仁和寺…:京都(2021.12.26)

朝は祇園の宿から歩いて四条烏丸のバス停に到り、バスに乗って雪が交った高雄山に到り、神護寺を訪ねてみた。

神護寺はなかなかに好かった。そしてゆっくりと高雄山のバス停辺りに歩き、「やって来たバスで街の側へ戻ると好い」というように考えた。高雄山のバス停と街との間は、四条烏丸のバス停に発着する系統の他に京都駅辺りで発着する系統が在る。後者の場合は「知らない経路」を通ることとなる。

そういうことを想っていれば、現れたバスはその「知らない経路」を通る系統のバスだった。漫然と乗込み、移動を開始した。途中までは「往路も通った…」という場所を進んだが、「往路では通っていない…」という辺りに入って、少し慌てて下車してみた…

↓巨大な門が在る…仁和寺…一寸立寄ってみることとした…
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↓やや風が冷たくは在ったが、冬の好天という光の中、仁和寺の境内を少しゆっくりと散策してみようと思い付いたのだ。
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「仁和寺」と聞くと…高校生の頃に国語の授業で扱った『徒然草』に「仁和寺の法師」とか「仁和寺にある法師」という表現が散見した。『徒然草』を綴ったという吉田兼好が仁和寺の近くに在ったからか、仁和寺関係者と懇意であったからか事情はよく判らないが、とりあえず「仁和寺」と登場する。これは或いは「或る方が…」という程度の書き方では余りにも漠としているので、人の行動や何かを一寸論じようという場合に、何となく読者が姿を思い浮かべることも出来そうな具体的な人物像として「仁和寺の法師」という表現を使ったのだと勝手に想像はする。また「仁和寺の法師」とでも言えば、「名門寺院の僧=一定程度の教養も在りそうな常識人」というようなことは思うであろう。そういう人が何を如何するのか、ということが吉田兼好が綴る文章なのである。要は「仁和寺」は「名門と目され、色々な人達が活動する場であった」訳で「とりあえず多数の関係者を擁している場」ということであったのだと思う。そんな訳で、随想を綴った吉田兼好が引き合いに出してみたのであろう。

高校の国語の時間の『徒然草』は思い出したが、それはそれとして仁和寺の境内を歩き廻ってみた…

↓なかなかに美しい五重塔が在って、1階部分の外側に額が在って、そういう様子も何やら美しいと思いながら眺めた…
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↓こういう様子が美しい…
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↓金堂では、最近の“事情”を踏まえた世の中の安寧を願うという祈祷が現在も定期的に催されている様子だった…
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↓観音堂も整然としていた…
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↓弘法大師空海を祀る御影堂である…
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↓皇室ともかかわりが深かったという仁和寺で、伝えられている建物が酷く立派だ…
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↓今般は、各堂を巡って真面目に参拝した…そしてやや寒いとも思いながら、冬の好天の光に浮かび上がる建物の美しさを愛でたという感だった…
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↓境内の側から門を隔てて外を見るとこういう具合に視える…
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「雪交じりの後の少し寒い好天」という様子が、何か強く記憶に残る。この仁和寺というのも、なかなかに好い場所だ…
posted by Charlie at 19:51Comment(0)京都府

高雄山神護寺…:京都(2021.12.26)

「朝の時点で街に在って、ゆっくりと訪ねてみる」という程度のことをして訪ねる形が好さそうというように思う場所というモノが在ると思う。

神護寺はそういうようなことを思った場所だった。京都の街中というような感じの辺りから、路線バスで片道40分間程度(道路の混雑の情況等によって更に時間を要する場合も在ると思われる…)を要する場所に所在し、山がちな場所を歩き廻ることになる。朝一番で訪ねて、一頻り観た後、ゆっくりと街の側へ戻るという程度が好さそうだと思った訳で、実際にそういうようにして訪ねた。

この日の朝、高雄山には雪が見受けられ、観る機会が然程多くもないかもしれない景色を眺めながら神護寺を目指した。

↓降雪が些か交り、高い場所も低い場所も些かの積雪で、足元が雪で湿っている中、少し慎重な足取りで境内を歩き廻ってみたのだった…
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京都の古寺の例に洩れず、神護寺もまた様々な建物が建ち、損なわれて再建されてということが繰り返された場所だ。

↓金堂は昭和期に入った頃の建物であるというが、本尊の薬師如来立像等、立派な仏像が収められている。
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神護寺は古くは寧ろ高雄山寺と呼ばれた。奈良時代末期から平安時代初期の官人として知られる和気清麻呂(わけのきよまろ)という人物が在る。この人物が和気一族の私的な寺として起こしたのが高雄山寺の基礎となっているのだという。

かの最澄が唐から帰国した後、最澄は「密教の第一人者」ということになった。そしてこの高雄山寺を活動拠点の一つとしていた。

少し後に空海が唐から帰国する。最澄以上に密教を深く学び、師匠から故国に密教を広めるようにと嘱望された空海である。この空海は高雄山寺を活動拠点とし、密教の重要な儀式である「灌頂」(かんじょう)という事も営んでいた。

↓空海がその「灌頂」のようなことをする際、閼伽 (あか)と呼ばれた水を汲んだ井戸であると伝わる場所も在った。
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↓五大堂や毘沙門堂が並ぶが、屋根が積雪に覆われている風情が好かった…
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↓金堂の裏側を少し高い辺りから眺めてみたが、雪と相俟って感じが面白いと思った…
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↓多宝塔も佇んでいた…
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↓何か「あの空海が在った場所…」という空気感のようなモノを感じながら、雪交じりな中を動き回っていた…
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↓大師堂は空海の住んだ坊と伝わる建物の様子を再現したという堂で、弘法大師空海が祀られている場となっているのだという…
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↓何か「空海が生きた時代」が眼前に揺らぐかのような、不思議な感じもした。
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雪が見受けられた高雄山にバスで到着し、「谷を下ってから反対側に上る」というような経路を慎重に歩いてこの神護寺を訪ねることが叶った。雪は歩き悪かったが、他方でこの「空海の時代」を伝えてくれるような空間を見事に彩っていたと思う。

神護寺は高野山真言宗の寺だが「遺迹本山」(ゆいせきほんざん)と呼ばれているそうだ。弘法大師空海に所縁の寺に与えられる特別な位置付けなのだという。

↓この高雄山神護寺が醸し出していた雰囲気が忘れ難いが…機会が在れば雪以外の時季にも訪ねてみたいものだと思いながら引揚げた。
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正直、京都の街中というような感じの辺りから、路線バスで片道40分間程度というこの場所は「訪ね悪い?」と思わせてくれたが、実際に訪ねてみれば如何ということもなかった。そしてこの場所が醸し出す雰囲気は他には無い。高野山そのものに一定程度は通じるかもしれないが、高野山よりも「山の寺らしい感じ」が色濃いので少し違う…何れにしてもこの神護寺を訪ねたことは好い想い出で、早くも再訪の機会到来を願っている程だ…
posted by Charlie at 17:36Comment(0)京都府

<5006>&<5010>…:広電西広島:広島の路面電車(2021.12.23)

↓宮島口方面へ向かって行く車輛と、市内の併用軌道の区間に入って行く車輛が交錯するというのが、この広電西広島という場所の特徴なのだと、何やら酷く強く感じた…
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↓この「5000形」という車輛も何やら酷く味わい深い感じがする…
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↓より長く愛され、利用されることを目論み、当時のドイツの流儀による車輛を導入して「エレベーターに乗降する感覚で路面電車に乗降」というイメージで、低床型の車輛の導入に挑戦したという経過を、この5000形は伝えてくれる…
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こんな様を眺めるというのも凄く愉しい…
posted by Charlie at 08:13Comment(0)広島県

<582>…:広電西広島:広島の路面電車(2021.12.23)

↓「美しい…」と思わず見入ってしまった…
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↓頭の中で考えていた、その時の「移動のプラン」というようなものは「如何でも構わない、その辺に沈んで無くなってくれて構わない程度のモノ」という感じで、「如何でも構わないが、眼前の様子が美しい…」と夢中になってしまっていた…
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↓神戸の路面電車が廃止されてしまい、広島で車輛を譲り受け、その車輛が広島を走って50年ということのようだ…
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↑近年の乗降し易い車輛の中でこの種の古くからの車輛も元気に動いている路面電車…何やら酷く愛おしくなる存在だ…

↓何となく眺めていれば、発車時刻に至ったようで、何時の間にか静かに出発した…その出発した様子を見送った…
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広島という街に関しては、別段に予定という程のことを組むのでもなく、路面電車の1日乗車券を確保して、漫然と1日を過ごそうとするだけで「酷く愉しい!!!」という1日を過ごせるような気がする。そんな「公共輸送機関で漫然と動き回って、漫然と過ごして然程のこともないような街」というのは「あらまほしき都市」という程度に個人的には思う。
posted by Charlie at 07:41Comment(0)広島県

地御前神社:廿日市市内(2021.12.23)

↓古色蒼然という感ながらも、壮麗な神社というようなことを想わせる…
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↑盛んな列車の往来が見受けられるJRの軌道と広島電鉄の軌道が交差して生じる「三角州?」というような微妙な位置に、古い社が佇んでいる…

辺りの鎮守たる大歳神社以上に建物も大きく、他地域の人達の間でも知名度が高いらしいという地御前神社にも立寄ってみた。

↓何か…壮麗な神社建築が年月を重ねるだけ重ねて、行き着いた様子…というような気がした場所だった…
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↓古くから海上輸送が盛んな瀬戸内海で、洋上交通の安寧を願うというような厳島神社が在り、厳島神社の対岸にもこの地御前神社が設けられていた訳だ。そして辺りの海域は戦国時代の合戦の舞台にもなっている…
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↑様々なことを想起しながら、辺りを散策してみた…

↓これは明治時代の国道開削の功労を伝える記念碑らしい…この辺りは古い時代から変わらない交通の要衝であった訳で、近代史が伝える様々な開発の足跡も見受けられる訳だ。、
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↓軍の将官にして爵位を得て首相経験も在るという人物の揮毫による石碑が在る…その事実だけで「何やら凄く由緒が深い場所」と感じるに足るような気がした…
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実は…「歩き廻って汗もかき悪い」とか「相対的に静か」とか「宿を求めようという場合に取り易い」ということで、更に場合によって利用する<青春18きっぷ>の期間ということで12月後半に時間を設けて旅に出ることを好むのだが…この地御前神社の辺りは「桜の時季が好い??」というように思った。実現が簡単でもない場合も多いのだが、何やら「桜の時季に広島県を目指す?」というような余計なことを、引揚げてしまった後に地御前神社の写真を視て思い出している…
posted by Charlie at 07:15Comment(0)広島県

大歳神社:地御前:廿日市市内(2021.12.23)

↓一段高くなった辺りの様子が気になった…
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↓神社だ…ここは<大歳神社>(おおとしじんじゃ)という…
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↓宮司さんが在って、地域の社しして普通に活動が展開されている神社でもある。
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宮司さんが折良く現れたので言葉も交わした。地御前の地では<地御前神社>が少し知られている。宮島、厳島神社の対岸ということで古くは大きな存在感を示した神社だが、現在は厳島神社の管理下に在るという以上でも以下でもない。対して<大歳神社>は、地御前の村の鎮守として起こって現在に受継がれているという神社であるのだという。

そんな「辺りの村の鎮守…」という大歳神社に立寄ったこと、宮司さんと言葉を交わして御朱印も頂いたのだが、何か「土地との好い出遭いが叶った…」というような気分になった。
posted by Charlie at 06:47Comment(0)広島県

<天井松>:西向寺:地御前:廿日市市内(2021.12.23)

掲出されたマップを見て、広島電鉄やJRの軌道や駅と、辺りの様々なモノの位置関係を何となく把握し、辺りを歩き始めてみた。

↓街の寺というような風ではあり、酷く大きな訳でもないが、端正な門が在ると思った。浄土真宗の寺らしい。
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↓何気なく門に近付き、門の中を伺って驚いた…見事に枝を拡げた松…枝を支柱で支えている様子だ…
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↓松の枝が「天井」という様相…これを<天井松>と呼んでいるらしい…
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↓何やら暫し足を停めて見入ってしまった…
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特段に事前に期することもなく、何やら「おっ!?」と驚くモノに出くわしたという感じだ…一寸面白かった…
posted by Charlie at 06:17Comment(0)広島県

<地御前史跡マップ>:廿日市市内(2021.12.23)

西広島から先、広島の街を走っていた路面電車がそのまま「何処の地方でも見掛けるような鉄道路線」の中に乗入れ、宮島口まで走っている。

その宮島口の少し東寄り、西広島からの電車に乗って訪ねれば「宮島口の手前」というような感じになると思うが地御前という地区が在る。

↓これがその地御前の、来訪者等に向けたマップである。電車を下りて、何となく歩き始めた辺りで出くわした。
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宮島口、船で島に亘っての厳島神社という「超有名!」ということになる場所には立ち寄った経過が在る。が、その宮島口から遠くないような辺りというのはよく知らない。「面白い建物が見受けられるような場所が…」と友人の助言を頂き、一寸訪ねてみたのだ。

西広島から宮島口の区間、広島の街を走っている連接方式の路面電車が、「普通」な地方の鉄道の軌道という場所に乗入れている。何か「一帯で特別な存在感の大きな街の端側、隣接する幾つかの街とを結んでいるような鉄道の沿線」という風情が漂っていた。

廿日市市…これは広島市の西側で、商工業地域の廿日市が広島との往来が盛んになって発展した中、辺りの小さな町が年を追って合併して現在の範囲になっているということのようだ。“廿日市”としては最も古くからの流れを汲む辺りの他に、宮島も含めた様々なモノが在る場所ということになっていて、広島市内等への交通も便利な所謂“ベッドタウン”というような性質も色濃く帯びているらしい。

そんな廿日市市の一隅、地御前を少し歩いてみたのは、何となく愉しい想い出だ。

地御前は、有名な宮島口の手前のような、やや東に寄った辺りで、広島周辺以外の他地域の人達の間ではマイナーな感じながら、こんな「マップ」が出来る程度に色々なモノが在るということなようだ。こういう様子を、「様々な建物が建築中だった“新興住宅地!!”という場所そのもの…」で幼少期を過ごした自身は「酷く羨ましいような感じが…」と思ってしまう。
posted by Charlie at 06:03Comment(0)広島県