↓こんな看板を眼に留めた。
↑名寄市は2つの国外の都市との友好交流を進めているようだ。こういうような感じの看板?余り視た記憶が無い…国外の都市との友好交流という事例は何処にでも色々と在るであろうが、こういうように「通から視える場所に看板を掲げている」という事例は記憶に無い。
↓看板が掲出されていたのは、名寄市立図書館の正面壁だった…
名寄は然程の人口規模というのでもないが、可能な範囲で出来るように国際交流を続けて積み重ねている様子だ。こういう活動は尊いと思う。
<名寄教会会堂>…(2022.07.28)
稚内駅から名寄駅へ普通列車で南下し、更に普通列車で旭川駅を目指す場合、少々長めな待ち時間が発生する。1時間程度なのだが…
その「名寄駅での待ち時間」は周辺の散策というようなことが好いと思う。以前にも一寸寄ってみたのだが、名寄駅から然程遠くない辺りに旧い教会が在る。
↓こういうような具合の木造建築だ。
↓なかなかに美しい建築であると思う。
「南下の列車」の場合は名寄駅の“手前”に相当する場所なので、右側に線路を望むような通を歩いて少し進む。5分程度も進めば、この教会が在る。
明治時代の終盤である1909年この教会が建てられたのだという。名寄市内に現存するモノとしては最古の洋風建築ということになり、名寄市の文化財に指定されていると聞く。
↓何かディーテイルが酷く好い感じだと思いながら眺めていた。
↓この種の建物については、こういうような「正面」が好きだ。
↓教会の直ぐ脇に幼稚園が在り、教会を望む広場に園児が走り回る遊具を備えた園庭が在るのも悪くない。
こういう「駅から歩いて、一寸眺める…」というような“文化財”というのも好いものだ…
その「名寄駅での待ち時間」は周辺の散策というようなことが好いと思う。以前にも一寸寄ってみたのだが、名寄駅から然程遠くない辺りに旧い教会が在る。
↓こういうような具合の木造建築だ。
↓なかなかに美しい建築であると思う。
「南下の列車」の場合は名寄駅の“手前”に相当する場所なので、右側に線路を望むような通を歩いて少し進む。5分程度も進めば、この教会が在る。
明治時代の終盤である1909年この教会が建てられたのだという。名寄市内に現存するモノとしては最古の洋風建築ということになり、名寄市の文化財に指定されていると聞く。
↓何かディーテイルが酷く好い感じだと思いながら眺めていた。
↓この種の建物については、こういうような「正面」が好きだ。
↓教会の直ぐ脇に幼稚園が在り、教会を望む広場に園児が走り回る遊具を備えた園庭が在るのも悪くない。
こういう「駅から歩いて、一寸眺める…」というような“文化財”というのも好いものだ…
キハ54の扇風機…(2022.07.28)
抜海駅…(2022.07.28)
稚内駅を発つ…(2022.07.28)
↓早朝の稚内駅へ…
↑早朝5時台の列車は「“無人駅”の要領」で乗車することとなるのだが、何となく「少しばかりのゆとり」を見て駅に足を運ぶ場合が多い…
↓何時の頃からか、こういうような幟も登場している…
↓列車に乗込む要領に関する御案内だが、今般は下側の1輌で運行の列車という事例に相当する。
↓とりあえず名寄に着いて、乗り継いで目指す旭川までは259㎞余りだ。
↑稚内駅では専ら「〇〇駅よりXXX㎞」という標示だが、寧ろ「〇〇駅までXXX㎞」という言い方をして頂きたいものだと個人的には思う。ここは、自身の感覚では「何時でも始発」なのだから…
↓少し先の踏切の警報音も鳴って、列車は静かに駅に現れた…
↓何ら特別なことも無く、キハ54が現れた。
↓眼に馴染んだ、こういうような内装の車輌だ…
↓こういうような具合に、席に身を沈めて寛いでいれば、列車は何時の間にか進み始める…
何度も見ている様子、その中に身を置いている様子で、何ら特別でもない。が、それはそれとして、何か酷く心弾むのが、こういう具合に列車が出る場面で車内に在る場面である…
↑早朝5時台の列車は「“無人駅”の要領」で乗車することとなるのだが、何となく「少しばかりのゆとり」を見て駅に足を運ぶ場合が多い…
↓何時の頃からか、こういうような幟も登場している…
↓列車に乗込む要領に関する御案内だが、今般は下側の1輌で運行の列車という事例に相当する。
↓とりあえず名寄に着いて、乗り継いで目指す旭川までは259㎞余りだ。
↑稚内駅では専ら「〇〇駅よりXXX㎞」という標示だが、寧ろ「〇〇駅までXXX㎞」という言い方をして頂きたいものだと個人的には思う。ここは、自身の感覚では「何時でも始発」なのだから…
↓少し先の踏切の警報音も鳴って、列車は静かに駅に現れた…
↓何ら特別なことも無く、キハ54が現れた。
↓眼に馴染んだ、こういうような内装の車輌だ…
↓こういうような具合に、席に身を沈めて寛いでいれば、列車は何時の間にか進み始める…
何度も見ている様子、その中に身を置いている様子で、何ら特別でもない。が、それはそれとして、何か酷く心弾むのが、こういう具合に列車が出る場面で車内に在る場面である…
稚内港北防波堤ドーム…(2022.08.10)
未だ「出先の何処かで列車の座席に身を沈め、知っているような知らないような場所を気儘に巡っている…」という気分が色濃いのだが、前夜は普通に夕食を愉しんで早めに眠ってしまった。
↓迎えた朝は明るく、久し振りに「極々短い散策」と称する行動に…
↓出先の京都で早朝に散策をしてみた経過が在ったが、彼の地よりも大きく北東である稚内は、現在の時季は明るくなる時間帯が未だ少し早めである様子であるということに気付いた。
↓北防波堤ドームの屋蓋の一部が視える範囲を外れた辺りの光が面白いという程度に思っていた…
↓やがて雲間に朝陽が覗き、海面に「光の路」である…
或いは「当地の基準」で「暑い」が連呼されるような一日になるかもしれない。
↓迎えた朝は明るく、久し振りに「極々短い散策」と称する行動に…
↓出先の京都で早朝に散策をしてみた経過が在ったが、彼の地よりも大きく北東である稚内は、現在の時季は明るくなる時間帯が未だ少し早めである様子であるということに気付いた。
↓北防波堤ドームの屋蓋の一部が視える範囲を外れた辺りの光が面白いという程度に思っていた…
↓やがて雲間に朝陽が覗き、海面に「光の路」である…
或いは「当地の基準」で「暑い」が連呼されるような一日になるかもしれない。
川崎大師…(2022.08.06)
「興味を抱いた場所」ということであれば幾らでも在ろうが、その何れもが直ぐに訪ねられるという訳でもない。更に、交通手段等の制約で、興味とは裏腹に訪ね悪い状況も生じ易いというものだ。
そんなことを思うのだが、他方に「興味を抱いた場所」で「交通手段等も不便ではない」という場所であっても、意外に訪ねる機会を設け損なってしまったままに時日が長く経過する場合も少なくはない。
↓「意外に訪ねる機会を設け損なってしまったまま」の一つに漸く至った!
桜木町駅から横浜駅に出て、京急の列車で京急川崎駅に向かい、乗換えて川崎大師駅に着き、一寸歩けば川崎大師(かわさきだいし)に至る。単純に訪問機会を設け損なっていた…
↓こういう「仲見世」というような場所を抜けて境内に入って行くようになっている。
↓なかなかに立派な門が迎えてくれる。
↑扁額に「金剛山」と在る。「金剛山金乗院平間寺」(こんごうさん きんじょういん へいけんじ)というのが「川崎大師」の正式名称であるという。
この門に“仁王様”こと金剛力士は見受けられない。代わりに…
↓増長天…
↓護国天…
↓広目天…
↓多聞天…
というように“四天王”に護られている門となっていた。「門に四天王」というと高野山で見掛けた例を思い出した。因みに、川崎大師は真言宗智山派の寺である。
↓境内には色々なモノが見受けられた…
↓大本堂へ歩を進めた…
↓なかなかに貫禄が在る…
↓「弘法大師」と大書された大きな提灯も提げられていた。
↓川崎大師は古くからよく知られ、江戸時代にはこの場所を目印に挙げる道標まで在ったそうだ。河川や道路の改修で道標を撤去することになった際、川崎大師が引き取ったそうだ。道標は1663(寛文3)年に登場したモノと観られるようだ。
↓不動堂にも立ち寄った。
↓更に薬師殿にも寄った。
弘法大師を崇信していた人が、42歳の厄年に厄除けの祈願を続けていたところ、夢枕に立った高僧の示唆で、弘法大師像を見出し、それを祀るようになったことが川崎大師の起源と伝えられている。
↓時代を超えて受け継がれる「厄除け大師」に纏わる信心が発露する場…少し以前から興味を抱いていて、なかなか訪問機会が設けられなかった。今般はその機会を設けられた。そのことを大いに喜びたい。
そんなことを思うのだが、他方に「興味を抱いた場所」で「交通手段等も不便ではない」という場所であっても、意外に訪ねる機会を設け損なってしまったままに時日が長く経過する場合も少なくはない。
↓「意外に訪ねる機会を設け損なってしまったまま」の一つに漸く至った!
桜木町駅から横浜駅に出て、京急の列車で京急川崎駅に向かい、乗換えて川崎大師駅に着き、一寸歩けば川崎大師(かわさきだいし)に至る。単純に訪問機会を設け損なっていた…
↓こういう「仲見世」というような場所を抜けて境内に入って行くようになっている。
↓なかなかに立派な門が迎えてくれる。
↑扁額に「金剛山」と在る。「金剛山金乗院平間寺」(こんごうさん きんじょういん へいけんじ)というのが「川崎大師」の正式名称であるという。
この門に“仁王様”こと金剛力士は見受けられない。代わりに…
↓増長天…
↓護国天…
↓広目天…
↓多聞天…
というように“四天王”に護られている門となっていた。「門に四天王」というと高野山で見掛けた例を思い出した。因みに、川崎大師は真言宗智山派の寺である。
↓境内には色々なモノが見受けられた…
↓大本堂へ歩を進めた…
↓なかなかに貫禄が在る…
↓「弘法大師」と大書された大きな提灯も提げられていた。
↓川崎大師は古くからよく知られ、江戸時代にはこの場所を目印に挙げる道標まで在ったそうだ。河川や道路の改修で道標を撤去することになった際、川崎大師が引き取ったそうだ。道標は1663(寛文3)年に登場したモノと観られるようだ。
↓不動堂にも立ち寄った。
↓更に薬師殿にも寄った。
弘法大師を崇信していた人が、42歳の厄年に厄除けの祈願を続けていたところ、夢枕に立った高僧の示唆で、弘法大師像を見出し、それを祀るようになったことが川崎大師の起源と伝えられている。
↓時代を超えて受け継がれる「厄除け大師」に纏わる信心が発露する場…少し以前から興味を抱いていて、なかなか訪問機会が設けられなかった。今般はその機会を設けられた。そのことを大いに喜びたい。
東京駅を望む…:<KITTE>(2022.08.05)
各地で郵便局関係の建物を再開発するような場合に、登場した施設に<KITTE>というような愛称を冠しているようだ。多分「(郵便)切手」から来た愛称なのであろう。更に何やら在るのかもしれないが、敢えて調べてみたのでもない…
「あの壮麗な東京駅を眺める機会を…」と思い付いた時、頭の中に在ったのは、東京駅の脇で嘗ては東京中央郵便局であったという建物を改築したという<KITTE>の“屋上庭園”なる場所から、あの壮麗な建物を眺めるということだった。
過去に眺望を愉しんだ経過も在り、「今般も是非!」という思いが募っていた。ところが、辿り着いてみた東京駅の地下で、「如何いう具合にして、何処から地上へ?」とチョロチョロしてしまい、速やかに<KITTE>には至らなかった。
他方で、偶々<丸ビル>の館内に出てテラスの眺望を愉しみ、更に「細やかな贅沢…」という感の昼食を愉しんだ。
そして愈々、過去に眺望を愉しんだ経過も在る<KITTE>の屋上庭園に上った。
↓こういう感じ!
↓気に入っている様子なので、少しゆっくりと眺めた。
頻繁に訪ねるような場所ではない。が、それでも「あれが好かった」と気に入る場合は在る。そして、思い出したように、その気に入った様子に触れるというのが愉しい訳だ…
「あの壮麗な東京駅を眺める機会を…」と思い付いた時、頭の中に在ったのは、東京駅の脇で嘗ては東京中央郵便局であったという建物を改築したという<KITTE>の“屋上庭園”なる場所から、あの壮麗な建物を眺めるということだった。
過去に眺望を愉しんだ経過も在り、「今般も是非!」という思いが募っていた。ところが、辿り着いてみた東京駅の地下で、「如何いう具合にして、何処から地上へ?」とチョロチョロしてしまい、速やかに<KITTE>には至らなかった。
他方で、偶々<丸ビル>の館内に出てテラスの眺望を愉しみ、更に「細やかな贅沢…」という感の昼食を愉しんだ。
そして愈々、過去に眺望を愉しんだ経過も在る<KITTE>の屋上庭園に上った。
↓こういう感じ!
↓気に入っている様子なので、少しゆっくりと眺めた。
頻繁に訪ねるような場所ではない。が、それでも「あれが好かった」と気に入る場合は在る。そして、思い出したように、その気に入った様子に触れるというのが愉しい訳だ…
<KITTE>…(2022.08.05)
東京駅の脇、嘗ての東京中央郵便局は、複合的な施設になっている。郵便局や<ゆうちょ銀行>も入居しているが、それは極々一部ということで、様々な店舗等が入っていて、館内を眺めながら歩くのも愉しい。
↓こういうように、少し高い辺りから「吹き抜け」のようになっている館内を眺めるのが面白い。
↓ポスターのイラストも、こういうような実際の館内の看た感じを少し意識しているのかもしれない。
↓こちらのポスターは「窓から東京駅が覗く…」という様子さえ図案化している。
↓ポスターのアイディアは、こういうような眺めから起こったのであろうというように強く思った。
↓今般は、少しゆっくりと子の館内を歩き廻ったと思う。
東京駅の辺りにはあまりにも色々なモノが在る。「そのうちにゆったりと…」と想いが募るばかりで、存外に訪ねる機会が設け悪いような気がしないでもない…
それはそれとして、今般は東京駅辺りに何気なく出られて善かったと思う。
↓こういうように、少し高い辺りから「吹き抜け」のようになっている館内を眺めるのが面白い。
↓ポスターのイラストも、こういうような実際の館内の看た感じを少し意識しているのかもしれない。
↓こちらのポスターは「窓から東京駅が覗く…」という様子さえ図案化している。
↓ポスターのアイディアは、こういうような眺めから起こったのであろうというように強く思った。
↓今般は、少しゆっくりと子の館内を歩き廻ったと思う。
東京駅の辺りにはあまりにも色々なモノが在る。「そのうちにゆったりと…」と想いが募るばかりで、存外に訪ねる機会が設け悪いような気がしないでもない…
それはそれとして、今般は東京駅辺りに何気なく出られて善かったと思う。