↓とりあえずシーザーサラダを摘まんだ…
↓モツ串…
↓豚串…
こういう具合に頂き、更に頂きたいモノを目指して別な店へ足を運んだが…「満席御礼」で入ることが叶わず、別な場所へ立ち寄った。
↓鶏肉の唐揚を頂く…
↓そして小ぶりなミックスピザ…
こういうような「梯子」も一寸愉しい…
<HOKKAIDO LOVE 6日間周遊パス>…(2022.09.13)
↓利用した後、手元に残ったモノである。
↑「JR北海道在来線全線」で“乗車券”、“自由席特急券”として有効であり、有効期間中に4回まで指定席を取ることが出来るというモノである。
今般、「稚内・旭川 往復」と「旭川・札幌 往復」とで交通手段を押さえ、所用を足し、所用の合間に好きな事でもして過ごそうと思っていた。そんな最中にこの<HOKKAIDO LOVE 6日間周遊パス>が登場したことを知った。実は以前にも在って、利用してみた経過が在った。「稚内・旭川 往復」と「旭川・札幌 往復」とで交通手段を押さえることを思えば、この券を1枚求めてみる方が料金は安価なのだ。そこでこれを求めた。
↓復路の「旭川→札幌」で指定席を取った。朝の列車は指定席を取った方が好い場合が見受けられるのだ。
↑往路に何となく普通列車で動いて下車した名寄、往路も復路も寄った旭川、旭川を起点に訪ねた美瑛、札幌と市内の新札幌、加えて最終的に引き上げて辿り着いた稚内と、改札口で「下車印」も御願いした。
「全線で随意に乗降可能」と強引に動き回るような予定も組むことが可能ではあると思う。が、今般は「稚内・旭川 往復」と「旭川・札幌 往復」とで交通手段を押さえて行動する計画を有していた時に偶々この券が在ったので利用したという次第だ。こういうようなモノは、無理に使うというのでもないと思う。偶々動く際に「使い易い?!」と出くわす類のモノであるような気がする。「北海道内でのみ販売」ということなら、「北海道内に在る場面」で購入すればそれで好いことだ。何れ、機会が在ればまた利用してみたい感だ。
↑「JR北海道在来線全線」で“乗車券”、“自由席特急券”として有効であり、有効期間中に4回まで指定席を取ることが出来るというモノである。
今般、「稚内・旭川 往復」と「旭川・札幌 往復」とで交通手段を押さえ、所用を足し、所用の合間に好きな事でもして過ごそうと思っていた。そんな最中にこの<HOKKAIDO LOVE 6日間周遊パス>が登場したことを知った。実は以前にも在って、利用してみた経過が在った。「稚内・旭川 往復」と「旭川・札幌 往復」とで交通手段を押さえることを思えば、この券を1枚求めてみる方が料金は安価なのだ。そこでこれを求めた。
↓復路の「旭川→札幌」で指定席を取った。朝の列車は指定席を取った方が好い場合が見受けられるのだ。
↑往路に何となく普通列車で動いて下車した名寄、往路も復路も寄った旭川、旭川を起点に訪ねた美瑛、札幌と市内の新札幌、加えて最終的に引き上げて辿り着いた稚内と、改札口で「下車印」も御願いした。
「全線で随意に乗降可能」と強引に動き回るような予定も組むことが可能ではあると思う。が、今般は「稚内・旭川 往復」と「旭川・札幌 往復」とで交通手段を押さえて行動する計画を有していた時に偶々この券が在ったので利用したという次第だ。こういうようなモノは、無理に使うというのでもないと思う。偶々動く際に「使い易い?!」と出くわす類のモノであるような気がする。「北海道内でのみ販売」ということなら、「北海道内に在る場面」で購入すればそれで好いことだ。何れ、機会が在ればまた利用してみたい感だ。
美馬牛駅→<四季彩の丘>→美馬牛駅…(2022.09.10)
旭川駅を列車で発ち、美馬牛駅に到った。美馬牛駅から<四季彩の丘>へ歩いて向かった。<四季彩の丘>で暫し過ごした後、美馬牛駅へまた歩いた。美馬牛駅からは美瑛駅へ列車で移動している。
この行程の中、「<四季彩の丘>と美馬牛駅との間を徒歩で往復」という場面で意外に多くの写真を撮っていたことに気付いた。
↓往路では、歩き始めて程無くこういう看板を視た。
↑何となく「こちらに進めば善さそうだ」と思いながら歩を進めた。
↓自動車等、自転車、徒歩で<四季彩の丘>を目指す場合のために「→」の看板が何箇所かに在った。
↓曲がり角のような箇所に看板が在ったのは有難かった。
↓「→」の先を見ると「あの辺りに入口辺りの少し大きな建物と思しき何か?」というように感じられた。
↓辿り着いた…
↓入口前の自販機でペットボトルを求めて水分補給をして、開園を待った。
<四季彩の丘>で過ごし、列車を逃さないように引揚げてみることした。
↓道路が交差する辺りに、「STOP」という少し独特な標識が在った。往路は余り気にしなかった…
↓復路の方向で動いていると見えるようになる案内看板が据えられている。そして「STOP」である。
↓“とうきび”だと思ったが、畑の向こうに小学校が視えた。現在も利用されている校舎で、1984年に竣工したそうだ。
↓どんどん歩を進めると、こういうような「停止しましょう」も何箇所か見掛けた。
↓往路では通らなかった、踏切から駅へ廻る経路に入った。
↑「踏切」の標識に在る鉄道車輛にはパンタグラフが設置されている。この辺りは集電してモーターで走る電車は入れない「非電化区間」だ。踏切に姿を見せるのはもっぱらディーゼルカーだ…
↓駅へ至る道筋に郵便局が在った。
↓自販機や公衆電話が視える…
↓商店だ。
↑ここへ至ると美馬牛駅の建物が視える。
天候に恵まれていて、なかなかに気持ち好く歩き廻ったコースだった。<四季彩の丘>を訪ねるようなことでも思い付いたなら、この「美馬牛駅を起点に歩いて往復」も悪くはないと思い、こうして歩いた様子の写真を少し纏めてみたのだった…
この行程の中、「<四季彩の丘>と美馬牛駅との間を徒歩で往復」という場面で意外に多くの写真を撮っていたことに気付いた。
↓往路では、歩き始めて程無くこういう看板を視た。
↑何となく「こちらに進めば善さそうだ」と思いながら歩を進めた。
↓自動車等、自転車、徒歩で<四季彩の丘>を目指す場合のために「→」の看板が何箇所かに在った。
↓曲がり角のような箇所に看板が在ったのは有難かった。
↓「→」の先を見ると「あの辺りに入口辺りの少し大きな建物と思しき何か?」というように感じられた。
↓辿り着いた…
↓入口前の自販機でペットボトルを求めて水分補給をして、開園を待った。
<四季彩の丘>で過ごし、列車を逃さないように引揚げてみることした。
↓道路が交差する辺りに、「STOP」という少し独特な標識が在った。往路は余り気にしなかった…
↓復路の方向で動いていると見えるようになる案内看板が据えられている。そして「STOP」である。
↓“とうきび”だと思ったが、畑の向こうに小学校が視えた。現在も利用されている校舎で、1984年に竣工したそうだ。
↓どんどん歩を進めると、こういうような「停止しましょう」も何箇所か見掛けた。
↓往路では通らなかった、踏切から駅へ廻る経路に入った。
↑「踏切」の標識に在る鉄道車輛にはパンタグラフが設置されている。この辺りは集電してモーターで走る電車は入れない「非電化区間」だ。踏切に姿を見せるのはもっぱらディーゼルカーだ…
↓駅へ至る道筋に郵便局が在った。
↓自販機や公衆電話が視える…
↓商店だ。
↑ここへ至ると美馬牛駅の建物が視える。
天候に恵まれていて、なかなかに気持ち好く歩き廻ったコースだった。<四季彩の丘>を訪ねるようなことでも思い付いたなら、この「美馬牛駅を起点に歩いて往復」も悪くはないと思い、こうして歩いた様子の写真を少し纏めてみたのだった…
工事中…:旭橋(2022.09.13)
早めに眠気を覚えて休んでしまった後の朝、早めに起き出したので、少し戸外へ出てみた。
↓やや雲が多い、何か曇天という雰囲気な中に旭橋辺りへ至ると、様子が少し変わっている。
↑「工事中」という様相だ…
↓橋上の路面の一部を掘り返しているかのような様子だ。通行に際して、大き目な特殊車輛等は通り抜けられないような具合だ。
↓「橋をなおしています」ということで、10月下旬迄の予定らしい。
↓脇の辺りに、工事に関する紹介という内容のパネルが掲出されていた。
↓旧い舗装路面を剥がして、新しい舗装路面に換えるというような工事であるようだ。
↓工事の中、古くは路面電車の軌道が敷設されていたという痕跡も出て来るらしい。
↓竣工して供用が開始された…「開通」というのが「1932年11月3日」ということで、そういう時代の写真も紹介されていた。今年で90年ということになる訳だ。
↓辺りの交通の要になっているような橋だが、同時に史跡とか文化財という感でもある。
この辺りの場合、雪が降る冬季には舗装路面を如何こうとするような作業には不向きな状態になる訳で、夏季ということになる6月に着手して10月迄に竣工を目指しているのであろう。
少し「変わった見え方」であった今般だが、また眺めに行こう。
↓やや雲が多い、何か曇天という雰囲気な中に旭橋辺りへ至ると、様子が少し変わっている。
↑「工事中」という様相だ…
↓橋上の路面の一部を掘り返しているかのような様子だ。通行に際して、大き目な特殊車輛等は通り抜けられないような具合だ。
↓「橋をなおしています」ということで、10月下旬迄の予定らしい。
↓脇の辺りに、工事に関する紹介という内容のパネルが掲出されていた。
↓旧い舗装路面を剥がして、新しい舗装路面に換えるというような工事であるようだ。
↓工事の中、古くは路面電車の軌道が敷設されていたという痕跡も出て来るらしい。
↓竣工して供用が開始された…「開通」というのが「1932年11月3日」ということで、そういう時代の写真も紹介されていた。今年で90年ということになる訳だ。
↓辺りの交通の要になっているような橋だが、同時に史跡とか文化財という感でもある。
この辺りの場合、雪が降る冬季には舗装路面を如何こうとするような作業には不向きな状態になる訳で、夏季ということになる6月に着手して10月迄に竣工を目指しているのであろう。
少し「変わった見え方」であった今般だが、また眺めに行こう。