↓朝から「路面電車を眺めるべく、広島港停留所を一寸目指して…」ということにして、到達前に道草もしながら、何やら辿り着いた…
↑京都に登場し、広島に移ったという経過の1900形…今般は見掛ける機会も多く、何度か乗車もした…
↓広島港停留所は、新旧の色々な型の車輛が発着する。朝の時間帯は、少し旧い車輛の登場も増えるらしい。
↓天候が好く、明るさが増す中、何やら光が凄く眩しかった。そして射し込む光による造形というような様子も見受けられた…
↑野球の広島東洋カープのマークがラッピングされている車輛が視えるが、広島で活動する各競技、各リーグのチームのマーク等をラッピングした車輛が見受けられる…そういう感じは好きだ。
この場所は「是非、再訪したい!」という感じの場所だ…
<海老四本丼>…:岡山にて…(2021.12.21)
↓「海老天?御無沙汰だ…」と思いながら頼んだモノだが…何か零れた笑いに“苦笑い”めいたモノが交じった気がする…
↓メニューを見て「四本」ということにしてしまい…「御飯は少な目で…」ということにはした…
早朝に奈良を発ち、神戸を経て到った岡山で西大寺を訪ね、岡山駅に何となく戻ってみれば「ピークを少し過ぎたランチタイム」という様子だった。奈良を発った辺りから、何やら飲物を飲んではいるが、食事らしい食事を摂らずに在ることに思い至り、岡山駅のビルで飲食店が色々と在る辺りを見出して寄ってみた訳だ…
↓海老の他にも天ぷらが色々と丼の飯に載っていた。何やら「凄いボリューム感」だった…
地元の皆さんの間でも、自身も含む、岡山駅を行き交く各地の旅客も、「誰でも満足、納得の天丼」というような感じだと思った。何となく「記憶に留めたい」という気がするモノだ。これを頂く前も、これを頂いた後も、何となく天丼は御無沙汰だ…「だから?」という話しではあるが…
↓メニューを見て「四本」ということにしてしまい…「御飯は少な目で…」ということにはした…
早朝に奈良を発ち、神戸を経て到った岡山で西大寺を訪ね、岡山駅に何となく戻ってみれば「ピークを少し過ぎたランチタイム」という様子だった。奈良を発った辺りから、何やら飲物を飲んではいるが、食事らしい食事を摂らずに在ることに思い至り、岡山駅のビルで飲食店が色々と在る辺りを見出して寄ってみた訳だ…
↓海老の他にも天ぷらが色々と丼の飯に載っていた。何やら「凄いボリューム感」だった…
地元の皆さんの間でも、自身も含む、岡山駅を行き交く各地の旅客も、「誰でも満足、納得の天丼」というような感じだと思った。何となく「記憶に留めたい」という気がするモノだ。これを頂く前も、これを頂いた後も、何となく天丼は御無沙汰だ…「だから?」という話しではあるが…
西大寺…:岡山(2021.12.21)
岡山の市域内に西大寺駅が在る。辺りは「岡山市東区西大寺」という住所である。要は「西大寺周辺の門前町」というようなことで、辺りの通称も寺の名と同様の西大寺になっていた訳で、それが現在の住所にまでなっている。
そういうことなので、西大寺駅を起点に「寺の西大寺」を訪ねてみようかと思い付けば…辺りの住所そのものが「西大寺」と称する関係上、何処を視ても、何でもかんでも「西大寺〇〇」というような感じになっていて「寺の西大寺は??」と少々戸惑った…
↓西大寺駅から少し進んで、何やら商店街の脇に「寺のモノ?」という構造が覗く場所が在る…
↑画の右側の商店が「西大寺玩具」なる看板を掲げているが、本当にこの辺りは「何でもかんでも!」という感じで、殆ど全て、何もかもが「西大寺〇〇」で驚かされた…
↓扁額に山号の「金陵山」と在る。西大寺の門に辿り着いた…
751年に観音像が安置されたという故事が在って、その辺りに777年に堂宇が建立されたということが西大寺の起こりとされているようだ。元々は「犀の角を戴き鎮めた地に建立した」とされていることから、「犀戴寺(さいだいじ)」と称したという。後に後鳥羽上皇の祈願文に合わせて「西大寺」に改称したとされる。
↓三重塔…大きいという印象ではないが、何か美しい形だ…
↓なかなかに大きな本堂が在る…
↓石門というのも、何やら趣深かった…
↓鐘楼門という門も知られているようだ…
↓天候も好く、何か境内でのんびりと過ごしたという感であった。
西大寺については、旧暦1月に行われる新年の祈祷である「修正会」というモノに起源を有するという祭りが知られているという。毎年2月の第3土曜日に開催の会陽(裸祭り)という祭りで、牛玉所大権現(ごおうしょだいごんげん)の裸の守護神を参詣というものであるらしい…
↓立寄ったこの日は、何やら凄く静かな感じであった…
↓何やら不思議な石板が嵌められた箇所も在った…
とりあえず西大寺駅に到って、この西大寺を無事に訪ね、冬の好天という中で散策を愉しんだ。「何となく好かった…」と記憶に残る…こういうような「何となく好かった…」というのを、色々と積み重ねたいような気もする…
そういうことなので、西大寺駅を起点に「寺の西大寺」を訪ねてみようかと思い付けば…辺りの住所そのものが「西大寺」と称する関係上、何処を視ても、何でもかんでも「西大寺〇〇」というような感じになっていて「寺の西大寺は??」と少々戸惑った…
↓西大寺駅から少し進んで、何やら商店街の脇に「寺のモノ?」という構造が覗く場所が在る…
↑画の右側の商店が「西大寺玩具」なる看板を掲げているが、本当にこの辺りは「何でもかんでも!」という感じで、殆ど全て、何もかもが「西大寺〇〇」で驚かされた…
↓扁額に山号の「金陵山」と在る。西大寺の門に辿り着いた…
751年に観音像が安置されたという故事が在って、その辺りに777年に堂宇が建立されたということが西大寺の起こりとされているようだ。元々は「犀の角を戴き鎮めた地に建立した」とされていることから、「犀戴寺(さいだいじ)」と称したという。後に後鳥羽上皇の祈願文に合わせて「西大寺」に改称したとされる。
↓三重塔…大きいという印象ではないが、何か美しい形だ…
↓なかなかに大きな本堂が在る…
↓石門というのも、何やら趣深かった…
↓鐘楼門という門も知られているようだ…
↓天候も好く、何か境内でのんびりと過ごしたという感であった。
西大寺については、旧暦1月に行われる新年の祈祷である「修正会」というモノに起源を有するという祭りが知られているという。毎年2月の第3土曜日に開催の会陽(裸祭り)という祭りで、牛玉所大権現(ごおうしょだいごんげん)の裸の守護神を参詣というものであるらしい…
↓立寄ったこの日は、何やら凄く静かな感じであった…
↓何やら不思議な石板が嵌められた箇所も在った…
とりあえず西大寺駅に到って、この西大寺を無事に訪ね、冬の好天という中で散策を愉しんだ。「何となく好かった…」と記憶に残る…こういうような「何となく好かった…」というのを、色々と積み重ねたいような気もする…
<椿井市場>…:奈良(2021.12.20)
何処の街にも「古くは酷く賑わった…近年??」というような場所は見受けられるのかもしれない。
↓奈良の<ならまち>というように呼び習わされている界隈の一隅になると思う。こういう場所が在る。
↑<椿井市場>(つばいいちば)と言って、何か「子どもの頃に(保護者に)連れて来て貰った、何やら賑やかだった商店街」というように、奈良の一定以上の世代の皆さんが想う場所だと聞いた。
“商店街”的な店の連なりが、遠目に一棟に視えるような具合に囲われていて「市場」を名乗っている。或いはこういう「市場」を名乗るということ自体、何となく少数派というようにも感じるが、「椿井市場」という文字の「擦れた感じ」が何か名状し悪い感だ。
<椿井市場>という看板の入口辺りについて、奈良で人気の店に寄って、関西の流儀の美味いおでんでも摘まもうというようなことを考える少し前に立寄っていて寧ろ静かだった。それでも、画の入口の周辺で営業中と見受けられる何かの店が何軒か見受けられた他は、「使わなくなって久しい建物の連なり」という以上でも以下でもない様子だった。
↓<椿井市場>という看板の側からやや奥へ踏み込むとこういう具合だ…
↓多分?未だ「昭和」という元号であった頃に活動が休止されて、そのまま何十年も経ってしまっているというような様子になっているのが伺え、些か驚いた。
↓「放置された時間」が何やら「造形」をしてしまうというような雰囲気だ…
↓老朽化して、そして傾いてしまっているというような感じでもある…こういう様子も頻繁に視られるのでもない…
↓傷んでしまって、何やら「倒壊?」というような気がしないでもない。が、自身の見聞の範囲で申し上げれば、こういう「未使用老朽化。改装の手も施し悪い」という箇所は、倒壊するという以上に「火災でも発生した際に危険過ぎ…!!!」ということが問題であると思う。
それにしても…何やら強烈な場所で、少し記憶に残る…
↓奈良の<ならまち>というように呼び習わされている界隈の一隅になると思う。こういう場所が在る。
↑<椿井市場>(つばいいちば)と言って、何か「子どもの頃に(保護者に)連れて来て貰った、何やら賑やかだった商店街」というように、奈良の一定以上の世代の皆さんが想う場所だと聞いた。
“商店街”的な店の連なりが、遠目に一棟に視えるような具合に囲われていて「市場」を名乗っている。或いはこういう「市場」を名乗るということ自体、何となく少数派というようにも感じるが、「椿井市場」という文字の「擦れた感じ」が何か名状し悪い感だ。
<椿井市場>という看板の入口辺りについて、奈良で人気の店に寄って、関西の流儀の美味いおでんでも摘まもうというようなことを考える少し前に立寄っていて寧ろ静かだった。それでも、画の入口の周辺で営業中と見受けられる何かの店が何軒か見受けられた他は、「使わなくなって久しい建物の連なり」という以上でも以下でもない様子だった。
↓<椿井市場>という看板の側からやや奥へ踏み込むとこういう具合だ…
↓多分?未だ「昭和」という元号であった頃に活動が休止されて、そのまま何十年も経ってしまっているというような様子になっているのが伺え、些か驚いた。
↓「放置された時間」が何やら「造形」をしてしまうというような雰囲気だ…
↓老朽化して、そして傾いてしまっているというような感じでもある…こういう様子も頻繁に視られるのでもない…
↓傷んでしまって、何やら「倒壊?」というような気がしないでもない。が、自身の見聞の範囲で申し上げれば、こういう「未使用老朽化。改装の手も施し悪い」という箇所は、倒壊するという以上に「火災でも発生した際に危険過ぎ…!!!」ということが問題であると思う。
それにしても…何やら強烈な場所で、少し記憶に残る…