若干、細切れのようになった深めな睡眠が折り重なって、何時の間にか朝を迎え、宿で朝食が供される時間帯に近付いていた。そういう具合に朝を迎えた。早速に、窓辺の朝の光は眩しい…
今般は名古屋を経て京都に至り、入った宿に逗留を続けた。或いはこれまでに余りやっていない方式であったかもしれない。交通至便な四条烏丸に在る宿の居心地は、酷く好いものだった。気分は「ウィークリーマンションに滞在」に近かったかもしれない。
そういうことなので、京都をゆっくり離れることに関して、或る種の感慨のようなモノも湧く。“事案”は在る訳で、多分また足を運ぶようになることであろう。
そして出発だ。<青春18きっぷ>を使う。とりあえず京都駅に出てJRの列車に乗り込み、「道草しながら名古屋に至る」ということで、余り細かいことは考えていない。「道草」とは言っても、酷く暑いのでそれ程歩き廻ることが出来るのでもないというようにも思ったが。
草津で江戸時代の宿場の経過に関する遺構や展示を見学した。そこから米原を経て大垣に至った。大垣では大垣城等を見学し、大垣駅へ引揚げる時に道を間違えて随分と歩いた。そして名古屋へ向かい、往路でも利用した宿に入った。とりあえず汗を流して一息という訳だ。
夕刻、名古屋地区で活動中である友人と会うことにしていた…
この友人とは知り合ってから存外に年月を経ている。2020年2月、友人は活動の関係で稚内へ足を運んでいて、その際に御会いしていたのだが、それ以来ということになった。色々と語らう愉しい夕べということになった。
今般、何となく名古屋でも一息入れている…明日からは東へ進む…
夕べの二条城:ライトアップ…(2022.08.01)
京都は連日の暑さである。思い付くままに方々を歩き廻ろうにも、日中は多少動くことが憚られる面も否定はし悪い…
そういう中ではあったが、夕刻に戸外へ出た。夕食を一寸愉しみ、序に散策をしてみたかったのだ。夕刻時点でも30℃を超えてはいたが、日中のような強い陽射しを免れ、酷く苦しいということでもなかった。
↓二条城に至った…
↑四条烏丸の宿から烏丸御池まで北上し、そこから少し西へ進めば二条城である。存外に距離は在るかもしれないが、散策をしていて「何となく至ってしまう範囲」ということになると思う。
↓見学者を迎える時間帯は過ぎてしまっていた。
↑しかし、折から「夏まつり」と称して、有料の券で中に入ってライトアップ等を愉しめると知って立寄ってみたのだった。
↓そして中に入った…
↑「夏まつり」の券は、窓口に並んで求めることも出来るのだが、近くのコンビニであれば特段に並ばずに求められる。後者の方式で券の入手したのだった。
↓日没の時刻には早めな頃から、場内をゆっくりと廻ることとなった。
↓庭園の風情が好い…
↓二条城は身分が高い人達が常住していた経過は無かったと思う。将軍が江戸からやって来た時―徳川家康からと徳川家光までの3人、徳川家茂が京都に乗り込んでいる。徳川慶喜は京都で活動中に将軍に就任し、戊辰戦争の際に大坂から船で江戸に引揚げた経過だ。15人の将軍達の多くは京都に入っていない…―の本陣になる場所だったと思う。が、庭は凄く立派だ…
↓城は「防衛陣地」である訳で、敵の軍勢の進行を阻む濠のようなモノが随所に設けられている。
↓現代の時点で城の域内を歩き廻る分には、濠は「風情溢れる水辺」という具合だ…
↓何やら「都市緑地」というような様相でもあると思った。
「夏まつり」の時間帯は、見学者を迎えている建物内等を入ることが出来るのでもない。夕刻の変わる天の下、ライトアップ等を愉しむという趣向である。
↓結局、唐門の周辺に陣取って、ライトアップを少し愉しむことにした。
↓到着直後と趣が少し変わっていた…
↓天の光、暗さが刻々と変わり、建造物の見え方も刻々と変わった…
↓日没時刻から少し経て、暗さが増した天の下でライトアップされた建造物が輝いて見えるようになった。
↓天には月も輝いていた…
↓そして灯りに照らされた外周の濠の辺りに出て退出した。
往路は歩いてしまったが、復路は地下鉄を利用して宿へ引揚げた…非常に好い「夕涼み」というようなことになった。
そういう中ではあったが、夕刻に戸外へ出た。夕食を一寸愉しみ、序に散策をしてみたかったのだ。夕刻時点でも30℃を超えてはいたが、日中のような強い陽射しを免れ、酷く苦しいということでもなかった。
↓二条城に至った…
↑四条烏丸の宿から烏丸御池まで北上し、そこから少し西へ進めば二条城である。存外に距離は在るかもしれないが、散策をしていて「何となく至ってしまう範囲」ということになると思う。
↓見学者を迎える時間帯は過ぎてしまっていた。
↑しかし、折から「夏まつり」と称して、有料の券で中に入ってライトアップ等を愉しめると知って立寄ってみたのだった。
↓そして中に入った…
↑「夏まつり」の券は、窓口に並んで求めることも出来るのだが、近くのコンビニであれば特段に並ばずに求められる。後者の方式で券の入手したのだった。
↓日没の時刻には早めな頃から、場内をゆっくりと廻ることとなった。
↓庭園の風情が好い…
↓二条城は身分が高い人達が常住していた経過は無かったと思う。将軍が江戸からやって来た時―徳川家康からと徳川家光までの3人、徳川家茂が京都に乗り込んでいる。徳川慶喜は京都で活動中に将軍に就任し、戊辰戦争の際に大坂から船で江戸に引揚げた経過だ。15人の将軍達の多くは京都に入っていない…―の本陣になる場所だったと思う。が、庭は凄く立派だ…
↓城は「防衛陣地」である訳で、敵の軍勢の進行を阻む濠のようなモノが随所に設けられている。
↓現代の時点で城の域内を歩き廻る分には、濠は「風情溢れる水辺」という具合だ…
↓何やら「都市緑地」というような様相でもあると思った。
「夏まつり」の時間帯は、見学者を迎えている建物内等を入ることが出来るのでもない。夕刻の変わる天の下、ライトアップ等を愉しむという趣向である。
↓結局、唐門の周辺に陣取って、ライトアップを少し愉しむことにした。
↓到着直後と趣が少し変わっていた…
↓天の光、暗さが刻々と変わり、建造物の見え方も刻々と変わった…
↓日没時刻から少し経て、暗さが増した天の下でライトアップされた建造物が輝いて見えるようになった。
↓天には月も輝いていた…
↓そして灯りに照らされた外周の濠の辺りに出て退出した。
往路は歩いてしまったが、復路は地下鉄を利用して宿へ引揚げた…非常に好い「夕涼み」というようなことになった。
御金神社…(2022.08.02)
ハンバーガー…:シェイクシャック 京都四条烏丸店(2022.08.01)
四条通側から三条通側へ、街を北上するように歩いた。
↓こういう様子を眼に留めた…
↓こういうような具合に、建物の1階を占めている…
↓この暖簾?ハンバーガー!?
↓御店に入ってみた…
↓入口近くでモノを御願いして精算すると、フードコートのような場所で見受けられるブザーが出て来て、これを持って待つこと暫しである。
↓店の奥でこういう具合にモノを受け取った…
↓「シンプルな…」というハンバーガーを御願いしたが、程好くヴォリュームが在り、佳い食材を組合わせた感で実に美味かった…
↓「好い御店」が御蔭様で増えた…
>>シェイクシャック Shake Shack(公式サイト)
↓こういう様子を眼に留めた…
↓こういうような具合に、建物の1階を占めている…
↓この暖簾?ハンバーガー!?
↓御店に入ってみた…
↓入口近くでモノを御願いして精算すると、フードコートのような場所で見受けられるブザーが出て来て、これを持って待つこと暫しである。
↓店の奥でこういう具合にモノを受け取った…
↓「シンプルな…」というハンバーガーを御願いしたが、程好くヴォリュームが在り、佳い食材を組合わせた感で実に美味かった…
↓「好い御店」が御蔭様で増えた…
>>シェイクシャック Shake Shack(公式サイト)
溢れ出るかのような想い…=運行日誌(2022.08.02-03)
少し遅めな時間帯に至る迄、色々と動き回り、あっという間に日付が改まってしまっていた。
「所用」ということで、それらを足してしまい、序に時間的なゆとりも大きかったというのが「今般の京都」ではあった。が、「危険な暑さ」という最中であり、「時間的なゆとり」を活かして何かをしたという程でもなかったかもしれない。
「何かをしたという程でもなかった」かもしれないが、同行者と落ち合った中、如何しても必要と見受けられた用事は足し、可能な範囲で文化的に過ごしたような気はする。
8月2日は早起きをして、そのまま散策に親しんだが、酷く汗をかいてしまい、何やら休んだ。昼前には食事に出て、何やら噂の喫茶店を訪ねてみようとして「所在地の御案内」を参照した筈だった。しかし「何やら行き過ぎて、迷いながら戻る…」という余計な動きをして汗をかいた…
そんなことの後、一つ所用を足し、宿に一旦引揚げた後、同行者と落ち合った。ライヴハウスに音楽を聴きに行ったのだった。同行者はそれを、本当に「物凄く!!」喜んでくれたのだが、自身としては各メンバーが実に愉しそうに、そして熱も籠っている感じで演奏するのを聴く機会が少ない、最近では「殆ど無い…」という様子なので、酷く愉しかった。
自身は地下鉄で宿に引揚げる心づもりであったが、同行者はバスで引揚げようとした。停留所を見出してみると、4分少し待った辺りでバスは現れ、同行者はそれを利用した。自身は、同行者バスに乗った様子を見届けた後、地下鉄で引揚げた。
別れ際に「明日、京都を離れる?何時?京都駅から?見送りに行く。一緒にお茶でも…」と同行者は言い出した。「気持ちは嬉しいが、出発間近に会って、お茶でもしていると自身は出発することが嫌になってしまうかもしれない…去り際が寧ろ苦しくなってしまう…」と申し出た。そういうことで、同行者とはバス停で別れた。再会を期して…
徒手空拳という様子だった友人を同行者として京都に入り、新たな道を拓くことが叶うようにと背中を押した。多くの人々の御協力や御配意も頂き、活き活きと活動も出来るようになったことを、自身も喜んでいた。こうなって来ると、同行者が強い関心を抱いている音楽シーンにような事柄に触れる機会を設けてみるのも悪くはないと思った。自身でも、同行者を御案内することを口実に一寸愉しみたかったということも在ったが…
そういうことで、何やら「“想い”が溢れ出る」という気分ではある。が、他方に「実際的な都合」というモノもある。「夜中に…」とブツブツは言わず、酷い汗で汚れ、時間を経ても何となく湿っている衣類を、宿の館内に設けられたコインランドリーで洗濯をせねばならない…
色々と細々した話しは、追って綴るようにしたいと思う…
そして…夜が明けると移動という算段ではある…
「所用」ということで、それらを足してしまい、序に時間的なゆとりも大きかったというのが「今般の京都」ではあった。が、「危険な暑さ」という最中であり、「時間的なゆとり」を活かして何かをしたという程でもなかったかもしれない。
「何かをしたという程でもなかった」かもしれないが、同行者と落ち合った中、如何しても必要と見受けられた用事は足し、可能な範囲で文化的に過ごしたような気はする。
8月2日は早起きをして、そのまま散策に親しんだが、酷く汗をかいてしまい、何やら休んだ。昼前には食事に出て、何やら噂の喫茶店を訪ねてみようとして「所在地の御案内」を参照した筈だった。しかし「何やら行き過ぎて、迷いながら戻る…」という余計な動きをして汗をかいた…
そんなことの後、一つ所用を足し、宿に一旦引揚げた後、同行者と落ち合った。ライヴハウスに音楽を聴きに行ったのだった。同行者はそれを、本当に「物凄く!!」喜んでくれたのだが、自身としては各メンバーが実に愉しそうに、そして熱も籠っている感じで演奏するのを聴く機会が少ない、最近では「殆ど無い…」という様子なので、酷く愉しかった。
自身は地下鉄で宿に引揚げる心づもりであったが、同行者はバスで引揚げようとした。停留所を見出してみると、4分少し待った辺りでバスは現れ、同行者はそれを利用した。自身は、同行者バスに乗った様子を見届けた後、地下鉄で引揚げた。
別れ際に「明日、京都を離れる?何時?京都駅から?見送りに行く。一緒にお茶でも…」と同行者は言い出した。「気持ちは嬉しいが、出発間近に会って、お茶でもしていると自身は出発することが嫌になってしまうかもしれない…去り際が寧ろ苦しくなってしまう…」と申し出た。そういうことで、同行者とはバス停で別れた。再会を期して…
徒手空拳という様子だった友人を同行者として京都に入り、新たな道を拓くことが叶うようにと背中を押した。多くの人々の御協力や御配意も頂き、活き活きと活動も出来るようになったことを、自身も喜んでいた。こうなって来ると、同行者が強い関心を抱いている音楽シーンにような事柄に触れる機会を設けてみるのも悪くはないと思った。自身でも、同行者を御案内することを口実に一寸愉しみたかったということも在ったが…
そういうことで、何やら「“想い”が溢れ出る」という気分ではある。が、他方に「実際的な都合」というモノもある。「夜中に…」とブツブツは言わず、酷い汗で汚れ、時間を経ても何となく湿っている衣類を、宿の館内に設けられたコインランドリーで洗濯をせねばならない…
色々と細々した話しは、追って綴るようにしたいと思う…
そして…夜が明けると移動という算段ではある…