建長寺…(2022.08.05)

↓門に掛かった額に「山福巨」と在る。これは「巨福山」(こふくさん)と読む。
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↓鎌倉時代の末頃に起こり、室町時代に普及したということか?代表的な禅寺を「五山」と呼ぶような事が起こった。鎌倉の禅寺としては「五山第一」に挙げられる建長寺だ。
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北鎌倉駅の傍から、鎌倉の街へ向かう方向に15分弱も歩けば建長寺には至る。

↓三門はかなり大きく見える。
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↑高さは30mに近いという話しだ…

↓正式には巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)と称している。「建長興国禅寺」と門の額に在る。
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↑明確に「禅寺」と号したということでは、「日本国内初の事例?」とも目されているそうだ。

建長寺については、建設準備等を始めた時期として1249(建長元)年説と1251(建長3)年説とが在るようだが、1253(建長5)年に落慶供養が行われている。何れにしても「建長」は元号に因む名だ。

北条時頼が、大陸から来日していた禅僧、蘭渓道隆を招聘して開山(最初の住職)とした経過が在るという。

↓柏槇(びゃくしん)という木が顕著時の境内に在る。かなり大きい。
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↓開山の蘭渓道隆が植えたとも伝えられる柏槇(びゃくしん)である。幹の直径が6.5mにも及び、高さは13m程であるという。
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↓仏殿には本尊の地蔵菩薩が祀られている。古くは刑場であって、地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という寺が在った場所に開かれた関係であるという。
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↑江戸時代、芝の増上寺で建物を建替えた際、旧い建物をこの建長寺に移築し、それがこの仏殿となっているのだという。

↓仏殿に並んで法堂(はっとう)が在る。
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↑複数の堂が三門から概ね一直線に連なる、創建時の中国大陸で人気が高かったらしい様式になっている伽藍だ。

↓法堂の中、天井には『雲龍図』が描かれている。
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↓迫力の在る画だと思い、暫し眺めた。
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京都の建仁寺で『双龍図』を観たことが在ったが、同じ画家の作品であるようだ。

↓そして唐門である。
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↓これも江戸時代に移築されたモノであるというが、修復が完成したということで、実に美しい仕上がりで、暫し見入っていた。
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↓巨大な梵鐘も建長寺では知られているモノであるそうだ。
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この梵鐘を巡って、面白い挿話が紹介されていた。

「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」

1895(明治28)年の夏目漱石の句であるという。夏目漱石と親交が在った正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は、この句を参照したのではないかという話しも在るようだ。

↓多少暑い―鎌倉より以前の旅程の中での「危険…」と言われる水準は免れてはいたが…―という中、余り積極的に歩き過ぎるのもキツいので、もう少し観る余地を残しながら建長寺を辞去した。
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建長寺もまた、学生時代に何度か立寄った場所で、今般は久々に訪れることが叶って善かった。「銀杏散るなり…」というような時季に再訪するような機会が在れば、非常に好いかもしれないというようなことを思っていた…

円覚寺…(2022.08.05)

北鎌倉駅の「眼前!!」というような位置に円覚寺は在る…

余りにも「眼前!!」なので驚くが、恐らくは鉄道を建設した頃に、円覚寺の用地の一部を使用するということで、寺側と建設側とで申し合わせたか何かなのであろう…

↓そんな「余計な想像…」もしながら円覚寺に歩み寄った…立派な門だ。
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↑後背が山で、坂道のような地形も見受けられる場所に開かれた禅寺である…

↓階段を上がると、この立派な門に迎えられる。
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↓「瑞鹿山円覚興聖禅寺」(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)が公式名称ということで、門の扁額をよくみると「円覚興聖禅寺」と在る。
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↓境内に踏み入れば「仏殿」と呼ばれる、主要な御堂の一つに出くわす。
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↑本尊の宝冠釈迦如来像が安置されている。廬舎那仏のような感じなのだが、「宝冠」を被っているという特徴的な姿をした仏像だ。

↓仏殿の内部、天井には<白龍図>という画が在る。
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↓禅寺であるので、座禅を行う会場ということになっている場所も設えられていた。「選仏場」と呼ばれる。
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北条時宗(1251-1284)の発願で1281(弘安4)年から建立が始まった円覚寺である。翌1582(弘安5)年には無学祖元(仏光国師)を開山(初代住持)に迎えて開堂供養を催行している。

鎌倉では、大陸から招聘した禅僧の蘭渓道隆が敬愛されて活躍していたが、1278(弘安元)年に他界してしまった。そこで蘭渓道隆に所縁の建長寺の僧が大陸へ渡り、招聘したのが無学祖元であるという。

円覚寺は、寧ろ北条家の私的な寺という色彩が強かったようだが、次第に声望や権威が高まったという経過が在るようだ。

↓円覚寺に関しては、小学生の頃に東京方面を訪ねてみた折りに初めて立寄り、大学生になって東京に住んだ頃にも何度か訪ねている。「雰囲気」が何となく気に入っている場所だ…
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今般、御無沙汰してしまっていたこの場所を訪ねてみることが叶い、凄く好かったと振り返っている。

昼に…(2022.08.08)

早朝に旭川駅を発つ普通列車に乗車した。「夏休みの旅行シーズン」というようなことなのか、何となく賑わう車内で、些か驚いていた。他方、確りと席で眠ってしまっていた面も在るが…

やがて稚内へ着く少し前、幌延の辺りでやや強い雨が交じるようになり、何となく湿った状態が続いた。

↓やがて少し空気が湿った、些かの雨が交じったことを伺わせる稚内へ無事に到着である。
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↑気温は24℃だった…

何か「ベタベタする…」という空気感で、空気はやや温い。日頃、少しばかり厭うような空気である。色々と「ニュアンスが異なる暑さ」を潜り抜けて、当地へ戻った訳である。妙な感慨のようなモノも湧き起る…

<青春18きっぷ>…(2022.08.08)

春、夏、冬と概ね「学校の長期休暇」というような時季に登場する<青春18きっぷ>である。「毎回」ということにもなり悪いが、可能な時はこれを求めて利用してみる。

↓今般、7月末から8月初めに使用した<青春18きっぷ>だ。
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↑各回、その日の最初の有人駅で駅員さんにスタンプを押して頂き、一日中使用可能だ。そして自動改札ではない場所から出入りするが、そういう場所の駅員さんに申し出て、駅名が入る「下車印」を押して頂く。そんなことを繰り返していると、こういうような具合になる。

「使うことにした1日を通じて随意に普通列車に乗降可能」という条件の<青春18きっぷ>だ。発地から着地へ、少し長い移動に利用出来るが、滞在した場所でグルグルと方々を巡るというようにも利用出来る。今回は前者でも後者でも利用した。

今般は「稚内・新千歳空港」、「京都・名古屋」、「名古屋・静岡・横浜」、「旭川・稚内」と少し長い移動に利用し、「桜木町に在って、鎌倉を訪ねてから東京駅に出て、桜木町に引揚げた」という具合にも利用した。

今般は何となく、旭川から稚内に着いた列車を下りた後、「稚内」という「下車印」を御願いした。それで「今回は完了」ということにした。

また何時か、この<青春18きっぷ>を利用する機会を設けたいものだ。