↓気温は10℃を超えているらしいが、それでも強めな風の冷たさが刺さるような気がする早朝、「極々短い散策」と称して戸外を歩き廻ってみた…
↓雲と光の様相が面白いと、暫し風に晒されながら天と海とを眺めた…
↓雲の隙間に朝陽の光が滲むような様相を呈し始めた…
↓やがて朝陽が覗いた…
こういう「極々手近な好い光景」を愛でるという時間を大切にしてみたい気分の昨今である…
滑り台…(2022.04.21)
踏切…(2022.04.21)
あんかけ焼きそば…(2022.04.21)
朝の道草…(2022.04.21)
↓自身は徒歩で御店に立寄り、店内でモノを頂くのが専らだが、「ドライブスルー」の人気が酷く高い様子が伺える。
何となくここへ道草するのが「朝の恒例」というようになってしまった昨今だ。
↓何やら「新しい?期間限定??」というモノを眼に留めたので御願いした…
↑「宮崎名物チキン南蛮タルタル」というのが何か好さそうだ…
↓『シンウルトラマン』という映画が公開されるらしいが、それと連携したキャンペーンをしていると見受けられる…
↓「チキンタツタ」と呼んでいるモノが時々供されているが、それのバリエーションだ。宮崎県発祥と言われる“チキン南蛮”のように、タルタルソースや甘辛いソースが、薄く味が着いた鶏肉を揚げたモノやキャベツと凄く合う。
この先も、この「朝の道草」は一寸した愉しみになりそうである…
何となくここへ道草するのが「朝の恒例」というようになってしまった昨今だ。
↓何やら「新しい?期間限定??」というモノを眼に留めたので御願いした…
↑「宮崎名物チキン南蛮タルタル」というのが何か好さそうだ…
↓『シンウルトラマン』という映画が公開されるらしいが、それと連携したキャンペーンをしていると見受けられる…
↓「チキンタツタ」と呼んでいるモノが時々供されているが、それのバリエーションだ。宮崎県発祥と言われる“チキン南蛮”のように、タルタルソースや甘辛いソースが、薄く味が着いた鶏肉を揚げたモノやキャベツと凄く合う。
この先も、この「朝の道草」は一寸した愉しみになりそうである…
フォークリフト…(2022.04.20)
<ガリンコ号III>:第一副港:稚内港(2022.04.20)
早朝は「何やら風が…」と敢えて辺りを歩くようなことはしなかったのだが、少し経って何となくフラフラと歩いてしまった。強風に抗いながら歩んだ。
↓繋留濠という様相の第一副港には汽船底曳漁船が停泊している様子が見受けられるが、奥の方に「見慣れない、少し目立つ感じの船?」と気になった。
↓<ガリンコ号III>?紋別の船だ…
↓こういうマークが描かれている…
↓新しい船ではあるが、修理等が必要で稚内港の造船・船舶修理の会社にやって来たとは聞いていた。未だ還っていなかったのか?
↑そう思いながら船を眺めたが、思った以上に大きいような気がした。
↓船名が凄く目立つ…
↓「アルキメディアンスクリュー」と号する、氷を掻き分ける、或いは砕くかのような、ドリルか何かのような機構は船首側の覆われている中に納まっているようだ。従前の船では少し覗いていたというように記憶しているのだが…
2008年に従前の船に乗船した経過が在ったが、新しい「III」はかなりイメージが変わったかもしれない。
それはそれとして、思いがけず稚内港でこの船に出遭えて好かった…
↓繋留濠という様相の第一副港には汽船底曳漁船が停泊している様子が見受けられるが、奥の方に「見慣れない、少し目立つ感じの船?」と気になった。
↓<ガリンコ号III>?紋別の船だ…
↓こういうマークが描かれている…
↓新しい船ではあるが、修理等が必要で稚内港の造船・船舶修理の会社にやって来たとは聞いていた。未だ還っていなかったのか?
↑そう思いながら船を眺めたが、思った以上に大きいような気がした。
↓船名が凄く目立つ…
↓「アルキメディアンスクリュー」と号する、氷を掻き分ける、或いは砕くかのような、ドリルか何かのような機構は船首側の覆われている中に納まっているようだ。従前の船では少し覗いていたというように記憶しているのだが…
2008年に従前の船に乗船した経過が在ったが、新しい「III」はかなりイメージが変わったかもしれない。
それはそれとして、思いがけず稚内港でこの船に出遭えて好かった…
キハ261系ディーゼルカー…(2022.04.19)
朝の道草…(2022.04.19)
「あんかけ焼きそば」…(2022.04.19)
最近昼食に立寄ることが増えた御店では、「おすすめ」と号して概ね「週替わり」で供しているランチが在る。
↓「あんかけ焼きそば」というモノが登場した。
↓こういう具合に供される。
美味しく頂いたのだが、傍を視ればこの御店の人気メニューである「チャーメン」を愉しんでいる方も見受けられた。
「チャーメン」と「あんかけ焼きそば」と…「何が如何違うのだ?!」というように思ってしまった。
聞けば…「蒸し麵をそのまま焼く」のが「あんかけ焼きそば」で、「蒸していない麺をラーメンの要領で湯に通してから焼く」のが「チャーメン」という説が在るらしい。本当に「らしい…」で、実際よく判らない。
立寄ったこの御店では掛かっている「餡」の感じが両者で少し違う。この御店の「チャーメン」は「塩味風」であるのに対し、「あんかけ焼きそば」は醤油が少し加わった感だった。何れも甲乙付け難い。
何れにしても、当地では“餡かけ焼きそば”の系譜に連なるメニューは人気が高いようだ…
↓「あんかけ焼きそば」というモノが登場した。
↓こういう具合に供される。
美味しく頂いたのだが、傍を視ればこの御店の人気メニューである「チャーメン」を愉しんでいる方も見受けられた。
「チャーメン」と「あんかけ焼きそば」と…「何が如何違うのだ?!」というように思ってしまった。
聞けば…「蒸し麵をそのまま焼く」のが「あんかけ焼きそば」で、「蒸していない麺をラーメンの要領で湯に通してから焼く」のが「チャーメン」という説が在るらしい。本当に「らしい…」で、実際よく判らない。
立寄ったこの御店では掛かっている「餡」の感じが両者で少し違う。この御店の「チャーメン」は「塩味風」であるのに対し、「あんかけ焼きそば」は醤油が少し加わった感だった。何れも甲乙付け難い。
何れにしても、当地では“餡かけ焼きそば”の系譜に連なるメニューは人気が高いようだ…
読書…(2022.04.16)
↓随分と旧いベストセラーだ…
↑図書館で拝借した。1980年9月25日に第1刷となっているが、1980年12月10日に第16刷となっている本が図書館には在って、それを紐解いた。「3ヶ月間で16刷」というのは如何いうのであろう?出版社として慎重に少量の印刷に留めながら出荷し続けたという観方も出来ようが、少量過ぎても経費が嵩むばかりだ。多分、当時は想像を遥かに超える反響で、ドンドンと注文が途切れずに入るので順次印刷を続けたということなのであろう。
1980年の出版当時、或る意味で「社会現象」のような様相を呈したと見受けられる大ヒット作ということになるが、なるほど面白い。偶々出くわして凄く善かったと思う。
「蒼い時」と表題を冠した“あとがき”的な内容が在って、本書の執筆に関連する事情のようなモノに触れられている。歌手・女優を退くことを決めた際にエッセイ集を刊行するということになり、約4ヶ月間に亘って執筆に勤しんだのだそうだ。
この「蒼い時」という一節は、執筆に向けて用意したという「山口百恵」と名前が入った原稿用紙―この時代には作家が名前入り原稿用紙を用意するというのをよくやっていたようだが…―に万年筆で書いたモノをそのまま見せるような形式になっていた。
本書は前半部に横須賀、出生、性、裁判、結婚、引退という「自叙伝」的内容のやや分量が多い篇が集められている。これらを読むと、必ずしも恵まれていたのでもない境涯から歌手デビューを果たし、女優活動も展開した彼女の歩み、交際と結婚、結婚後に歌手・女優活動を退くこととした経過等がよく判る。
これらの各篇の後は19篇の随想が在る。人生のいろいろな場面で思ったことというような文字どおりの随想で、各篇なかなかに好いと思った。歌手・女優という「表現者」として重ねていた活動に纏わる様々な想いもこの各篇の中に在る。そして“あとがき”的な「蒼い時」に連なる。
時代をリードするような活動を展開した歌手・女優のエッセイだが、「活動した時代」というような範囲に留まらない内容が在ると思う。
巡り合った仕事で一定以上の成功を収めた中、出会った人が在り、交流を通じて「この人と人生を歩みたい」と強く願うようになって行った。表に出る活動から退こうと決意した中、少女時代から近年迄の様々な出来事を思い出しながら綴っている。そういう感じがする。
こういう「一人の女性の想い」という意味で、「時代を超えた普遍性」を帯びているというように思った。
或いは?父親との関係のような複雑な事柄に「自身の中での区切り」を設けてみたかったか、結婚を決めて行ったことに関して伝えられた「在ること無いこと」に草臥れて「本人の言明」を世に問いたかったのか、色々なことを想像しないでもない。が、なかなかに確りした筆致で、前半の方は「有名作家の私小説」でも読んでいるかのような気分にもなった。
エッセイ集の刊行に向けてプロデューサーが在って、彼女をサポートする体制も整えた中で精力的に綴った本書であるようだ。これはステージで1曲を精一杯歌うというような集中力が発揮されたのであろう。
聞けば、本書の随想という部分に載っている篇の一つが「国語の教科書」に載った例が在るとか?そういう程度になかなかに好い文の本だ。
40年も前の本であるが、思い付いて読んでみて、好い経験が出来たと思う。
↓現在は文庫本や電子書籍で入手可能であるようだ。
↑図書館で拝借した。1980年9月25日に第1刷となっているが、1980年12月10日に第16刷となっている本が図書館には在って、それを紐解いた。「3ヶ月間で16刷」というのは如何いうのであろう?出版社として慎重に少量の印刷に留めながら出荷し続けたという観方も出来ようが、少量過ぎても経費が嵩むばかりだ。多分、当時は想像を遥かに超える反響で、ドンドンと注文が途切れずに入るので順次印刷を続けたということなのであろう。
1980年の出版当時、或る意味で「社会現象」のような様相を呈したと見受けられる大ヒット作ということになるが、なるほど面白い。偶々出くわして凄く善かったと思う。
「蒼い時」と表題を冠した“あとがき”的な内容が在って、本書の執筆に関連する事情のようなモノに触れられている。歌手・女優を退くことを決めた際にエッセイ集を刊行するということになり、約4ヶ月間に亘って執筆に勤しんだのだそうだ。
この「蒼い時」という一節は、執筆に向けて用意したという「山口百恵」と名前が入った原稿用紙―この時代には作家が名前入り原稿用紙を用意するというのをよくやっていたようだが…―に万年筆で書いたモノをそのまま見せるような形式になっていた。
本書は前半部に横須賀、出生、性、裁判、結婚、引退という「自叙伝」的内容のやや分量が多い篇が集められている。これらを読むと、必ずしも恵まれていたのでもない境涯から歌手デビューを果たし、女優活動も展開した彼女の歩み、交際と結婚、結婚後に歌手・女優活動を退くこととした経過等がよく判る。
これらの各篇の後は19篇の随想が在る。人生のいろいろな場面で思ったことというような文字どおりの随想で、各篇なかなかに好いと思った。歌手・女優という「表現者」として重ねていた活動に纏わる様々な想いもこの各篇の中に在る。そして“あとがき”的な「蒼い時」に連なる。
時代をリードするような活動を展開した歌手・女優のエッセイだが、「活動した時代」というような範囲に留まらない内容が在ると思う。
巡り合った仕事で一定以上の成功を収めた中、出会った人が在り、交流を通じて「この人と人生を歩みたい」と強く願うようになって行った。表に出る活動から退こうと決意した中、少女時代から近年迄の様々な出来事を思い出しながら綴っている。そういう感じがする。
こういう「一人の女性の想い」という意味で、「時代を超えた普遍性」を帯びているというように思った。
或いは?父親との関係のような複雑な事柄に「自身の中での区切り」を設けてみたかったか、結婚を決めて行ったことに関して伝えられた「在ること無いこと」に草臥れて「本人の言明」を世に問いたかったのか、色々なことを想像しないでもない。が、なかなかに確りした筆致で、前半の方は「有名作家の私小説」でも読んでいるかのような気分にもなった。
エッセイ集の刊行に向けてプロデューサーが在って、彼女をサポートする体制も整えた中で精力的に綴った本書であるようだ。これはステージで1曲を精一杯歌うというような集中力が発揮されたのであろう。
聞けば、本書の随想という部分に載っている篇の一つが「国語の教科書」に載った例が在るとか?そういう程度になかなかに好い文の本だ。
40年も前の本であるが、思い付いて読んでみて、好い経験が出来たと思う。
↓現在は文庫本や電子書籍で入手可能であるようだ。
稚内港北防波堤ドーム…(2022.04.19)
稚内港北防波堤ドーム…(2022.04.18)
<白雪ふきん>…(2022.04.16)
奈良の<白雪ふきん>というモノを愛用している。
未だ使っていないモノを幾分持っている。それを引っ張り出した。
↓こういう按配だ。
↓真新しい状態から使い始めることとした。
奈良の薄織物の伝統を踏まえた製品であり、奈良のポピュラーな土産になっているという。薄織物の端切れを利用したということが、ふきんの製品化、商品化の切っ掛けであったらしい。当初は無地のモノが主流だったが、次第に様々な柄が入ったモノが登場するようになっている。
↓今般は<琉球紅型>という沖縄県のデザインを採り入れている。
奈良県は何度も足を運んでいるが、沖縄県は未踏だ…手近なモノに、遠い土地に想いを巡らせながら使うというのが意外に好いかもしれない。
未だ使っていないモノを幾分持っている。それを引っ張り出した。
↓こういう按配だ。
↓真新しい状態から使い始めることとした。
奈良の薄織物の伝統を踏まえた製品であり、奈良のポピュラーな土産になっているという。薄織物の端切れを利用したということが、ふきんの製品化、商品化の切っ掛けであったらしい。当初は無地のモノが主流だったが、次第に様々な柄が入ったモノが登場するようになっている。
↓今般は<琉球紅型>という沖縄県のデザインを採り入れている。
奈良県は何度も足を運んでいるが、沖縄県は未踏だ…手近なモノに、遠い土地に想いを巡らせながら使うというのが意外に好いかもしれない。
ホタテ串焼き等…(2022.04.16)
キハ261系ディーゼルカー…(2022.04.16)
朝の道草…(2022.04.16)
4月に入ってから、「少し早く動き始めで道草」というようなことが、自身の中で“定番化”してしまった。
↓「おはよう!!」と不動の位置に在る人形には挨拶の声掛けをしてみたくなる…
↓「この街」では何でもかんでもとりあえず「(国内では)最北端」なので、然程有難いとも思わないが、とりあえず「(日本国内)全国チェーン」で営業する店として、「日本国内最北端」は格好の話題提供たり得る訳で、その旨の看板が据えられている…
↓こういうような具合で寛ぐ朝という感じが酷く愛おしいような気がする…
↓揚げたチキンを使うマフィンが、何やら酷く好い…
↓少し時間が経つと、伝統の「ソーセージマフィン」を追加してみるような場合も在るが…
最近はこの「朝の道草」で、日々の暮らしが「少しばかり心豊かに?」という気分も在る…存外、人生というのは「少しだけ心豊か?」を追い続けるような事かも知れないと、少し真面目に考える場合も在る…
↓「おはよう!!」と不動の位置に在る人形には挨拶の声掛けをしてみたくなる…
↓「この街」では何でもかんでもとりあえず「(国内では)最北端」なので、然程有難いとも思わないが、とりあえず「(日本国内)全国チェーン」で営業する店として、「日本国内最北端」は格好の話題提供たり得る訳で、その旨の看板が据えられている…
↓こういうような具合で寛ぐ朝という感じが酷く愛おしいような気がする…
↓揚げたチキンを使うマフィンが、何やら酷く好い…
↓少し時間が経つと、伝統の「ソーセージマフィン」を追加してみるような場合も在るが…
最近はこの「朝の道草」で、日々の暮らしが「少しばかり心豊かに?」という気分も在る…存外、人生というのは「少しだけ心豊か?」を追い続けるような事かも知れないと、少し真面目に考える場合も在る…
マグカップ…(2022.04.16)
私事だが、4月からオフィスの場所が変わった。そうなると色々な勝手が些か変わる…
オフィスの給湯室に珈琲が在って、それを随意に頂くことが可能なのだが、そういう用途のために「各々のカップ」を用意して持込む必要が在るのだという。
↓そんな訳で少し以前に頂いて、少しばかり拙宅で使用し、最近は余り顧みられていなかったマグカップを引っ張り出した。
↑「1813-1876」と昔の人の肖像画らしき画の下に在る。
↓少し角度を変えるとこういうような文字が視える…
↑「200-лет со дня рождения Г.И.Невельского」と在る。「G.I.ネヴェリスコイ 生誕200年」という程の意味だ…
G.I.ネヴェリスコイは、帝政ロシアの海軍軍人で、1850年代前半に沿海地方やサハリンを探索する一隊を率いて活動し、極東の地誌等をロシアや欧州に紹介したとされる功労者だ。そういう訳で、樺太がソ連化された頃、往年の本斗がネヴェリスコイに因んで「ネべリスク」という呼称になった経過が在る。
そうした事柄を踏まえ、ネべリスクでこのG.I.ネヴェリスコイの「生誕200年」を意識したグッズを用意してみた経過が在り、それがどうしたものが自身の所に至ったのだ。
「昔の海軍士官」という人物の画に、「未知の海域へ船を進める冒険」、或いは「辿り着いたサハリンを踏破する」というイメージの画が重ねられているデザインは悪くないと思う。
オフィスに在る多くの人達が各々の好みで用意したカップが在る中、「200-лет со дня рождения Г.И.Невельского」とロシア語の文字が入ったモノは目立つ。「こういうモノを嬉々として使うのは、この街ではあの男位なものであろう…」と、「絶対に間違いない」という感じであろう…
このカップをオフィスに持ち込み、何となく珈琲を平日の日中にも頂くことが叶うようになった…
オフィスの給湯室に珈琲が在って、それを随意に頂くことが可能なのだが、そういう用途のために「各々のカップ」を用意して持込む必要が在るのだという。
↓そんな訳で少し以前に頂いて、少しばかり拙宅で使用し、最近は余り顧みられていなかったマグカップを引っ張り出した。
↑「1813-1876」と昔の人の肖像画らしき画の下に在る。
↓少し角度を変えるとこういうような文字が視える…
↑「200-лет со дня рождения Г.И.Невельского」と在る。「G.I.ネヴェリスコイ 生誕200年」という程の意味だ…
G.I.ネヴェリスコイは、帝政ロシアの海軍軍人で、1850年代前半に沿海地方やサハリンを探索する一隊を率いて活動し、極東の地誌等をロシアや欧州に紹介したとされる功労者だ。そういう訳で、樺太がソ連化された頃、往年の本斗がネヴェリスコイに因んで「ネべリスク」という呼称になった経過が在る。
そうした事柄を踏まえ、ネべリスクでこのG.I.ネヴェリスコイの「生誕200年」を意識したグッズを用意してみた経過が在り、それがどうしたものが自身の所に至ったのだ。
「昔の海軍士官」という人物の画に、「未知の海域へ船を進める冒険」、或いは「辿り着いたサハリンを踏破する」というイメージの画が重ねられているデザインは悪くないと思う。
オフィスに在る多くの人達が各々の好みで用意したカップが在る中、「200-лет со дня рождения Г.И.Невельского」とロシア語の文字が入ったモノは目立つ。「こういうモノを嬉々として使うのは、この街ではあの男位なものであろう…」と、「絶対に間違いない」という感じであろう…
このカップをオフィスに持ち込み、何となく珈琲を平日の日中にも頂くことが叶うようになった…
<牛丼ライト>…(2022.04.16)
「ドアが開いてから席をお立ちください。」…(2022.04.16)
朝、路線バスに乗車した。
↓陣取った席の眼前に在った広告…最近、当地のバスでは何処かの官公署の広告でもなければ、路線バスの運行に携わる業界団体による啓発広告が掲出されている例が多い。これもその一つだ。
何時頃からだろうか?バス車内で、確り停車してから出口へ向かって動くようにと繰り返し案内するようになった。以前は下車する停留所が近付くと出口側に歩むというのが普通であったような気がしないでもないが…それはそれとして、停留所に停車しようとするバスは存外に揺れるので、立ち歩くと転倒するような場合も生じるのかもしれない。
路線バスは、何れにしても「誰でも安心して乗降」ということに心を配りながら、毎日確りと運行を続けている訳である…
↓陣取った席の眼前に在った広告…最近、当地のバスでは何処かの官公署の広告でもなければ、路線バスの運行に携わる業界団体による啓発広告が掲出されている例が多い。これもその一つだ。
何時頃からだろうか?バス車内で、確り停車してから出口へ向かって動くようにと繰り返し案内するようになった。以前は下車する停留所が近付くと出口側に歩むというのが普通であったような気がしないでもないが…それはそれとして、停留所に停車しようとするバスは存外に揺れるので、立ち歩くと転倒するような場合も生じるのかもしれない。
路線バスは、何れにしても「誰でも安心して乗降」ということに心を配りながら、毎日確りと運行を続けている訳である…
稚内港北防波堤ドーム…(2022.04.16)
「ラベンダー編成」:キハ261系ディーゼルカー…(2022.04.15)
刺身で頂く生ホタテ等…(2022.04.15)
読書…(2022.04.14)
↓「戦争広告代理店」という題…何か酷く目立つ…
「やや旧い?」というように見受けられる本でも、内容の重要性が損なわれていないと思える場合が在る。更に「最近の事象の過去事例?」というような内容を含む場合さえ在るとも思う。
そういう本を紐解くのは大変に結構なのだが、「やや旧い?」という本は少々入手し悪い場合も在る。が、評価の高い本で在れば、図書館に在ってアッサリと拝借出来てしまう。
そんな訳で、図書館で拝借した「やや旧い?」という他方で「最近の事象の過去事例?」というような内容を含む価値在る一冊だ。
本書は1991年から1992年頃のボスニア・ヘルツェゴヴィナでの紛争の背後に米国の「PR企業」というモノが在ったという事柄に題材を求めている。
1999年頃にテレビのドキュメンタリー番組を制作すべく取材が重ねられ、国内で放映して好評を博したことを踏まえ、国外向けの英語によるコンテンツも制作したという。それが更に書籍化され、本書は2002年に登場している。
本書の中の「執筆時現在」は2001年後半位と見受けられる。その時点で「十年前…」を振り返るような内容となっている。
扱われているボスニア・ヘルツェゴヴィナでの紛争で30年前、本書の取材で振り返っている時点で20年前と「やや旧い」ということは否定しない。が、最近も「戦禍」の報や「情報の争い」ということが謂われている状況が在る訳で、「最近の事象の過去事例?」というようなことを思った。そこで見出した一冊だ。
ユーゴスラビア連邦が社会主義政権による統治を諦めた後、各共和国が相次いで独立した。1991年にボスニア・ヘルツェゴヴィナも独立した。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナにはモスレム人(オスマン朝がバルカン半島を統治した時代にイスラム教へ改宗した人達の後裔)、セルビア人、クロアチア人等が住んでいる。相対的に数が多いモスレム人が主流を占めるような感になった中、セルビア人はユーゴスラビア連邦に留まることを主張していたという。そしてセルビアの援護を受けたとされるが、セルビア人がモスレム人を攻撃する紛争が始まった。
この紛争が始まった時、「国際的な支援や協力を何とか得て紛争を乗り切る」というように考えたボスニア・ヘルツェゴヴィナ政府はハリス・シライジッチ外務大臣を米国に派遣した。
独立したばかりのボスニア・ヘルツェゴヴィナから単身で米国に乗り込んだシライジッチは何とか米国政府のベーカー国務長官と面会を果たした。
ベーカー国務長官は「世論を味方としながら各国の支持や協力を得なければなるまい」と助言した。そんな時に出会うのが「PR企業」である<ルーダー・フィン>の幹部だったジム・ハーフだった。シライジッチは<ルーダー・フィン>に協力を求め、<ルーダー・フィン>はそれを応諾して業務を請負うこととなった。
「PR企業」とは何か?
日本国内で「PR」とでも言えば、宣伝、広告というようなことを思い浮かべ、そういうのは広告代理店が取扱うというように連想すると思う。米国の場合は少し異なる。
「PR」は「Public Relations」(パブリックリレーションズ)の略で、宣伝、広告というようなことも含むが、そこに留まらない。主体となる個人や団体と、「公」=社会との関係全般を包括するような概念だ。
何事かの情報を発信しようとする場合、単純に宣伝、広告に留まらず、様々な媒体で取上げられるように仕掛けるメディア対策というようなこともあるであろう。発言力や実行力が在る有力な人に接するような活動が必要で、活動に際する様々なアレンジもあるであろう。公に何事かを声明するような場面でのスピーチライター的なことを誰かがすべきであろう。テレビ放送のようなモノに出る場合の話し方や見せ方というようなことで、通の助言も要るであろう。こういうようなことを一切合切行って、主体となる個人や団体と、「公」=社会との関係全般を包括的に助言して動くのが「PR企業」だ。
シライジッチが政府の特命で米国に乗り込んだ時、米国ではボスニア・ヘルツェゴヴィナの名前も場所も知られていないような様相だった。それが「ボスニア・ヘルツェゴヴィナを救え!」ということになり、反対側のセルビアは「極悪…」ということになって行った。そこにジム・ハーフの活躍が展開する訳だ。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナでの紛争では銃弾や砲弾が飛び交うような実戦に加え、「情報の争い」が間違いなく在った。ボスニア・ヘルツェゴヴィナは米国の「PR企業」と出会って先手を打てたということで、この「情報の争い」を制した訳だ。
或る意味で「酷く怖い話し…」というように思った。ボスニア・ヘルツェゴヴィナを含めた「ユーゴスラビアの紛争」そのものが、「昨日までの普通の隣人同士」が激しく殺し合うようなことで怖ろしいのだが、それに留まらない。情報発信のやり方、見せ方で「白か?黒か?」という話しになって行き、紛争の帰趨や紛争後の復興への支援というような様々なことを「決定付ける?」というようになる訳だ。
或いはこのボスニア・ヘルツェゴヴィナを含めた「ユーゴスラビアの紛争」や、少し前のクウェート侵攻を巡るイラクでの戦闘というような時期から、「戦禍」に伴う「情報」が一層重くなったということなのかもしれない。
本書に登場するボスニア・ヘルツェゴヴィナでの紛争で、<ルーダー・フィン>は「セルビア人の“民族浄化”(エスニッククレンジング)でボスニア・ヘルツェゴヴィナは大変だ!」と訴える発信を展開しているが、それに多用したのはファックスだった。現在はもっと色々なツールが使われて、こういう「求め、訴える」は更に輪が大きくなっているかもしれない。(因みに“民族浄化”(エスニッククレンジング)という表現は、このボスニア・ヘルツェゴヴィナ関係で<ルーダー・フィン>が多用し始め、やがて米国の国務省でも使って定着したようだ。些か「曖昧?」な面も在る表現かもしれないが。)
最近では?「求め、訴える」という話しが在れば「如何しますかぁ!?」となって、何やら「求め、訴える」を「容れる」という話しを演出して、輪を更に大きく「ツクル」かのような動きまで、多少目立つ場合さえ在るのではなかろうか?
何となく思うのは、名前も場所も知られていないような地域での出来事が強く発信され、それに注目してみて、そこから興味が在れば「少し詳しく本でも読もう…」という程度に考えて行動すべきではなかろうか?さもなければ、必要以上に強く反応しなくとも構わないようなきさえする。或いはこういうことを一寸考えてみようというのが「メディアリテラシー」というように呼ばれていることであろうか。
興味深い?怖い?何やら引き込まれるように勢い良く読了したが、酷く複雑な読後感だ。
「やや旧い?」というように見受けられる本でも、内容の重要性が損なわれていないと思える場合が在る。更に「最近の事象の過去事例?」というような内容を含む場合さえ在るとも思う。
そういう本を紐解くのは大変に結構なのだが、「やや旧い?」という本は少々入手し悪い場合も在る。が、評価の高い本で在れば、図書館に在ってアッサリと拝借出来てしまう。
そんな訳で、図書館で拝借した「やや旧い?」という他方で「最近の事象の過去事例?」というような内容を含む価値在る一冊だ。
本書は1991年から1992年頃のボスニア・ヘルツェゴヴィナでの紛争の背後に米国の「PR企業」というモノが在ったという事柄に題材を求めている。
1999年頃にテレビのドキュメンタリー番組を制作すべく取材が重ねられ、国内で放映して好評を博したことを踏まえ、国外向けの英語によるコンテンツも制作したという。それが更に書籍化され、本書は2002年に登場している。
本書の中の「執筆時現在」は2001年後半位と見受けられる。その時点で「十年前…」を振り返るような内容となっている。
扱われているボスニア・ヘルツェゴヴィナでの紛争で30年前、本書の取材で振り返っている時点で20年前と「やや旧い」ということは否定しない。が、最近も「戦禍」の報や「情報の争い」ということが謂われている状況が在る訳で、「最近の事象の過去事例?」というようなことを思った。そこで見出した一冊だ。
ユーゴスラビア連邦が社会主義政権による統治を諦めた後、各共和国が相次いで独立した。1991年にボスニア・ヘルツェゴヴィナも独立した。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナにはモスレム人(オスマン朝がバルカン半島を統治した時代にイスラム教へ改宗した人達の後裔)、セルビア人、クロアチア人等が住んでいる。相対的に数が多いモスレム人が主流を占めるような感になった中、セルビア人はユーゴスラビア連邦に留まることを主張していたという。そしてセルビアの援護を受けたとされるが、セルビア人がモスレム人を攻撃する紛争が始まった。
この紛争が始まった時、「国際的な支援や協力を何とか得て紛争を乗り切る」というように考えたボスニア・ヘルツェゴヴィナ政府はハリス・シライジッチ外務大臣を米国に派遣した。
独立したばかりのボスニア・ヘルツェゴヴィナから単身で米国に乗り込んだシライジッチは何とか米国政府のベーカー国務長官と面会を果たした。
ベーカー国務長官は「世論を味方としながら各国の支持や協力を得なければなるまい」と助言した。そんな時に出会うのが「PR企業」である<ルーダー・フィン>の幹部だったジム・ハーフだった。シライジッチは<ルーダー・フィン>に協力を求め、<ルーダー・フィン>はそれを応諾して業務を請負うこととなった。
「PR企業」とは何か?
日本国内で「PR」とでも言えば、宣伝、広告というようなことを思い浮かべ、そういうのは広告代理店が取扱うというように連想すると思う。米国の場合は少し異なる。
「PR」は「Public Relations」(パブリックリレーションズ)の略で、宣伝、広告というようなことも含むが、そこに留まらない。主体となる個人や団体と、「公」=社会との関係全般を包括するような概念だ。
何事かの情報を発信しようとする場合、単純に宣伝、広告に留まらず、様々な媒体で取上げられるように仕掛けるメディア対策というようなこともあるであろう。発言力や実行力が在る有力な人に接するような活動が必要で、活動に際する様々なアレンジもあるであろう。公に何事かを声明するような場面でのスピーチライター的なことを誰かがすべきであろう。テレビ放送のようなモノに出る場合の話し方や見せ方というようなことで、通の助言も要るであろう。こういうようなことを一切合切行って、主体となる個人や団体と、「公」=社会との関係全般を包括的に助言して動くのが「PR企業」だ。
シライジッチが政府の特命で米国に乗り込んだ時、米国ではボスニア・ヘルツェゴヴィナの名前も場所も知られていないような様相だった。それが「ボスニア・ヘルツェゴヴィナを救え!」ということになり、反対側のセルビアは「極悪…」ということになって行った。そこにジム・ハーフの活躍が展開する訳だ。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナでの紛争では銃弾や砲弾が飛び交うような実戦に加え、「情報の争い」が間違いなく在った。ボスニア・ヘルツェゴヴィナは米国の「PR企業」と出会って先手を打てたということで、この「情報の争い」を制した訳だ。
或る意味で「酷く怖い話し…」というように思った。ボスニア・ヘルツェゴヴィナを含めた「ユーゴスラビアの紛争」そのものが、「昨日までの普通の隣人同士」が激しく殺し合うようなことで怖ろしいのだが、それに留まらない。情報発信のやり方、見せ方で「白か?黒か?」という話しになって行き、紛争の帰趨や紛争後の復興への支援というような様々なことを「決定付ける?」というようになる訳だ。
或いはこのボスニア・ヘルツェゴヴィナを含めた「ユーゴスラビアの紛争」や、少し前のクウェート侵攻を巡るイラクでの戦闘というような時期から、「戦禍」に伴う「情報」が一層重くなったということなのかもしれない。
本書に登場するボスニア・ヘルツェゴヴィナでの紛争で、<ルーダー・フィン>は「セルビア人の“民族浄化”(エスニッククレンジング)でボスニア・ヘルツェゴヴィナは大変だ!」と訴える発信を展開しているが、それに多用したのはファックスだった。現在はもっと色々なツールが使われて、こういう「求め、訴える」は更に輪が大きくなっているかもしれない。(因みに“民族浄化”(エスニッククレンジング)という表現は、このボスニア・ヘルツェゴヴィナ関係で<ルーダー・フィン>が多用し始め、やがて米国の国務省でも使って定着したようだ。些か「曖昧?」な面も在る表現かもしれないが。)
最近では?「求め、訴える」という話しが在れば「如何しますかぁ!?」となって、何やら「求め、訴える」を「容れる」という話しを演出して、輪を更に大きく「ツクル」かのような動きまで、多少目立つ場合さえ在るのではなかろうか?
何となく思うのは、名前も場所も知られていないような地域での出来事が強く発信され、それに注目してみて、そこから興味が在れば「少し詳しく本でも読もう…」という程度に考えて行動すべきではなかろうか?さもなければ、必要以上に強く反応しなくとも構わないようなきさえする。或いはこういうことを一寸考えてみようというのが「メディアリテラシー」というように呼ばれていることであろうか。
興味深い?怖い?何やら引き込まれるように勢い良く読了したが、酷く複雑な読後感だ。
キハ261系ディーゼルカー…(2022.04.14)
朝に…(2022.04.14)
稚内港北防波堤ドーム…(2022.04.14)
公衆電話ボックス…(2022.04.14)
市役所前…(2022.04.13)
読書…(2022.04.09)
↓俄かに図書館利用が増えた昨今…何やら本を写真に収めてしまった…
俄かに話題に上ることが多くなったような事物に関して、関連の基礎的な知識や、そこから拡がり得る話題、少しばかり知っている、または知らないを交えて、適当な本を読んで学んでみるというようなことは有益だと思う。そして必要な事でもあると思う。
「ウクライナ」は「俄かに話題に上ることが多くなったような事物」の最たるモノのように思う。通読したが、なかなかに為になった。
「おわりに」と題された編者の言によると、本書の企画は2011年頃に起こったもので、順次準備を続けていた中で2014年に色々な情勢変化が起こったことから、様子を観ながらそれに関連する事項も盛り込もうとした。そして2018年に登場している。
結果として、また「異常な事態」となっているウクライナに関して「現状の“前史”を含めた様々な事柄を知る一冊」として「現在読む」ということでも好適な内容になっているように思う。
本書は世界中の様々な国や地域の情報を供する「エリア・スタディーズ」と銘打ったシリーズの一冊となっている。様々な分野に通じた執筆者が、各々の得意な話題に関して綴ったモノを集めている。本書の場合、それが65篇なので題名に「65章」と在るのだ。
国旗や国章のことから起こして自然環境や主要な都市の様子という地理系統の事柄、民族や言語や宗教という外国の様子に触れてみようとする場合によく話題になる事柄、古代から近現代までの通史的な事柄、文学から料理やスポーツまでに観光的な事も加えた文化関係の事柄、1990年代の「独立」の後の経過や最近の様々な問題に関連する事柄と、大きく5つの章に65篇が割り振られている。
5つの章の各々が好く、或いは「章毎に分冊にしたリーフレット」的なモノが在っても善いのかもしれないと思った。殊に「1990年代の「独立」の後の経過や最近の様々な問題に関連する事柄」の章に関しては、「ウクライナ」が「異常な事態」になっている「今」であるからこそ、「その“前史”」としてより多くの人が知るべきことだと思った。内容は「知ろうとする」という素人に必要なことであると思った。
「自身に向けたメモ」ということで敢えて要約しておく。
1990年代に「最早“ソ連”が維持出来ない…」ということになり、(少し先に“離脱”のバルト3国を除く)12の共和国が独立した。ユーゴスラビア等で見受けられた武力紛争のようなモノが程無く発生するのでもなく、スムースにスタートは切った。
それでもウクライナはロシア等との摩擦のタネも抱えて、経済運営も苦しかった。そして「脱露入欧」というような路線と「共存」という路線で随分と揺れた。「ウクライナ!」というアイデンティティーも作られ、確立して行くようなプロセスも在った。
2014年の<ユーロマイダン革命>でヤヌコーヴィチ政権が排されてしまった頃、クリミアのロシア「併合」という問題が生じ、ドンバスの紛争が先鋭化した。そしてそうした紛争を巡るウクライナとロシアとの話し合いは、行っては戻りを繰り返し、話が拗れてしまった。そしてクリミアやドンバスの問題だが、既にウクライナの経済活動にネガティヴな影響ももたらしてしまっているという。
というようなことだ…
「1990年代の「独立」の後の経過や最近の様々な問題に関連する事柄」の章では、産業や軍事や、周辺諸国との関係や、日本との関係等の話題も取上げられている。
各章、各々に非常に興味深いが、多彩なモノを含むウクライナは「国」としては未だ新しく、様々な課題を抱えながら色々と努力していて、現在でも色々と愉しい文化的発信も為されている。何処へ進んで行くのか?そういう興味深い地域であるだけに、昨今の「異常な事態」は哀しむべきだ。
哀しむ他方、彼らを少しでも知りたい。そんなことで、偶々出くわしたことを切っ掛けにゆっくりと読んでみた。広く御薦めしたい。
俄かに話題に上ることが多くなったような事物に関して、関連の基礎的な知識や、そこから拡がり得る話題、少しばかり知っている、または知らないを交えて、適当な本を読んで学んでみるというようなことは有益だと思う。そして必要な事でもあると思う。
「ウクライナ」は「俄かに話題に上ることが多くなったような事物」の最たるモノのように思う。通読したが、なかなかに為になった。
「おわりに」と題された編者の言によると、本書の企画は2011年頃に起こったもので、順次準備を続けていた中で2014年に色々な情勢変化が起こったことから、様子を観ながらそれに関連する事項も盛り込もうとした。そして2018年に登場している。
結果として、また「異常な事態」となっているウクライナに関して「現状の“前史”を含めた様々な事柄を知る一冊」として「現在読む」ということでも好適な内容になっているように思う。
本書は世界中の様々な国や地域の情報を供する「エリア・スタディーズ」と銘打ったシリーズの一冊となっている。様々な分野に通じた執筆者が、各々の得意な話題に関して綴ったモノを集めている。本書の場合、それが65篇なので題名に「65章」と在るのだ。
国旗や国章のことから起こして自然環境や主要な都市の様子という地理系統の事柄、民族や言語や宗教という外国の様子に触れてみようとする場合によく話題になる事柄、古代から近現代までの通史的な事柄、文学から料理やスポーツまでに観光的な事も加えた文化関係の事柄、1990年代の「独立」の後の経過や最近の様々な問題に関連する事柄と、大きく5つの章に65篇が割り振られている。
5つの章の各々が好く、或いは「章毎に分冊にしたリーフレット」的なモノが在っても善いのかもしれないと思った。殊に「1990年代の「独立」の後の経過や最近の様々な問題に関連する事柄」の章に関しては、「ウクライナ」が「異常な事態」になっている「今」であるからこそ、「その“前史”」としてより多くの人が知るべきことだと思った。内容は「知ろうとする」という素人に必要なことであると思った。
「自身に向けたメモ」ということで敢えて要約しておく。
1990年代に「最早“ソ連”が維持出来ない…」ということになり、(少し先に“離脱”のバルト3国を除く)12の共和国が独立した。ユーゴスラビア等で見受けられた武力紛争のようなモノが程無く発生するのでもなく、スムースにスタートは切った。
それでもウクライナはロシア等との摩擦のタネも抱えて、経済運営も苦しかった。そして「脱露入欧」というような路線と「共存」という路線で随分と揺れた。「ウクライナ!」というアイデンティティーも作られ、確立して行くようなプロセスも在った。
2014年の<ユーロマイダン革命>でヤヌコーヴィチ政権が排されてしまった頃、クリミアのロシア「併合」という問題が生じ、ドンバスの紛争が先鋭化した。そしてそうした紛争を巡るウクライナとロシアとの話し合いは、行っては戻りを繰り返し、話が拗れてしまった。そしてクリミアやドンバスの問題だが、既にウクライナの経済活動にネガティヴな影響ももたらしてしまっているという。
というようなことだ…
「1990年代の「独立」の後の経過や最近の様々な問題に関連する事柄」の章では、産業や軍事や、周辺諸国との関係や、日本との関係等の話題も取上げられている。
各章、各々に非常に興味深いが、多彩なモノを含むウクライナは「国」としては未だ新しく、様々な課題を抱えながら色々と努力していて、現在でも色々と愉しい文化的発信も為されている。何処へ進んで行くのか?そういう興味深い地域であるだけに、昨今の「異常な事態」は哀しむべきだ。
哀しむ他方、彼らを少しでも知りたい。そんなことで、偶々出くわしたことを切っ掛けにゆっくりと読んでみた。広く御薦めしたい。