気軌道」という名で創業した。1912(大正元)年に電車の運行を始めた頃に発電所を設けた。

その「広島電気軌道火力発電所」と称した建物が残っている。煉瓦造の2棟を組み合わせたような感である。完全に各々が独立した棟ということではなく、一部の壁が繋がっているらしい。一方に発電機が、他方に発電用ボイラーが収められていたのだという。

↓こういう建物が現在でも在る…
23-12-2021 X-Pro2 (123)
↑1934年に至り、発電所は廃されたが、建物は変電所と倉庫として活用されるようになった。「千田町変電所」ということになる。画の奥側、発電機が収められていた側が変電所となり、手前側が発電用ボイラーが収められていた側が倉庫となった。

そして1945年8月6日に被爆してしまう。爆心から1.9km程度という。屋根が吹き飛んで建物の中に被害が生じたというが、建物の倒壊は免れた。しかしこの辺りでは多くの人達が犠牲になってしまった。

路面電車の運行の関係では廿日市変電所が被害を免れたということが在って、8月9日には単線折り返し方式で極一部の区間ながらも電車は走り始めたという。

この千田町変電所に関しては、変電所として使われ続けていて、倉庫であった部分は事務所になっているのだという。

↓この「1912年頃の煉瓦造の建物」という風を色濃く残しているのが事務所になっている部分であるようだ…
23-12-2021 X-Pro2 (124)
↑この建物は貴重な「被爆建物」ということにもなる…

↓この千田町変電所の傍に古くからの車庫である「千田車庫」が在る訳だ…」
23-12-2021 X-Pro2 (125)

↓辺りには、その名も「広電本社前」という路面電車の停留所が設えられている…
23-12-2021 X-Pro2 (126)

↓停留所で電車に乗ってみることにした…
23-12-2021 X-Pro2 (129)

↓広電西広島へ行ってみることとした…
23-12-2021 X-Pro2 (130)

ほんの少し「雰囲気」に触れただけだとも思うが、この広電本社の周辺というのもなかなかに好いと思った…
posted by Charlie at 19:26Comment(0)広島県

<菊岡漢方薬>…:ならまち:奈良(2021.12.20)

↓古くからの経過が在る奈良の街で、一際古い経過を誇る漢方薬の店らしい…
20-12-2021 X-Pro2 (137)

↓所謂「ならまち」という地区は、「平城京の昔」ということではなく、寧ろ「近世の街」という流れを汲んでいるらしいのだが、何かそういう時代を想起させるような建物が現在に受継がれているという風だった…
20-12-2021 X-Pro2 (138)

↓通り過ぎてしまってから、こういう看板に気付く…こういうのも「よくある」というものか…
20-12-2021 X-Pro2 (139)

奈良に関しては、マダマダ親しんでみたい様々な文物が在ると思う。そして訪ねる都度にそれらに新たに出くわすというような感でもある…

<708>:三井寺駅(2021.12.25)

琵琶湖の西南側に敷かれた軌道を可愛らしい電車が行き交う<石山坂本線>の様子が少し気に入っている…

↓三井寺駅だ…
25-12-2021 X-Pro2 (98)
↑この路線では、びわ湖浜大津駅以外の駅では、幾分の例外を除くと駅はこういうような風情の場所が多いように思う…

↓寧ろ「路面電車?」という風情の車輛が2輛連結で現れる…
25-12-2021 X-Pro2 (102)
↑実際、一部に道路の上を走る併用軌道の区間が見受けられる路線でもあるが…

↓何時の間にかこの路線でも、専ら「京阪の他の路線と同一の塗色」という車輛が行き交う感じになったと思う。
25-12-2021 X-Pro2 (104)
↑1992年から1993年に、古い車体を流用しながら製造されたモノであるという<700形>と呼ばれる電車だ…

今般、この味わい深い路線で電車に乗るという機会を設けられたことは非常に好かった…
posted by Charlie at 06:37Comment(0)滋賀県