北野天満宮…(2022.05.12)

清明神社を訪ねた後、堀川通を北上しながら「北野白梅町」と道路の看板に在った方角へ、多少の雨交じりを物ともせずに歩み続けた。

↓こういう案内板に出くわした…
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↑京都は、この種の「歩行者向け情報提供」というモノが多く見受けられ、歩き廻るには好いと思う。

↓北野天満宮に到った…
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↓境内に入り込んで行く経路の感じが好い…
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↓有名神社では御馴染みな、酒造会社が献納した樽が積まれている様子も見受けられた…
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↓神社の建物を視ると、何やらディーテールに眼が向く場合も在る。
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↓何か厳かな雰囲気が漂うのが好い…久し振りにここでも参拝した…
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最近、京都では「“修学旅行”が戻って来ている」というのが話題であるようだ。北野天満宮のような有名な場所では、何処かからの“修学旅行”と見受けられるグループが散見した。最近は「バス1台」という単位で動いている例の他、「グループ行動」というような感じで動いている様子も多く見掛ける。

↓最初に到ったのは脇の側で、立ち去る際には正面から出た…
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少し以前に読了した『腐れ梅』という小説は、この北野天満宮が起る頃の事に着想を得た時代モノで、なかなか面白かったことを思い出していた。

↓こういう場所に思い付いて足を運ぶようなことは好いと思う…
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posted by Charlie at 07:06Comment(0)京都府

清明神社…(2022.05.12)

偶々、一条通に在る場所への用事に出た。出先で言葉を交わした方と、一条通は何やら「噂」(=霊魂に関すること)が在って、静かな夜に「やや不自然?」という音がすることも無いでもないということに話題が及んだ。

↓そんなことで思い出したのがこの「一条戻橋」である。少し“待ち時間”が生じて、辺りを歩き廻ろうとして、この場所に到ったのだった。
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↑“あの世”と“この世”とを往来する霊魂の通り道であったというような話しが在るらしい橋だが、現在では「普通の道路…」というようにしか視えない。

↓ここまで来ると、この清明神社は近いので立寄ってみた。
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↓境内の入口辺りに、旧い「一条戻橋」のイメージが再現されている。
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↓社殿の側へ歩を進める。
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↓なかなかに好い感じだと思う…
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↓安倍晴明の像が在る…
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安倍晴明は陰陽師として知られていた人物で、この清明神社はその邸の跡に設けられていると聞く…

手近な、または世の中の好ましくないことが、現況以上に悪化しないよう、食い止められるようにというようなことを何となく思いながら、社殿の前で手を合わせた…

小さな社ということになるかもしれないが、何か独特な雰囲気が漂う場所である。

↓それにしても、この清明桔梗の紋が入った鳥居の額は目立つ…
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posted by Charlie at 05:44Comment(0)京都府

金戒光明寺(2022.05.13)

幕末期の会津松平家への関心の故に、「京都守護職」の本陣が設けられた金戒光明寺を訪ねた記憶は在る。かなり以前になると思う。

↓こういうモノを見掛ける機会が在った。「これは!」と雨交じりではあった中、金戒光明寺を訪ねてみることにした。
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金戒光明寺は地下鉄の駅等からはやや離れている。が、東山駅界隈をグルグルと廻って丸太町通辺りに到ると、何やら上記のような案内看板に出くわす。

↓入口に到った…
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↑「京都守護職」の本陣が設けられていた旨、看板が掲出されている。

↓進んで行けば、こういうような案内図が在る…
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↓見上げるような感じの場所に大きな門が設えられている。上記の案内図の境内は小高い丘のような場所の上に築かれているのだ。
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この「小高い丘の上」というのは「城」のような感覚で利用し得るということになる。街の北東部の主要道路等に睨みを利かせる位置でもある。そして千名以上の関係者が滞在して活動することも可能な広い敷地、多数の建物が在ったということで、幕末期の「京都守護職」が「本陣」とした訳だ。

↓上って門を潜ろうとしたが、扁額に注目した。
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扁額には「浄土真宗最初門」と在る。この金戒光明寺は「浄土宗」の寺で、「浄土真宗」ではない。

金戒光明寺は比叡山を下りた法然上人が最初に庵を結んで活動を始めた場とされる。「浄土の教えの真実を最初に広めた場所」というのが「浄土真宗最初門」の意味で、後小松天皇(在位1382-1412)から賜った宸翰(=天皇の直筆)で扁額を設えたのだという。

↓門の下から中の様子が少し覗く…
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↓振り返った感じも美しかった…
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↓こちらで御参りした…
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↓境内にはこういう傾斜も見受けられる…
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↓三重塔も在る…
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↓境内をぐるりと廻って、小高い辺りから下りると、中に入ることは叶わないものの竹林も在った。
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独特な形状の「五劫思惟阿弥陀仏」(ごこうしゆいあみだぶつ)という像會津藩殉難者墓地の「松平容保公」の像のように、殊に強く記憶に残ったモノは別途記事も起こした。この金戒光明寺も、訪ねて興味深い場所である。
posted by Charlie at 21:18Comment(0)京都府

松平容保公:會津藩殉難者墓地:金戒光明寺(2022.05.13)

↓凛々しい武士…それも身分が在りそうな武士だ…
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↑像は松平容保(まつだいらかたもり)(1836-1893)である。幕末期に会津松平家の当主となり、京都守護職として家中の士を率いて入洛し、金戒光明寺を「本陣」として活動した経過が在る。

↓その京都守護職の活動の中で、多くの殉難者が生じていることから、金戒光明寺には墓地が設けられている。そこに立寄ってみた。
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会津松平家に纏わることに興味を覚えたのは、1808年に「北方警固」という動きが在って、家中の士が宗谷へ大挙してやって来たという出来事を伝え聞いたからである。宗谷へ向かう事案の国元での纏め役を務めた人物に関して、『花ならば花咲かん 会津藩家老・田中玄宰』という小説に、少し詳しい。

その「北方警固」の件に触れたことが契機で、会津松平家に纏わる様々なモノを読んだ。一部によく知られるシリーズであるようだが、『会津士魂』というシリーズの文庫本21冊も読了した。この他にも色々である…

そういうように会津松平家に纏わることに色々と触れて思っていることが在る。「官」(=正)と「賊」(=邪)というようなことが「余りにも相対的」というような「世の無常」というようなことに関してである。

幕末期、社会の安寧に責任を負わなければならない幕府の下、京都守護職を務めた会津松平家は懸命の努力で任務を果たし、高い評価を受けた。そして体制が変わったが、そうなると「討伐対象」になり、「賊の首魁」のような扱いになってしまったのだ。『会津士魂』というシリーズは、その無念を訴えるような調子が強いシリーズなのだが。

↓その会津松平家の人達の想いが篭るような松平容保の像は、家中の士が眠る地で静かに端座していた…
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「官」(=正)と「賊」(=邪)というようなことが「余りにも相対的」というような「世の無常」というようなことは、幕末というような時代より後、現在に至っても繰り返し見受けられる様相であるとも思う。色々と考えながら、墓地で静かに祈った…
posted by Charlie at 20:24Comment(0)京都府

勝鬨橋…(2022.05.08)

↓早朝に大江戸線の勝どき駅に到り、出口へ…
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↑とりあえず階段を上れば「勝どき駅前」という交差点で、左へ進むと勝鬨橋に至るということが何となく判った…

↓その勝鬨橋に難無く至った…
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↓近付けば、なかなかに大きい…
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↓河岸に下りて様子を眺めてみた…
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↑全長が246mで幅が22mであるという。隅田川の河口部に近い辺りの橋だ。

日露戦争後、築地と月島とを結ぶ「勝鬨の渡し」が設けられた。やがて交通量の増加を踏まえて架橋計画が持上り、1933(昭和8)年に着工し、1940(昭和15)年に竣工している。

大型船の航行を可能とするため、橋は「可動橋」であり、船が通る時には通行を停めて橋が開いて船が通過するようになっていた。更に路面電車の軌道まで敷設されていて、実際に橋上を路面電車が運行していた。

車輛の交通量が増える中、「可動橋」としての機能は停止している。また路面電車も運行しなくなっている。

↓橋を歩いて渡ってみた…「可動橋」であった時代の、機器を管理、操作する場所と見受けられるモノが在る…
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↓構造物の下を潜ると、反対側にも似たようなモノが在る…
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↓振り返ってみる…画の奥側が勝どきで、手前側は築地だ…
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↓こういう1930年代頃のモノ…何やら美しい…
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この勝鬨橋は1940年頃、「皇紀2600年」というようなことや「(幻の)東京五輪」という盛り上りの中で登場したモノであるようだ。

資料館も設けられている勝鬨橋だが、そんな場所が開館する遥か以前の早朝に訪ねたので、資料館は見られなかったが…

↓以前から関心が在った場所で、立寄る機会を設けられて好かった…
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posted by Charlie at 14:40Comment(0)東京都

吾妻橋…(2022.05.08)

↓「浅草辺りの光景」として或る程度知られている様子であるように思う…或いは、国内の遠い地域や外国で「東京…」とでも聞けば思い浮かべる様子の一つかもしれない…
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↑吾妻橋の浅草側からの眺めだ。

↓佇んで写真を撮った場所が台東区で、特徴的な大きな建物等が視えている対岸側は墨田区であるそうだ…
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↓河岸に下りてみると、向こう側の駒形橋も視えた…
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↓現在の吾妻橋は1931(昭和6)年に竣工したモノだ。関東大震災で傷んだ橋を架け直したのである。
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↑延長が150mで幅は20mということだ…

↓こういう、少し古風な外観の橋梁を訪ねて歩き廻るようなことをしてみるのも、東京での存外に愉しい過ごし方かもしれない等と思いながら吾妻橋を眺めた…
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posted by Charlie at 14:01Comment(0)東京都

GODZILLA ゴジラ…:歌舞伎町:新宿(2022.05.08)

夜行バスに乗車するまでの間、新宿界隈を散策してみようということになった…

JR新宿駅南側から歩き始め、西側を経て東側へ、歌舞伎町の界隈に至った。

旧い記憶に在るような歌舞伎町の界隈ではあるが、随分と御無沙汰しており、少し「知らない場所…」という感じがしないでもなかった。

↓こういう場所に出くわした…
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↑「ゴジラが居る…」と多少驚いた…

↓ゴジラは映画館が入っているビルの辺りに居るのだが、偶々ながら「ウルトラマン」のバナーが建物に下がっていて、少し笑った…
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このゴジラが居る辺りの感じは、「記憶に在るようで、まるで知らない…」という気がする場所だった…
posted by Charlie at 11:42Comment(0)東京都

書斎…:<吉村昭記念文学館>:<ゆいの森あらかわ>(2022.05.08)

↓夥しい書籍等が積上げられた書棚が林立するかのような部屋が再現されている…
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↓「読むべき…」を集めて読み込み、自分なりの「取材の旅」も重ねて作品を綴ったという作家、吉村昭の部屋を再現した場所を訪ねることが叶った。
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吉村昭の作品は色々と、大変に興味深く読んでいる。その吉村昭の記念館に関して知ったのは極最近だった。

↓荒川区の施設の一隅に、「施設の常設的展示スペース」という雰囲気で設置されているのが<吉村昭記念文学館>である。
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吉村昭は現在の荒川区ということになる場所で生まれ育っている。少年時代の事等を何かに綴っていて、現在の荒川区である郷里を愛していたということも知られている。

数々の作品で、吉村昭は高名な作家となった。荒川区では「地元出身の高名な作家のことを紹介する展示施設」という話しが持ち上がり、吉村昭本人に伝えたが御本人は「自身のことに関連して、公的資金で施設など…」と固辞したのだという。

それでも荒川区の側としては、地元に所縁の吉村昭に関して事績や人物を伝える場を設けたいという想いを抱き続けて来た。話し合いが続く中、吉村昭としては「図書館のような施設の中に展示コーナーを設けるというような感じであれば、活動経過や作品等を御紹介頂くことで構わない」と応諾したそうだ。

↓そこで荒川区の図書館も含めた複合的な文化施設である<ゆいの森あらかわ>が登場する際に<吉村昭記念文学館>が設けられることとなったのだ。
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↓入口にこういう具合に<吉村昭記念文学館>の案内が在る訳だ。
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吉村昭の作品は色々と読んでいるのだが、様々な作品を巡って方々へ取材旅行に出た経過というような展示が興味深かった。そして、時季毎にテーマを設けた展示を行うようにしているようだが、現在は『大黒屋光太夫』という作品を巡る事柄の展示であった。大変に興味深く読んだ作品に纏わることで、また作品の主人公となっている大黒屋光太夫に関することも興味深い訳で、大変に愉しく展示を拝見した。

都電の「荒川2丁目」停留所の直ぐ傍に設けられた施設だ。ここを偶々知って、思い付いて訪ねる機会を設けられたというのは大変に幸いだった…
posted by Charlie at 10:24Comment(0)東京都

浅草寺…(2022.05.08)

大江戸線の蔵前駅に近い宿から「浅草寺→」と標識が歩道に在ったことに気付き、好天に誘われて歩いてみた。

↓15分まで掛からなかった気がする…この非常に有名な門の辺りに到った…
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↓日曜日の午前中ではあったが、未だ「朝」という感じな時間帯だったかもしれない。仲見世では開店前も散見する他方、そこそこに人が集まり始めていた感だった。
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↓雷門が視えるような辺りを通ったことは何度も在るように思うが、浅草寺の境内を訪ねた記憶が薄い。訪ねてみようと思った…
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↓何か好天な中で酷く好い趣だと誘われたという気がした浅草寺だった…
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浅草寺は、相当に古くからの信心を踏まえ、武蔵国に下った貴族が伽藍を起し、江戸時代までに様々な人達の庇護を受け、江戸時代の途中からは法親王(輪王寺宮)を代々の山主に迎えていた上野の寛永寺の傘下に入ったのだという。そして周辺は庶民文化が花開く繁華な地ともなって行く。明治期以降の色々な経過も在って、現在でも東京を代表する寺の一つかもしれない。

↓五重塔を仰ぎ見た…
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↓御参りもした…
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↓影向堂(ようごうどう)で御朱印も御願いしたが、そこからの眺めが気に入った。
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「定番」な感じの場所とは言え、意外に「そう言えば?」という程度に、余り確り寄っていないという例は在るように思う。思い付いて立寄るのも存外に好い…
posted by Charlie at 18:17Comment(0)東京都

<BANDAI>…(2022.05.08)

大江戸線の蔵前駅に近い宿に滞在し、所用の前に道草をする等しながら動き始めることにした。

天候も好く、ジーンズ穿きに「チェルニャーシカ」と呼び習わされるボーダー柄の長袖Tシャツというような服装で程好い感じだった。

歩き始めれば「駒形」という住所であった。

↓ビルに掲出された看板に眼が留まった…
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↑<BANDAI>…「模型や玩具の<バンダイ>!?」と思い至った。本社等がこの辺りだったか…

↓歩を進めればこういう具合で、ショールームのようなモノが視えて、戸外に様々なキャラクターが配置されている。
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様々なキャラクターが置かれていた。

↓自身として、最も注目したのはこれだ!
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↓往年の『仮面ライダー』だ…所謂“新1号ライダー”の感じを再現したほぼ等身大のモノが在った。
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↓期せずして彼に出くわしたことが、何やら酷く嬉しかった…
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posted by Charlie at 17:33Comment(0)東京都

帰着…=運行日誌(2022.05.15)

静かな休日の午後という様相で、拙宅の居室に在る。とりあえず戻った…

前夜の宿では「翌朝は寝過ごす訳にも行かない…」と気が張っていたのかもしれない。思ったより短めな睡眠に終始したような気がする。

そういうことも在って、予定どおりに「早朝に旭川を発って、昼に稚内に着く」という普通列車に乗込むことが叶った。

列車は特段に何かが在るのでもなく、或る程度馴染んだとおりに旭川から北上した。途中、雄信内でイベント列車と行違った。他に変わったことと言えば…幌延駅は、土日は駅員を事務室、窓口に配しないことになったらしい。

それでも淡々と列車は動いた…

今般、暫し時間を設けて「特定行動」と号し、東京を経て京都に出て、京都で所用に勤しんで、そこから引揚げて来た。その間、色々な見聞もしている。

見聞したこと等に関して、写真でも撮っていれば、それは出先の宿からでもドンドンとブログの記事にする。順序が整っている必然性を求めずに、ドンドンと思い付いたように記事化しているのがこのブログだ。

そういうやり方で既に色々と出しているが、これから更に記事は増えるであろう。

「特定行動」と号し、東京を経て京都に出ての活動は、事前に何となく想定した様子よりも巧く運んだ感で安堵している。そして関係各位に感謝申し上げたい。今般のように、急に少し纏まった時間を取るようなことは、然程頻繁に繰り返すのでもないかもしれないが、事案との接点は持ち続けることとなるであろう。

実は、明日の一日が休業日だが…何となく、ゆったりとするというのか、或いは「動けない…」と力が抜けてしまっているかもしれない…そういう場合も在るであろう。

旭川駅前にて…(2022.05.14)

色々と在った旅を振り返りながらぼんやりとバス車内に座っていた…何度か利用したことは在ったが、専ら列車で動くのが得意なので、「価格の魅力」で乗り込んだ高速道路を往くバスは少し新鮮では在った。

旭川市内に至って、計4箇所で降車するための停車が設定されている。旭川市内に入る辺りで風雨交じりという感じになって来た。

↓4箇所目の停車だ…旭川駅である…
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↓午後8時を過ぎた頃だ…
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関西空港での待ち時間がやや長くなったが、京都の四条を発ったのは午前10時頃だった。長い一日となった…

↓旭川駅の東口側の馴染んだ様子を眺める…とりあえず休むというだけだ…
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733系電車:<快速エアポート>:札幌駅…(2022.05.14)

新千歳空港に着き、地下のJR新千歳空港駅へ早足で向かった。“ICOCA”で改札を潜り、「もう直ぐ発車」という状態で待機していた<快速エアポート>に乗り込んだ…

↓<快速エアポート>としての運用が多い733系電車…眼に馴染んだような気もする…
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↑「ここまで運んでくれて有難う…」と少し眺めた。

やがて…駅を出てバスターミナルに足を運べば、旭川駅前へ向かうバスが待機中だった。2300円…価格が魅力なので、乗車した。「札幌駅に在った」のは、この「列車からバスへ乗換」の「10分間程度」に終始してしまった。今般、復路で札幌駅を通ったが、往路では通っていない…

新千歳空港へ降下…到着…(2022.05.14)

関西空港で出発を待ち、やがて搭乗した飛行機は上空へ…そして安堵感に包まれて、居眠り交りな時間を機内で過ごした。

↓「降下中…」の旨の放送が入ったようで、眼を開けれは田園風景が眼下に…
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↓午前中までに雨が交り、午後から天候が好転したということらしい。水田と思われる水面が陽射しに輝いている…
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↓5月半ばだ…水田等の農地は生産の時季に入っている訳だ。
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↓やがて街並みが見え始める…
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↓そして着陸だ…
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↓駐機場に着いた…
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↓「ここまで運んでくれて有難う…」と到着した飛行機を振り返った。A320だ…
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ここから地下のJR新千歳空港駅へ急ぎ、待機中の列車に乗り込んだのだった…

関西空港から上空へ…(2022.05.14)

搭乗した機内では、窓側の座席を占めることが叶った…

何やら「雨天後の曇り天から好転している」というような様相の天で、「少し面白い?」と思いながら機窓を覗いていた。

↓低めな雲を突き抜けるように飛行機は上昇した。
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↓人工島が橋で海岸と結ばれている関西空港の形が判り易かった…
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↓具体的な場所が判り悪いが、関西空港に近い沿岸部だ…
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↓大阪府内の上空であろう…
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↓こういう街の営みのような感じを上空から眺めるのも少し面白い…
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こういう具合に上昇すると、何やら「後は…目的地への到着まで寛ぐのみ…」と強く安堵し、何やら居眠り交りに過ごしたのだった。
posted by Charlie at 03:50Comment(0)大阪府

関西空港…(2022.05.14)

↓A320が駐機している様…関西空港の独特な景観の中、何やら画になる…
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↓右側は自身が搭乗するのでもないが、左側に近付いている機材は自身が搭乗するモノである…
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↓離陸へ向けて、ボーディングブリッジを離れ始めた…
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↓指定の滑走路を目指し始めたようだ…
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こういう様子が視えて、写真撮影も出来るという様子…何となく好きだ…
posted by Charlie at 22:42Comment(0)大阪府

「四条」から「4条」へ独り…=運行日誌(2022.05.14)

漢字2文字で「四条」と綴り、「しじょう」と読む場所から移動して到った辺りでは、「4条」と数字を使う場合も目立ち、「よじょう」と読む。

「四条」(しじょう)は京都で、「4条」(よじょう)は旭川だ…独り、長い道程を北上し、「多少は勝手を知った(つもりになっている)他所」という認識の旭川に到り、些か馴染んだ旭川駅東口の宿で寛いで居る。

京都辺りでは15℃を超えて20℃を伺うような様相だったが、旭川では10℃を挟む気温のようだ。京都でも「半袖Tシャツにデニムのジャケット」という装い、時に「Tシャツのみ」ではあった。旭川では「Tシャツのみ」は「やや寒い…」かもしれない。

北海道内から京都を訪ねる場合、「関西空港・新千歳空港」のフライトを利用するのはポピュラーかもしれないが、「京都・関西空港」の経路等に関しては色々と好みが判れると思う、「京都」に関しては「名古屋に上陸して新幹線を利用」という選択肢も意外に好いという話しも在る。

今般、京都から関西空港へ移動した。

阪急の列車で烏丸駅から桂駅を経て淡路駅へ向かった。淡路駅から地下鉄直通の普通列車で天下茶屋駅に着く。天下茶屋駅から南海の列車に乗り込む。堺駅で関西空港駅に向かう急行に乗り換えられたので、それに乗り込んだ。概ね2時間15分程度を要した気がするが、1700円で釣銭が生じるというような価格で辿り着く。意外に気に入ってしまった…

今般は、航空券そのものの価格の安さを優先して選んだので関西空港を使う形になった。「価格の安さ」を優先するにしても、一度余り愉しくなかった便が在ったので、その航空会社は度外視し、幾つか見出した選択肢から択んだ次第だが。

新千歳空港からは列車で札幌駅へ出て、札幌駅で直ぐに都市間バスに乗車して旭川駅周辺へ動いた。故に札幌駅辺りには「10分少々」しか居なかった…

何やら「只管に移動」で終始した一日だった…今般は色々と在って、込み上げる想いも強い…が、それはそれとして、現在は「明早朝に備えて寛ぐ…」ということに尽きる感だ…

<モス野菜バーガー>…(2022.05.13)

↓今出川駅に近いモスバーガーに立寄って、一寸ハンバーガーを頂いたという場面での、如何でも構わないような1枚の写真を記事に載せておきたい。
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↑同行者を伴って「何処かで少し座って話す等しよう」としていた時、眼に留まったモスバーガーが、交っていた雨も少し強まっていた中で利用し易かったので立ち寄ったというだけの話しなのだ。

同行者はモスバーガーのチェーンを知らず、何となく「初めて」という感じだった。「定評が高いので覚えておくと好い」という程度の話しをしたが、「初めて!」の方に、カフェラッテとこの<モス野菜バーガー>は大好評だった。何やら色々なバーガーが在って、「初めて!」で判らない同行者は「何でも構わないから…」と言い出し、「然らば…」と頼んだのが<モス野菜バーガー>だった。サラダ風な野菜に合うソースと、ハンバーグがバンズに挟まったモノで、諄い感じでもなく野菜と肉とパンのバランスが実に好いのだ。

京都の街を離れる前夕という中でここに立寄った。

「徒手空拳」という状態であった友人が、必要と見受けられる支援を受けられるように「縁」を結ぼうと動いていた。既に「縁」に「導かれる」というような感で、友人は生き生きと活動を始めることが叶った。既に活動を始めた友人と夕刻に落ち合った。滞在先まで地下鉄で一緒に行けば、何やら別れ難い気分が高まり、多少辛い。そこで、友人が滞在する場所の手前、自身が滞在する場所の最寄駅で下車し、地下鉄車内でさり気なく分かれようという話しにした。それでも「少し話そう…」ということで、道草した。

友人が生き生きと活動を始めることが叶うよう、扉を開けて「ここがスタート地点だ…」という場所まで送り届けた。以降は友人自身が一歩ずつ踏み出して行く筈だ。本当に善かったと思っている。「大きなチャンスを得た」と、生き生きと活動に臨もうとする友人の様子は、凄く嬉しく、密かに目頭が熱くなる。

友人は道が開かれようとしていることを喜んでくれていた。「感謝!」と言うが、「如何ということでもない。出発地点まで来た。後は“進め!”で、進むのは君自身の事柄だ…」とした。そして「アレは如何する?コレは如何なる?それから…と色々と出て来るかもしれないが、一つ間違いないのは“断じて慌てるな!”ということだ。出来そうなことを可能なようにやって、行動と事実が積み重ねられる中で事案は少しずつ動く筈である。どんな事案であれ、何かにつけて、とりあえず時間ばかり要するのが寧ろ普通だ…」というような話し、「断じて慌てるな!」が友人には記憶に残ったようだ。所詮は「なるようにしかならない…」という中で、少しなりとも好いモノを掴もうとするのが人生なのかもしれない。

活動を始めようとする友人を関係先の皆さんに引き合わせようと御案内した際、「何やら自身が“お父さん”のような??」という苦笑いが漏れた。友人の側でも「アレは如何する?コレは如何なる?それから…」という考えが頭を過った時、「そうだった…“断じて慌てるな!”だ。出来る行動と、それによって生じる事実を重ねていると、何時か悪くない方向に事案が動く筈…」という自身との話しを「“お父さん”の遺訓」のように思い出したという。

自身は友人よりもやや大きく年長であるとは思うが、と言って「親子の年齢差」という程でもない。しかし、友人が自身の助言を「“お父さん”の遺訓」のように感じてくれているなら、それはそれで悪くもない。で在れば?やや遠くの街で頑張る子を応援することを続けなければなるまい。

如何でも構わないようなハンバーガーの写真に、何やら大きな想い出が籠った。こういうことも在る…

地元へ引揚げる長い道程に入る前に、これをここに掲出しておきたかった…
posted by Charlie at 09:47Comment(0)京都府

稚内駅にて…(2022.05.07)

↓「特定行動」等と号して動くべく、早朝の稚内駅に向かったのだった…
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↓些か寒々しいという感じは否定し悪かった…
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↓早朝の列車の場合、自販機で車内用の飲物を求めておくのも忘れるべきではない…
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↓目指した旭川駅は259㎞先だ…
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↓旭川から飛ぶが、この日に到達しようとしていた東京は1500㎞も先だ…
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↓踏切周辺を徘徊していたエゾシカに阻まれたような感も在りながら、列車はゆっくりと稚内駅に姿を見せた…
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↓出発に備える…
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↓名寄へ向かう使用車輛はキハ54の501号車だった。
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↓乗り込んだ…身軽な荷物で動く…
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↓棚に荷物を載せる…
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↓カメラ等を容れたバッグは手近に置く…
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↓自販機で求めた缶珈琲を置いて、発車を待った…
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そして南下したのだが…ほんの少しだけ時間が経つと、何か「凄く旧い話し」というような気にもなってしまう…

ジャガイモとトマトのバターチキンカレー+海老マスタードクリームカレー…:<そらいち>:旭川空港(2022.05.07)

↓ほんの少し以前に頂いた一皿が酷く懐かしくなっていることに思い至る…
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↑メインがチキンカレーで、小鉢の海老カレーを添える形で御願いした一皿だった…

↓こういう具合のメニューが掲げられ、色々な組み合わせから御願いする。カレーの御店だ…
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↓所謂“フードコート”方式で、頼んだ料理が出来るまで、こういう「ブザー」を手に、席に陣取って待つ訳だ…
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↓「ブザー」で呼ばれると、こういう具合に料理を受け取る…
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実は今般、「初めて!」なのだったが、旭川空港を利用した。

↓ビル内に、食事を摂ることが叶う<そらいち>というフードコートが設けられているのだ。
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今般、初めての旭川空港利用であったが、何か使用感が好いので、今後も利用するかもしれないと思った…

ところで…この旭川空港での一皿の後、カレー系統の料理は何となく御無沙汰になってしまっていた…

店の前…(2022.05.07)

↓コンビニの店の前に何となく佇み、ふと写真に収めた様子だ…
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↑以前は「コンビニの店の前」と言えば、この画のように或る程度分別して捨てるようになっているゴミ箱が在って、脇に灰皿というのが普通であった気がする。最近は?余りこういう感じを視掛けなくなったかもしれない。

稚内から南下し、名寄で列車を乗り換える際、何となく駅周辺のコンビニに立寄った。暫く出先に在って、この「名寄駅近くのコンビニ」という様子が、何か「妙に懐かしい…」というような気分にもなって来た…

南禅寺の水路閣(2022.05.13)

所用で立寄ろうとしていた場所の近くに「そう言えば以前に立寄ったアレが在った」と思い出し、「立寄れば、随分と久し振りということに…」と想いが巡った。

↓名刹南禅寺の一隅である…
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↓アーチ構造を組合わせて煉瓦で造ったモノだ…
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↓琵琶湖から京都への水路、<疎水>の一部を成すモノで水を通す水道橋で、<水路閣>と呼ばれている。
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↓「各々の時代の新しいモノ」が折り重ねられて現在に至っているのが京都である。こういう明治時代のモノも面白い…
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posted by Charlie at 07:49Comment(0)京都府

<京都伝統産業ミュージアム>…(2022.05.13)

↓「コンベンションセンター」と言うのか?展示会、見本市、会議等を催す施設のようだ。<みやこめっせ>と呼ばれる。
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この場所を通り掛かり、少し前に読んだ本に言及が在った事項を思い出した。

↓建物の地下1階に設けられているというこの<京都伝統産業ミュージアム>が何やら面白そうなのだ。
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実を言えば…些かの雨交りで着衣が濡れていたので、屋内に入って一息入れたかったということも在ったのだった。

↓階段を下りた辺りらしい…
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↓通路に館内展示を想起させるような、少しアーティスティックにも視える写真が飾られている…
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↓硝子の向こうが展示だ…
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↓「入場無料」で入ってみれば、74種類の「伝統産業」に纏わることを展示している旨が示されている。
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「伝統産業」?地域に伝わる「職人仕事」というように解釈すべきであろう。

↓実に多種多様なモノが紹介されている。
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カメラを提げた状態で見学していたが、展示場内に在った係の方が「写真は撮って構いません」と声を掛けて下さった。「そうですか…」と思えば…

↓和楽器関係の様々な部材や消耗品を造るという技術が受継がれているという展示に当たった。
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↑実は少し前に、やや古い時代劇ドラマを視る機会が在って、そこに「三味線の糸」が登場するのを思い出して、何となく「面白い!」と写真に撮ってしまったのだった。

↓鮮やかな焼き物が非常に多くの過程を経て完成するという展示が興味深いと思った。
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↓仏壇の“りん”だが、並んでいるモノ各々の音色が違う。音楽が得意な人なら、こういうので何やら演奏が出来てしまうかもしれない。
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↑概して小さ目なモノは音が甲高く聞こえるが、そのニュアンスが少しずつ違うような気がした。仏壇や仏具の製造も、京都に伝えられる伝統技術の典型例だという。

↓少し古くからの建物で、屋根等に鐘馗様が飾られている例が見受けられるのだが、そういうモノの製造も受継がれている。
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↓何か「昔の御姫様が愉しんでいた…」という感じがするが、“貝合わせ”である。美しい画を着ける訳だが、この種の技術も確り伝えられているようだ。
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眼に留めて写真も撮ったモノ以外にも、様々な展示が興味深い。そして「歩き廻る途中で気軽に…」という具合に立寄ることも叶う。記憶に留め、再訪してみたいような場所だ。

>>『深ぼり京都さんぽ』
posted by Charlie at 06:53Comment(0)京都府

煙草店の店頭の公衆電話…(2022.05.13)

↓煙草店の前に、何やら年季が入った看板だ…
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↓少し「昔風…」な感じで、何か「懐かしい…」というような気がする感じだ…
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↓こんな公衆電話…「余り視掛けない?」という感じになった。
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今般の京都滞在の中、同行者と動き回っていて、立寄った先で京都在住の友人と出くわし、同行者と友人とも意気投合したので、自身を含めて3人でこの辺りを少し歩いた場面が在った。「一寸、電話照会をすべき事柄が…」ということになり、「如何しましょう?」と話していた時、この場所に至った。そこで「待っとけ…電話を架ける…」と自身は硬貨を引っ張り出して電話を架け、電話照会をすべき事柄を解決した。

と、3人で何となく顔を見合わせて笑った。「こういう電話から架けて、用事を足してしまったという話しを余り聞かない…この電話機を実際に使っている場面を前に視たのは何時だったであろう?」という話しになった。そして少し歩いた後だったので、灰皿が確り在ることを幸いに一息入れていた…

↓期せずして同じ場所を再度通り掛かった。事案の中でそれなりに大切な事柄を照会する電話を架け、事柄が巧く動く契機を生み出してくれた「想い出の公衆電話」となった代物だ。何となく写真に収めてしまった…
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それにしても…こういう街角の雰囲気…少数派になっているかもしれない…
posted by Charlie at 02:01Comment(0)京都府

段落…=運行日誌(2022.05.13)

四条烏丸の宿の居室に在って、何やら日付が変わった中で前日や「ここまで」を振り返るような感だ。

前日も結局は「バタン…」と早めに休み、日付が変わる少し前に眼が開き、再度眠ろうとして果たせず「そのうちに…」とまた起き出してみている訳だ。

前日は何時の間にか雨交りになり、雨交りが日中を通じて継続し、夕刻には少し雨が強めになっていた。着衣が濡れてしまっていたので、とりあえず居室で脱いで、宿の部屋着に替え、そのまま休んでいるような状態であるので「その後の雨」に関しては承知していないが。

一つ所用は在ったが、気忙しく走り回る必要が在るという程でもない。雨交りは動き悪いが、それはそれとして街を少し動き回ってみた。

偶々、滞在中に案内表示を視掛けて金戒光明寺を訪ねてみたくなり、訪ねてみた。

金戒光明寺は比叡山を下りた法然上人が最初に庵を結んだとされる場に在るという、古い由緒を誇る浄土宗の寺だ。「黒谷」または「くろ谷」という通称も知られているようだ。

この金戒光明寺は街の北東寄りに在って、地形の感じが“城”という様相も呈し、境内地も狭くはなく、多くの人達が滞在することも叶う条件だ。そうしたことから、幕末期に<京都守護職>として約1千人の将士を引き連れて京都に乗り込んだ会津松平家の松平容保の本陣が置かれた。

<京都守護職>というのは、「特別治安警察」というような役目だ。

江戸時代を通じ、警察的な役目を担う機構は在ったが、それ程大掛かりな陣容で在ったのでもない。町の自治的な機能が存外に充実していて、そうした機構と当局とが或る程度連携して、人々の安寧が維持されるような感であった。時代が下って、古い時代には想定し悪かった状況が生じ、色々な役職が設けられるようなことになった一面も在るのだが、幕末期の京都で見受けられたような、現在の用語で言う「テロ事案」のようなことや、何らかの思想を掲げての攻撃的行動が目立つようになれば「対応困難…」に陥ってしまう。

そういうことで<京都守護職>が設けられた。「幕府を扶ける」が「存在し、存続する理由」というような考え方を護り続けた誇り高き会津松平家は、この<京都守護職>を懸命に務めた。その関係者達が在った金戒光明寺だ。

松平容保は孝明天皇にも「懸命な努力で都を護ってくれている」として、当時の京都に出入りしたどの大名よりも信認されていたようだ。混乱を拡げるような恐るべき計画を挫くとか、大被害は免れなかったものの、内乱になってしまいかねない戦いで勇戦したのだから。が…少し後の戊辰戦争では「賊軍の首魁」呼ばわれである…

幕末の会津松平家の物語というような事を思い出すと、時代や場所を問わず、何か「正義」というようなモノが「簡単に表裏入れ替わる…」というようなことに思い至ってしまう。

その後は<京都伝統産業ミュージアム>、<京都写真美術館>と入場無料の施設を興味深く拝見した。

<京都伝統産業ミュージアム>は、所謂「職人仕事」を紹介する場所で、なかなかに興味深かった。

<京都写真美術館>は、嘗ては料理店であった場所を利用した写真等の展示スペースだ。開催中であったのは徳島県の写真家による、文楽や彼の地に受継がれる人形劇で使うモノに関する写真展だった。興味深く拝見し、写真家や居合わせた方と懇談した。

やがて所用に向かった。場所が近かったので、南禅寺水路閣を少し眺めた。そして所用である。

大変に有難いことに、取組んでいる事案は事前に想像していた以上に順当に進んでいる。「徒手空拳」という状態であった友人が、必要と見受けられる支援を受けられるように「縁」を結ぼうと動いていた。既に「縁」に「導かれる」というような感で、友人は生き生きと活動を始めることが叶った。

既に活動を始めた友人と夕刻に落ち合った。滞在先まで地下鉄で一緒に行けば、何やら別れ難い気分が高まり、多少辛い。そこで、友人が滞在する場所の手前、自身が滞在する場所の最寄駅で下車し、地下鉄車内でさり気なく分かれようという話しにした。

それでも「少し話そう…」ということで、今出川駅に近い<モスバーガー>に小一時間の寄道をした。友人は偶々<モスバーガー>が初めてだったということだが、「モス野菜バーガー」とカフェラッテが凄く美味しいと喜んでいた。評価の高いチェーン店なので、覚えておくと好いかもしれないということを話題にした。

友人が生き生きと活動を始めることが叶うよう、扉を開けて「ここがスタート地点だ…」という場所まで送り届けた。以降は友人自身が一歩ずつ踏み出して行く筈だ。本当に善かったと思っている。「大きなチャンスを得た」と、生き生きと活動に臨もうとする友人の様子は、凄く嬉しく、密かに目頭が熱くなる。

「特定行動」と号した今般の動きは無事に段落した。とりあえず「北上」を始めることになる…

五劫思惟阿弥陀仏:金戒光明寺(2022.05.13)

↓「妙な“被り物”??」というのか、「大胆なアフロヘア―」というのか、不思議な形の頭をした仏像だ…
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↓「五劫思惟阿弥陀仏」(ごこうしゆいあみだぶつ)という像であるという。
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↑「妙な“被り物”??」というのか、「大胆なアフロヘア―」というのか、不思議な形の頭は頭髪(螺髪)(らほつ)なのだという。

諸々の衆生を救わんと「五劫」という永い間に亘り、只管に思惟を凝らし、四十八願を立てて修行をしたという阿弥陀仏ということが「無量寿経」に在るのだという。その「五劫思惟」の姿を現したというのがこの像であるという。

「一劫」というのは「四十里立方(約160km)の大岩に天女が三年に一度舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなるまでの長い時間」のことなのだという。岩を衣で撫でて、どの程度の岩が削られるというのか??衣で撫でて、やがて岩が無くなるとすれば、それは途方もない長い時間だ。「五劫」となれば、その「一劫」の5倍だ…

気の遠くなるような長い時間、思惟を凝らして修行に打ち込んだ結果、髪の毛が伸びて渦高く螺髪を積み重ねた頭となってしまった様子がこの像なのだという。

↓不思議な像だが、全国でこの「五劫思惟阿弥陀仏」(ごこうしゆいあみだぶつ)という像は16体程に留まるのだという。
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↑制作時期は不詳らしいが、「江戸時代中期」と目されているそうだ。石像である。

↓不思議な姿が人気なので、場所を案内する看板も掲出されている。
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金戒光明寺は、比叡山を下りた法然上人(1133年-1212年)が最初に庵を結んだ場所が寺となって行ったとされる。浄土宗の寺だ。
posted by Charlie at 19:33Comment(0)京都府

「武人」:埴輪像:成田空港…(2022.05.08)

↓「不思議な像?」と見入った…
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何度も視ている筈だが、余り気に掛けたことも無かった。成田空港第二ターミナル地下の鉄道駅の出入口辺りに据えられている…

↓近隣の芝山町から寄贈された旨のプレートも据えられていた…
08-05-2022 XPro2 (95)
↑芝山町で出土した埴輪をモデルに制作したモノということだ。

↓見過ごし勝ちかもしれない辺りに、意外に面白いモノが在るものだ…
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posted by Charlie at 07:38Comment(0)千葉県

錦天満宮…(2022.05.10)

朝、四条河原町辺りから三条の側へ北上すべく商店街になっている場所を歩いた。色々なモノが在って、朝の静かな時間でも何やら歩くのが愉しい場所だと思う。

↓こういう具合に神社が設けられている…
10-05-2022 XPro2 (1)

もう少し賑やかな時間帯に通り掛かって立寄ったという経過も在ったが、こういう「静かな朝の風情」も凄く好い…
posted by Charlie at 07:24Comment(0)京都府

<羅城門>:「10分の1」の模型…:JR京都駅(2022.05.12)

JR京都駅では、新幹線の列車に乗降する南側の八条口に対し、北側の烏丸口は「街へ連なる」という感のような感じに見受けられる。「京都」というのは「都心」が判り悪いかもしれない。様々な経過、色々な事由で、各々に繁華な場所が幾つも見受けられるのだ。

JR京都駅周辺は「交通の結節」という意味で繁華であるが、京都の礎となる“平安京”の「入口」であった辺りからも然程遠くはない場所だ。

↓そのJR京都駅の烏丸口辺りでこんなモノを視掛け、思わず足を停め、提げていたカメラを使った…
12-05-2022 XPro2 (66)
↑随分と手が込んだ模型で、見入ってしまった…

これは「平安京の出入口」として在ったと伝えられる<羅城門>を「10分の1」の模型として造ったモノであるという。1994年に「建都1200年」ということで、色々な分野の職人が参加して製作したモノとのことだ。

何やら凄く興味深い…
posted by Charlie at 06:36Comment(0)京都府

<HRC Kyoto>のデニムジャケット…(2022.05.11)

↓何となく写真に収めてしまった…
11-05-2022 XPro2 (54)

2020年8月に入手の代物である。「Hard Rock Cafe KYOTO」とロゴマークが刺繍されている。現在は、小さなアイロンを使って貼るワッペンを貼ってみている。

↓正面は至って普通なデザインだ…
11-05-2022 XPro2 (56)

<HRC Kyoto>は“事情”による急激な集客減等の要因と見受けられるのだが、既に閉店になってしまっている。今般、偶然出くわした京都在住の友人が同行者とも意気投合して、少し御一緒した際、自身が引っ掛けていたこのジャケットに、店が営業していた頃を知っている友人が「あっ!<ハードロック京都>!?」と反応したのだ。

自身では2020年12月に立寄る機会が在ったのだが、その少し後の閉店で、それが「最後の機会」になってしまっていた。祇園白川の旧い建物の外観をそのままに、出入口にロゴマークを染め抜いた暖簾を提げていて、中に入ると少し渋い感じながらも、世界各国の都市で親しまれている<HRC>という感じだった。往時を知っている友人と、そういう話しを、往時を知らない同行者に紹介する等していた。友人の観方では、国外からの来訪者の間で殊更に人気が高かった店で、国外からの旅客が途切れ、飲食店業全般が“事情”で低迷を強いられた中で、営業継続困難ということになったのかもしれないということである。

何れにしても、京都で求め、稚内へ持ち帰って自身で着用しているジャケットが、京都へ「里帰り」ということになる。今般、偶々ながらも、友人との話題にもなった。何となくこのジャケットへの愛着が高まった…
posted by Charlie at 06:13Comment(0)京都府