↓A320が駐機している様…関西空港の独特な景観の中、何やら画になる…
↓右側は自身が搭乗するのでもないが、左側に近付いている機材は自身が搭乗するモノである…
↓離陸へ向けて、ボーディングブリッジを離れ始めた…
↓指定の滑走路を目指し始めたようだ…
こういう様子が視えて、写真撮影も出来るという様子…何となく好きだ…
「四条」から「4条」へ独り…=運行日誌(2022.05.14)
漢字2文字で「四条」と綴り、「しじょう」と読む場所から移動して到った辺りでは、「4条」と数字を使う場合も目立ち、「よじょう」と読む。
「四条」(しじょう)は京都で、「4条」(よじょう)は旭川だ…独り、長い道程を北上し、「多少は勝手を知った(つもりになっている)他所」という認識の旭川に到り、些か馴染んだ旭川駅東口の宿で寛いで居る。
京都辺りでは15℃を超えて20℃を伺うような様相だったが、旭川では10℃を挟む気温のようだ。京都でも「半袖Tシャツにデニムのジャケット」という装い、時に「Tシャツのみ」ではあった。旭川では「Tシャツのみ」は「やや寒い…」かもしれない。
北海道内から京都を訪ねる場合、「関西空港・新千歳空港」のフライトを利用するのはポピュラーかもしれないが、「京都・関西空港」の経路等に関しては色々と好みが判れると思う、「京都」に関しては「名古屋に上陸して新幹線を利用」という選択肢も意外に好いという話しも在る。
今般、京都から関西空港へ移動した。
阪急の列車で烏丸駅から桂駅を経て淡路駅へ向かった。淡路駅から地下鉄直通の普通列車で天下茶屋駅に着く。天下茶屋駅から南海の列車に乗り込む。堺駅で関西空港駅に向かう急行に乗り換えられたので、それに乗り込んだ。概ね2時間15分程度を要した気がするが、1700円で釣銭が生じるというような価格で辿り着く。意外に気に入ってしまった…
今般は、航空券そのものの価格の安さを優先して選んだので関西空港を使う形になった。「価格の安さ」を優先するにしても、一度余り愉しくなかった便が在ったので、その航空会社は度外視し、幾つか見出した選択肢から択んだ次第だが。
新千歳空港からは列車で札幌駅へ出て、札幌駅で直ぐに都市間バスに乗車して旭川駅周辺へ動いた。故に札幌駅辺りには「10分少々」しか居なかった…
何やら「只管に移動」で終始した一日だった…今般は色々と在って、込み上げる想いも強い…が、それはそれとして、現在は「明早朝に備えて寛ぐ…」ということに尽きる感だ…
「四条」(しじょう)は京都で、「4条」(よじょう)は旭川だ…独り、長い道程を北上し、「多少は勝手を知った(つもりになっている)他所」という認識の旭川に到り、些か馴染んだ旭川駅東口の宿で寛いで居る。
京都辺りでは15℃を超えて20℃を伺うような様相だったが、旭川では10℃を挟む気温のようだ。京都でも「半袖Tシャツにデニムのジャケット」という装い、時に「Tシャツのみ」ではあった。旭川では「Tシャツのみ」は「やや寒い…」かもしれない。
北海道内から京都を訪ねる場合、「関西空港・新千歳空港」のフライトを利用するのはポピュラーかもしれないが、「京都・関西空港」の経路等に関しては色々と好みが判れると思う、「京都」に関しては「名古屋に上陸して新幹線を利用」という選択肢も意外に好いという話しも在る。
今般、京都から関西空港へ移動した。
阪急の列車で烏丸駅から桂駅を経て淡路駅へ向かった。淡路駅から地下鉄直通の普通列車で天下茶屋駅に着く。天下茶屋駅から南海の列車に乗り込む。堺駅で関西空港駅に向かう急行に乗り換えられたので、それに乗り込んだ。概ね2時間15分程度を要した気がするが、1700円で釣銭が生じるというような価格で辿り着く。意外に気に入ってしまった…
今般は、航空券そのものの価格の安さを優先して選んだので関西空港を使う形になった。「価格の安さ」を優先するにしても、一度余り愉しくなかった便が在ったので、その航空会社は度外視し、幾つか見出した選択肢から択んだ次第だが。
新千歳空港からは列車で札幌駅へ出て、札幌駅で直ぐに都市間バスに乗車して旭川駅周辺へ動いた。故に札幌駅辺りには「10分少々」しか居なかった…
何やら「只管に移動」で終始した一日だった…今般は色々と在って、込み上げる想いも強い…が、それはそれとして、現在は「明早朝に備えて寛ぐ…」ということに尽きる感だ…
<モス野菜バーガー>…(2022.05.13)
↓今出川駅に近いモスバーガーに立寄って、一寸ハンバーガーを頂いたという場面での、如何でも構わないような1枚の写真を記事に載せておきたい。
↑同行者を伴って「何処かで少し座って話す等しよう」としていた時、眼に留まったモスバーガーが、交っていた雨も少し強まっていた中で利用し易かったので立ち寄ったというだけの話しなのだ。
同行者はモスバーガーのチェーンを知らず、何となく「初めて」という感じだった。「定評が高いので覚えておくと好い」という程度の話しをしたが、「初めて!」の方に、カフェラッテとこの<モス野菜バーガー>は大好評だった。何やら色々なバーガーが在って、「初めて!」で判らない同行者は「何でも構わないから…」と言い出し、「然らば…」と頼んだのが<モス野菜バーガー>だった。サラダ風な野菜に合うソースと、ハンバーグがバンズに挟まったモノで、諄い感じでもなく野菜と肉とパンのバランスが実に好いのだ。
京都の街を離れる前夕という中でここに立寄った。
「徒手空拳」という状態であった友人が、必要と見受けられる支援を受けられるように「縁」を結ぼうと動いていた。既に「縁」に「導かれる」というような感で、友人は生き生きと活動を始めることが叶った。既に活動を始めた友人と夕刻に落ち合った。滞在先まで地下鉄で一緒に行けば、何やら別れ難い気分が高まり、多少辛い。そこで、友人が滞在する場所の手前、自身が滞在する場所の最寄駅で下車し、地下鉄車内でさり気なく分かれようという話しにした。それでも「少し話そう…」ということで、道草した。
友人が生き生きと活動を始めることが叶うよう、扉を開けて「ここがスタート地点だ…」という場所まで送り届けた。以降は友人自身が一歩ずつ踏み出して行く筈だ。本当に善かったと思っている。「大きなチャンスを得た」と、生き生きと活動に臨もうとする友人の様子は、凄く嬉しく、密かに目頭が熱くなる。
友人は道が開かれようとしていることを喜んでくれていた。「感謝!」と言うが、「如何ということでもない。出発地点まで来た。後は“進め!”で、進むのは君自身の事柄だ…」とした。そして「アレは如何する?コレは如何なる?それから…と色々と出て来るかもしれないが、一つ間違いないのは“断じて慌てるな!”ということだ。出来そうなことを可能なようにやって、行動と事実が積み重ねられる中で事案は少しずつ動く筈である。どんな事案であれ、何かにつけて、とりあえず時間ばかり要するのが寧ろ普通だ…」というような話し、「断じて慌てるな!」が友人には記憶に残ったようだ。所詮は「なるようにしかならない…」という中で、少しなりとも好いモノを掴もうとするのが人生なのかもしれない。
活動を始めようとする友人を関係先の皆さんに引き合わせようと御案内した際、「何やら自身が“お父さん”のような??」という苦笑いが漏れた。友人の側でも「アレは如何する?コレは如何なる?それから…」という考えが頭を過った時、「そうだった…“断じて慌てるな!”だ。出来る行動と、それによって生じる事実を重ねていると、何時か悪くない方向に事案が動く筈…」という自身との話しを「“お父さん”の遺訓」のように思い出したという。
自身は友人よりもやや大きく年長であるとは思うが、と言って「親子の年齢差」という程でもない。しかし、友人が自身の助言を「“お父さん”の遺訓」のように感じてくれているなら、それはそれで悪くもない。で在れば?やや遠くの街で頑張る子を応援することを続けなければなるまい。
如何でも構わないようなハンバーガーの写真に、何やら大きな想い出が籠った。こういうことも在る…
地元へ引揚げる長い道程に入る前に、これをここに掲出しておきたかった…
↑同行者を伴って「何処かで少し座って話す等しよう」としていた時、眼に留まったモスバーガーが、交っていた雨も少し強まっていた中で利用し易かったので立ち寄ったというだけの話しなのだ。
同行者はモスバーガーのチェーンを知らず、何となく「初めて」という感じだった。「定評が高いので覚えておくと好い」という程度の話しをしたが、「初めて!」の方に、カフェラッテとこの<モス野菜バーガー>は大好評だった。何やら色々なバーガーが在って、「初めて!」で判らない同行者は「何でも構わないから…」と言い出し、「然らば…」と頼んだのが<モス野菜バーガー>だった。サラダ風な野菜に合うソースと、ハンバーグがバンズに挟まったモノで、諄い感じでもなく野菜と肉とパンのバランスが実に好いのだ。
京都の街を離れる前夕という中でここに立寄った。
「徒手空拳」という状態であった友人が、必要と見受けられる支援を受けられるように「縁」を結ぼうと動いていた。既に「縁」に「導かれる」というような感で、友人は生き生きと活動を始めることが叶った。既に活動を始めた友人と夕刻に落ち合った。滞在先まで地下鉄で一緒に行けば、何やら別れ難い気分が高まり、多少辛い。そこで、友人が滞在する場所の手前、自身が滞在する場所の最寄駅で下車し、地下鉄車内でさり気なく分かれようという話しにした。それでも「少し話そう…」ということで、道草した。
友人が生き生きと活動を始めることが叶うよう、扉を開けて「ここがスタート地点だ…」という場所まで送り届けた。以降は友人自身が一歩ずつ踏み出して行く筈だ。本当に善かったと思っている。「大きなチャンスを得た」と、生き生きと活動に臨もうとする友人の様子は、凄く嬉しく、密かに目頭が熱くなる。
友人は道が開かれようとしていることを喜んでくれていた。「感謝!」と言うが、「如何ということでもない。出発地点まで来た。後は“進め!”で、進むのは君自身の事柄だ…」とした。そして「アレは如何する?コレは如何なる?それから…と色々と出て来るかもしれないが、一つ間違いないのは“断じて慌てるな!”ということだ。出来そうなことを可能なようにやって、行動と事実が積み重ねられる中で事案は少しずつ動く筈である。どんな事案であれ、何かにつけて、とりあえず時間ばかり要するのが寧ろ普通だ…」というような話し、「断じて慌てるな!」が友人には記憶に残ったようだ。所詮は「なるようにしかならない…」という中で、少しなりとも好いモノを掴もうとするのが人生なのかもしれない。
活動を始めようとする友人を関係先の皆さんに引き合わせようと御案内した際、「何やら自身が“お父さん”のような??」という苦笑いが漏れた。友人の側でも「アレは如何する?コレは如何なる?それから…」という考えが頭を過った時、「そうだった…“断じて慌てるな!”だ。出来る行動と、それによって生じる事実を重ねていると、何時か悪くない方向に事案が動く筈…」という自身との話しを「“お父さん”の遺訓」のように思い出したという。
自身は友人よりもやや大きく年長であるとは思うが、と言って「親子の年齢差」という程でもない。しかし、友人が自身の助言を「“お父さん”の遺訓」のように感じてくれているなら、それはそれで悪くもない。で在れば?やや遠くの街で頑張る子を応援することを続けなければなるまい。
如何でも構わないようなハンバーガーの写真に、何やら大きな想い出が籠った。こういうことも在る…
地元へ引揚げる長い道程に入る前に、これをここに掲出しておきたかった…
稚内駅にて…(2022.05.07)
↓「特定行動」等と号して動くべく、早朝の稚内駅に向かったのだった…
↓些か寒々しいという感じは否定し悪かった…
↓早朝の列車の場合、自販機で車内用の飲物を求めておくのも忘れるべきではない…
↓目指した旭川駅は259㎞先だ…
↓旭川から飛ぶが、この日に到達しようとしていた東京は1500㎞も先だ…
↓踏切周辺を徘徊していたエゾシカに阻まれたような感も在りながら、列車はゆっくりと稚内駅に姿を見せた…
↓出発に備える…
↓名寄へ向かう使用車輛はキハ54の501号車だった。
↓乗り込んだ…身軽な荷物で動く…
↓棚に荷物を載せる…
↓カメラ等を容れたバッグは手近に置く…
↓自販機で求めた缶珈琲を置いて、発車を待った…
そして南下したのだが…ほんの少しだけ時間が経つと、何か「凄く旧い話し」というような気にもなってしまう…
↓些か寒々しいという感じは否定し悪かった…
↓早朝の列車の場合、自販機で車内用の飲物を求めておくのも忘れるべきではない…
↓目指した旭川駅は259㎞先だ…
↓旭川から飛ぶが、この日に到達しようとしていた東京は1500㎞も先だ…
↓踏切周辺を徘徊していたエゾシカに阻まれたような感も在りながら、列車はゆっくりと稚内駅に姿を見せた…
↓出発に備える…
↓名寄へ向かう使用車輛はキハ54の501号車だった。
↓乗り込んだ…身軽な荷物で動く…
↓棚に荷物を載せる…
↓カメラ等を容れたバッグは手近に置く…
↓自販機で求めた缶珈琲を置いて、発車を待った…
そして南下したのだが…ほんの少しだけ時間が経つと、何か「凄く旧い話し」というような気にもなってしまう…
ジャガイモとトマトのバターチキンカレー+海老マスタードクリームカレー…:<そらいち>:旭川空港(2022.05.07)
↓ほんの少し以前に頂いた一皿が酷く懐かしくなっていることに思い至る…
↑メインがチキンカレーで、小鉢の海老カレーを添える形で御願いした一皿だった…
↓こういう具合のメニューが掲げられ、色々な組み合わせから御願いする。カレーの御店だ…
↓所謂“フードコート”方式で、頼んだ料理が出来るまで、こういう「ブザー」を手に、席に陣取って待つ訳だ…
↓「ブザー」で呼ばれると、こういう具合に料理を受け取る…
実は今般、「初めて!」なのだったが、旭川空港を利用した。
↓ビル内に、食事を摂ることが叶う<そらいち>というフードコートが設けられているのだ。
今般、初めての旭川空港利用であったが、何か使用感が好いので、今後も利用するかもしれないと思った…
ところで…この旭川空港での一皿の後、カレー系統の料理は何となく御無沙汰になってしまっていた…
↑メインがチキンカレーで、小鉢の海老カレーを添える形で御願いした一皿だった…
↓こういう具合のメニューが掲げられ、色々な組み合わせから御願いする。カレーの御店だ…
↓所謂“フードコート”方式で、頼んだ料理が出来るまで、こういう「ブザー」を手に、席に陣取って待つ訳だ…
↓「ブザー」で呼ばれると、こういう具合に料理を受け取る…
実は今般、「初めて!」なのだったが、旭川空港を利用した。
↓ビル内に、食事を摂ることが叶う<そらいち>というフードコートが設けられているのだ。
今般、初めての旭川空港利用であったが、何か使用感が好いので、今後も利用するかもしれないと思った…
ところで…この旭川空港での一皿の後、カレー系統の料理は何となく御無沙汰になってしまっていた…
店の前…(2022.05.07)
南禅寺の水路閣(2022.05.13)
所用で立寄ろうとしていた場所の近くに「そう言えば以前に立寄ったアレが在った」と思い出し、「立寄れば、随分と久し振りということに…」と想いが巡った。
↓名刹南禅寺の一隅である…
↓アーチ構造を組合わせて煉瓦で造ったモノだ…
↓琵琶湖から京都への水路、<疎水>の一部を成すモノで水を通す水道橋で、<水路閣>と呼ばれている。
↓「各々の時代の新しいモノ」が折り重ねられて現在に至っているのが京都である。こういう明治時代のモノも面白い…
↓名刹南禅寺の一隅である…
↓アーチ構造を組合わせて煉瓦で造ったモノだ…
↓琵琶湖から京都への水路、<疎水>の一部を成すモノで水を通す水道橋で、<水路閣>と呼ばれている。
↓「各々の時代の新しいモノ」が折り重ねられて現在に至っているのが京都である。こういう明治時代のモノも面白い…
<京都伝統産業ミュージアム>…(2022.05.13)
↓「コンベンションセンター」と言うのか?展示会、見本市、会議等を催す施設のようだ。<みやこめっせ>と呼ばれる。
この場所を通り掛かり、少し前に読んだ本に言及が在った事項を思い出した。
↓建物の地下1階に設けられているというこの<京都伝統産業ミュージアム>が何やら面白そうなのだ。
実を言えば…些かの雨交りで着衣が濡れていたので、屋内に入って一息入れたかったということも在ったのだった。
↓階段を下りた辺りらしい…
↓通路に館内展示を想起させるような、少しアーティスティックにも視える写真が飾られている…
↓硝子の向こうが展示だ…
↓「入場無料」で入ってみれば、74種類の「伝統産業」に纏わることを展示している旨が示されている。
「伝統産業」?地域に伝わる「職人仕事」というように解釈すべきであろう。
↓実に多種多様なモノが紹介されている。
カメラを提げた状態で見学していたが、展示場内に在った係の方が「写真は撮って構いません」と声を掛けて下さった。「そうですか…」と思えば…
↓和楽器関係の様々な部材や消耗品を造るという技術が受継がれているという展示に当たった。
↑実は少し前に、やや古い時代劇ドラマを視る機会が在って、そこに「三味線の糸」が登場するのを思い出して、何となく「面白い!」と写真に撮ってしまったのだった。
↓鮮やかな焼き物が非常に多くの過程を経て完成するという展示が興味深いと思った。
↓仏壇の“りん”だが、並んでいるモノ各々の音色が違う。音楽が得意な人なら、こういうので何やら演奏が出来てしまうかもしれない。
↑概して小さ目なモノは音が甲高く聞こえるが、そのニュアンスが少しずつ違うような気がした。仏壇や仏具の製造も、京都に伝えられる伝統技術の典型例だという。
↓少し古くからの建物で、屋根等に鐘馗様が飾られている例が見受けられるのだが、そういうモノの製造も受継がれている。
↓何か「昔の御姫様が愉しんでいた…」という感じがするが、“貝合わせ”である。美しい画を着ける訳だが、この種の技術も確り伝えられているようだ。
眼に留めて写真も撮ったモノ以外にも、様々な展示が興味深い。そして「歩き廻る途中で気軽に…」という具合に立寄ることも叶う。記憶に留め、再訪してみたいような場所だ。
>>『深ぼり京都さんぽ』
この場所を通り掛かり、少し前に読んだ本に言及が在った事項を思い出した。
↓建物の地下1階に設けられているというこの<京都伝統産業ミュージアム>が何やら面白そうなのだ。
実を言えば…些かの雨交りで着衣が濡れていたので、屋内に入って一息入れたかったということも在ったのだった。
↓階段を下りた辺りらしい…
↓通路に館内展示を想起させるような、少しアーティスティックにも視える写真が飾られている…
↓硝子の向こうが展示だ…
↓「入場無料」で入ってみれば、74種類の「伝統産業」に纏わることを展示している旨が示されている。
「伝統産業」?地域に伝わる「職人仕事」というように解釈すべきであろう。
↓実に多種多様なモノが紹介されている。
カメラを提げた状態で見学していたが、展示場内に在った係の方が「写真は撮って構いません」と声を掛けて下さった。「そうですか…」と思えば…
↓和楽器関係の様々な部材や消耗品を造るという技術が受継がれているという展示に当たった。
↑実は少し前に、やや古い時代劇ドラマを視る機会が在って、そこに「三味線の糸」が登場するのを思い出して、何となく「面白い!」と写真に撮ってしまったのだった。
↓鮮やかな焼き物が非常に多くの過程を経て完成するという展示が興味深いと思った。
↓仏壇の“りん”だが、並んでいるモノ各々の音色が違う。音楽が得意な人なら、こういうので何やら演奏が出来てしまうかもしれない。
↑概して小さ目なモノは音が甲高く聞こえるが、そのニュアンスが少しずつ違うような気がした。仏壇や仏具の製造も、京都に伝えられる伝統技術の典型例だという。
↓少し古くからの建物で、屋根等に鐘馗様が飾られている例が見受けられるのだが、そういうモノの製造も受継がれている。
↓何か「昔の御姫様が愉しんでいた…」という感じがするが、“貝合わせ”である。美しい画を着ける訳だが、この種の技術も確り伝えられているようだ。
眼に留めて写真も撮ったモノ以外にも、様々な展示が興味深い。そして「歩き廻る途中で気軽に…」という具合に立寄ることも叶う。記憶に留め、再訪してみたいような場所だ。
>>『深ぼり京都さんぽ』
煙草店の店頭の公衆電話…(2022.05.13)
↓煙草店の前に、何やら年季が入った看板だ…
↓少し「昔風…」な感じで、何か「懐かしい…」というような気がする感じだ…
↓こんな公衆電話…「余り視掛けない?」という感じになった。
今般の京都滞在の中、同行者と動き回っていて、立寄った先で京都在住の友人と出くわし、同行者と友人とも意気投合したので、自身を含めて3人でこの辺りを少し歩いた場面が在った。「一寸、電話照会をすべき事柄が…」ということになり、「如何しましょう?」と話していた時、この場所に至った。そこで「待っとけ…電話を架ける…」と自身は硬貨を引っ張り出して電話を架け、電話照会をすべき事柄を解決した。
と、3人で何となく顔を見合わせて笑った。「こういう電話から架けて、用事を足してしまったという話しを余り聞かない…この電話機を実際に使っている場面を前に視たのは何時だったであろう?」という話しになった。そして少し歩いた後だったので、灰皿が確り在ることを幸いに一息入れていた…
↓期せずして同じ場所を再度通り掛かった。事案の中でそれなりに大切な事柄を照会する電話を架け、事柄が巧く動く契機を生み出してくれた「想い出の公衆電話」となった代物だ。何となく写真に収めてしまった…
それにしても…こういう街角の雰囲気…少数派になっているかもしれない…
↓少し「昔風…」な感じで、何か「懐かしい…」というような気がする感じだ…
↓こんな公衆電話…「余り視掛けない?」という感じになった。
今般の京都滞在の中、同行者と動き回っていて、立寄った先で京都在住の友人と出くわし、同行者と友人とも意気投合したので、自身を含めて3人でこの辺りを少し歩いた場面が在った。「一寸、電話照会をすべき事柄が…」ということになり、「如何しましょう?」と話していた時、この場所に至った。そこで「待っとけ…電話を架ける…」と自身は硬貨を引っ張り出して電話を架け、電話照会をすべき事柄を解決した。
と、3人で何となく顔を見合わせて笑った。「こういう電話から架けて、用事を足してしまったという話しを余り聞かない…この電話機を実際に使っている場面を前に視たのは何時だったであろう?」という話しになった。そして少し歩いた後だったので、灰皿が確り在ることを幸いに一息入れていた…
↓期せずして同じ場所を再度通り掛かった。事案の中でそれなりに大切な事柄を照会する電話を架け、事柄が巧く動く契機を生み出してくれた「想い出の公衆電話」となった代物だ。何となく写真に収めてしまった…
それにしても…こういう街角の雰囲気…少数派になっているかもしれない…
段落…=運行日誌(2022.05.13)
四条烏丸の宿の居室に在って、何やら日付が変わった中で前日や「ここまで」を振り返るような感だ。
前日も結局は「バタン…」と早めに休み、日付が変わる少し前に眼が開き、再度眠ろうとして果たせず「そのうちに…」とまた起き出してみている訳だ。
前日は何時の間にか雨交りになり、雨交りが日中を通じて継続し、夕刻には少し雨が強めになっていた。着衣が濡れてしまっていたので、とりあえず居室で脱いで、宿の部屋着に替え、そのまま休んでいるような状態であるので「その後の雨」に関しては承知していないが。
一つ所用は在ったが、気忙しく走り回る必要が在るという程でもない。雨交りは動き悪いが、それはそれとして街を少し動き回ってみた。
偶々、滞在中に案内表示を視掛けて金戒光明寺を訪ねてみたくなり、訪ねてみた。
金戒光明寺は比叡山を下りた法然上人が最初に庵を結んだとされる場に在るという、古い由緒を誇る浄土宗の寺だ。「黒谷」または「くろ谷」という通称も知られているようだ。
この金戒光明寺は街の北東寄りに在って、地形の感じが“城”という様相も呈し、境内地も狭くはなく、多くの人達が滞在することも叶う条件だ。そうしたことから、幕末期に<京都守護職>として約1千人の将士を引き連れて京都に乗り込んだ会津松平家の松平容保の本陣が置かれた。
<京都守護職>というのは、「特別治安警察」というような役目だ。
江戸時代を通じ、警察的な役目を担う機構は在ったが、それ程大掛かりな陣容で在ったのでもない。町の自治的な機能が存外に充実していて、そうした機構と当局とが或る程度連携して、人々の安寧が維持されるような感であった。時代が下って、古い時代には想定し悪かった状況が生じ、色々な役職が設けられるようなことになった一面も在るのだが、幕末期の京都で見受けられたような、現在の用語で言う「テロ事案」のようなことや、何らかの思想を掲げての攻撃的行動が目立つようになれば「対応困難…」に陥ってしまう。
そういうことで<京都守護職>が設けられた。「幕府を扶ける」が「存在し、存続する理由」というような考え方を護り続けた誇り高き会津松平家は、この<京都守護職>を懸命に務めた。その関係者達が在った金戒光明寺だ。
松平容保は孝明天皇にも「懸命な努力で都を護ってくれている」として、当時の京都に出入りしたどの大名よりも信認されていたようだ。混乱を拡げるような恐るべき計画を挫くとか、大被害は免れなかったものの、内乱になってしまいかねない戦いで勇戦したのだから。が…少し後の戊辰戦争では「賊軍の首魁」呼ばわれである…
幕末の会津松平家の物語というような事を思い出すと、時代や場所を問わず、何か「正義」というようなモノが「簡単に表裏入れ替わる…」というようなことに思い至ってしまう。
その後は<京都伝統産業ミュージアム>、<京都写真美術館>と入場無料の施設を興味深く拝見した。
<京都伝統産業ミュージアム>は、所謂「職人仕事」を紹介する場所で、なかなかに興味深かった。
<京都写真美術館>は、嘗ては料理店であった場所を利用した写真等の展示スペースだ。開催中であったのは徳島県の写真家による、文楽や彼の地に受継がれる人形劇で使うモノに関する写真展だった。興味深く拝見し、写真家や居合わせた方と懇談した。
やがて所用に向かった。場所が近かったので、南禅寺水路閣を少し眺めた。そして所用である。
大変に有難いことに、取組んでいる事案は事前に想像していた以上に順当に進んでいる。「徒手空拳」という状態であった友人が、必要と見受けられる支援を受けられるように「縁」を結ぼうと動いていた。既に「縁」に「導かれる」というような感で、友人は生き生きと活動を始めることが叶った。
既に活動を始めた友人と夕刻に落ち合った。滞在先まで地下鉄で一緒に行けば、何やら別れ難い気分が高まり、多少辛い。そこで、友人が滞在する場所の手前、自身が滞在する場所の最寄駅で下車し、地下鉄車内でさり気なく分かれようという話しにした。
それでも「少し話そう…」ということで、今出川駅に近い<モスバーガー>に小一時間の寄道をした。友人は偶々<モスバーガー>が初めてだったということだが、「モス野菜バーガー」とカフェラッテが凄く美味しいと喜んでいた。評価の高いチェーン店なので、覚えておくと好いかもしれないということを話題にした。
友人が生き生きと活動を始めることが叶うよう、扉を開けて「ここがスタート地点だ…」という場所まで送り届けた。以降は友人自身が一歩ずつ踏み出して行く筈だ。本当に善かったと思っている。「大きなチャンスを得た」と、生き生きと活動に臨もうとする友人の様子は、凄く嬉しく、密かに目頭が熱くなる。
「特定行動」と号した今般の動きは無事に段落した。とりあえず「北上」を始めることになる…
前日も結局は「バタン…」と早めに休み、日付が変わる少し前に眼が開き、再度眠ろうとして果たせず「そのうちに…」とまた起き出してみている訳だ。
前日は何時の間にか雨交りになり、雨交りが日中を通じて継続し、夕刻には少し雨が強めになっていた。着衣が濡れてしまっていたので、とりあえず居室で脱いで、宿の部屋着に替え、そのまま休んでいるような状態であるので「その後の雨」に関しては承知していないが。
一つ所用は在ったが、気忙しく走り回る必要が在るという程でもない。雨交りは動き悪いが、それはそれとして街を少し動き回ってみた。
偶々、滞在中に案内表示を視掛けて金戒光明寺を訪ねてみたくなり、訪ねてみた。
金戒光明寺は比叡山を下りた法然上人が最初に庵を結んだとされる場に在るという、古い由緒を誇る浄土宗の寺だ。「黒谷」または「くろ谷」という通称も知られているようだ。
この金戒光明寺は街の北東寄りに在って、地形の感じが“城”という様相も呈し、境内地も狭くはなく、多くの人達が滞在することも叶う条件だ。そうしたことから、幕末期に<京都守護職>として約1千人の将士を引き連れて京都に乗り込んだ会津松平家の松平容保の本陣が置かれた。
<京都守護職>というのは、「特別治安警察」というような役目だ。
江戸時代を通じ、警察的な役目を担う機構は在ったが、それ程大掛かりな陣容で在ったのでもない。町の自治的な機能が存外に充実していて、そうした機構と当局とが或る程度連携して、人々の安寧が維持されるような感であった。時代が下って、古い時代には想定し悪かった状況が生じ、色々な役職が設けられるようなことになった一面も在るのだが、幕末期の京都で見受けられたような、現在の用語で言う「テロ事案」のようなことや、何らかの思想を掲げての攻撃的行動が目立つようになれば「対応困難…」に陥ってしまう。
そういうことで<京都守護職>が設けられた。「幕府を扶ける」が「存在し、存続する理由」というような考え方を護り続けた誇り高き会津松平家は、この<京都守護職>を懸命に務めた。その関係者達が在った金戒光明寺だ。
松平容保は孝明天皇にも「懸命な努力で都を護ってくれている」として、当時の京都に出入りしたどの大名よりも信認されていたようだ。混乱を拡げるような恐るべき計画を挫くとか、大被害は免れなかったものの、内乱になってしまいかねない戦いで勇戦したのだから。が…少し後の戊辰戦争では「賊軍の首魁」呼ばわれである…
幕末の会津松平家の物語というような事を思い出すと、時代や場所を問わず、何か「正義」というようなモノが「簡単に表裏入れ替わる…」というようなことに思い至ってしまう。
その後は<京都伝統産業ミュージアム>、<京都写真美術館>と入場無料の施設を興味深く拝見した。
<京都伝統産業ミュージアム>は、所謂「職人仕事」を紹介する場所で、なかなかに興味深かった。
<京都写真美術館>は、嘗ては料理店であった場所を利用した写真等の展示スペースだ。開催中であったのは徳島県の写真家による、文楽や彼の地に受継がれる人形劇で使うモノに関する写真展だった。興味深く拝見し、写真家や居合わせた方と懇談した。
やがて所用に向かった。場所が近かったので、南禅寺水路閣を少し眺めた。そして所用である。
大変に有難いことに、取組んでいる事案は事前に想像していた以上に順当に進んでいる。「徒手空拳」という状態であった友人が、必要と見受けられる支援を受けられるように「縁」を結ぼうと動いていた。既に「縁」に「導かれる」というような感で、友人は生き生きと活動を始めることが叶った。
既に活動を始めた友人と夕刻に落ち合った。滞在先まで地下鉄で一緒に行けば、何やら別れ難い気分が高まり、多少辛い。そこで、友人が滞在する場所の手前、自身が滞在する場所の最寄駅で下車し、地下鉄車内でさり気なく分かれようという話しにした。
それでも「少し話そう…」ということで、今出川駅に近い<モスバーガー>に小一時間の寄道をした。友人は偶々<モスバーガー>が初めてだったということだが、「モス野菜バーガー」とカフェラッテが凄く美味しいと喜んでいた。評価の高いチェーン店なので、覚えておくと好いかもしれないということを話題にした。
友人が生き生きと活動を始めることが叶うよう、扉を開けて「ここがスタート地点だ…」という場所まで送り届けた。以降は友人自身が一歩ずつ踏み出して行く筈だ。本当に善かったと思っている。「大きなチャンスを得た」と、生き生きと活動に臨もうとする友人の様子は、凄く嬉しく、密かに目頭が熱くなる。
「特定行動」と号した今般の動きは無事に段落した。とりあえず「北上」を始めることになる…