漠然と「好きな数字?」とでも問われるなら、多分「6」ということにすると思う。偶々、誕生日が6月6日だ。(序に6時頃に産れているらしいが…)
そういうことなので、京都の通に在る標柱の件を綴った記事が「6666件目」と気付いた時には、些か驚き、そして数奇な数字の「6」が4桁も並んだと嬉しかった。全く「だから??」というような話しかもしれないが。
このブログは「モノクロ写真が愉しい!」という想いが強まる中で継続して来た感である。地元、または地元同然に滞在という場所で撮る写真の他、他所に出て撮った、或いは“北海道の流儀”な言い方である「撮らさった」という写真を使った記事を掲載し続けている。
「撮らさった」という“北海道の流儀”な言い方についてだ。「〇〇らさる」、過去形の「〇〇らさった」というような言い方は「自らの意思との関連性が曖昧ながら、結果的には自身の行動や行為の帰結でありながら、感じ方の次元で如何いう訳か何らかの事象が生じたような気がしている」という意味合いだ。例えば、結果的に自身が間違えてスイッチを押しているにも関わらず「あっ!押ささった…」と表現するのだ。自身の場合、出先で夥しい写真を撮ってしまうことに関して、結果的に自身の行為の結果なのだが、何か「明確な意思との関係が薄弱なまま、何時の間にか撮っている…」という感覚の場合も交じっているように感じる場合が在るので、この「撮らさった」という“北海道の流儀”な言い方をしてしまう場合も在るのだ。
「6000件」に至ったのは今年の2月後半であった。ということは「半年にやや足りない期間で666件」というようなことになってしまう。これも5月半ば、7月末から8月上旬と纏まった時間を設けて他地域へ出る機会が在ったこと、加えて最近は朝の時間帯等にカメラを提げて何となく辺りを歩き廻る機会が従前より増えたかもしれないということの結果なのだと思う。
他地域へ出るような場合、何も「多忙な営業マン」のように「1時間とか1時間半というような区切りを設けて、次々と関係先を訪ねて用談をして…」という程のことをするのでも何でもない。自身が好き勝手に過ごす時間という中では、単純にフラフラとしているが、フラフラしながら際限無く写真を撮ってしまっている。正に上述の「撮らさった」で、後から写真を視て「これは…」と想い起し、記事に綴っておくことになる。色々と思い出して振り返る、加えて再訪時の参考ということにもなり得るので、そういうように記事を綴っておくのが結局は好きなのだと思う。
このブログでは、パソコンで視る場合には右側に「カテゴリ」が表示されるのだが、概ね「記事に在る写真を撮った場所」でその「カテゴリ」を分けている。この記事の前の時点で6666件という記事の中には、動き回った経過を日誌的に綴ったような内容も含んでいるが、多くは最低1枚、それ以上は特段の制約は設けずに写真を添えている。何時の間にか夥しい枚数になったと思う。
結局、2016年4月にこのブログを始めた少し以前に撮った写真から、極最近のモノまでが記事に掲載されていることになる。写真そのものを視ると、機材の変化、モノを視る観方の変化というようなモノが仄めかされるのだが、関心を寄せる対象ということになると、余り大きな変化は無いかもしれない。他方、身辺の事情―と言い立てる程に何かが在るのでもないが…―のような何かを反映した撮影地の選択というようなことも感じられないではない。
現在、何となく思うのは「可能な限り、このブログ、または好きな写真を撮ることは続けてみよう…」というようなことだ。純粋に「唯一の道楽」のようなモノなのだから…
釜座通(かまんざどおり)…:御池通と交差する通の名を記した標柱(2022.08.02)
京都の街には新旧様々な通が東西に、南北に延びている。同一名称の通であっても、何時の頃かの拡幅が施された箇所と、施されていない箇所とが混在し、同じ通から外れてしまったと錯覚する場所も散見する。
↓そういうことなので、こういうような具合に通の名を大きく掲げた標柱のようなモノが在ると、他所から何となく街を訪ねている自身のような者には非常に有難い。

東西に延びている御池通は、拡幅が施されていて車輌の交通量も多い。この御池通と、南北に延びる様々な通とが交差している。
↓「釜座通」の標柱の裏には、「釜を鋳る職人が多く住んだ」というような通の名の由来が記され、加えて御池通と交わる通が図示されている。

御池通では、各々の通についてこういうようなモノが設けられているように見受けられた。こういうのは有難い。
が、それはそれとして…実は、烏丸通を西に進んで、この釜座通を少し北上することで訪ねたかった店は直ぐだったのだが、少々西へ進み過ぎた辺りで北上し、何やらグルグルと廻って多少迷いながら歩いたということが在り、復路にこの標柱を写真に収め、後から振り返って訪ねた店に関する記憶を確かにしたかったという事情も在る。
そんな他方、この時は期せずして御金神社(みかねじんじゃ)に出くわし、確りと参拝も出来たのが善かったが。
出先でふらりと歩き、不運なような好運なような、何か判らずに色々な文物に当たりながら過ごすというのが、何やら酷く愉しいと振り返っている。
↓そういうことなので、こういうような具合に通の名を大きく掲げた標柱のようなモノが在ると、他所から何となく街を訪ねている自身のような者には非常に有難い。

東西に延びている御池通は、拡幅が施されていて車輌の交通量も多い。この御池通と、南北に延びる様々な通とが交差している。
↓「釜座通」の標柱の裏には、「釜を鋳る職人が多く住んだ」というような通の名の由来が記され、加えて御池通と交わる通が図示されている。

御池通では、各々の通についてこういうようなモノが設けられているように見受けられた。こういうのは有難い。
が、それはそれとして…実は、烏丸通を西に進んで、この釜座通を少し北上することで訪ねたかった店は直ぐだったのだが、少々西へ進み過ぎた辺りで北上し、何やらグルグルと廻って多少迷いながら歩いたということが在り、復路にこの標柱を写真に収め、後から振り返って訪ねた店に関する記憶を確かにしたかったという事情も在る。
そんな他方、この時は期せずして御金神社(みかねじんじゃ)に出くわし、確りと参拝も出来たのが善かったが。
出先でふらりと歩き、不運なような好運なような、何か判らずに色々な文物に当たりながら過ごすというのが、何やら酷く愉しいと振り返っている。
「平城京 2010年は平城遷都1300年」…(2022.07.30)
今般、同行者を伴って京都・奈良間を往復した。そして奈良を少し歩き廻った。
奈良公園を抜けて東大寺を目指す中、奈良県庁に近い辺りには地下横断歩道が何箇所か設えられている。
↓その地下横断歩道の一つで、初めて奈良を訪れた同行者が「これ!?何?!」と興味を示したのがこの画だ。

↑「710年」と伝わる平城京の起りから1300年を記念して2010年に登場したという画だ。奈良の街が眼下に視える若草山から視たというイメージで描いた平城京である。
この平城京は、時代が下って街となった辺りを基盤にする現在の奈良の街の中心的な辺りよりも広い範囲に街並みが拡がっていたようである。遥かな遠い古代に大きな街が築かれ、王朝の中心が在ったというのは、何やら浪漫が掻き立てられるというものだ。
自身、何度も通り掛っている辺りに在る画だが、同行者が「これ!?何?!」と興味を示したことで、改めて注目した。
奈良公園を抜けて東大寺を目指す中、奈良県庁に近い辺りには地下横断歩道が何箇所か設えられている。
↓その地下横断歩道の一つで、初めて奈良を訪れた同行者が「これ!?何?!」と興味を示したのがこの画だ。

↑「710年」と伝わる平城京の起りから1300年を記念して2010年に登場したという画だ。奈良の街が眼下に視える若草山から視たというイメージで描いた平城京である。
この平城京は、時代が下って街となった辺りを基盤にする現在の奈良の街の中心的な辺りよりも広い範囲に街並みが拡がっていたようである。遥かな遠い古代に大きな街が築かれ、王朝の中心が在ったというのは、何やら浪漫が掻き立てられるというものだ。
自身、何度も通り掛っている辺りに在る画だが、同行者が「これ!?何?!」と興味を示したことで、改めて注目した。
神奈川県庁舎…(2022.08.05)
「多少早目?」と思いながらも夕食を済ませ、然程の目的意識も無く、少し辺りを歩き廻った。
↓偶々、何やら重厚な感じの大きな建物に行き当たった…

これは神奈川県庁舎だ…1928(昭和3)年に竣工したそうだ…
↓屋上部の塔が綺麗に見える角度の辺りは通らなかったが…何か酷く重厚だった。

今般、横浜で面白い建物の眺めを求めて長く歩き廻るということはしなかった。多少、体力を消耗する夏季の故か?何か、何処かへ出掛ける都度に「“次”が在るなら…」というのが頭の隅に浮かんでしまう…
↓偶々、何やら重厚な感じの大きな建物に行き当たった…

これは神奈川県庁舎だ…1928(昭和3)年に竣工したそうだ…
↓屋上部の塔が綺麗に見える角度の辺りは通らなかったが…何か酷く重厚だった。

今般、横浜で面白い建物の眺めを求めて長く歩き廻るということはしなかった。多少、体力を消耗する夏季の故か?何か、何処かへ出掛ける都度に「“次”が在るなら…」というのが頭の隅に浮かんでしまう…
京都駅にて…(2022.08.03)
珈琲…:<スマート珈琲店>(2022.08.01)
同行者を伴って所用を足しながら多少歩き、京都市役所から遠くない辺りに居合わせて、「珈琲でも飲んで一息入れよう」という相談になった。
そして目当ての喫茶店へ足を運んだ…
↓席に通され、ふと見上げるとこういう内装で、何やら美しいと思った。

同行者とは5月にも一緒に立寄った店であった。あの時は所用に出る前、朝食という感覚でホットケーキを摘まんで、珈琲を頂いた。同行者にとっては「想い出の店」として強く記憶に残っているらしい。今般、店の前に至ると「ここだ!」と大喜びだった。
↓ここのオリジナルブレンドは美味いと思う。拙宅用に豆を取り寄せた経過も在った。また何時か取り寄せようかとも思っているが…

同行者がホットケーキを所望した。テーブルに供されると「わー!これだ!!」と大喜びだった。厚くて大きな2枚のホットケーキが在って、同行者は1枚を美味しそうに頂いてしまった。そして「1枚あげる…」と皿を押し出す。「然らば、頂きまする…」ということにした。
↓こういうような、老舗喫茶店で暫し寛ぐというような“時”が酷く愛おしい。

店を退出し、数歩歩いて、少し可笑しさが込み上げた。同行者は「1枚あげる…」とホットケーキを差し出したが…御勘定は自身が纏めて支払ったのだった…そういう何気ないこともまた愛おしい。
そして目当ての喫茶店へ足を運んだ…
↓席に通され、ふと見上げるとこういう内装で、何やら美しいと思った。

同行者とは5月にも一緒に立寄った店であった。あの時は所用に出る前、朝食という感覚でホットケーキを摘まんで、珈琲を頂いた。同行者にとっては「想い出の店」として強く記憶に残っているらしい。今般、店の前に至ると「ここだ!」と大喜びだった。
↓ここのオリジナルブレンドは美味いと思う。拙宅用に豆を取り寄せた経過も在った。また何時か取り寄せようかとも思っているが…

同行者がホットケーキを所望した。テーブルに供されると「わー!これだ!!」と大喜びだった。厚くて大きな2枚のホットケーキが在って、同行者は1枚を美味しそうに頂いてしまった。そして「1枚あげる…」と皿を押し出す。「然らば、頂きまする…」ということにした。
↓こういうような、老舗喫茶店で暫し寛ぐというような“時”が酷く愛おしい。

店を退出し、数歩歩いて、少し可笑しさが込み上げた。同行者は「1枚あげる…」とホットケーキを差し出したが…御勘定は自身が纏めて支払ったのだった…そういう何気ないこともまた愛おしい。