四条烏丸の辺りから東大路の側へ、概ね東寄りに向かって歩いた。
鴨川に架かる四条大橋を渡り、何気なく振り返った。
↓こんな様子を眼に留め、足を停めた…
↑街並みの背後が西寄りの方角で、天は何か劇的な様相を呈していた。
↓夏らしい天が拡がった暑い一日が暮れて行こうとしている感だ。
何か「到着日=滞在初日」の段階で「忘れ難い…」というような光景に出くわした感だ。
京都駅の辺り…(2022.07.29)
思い描いた以上に早く京都に到り、直ぐに一寸移動して、御願いした宿の直ぐ近くの地下駅に足を運び、嵩張るモノをコインロッカーに預けた。そして京都駅周辺に戻り、「本日の御予定」という具合である。
↓「夏の天!」というように感じた…
↓「何もかもが眩しい…」という程度に思った…
↓京都駅の建物の硝子張りな部分に「夏の天」が映り込んでいる…
↓何やら凄い光景のように思った…何となく「アニメの背景画?」という気がしないでもなかった…
↓八条口側に廻り込んで歩を進めたが、本当に「夏の盛り!」という状況に視えた…
陽射しもやや強い場合が在り、気温は上昇したが、「変に蒸す…」というような有様でもなく、或いは「夏らしい!」という按配だ。「時には…」とこういう様子を愉しんでみるのも悪くは無いのかもしれない。一日を振り返ると「ふやける?」という程度に汗もかいたのだったが…
↓「夏の天!」というように感じた…
↓「何もかもが眩しい…」という程度に思った…
↓京都駅の建物の硝子張りな部分に「夏の天」が映り込んでいる…
↓何やら凄い光景のように思った…何となく「アニメの背景画?」という気がしないでもなかった…
↓八条口側に廻り込んで歩を進めたが、本当に「夏の盛り!」という状況に視えた…
陽射しもやや強い場合が在り、気温は上昇したが、「変に蒸す…」というような有様でもなく、或いは「夏らしい!」という按配だ。「時には…」とこういう様子を愉しんでみるのも悪くは無いのかもしれない。一日を振り返ると「ふやける?」という程度に汗もかいたのだったが…
<キエフ>の夕べ…:京都(2022.07.29)
同行者と「一寸、夕食に行こう」という相談になった。というよりも、約3カ月間に亘って新たな道を拓こうと奮戦していた同行者を激励し、また35℃の日中に「平日に済ませるべき」という種類の所用を足そうと動き回っていたことから、「一緒に愉しく美味いモノでも…」と思って自身が提案し、同行者が賛同してくれたという訳だ。
↓在った!<キエフ>だ…
↓ビルの6階に在る店だ。
↑ウクライナの歴史に題材を求めた画が掛けられていた。イリヤ・レーピンというロシアの画家の作品の精巧な模写だという。17世紀のロシアとトルコの争いの最中、ウクライナの地に在ったコサックの指導者達が敵対したスルタンに宛て、「我らは屈せず!」と書簡を認めている様子なのだという。
↓陣取った席の背中側の様子だ。ステージが在って、楽器の演奏や歌を披露するというようなことも可能な設えになっている。
↓席にはこういうような紙のマットが敷かれていた。ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ジョージアの色々な場所を示すイラストの地図に、ロシア語やウクライナ語の一口会話という具合だ。
↑右上側、「ようこそ」とか「いらっしゃいませ」に相当する箇所に「おこしやす」と在るのが、「京都に在る御店」という風情で好い。
紙のマットに「1972」と在るが、これは年号だ。東京に<スンガリー>というロシア料理の店が在って、関係者が京都に店を開くことになった。1971年に京都市とキエフ市との友好都市提携という出来事が在ったことから、店名を<キエフ>としたということだった。
↓こんなモノも用意されていて、何やら苦笑が漏れたが…
↓同行者と適当にシェアして鰊を頂いた。ロシア等ではポピュラーな肴で、一寸ウォッカを頂いた…
↓個人的には「少々御無沙汰…」という感の「定番中の定番」というボルシチを頂いた…
↓そしてビーフストロガノフを頂いた…この御店ではキノコを加えていて、それが何か好かった…
サハリン辺りで親しんだような幾つかの料理を頂き、何か郷愁のようなモノが湧いた。
↓6階に在る店で、窓辺の眺望がなかなかに素敵だ…
ステージが在る御店の設えに興味を覚えた同行者が御店の方に話し掛けてみたことから、店主氏と少し歓談する機会も生じた。一寸愉しい忘れ難い夕べになった。
↓夏季には屋上でビアガーデンを営んでいるということで、引揚げる前に屋上からの眺望も少し愉しませて頂いた。
↑眼下に鴨川だ…
京都市内では、供するメニューにロシア等の国々に起源が在るという場合も在るという御店が幾分無いでもないらしいが、「ロシア料理等のレストラン」ということになると<キエフ>が唯一であるということだ。
非常に愉しく、料理も好かった。もっと早くから、この御店と出会っていなかったことを少し悔やんだ。が、今般愉しんだことから、「京都に行けばあそこ…」ということで強く記憶に留めた。
↓在った!<キエフ>だ…
↓ビルの6階に在る店だ。
↑ウクライナの歴史に題材を求めた画が掛けられていた。イリヤ・レーピンというロシアの画家の作品の精巧な模写だという。17世紀のロシアとトルコの争いの最中、ウクライナの地に在ったコサックの指導者達が敵対したスルタンに宛て、「我らは屈せず!」と書簡を認めている様子なのだという。
↓陣取った席の背中側の様子だ。ステージが在って、楽器の演奏や歌を披露するというようなことも可能な設えになっている。
↓席にはこういうような紙のマットが敷かれていた。ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ジョージアの色々な場所を示すイラストの地図に、ロシア語やウクライナ語の一口会話という具合だ。
↑右上側、「ようこそ」とか「いらっしゃいませ」に相当する箇所に「おこしやす」と在るのが、「京都に在る御店」という風情で好い。
紙のマットに「1972」と在るが、これは年号だ。東京に<スンガリー>というロシア料理の店が在って、関係者が京都に店を開くことになった。1971年に京都市とキエフ市との友好都市提携という出来事が在ったことから、店名を<キエフ>としたということだった。
↓こんなモノも用意されていて、何やら苦笑が漏れたが…
↓同行者と適当にシェアして鰊を頂いた。ロシア等ではポピュラーな肴で、一寸ウォッカを頂いた…
↓個人的には「少々御無沙汰…」という感の「定番中の定番」というボルシチを頂いた…
↓そしてビーフストロガノフを頂いた…この御店ではキノコを加えていて、それが何か好かった…
サハリン辺りで親しんだような幾つかの料理を頂き、何か郷愁のようなモノが湧いた。
↓6階に在る店で、窓辺の眺望がなかなかに素敵だ…
ステージが在る御店の設えに興味を覚えた同行者が御店の方に話し掛けてみたことから、店主氏と少し歓談する機会も生じた。一寸愉しい忘れ難い夕べになった。
↓夏季には屋上でビアガーデンを営んでいるということで、引揚げる前に屋上からの眺望も少し愉しませて頂いた。
↑眼下に鴨川だ…
京都市内では、供するメニューにロシア等の国々に起源が在るという場合も在るという御店が幾分無いでもないらしいが、「ロシア料理等のレストラン」ということになると<キエフ>が唯一であるということだ。
非常に愉しく、料理も好かった。もっと早くから、この御店と出会っていなかったことを少し悔やんだ。が、今般愉しんだことから、「京都に行けばあそこ…」ということで強く記憶に留めた。
<のぞみ>:京都駅…(2022.07.29)
名古屋駅周辺にて…(2022.07.29)
朝、宿から名古屋駅を目指して歩いた。
多分、到着した名古屋駅から宿を探して歩いた時と、道が何本かズレていたと思うのだが…
↓巨大なビルが見える方向へゆっくり進めば名古屋駅にはとりあえず至る…
↑背が高い巨大なビルは2本なのだが…辺りの硝子張りなビルに映り込みが在って、何やら「3本?」と錯覚した…
↓何回か通っている名古屋駅の傍なのだが、何か巨大な建物が高めな密度で集まり、雑多な要素が入組んだ感じで「不思議な世界…」というような気がする場所だ。
↓そして名古屋駅の入口に至った…
名古屋駅の場合、中に入ってから「御手洗は何処?」、「切符を売っている場所?」、「何処からホームに入る?」と迷う。単純に少し広い所に様々なモノが詰まっているからなのだと思うが…もうほんの少しばかり馴染みたいというような気もするのだが、夜遅くに“中継点”として到着し、朝の間に離れることとなった…
多分、到着した名古屋駅から宿を探して歩いた時と、道が何本かズレていたと思うのだが…
↓巨大なビルが見える方向へゆっくり進めば名古屋駅にはとりあえず至る…
↑背が高い巨大なビルは2本なのだが…辺りの硝子張りなビルに映り込みが在って、何やら「3本?」と錯覚した…
↓何回か通っている名古屋駅の傍なのだが、何か巨大な建物が高めな密度で集まり、雑多な要素が入組んだ感じで「不思議な世界…」というような気がする場所だ。
↓そして名古屋駅の入口に至った…
名古屋駅の場合、中に入ってから「御手洗は何処?」、「切符を売っている場所?」、「何処からホームに入る?」と迷う。単純に少し広い所に様々なモノが詰まっているからなのだと思うが…もうほんの少しばかり馴染みたいというような気もするのだが、夜遅くに“中継点”として到着し、朝の間に離れることとなった…
精力的に過ぎたか?=運行日誌(2022.07.29-30)
何となく寛いで居た間に「28」から「29」へ日付が改まり、そのうちに眠気が強まって休み、深夜に眼を開けてしまう場面も交えて朝に至った。
名古屋から京都へ移動という場面になって、新幹線の列車を利用しようと名古屋駅へ悠然と向かった。そして新幹線の列車の自由席券を求めて乗車したが…「<のぞみ>はこんなに速かったか?」と変な戸惑い方をしてしまった。過去に新幹線の列車で名古屋・京都間を含む区間を通ってはいるのだが、もう少々時間を要したような気がしていた。
予定より早めに京都入りし、所用に臨んだ。所用そのものは思ったよりも順調に進んだのだが…暑かった…35℃になっていたようだ。好天で、悪くはない夏らしい雰囲気が溢れてはいたが、着ていた長袖Tシャツの“チェルニャーシカ”は「絞って水気が…?」という程度の汗でベトベトになってしまった。
無事に用事も済ませた夕刻、<キエフ>というレストランへ足を運んだ。「同行者在り」という状況だ。同行者は酷く歓んでくれた。そして御店の方、店主氏とも懇談し、愉しい夕べを過ごした。
宿へ引揚げ…何時の間にやら寝入ってしまい、そして日付が変わっていた。「29」から「30」へ日付が改まった。
こうして7月30日の深夜帯に、京都で逗留する宿の居室に在ってぼんやりしているのだが…「日中35℃」は、「寒冷地仕様」な自身にとっては「滅多に経験しない情況」ではある。
名古屋から京都へ移動という場面になって、新幹線の列車を利用しようと名古屋駅へ悠然と向かった。そして新幹線の列車の自由席券を求めて乗車したが…「<のぞみ>はこんなに速かったか?」と変な戸惑い方をしてしまった。過去に新幹線の列車で名古屋・京都間を含む区間を通ってはいるのだが、もう少々時間を要したような気がしていた。
予定より早めに京都入りし、所用に臨んだ。所用そのものは思ったよりも順調に進んだのだが…暑かった…35℃になっていたようだ。好天で、悪くはない夏らしい雰囲気が溢れてはいたが、着ていた長袖Tシャツの“チェルニャーシカ”は「絞って水気が…?」という程度の汗でベトベトになってしまった。
無事に用事も済ませた夕刻、<キエフ>というレストランへ足を運んだ。「同行者在り」という状況だ。同行者は酷く歓んでくれた。そして御店の方、店主氏とも懇談し、愉しい夕べを過ごした。
宿へ引揚げ…何時の間にやら寝入ってしまい、そして日付が変わっていた。「29」から「30」へ日付が改まった。
こうして7月30日の深夜帯に、京都で逗留する宿の居室に在ってぼんやりしているのだが…「日中35℃」は、「寒冷地仕様」な自身にとっては「滅多に経験しない情況」ではある。