マンホール…:稚内(2022.08.17)

↓不意に足を停めた…
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↑稚内港北防波堤ドームが在って、南極の挿話で有名な稚内生まれのタロとジロの兄弟犬が居て、遠くに利尻富士が見えている…そんなイラストのマンホールだ。

こういう凝った絵柄のマンホール…彩色迄施すモノは使用例が少ないが、そうしていないモノは、こうして「普通…」に使用されていて、時々気付いて何となく頬が緩む…

こういう地域のイメージのイラストをさり気なく入れてみるようなモノは好いと思う…

第一副港辺りの眺め…:稚内港(2022.08.17)

朝の時間帯に多少歩く…雨交りとなりそうな様相であった日―実際、少し時間を経て雨交りになっていた日が在った…―を除き、何となく続いている。

↓「丁寧に描いた??」というような雲が晴れた天に拡がり、流れていた。
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↑燃料を運ぶ船が、繋留濠の第一副港の「何時もの場所…」で停まっていた。

↓カメラを提げて歩き廻り、ふと足を停め、写真を撮る…そういうような感じが酷く好い…
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↓やがて更に歩を進めるが、こういうような眺めも好い…
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こういうような「多少歩く…」の機会が増え、撮る写真も増え、このブログへの掲載記事も増えている。「何処かの愚か者が余計な事を重ねている…」という観方も在るのかもしれないが、日々変わる天候条件等の故に、日々見え方が異なり、そういう見え方が各々に面白いので「つい写真を撮ってしまう…」という訳だ…

雲…(2022.08.17)

↓歩いていて、何となく足が停まった時、何気なく見上げる天…
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↓そんな場面で見えた天の様子に、訳もなく惹かれるというような場合も在る…
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歩を進めていたのは第一副港の辺りだった…朝の一時であった…

稚内港中央埠頭側を望む…(2022.08.17)

↓朝は2隻のフェリーが中央埠頭で待機している。1隻は既に出た後らしい…もう1隻は出航の準備中と見受けられる。
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↑そんな様子を見下ろす天の様子、拡がって流れる雲と朝の光とが少し面白い様相を醸し出していると思った。

↓こういうような様子も「その辺を一寸歩く…」という中で眼に留まると、何となく写真に撮っておきたくなる…
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サンプル…(2022.08.17)

時には、少し御無沙汰な御店で昼食を摂ろうと思い付いた…

↓これ…本物の料理ではなく、全て「サンプル」という“造りモノ”だ。逆に、本物をこういう具合に色々と用意して並べるのは大変なことであろうが…
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↑辺りで、こんなに沢山のサンプルを揃えて並べている例を余り思い付かない…

偶々、X100Fを提げていたので撮ってしまった…

<祇園祭ぎゃらりぃ>…(2022.08.01)

↓祇園祭の山鉾…実寸大のモノが観られる、それも祭の時季と無関係に、概ね何時でも!そういう場所に出くわした…
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↑映像や写真で見るイメージより、少し大きいような?或いは、その種のモノで見るイメージと違わないか?または屋内に置かれた実寸大というモノなので、戸外で実物を見る場面と感じ方が違うか?色々と思いながら眺めた…

祇園に在る<漢字ミュージアム>が入っている同じ建物の1階に<祇園祭ぎゃらりぃ>は設えられている。

↓精巧な模型で山鉾巡行の紹介が為されていた。
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↓「後祭」についても、精巧な模型で紹介が為されていた。
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色々なモノを取り扱っている売店も在って、拙宅で聴いている祇園囃子のCDも実はここで入手した。

実は、京都で言葉を交わした人達との話しで「祇園祭(の山鉾巡行)に些か出遅れて京都に着いた?」というようなことが話題に上らなかったでもない。何時かは見学に訪ねてみたいものだと思いながら、この<祇園祭ぎゃらりぃ>の展示を興味深く拝見した。

丸型ポスト…:三嶋大社から三島駅への道筋(2022.08.04)

列車で更に東へ移動しようという意図で、三嶋大社から三島駅へ引揚げようとしていた時だった。

↓こういうモノに気付いて、少し足を停めて眺めた…
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↓存外に年季が入っているポストだと思った。
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由緒を誇る大きな社を擁する三島の街である。こういうような旧いポストが存外に似合うかもしれない。

旅先の、こんなポストから誰かに宛てて葉書でも投函するのが風流かもしれないという程のことは思うのだが…他方で、用が在るならメールを送れば直ぐに足りてしまう場合が殆どだ…尤も、「旅先からの葉書」というようなモノに“用”という程のモノ等、最初から在りもしないようにも思うが。

「今年の漢字」…:<漢字ミュージアム>(2022.08.01)

↓こんなモノを見付けた…「今年の漢字」と称するモノだ。
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↑祇園に在る<漢字ミュージアム>という場所の、戸外の壁である。

↓この壁の裏側に、上の「今年の漢字」が掲示されている。
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<漢字ミュージアム>というのは、正式には『漢検 漢字博物館・図書館』と称し、「公益財団法人 日本漢字能力検定協会」が携わっているようだ。「漢字を見るだけでなく、触れる・学ぶ・楽しむ展示を通して、いくつもの驚きや発見を生み出す体験型ミュージアム」ということだ。今般、敢えて中は見学しなかった…

「今年の漢字」だが、「漢字の素晴らしさや奥深い意義を伝えるための啓発活動の一環」ということで、「公益財団法人 日本漢字能力検定協会」によって1995年に始められたのだそうだ。。毎年の年末に「一年の世相を表す漢字一字」を全国から募集し、最も応募数の多い漢字を12月12日(いい字一字)の「漢字の日」に清水寺で揮毫して発表しているという「年末の風物詩」という具合になっているモノだ。

展示場所の都合で、戸外に「今年の漢字」の過去の例が全て掲出されているのでもないが、何か記憶に残るモノが多く取上げられている。

機会が在れば、この<漢字ミュージアム>もゆっくりと見学してみたい。そう考えながら、「機会が在れば…」が「余りにも多くないか?!」という気もするのだが…

三嶋大社…(2022.08.04)

<青春18きっぷ>のようなモノを手に、「或る程度長い距離をゆっくり移動する他方、途中で興味深そうな名所に寄ってみるようなこともしたい」というようなことを思う場合、<青春18きっぷ>で利用可能な普通列車の運行本数が十分に多い東海道線のような場所は非常に勝手が好いと思う。

今般、所用も在って訪ねて滞在した京都から引揚げる際、名古屋に出て、横浜に至って、そこから空港を目指して空路で北上するというように計画した。「京都名古屋横浜」というような経路、それも名古屋で1泊して一息入れるということであれば、「間違いなく<青春18きっぷ>が好い!!」ということになる筈だ。そう考えて、考えたとおりに動くこととしたのだ。

名古屋から東へ進み、静岡の駿府城公園に道草し、静岡おでんを摘まんだという愉しい場面も在って、更に東へ進んで至ったのは三島駅だった。

↓「有名な三嶋大社は然程遠いのでもなかろう…」と思いながら、三島駅周辺を見回すと、周辺案内図が在る。“周辺”と言いながら、徒歩15分程度のエリアを少し大雑把に描いているようにも見えた図だった…
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三嶋大社というのは「伊豆国一宮」、「伊豆国総社」という格式を誇る、旧国名でいう伊豆国を代表するような神社である。(静岡県は、この伊豆国、駿河国、遠江国の版図を合わせたような感じの県域を有している…)

社名の「三嶋」とは伊豆大島や三宅島等から成る「伊豆諸島」を指すとされ、主祭神は伊豆諸島の開拓神ということで古代から尊崇された神社であるという。中世には当地の武士達が尊崇した経過が在り、近世(江戸時代)には東海道の宿場町となった三島を行き交う多くの人達に尊崇されたのだという。

三島駅・三嶋大社間を歩いて往復した。「三島駅→三嶋大社」の往路だったが、復路の「三嶋大社→三島駅」に比して、標識等が些か解り悪いような気がしないでもなかった。

↓そう思いながらも、何とか大き目な鳥居が視える神社の辺りに到った…
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↓多分「三嶋」の「三」を図案化したと思われるような紋が面白いと思った。
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↓神社の「域」に踏み込んで行くというような、独特の空気感が好い…
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↓社殿等の手前に設けられた門だ…
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↓門から少し踏み入った辺りだ。少し姿勢を正して「御参り…」という気分になる場所だ…
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↓社殿だ…
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↓主要な建物は、1854年の地震で傷む、倒壊するという事が在って、1868年頃、明治初期に再建されたモノが現在に伝わっているということであるようだ…
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↓境内社の厳島神社が在って、辺りに大きな鯉が沢山居た池も在った。
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↑伊豆国は鎌倉幕府を開いて行く源頼朝に協力した北条家が地盤としていた地域だ。厳島神社は源頼朝に嫁いだ北条政子が勧請して深く信仰したと伝えられているそうだ。そういう挿話も面白いが、この場所の多数の大きな鯉に少し驚いた…

何か、深く広く尊崇された地元を代表する社に立寄ってみる機会を設けることが叶ったというのは凄く善かったと思う。この辺りを本拠地として活動した北条家の後裔が鎌倉で開いた建長寺円覚寺には翌日に立寄る機会を設けられたが。「“鎌倉以前”の彼ら」というようなことも少し感じられる場所だと思った。

旧国名で伊豆という地域には、他にも色々と興味深い場所が多く在ると聞く。“一宮”を参拝して御縁も出来たということで、伊豆国の中ももう少々訪ねてみたいと思いながら、この三嶋大社を後に三島駅へ向かったのだった。

<ワールドポーターズ>…(2022.08.05)

↓「“雰囲気”が在る建物…」と思い、提げていた<X100F>を使った…
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↑1999年開業の商業施設であるという。様々な店舗やサービス、映画館等が入っている広大な建物であるようだ。開業から20年余りを経て、中のテナントには色々と変遷も在るようだが…

写真を見て「ここ…入らなかった…何となく…」と思い出していた。少し前に横浜を通り掛った際にも入っていない。本当に、何処かへ出掛ける都度に「“次”が在るなら…」というのが頭の隅に浮かんでしまう様子だ…

奈良公園の鹿…(2022.07.30)

↓「鹿」と言えば「奈良」…「奈良」と言えば「鹿」という感じか?鹿に変なちょっかいを出さないようにという注意喚起の看板も在る…
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↑奈良公園では珍しくもない鹿だが、何となく眺めてしまう。夏になると、春に生まれた仔鹿と見受けられる、小さく可愛らしい鹿も混じっている…

奈良の街の一部は「街に公園」というより「公園の一部が“街”」という具合になっているような気もする。そういう中を歩き廻った…

↓鹿達の様子を何となく観ていると、“大家族”とでもいうのか、一定の纏まり、グループのようなモノも存在するような感じではある。が、とりあえず奈良公園では数え切れない程の鹿が方々に集まっている。
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↓本当に、随分昔から辺りに在る動物である鹿が居る様子は、下手に構わずに「長閑だ…」と何となく眺めて愉しむ程度が好いと思う。
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他の場所では、その辺に鹿が居ると驚くが…奈良では鹿の姿が見えなくなりでもしたら驚くことであろう。本当に「風景の一部」になっている鹿達である。

牛しぐれまぶし&かき氷…:<牛まぶし 三山>(2022.07.30)

奈良で昼食を頂こうとした。東大寺から公園の側へ進む途中で見掛けた店に入った。

↓こういう料理を頂いた…
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↓こんな食べ方をするらしい。これ?「ひつまぶし」の要領だ…
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奈良県は「大和牛」というモノを生産していて、牛肉料理を工夫するという機運が高いのかもしれない。

このセットは、味が程好く滲みた牛肉の煮込みと米飯、それに薬味や卵、更に出汁ということで、ゆっくりと幾つかの味の派生型で牛肉を愉しむという趣向だ。なかなかに好かった。敢えて大森にはしていないが、ヴォリューム感も在った…

↓幾つかヴァリエーションも在る。各々に好さそうだ。他方で、肉系統がやや苦手な方には、茶粥定食も意外に好いかもしれない。
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少し暑かった日…エネルギーを補給した形になったが…

↓こんなモノも合わせて頂いた…
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↑白玉も入ったかき氷…「宇治」という抹茶味なシロップのモノだ…

何か「夏の日の奈良…」という記憶に付随する味となったような気もする料理となった。

模型…:東大寺大仏殿内展示(2022.07.30)

↓創建の頃の東大寺を再建したのだという模型が、東大寺大仏殿内に展示されている。
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↓現在でも中央に門が在って、奥に大仏殿が建っているという状況では在る。往時はその東西に巨大な七重塔が建っていて、大掛かりな回廊も設えられていたのだという。
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↑現在も伝わる興福寺の五重塔が50mを少し超える高さだが、往時の東大寺の東西の塔は、それを遥かに超える高さであったということのようだ…

こういう過ぎる程に荘厳な東大寺は、平安時代に至って建物の傷み等も目立って少し荒れるが、それでも修繕を重ねて維持されていた。が、それが破壊されてしまう大きな事件が在った。1180年の平重衡が率いた軍勢による南都焼討である。南都(=奈良)の寺院勢力との摩擦で平家が軍勢を差し向けたのだが、辺りを焼いて攻めた。この際に東大寺も大損害を被る。大仏が傷み、大仏殿も焼け落ちた。

↓1185年に大仏が修復され、1190年に大仏殿が再建されたという。「鎌倉時代の再建」ということになるが、東大寺大仏殿内に模型が展示されていた。
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↑現在伝わっている大仏殿よりも幅が広い、より大きな建物である。

更に鎌倉時代には南大門のようなモノも含めて色々と整備される。その後も、東大寺は独自の勢威を保ち続けたようである。

戦国時代になると、松永久秀が大和国に覇を唱え、東大寺にも近い辺りに多聞城と称する城も築いた。この松永久秀に対抗した三好三人衆、或いは筒井順慶等の大和の古くからの勢力との争いが生じていた。

両者の抗争は、やがて東大寺の境内を戦場にする羽目となってしまい、東大寺の大仏殿を含めた多くの建物が損なわれてしまった。

この戦国時代の戦いで、大仏は長く雨曝しで、大仏殿の再建は行われなかった。漸くそれが成ったのは1708年であるという。

↓「江戸時代の再建」ということになる大仏殿も模型が在る。「鎌倉時代の再建」と比べて、少し小さいことが判る。
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↑現在に伝わる大仏殿は、概ねこの「江戸時代の再建」の建物だ。この建物が修理を重ねて受け継がれている。

修復や再建の経過も興味深いが、その原因となった出来事にも興味は抱かざるを得ない…

源平の争乱の頃に東大寺が損なわれた経過は小説『龍華記』(りゅうかき)が面白く、判り易いかもしれない。

戦国時代に東大寺が損なわれた経過は松永久秀を主要視点人物とする小説『じんかん』が面白く、判り易いかもしれない。

色々と思いながら、東大寺大仏殿内の展示を観た。展示されている模型そのものも、少年刑務所での作業の成果なのだということで興味深い。

ここを訪ね、改めて有名な大きな建物を巡る遠大な物語に想いが廻った…

東大寺大仏殿…(2022.07.30)

同行者を伴って京都・奈良間を往復してみようということになったのは「大仏を観よう!」ということになったからに他ならない。

↓とりあえずその大仏が鎮座する大仏殿の辺りに到った。
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↓何度眺めても大きな建物であるが、画の左側、門の脇の入口から大仏殿に入ることになる。
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↓大仏殿に近付いて行く。
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↓建物に入れば、直ぐに見上げるしかない巨大な大仏だ…
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↓「奈良の大仏」とでも言う場合、登場頻度が高いような画ということになると思いながら眺めた様子だ…
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↑大仏の高さは「座高」ということになるが、15m弱であるという。大仏が立ち上がったとすれば、身長は50m近くにもなる。往年の『ウルトラマン』のシリーズの設定身長のような大きさなのだ…

↓廻り込んで、別な角度からも大仏を眺めた…
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大仏殿の中には、“大仏”こと「廬舎那仏」の他にも幾分の像が在る。

↓広目天…
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↓多聞天…
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これらの像が意外に見映えが好い…

この時は、外に出ようとした際に極短い時間、強めな通り雨が降った。暫し大仏殿に留まった。

↓やがて、雨が弱まった様子を見計らって退出した。
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大仏殿は「時には好い…」という感じの場所だと思う。

序ながら、大仏殿内に在って通り雨だったが、以降は晴れて、一層暑い感じになったのだった…

6666件!!!(2022.08.16)

漠然と「好きな数字?」とでも問われるなら、多分「6」ということにすると思う。偶々、誕生日が6月6日だ。(序に6時頃に産れているらしいが…)

そういうことなので、京都の通に在る標柱の件を綴った記事が「6666件目」と気付いた時には、些か驚き、そして数奇な数字の「6」が4桁も並んだと嬉しかった。全く「だから??」というような話しかもしれないが。

このブログは「モノクロ写真が愉しい!」という想いが強まる中で継続して来た感である。地元、または地元同然に滞在という場所で撮る写真の他、他所に出て撮った、或いは“北海道の流儀”な言い方である「撮らさった」という写真を使った記事を掲載し続けている。

「撮らさった」という“北海道の流儀”な言い方についてだ。「〇〇らさる」、過去形の「〇〇らさった」というような言い方は「自らの意思との関連性が曖昧ながら、結果的には自身の行動や行為の帰結でありながら、感じ方の次元で如何いう訳か何らかの事象が生じたような気がしている」という意味合いだ。例えば、結果的に自身が間違えてスイッチを押しているにも関わらず「あっ!押ささった…」と表現するのだ。自身の場合、出先で夥しい写真を撮ってしまうことに関して、結果的に自身の行為の結果なのだが、何か「明確な意思との関係が薄弱なまま、何時の間にか撮っている…」という感覚の場合も交じっているように感じる場合が在るので、この「撮らさった」という“北海道の流儀”な言い方をしてしまう場合も在るのだ。

「6000件」に至ったのは今年の2月後半であった。ということは「半年にやや足りない期間で666件」というようなことになってしまう。これも5月半ば、7月末から8月上旬と纏まった時間を設けて他地域へ出る機会が在ったこと、加えて最近は朝の時間帯等にカメラを提げて何となく辺りを歩き廻る機会が従前より増えたかもしれないということの結果なのだと思う。

他地域へ出るような場合、何も「多忙な営業マン」のように「1時間とか1時間半というような区切りを設けて、次々と関係先を訪ねて用談をして…」という程のことをするのでも何でもない。自身が好き勝手に過ごす時間という中では、単純にフラフラとしているが、フラフラしながら際限無く写真を撮ってしまっている。正に上述の「撮らさった」で、後から写真を視て「これは…」と想い起し、記事に綴っておくことになる。色々と思い出して振り返る、加えて再訪時の参考ということにもなり得るので、そういうように記事を綴っておくのが結局は好きなのだと思う。

このブログでは、パソコンで視る場合には右側に「カテゴリ」が表示されるのだが、概ね「記事に在る写真を撮った場所」でその「カテゴリ」を分けている。この記事の前の時点で6666件という記事の中には、動き回った経過を日誌的に綴ったような内容も含んでいるが、多くは最低1枚、それ以上は特段の制約は設けずに写真を添えている。何時の間にか夥しい枚数になったと思う。

結局、2016年4月にこのブログを始めた少し以前に撮った写真から、極最近のモノまでが記事に掲載されていることになる。写真そのものを視ると、機材の変化、モノを視る観方の変化というようなモノが仄めかされるのだが、関心を寄せる対象ということになると、余り大きな変化は無いかもしれない。他方、身辺の事情―と言い立てる程に何かが在るのでもないが…―のような何かを反映した撮影地の選択というようなことも感じられないではない。

現在、何となく思うのは「可能な限り、このブログ、または好きな写真を撮ることは続けてみよう…」というようなことだ。純粋に「唯一の道楽」のようなモノなのだから…

釜座通(かまんざどおり)…:御池通と交差する通の名を記した標柱(2022.08.02)

京都の街には新旧様々な通が東西に、南北に延びている。同一名称の通であっても、何時の頃かの拡幅が施された箇所と、施されていない箇所とが混在し、同じ通から外れてしまったと錯覚する場所も散見する。

↓そういうことなので、こういうような具合に通の名を大きく掲げた標柱のようなモノが在ると、他所から何となく街を訪ねている自身のような者には非常に有難い。
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東西に延びている御池通は、拡幅が施されていて車輌の交通量も多い。この御池通と、南北に延びる様々な通とが交差している。

↓「釜座通」の標柱の裏には、「釜を鋳る職人が多く住んだ」というような通の名の由来が記され、加えて御池通と交わる通が図示されている。
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御池通では、各々の通についてこういうようなモノが設けられているように見受けられた。こういうのは有難い。

が、それはそれとして…実は、烏丸通を西に進んで、この釜座通を少し北上することで訪ねたかった店は直ぐだったのだが、少々西へ進み過ぎた辺りで北上し、何やらグルグルと廻って多少迷いながら歩いたということが在り、復路にこの標柱を写真に収め、後から振り返って訪ねた店に関する記憶を確かにしたかったという事情も在る。

そんな他方、この時は期せずして御金神社(みかねじんじゃ)に出くわし、確りと参拝も出来たのが善かったが。

出先でふらりと歩き、不運なような好運なような、何か判らずに色々な文物に当たりながら過ごすというのが、何やら酷く愉しいと振り返っている。

「平城京 2010年は平城遷都1300年」…(2022.07.30)

今般、同行者を伴って京都・奈良間を往復した。そして奈良を少し歩き廻った。

奈良公園を抜けて東大寺を目指す中、奈良県庁に近い辺りには地下横断歩道が何箇所か設えられている。

↓その地下横断歩道の一つで、初めて奈良を訪れた同行者が「これ!?何?!」と興味を示したのがこの画だ。
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↑「710年」と伝わる平城京の起りから1300年を記念して2010年に登場したという画だ。奈良の街が眼下に視える若草山から視たというイメージで描いた平城京である。

この平城京は、時代が下って街となった辺りを基盤にする現在の奈良の街の中心的な辺りよりも広い範囲に街並みが拡がっていたようである。遥かな遠い古代に大きな街が築かれ、王朝の中心が在ったというのは、何やら浪漫が掻き立てられるというものだ。

自身、何度も通り掛っている辺りに在る画だが、同行者が「これ!?何?!」と興味を示したことで、改めて注目した。

神奈川県庁舎…(2022.08.05)

「多少早目?」と思いながらも夕食を済ませ、然程の目的意識も無く、少し辺りを歩き廻った。

↓偶々、何やら重厚な感じの大きな建物に行き当たった…
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これは神奈川県庁舎だ…1928(昭和3)年に竣工したそうだ…

↓屋上部の塔が綺麗に見える角度の辺りは通らなかったが…何か酷く重厚だった。
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今般、横浜で面白い建物の眺めを求めて長く歩き廻るということはしなかった。多少、体力を消耗する夏季の故か?何か、何処かへ出掛ける都度に「“次”が在るなら…」というのが頭の隅に浮かんでしまう…

京都駅にて…(2022.08.03)

↓京都駅から列車で発つ、言葉を換えると京都を離れるという朝、敢えてこの京都駅の正面に来てみた。
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↓単純に改札を潜って列車に乗るなら、もっと出入りし易い出入口も在ったのだが、何かこの「正面」を通りたい気分だった…
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↓琵琶湖の東岸を進む列車を待っていると、何やら余り見慣れない車輛が動いているのが視えた。
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↓山陰方面に向かう特急列車用のディーゼルカーが動いている様子だった。発車に向けた準備のために、広い構内を移動していたのであろう…
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↓そんな様子を観ていた間に、乗車する列車が現れた…
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そのうちまた向かう機会も生じるかもしれないが…何か「淡々と京都を離れた…」という風情だったと振り返っている…

珈琲…:<スマート珈琲店>(2022.08.01)

同行者を伴って所用を足しながら多少歩き、京都市役所から遠くない辺りに居合わせて、「珈琲でも飲んで一息入れよう」という相談になった。

そして目当ての喫茶店へ足を運んだ…

↓席に通され、ふと見上げるとこういう内装で、何やら美しいと思った。
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同行者とは5月にも一緒に立寄った店であった。あの時は所用に出る前、朝食という感覚でホットケーキを摘まんで、珈琲を頂いた。同行者にとっては「想い出の店」として強く記憶に残っているらしい。今般、店の前に至ると「ここだ!」と大喜びだった。

↓ここのオリジナルブレンドは美味いと思う。拙宅用に豆を取り寄せた経過も在った。また何時か取り寄せようかとも思っているが…
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同行者がホットケーキを所望した。テーブルに供されると「わー!これだ!!」と大喜びだった。厚くて大きな2枚のホットケーキが在って、同行者は1枚を美味しそうに頂いてしまった。そして「1枚あげる…」と皿を押し出す。「然らば、頂きまする…」ということにした。

↓こういうような、老舗喫茶店で暫し寛ぐというような“時”が酷く愛おしい。
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店を退出し、数歩歩いて、少し可笑しさが込み上げた。同行者は「1枚あげる…」とホットケーキを差し出したが…御勘定は自身が纏めて支払ったのだった…そういう何気ないこともまた愛おしい。

夕べに…:<居酒屋たま>(2022.08.07)

旭川の宿で「昼寝…」に及ぶ状況も在って、起き出した後に街へ出た…

↓さり気ない猫(=“たま”ということか?)の猫のイラストが好いと思った。居酒屋を訪ねて、通されたテーブル席だ。最大4名程度は入りそうな場所だが、1人で訪ねているので、1人で利用した…
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↓「飲み放題」を御願いし、飲物を適宜頂きながら、料理を御願いして頂くというような感じの店だった…
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↓チーズを使ったサラダを摘まみながら待つ…
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↓豚肉、エリンギ、茄子、海老、鶏肉という串カツの盛り合わせを頂いた…
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↓適当に、容器に入ったソースを点けて頂くという方式だった…
07-08-2022 X100F (47)

↓よだれ鶏…野菜と併せて軽く摘まむことが出来る感じだった。
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↓鶏、豚、豚の紫蘇巻き…串焼きも好い感じだった…
07-08-2022 X100F (51)

↓締め括りにプリンまで頂いてしまった…
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↓ふらりと立ち寄り易い感じの場所で、意外に目立つ感じの店だった…
07-08-2022 X100F (39)

1箇所、手ごろな華夏腕愉しめる、好い感じの場所を開拓したという感じだった…

稚内港北防波堤ドーム…(2022.08.15)

眼を開けて戸外の様子を伺うと、遠くの雲の様子が少し面白い感じで、光加減を観れば低空が明るめと見受けられた。

↓「極々短い散策」と称して少しだけ歩いた…
15-08-2022 early morning XPro2 (5)

↓布地か紙のような天にエアブラシのような道具を用いて精緻に雲を描き込んだというような様子を想像した。面白い按配に雲が拡がり、刻々と変わる光が雲に跳ね返る、または透けるというような感じだった。
15-08-2022 early morning XPro2 (10)

↓高めな天にも雲が散っていて、刻々と変わる光に連れて見え方がドンドン変わった。そういう様が静かな海面に映り込んでいる。
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↓何か「何時もの場所…」というような辺りに陣取って、少しゆっくりと眺めていたが、程好く温かで心地好かったことも手伝って、少しゆっくりとしていた。
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↓やがて朝陽が上る様も視えた…
15-08-2022 early morning XPro2 (30)

このところは、とりあえず好天が続いている感だ。戸外で何かをしようということでもないのだが、好天は結構だと思う。

三条木屋町 <RAG>:サックス奏者 カテリーナ <Smooth Quartet>と邂逅…(2022.08.02)

筆者の友人であるサックス奏者のカテリーナは東京へ上陸の後に京都へ移動し、京都で暮らしている。会おうということで京都を訪ねた。

京都滞在の中で「ライヴハウスに音楽を聴きに行ってみる」ということを思い立った。<RAG>という場所での演目が非常に興味深いということで、足を運ぶこととした。

<RAG>の演目は、女性サックス奏者がリーダーを務める4人編成のバンドによる、ジャズ系統の演奏ということであった。カテリーナもジャズ系統のセッションは多く経験しており、更に同じ女性サックス奏者、日本の演奏家の演奏を聴くことを非常に楽しみにしていた。加えて、折角の機会なので、演奏家の皆さんと親しく言葉を交わすようなことでも叶えばと、話しの切っ掛けにもなるように、自身のアルトサックスを持ち運び用のケースに入れて会場に持ち込むこととしたのだった。

このバンドは<Smooth Quartet>(スムース・カルテット)という。4人編成だ。(遠藤真理子(Sax) 杉山悟史(Key) 長谷川晃(B) Von Barron(Ds))リーダーの遠藤真理子を始め、各メンバーが様々な演奏活動を展開している。所謂「スムースジャズ」という、フュージョンが起こったた後に出て来た感じの音を目指し、4人で集まったというバンドである。

正直、同行するカテリーナが「女性サックス奏者がリーダーのジャズ系のバンド」ということで気に入ってくれそうだという程度に思い、事前に色々な情報が在るでもない中で券を入手して演奏を聴きに行ったのだが、これが素晴らしい内容だった!メンバー各々の奔放で力強いソロパートが確り設けられ、「ジャズバンドらしい!」という感の実に素敵な演奏を披露してくれて、各メンバーが本当に愉しそうに演奏していた様子に引き込まれた。自身は、ジャズ系の曲を演奏するミュージシャンによる生演奏が気軽に楽しめるというような機会が寧ろ稀な小さな街に在るので、こういう「関西の音楽シーン」というようなモノに触れた経験は非常に興味深かった。が、同行したカテリーナが非常に嬉しそうに「素晴らしい演奏!!」と愉しんでいた様子が、傍に在って何か嬉しかった。

ライヴそのものは二部構成だった。途中に休憩を挟んで演奏する。“ファースト”、“セカンド”と呼んでいたが、前半と後半というような感じだ。加えて「ネット配信」も確りと行っていた。とにかく非常に力強い演奏に夢中になっていた。あっと言う間に前半が終わって「後半も御愉しみに!!」という感じになってしまった。

その休憩時間にカテリーナは演奏家の皆さんと言葉を交わす機会を持つことが叶った。と言うより、演奏家の皆さんも嬉しくなる程に、カテリーナは嬉しそうに演奏を愉しんでいたので少々目立ち、話し掛けて頂いた訳だ。或いは英語で、或いは勉強中の日本語で言葉を交わし、サックス奏者で自身の楽器を持参してみた旨を話せば「終わってから一緒に音を?」という相談になった。

“セカンド”こと後半も、益々盛り上がった。「ジャズバンドらしい!」という感の、力の籠った演奏に夢中になった。拍手喝采でアンコールを一曲で幕を閉じた。

そして暫し…「ライヴと配信が終了しましたが、ここに残った皆さんだけのためのスペシャルセッションを一曲…」とカテリーナは<Smooth Quartet>の4人と一曲演奏することになった。

↓遠藤真理子のリードで…
02-08-2022 Smooth Jazz at Kyoto (1)

↓カテリーナが合わせるという形を基調に一曲演奏してみた…
02-08-2022 Smooth Jazz at Kyoto (3)

↓なかなかに力強い音の演奏となった。
02-08-2022 Smooth Jazz at Kyoto (5)

↓大いに乗って盛り上がった。
02-08-2022 Smooth Jazz at Kyoto (10)

↓杉山悟志、長谷川晃、ヴァン・バロンと各メンバーにも盛り立てて頂いて、カテリーナは嬉々として夢中で演奏していた。
02-08-2022 Smooth Jazz at Kyoto (14)

↓最後は長谷川晃も愉しそうに前に踏み出して、力一杯のフィニッシュだった。
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本当に「この曲?知ってる!それにしよう!」とセッションが始まった。演奏家達が集まって、自然にセッションという「実にジャズらしい」という場面だったとも思った。こういうセッションに留まらず、カテリーナにも何かの出演機会でも生じるようになって行けば好いのであろうが、それはそれとして、今般は「凄い演奏家と一緒に演奏!」とカテリーナは大興奮で嬉しそうに引揚げることとなった。

こういう素敵な音楽シーンの活き活きとした様が見受けられる街でカテリーナが暮らし始めたということは大変に幸いだ。今般は出逢った<Smooth Quartet>の皆さんに、大いに感謝申上げたい。何か特殊な経過が在ったのでもなく、「カテリーナとカッコイイ音楽でも聴きに行ってみるか…」というだけのことで、こういう出逢いが在った訳だ。自身も大いに愉しんだ。

↓<Smooth Quartet>の4人の関係サイトで眼に留まったモノのリンクを下記に…今般の御縁を大切に、自身も「一音楽好き」として彼らを応援したい…
>>MARIKO' S SAXOPHONE AND MUSIC! Saxophone Player 遠藤真理子 Official Web Site
>>Jazz Pianist Satoshi Sugiyama Official Weblog
>>長谷川晃 ベース教室|京都の音楽スタジオ|スタジオラグ
>>Van Baron Music

「素敵な時間」に纏わる事を、少し真摯に綴っておきたかった…

高野山東京別院…(2022.08.06)

慶長年間(1596-1615)というのは、江戸を本拠地とした徳川家がその基盤を強め、幕府を開いてその体制を固めて行こうとしていた時期に相当する。色々なモノが江戸に入り込んで、場合によってはその後の時代まで受継がれたという例も多く在ったと考えられる。

真言宗の高野山には、高野三方(こうやさんかた)というモノが在った。「学侶方」(がくりょかた)は密教の研究を専らとし、祈祷を行う等した。「行人方」(ぎょうにんがた)は寺院管理、法会という実務に携わり、所謂“僧兵”を輩出した。「聖方」(ひじりかた)は全国を行脚し、高野山信仰を説き、勧進を行い、高野山への納骨や納髪を進めており、全国の“空海伝説”の切っ掛けを作ったという。

その高野山の学侶方が「江戸在番所」を慶長年間に設けたのだという。やがて高野寺となって、火災による焼失や復興というような経過で幕末期まで続く。

明治期には高野三方というようなモノも無くなり、在番所も廃止されてしまった。しかし高野寺の流れは残った。そして1927(昭和2)年には「高野山東京別院」を号し、現在に至っているのだという。

↓再訪する機会に備えて、道順を覚えておきたいという意図で、唐突に妙な写真を出した…
06-08-2022 XPro2 (65)
↑都営地下鉄、または京急の泉岳寺駅で、駅名の由来になっている泉岳寺に近い「A2」という出口から出る。直ぐに泉岳寺の敷地に入る辺りに至る。そこを左に進むと、都市緑地が在る。近隣の児童が遊ぶような場所だが、そこに公衆トイレが据えられていて、これが目印になる。

↓公衆トイレの周辺から住宅等が視えている側へ踏み込み、少し進めば急な坂道だ。坂の上から振り返った。
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↓坂を上がって平坦な道路になった辺りに高野山東京別院は在る。
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↓境内に在った駐車場等の案内図だが、図の右上の側の路に坂を上って至り、引揚げた時はそこから坂を下ったのだった。
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↓荘厳な本堂である。1988(昭和63)年に建立されたそうだ。
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↓本堂は「遍照殿」と名付けられている。空海の別名が遍照金剛であることに因む訳で、弘法大師を祀っている。
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↓足を踏み入れれば、厳かな空間である。
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↓蝋燭も備え、真摯に祈った…
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↓退出する際、何となく見上げてしまったが、広壮な空間に多くの人達が集まることも可能なような設えの場所だった。
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江戸の街が栄えて行った経過と共に受継がれた、この地域での弘法大師の興した真言宗への信仰の拠点である。何か酷く興味深かった。

稚内港北防波堤ドーム…(2022.08.14)

↓早朝の戸外はやや暗い気がしたが、低めな天に随分と雲が多めであるという様子で、高い天は明るい感じであることが判った。
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↓流れるようで、余り流れないような、複雑な雲が蠢き、その様子が海面に映り込むような不思議な様子だった。
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↓連なる巌のような様相を呈した雲に阻まれて朝陽の様子は観えなかったが、それでも雲の向こうでの光の変化が感じられるような様相を呈した。
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↓何やら不思議な様子の早朝だった。
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この後、朝陽が高くなり、雲は流れ去り、何やら陽射しが強い日中になって行った…

宵…:桜木町駅(2022.08.05)

やや早目に夕食を済ませ、少し辺りを歩き廻った…

↓「大都市圏の駅」とでも聞けば思い起こすような風情だと思った。
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↑桜木町駅辺りは、色々なオフィスが在って通勤する人達が多いと見受けられるが、宿泊施設も多く立地しているので旅行者も多いようだ。加えて買物や色々なことで出入りする市内や近隣の人達も在ろうし、然程遠くない辺りに住宅も在るかもしれない。色々な人達が交錯している場所だ。

こういう様子を暫し眺め、宿に引揚げて寛いだ…

「@NAGOYA」…(2022.08.03)

↓記念写真の背景にでもするのか?こういうような「地名の看板」というような感じのモノが方々に見受けられるようになったと思う。
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↓地下鉄市役所駅の直ぐ傍、名古屋城の近くにこの「@NAGOYA」は在る。
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今般、名古屋城を見学するにはやや遅い、または時間が足りないような按配で名古屋に到着したが、市庁舎を眺めるというようなことをしようと辺りに足を運んだのだった。

名古屋に関しては、立ち寄る都度に「機会が在れば、もう少しゆっくり…」というようなことを散々繰り返している感もする…

稚内港北防波堤ドーム…(2022.08.13)

↓東寄りな空の明るさに誘われて、早朝の戸外に少し出てみた…
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↓日出時刻までの間に、天の様子は随分と変わるものである…
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↓少し感心しながら、ぼんやりと天や海を眺めて過ごしていた…
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↓霞むような薄い雲に光が跳ね返って、何か独特な空気感を醸し出すようになって行った…
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↓やがて朝陽の一部が覗く…
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↓朝陽が少しずつ高くなり、海面に「光の路」が姿を見せる…
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麗しい時間に巡り合えた早朝だったと思う…こんな時間が愛おしい…