大垣駅にて…(2022.08.03)

↓大垣駅前に佇み、「大垣駅」と大書された駅ビルを眺めて、何やら妙に強い安堵感に包まれていた時の写真だ。
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↑駅前のタクシーだが、この辺りは黒っぽい車輌が専らであるような感じがする…

今般、「暑さが厳しいので無理をしない…」というような意識も働き、<青春18きっぷ>を手に「道草しながら進む…」ということもやり易い東海道線等で列車に乗ったが、道草で方々を歩くことは「抑制気味」であったかもしれない。

そういう中であったが、京都から草津に出て、草津から先は米原で乗り換えて大垣まで道草もせずに列車で移動していた。大垣に至れば、その日の夜を過ごす予定の名古屋は「直ぐ…」という感じになる。何やら快速列車が運行されているのだ。直ぐにそういう列車に乗込んでも悪くはなかったが、「大垣を散策しよう!」と思い付いた。駅の建物に在ったコインロッカーに戦国時代の末頃の歴史を示唆するラッピングを施すような大垣である。歴史に想いを巡らせ、列車の中で座りっ放しであった身体を伸ばしながら歩くのも悪くはないと考えたのだ。

ということで大垣を歩いた。このブログを始めて以降、岐阜県内の街を歩き廻って、写真を撮って、それを記事化したという経過も無かった。今般はそれを実行する機会ともなった訳だ。

それは好かったが…歩き廻った後に「大垣駅へ戻り、名古屋へ向かう列車に…」と思った時、「多分、この辺りを進めば、駅の正面に延びていた道に至る…」と見込んで踏む出汁、その“見込み”が外れて「大いに遠回り…」で些か消耗してしまった…

そういうことであったので、駅ビルの建物を眺めて安堵感に包まれたという訳だったのだ。

<青春18きっぷ>を使って改札を潜り抜け、ホームへ出た…
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大垣駅が在る大垣市は、濃尾平野の北西部を占めている。岐阜県内では、県庁所在地の岐阜市の40万人弱に次ぐ規模の人口を有するのだという。16万人弱と聞いた。

↓ホームには「新快速 豊橋行」という列車が待機中だった。岐阜県を抜けて愛知県に入り、両県の主要な駅のみに停車で、愛知県の東側の豊橋へ至る列車だ。大垣・名古屋は30分少々だ…
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↑この313系電車は、JR東海の域内では見掛ける頻度が非常に高い車輌だ。1999年から2014年の15年間にも亘って製造され、国鉄時代からの車輌と交替し続けた。結果、JR東海の域内では、国鉄時代以来の車輌は見掛けない…313系電車はJR東海の全ての直流電化路線で運用可能で、実際に該当する路線では全て運行実績が在るそうだ。

一口に「313系電車」と言っても、15年間も製造が続いたので些かの仕様の差異は見受けられ、また長い編成で登場する場合も、短い編成で登場する場合も在るので、何となく色々な車輌が在るような気もすることは在るが…

車中で座席に身を沈め、「“次”が在るなら、道草で歩き廻ることがし易そうな時季?」というようなことを思いながら、閉まる扉の音を聞き、名古屋へ移動したのだった…
posted by Charlie at 19:34Comment(0)岐阜県

<大垣市郷土館>…(2022.08.03)

↓大垣城から然程遠くない辺りに、何か上級武士の邸宅を思わせるような門構えが在る。
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↓<大垣市郷土館>という施設である。戸田氏鉄が大垣に入って350年の1985年に開館した施設とのことだ。
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↑「上級武士の邸宅?」と思った門だが、場所は実際に大垣戸田家の家老の屋敷であった辺りらしい…

↓資料展示をしえいる建物は、旧い屋敷ということでもないのだが、建物の手前に美しい庭が整えられ、何か心和んだ…
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↓こういう場所を眺めてみるのも時には好い…
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実はこの場所には、天守閣に入った時に係の方に薦めて頂いたので寄った。期間を区切って様々な郷土資料、主に絵画系統の美術品を展示しているようだが、この時は関ヶ原合戦関係の画を含む屏風の展示が在って、それがなかなかに見応えが在った。

↓加えて、こういうモノが在って、大変に興味深く拝見した。
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↑大垣城と周辺の、江戸時代の様子を再現したジオラマだ。

本丸の天守閣等、主要な建物は明治以降も多く伝えられていたが、戦禍で損なわれた経過が在る。逆に言えば、戦禍で損なわれる少し前の時期、昭和の初め頃までの写真資料が色々と在る。それらのデータをプリントしたモノを収めたクリアファイルが館内に在って、随意に拝見出来るようになっていた。大変に興味深かった。

色々と「〇〇城」という場所を訪ねて、明治期以降に建物等が取り壊されている例も多い他方で、存外に多く建物が伝えられていたということを知った。そして、その伝えられた建物の中、非常に多くが戦禍で損なわれてしまっていたということも知った。大垣城もそういう例の一つだ。

出先で、こういう一寸した郷土資料館に寄るのは好きだ。大垣の場合は、駅から然程遠くない城の「一寸だけ先」という具合で寄り易い。ただ…駅へ引揚げるなら、余計な方に歩かず、来た道を引揚げるべきだと思った。「あの辺から行けるか?」と歩を進め、随分大回りになって、後から苦笑いであった…そういう事柄も含めて、時間を設けて他地域に出てみた場合の想い出というものだと思う。
posted by Charlie at 19:32Comment(0)岐阜県

戸田氏鉄公騎馬像…(2022.08.03)

↓大垣城の辺り、公園となっている敷地に騎馬の武将の像が在る。
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↑戸田氏鉄(とだうじかね)(1576-1655)の像だという。

戸田家は三河の出で徳川家の家臣であった。戸田氏鉄は関ヶ原合戦の後、膳所城主であった父が他界したことでその後継者となった。<大坂の陣>の際は膳所の守備を固めていた功績が認められ、尼崎5万石に移る。江戸時代の尼崎城は、戸田氏鉄が手掛けたということになる…やがて1635年に至って、10万石で大垣に移った。

「10万石の大垣の戸田家」は幕末まで大垣城を本拠地として続く。戸田氏鉄は、大垣戸田家の初代ということになる。そして戸田氏鉄は、明治期にまで受け継がれた大垣城の整備にも携わったという。

↓整備を手掛けた城の建物を再現したモノを背後に像は立つ。大垣に移って日が浅かった頃、<島原の乱>のために戸田氏鉄は兵を率いて出ている筈だ。或いはこの像のように、城を背後に軍配を振るって「出立!」と号令したような場面も在ったのかもしれない…
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少し知られた城に関しては、色々な人物が関わっているのだが、そこにこういう像が在ると「地元で敬愛されている人」というようなこと、「この場所と言えば〇〇」という地元でのイメージというようなことが判るような感じで、少し面白い。
posted by Charlie at 19:31Comment(0)岐阜県

大垣城…(2022.08.03)

↓大垣駅前の幅が広い道路を少し直進すれば、こういう標柱のようなモノが路の「ど真ん中!」の分離帯に据えられているのに出くわす。
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↓正直に「→」に従って進むと、公園のように整備されている城跡に入る門に行き当たる。
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↓江戸時代の殆どの期間を通じて戸田家がこの城を本拠地に辺りを統治していて、城の建物は明治以降も伝わったものの、第2次大戦の戦禍で損なわれてしまったという。そして資料を参照して再建し、辺りが公園になっている。そんな経過だが、大垣城は関ヶ原合戦を巡って色々な動きが在った場所としても知られている。
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↓天守閣だ…
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↓辺りを巡って、色々な角度で大垣城の建物を眺めてみた…
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↓「戦禍で損なわれるまでは、江戸時代かその少し以前からの建物…」と思うと少し複雑だ…
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↓大垣城の天守閣内は資料館になっていて、一寸面白い。戦国時代の合戦のジオラマが在った。関ヶ原合戦の時に発生した、大垣城を拠点とした西軍と、この地域に進入した東軍との戦闘をイメージしたジオラマだった。
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↓戦国時代の将兵が手にしたモノを紹介するような展示も興味深かった。これは関ヶ原合戦のような時期にはかなり広く用いられていたらしい鉄砲だ…
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↓甲冑も紹介されていた…
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これを眺めながら思った。如何いう訳か歴史に興味を持った小学生は、こういう展示でも見学して「夏休みの自由研究」のネタにでもするのだろうか?

時代を画したような、重要な合戦に関連する動きが在ったという史跡…一寸、立ち寄るにも大垣駅から然程遠くない。なかなかに好い…(遠くないのだが、駅へ引揚げる際に思い違いで遠回りしてしまうということは在ったが…)
posted by Charlie at 19:29Comment(0)岐阜県

マンホール…:稚内(2022.08.17)

↓不意に足を停めた…
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↑稚内港北防波堤ドームが在って、南極の挿話で有名な稚内生まれのタロとジロの兄弟犬が居て、遠くに利尻富士が見えている…そんなイラストのマンホールだ。

こういう凝った絵柄のマンホール…彩色迄施すモノは使用例が少ないが、そうしていないモノは、こうして「普通…」に使用されていて、時々気付いて何となく頬が緩む…

こういう地域のイメージのイラストをさり気なく入れてみるようなモノは好いと思う…

第一副港辺りの眺め…:稚内港(2022.08.17)

朝の時間帯に多少歩く…雨交りとなりそうな様相であった日―実際、少し時間を経て雨交りになっていた日が在った…―を除き、何となく続いている。

↓「丁寧に描いた??」というような雲が晴れた天に拡がり、流れていた。
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↑燃料を運ぶ船が、繋留濠の第一副港の「何時もの場所…」で停まっていた。

↓カメラを提げて歩き廻り、ふと足を停め、写真を撮る…そういうような感じが酷く好い…
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↓やがて更に歩を進めるが、こういうような眺めも好い…
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こういうような「多少歩く…」の機会が増え、撮る写真も増え、このブログへの掲載記事も増えている。「何処かの愚か者が余計な事を重ねている…」という観方も在るのかもしれないが、日々変わる天候条件等の故に、日々見え方が異なり、そういう見え方が各々に面白いので「つい写真を撮ってしまう…」という訳だ…

雲…(2022.08.17)

↓歩いていて、何となく足が停まった時、何気なく見上げる天…
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↓そんな場面で見えた天の様子に、訳もなく惹かれるというような場合も在る…
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歩を進めていたのは第一副港の辺りだった…朝の一時であった…

稚内港中央埠頭側を望む…(2022.08.17)

↓朝は2隻のフェリーが中央埠頭で待機している。1隻は既に出た後らしい…もう1隻は出航の準備中と見受けられる。
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↑そんな様子を見下ろす天の様子、拡がって流れる雲と朝の光とが少し面白い様相を醸し出していると思った。

↓こういうような様子も「その辺を一寸歩く…」という中で眼に留まると、何となく写真に撮っておきたくなる…
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サンプル…(2022.08.17)

時には、少し御無沙汰な御店で昼食を摂ろうと思い付いた…

↓これ…本物の料理ではなく、全て「サンプル」という“造りモノ”だ。逆に、本物をこういう具合に色々と用意して並べるのは大変なことであろうが…
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↑辺りで、こんなに沢山のサンプルを揃えて並べている例を余り思い付かない…

偶々、X100Fを提げていたので撮ってしまった…

<祇園祭ぎゃらりぃ>…(2022.08.01)

↓祇園祭の山鉾…実寸大のモノが観られる、それも祭の時季と無関係に、概ね何時でも!そういう場所に出くわした…
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↑映像や写真で見るイメージより、少し大きいような?或いは、その種のモノで見るイメージと違わないか?または屋内に置かれた実寸大というモノなので、戸外で実物を見る場面と感じ方が違うか?色々と思いながら眺めた…

祇園に在る<漢字ミュージアム>が入っている同じ建物の1階に<祇園祭ぎゃらりぃ>は設えられている。

↓精巧な模型で山鉾巡行の紹介が為されていた。
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↓「後祭」についても、精巧な模型で紹介が為されていた。
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色々なモノを取り扱っている売店も在って、拙宅で聴いている祇園囃子のCDも実はここで入手した。

実は、京都で言葉を交わした人達との話しで「祇園祭(の山鉾巡行)に些か出遅れて京都に着いた?」というようなことが話題に上らなかったでもない。何時かは見学に訪ねてみたいものだと思いながら、この<祇園祭ぎゃらりぃ>の展示を興味深く拝見した。
posted by Charlie at 00:20Comment(0)京都府

丸型ポスト…:三嶋大社から三島駅への道筋(2022.08.04)

列車で更に東へ移動しようという意図で、三嶋大社から三島駅へ引揚げようとしていた時だった。

↓こういうモノに気付いて、少し足を停めて眺めた…
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↓存外に年季が入っているポストだと思った。
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由緒を誇る大きな社を擁する三島の街である。こういうような旧いポストが存外に似合うかもしれない。

旅先の、こんなポストから誰かに宛てて葉書でも投函するのが風流かもしれないという程のことは思うのだが…他方で、用が在るならメールを送れば直ぐに足りてしまう場合が殆どだ…尤も、「旅先からの葉書」というようなモノに“用”という程のモノ等、最初から在りもしないようにも思うが。
posted by Charlie at 00:19Comment(0)静岡県

「今年の漢字」…:<漢字ミュージアム>(2022.08.01)

↓こんなモノを見付けた…「今年の漢字」と称するモノだ。
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↑祇園に在る<漢字ミュージアム>という場所の、戸外の壁である。

↓この壁の裏側に、上の「今年の漢字」が掲示されている。
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<漢字ミュージアム>というのは、正式には『漢検 漢字博物館・図書館』と称し、「公益財団法人 日本漢字能力検定協会」が携わっているようだ。「漢字を見るだけでなく、触れる・学ぶ・楽しむ展示を通して、いくつもの驚きや発見を生み出す体験型ミュージアム」ということだ。今般、敢えて中は見学しなかった…

「今年の漢字」だが、「漢字の素晴らしさや奥深い意義を伝えるための啓発活動の一環」ということで、「公益財団法人 日本漢字能力検定協会」によって1995年に始められたのだそうだ。。毎年の年末に「一年の世相を表す漢字一字」を全国から募集し、最も応募数の多い漢字を12月12日(いい字一字)の「漢字の日」に清水寺で揮毫して発表しているという「年末の風物詩」という具合になっているモノだ。

展示場所の都合で、戸外に「今年の漢字」の過去の例が全て掲出されているのでもないが、何か記憶に残るモノが多く取上げられている。

機会が在れば、この<漢字ミュージアム>もゆっくりと見学してみたい。そう考えながら、「機会が在れば…」が「余りにも多くないか?!」という気もするのだが…
posted by Charlie at 00:17Comment(0)京都府

三嶋大社…(2022.08.04)

<青春18きっぷ>のようなモノを手に、「或る程度長い距離をゆっくり移動する他方、途中で興味深そうな名所に寄ってみるようなこともしたい」というようなことを思う場合、<青春18きっぷ>で利用可能な普通列車の運行本数が十分に多い東海道線のような場所は非常に勝手が好いと思う。

今般、所用も在って訪ねて滞在した京都から引揚げる際、名古屋に出て、横浜に至って、そこから空港を目指して空路で北上するというように計画した。「京都名古屋横浜」というような経路、それも名古屋で1泊して一息入れるということであれば、「間違いなく<青春18きっぷ>が好い!!」ということになる筈だ。そう考えて、考えたとおりに動くこととしたのだ。

名古屋から東へ進み、静岡の駿府城公園に道草し、静岡おでんを摘まんだという愉しい場面も在って、更に東へ進んで至ったのは三島駅だった。

↓「有名な三嶋大社は然程遠いのでもなかろう…」と思いながら、三島駅周辺を見回すと、周辺案内図が在る。“周辺”と言いながら、徒歩15分程度のエリアを少し大雑把に描いているようにも見えた図だった…
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三嶋大社というのは「伊豆国一宮」、「伊豆国総社」という格式を誇る、旧国名でいう伊豆国を代表するような神社である。(静岡県は、この伊豆国、駿河国、遠江国の版図を合わせたような感じの県域を有している…)

社名の「三嶋」とは伊豆大島や三宅島等から成る「伊豆諸島」を指すとされ、主祭神は伊豆諸島の開拓神ということで古代から尊崇された神社であるという。中世には当地の武士達が尊崇した経過が在り、近世(江戸時代)には東海道の宿場町となった三島を行き交う多くの人達に尊崇されたのだという。

三島駅・三嶋大社間を歩いて往復した。「三島駅→三嶋大社」の往路だったが、復路の「三嶋大社→三島駅」に比して、標識等が些か解り悪いような気がしないでもなかった。

↓そう思いながらも、何とか大き目な鳥居が視える神社の辺りに到った…
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↓多分「三嶋」の「三」を図案化したと思われるような紋が面白いと思った。
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↓神社の「域」に踏み込んで行くというような、独特の空気感が好い…
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↓社殿等の手前に設けられた門だ…
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↓門から少し踏み入った辺りだ。少し姿勢を正して「御参り…」という気分になる場所だ…
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↓社殿だ…
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↓主要な建物は、1854年の地震で傷む、倒壊するという事が在って、1868年頃、明治初期に再建されたモノが現在に伝わっているということであるようだ…
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↓境内社の厳島神社が在って、辺りに大きな鯉が沢山居た池も在った。
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↑伊豆国は鎌倉幕府を開いて行く源頼朝に協力した北条家が地盤としていた地域だ。厳島神社は源頼朝に嫁いだ北条政子が勧請して深く信仰したと伝えられているそうだ。そういう挿話も面白いが、この場所の多数の大きな鯉に少し驚いた…

何か、深く広く尊崇された地元を代表する社に立寄ってみる機会を設けることが叶ったというのは凄く善かったと思う。この辺りを本拠地として活動した北条家の後裔が鎌倉で開いた建長寺円覚寺には翌日に立寄る機会を設けられたが。「“鎌倉以前”の彼ら」というようなことも少し感じられる場所だと思った。

旧国名で伊豆という地域には、他にも色々と興味深い場所が多く在ると聞く。“一宮”を参拝して御縁も出来たということで、伊豆国の中ももう少々訪ねてみたいと思いながら、この三嶋大社を後に三島駅へ向かったのだった。
posted by Charlie at 00:15Comment(0)静岡県