大歳神社:地御前:廿日市市内(2021.12.23)

↓一段高くなった辺りの様子が気になった…
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↓神社だ…ここは<大歳神社>(おおとしじんじゃ)という…
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↓宮司さんが在って、地域の社しして普通に活動が展開されている神社でもある。
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宮司さんが折良く現れたので言葉も交わした。地御前の地では<地御前神社>が少し知られている。宮島、厳島神社の対岸ということで古くは大きな存在感を示した神社だが、現在は厳島神社の管理下に在るという以上でも以下でもない。対して<大歳神社>は、地御前の村の鎮守として起こって現在に受継がれているという神社であるのだという。

そんな「辺りの村の鎮守…」という大歳神社に立寄ったこと、宮司さんと言葉を交わして御朱印も頂いたのだが、何か「土地との好い出遭いが叶った…」というような気分になった。
posted by Charlie at 06:47Comment(0)広島県

<天井松>:西向寺:地御前:廿日市市内(2021.12.23)

掲出されたマップを見て、広島電鉄やJRの軌道や駅と、辺りの様々なモノの位置関係を何となく把握し、辺りを歩き始めてみた。

↓街の寺というような風ではあり、酷く大きな訳でもないが、端正な門が在ると思った。浄土真宗の寺らしい。
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↓何気なく門に近付き、門の中を伺って驚いた…見事に枝を拡げた松…枝を支柱で支えている様子だ…
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↓松の枝が「天井」という様相…これを<天井松>と呼んでいるらしい…
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↓何やら暫し足を停めて見入ってしまった…
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特段に事前に期することもなく、何やら「おっ!?」と驚くモノに出くわしたという感じだ…一寸面白かった…
posted by Charlie at 06:17Comment(0)広島県

<地御前史跡マップ>:廿日市市内(2021.12.23)

西広島から先、広島の街を走っていた路面電車がそのまま「何処の地方でも見掛けるような鉄道路線」の中に乗入れ、宮島口まで走っている。

その宮島口の少し東寄り、西広島からの電車に乗って訪ねれば「宮島口の手前」というような感じになると思うが地御前という地区が在る。

↓これがその地御前の、来訪者等に向けたマップである。電車を下りて、何となく歩き始めた辺りで出くわした。
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宮島口、船で島に亘っての厳島神社という「超有名!」ということになる場所には立ち寄った経過が在る。が、その宮島口から遠くないような辺りというのはよく知らない。「面白い建物が見受けられるような場所が…」と友人の助言を頂き、一寸訪ねてみたのだ。

西広島から宮島口の区間、広島の街を走っている連接方式の路面電車が、「普通」な地方の鉄道の軌道という場所に乗入れている。何か「一帯で特別な存在感の大きな街の端側、隣接する幾つかの街とを結んでいるような鉄道の沿線」という風情が漂っていた。

廿日市市…これは広島市の西側で、商工業地域の廿日市が広島との往来が盛んになって発展した中、辺りの小さな町が年を追って合併して現在の範囲になっているということのようだ。“廿日市”としては最も古くからの流れを汲む辺りの他に、宮島も含めた様々なモノが在る場所ということになっていて、広島市内等への交通も便利な所謂“ベッドタウン”というような性質も色濃く帯びているらしい。

そんな廿日市市の一隅、地御前を少し歩いてみたのは、何となく愉しい想い出だ。

地御前は、有名な宮島口の手前のような、やや東に寄った辺りで、広島周辺以外の他地域の人達の間ではマイナーな感じながら、こんな「マップ」が出来る程度に色々なモノが在るということなようだ。こういう様子を、「様々な建物が建築中だった“新興住宅地!!”という場所そのもの…」で幼少期を過ごした自身は「酷く羨ましいような感じが…」と思ってしまう。
posted by Charlie at 06:03Comment(0)広島県

<からだ想いランチ>…:奈良(2021.12.19)

京都で少し歩き廻った後に奈良に移動し、奈良で東大寺や興福寺を訪ねた。そうすると「ランチタイム?」ということに…

↓こんな感じの場所に出た…
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↑この御店では、昼食を供してくれるようだ…

↓<からだ想いランチ>というモノを御願いしてみた…
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↑「精進料理のような?」という内容に、選択式で肉か魚が添えられるという内容だった。肉を択ぶと美味い鶏肉だった。そして「精進料理のような?」という種々のモノも各々になかなかに好かった…

意外に満足度が高かった。振り返ると、気儘な出先では昼食の時間帯は何か不規則になりがちであった。この日は「ランチタイムらしい」という感じの時間帯に、名付けて「からだ想い」というランチを頂いた訳である。

↓何か可愛いバナーが「また寄ってね!」という感じで見送ってくれた…
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↑それにしても、奈良では鹿がこのバナーの例のようにキャラクター的に使われている例も眼に留まる…

こういうような「本当に一寸したこと」が出先での記憶に残る事の中で、存外に大切かもしれない。と言いながら、気儘な旅では食事に然程拘らない性分ではあるが…
posted by Charlie at 05:34Comment(0)奈良県

八丁堀⇔胡町⇔銀山町…各停留所を望む:広島の路面電車(2021.12.23)

“跨線橋”のような様相を呈している歩道橋に上って路面電車を眺めると面白いというようなことを広島で会った友人との話しで話題にした。すると「そういうことなら…」と友人が教えてくれた。胡町(えびすちょう)停留所の辺りに歩道橋が在り、長めな直線の区間に多くの車輛が行き交う様が視られるということだった。

路面電車の1日乗車券を手に早朝から動き回っていたが、午後に至って宿へ引揚げようとしていた。友人と話題にした胡町停留所は宿から然程遠くないので、その胡町停留所まで路面電車で移動した。

↓胡町停留所に近い歩道橋に上ってみた…
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↑奥に八丁堀停留所が視えて、手前に胡町停留所が視えている。その軌道を路面電車が行き交っている。

「これは面白い!」と暫し見入った…

↓広島の場合、昨今の「低床型」の車輛が相対的に早く導入されているので「近年の車輛」という感じの車輛だけでも様々な種類が在って、現在では軌道上で見掛ける車輛の中で割合も高まっている。そういう様々な車輛が行き交う様子が面白かった。
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歩道橋上で一寸振り返った…

↓銀山町(かなやまちょう)停留所が視えた…
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↑各種車輛や歩行者が行き交う路上に軌道が敷設されている「路面電車らしい」という雰囲気が見受けられた…

胡町停留所に近い歩道橋の上に佇むと、八丁堀、胡町、銀山町の各停留所を結ぶ区間の様子が一望出来る。各停留所間の距離は然程遠くはないと思う。言葉を換えると、これらの停留所の何れかで路面電車に乗り降りすると訪ね易いというような場所が多々在る訳だ。実際、自身で滞在した宿が該当する。最初に「八丁堀停留所が近い…」と覚えたが、胡町も銀山町も利用し易い。各停留所と宿との間を歩いて要する時間に大差は無い…

↓この銀山町の側も面白いと思った。
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↓銀山町の側から、佇んでいた歩道橋の側に車輛が進んでいる…
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↓歩道橋の下を潜った車輛は、胡町の側へ、更に八丁堀へ進む…
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何か「程好く交通が賑わう午後の一時」というような様子を眺めたのだった。こんな様子…また眺めに行きたいというような気がする…

今般はこういうような様子に親しむ機会が設けられたことが非常に好かった。
posted by Charlie at 02:49Comment(0)広島県

<1015>&<1016>&<352>…:鷹野橋停留所付近…:広島の路面電車(2021.12.23)

路面電車の軌道を跨ぐように歩道橋が設けられている場合が在る。そういう場所に上ると、路面電車を愉しく眺められる場合が在る。

朝、広島港停留所を目指して路面電車に乗っていて、窓から様子を視ていた中、途中の鷹野橋停留所近辺で、カーブを描く軌道の傍に、それを跨ぐような歩道橋が設けられていることに気付いた。

午後…広島港・広電西広島という運行の電車であるので、広電西広島側から乗車し、その鷹野橋停留所へ移動し、歩道橋に上ってみた…

↓新しい<1015>がカーブを描く軌道で、連接車体を折り曲げるように進んでいる。年季が入っている<352>が後続している。
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↓逆側の軌道に<1016>が現れた。
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↓<1016>と<352>とが擦違う。
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↓<1016>が遠ざかり、<352>がカーブを描く軌道に近付く。
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↓向きを変えてカーブの先を視た。最初に視た<1015>が未だ視えていて、<352>が後続して鷹野橋停留所に停車した。
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何か「路面電車を観た!」というように強く感じ入る光景だ。「如何にも!」という感の「最近の車輛」と「年季の入った車輛」とが同じ軌道で運行中である様子は面白い。
posted by Charlie at 07:58Comment(0)広島県

<1913>&<1017>…:中電前停留所:広島の路面電車(2021.12.23)

前日から確保していた路面電車の1日乗車券を手に早朝の街へ出た。滞在した宿から然程遠くない辺りの八丁堀停留所を“振り出し”に動き始めた。

↓右側の<1913>が停留所に現れ、「乗ってみたい!」と行先を確認せずに乗車し、「一寸…行先が違った…」と中電前停留所で下車してみた場面だ…
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↑左側の軌道では<1017>が運行中だ。

↓乗客の乗降が済んで、<1913>は少し前進した。
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↑古くは京都市内で動いていた経過が在るという年季が入った<1913>と、「近年の車輛」という雰囲気が色濃い<1017>とが並ぶ様子が面白い…

↓停留所の隅から、青信号だったので素早く道路を渡り、振り返った眺めだ…
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↑未だ暗い街で、路面電車の周辺は少し明るい…停留所には風雨を少し除けるアクリルの壁のようなモノが据えられている場合が多く、そこに運行中の電車が透ける…何か「広島の街らしい…」と感じる光景だ。

路面電車が走っている街でも、かなり限られた区域で運行されている場合が在って、そういう場合には「全然乗らない…」ということも多いかもしれない。対して広島は、随分と広い範囲に軌道が敷設されていて、路面電車がかなり活躍しているように視える。そういう広島では、停留所の様子に「街らしい…」というモノを感じるのだ。
posted by Charlie at 07:16Comment(0)広島県

公衆電話ボックス…2台並んでいる…:早朝の広島(2021.12.23)

↓漫然と早朝の街を歩いて出くわす様子…何か酷く惹かれ、カメラを向けてみる…
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↑公衆電話ボックスが2台並んでいる様子で、灯りが独特で、未だ暗い他方で雲が視えている天の感じも好い…

「だから?!」とでも問われると言葉も無いのだが、何か何となく出くわして「好い…」と思い、カメラでも提げていたなら撮ってみたい様子というモノはきっと世の中に多々在るのだと思う。各地を彷徨って、そんなモノを色々と視付けてみたい…そういうことを想う場面が妙に多くなった昨今という気がしないでもない…
posted by Charlie at 05:35Comment(0)広島県

早朝の白神社(しらかみしゃ)…:広島(2021.12.23)

朝、未だ暗い感じの時間帯から街に出てみた。前日時点で路面電車の1日乗車券も確保済で、朝早くから動き回ることに何らの不都合も無い…

↓こんな辺りに辿り着いた…
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↑整備されたかなり幅が広い通が在って、大きなビルも立ち並ぶ中、何か酷く小さく感じられる神社が視えた。灯りが洩れ、朝の神事が催されているのか、太鼓の音も聞こえていた…

↓白神社(しらかみしゃ)という、現在の広島の礎になる城下町が築かれるようになる以前からの経過を有する神社である。
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原爆の爆心地から600メートル程度であるという。「その日」には、地下に保管していたモノを除き、建物等は悉く損なわれてしまったという。そして約10年を経て現在の建物等が建ったということだ。

城下町が築かれるようになる以前、辺りは海であって、船が行き交う際の目印になる岩礁が在ったという。それに白い紙を貼って判り易い目印にしたというのだが、それが転じて「白神(しろかみ)さん」ということになったようだ。城下町が築かれた後には神社が建ち、辺りの寺とも繋がるような、少し大きな神社になっていたようだ。

そういう古い経過を有し、「その日」も潜り抜けた社なのだが、本当に整備されたかなり幅が広い通や大きなビルの視える辺りの、この佇まいには何か心惹かれる感じが在った。明るくなった後に改めて訪ねてみようかとも思ったが果たせなかった。が、未だ静かながらも、地方最大の都市なりの交通量も在る街中で、古色蒼然というようにも視える小さな社から灯りや太鼓の音が洩れる、何やら名状し悪い「雰囲気」を味わうことになったのは好かった…
posted by Charlie at 05:15Comment(0)広島県

『大洋の彼方に旅立つ客船』…等:神戸三宮駅(阪神)(2021.12.21)

↓「一寸、好い感じだ…」と見入ってしまった。
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↑『大洋の彼方に旅立つ客船』という神戸をイメージした原画が在って、それをコンピュータグラフィックスでタイル調の質感に合うように加工、その上でカラー分解処理をして、壁画の大きさに合わせて拡大した上で5色の版を作って、印刷して焼付けたというようなことだという。55.8平方メートルの画であるという。

近鉄奈良駅で列車に乗込み、約1時間半で神戸三宮駅に到った…

↓神戸三宮駅に着くとこういう感じだ。乗って来た列車は折り返し運転ということになっていた…
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↓以前は漠然と「三宮駅」と呼んでいた。今でも「(「鉄道会社名」の)三宮駅」というようには言い慣わされているのだとは思うが。
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↓何時の頃からか、ここに在る「神戸三宮駅」というように、最も主要なターミナル駅には「都市名」を冠する例が増えたような気がする。(自身もそうだが)関西圏以外からやって来る人達には、都市名が入ったターミナル駅の呼称という方が判り易いとは思う。
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とりあえず改札を潜って、階段の辺りの壁画を眺めた後、「身体を伸ばし、少々歩こう…」と街へ出てみたのだった。
posted by Charlie at 04:33Comment(0)兵庫県

<アレイからすこじま>にて…:呉(2021.12.22)

「立寄った記憶」は在る他方で「辺りの呼称は??」というような場合が「存外に多い?」という気がすることも在る。

「こういうモノが在って、こういう場所を通って辿り着いて…」というような次元のことをかなり漠然と覚えている。忘れてしまうのでもない。が、「あそこは何と呼ぶのだ?!」という場合が生じてしまう。

「東側(関西や途中の岡山等)から広島へ向かう?敢えて呉を廻って?」というようなことを思い付いた時、以前に呉に立ち寄った際の「こういうモノが在って、こういう場所を通って辿り着いて…」というような次元のことを幾分思い出した。そして「あそこは何と呼ぶのだ?!」という場合が見事に生じた。

呉は海上自衛隊の艦艇が利用する港で、様々な種類の艦艇が在る。潜水艦まで在る。潜水艦というのは非常に独特な形をしていて、街には潜水艦のことを紹介する海上自衛隊の史料館まで在るのだが、現在活動している潜水艦が呉を拠点にしているので、それが停泊する様子が視える場所が在る。以前に呉に立寄った時、その潜水艦が視える場所に寄った覚えが在る。それを思い出したのは好いが、「あそこは何と呼ぶのだ?!」ということになってしまった。

「潜水艦が停泊している様子が視える」というのは、「非常に特徴的な景色」ということになる訳で、呉に関する様々な情報を調べると直ぐに場所は判った。呉で視られるような次元で「潜水艦が停泊している様子が視える」というような例は、国内外に広く類例を求め悪いという程度に「特徴的な景色」ということにもなるらしい。

<アレイからすこじま>という緑地を目指せば善いのだ。整備された緑地でその「非常に特徴的な景色」を愉しむことが叶うのだ。

「アレイ」とは英語の「alley」で「小路」という程の意味だ。「からすこじま」とは辺りに在った「烏小島」という島に因むのだという。周囲が40mという小さな「烏小島」は、大正時代に魚雷発射訓練場を設けようとした時に埋め立ててしまっていて、現在は無いということだ。

この<アレイからすこじま>を目指そうと、呉駅辺りから歩き始めて思い違いで妙な方向に歩いて、また呉駅へ戻って再出発で辿り着くというような余計なこともしてしまったが、それでも辿り着いた時には少し嬉しかった。

↓潜水艦が停泊している様子が視えた…
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↓水上を往来する艦艇も見受けられるが、艦体の大部分が海中に沈んでいる潜水艦が視えているのは興味深い…
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↓潜水艦も少し纏まった数が並んでいるという様子は、何やら独特で面白い…
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↓潜水艦は、水圧の強い海底を航行するのに好適な形という、「機能美を突き詰めた」というような形状であるのが面白いと思う…
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↓古くは魚雷を動かすために用いられたというクレーンが在る…現在では“オブジェ”という感ではあるが…
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↓暫し、こういう様子を見入っていた…
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この<アレイからすこじま>…強く記憶に留め、きっとまた訪ねてみたい…
posted by Charlie at 20:07Comment(0)広島県

呉線の車窓を愉しんだ…(2021.12.22)

所謂“中国地方”というのは、本州という長大な島の南西部を占めていて、東西にやや広く拡がっている。その“中国地方”の瀬戸内海側で、やや西寄りな広島と、東寄りな岡山が「二大都市」というようなことになるのだと思う。

この広島と岡山との間を往来しようとするなら、幾つもの経路、幾つもの交通手段が在り得ると思う。所要時間も料金も様々であろう。今般、「岡山から広島へ」という移動を企図した。少し踏み込めば、奈良で過ごした後に広島を目指そうとしていたので「関西圏から広島へ」という移動をしたことになるのだが、奈良を発った早朝に神戸へ直通する列車に乗り込み、辿り着いた神戸で新幹線の駅まで歩いてしまったことから、何となく新幹線の列車に乗車してみたくなり、一気に広島入りでもなく岡山に寄り道ということにしてしまった。そういう訳で「岡山から広島へ」ということになった。

その「岡山から広島へ」ということであれば、手中に在った<青春18きっぷ>による移動―普通列車を乗り継いでの移動―を「し易い…」と見受けられる地域だと思った。地域によっては「利用を阻んでいる?!」と首を傾げたい程度に列車が少ない場合も在るが、岡山・広島間であれば幾つかの経路でドンドン乗り継いで、順調に移動し得ると観た。

そして思い付いたのは「久し振りな感じで呉に寄りながら広島に至る」という経路である。

岡山は様々な路線の結節点となっているが、最も列車本数が多いのは、概ね瀬戸内海に沿って東西に延びる山陽線であると思う。<青春18きっぷ>による移動―普通列車を乗り継いでの移動―についても、その山陽線の列車で西へ進めば広島は然程遠くもないように思う。が、敢えて「呉線」を経由してみることとした。

「呉線」というのは、広島県内の三原から海岸部を大きく回って呉を経て広島の手前の海田市(かいたいち)までの87㎞の区間を指すという。呉のやや東側の広辺りを発着している列車の多くは海田市から更に進み、広島へ至るような運行が多いので、広島までが「呉線」であるように感じないでもないのだが、路線の区分けとしては海田市までであるそうだ。

海田市と呉との間は1903(明治36)年に鉄道が開通している。呉が海軍工廠を要する重要な軍港として発展しようという中、広島との間を結ぶ交通の整備が急がれて開通したのであろう。東側の三原とを結ぶ部分は、1930(昭和5)年に部分開業で、1935(昭和10)年に呉までの全線が開通している。従って、現在の呉線は1935(昭和10)年以来の歴史を有するということになる。

岡山から西へ、山陽本線の普通列車を利用するとなれば、余り深く考えなくても駅まで行くと「西へ進む列車」には乗車可能だ。

↓こういうような山陽線を行き交う列車に岡山駅で乗車する…
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↓早朝からその列車に乗って糸崎に至った。糸崎から広島方面へ向かう列車に乗換える…
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↓隣の三原に到り、三原で呉線の列車に乗り換えて呉へ向かったのだった。
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因みに…岡山で管轄している線区では古くからの車輛も見受けられるのだが、広島で管轄している線区では「近年の西日本の主力」に躍進した感じの227系電車が専らという感じになった昨今だ。227系電車は広島で初めて登場した後、各地の線区で古い車輛を置き換える際に採用されているという経過である。

この227系電車の列車に三原で乗り込み、呉を目指した…

↓進行方向左側に陣取ったのだったが…呉線の区間に入れば、車窓に海が視えた!
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↓そして造船所も視えた…
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↓対岸の四国、愛媛県を本拠地とする会社の工場であったらしい…この辺り、広島県、愛媛県というような瀬戸内海辺りは造船業が盛んな地域でもあることを思い出した…
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↓朝が遅い12月であるからだと思うのだが、何やら朝の光と海の風情が酷く好い感じだ…
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↓海岸に迫るように集落が見受けられ、海には「養殖?牡蠣!?」というモノも視えるようになる…
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↑「広島県」と言うと、殊にやや西寄りな辺りでは「牡蠣の養殖」が盛んであるという…

牡蠣の養殖だが、北海道の宗谷地方と少し縁が在る。

牡蠣の幼生は2週間程浮遊しているが、やがて岩場等に付着するようになる。養殖ではこの性質を利用する。幼生が浮遊している海中にホタテの貝殻を沈めると、幼生は貝殻に付着する。「採苗」と呼ばれるそうだ。

この「採苗」に用いるホタテの貝殻は北海道の宗谷地方から大量に供給されている。稚内港には、この用途で広島県へ送るための夥しい数の貝殻が袋に入って積まれているのが見受けられる場合も在るのだ。

↓やがて呉が近付く…
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↓「いよいよ到着!」と列車の先頭側に歩を進めて、前方を少し眺めてしまった…
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↓列車は呉駅に到着し、乗降が済んで、直ぐに行先である広島を目指して発車する…
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ハッキリ言えば、岡山から広島へ普通列車で移動しようとする中、呉線経由は「遠回り」である。が、車窓を愉しんで、色々と面白い呉に寄ってみるということなら、積極的に「呉線経由」を択んでも好いような気がする。

今般、呉線を列車で移動したというのが酷く愉しかった…こうして写真を多数掲出して、記憶を強く留めたいと思った…
posted by Charlie at 19:46Comment(0)広島県

<三備一宮 吉備津神社 御神酒>…(2021.12.21)

吉備津神社を訪ねてみた際、石段の下辺りに在った店で「気になるモノ」を眼に留め、それを求め、抱えて岡山の宿に入った。

吉備津神社の「御用達」という清酒である。
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↑<御神酒>で「ごしんしゅ」というように、売っていた御店の方は言っていた。一見した時、正直「如何いうように読む?」とも思った…

↓岡山市内の酒造会社が製造しているようだ。極聖(きわみひじり)という銘の酒である。
21-12-2021 my SAKE.. (2)

↓箱から引っ張り出すと、300ml入りの小さ目な瓶で、1人で頂くにも好適である程度のモノだ…
21-12-2021 my SAKE.. (3)

↓時々「限定販売」というような酒で見掛ける、製造者と販売者が別々になっている例のモノだとラベルで判った。
21-12-2021 my SAKE.. (4)

何やら面倒なことは如何でも構わない。何やら「行掛り…」というように岡山へ至り、岡山で宿を求めてゆったりとしたが、岡山県下の神社の中でも殊に深い由緒が在るらしい吉備津神社を訪ねられたということは、自身の慶びが大きい。それを祝して、翌日からの「旅の続き」に向けて呑みたい気分が高まっていた。そこでこの<三備一宮 吉備津神社 御神酒>に登場願ったのだ。

極聖(きわみひじり)という銘の酒はなかなかに評価が高いようだ。芳醇でありながらも「すうっと…」という具合に呑めるような按配で、「岡山県の清酒!佳い…」と思った。

この<御神酒>は、何か「三備一宮」とも呼ばれ、嘗ての吉備国、その後の備前、備中、備後を護る鎮守との縁を深めてくれた存在というようにも感じられる。御蔭様で美味しくこれを空け、深く眠って翌早朝に元気に出発となったのだった。
posted by Charlie at 07:51Comment(0)岡山県

飛鳥大佛:飛鳥寺:明日香村(2021.12.20)

甘樫丘で眺望を愉しみ、「柿の葉ずし」を摘まんでから歩き、「季節外れ?」な花を見掛け、かの蘇我蝦夷に関する伝承の在る塚の辺りを通って少し変わったポストが在る辺りへ、飛鳥寺の境内に到着した。

が、裏側から中に入り込んだというような感だったので、改めて正面に一寸廻った。

↓これが正面の出入口である。
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↓この標石は18世紀末、寛政年間のモノと伝えられているという。
20-12-2021 X-Pro2 (99)
↑この寺は、建物が損なわれて何度も立て直されていて、往古の威容も現在では感じられないのだが、1400年間以上も場所が動いていない大佛が非常に知られている。230年程前の寛政年間に在っても、この大佛は知られていたということなのであろう。

↓大佛が収められている建物の屋根である…
20-12-2021 X-Pro2 (108)

拝観料を収めて大佛が在る建物に入ろうとした際、カメラを提げていたということも在ったが、窓口の方は「大佛の写真は撮って頂いて構いません」と仰った。こちらから申し出たのでもなく、そういう話しで「少し珍しい」と思った。「では大佛様の御尊顔を拝し、御姿を写真に収めて…」と思いながら入った。

↓色々な角度からゆっくりと、写真も撮りながら大佛を拝見した。釈迦如来像ということである。
20-12-2021 X-Pro2 (118)
↑面長な顔で、鼻が高い感じの顔だ。世界史の教科書に在った、遠い国々の仏教美術を想起させる。「“仏像”なるモノ?」が伝わって、それ程の時日が経ったということでもない時代の作だ。遠い国で造られていたモノのイメージが色濃く反映されているのかもしれない。

↓この大佛も奈良の大仏と同じ手の形になっている。
20-12-2021 X-Pro2 (115)
↑奈良で読んだ説明を思い出す…掌が上を向いている左手は「与願印」(よがんいん)と呼ばれ、「人の願いを叶える」ということを表すそうだ。掌を前に示すようにする右手は「施無畏印」(せむいいん)と呼ばれ、「畏れることなど何も無い」ということを表すそうだ。「畏れずに佛を敬う者の願いは叶うであろう」というようなことになるのであろうか?

↓傷んだ箇所を補修したように視える箇所や、頭髪部分の一部が少々傷んだように視える気もするのだが、それでもこの大佛は1400年以上も場所を動いていないのだという。
20-12-2021 X-Pro2 (117)

↓かの聖徳太子が存命であった時代に既に鎮座していた大佛である。その時代から1400年程にもなる時代にこうして大佛と我々が向き合っていることになるが、或いは「聖徳太子が眼にしていた様子」を追体験していることになるかもしれない。
20-12-2021 X-Pro2 (110)

寛政年間のモノという標石が好いので、敢えて「大佛」と表記してみたのだが…この大佛との対面は好かった!現場では、何か「大胆にも大佛様にモデルを御願いして撮影会…」という雰囲気も無くはなかったかもしれないが…

↓辺りに光が降り注ぐような様子も見受けられたということが忘れ難い飛鳥寺である…
20-12-2021 X-Pro2 (103)

今般はドライブに御誘い頂き、やや訪ね悪い場所も連なる明日香村を訪ねてみるということになった。そして方々廻ったが、何か少し親しんで、繰り返し寄っていた奈良県を「もう少々掘り下げてみた」というような経験だったと思う。

丸型ポスト…:飛鳥寺:明日香村(2021.12.20)

↓飛鳥寺に郵便の丸型ポストが佇んでいる。
20-12-2021 X-Pro2 (98)
↑丸型ポストが、古い経過を誇る寺の一隅に在るという様子が好ましいような気もしたのだが、このポストに関しては「あれ??」と首を傾げながら見入ってしまう。

方々で丸型ポストに眼を向けて写真に収めた経過が在る。それらと比べて、この飛鳥寺のモノは「モノクロ写真でもハッキリ判る程度に色が違う」のである。

明日香村という地域では、「景観計画」ということで「戸外の景観を形成するあらゆるモノ」にルールが在るということのようだ。目次を拝見すると80ページ以上にも及ぶ『明日香景観デザインマニュアル』(.pdf)というモノも在る。

他の地域では「郵便ポストの色を換える」というようなことは、何かの話題づくりで変わった感じにするというようなことでもなければ、余り無いというように思う。ここでは「景観計画」ということで、『明日香景観デザインマニュアル』(.pdf)というモノに在るルールに基づいてポストの色を換えているらしい。

↓このポストをよく見ると方々で見掛ける丸型ポストに「上塗り」を施していると判る。塗料が一寸だけ剥げて、下地の色が僅かに覗く場所も在ったからだ…
20-12-2021 X-Pro2 (97)

不慣れな地域に敢えて入ってみると、こういう「一寸変わっている?」に不意に出くわす。飛鳥寺という場所に関して聞いたことはあったが、そこに在る丸型ポストの件は聞いたこと等無かった。こういう、訪問する分には如何でも構わないかもしれないようなことが酷く面白い場合も在る。
posted by Charlie at 01:02Comment(0)奈良県

入鹿首塚…:明日香村(2021.12.20)

明日香村の様子が鳥瞰出来る甘樫丘(あまかしおか)を下りて飛鳥寺の辺りへ足を運ぶ。

↓こういうモノに出くわす…
20-12-2021 X-Pro2 (89)
↑これは背後になるようで…

甘樫丘を背にした、こういう感じが正面から視た様子ということになる。
20-12-2021 X-Pro2 (90)

これは蘇我入鹿の首塚と伝えられているモノだ。

蘇我入鹿は大変な権勢を振るったという豪族で、甘樫丘に居館を築いていたと伝わるのだが、645年に「乙巳の変」(いっしのへん)で殺害されている。(自身の世代では「大化の改新」と教科書に出ていたと記憶している出来事だ。が、「大化の改新」とは蘇我本宗家を滅ぼした後の改革の取組み全般を言う表現で、「蘇我入鹿が斬られた」という事件は「乙巳の変」ということになる。)

この蘇我入鹿が斬られた後に関して色々な伝承が在るということなのだが、この飛鳥寺の辺り、自らの居館が築かれていたという丘を見上げるような位置に塚が在って葬られている。

本当に「古代史の舞台」に佇んでみるという感になるのが明日香村を訪ねてみるということである…

時季外れな感…:飛鳥寺周辺…:明日香村(2021.12.20)

↓「飛鳥寺を訪ねてみよう…」と甘樫丘(あまかしおか)から下りて歩いた。
20-12-2021 X-Pro2 (84)

↓飛鳥寺が近付いた辺りで眼に留まった…「何?これ?」と足を停めてカメラを向けてしまった…
20-12-2021 X-Pro2 (93)

↓何か寂しそうな小さな向日葵…「12月20日」に出くわした…
20-12-2021 X-Pro2 (92)

時季外れな向日葵と出くわしたということ…「飛鳥寺を訪ねた」ということに合わせて、忘れずに思い出しそうな気もする…

<三諸杉>(みむろすぎ)…(2021.12.20)

大神神社の近く、三輪に老舗の酒造会社とその売店が在る。

↓こういう看板が掲げられて、<三諸杉>(みむろすぎ)という銘のモノを中心に色々な酒が製造され、販売されている…
20-12-2021 X-Pro2 (122)

ロゴ入りのTシャツを入手し、既に旅の途中で着用していた。そしてロゴ入りのTシャツだけではなく、この<三諸杉>(みむろすぎ)という酒も入手していたのだったが、流石に四合瓶では在っても持ち歩き悪いので出先から拙宅へ直ぐに送ってしまっていた。

↓拙宅で再会を果たした「純米吟醸」である…
05-01-2022 my sake (3)

↓「酒の神が鎮まる地」と、酒造関係者も信心を寄せる大神神社の地元で造られる銘酒であることがラベルに在る…
05-01-2022 my sake (2)

↓錫器のタンブラーに注いで試飲である…
05-01-2022 my sake (6)
↑所謂「吟醸」ということで、何やらフルーツ的な芳香やサッパリした感じが必要以上に強いのでもない。古くからの芳醇な酒という感じが寧ろ強いような感じがする。「老舗だけが知っている…」と思えるような、名状し悪い程の「絶妙!」なバランスで在る。「呑み飽きない…」というが、それは「少し違う」と思う。「呑むことを止め悪いような、絶妙な加減」なのだ!

実は「芳醇」と形容される清酒が意外に好きだ。が「端麗」とされる「スッキリ」も捨て難い。それでも「芳醇」な味わいこそが「清酒らしい!」のであって、「端麗」も行き過ぎると何か「清酒らしくない?」という気がしてしまう。結局、何でも「バランス」なのであって、そういうことを熟知した上で佳い品を送り出すことが可能なのは、結局は「老舗」なのかもしれないというようなことを「一愛好家」としては思う場合も在る。

寺で酒を造るという「僧房酒」というモノが在って、そういうモノの中から現在の清酒の「直接的な先祖」と呼び得るモノが登場していて、それが登場したのが奈良県内であると謂われているという。そんな流れを想わせる、老舗が醸す絶妙なバランスの酒…愉しかった奈良での想い出も相俟って、何か酷く美味い!序に申し述べると、酒が醸される場所への好感度、その場所に纏わる好い想い出というようなモノは、口にする酒の味を相当程度好くしてくれるという一面も在るであろう…

↓実は四合瓶を2本求め、拙宅に送り込んでいたのだが…「無事に着いた…どれどれ…」と試飲し始めて、瞬く間に1本空いてしまった…
05-01-2022 my sake (5)
↑スッキリし過ぎていない、程好い芳醇さというのが実に心地好いと思った銘酒だった…

奈良県というのは、訪ねて、触れて興味深い文物が色々と在る地域だが、老舗の銘酒も美味い地域だ…

※ 酒の画は稚内の拙宅で撮っているが、奈良県内で銘酒を入手して美味かったという件なので、記事は「奈良県」のカテゴリに分類する。

甘樫丘で明日香村を望む…(2021.12.20)

↓こんな看板が在る駐車場に到った…
20-12-2021 X-Pro2 (51)
↑甘樫丘(あまかしおか)に上ってみることにした。

辺りは<国営飛鳥歴史公園>ということで整備もされている地区の一隅である。

甘樫丘(あまかしおか)というのは、標高148mで南北に1km、東西に数百メートルと曖昧な範囲に拡がる丘陵である。古く、大変な権勢を振るったという豪族のかの蘇我蝦夷、蘇我入鹿の父子が居館を構えていたのがこの甘樫丘であったと伝わるそうだ。

蘇我蝦夷、蘇我入鹿という程度にまで名前が売れていない豪族も含めて、往時の豪族達は辺りの村落を睥睨するような丘陵の辺りに居館を設ける例が多かったらしい。そういう「豪族〇〇の居館であったらしい」という場所に関しては、考古学的調査が不十分な場所も未だ多く在るらしい。明日香村は、旧い時代の記憶を伝えるような、或いは何処かの時代で時間が停まっているような、何か不思議な雰囲気が溢れる場所だと、この甘樫丘で改めて感じないでもなかった。

↓丘陵は緩やかな傾斜の散策路が整備された場所だ。幾つか「展望台」が設定されている。その展望台への「→」の看板も何箇所か設けられている。
20-12-2021 X-Pro2 (52)

↓甘樫丘の「展望台」ということになっている、丘陵の高くなって開けた場所から明日香村を望んだ…
20-12-2021 X-Pro2 (56)
↑右側が棚田の在った稲渕辺りで、左側の眼下というような辺りに飛鳥寺が在る…

↓この場所は左右双方から枝が張り出した大き目な木が在るのだが…
20-12-2021 X-Pro2 (58)

↓(話しが先走ってしまって恐縮ながら…)後刻に丘を下りて見上げても場所が判る…
20-12-2021 X-Pro2 (87)

↓上述の明日香村の様子が視えた側と反対側には、古くから大和国の人達が仰ぎ見た山々を擁する大地が広がっている。加えてこの日は天の感じも好かったのだが…
20-12-2021 X-Pro2 (60)

↓この甘樫丘の「展望台」ということになっている辺りから望む周囲の様子が詳しく説明されたプレートが在った。今般の奈良県入り、または過去の奈良県訪問で立寄った経過の在る場所等を図上に色々と視付けていた。
20-12-2021 X-Pro2 (81)

この場所では「正しくピクニックの御弁当」という感覚で、「奈良県の美味いモノ」の代表選手に選ばれても好いかもしれない、加えて“弁当”に好適な「柿の葉ずし」を摘まんだ。時季としては温かいような感じの好天で、非常に愉しかった一時を過ごしたという心地好さが、この甘樫丘の眺望を写真を改めて視て甦るような感である。

明日香村を訪ねる際、余程天候が悪いのでもなければ、この甘樫丘で眺望を愉しむというのは好いことであると思う。時間帯にもよろうが、柿の葉ずしでも、他の何でも「御弁当持参」が好いかもしれない…
posted by Charlie at 12:11Comment(0)奈良県

高松塚古墳:明日香村(2021.12.20)

↓高松塚古墳…
20-12-2021 X-Pro2 (46)
↑下段が直径約23m、上段が直径約18mで高さが5m程の二段になった古墳である。何か不思議な存在感を放っている…

1972(昭和47)年に中の石室から見事な彩色画が発見されて注目されたという古墳だ。

↓発見されている彩色画に関する研究成果を伝える資料館が在って、これが興味深かった。
20-12-2021 X-Pro2 (50)

この高松塚古墳は< 国営飛鳥歴史公園>として整備されている地区の中に在る。そういう整備の以前は、農村地域の水田や畑の中のような場所であったそうだ。そこに忽然とこの高松塚古墳が視えて来るということになる。

公園としての整備の有無と無関係に、この場所は「地方の小さな集落の一隅」という以上でも以下でもない様相だ。しかし、高松塚古墳が築かれた時代には「時代の最新モード」が発信されたというような場所であったと推察し得る。何やら酷く不思議な感じだ。

商店のシャッター…:明日香村(2021.12.20)

明日香村という地域では、「景観計画」ということで「戸外の景観を形成するあらゆるモノ」にルールが在るということのようだ。目次を拝見すると80ページ以上にも及ぶ『明日香景観デザインマニュアル』(.pdf)というモノも在る。

↓そういう地域での商店のシャッターである。少し興味深く拝見した。
20-12-2021 X-Pro2 (43)
↑明日香村の石造物の画が描かれていた。石舞台古墳<亀石>の画も在った…

こういうような「街角で出くわす一寸したモノ」が酷く面白い場合も在る…
posted by Charlie at 10:24Comment(0)奈良県

<亀石>…:明日香村(2021.12.20)

橘寺を望むような辺りを通り抜けると、案内表示のようなモノが在る。

↓こういうモノだ…ハッキリ申し上げるが、何やら文字が多く、「→」と距離との関係が判り悪くなっている。少なくとも「高松塚古墳」は「170m」先には無い…がこの「170m」はその上に視える「亀石」なるモノか?
20-12-2021 X-Pro2 (37)

↓そして「170m」と案内表示に在ったように、然程遠くない辺りに現れた<亀石>である。
20-12-2021 X-Pro2 (38)
↑「何だ?!これは…」という感じだ。嘗ては「田の真中」のような場所に忽然と大きな石が現れたらしい。現在は宅地化された辺りに在る。

↓画では左下寄りになるが、「亀??」というような生物の顔らしきモノが彫刻されている…
20-12-2021 X-Pro2 (41)
↑微笑んでいる?何か名状し悪い不思議な表情の顔だ…

かなり大きい石だと思ったが、「長さ3.6m、幅2.1m、高さ1.8m」ということであるそうだ。確かに立ち歩く際の眼線の高さ程度に高さは在った…

この「亀」を巡る言い伝え、伝承のようなモノも在るらしいのだが…それはそれとして、「大きな石に顔を彫るようなことをして、一体、何を如何したかったのか?」というようなことを思ってしまった。

この<亀石>は面白い顔が付いているので、明日香村では親しまれている存在らしい。一寸面白い…

「Rice Terrace」(ライステラス)?=棚田…:稲渕棚田:明日香村(2021.12.20)

「Rice Terrace」(ライステラス)なる表現は、自身の語彙の中には無かった。新たに加えた型となったが、これは「棚田」のことなのだという。

明日香村の稲渕という地区、不思議な“結界”を視た辺りに近いのだが、棚田が広がっていて、その景観が知られているという。

↓傾斜になっている場所で、低めな場所から高めな場所まで階段状に、棚のように整地されて耕作が為されている。これが棚田だ。
20-12-2021 X-Pro2 (30)

↓何やら独特な雰囲気が在るモノだ。
20-12-2021 X-Pro2 (31)

↓農閑期、または色々な花が咲かない時季であったので、棚田の独特な地形を眺めてみることに終始したが、それはそれとして面白かった。
20-12-2021 X-Pro2 (26)

稲渕の地図のリンクを入れておこう。地図の右下側に男綱が在る。その辺りからこの稲渕棚田を眺めたのだった。

傾斜地を階段状に、棚のように整地した場所を全く視たことがないというのでもないが、敢えてそういう形で農地を拓くのでもない北海道のような場所に住んでいれば、「棚田」を日頃は然程意識しない。故に「Rice Terrace」(ライステラス)なる表現に出くわした時に「何?」と思ったのだ。

何か「日本の棚田100選」というモノも在って、稲渕棚田もそれに数えられるという。方々に苦心して開かれ、維持されている棚田が実はなかなかに多いということを知ることとなった。

石舞台古墳:明日香村(2021.12.20)

↓人為的に積み上げられた大きな石が独特な存在感を放つ…
20-12-2021 X100F (73)
↑初めて視る機会が得られた。これが石舞台古墳というモノだ…

↓思わず周囲を歩き廻って眺めてしまう…何か巨大な彫刻作品というようなことを想起しないでもない…
20-12-2021 X-Pro2 (2)

↓積み上がった石は、貴人を埋葬する墓ということで、溝も備えた石室が形成されている。
20-12-2021 X-Pro2 (6)

↓多分「然程高くない家賃で一人住まい…」という部屋になりそうな広さの石室だった…
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↓積まれている石の隙間から石室内に光が射し込んでいた…
20-12-2021 X-Pro2 (11)

↓現代の何らかの建設工事のようなことで、重機を用いて動かす場合にも相当に手間が掛かりそうな感の大きな石を、古代の人達が「如何に扱ったか?」という研究による推論もパネルで紹介されていた…
20-12-2021 X100F (69)

↓石を積んでいて危なっかしいので「上がらないように…」ということになっている。勿論、そんなことをしようとは思わないが、旧い時期の写真で子ども達がここに上っている様子の画を視た記憶も在る。
20-12-2021 X100F (71)

↓石室内に、こういうような石の棺が据えられていたと見受けられるということで、再現されたモノが脇に置かれていた…
20-12-2021 X-Pro2 (15)

↓多少離れた小高い辺りから石舞台古墳を眺めてみた…
20-12-2021 X-Pro2 (20)

実に多くの古墳が伝わっている訳だが、その基幹となる石室がこうやって「謎の古代遺跡?」という具合に剥き出しになっているというのは類例が思い当たらず、何か酷く興味深い。

明日香村には古代の人達が手掛けた石造物が幾つも伝わっているというのだが、この石舞台古墳はその中の代表格というような酷く大きな代物で驚かされた。
posted by Charlie at 08:18Comment(0)奈良県

幌延駅にて…(2022.01.04)

名寄駅で1輛になった列車は順調に走り続けた。

↓徐行しながら警笛を盛んに鳴らすので「何が起こった?」と様子を伺うと、線路上に「招かれざる客」の姿…エゾシカである。
04-01-2022 X-Pro2 (25)

エゾシカは直ぐに軌道脇に避けない。「何か大きなモノに追われている!?」というように軌道に沿って走り続けていた。上の画のように振り返った後、更に少し「追われている!?」という動きを見せ、程無く脇に姿を消した。

↓そんな場面も経ながら列車は幌延駅に着いた。
04-01-2022 X-Pro2 (26)
↑やや長く停車する幌延駅でホームに出て身体を伸ばした。列車の後ろ側を眺める。跳ね上がった雪が、こういう具合に列車の後ろ側に貼り付くのが「非常に冬らしい」という感じだ…

↓少し離れた位置からも視てみる。
04-01-2022 X-Pro2 (28)
↑緩い降雪と、積雪が強風で舞ってしまう分とが軽く混じっているような様子だったと思う…

↓正面側に廻り込んでみた。停車中も運転台辺りのワイパーは確り動いている…
04-01-2022 X-Pro2 (29)

幌延まで到ると稚内は「もう直ぐ…」というように感じられる…

名寄駅にて…(2022.01.04)

未だ暗かった旭川駅を発った列車は順調に北上を続けて名寄に到った。
04-01-2022 X-Pro2 (16)

↓画の右側に視えている後方車輛は名寄駅で切り離される。そのために少し長く停車する。
04-01-2022 X-Pro2 (18)

↓こういう具合に、旭川駅で2輛連結であった列車は「各々」という形になるのだ。
04-01-2022 X-Pro2 (24)

↓画の左側、南下中の列車が到着している様子だ。右側の画で視えている車輛に乗っていたが、その車輛がマダマダ先の稚内を目指して1輛だけで進んで行くのだ…
04-01-2022 X-Pro2 (23)

何度も視ている様子だが、この名寄駅での様子は気に入っている。加えて、少しだけ長く停車すると、ホームに出て身体を伸ばすことも出来るというのが好い…

旭川駅にて…(2022.01.04)

自身の場合、列車を利用して稚内から旭川へ向かい、そこから札幌や更に先を目指し、復路には札幌や旭川を経て稚内まで列車で北上というようなことをするのが「通常移動経路」ということになる。

振替えると12月17日に稚内駅を発った後、幌延駅で列車が停まってしまい、幌延駅前から留萌駅前のバス移動を試みて留萌駅で列車に乗り、その列車が着く深川駅で列車の乗換で、そして乗換に要する10分間程度の札幌駅という展開で新千歳空港で走って飛行機に間に合うという様子だった。そういうことなので、「今般の往路」に旭川駅という場面は無い…

↓復路には旭川駅の場面は確りと在る…
04-01-2022 X-Pro2 (1)
↑駅の真正面は通路部分の地面に温度を上げる機構を仕込む「ロードヒーティング」が施されている。雪は融けてしまい、何やら「湿った路面」が積雪の真中に開かれているような、少し不思議な眺めになる。

↓「湿った路面」という感の場所に駅舎の一部が映り込むような感じで、何か面白い景観だと思いながら駅舎を目指した。
04-01-2022 X-Pro2 (2)

実は前日に、気に入っている早朝の列車で稚内を目指そうとしていたが、前日は普通列車の運転見合わせが朝から生じていた。名寄以北で列車が動いていなかった。特急列車の運行も乱れるように予想されたので、「プランC」(第3案)と称して旭川にもう1泊で漫然と、悠然と過ごしたという経過だった。

↓この朝は普通に運行される!駅に着いた時点で列車は乗客を待ち受けていた…
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↓載せて頂くこととなったのはこのキハ54の527号車だ…
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↓陣取った席から真直ぐ前を視る…
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↓右側を視る…こういうような座席に陣取った訳だ…
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↓扇風機健在で、加えて「JNR」(日本国有鉄道)のロゴマークも残っている。(他地方で、現行のJRの社名のシールを貼っている例を視た記憶も在るが、ここは「そのまま」になっている…)
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↓2輛で運行となるが、名寄より先へ向かうのであれば前の車輛に乗車しなければならない。名寄で後ろの車輛を切り離すのだ。(名寄で後ろから下りて前に乗るという場合も在ろうが…)
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↓そして車内ですっかり寛いでいれば、列車は北を目指して静かに走り始めた…
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「わっかない」の駅名標…(2022.01.04)

↓到着した列車から下りて、思わず何となく提げていたカメラを使った…
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↑雪が「吹き付けた」というような、この感じ…「これ!」なのだ…モノ自体は何度も視ている駅名標だが、写真に撮ってしまった…

前日の列車は「名寄以北で運転見合わせ」というような状況が生じていたので、1日の順延で、順調に北上して到着した訳だ。

日出の頃…:平城宮跡(2021.12.20)

ドライブに御誘い頂き、朝6時半から活動開始だった。天候が好さそうであったことから、日出の頃の様子を眺めてみようということになった。「この時季ならでは」という感だ…

↓荻(おぎ)の原の向こうに朱雀門が在る…そんな場所に足を運んでみた…
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↓画の右側辺り、山並みの向こうから朝陽が覗く筈であることが伺える…
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↓光が刻々と変わる…
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↓朝陽が上がって光が解き放たれた…
20-12-2021 X100F (34)

奈良の写真好きな皆さんの間では存外に人気が高い場所であるそうだ。好い場所を教えて頂いた。「想い出の一日の好き始まり」という感の、ここの光景は記憶に残る…

<二寧坂>(二年坂)…:早朝(2021.12.27)

<八坂の塔>が視える辺りを歩き廻っていた早朝…

↓こういう様子を眼に留めた…
27-12-2021 early morning, X100F (10)
↑店舗のディスプレイなのだと思うが、和傘が掲げれれていて、そこに些かの雪が被っていた。

↓坂道と坂道とが交差している箇所に差し掛かっていた…
27-12-2021 early morning, X100F (9)

↓<二寧坂>(二年坂)と呼ばれるそうだが、なかなかに風情が好いと暫し眺め入った…
27-12-2021 early morning, X100F (13)

この種の風景を愛でながらの散策…また何度でも繰り返したい感である。
posted by Charlie at 22:05Comment(0)京都府