「随意に過ごす時間を設けて、何処かへ出て…」という程度のことは何時でも考えている。年中そういう様子でも構わないとさえ思う程だ…
同時に、最近は「5月に出た経過」の「続き…」というようなことも少し気になってはいる。
「5月に出た経過」を振り返れば、「随意に過ごす時間」を設けてみる、少し俗な表現を用いるなら「好き勝手にフラフラとする」ということの一辺倒でもなく、「事案」が在ったので、それに合わせて「時間を設けるように」ということをしたのだった。それを「特定行動」等と号したのだったが。
「5月に出た経過」では、5月7日に南下し、5月8日に「行動」を起こすという感で移動も始め、5月9日に京都に至ったのだった。
「徒手空拳」という状態であった友人が、必要と見受けられる支援を受けられるように「縁」を結ぼうと動いて京都に至った。「入洛し周旋致す…」という程でもないのだが、幾分動き、友人が色々と活動を始めることが叶うような状況に至った様子を見届け、5月13日の夕刻に会って「健闘を期す」という話しで別れたという経過だった。
こういうことがあれば「で?その後?」ということにはなると思う。「様子を視に…」と少し経って―1ヶ月余りを経た6月後半頃から思っていた…―から考えるようになり、その機会を設けることを窺っていた。そして今般、そういう機会を設けることになったのだ。5月、6月、7月と概ね3ヶ月間弱が経った訳だ。
稚内辺りからは、何処へ如何向かうにしても「些か長い道程」となることは免れ悪い。が、その道程を経て京都へ移動する。暫し滞在し、多少の道草をしながら引揚げる訳だ。
そういうことなので「京都に逗留」というような感にもなる。京都の宿は、出発を確定した直後に予約済である。出先で「明日はここまで…宿はここに求めようか…」というようなことをする場面は少な目になることであろう。その以前に、少し明確に「京都へ出る」というようなイメージとなるのは、自身の行動様式としては少し珍しいかもしれない。
普段は「過ぎる程に静かな街…」というような場所に在る。「京都に逗留というような様子であれば、「少しばかり賑やかな街の別邸へ…」というような感になるかもしれない。更に「興味深い文物に出くわすべく精力的に動き回る」というより、「何かの用を足す合間に面白そうなモノとの出会いを試みる」、「漫然と辺りを歩いて、適当に休む」という様子になるのかもしれない。
思い起こすと「暑い時季に如何にも暑そうな地域を訪ねる」というようなことを余りしていないと思う。
2020年7月末から8月初めに出掛けた経過の中で、香川県、徳島県、高知県、愛媛県と四国に足跡を記し、更に関西方面に立寄って引揚げたという経過が在った。「暑い時季に如何にも暑そうな地域を訪ねる」のはそれ以来になると思う。
それ以上に遡っても、「暑い時季」に該当する7月や8月というような頃には、北海道内に在ったか、何やらでサハリンに在ったかというような年ばかりだったと思う。在った場所で「多少暑い…」は勿論在ったが…2020年7月末から8月初めに出掛けた経過は、そういう意味合いで少し画期的であったかもしれない。
2020年7月末から8月初めに出掛けた経過の中では、「余り無理はしないで、早目に宿に入ってゆったりと…」という程度に考え、「水分は多目に摂ろう…」としていた。今般もそういうような感じで善いと思う。
日程の大半が京都で、往復の長い道程が待っている。酷く愉しみだ!!!