帆船日本丸・第一号ドック…(2022.08.04)

↓画をクリックして拡大して視ると、「雨脚」が筋状に写っているのが判る。
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↓横浜の桜木町に着いた辺りで雲が垂れ込めたような具合になっていたが、宿の居室で一息入れて、少し暗くなった時点で雨が酷くなっていた。
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↓余りに酷い雨に傘を求めてしまったが、好奇心に駆られて辺りの様子を眺めながら歩いたのだった…
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↓<日本丸>が据えられた辺りの水面に雨が跳ね上がっている感じが少し判り易いかもしれない画だ…
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こういう様子に出くわすのも少し珍しいかもしれない。が、後から思うと、好奇心に駆られて、辺りを歩いて写真を撮っていたということが多少の驚きかもしれない…

YOKOHAMA AIR CABIN(ヨコハマ エア キャビン)…(2022.08.05)

↓こんな様子を眼に留めた…
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↑スキー場のゴンドラのようなモノが街の中を行き交っている…

↓こういうような「駅」が設けられ、桜木町駅前と運河パークとの間、所謂「汽車道」の上に相当する635m程の区間をゴンドラが結んでいるのだという。
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↓こういう駅が設えられていた…
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このゴンドラが<YOKOHAMA AIR CABIN>(ヨコハマ エア キャビン)と名付けられているということだ。2021年から運行しているのだという。自身は初めて実物を眼にしたのだが、考えてみると横浜に立寄ったのは2019年以来ということだった…

ところで<YOKOHAMA AIR CABIN>(ヨコハマ エア キャビン)だが、片道運賃が1000円らしい。今般は乗ってはみなかった…

緩慢な時間?=運行日誌(2022.08.05)

前日、名古屋→(豊橋)→(浜松)→静岡→三島→(熱海)→(横浜)→桜木町という経路で動き、夕刻に暗くなり始めたような頃には強めな雨であった。

多少の雨で傘は持たないのだが、昨夜は「多少…」では「済まない!!」という程度だった。コンビニで700円位のビニール傘を求めた。直径70㎝を謳う大き目なモノで使い易かった。この傘を使うと、傘に雨が当たる音が何やら凄かった。

そんな状況を踏まえて「模様視」を決め込んだ早朝であった。実は…「道草しながら関東に到達し、8月6日に北上のフライト」という段取りを、「名古屋から横浜に至って連泊」というようにしてしまった。“道草”を想った経路上で、何やら宿泊施設が混み合っている様子だったので「それなら…」と思い付いてみると、アッサリと宿を押さえることが叶ったのだ。

前夜の様子から雨に警戒したが…結果的に雨は降っていない。雲が多い、陽が射すが変化し、総じて曇りが多かったような気はする。気温は30℃を少しだけ下回るような具合だったようだ。自身のように「寒冷地仕様…」を嘯く者にはやや暑い、または蒸すような気がするのだが、京都で経験した「危険な…」というのとは明らかに違う。「普通な一寸暑い夏季の様子」という範囲に収まっているような気がした。

そういう天候を受け、何となく「懐かしき鎌倉」と思い付いた。少年期の旅行で訪ね、都内に在った学生時代に何度も訪ね、その後も何年かに一回は寄った気がするが、結局酷く御無沙汰してしまっていた。そういうことで訪ねたのだった。

鎌倉の後は東京駅に出て少し辺りを散策し、桜木町に引揚げ、夕食を愉しんで辺りを散策したというような次第だ。何か、現在の宿の辺りで普通に暮らしたような場合、まぁまぁな天候の休日に思い付いて取りそうな行動をしたという感がする。仔細は追って別に綴ろうと思う。

今般、暑さの中で些かの所用を交えて京都で過ごし、以降は何やら緩慢に過ごしている。「緩慢」と言えば、最近は「何時でも…」という感も否定し得ないのかもしれない。が、それはそれとして「何となく心地好い…」という過ごし方をしているように思う。

明日は北上だ…

北鎌倉駅…(2022.08.05)

↓最大で15輛編成の列車が発着している。列車本数も少なくない。それでも何処となく「ローカル…」という風情が色濃く漂う…
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↓北鎌倉駅である…
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↓何時の頃からか、こういう駅名の看板になったようだ…
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一体、何十年経ってしまったか?“親父殿”と、未だ小学校に入ったばかりの“賢弟”と、小学6年生であった自身とで列車や連絡船を乗り継いで首都圏に入り、叔父に御案内役を御願いして鎌倉を巡ったということが在った。

当時の自身は、習い覚えた「元寇」の事件で活躍したとされる北条時宗に所縁が深いという円覚寺を訪ねてみたいと言い出し、「鎌倉駅の手前の北鎌倉駅の眼前だから…」と聞き、何やら張り切って出掛けた覚えが在る。

そういう想い出も在って、そして雰囲気が好いということで、「新宿区民」であった学生時代、色々な機会に何やら「鎌倉にでも…」と出掛けて、北鎌倉駅にも何度も降り立った。そして鎌倉を歩いた…

今般「随分と御無沙汰…」と思い付き、北鎌倉駅を目指した。桜木町駅から大船駅へ出て、乗換えて直ぐに北鎌倉駅だ。

北鎌倉駅は幾つかの路線が交差する大船駅と、街の中心で大きな存在感を示す鎌倉駅との間に在る。何か不思議な存在感だ…

↓大船からの列車の後尾側に乗って着けば、列車の先頭側に近い辺りが改札口だった。15輛という長大な編成なので改札口まで随分と歩いたが、その間に反対方向に新しい車輛の列車が現れた…
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何回も乗降していた他方、酷く御無沙汰で、眼にしたような車輛の姿を思い描いたこともなかった。

改札口を潜ると直ぐに円覚寺なのだが…多分、嘗ては円覚寺が何かの用途に用いていたか、所有していたかというような用地に関して、鉄道建設の際に話し合って軌道を通したということなのだと思う。円覚寺は「吃驚!!」という程度に近い。

時にはこんな駅を利用するのも好い…

静岡市庁舎…(2022.08.04)

静岡駅内の観光案内所で道順を御尋ねして地図を頂き、「これが在れば迷い悪い…」とゆっくり駿府城公園を目指して歩を進めた。

車輛の通行量が多めな箇所で地下通路を通る必要が在る例が存外に目立ち、「初めて…」という自身には「やや判り悪い?」と思わないでもなかったが、何とか目指す辺りに近付いた。(因みに静岡は2回目だが、初めての時には駿府城公園へ至るのとは反対側で静岡駅に出入りし、翌日以降の動きに備えて宿に入って、辺りで食事を愉しんだというようなことに終始したのだった…)

↓これが少し離れた辺りから姿を覗かせていて、何か凄く気になった…
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「建物」であることは間違いないと思った。丸まった屋根を載せた塔というようなモノが組み合わさった建物だ。何か「異国風?」と思った。

↓正面に辿り着いた。「所役市岡静」の文字を認めた。「静岡市役所」だ…
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↓異国風な旧い建物の、画では左に背が高い建物が在る。そちらが静岡市庁舎の「新館」で、さまざまな部局のオフィスが多く入っている。「市役所に用事を足しに…」ということでも在れば、多くは「新館」に足を運ぶことになるようだ。旧い建物は「本館」で、1階に少数の部局のオフィスが在るようだが、主に市議会で使っているようだ。
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この異国風な建物だが、スペインの建築を意識したデザインで、1934(昭和9)年に竣工したそうだ。今般偶々視た名古屋市庁舎と同時期の建築と言って差し支えないと思う。が、あれとはまた少し違う個性的な外観だ。旧い建物の外観と言えば、友人の一人が「街の旧い建物の一部に、ロシアの街に在る“〇〇劇場”というような類の建物を思い出すようなモノが在ると思う…」としていた。1930年代頃までは、「異国風」を採り入れたような、大胆なデザインが方々に見受けられたのかもしれない。

事前には承知していなかった、静岡市役所本館の個性的な外観が面白いと思いながら歩を進めた。

↓足元にこんなモノが在った。
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↑静岡市で管理しているマンホールの蓋だと思う、市役所本館の真中に在る塔のイラストを採用している。

こういうような、個性的な外観の建物を眺めながら方々を動き回るというのも、少し面白いかもしれない。
posted by Charlie at 05:59Comment(0)静岡県

名古屋市庁舎&愛知県庁舎…(2022.08.03)

名古屋に立寄り、友人に会う予定となったが、友人と落ち合う前に「少しだけ眺めたい…」と思う光景が在って、少し動いた。

↓これが観たかった…
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↓名古屋市庁舎である。1933(昭和8)年竣工だ…
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↓独特なデザインが面白い。
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↓隣が愛知県庁舎である。1938(昭和13)年竣工だ…
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↑全く初めて、事前に何らの知識も無くこの建物を観た時には「何??」と思った。「名古屋城の屋根?」というようなモノが、コンクリートのビルに載っているのだ…

コンクリート等の建築に、瓦屋根のような和風の意匠を合わせる建築は1930年代に一部で流行った。「帝冠様式」と呼ばれるモノだ。

名古屋は1945(昭和20)年頃の戦禍が大きかった地域と聞く。そういう意味で、1930年代の立派な建築が並んで残っている様子は貴重なのかもしれない。
posted by Charlie at 04:53Comment(0)愛知県

竹千代君…今川義元公…:静岡駅前(2022.08.04)

↓凛々しい武家の少年…
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↓少し貫禄が在る武将…
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↓両者はこういう具合に、静岡駅前に佇んでいる…
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少年は徳川家康が「竹千代」と呼ばれていた時代をイメージしたモノだという。三河の松平家が送り込んだ“証人”(=質)であったという時期だ…

↓その竹千代を擁したのが、駿河の守護で、戦国大名として大変な力を持っていたという今川義元だ。
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↓今川義元は「今日へ連なる地域の礎」を気付いた人物とされているということのようだ。そして江戸幕府を開いて行く徳川家康を育てた人物とも考えられているようである。
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この静岡駅前の像は、2020(令和2)年に「今川義元公生誕500年祭」の一環として整備されたという。未だ新しい…
posted by Charlie at 02:14Comment(0)静岡県

徳川家康公…:駿府城公園(2022.08.04)

偶々、かの徳川家康が関ヶ原合戦で着用し、以降は何時も傍らに在ったと伝えられる甲冑のレプリカを観た。そういう「契機」が在って、何となく徳川家康を思い出していた。

↓徳川家康の銅像を観る機会が在った…
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↑駿府城公園の、駿府城の本丸であったという場所の辺りに在る像だ。

↓「鷹狩」を好んだとされる徳川家康が、その鷹狩に出ている様子を表現している。加えて、駿府城に在った頃のような年代の様子を思わせる。
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徳川家康は関ヶ原合戦の後、徳川家の征夷大将軍を中心とする統治体制を継続する意思表示として後継者の徳川秀忠に職を譲り、駿府城に入って実権を振るったという。徳川家康は“大御所”と呼ばれた訳だが、駿府城は「大御所が在る場所」だった。

↓佇む徳川家康の目線の向こうが、今日の静岡の街ということになる訳だ…
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少し湿って雲が多めであった中、静岡駅・駿府城公園間を歩き廻ったのだった…
posted by Charlie at 01:51Comment(0)静岡県

静岡おでん…:駿府城公園にて(2022.08.04)

名古屋駅で列車に乗り、乗り継いで至った静岡駅で下車し、歩いて駿府城公園を訪ね、園内を歩き廻った。

↓こんなモノに出くわした…
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以前に愉しく摘まんだ静岡おでんを思い出した。何か頂いてみたくなった…

↓こういうようなラインアップで、色々と提供している、気の好いおっちゃんとおばちゃんとで営んでいる店だった…
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↓黒はんぺん…牛筋…しのだ巻き…卵…しろ…それらに「出汁粉」を振って「正しい静岡の流儀」で頂いた訳だ。
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↓これを頂くことだけを目的に、静岡に通ってしまいたくなってしまうような…そんな気がしないでもない。
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posted by Charlie at 01:21Comment(0)静岡県