↓出先での夕食だ。鶏肉を煮たモノを載せたカレーライスだ。
↑量や辛さを指定することが出来るチェーン店で、少な目の150gで「4辛」ということにした。
↓手頃なサイズのシーザーサラダも御願いした。
滞在した宿の直ぐ隣に在るチェーン店での夕食だ。必ずしも調子が好いのでもない中、<サッポロファクトリー>のクリスマスツリーを眺めに行く機会を設けられて善かったのだったが、何となく宿の傍に引揚げた中で立寄った。「出先で、(広く展開している)チェーン店に寄って食事を摂った」というようなことになると「些か野暮?」といことになるかもしれない。が、様々なチェーン店が在るでもない街に住んでいる身としては、札幌のような大きな街で見掛るチェーン店も「出先の札幌で出逢える場所」で、それなりに尊い。加えて、このチェーン店のカレーライスには学生時代に出くわし、方々で親しんでいて気に入っているのだ。
加えて…今般の「アクシデントで不調…」というのを含めて、やや草臥れている場面では、カレーライスが妙に美味いものだ…何となく写真も撮ったので、そういう「思い出」ということで写真を使って記事を起こした。
789系電車&721系電車…:札幌駅(2022.12.03)
<スパークリング日本酒>…(2022.12.03)
↓旭川・札幌間の列車の車中で寛ぐ際に頂こうと、旭川駅構内の店で飲物を求めた。
↓容器は金属の缶だ。「酒」と大書され、旭川市内の有名な酒蔵である<男山>の文字ロゴが入っている。
↓「泡」の在る飲物で、同時に「酒」であるということが缶に書かれている。
<男山>の清酒にガスを加えて「スパークリング」という仕立てにしたものであるという。
↓缶を開けて飲んでみた…所謂“スパークリングワイン”の極甘口なモノを想起する感だ。清酒で感じられる場合が在る「些かの甘み」が強く、強めなガスが加わっていて独特だ。「弾ける!」というような感だ。度数は7度ということで、15度前後が一般的な清酒より軽い。
↑何本も並べている、積んでいるという情況であれば「飲み易い!」ので際限無く飲んでしまうかもしれない…(今般は写真の1本のみを頂いた…)
旭川は「酒造りの街」でもある。この酒を送り出している<男山>の他にも酒造会社が複数立地している地域だ。そういう街で産れた、少し変わったモノと出くわしたのは嬉しい。製造本数が少ないのか、人気が高いのか、双方の事情なのか、売っている場面を余り見掛けた記憶が無い。そういう意味でも、佳いモノに出くわしたのかもしれない。
↓容器は金属の缶だ。「酒」と大書され、旭川市内の有名な酒蔵である<男山>の文字ロゴが入っている。
↓「泡」の在る飲物で、同時に「酒」であるということが缶に書かれている。
<男山>の清酒にガスを加えて「スパークリング」という仕立てにしたものであるという。
↓缶を開けて飲んでみた…所謂“スパークリングワイン”の極甘口なモノを想起する感だ。清酒で感じられる場合が在る「些かの甘み」が強く、強めなガスが加わっていて独特だ。「弾ける!」というような感だ。度数は7度ということで、15度前後が一般的な清酒より軽い。
↑何本も並べている、積んでいるという情況であれば「飲み易い!」ので際限無く飲んでしまうかもしれない…(今般は写真の1本のみを頂いた…)
旭川は「酒造りの街」でもある。この酒を送り出している<男山>の他にも酒造会社が複数立地している地域だ。そういう街で産れた、少し変わったモノと出くわしたのは嬉しい。製造本数が少ないのか、人気が高いのか、双方の事情なのか、売っている場面を余り見掛けた記憶が無い。そういう意味でも、佳いモノに出くわしたのかもしれない。
789系電車…:旭川駅(2022.12.03)
早朝の稚内駅を特急列車で発ち、旭川駅到着の後、旭川で昼食を摂り、「移動の続き…」と再び旭川駅へ足を運んだ。
↓札幌へ向かう特急列車が待機中だった…
↓先頭車の側面に「SAPPORO」と札幌の時計台のイラストが入っている。
↓この789系電車の<ライラック>で、札幌迄移動したのだった…
↓札幌へ向かう特急列車が待機中だった…
↓先頭車の側面に「SAPPORO」と札幌の時計台のイラストが入っている。
↓この789系電車の<ライラック>で、札幌迄移動したのだった…
雪交りな様子が継続…(2022.12.16)
大黒3丁目停留所の辺り…(2022.12.15)
↓「徒歩5分間前後?」という「バス停への道程」に「8分?」を要し、何か「小さな探検…」という気分になった夕刻だった。
↑振り返り、少し積もり始めている雪を半ば漕ぐような自身の足跡を観た…
↓信用金庫の支店の建物が視えているが、辺りは雪が降っているのか、積雪が風に舞っているのかよく判らないような感じだ。地元では「吹く」というように言う場合が在る状況だ。
↓午後6時過ぎは、未だ車輌通行も存外に多い。(他所から来て少し滞在した友人が、半ば戯れに、「あの街の何が凄いって?午後9時には人や車輌の通行が消えたように静かに…」と言っていたことが在ったが…友人が滞在した部屋の窓からの眺めが偶々そうだったというのも在るが、概して「静か…」になるのは早いと思う。)
↓街の北側へ向かう路線バスは、概ね定刻に大黒3丁目停留所に姿を見せた。
雪が降っても、路線バスのようなモノは普通に運行される。「それでも街は動く」というように思う…
現れたバスに乗車して、拙宅の辺りへ引揚げたのだった…
↑振り返り、少し積もり始めている雪を半ば漕ぐような自身の足跡を観た…
↓信用金庫の支店の建物が視えているが、辺りは雪が降っているのか、積雪が風に舞っているのかよく判らないような感じだ。地元では「吹く」というように言う場合が在る状況だ。
↓午後6時過ぎは、未だ車輌通行も存外に多い。(他所から来て少し滞在した友人が、半ば戯れに、「あの街の何が凄いって?午後9時には人や車輌の通行が消えたように静かに…」と言っていたことが在ったが…友人が滞在した部屋の窓からの眺めが偶々そうだったというのも在るが、概して「静か…」になるのは早いと思う。)
↓街の北側へ向かう路線バスは、概ね定刻に大黒3丁目停留所に姿を見せた。
雪が降っても、路線バスのようなモノは普通に運行される。「それでも街は動く」というように思う…
現れたバスに乗車して、拙宅の辺りへ引揚げたのだった…
朝に…(2022.12.15)
夕べに…(2022.12.14)
朝の旭川駅にて…(2022.12.06)
夕方から朝まで旭川で過ごした。身体を動かし悪い様子であった関係上、主に宿の居室で寛ぐというような具合ではあった。それでも、少し馴染んだ宿の居室で寛ぎながら過ごすと気力は充実する。
↓気力も充実した中、北上する列車に乗るべく旭川駅へ向かった。
↑稚内駅へ向かう特急<宗谷>に乗る。
↓何時も馴染んでいる「5番線」に上る。
↓ホームへのエスカレータの辺りだが、デザインが美しいと思う。
↓ホームでは乗車位置の案内が掲出されている。
↓今般は2号車の乗車位置を確かめて、その辺りで列車の到着を待った。
↓札幌を発って、稚内を目指して北上中のキハ261系ディーゼルカーが入線している。
↓今般は非常にシンプルな荷物で動き廻っていた。
↓確り着席してしまえば、何をしていても、列車は稚内駅まで連れて行ってくれる。最近は事前に券を購入した指定席に着席している分には、検札の乗務員さんに声を掛けられることも無い。居眠りに陥ったのなら、そのまま気付くまで眠っているだけのことだ…
所用で出て、何か和やかに過ごし時間も在って、とりあえず普通に用事も足りて、何となく好い気分で列車に乗っていた。
稚内駅到着の数時間後に「驚く展開…」が在ることを、この時点では知らなかった…
↓気力も充実した中、北上する列車に乗るべく旭川駅へ向かった。
↑稚内駅へ向かう特急<宗谷>に乗る。
↓何時も馴染んでいる「5番線」に上る。
↓ホームへのエスカレータの辺りだが、デザインが美しいと思う。
↓ホームでは乗車位置の案内が掲出されている。
↓今般は2号車の乗車位置を確かめて、その辺りで列車の到着を待った。
↓札幌を発って、稚内を目指して北上中のキハ261系ディーゼルカーが入線している。
↓今般は非常にシンプルな荷物で動き廻っていた。
↓確り着席してしまえば、何をしていても、列車は稚内駅まで連れて行ってくれる。最近は事前に券を購入した指定席に着席している分には、検札の乗務員さんに声を掛けられることも無い。居眠りに陥ったのなら、そのまま気付くまで眠っているだけのことだ…
所用で出て、何か和やかに過ごし時間も在って、とりあえず普通に用事も足りて、何となく好い気分で列車に乗っていた。
稚内駅到着の数時間後に「驚く展開…」が在ることを、この時点では知らなかった…
マンホールの蓋…:新札幌界隈(2022.12.10)
街を歩き廻る中で、足元に何気なく眼を落して「マンホールの蓋」に眼を留める場合が在る。地域性を顧慮した、少し凝った図案のモノも見受けられ、意外に面白い。
「意図して蒐集」という程のことはしていないが、何となく写真に撮ってこのブログに掲載した例だけでも…
地元の稚内、東広島市の西條、山口県の柳井、静岡市庁舎周辺、奈良、大阪、神戸と国内各地で注目してしまっている。更にウラジオストクでも撮っている。
今般、新札幌界隈を少し歩く機会が在った。(雪も氷も少なく、歩き易い様子だったのだ…)
↓そしてこういうモノを眼に留めた…
↑中央には札幌の有名な時計台の画だ。周辺は鮭だ。確か…「豊平川を遡上する鮭が“還って来る”ことを願い、目指し…」というような話しが盛んにされていた時期が在ったような気がする。随分と以前だった…多分、そういうのに因んでいるのであろう。
こうして「各地のマンホールの蓋」の画の「意図しない蒐集」が進んでしまった…こんなことも悪くはないと思う。
「意図して蒐集」という程のことはしていないが、何となく写真に撮ってこのブログに掲載した例だけでも…
地元の稚内、東広島市の西條、山口県の柳井、静岡市庁舎周辺、奈良、大阪、神戸と国内各地で注目してしまっている。更にウラジオストクでも撮っている。
今般、新札幌界隈を少し歩く機会が在った。(雪も氷も少なく、歩き易い様子だったのだ…)
↓そしてこういうモノを眼に留めた…
↑中央には札幌の有名な時計台の画だ。周辺は鮭だ。確か…「豊平川を遡上する鮭が“還って来る”ことを願い、目指し…」というような話しが盛んにされていた時期が在ったような気がする。随分と以前だった…多分、そういうのに因んでいるのであろう。
こうして「各地のマンホールの蓋」の画の「意図しない蒐集」が進んでしまった…こんなことも悪くはないと思う。
ボンゴレビアンコ…(2022.12.14)
モーニングセット:<簑島珈琲珈房 ムッシュ>:札幌(2022.12.13)
札幌駅周辺に出て「慌てて移動するまでもなく、昼食後に列車に乗れば…」という情況だった。札幌駅の北側の西寄り、北海道大学正門の方面を歩いた。
↓こんな店に出くわした。
↓入ってみれば「古き善き街の喫茶店」という趣だ。
↓「モーニングセット」というモノを眼に留めた。
↑「9時半迄」ということだが、席に着いた時点で9時27分ながら、出来るということなので御願いした。
↓こういうような具合に供された。
↓パンとゆで卵を頂いた。本当に「喫茶店で頂く“モーニングセット”!!」という感じで非常に好いと思った。
↓近年は「少数派?」という按配の、「こういうこと…」が容認されている店だ。
暫しここで寛ぎ、細かい用事を足して、昼食を愉しんでから列車に乗ることに想いを巡らせていた。
1つ「好い場所」を見付けた感である。
↓こんな店に出くわした。
↓入ってみれば「古き善き街の喫茶店」という趣だ。
↓「モーニングセット」というモノを眼に留めた。
↑「9時半迄」ということだが、席に着いた時点で9時27分ながら、出来るということなので御願いした。
↓こういうような具合に供された。
↓パンとゆで卵を頂いた。本当に「喫茶店で頂く“モーニングセット”!!」という感じで非常に好いと思った。
↓近年は「少数派?」という按配の、「こういうこと…」が容認されている店だ。
暫しここで寛ぎ、細かい用事を足して、昼食を愉しんでから列車に乗ることに想いを巡らせていた。
1つ「好い場所」を見付けた感である。
冬季の「気温上昇」の最中…:札幌駅周辺(2022.12.13)
札幌駅周辺を少し歩いた。
↓こういう路面状況だった…
↑雪ではなく雨が降るという程度に気温が上昇していた。冬季にそういうことになると、積雪が溶けてしまい、酷く歩き悪くなってしまう。
↓転倒して多少の痛い想いも味わったことから「冬の路面は注意」という問題意識が強まっているのだが、こんな様子は少し厄介だ。
「気温上昇」の後に「気温低下」ということもある。そうなると濡れて溶けかかった雪や、濡れている路面が急速に凍る場合が在る。そうなった箇所に降った雪が被さるということにもなる。冬季の「気温上昇」は多少厄介である場合も少なくない。
こういうような厄介な情況も含めて「“冬”の推移」というようなモノが在る。そしてそれと向き合って過ごすことになる訳だ。
↓こういう路面状況だった…
↑雪ではなく雨が降るという程度に気温が上昇していた。冬季にそういうことになると、積雪が溶けてしまい、酷く歩き悪くなってしまう。
↓転倒して多少の痛い想いも味わったことから「冬の路面は注意」という問題意識が強まっているのだが、こんな様子は少し厄介だ。
「気温上昇」の後に「気温低下」ということもある。そうなると濡れて溶けかかった雪や、濡れている路面が急速に凍る場合が在る。そうなった箇所に降った雪が被さるということにもなる。冬季の「気温上昇」は多少厄介である場合も少なくない。
こういうような厄介な情況も含めて「“冬”の推移」というようなモノが在る。そしてそれと向き合って過ごすことになる訳だ。
肉鍋焼きうどん…(2022.12.15)
積雪が風に舞う感…(2022.12.14-15)
何やら「下り坂な天候?」という最中、急な所用で出た先から稚内へ引揚げて午後から夕刻を過ごすこととなった。
夕刻、「何やら変に久し振りになった…」と頻繁に立寄る御近所の御店に寄って夕食を摂って寛いだ。そこから引揚げた。
↓その12月14日夜の様子だ。
↑些か降雪は見受けられるが、降雪の程度は緩い。しかし冷たい風が強く、降雪に加えて積雪が宙を舞っていた。何か「特殊効果」でも施しているかのように、視界が好くない…
そして迎えた早朝…「或いは前夜に雪が降り積もった?」と些か危惧しながら戸外の様子を伺ってみた。
↓12月15日朝の様子だ。
↑降雪は気になる程度の量に届いていない。前夜と然程変わらない感じであるが、些かの降雪と積雪とが風に舞う様子は継続している。一部凍ってしまっている路面に雪が覆い被さったというような感じになっている。
こういう「積雪が風に舞う」というのが「稚内の冬」の「らしい」感じであるような気がする。
夕刻、「何やら変に久し振りになった…」と頻繁に立寄る御近所の御店に寄って夕食を摂って寛いだ。そこから引揚げた。
↓その12月14日夜の様子だ。
↑些か降雪は見受けられるが、降雪の程度は緩い。しかし冷たい風が強く、降雪に加えて積雪が宙を舞っていた。何か「特殊効果」でも施しているかのように、視界が好くない…
そして迎えた早朝…「或いは前夜に雪が降り積もった?」と些か危惧しながら戸外の様子を伺ってみた。
↓12月15日朝の様子だ。
↑降雪は気になる程度の量に届いていない。前夜と然程変わらない感じであるが、些かの降雪と積雪とが風に舞う様子は継続している。一部凍ってしまっている路面に雪が覆い被さったというような感じになっている。
こういう「積雪が風に舞う」というのが「稚内の冬」の「らしい」感じであるような気がする。
凍て付く足元…(2022.12.14)
マルゲリータ&ペパロニ・シュプリーム:<ピザハット>新さっぽろ店(2022.12.09)
1日を通じて、少し精力的に動いた。そして夕刻を迎えた。
何処かへ食事に出掛けるというのも億劫で、何か在る食材で調理をするのも面倒ということになり「それでは宅配のピザでも?」という相談になった。
↓滞在した辺りは<ピザハット>の配達エリアだ。
↑「イマドキの箱はこういう具合?」と見入った。自身が住む稚内では見掛けない御店なのだ。
こういう宅配ピザだが、スマートホンで「ネット通販」的な要領で発注して電子マネーで決済し、配達員が御願いしたモノを抱えて御店を出発した時点でショートメールが入るようになっている。「もう少しだ…」と待っているとモノが届く。特段にその場で支払等が生じるのでもない。モノを受取るだけだ。
「何を如何でも構わないような、当然のことを綴っている?」となるかもしれないが、随分と長い間、この宅配のピザを御願いするようなことをしていなかったので、自身としては「酷く新鮮な感…」であったのだ。
↓こういう具合に2枚御願いした。
↓こちらがペパロニ・シュプリーム…
↓こちらがマルゲリータ…
何れも「ピザ」とでも聞けば思い浮かべるような、スタンダードな感じで凄く好かった。「“夕食”という感じに2人で摘まむ」には程好い量だったと思う。
こういうような次元のことでも、個人的に余りやらないことを不意にやるのは、少し面白いものだ。
何処かへ食事に出掛けるというのも億劫で、何か在る食材で調理をするのも面倒ということになり「それでは宅配のピザでも?」という相談になった。
↓滞在した辺りは<ピザハット>の配達エリアだ。
↑「イマドキの箱はこういう具合?」と見入った。自身が住む稚内では見掛けない御店なのだ。
こういう宅配ピザだが、スマートホンで「ネット通販」的な要領で発注して電子マネーで決済し、配達員が御願いしたモノを抱えて御店を出発した時点でショートメールが入るようになっている。「もう少しだ…」と待っているとモノが届く。特段にその場で支払等が生じるのでもない。モノを受取るだけだ。
「何を如何でも構わないような、当然のことを綴っている?」となるかもしれないが、随分と長い間、この宅配のピザを御願いするようなことをしていなかったので、自身としては「酷く新鮮な感…」であったのだ。
↓こういう具合に2枚御願いした。
↓こちらがペパロニ・シュプリーム…
↓こちらがマルゲリータ…
何れも「ピザ」とでも聞けば思い浮かべるような、スタンダードな感じで凄く好かった。「“夕食”という感じに2人で摘まむ」には程好い量だったと思う。
こういうような次元のことでも、個人的に余りやらないことを不意にやるのは、少し面白いものだ。
<ネギ味噌キムチラーメン>…(2022.12.08)
「改まった席」に臨む場合の「背広ネクタイ」という服装で前夜に着いた旭川を発った。早朝に旭川駅で列車に乗込んで札幌に着き、札幌市内を動き廻り、この時季であれば多少日が傾いたような感じになるような時間帯迄、随分と動き回った。
「夕食?」ということで、新札幌界隈のラーメン店に足を運んだ。
↓<ネギ味噌キムチラーメン>を頂いた。
↓「札幌辺りの流儀」としては特殊でもないかもしれないが、何か豊富な選択肢で、何を御願いするのか、少し迷った。
↑同行した方が「この店では専ら…」と<ネギ味噌キムチラーメン>を御願いするというので、「然らばそれを所望致す…」ということになった。
↓ネギが美味い!それを加えた味噌ラーメンだ。「キムチ」と在るが、キムチそのものが載っているのでもない。キムチに使用する唐辛子味噌と思われるモノが加えられている。
新札幌界隈や、その他の札幌市内で眼に留めて立寄るというようなラーメン店で味噌ラーメンや辛味噌ラーメンというようなモノを御願いすると味わうことが出来る、「何となくスタンダード…」または「少年時代から親しんでいるような…」というように感じる味を少し愉しんだ。
↓嘗ては新札幌駅傍(地下鉄駅直結)の商業施設のテナントであったが、何時の頃からか少しだけ駅から離れた辺りの、駐車場を備えた敷地に建つ店舗になった。
↑序に、店主氏は商業施設のテナントから現在の店舗に移った方から代替わりしているという。
↓「少年時代から親しんでいるような…」という感じのラーメンが頂ける店…記憶に止めたい。
「夕食?」ということで、新札幌界隈のラーメン店に足を運んだ。
↓<ネギ味噌キムチラーメン>を頂いた。
↓「札幌辺りの流儀」としては特殊でもないかもしれないが、何か豊富な選択肢で、何を御願いするのか、少し迷った。
↑同行した方が「この店では専ら…」と<ネギ味噌キムチラーメン>を御願いするというので、「然らばそれを所望致す…」ということになった。
↓ネギが美味い!それを加えた味噌ラーメンだ。「キムチ」と在るが、キムチそのものが載っているのでもない。キムチに使用する唐辛子味噌と思われるモノが加えられている。
新札幌界隈や、その他の札幌市内で眼に留めて立寄るというようなラーメン店で味噌ラーメンや辛味噌ラーメンというようなモノを御願いすると味わうことが出来る、「何となくスタンダード…」または「少年時代から親しんでいるような…」というように感じる味を少し愉しんだ。
↓嘗ては新札幌駅傍(地下鉄駅直結)の商業施設のテナントであったが、何時の頃からか少しだけ駅から離れた辺りの、駐車場を備えた敷地に建つ店舗になった。
↑序に、店主氏は商業施設のテナントから現在の店舗に移った方から代替わりしているという。
↓「少年時代から親しんでいるような…」という感じのラーメンが頂ける店…記憶に止めたい。
<イランカラプテ>:札幌駅 西口 南側(2022.12.13)
<IWOR-UN-PASE-KAMUY>(イウォルン パセ カムイ)=「その場所を見守る尊い神様」:札幌駅前通地下歩行空間(2022.12.13)
自身にとって札幌は「育った街」で、離れてからかなり年月は経ているものの、現在でも縁在って度々訪れる。それでも今般、急な事案の故にかなり短い間隔で札幌を繰り返し訪れるようなことになった。
そういう中、つい1週間前にも観て、写真にも撮ったばかりなのだが、地下歩行空間の気に入っている彫刻を眺め、何となく写真にも撮ってしまった。
↓色々と角度を変えてみると、この彫刻もより一層面白いかもしれない。
↓<IWOR-UN-PASE-KAMUY>(イウォルン パセ カムイ)と名札のようなモノも在ることに気付いた。
↑<IWOR-UN-PASE-KAMUY>(イウォルン パセ カムイ)とは「その場所を見守る尊い神様」という意味なのだそうだ。シマフクロウの、暗い夜に一定の場所に在り続けて「辺りを見守っているかのような?」という様子に、アイヌは“聖性”のようなモノを感じたのか?
↓この地下歩行空間に在って、この彫刻も「その場所を見守る尊い神様」というような役目を担っているのだろうか?
↓何かこの彫刻が酷く好い…
彫刻になったシマフクロウに限らず、「その場所を見守る尊い神様」というようなモノや人物は方々に多く在るのだと思う。今般、何気なく彫刻を眺めた時にそんなことを思っていた。
そういう中、つい1週間前にも観て、写真にも撮ったばかりなのだが、地下歩行空間の気に入っている彫刻を眺め、何となく写真にも撮ってしまった。
↓色々と角度を変えてみると、この彫刻もより一層面白いかもしれない。
↓<IWOR-UN-PASE-KAMUY>(イウォルン パセ カムイ)と名札のようなモノも在ることに気付いた。
↑<IWOR-UN-PASE-KAMUY>(イウォルン パセ カムイ)とは「その場所を見守る尊い神様」という意味なのだそうだ。シマフクロウの、暗い夜に一定の場所に在り続けて「辺りを見守っているかのような?」という様子に、アイヌは“聖性”のようなモノを感じたのか?
↓この地下歩行空間に在って、この彫刻も「その場所を見守る尊い神様」というような役目を担っているのだろうか?
↓何かこの彫刻が酷く好い…
彫刻になったシマフクロウに限らず、「その場所を見守る尊い神様」というようなモノや人物は方々に多く在るのだと思う。今般、何気なく彫刻を眺めた時にそんなことを思っていた。
<アラビアータ>:<iL-CHIANTI SAPPORO>(イルキャンティ サッポロ)(2022.12.13)
少し前に立寄った札幌の御店の料理が好かったのだが、急な展開で札幌を再度訪れた中、また寄ってみた。
↓到着すれば開店の11時半より少し以前で、少々待ってから一番乗りで御店に入った。
↓サラダとスープを頂きながら料理を待った。
↓このチェーン店のオリジナルドレッシングが美味しい。
↓ドレッシングはこういう具合に、御店の前の自販機でも売られていた…
↓<アラビアータ>というスパゲッティを御願いした。
↑ガーリック、唐辛子がよく効いたトマトソースのスパゲッティで、凄く好かった!
↓食後には珈琲を頂いて寛いだ…
↓札幌で「一寸、気に入った…」という場所が増えた感である。
↓到着すれば開店の11時半より少し以前で、少々待ってから一番乗りで御店に入った。
↓サラダとスープを頂きながら料理を待った。
↓このチェーン店のオリジナルドレッシングが美味しい。
↓ドレッシングはこういう具合に、御店の前の自販機でも売られていた…
↓<アラビアータ>というスパゲッティを御願いした。
↑ガーリック、唐辛子がよく効いたトマトソースのスパゲッティで、凄く好かった!
↓食後には珈琲を頂いて寛いだ…
↓札幌で「一寸、気に入った…」という場所が増えた感である。
<紀伊国屋書店>のエコバッグ…(2022.12.13)
↓こんなモノを眼に留めて入手した。
↑目に馴染んだ<紀伊国屋書店>のロゴマークが入っている。
↓こういうように拡がる…所謂「エコバッグ」だ。
↑最近は余り使わなくなったが、以前は<紀伊国屋書店>で何冊も本を求めたような時に、この「エコバッグ」に似たデザインの、少し丈夫なレジ袋的なモノをレジで頂いたものだ。なかなかに秀逸なデザインだ。
<紀伊国屋書店>というのは、創業者一族が事業を手掛けた際、一族が紀伊徳川家の御家中であって「紀伊国出身者」という意識が在ったので「紀伊国屋」を号していたということに由来する。江戸時代の豪商とは無関係であるということだ。やがて1927年に書店業を興して<紀伊国屋書店>と名付けており、1946年に法人化して現在に至っているそうだ。
自身にとって、<紀伊国屋書店>と言えば小学生の頃に開業した新札幌の商業施設に開業当初から在って親しんだ書店で、現在でも利用する店である。新札幌の商業施設の中では、最初は地下1階、やがて1階が長く、少し前に3階に移動したが、ずうっと変わらずに「エコバッグ」に在るロゴの少し大きな規模の書店である。自身の中では「“街の本屋”の“代名詞”」でもあるかのような存在感を持っている。
↓札幌で求めた後、旭川の宿に入った際、御近所で買物をした際に試用した。使い心地は好い…
これからも大事に使いたい。写真は旭川で撮っているが、札幌で求めているモノで、札幌に在った少年時代の思い入れで思わず求めたモノなので、ブログ記事は「札幌」にしておこうと思う。
↑目に馴染んだ<紀伊国屋書店>のロゴマークが入っている。
↓こういうように拡がる…所謂「エコバッグ」だ。
↑最近は余り使わなくなったが、以前は<紀伊国屋書店>で何冊も本を求めたような時に、この「エコバッグ」に似たデザインの、少し丈夫なレジ袋的なモノをレジで頂いたものだ。なかなかに秀逸なデザインだ。
<紀伊国屋書店>というのは、創業者一族が事業を手掛けた際、一族が紀伊徳川家の御家中であって「紀伊国出身者」という意識が在ったので「紀伊国屋」を号していたということに由来する。江戸時代の豪商とは無関係であるということだ。やがて1927年に書店業を興して<紀伊国屋書店>と名付けており、1946年に法人化して現在に至っているそうだ。
自身にとって、<紀伊国屋書店>と言えば小学生の頃に開業した新札幌の商業施設に開業当初から在って親しんだ書店で、現在でも利用する店である。新札幌の商業施設の中では、最初は地下1階、やがて1階が長く、少し前に3階に移動したが、ずうっと変わらずに「エコバッグ」に在るロゴの少し大きな規模の書店である。自身の中では「“街の本屋”の“代名詞”」でもあるかのような存在感を持っている。
↓札幌で求めた後、旭川の宿に入った際、御近所で買物をした際に試用した。使い心地は好い…
これからも大事に使いたい。写真は旭川で撮っているが、札幌で求めているモノで、札幌に在った少年時代の思い入れで思わず求めたモノなので、ブログ記事は「札幌」にしておこうと思う。
顛末…(2022.12.14)
整理整頓は不得手である。が、「訳が判らん…」というような気持に関しては、感じたことを書き綴るようなことをして、散らかしっ放しにしてしまわない方が好いかもしれない。そう思って手を動かし始めた。「訳が判らん…」が発生し、少しばかり時日も経て、落ち着いてモノを考えられるようになったような気もしている。
12月5日に泊ったのと同じ宿に、12月13日にまた泊り―流石に部屋は違う。5日は9階で、13日は11階だった…―過ぎる程に静かな早朝を迎えている。「多少勝手知った(つもりになっている)他所」と自身の中で位置付けている旭川に在る。
所用で札幌を往来する、或いは札幌経由等で他地域へ出向くというような場合、地元の稚内との往来に際して、旭川は「前線陣営」というような感で、往路や復路で宿を求めて泊るというのも、やや独特かもしれないが「自身の流儀」として或る程度定着してはいる。そして旭川駅から程近い、現在在る宿も気に入っているので、多少の間隔で再利用を繰り返すということでも、特段に不自然でもない。それでも「旭川から稚内へ北上し、急な事案により、翌日に直ちに旭川へ南下し、札幌へ出向いて急な所用に臨む」というのはやや特殊だと感じる。その所用が段落し、現在は復路の途上だ。この後、少々馴染んだ「朝の特急」に乗り込んで稚内へ北上する。
12月2日の朝に足元の凍った箇所を踏み込んで「派手な転倒…」という失態を演じた。多少、按配が悪くはなったものの、整形外科クリニックで「明確な形で骨等の損傷は認められない」という医師の診立てを聴き、数日間は少し痛みがキツい場合も在るかもしれないものの、何とかなるという判断をした。そして12月3日からは、以前から決まっていた札幌での所用のために出掛けた。
12月4日には、戯れに“居候所”と呼ぶ実家に顔を出していた。実家は所用の場所に近いことから御邪魔した次第だった。これも近年の概ね3ヶ月毎の所用の際には恒例となっている。ハッキリ言えば「どうしようもないわたしが歩いてゐる」という山頭火の句を想い起すような、明確な当てが在るでもなく彷徨うような人生かもしれない自身にも「両親」というモノは在る。所用で札幌に出ることを口実に、「御挨拶」に立寄っても罰は当たらない筈だ。そういうことでこれも恒例化していた。
そういうことの後、無事に稚内へ引揚げた旨を伝え、御邪魔した礼を言い、次の所用の予定等を告げるべく電話を架けることが恒例化していた。12月4日に和やかに過ごし、12月5日の朝に言葉を交わして出発し、無事に所用を済ませ、旭川へ移動した。旭川で適当に寛いで、12月6日に稚内へ戻った。
稚内に戻ってから、恒例に従って電話を架けたが応答が無かった。大概は“親父殿”が応答する。直ぐに電話に手が伸びずに出るのに時間を要する場合、何かの用で一寸外出している場合、入浴中や御手洗の使用中で応答し損ねる場合も在った。そういう場合は架電の旨が記録され、何やら表示される電話機なので、先方から架電も在る。何時だったか、老朽化した電話機を新たなモノに替えて「一寸試しているんだ」と何やら嬉しそうに架電して来た“親父殿”の話し口調も思い出す。“親父殿”は新しい道具を入手して、それを試用するようなことを面白がるような一面が在ったと思う。
そういうことなのだが、昼、夕方と何回か架電で全く応答が無いのはやや珍しく、また夕方迄にこちらへの架電も無い。「何となく…変な感じだ…」と思った。そうすると拙宅の電話が鳴る。応えると架電の主は“賢弟”であった。「落ち着いて聴いてやって欲しい。亡くなった…」と言い出した。“親父殿”が急に逝去したのだ。結婚式や出産のような慶事は、何ヶ月も以前から楽しみにするようなものだが、弔事は「急に逝去…」で驚かされる場合も存外に多いものであろう。
言われても「実感」に乏しい。“親父殿”と離れて暮らすようになってかなり長い。会う頻度も或る程度限られる。最近は元気と言えば元気ながら、些か身体の動きが悪くなっていて、それは少し気にはなった。12月4日から12月5日朝に会った際、「些かの“不調”の度合いが進んでしまった?」と気にならないでもなかった。それでも前日の朝に「それでは…」と所用のために出て、そのままゆっくりと稚内へ引揚げるとして、再会を期して別れたばかりなのだ。「色々と有難う」と言えば、「何も出来るのでもなく」と“親父殿”は言い、年末にまた寄る旨を伝えて出発したのだ。
例えば「入院加療中のところ逝去」というような形であれば、医師による「死亡診断書」というモノが出て来る。“親父殿”は少し違った。「死体検断書」というモノが登場した。自宅内で遺体になってしまった状態で発見され、運び出されたという事例だ。警察経由で法医学者に依頼が為され、「死体検断書」というモノが作成される訳だ。誰かが他界した場合の諸手続では「“死亡診断書”の写しを添え」というような話しが在る訳だが、“親父殿”に関しては「死体検断書」であった訳だ。
札幌に辿り着いたのは12月8日の朝早くだった。札幌では里塚に巨大な火葬場が在るのだが、その火葬場の都合等にも鑑み、少し傷んだ“親父殿”の遺体に関して素早く火葬することとなった。やや体調の優れない“母上”と、「遺体」となってしまった“親父殿”を運び出す場面で奔走した“賢弟”、和やかに過ごして遺体を観る迄「何やら訳が判らん…」という感であった自身の3人で「御別れ」で出棺した訳だ。火葬場には“賢弟”と自身との2人で向かい、火葬場の職員の方の介助も得ながら、“親父殿”の骨を拾った。
「優しい人だった…」とは、「御別れ」に臨んだ“母上”が些か涙ぐみながら吐いた言だ。“親父殿”は、身近な人に関しても、他所の縁が深いでもない人に関しても、「些かの、入り込み過ぎない程度の距離を取りながらも、温かく見守るようにしたい」ということを貫いた人だと思う。そして「馬鹿息子」たる自身や“賢弟”に関しては、「勝ち目の低い戦に突入しようとする愚か者」という様相であっても、「俺は御前達の“親父”だ…飽くまでも応援する!」ということを貫いてくれていたと思う。
何時、何処で如何撮ったのか知らないが、実家の片隅に設けた、火葬した骨を入れた容器を置いている“祭壇”の前に「遺影」が在る。幾分在る選択肢から、自身が額縁の色等を指定した遺影だ。それを見詰め、もう会って和やかに過ごすことも無いと実感していた。
身近な人物との間に、物理的に声を掛け合うということとは少し異なる「呼び合う」というようなことでも在るのだろうか?そんなことも思っている。
以前に“親父殿”から架電で、話しを聴かされたことが在った。“親父殿”の兄、自身の“伯父上”ということになる。御無沙汰してしまっていると、“親父殿”は“伯父上”に架電して言葉を交わした。「何か…元気が無い…」と感じ、“伯父上”の息子、自身の“従兄”に架電でその旨を伝えた。そうしたところ、少し前に体調を崩した経過が在ったと知ることになった。“伯父上”の御近所に住んで居た“従兄”は連絡を受けた翌日、様子を観に訪ねてみた。そして…「叔父さん…驚かそうという訳ではない…父が…」と“伯父上”の逝去を伝えられたのだという。
この“伯父上”の件を“親父殿”から聴かされた時、「兄弟の絆」というのか、互いに「呼び合う」という何かが在ったのかもしれないと思っていた。そして今、自身と“親父殿”との間にその「呼び合う」が生じたのかもしれないのだ。「落ち着いて聴いてやって欲しい」と言われたが、別段に取り乱しているのでもないが、何やら「訳が判らん」という感じだ。何か考えようにも、考えが千々に乱れるような様子だった。
実家の玄関で、「色々と有難う」と言えば、「何も出来るのでもなく」と“親父殿”は言い、年末にまた寄る旨を伝えて出発という場面が「最後」だった。“母上”が泊りで施設に出ていたことを踏まえ、夕刻に自宅でのんびりと過ごしていた最中での逝去だった。“賢弟”とも話題にしたが、何やらの病気療養で何ヶ月間とか何年間に亘って苦しい思いをするというのでもなく、多少の御騒がせであったにせよ、「眠るように力尽きた」というのは、それはそれで善とすべきかもしれない。
こういう顛末…少し記憶に留めなければなるまい…
12月5日に泊ったのと同じ宿に、12月13日にまた泊り―流石に部屋は違う。5日は9階で、13日は11階だった…―過ぎる程に静かな早朝を迎えている。「多少勝手知った(つもりになっている)他所」と自身の中で位置付けている旭川に在る。
所用で札幌を往来する、或いは札幌経由等で他地域へ出向くというような場合、地元の稚内との往来に際して、旭川は「前線陣営」というような感で、往路や復路で宿を求めて泊るというのも、やや独特かもしれないが「自身の流儀」として或る程度定着してはいる。そして旭川駅から程近い、現在在る宿も気に入っているので、多少の間隔で再利用を繰り返すということでも、特段に不自然でもない。それでも「旭川から稚内へ北上し、急な事案により、翌日に直ちに旭川へ南下し、札幌へ出向いて急な所用に臨む」というのはやや特殊だと感じる。その所用が段落し、現在は復路の途上だ。この後、少々馴染んだ「朝の特急」に乗り込んで稚内へ北上する。
12月2日の朝に足元の凍った箇所を踏み込んで「派手な転倒…」という失態を演じた。多少、按配が悪くはなったものの、整形外科クリニックで「明確な形で骨等の損傷は認められない」という医師の診立てを聴き、数日間は少し痛みがキツい場合も在るかもしれないものの、何とかなるという判断をした。そして12月3日からは、以前から決まっていた札幌での所用のために出掛けた。
12月4日には、戯れに“居候所”と呼ぶ実家に顔を出していた。実家は所用の場所に近いことから御邪魔した次第だった。これも近年の概ね3ヶ月毎の所用の際には恒例となっている。ハッキリ言えば「どうしようもないわたしが歩いてゐる」という山頭火の句を想い起すような、明確な当てが在るでもなく彷徨うような人生かもしれない自身にも「両親」というモノは在る。所用で札幌に出ることを口実に、「御挨拶」に立寄っても罰は当たらない筈だ。そういうことでこれも恒例化していた。
そういうことの後、無事に稚内へ引揚げた旨を伝え、御邪魔した礼を言い、次の所用の予定等を告げるべく電話を架けることが恒例化していた。12月4日に和やかに過ごし、12月5日の朝に言葉を交わして出発し、無事に所用を済ませ、旭川へ移動した。旭川で適当に寛いで、12月6日に稚内へ戻った。
稚内に戻ってから、恒例に従って電話を架けたが応答が無かった。大概は“親父殿”が応答する。直ぐに電話に手が伸びずに出るのに時間を要する場合、何かの用で一寸外出している場合、入浴中や御手洗の使用中で応答し損ねる場合も在った。そういう場合は架電の旨が記録され、何やら表示される電話機なので、先方から架電も在る。何時だったか、老朽化した電話機を新たなモノに替えて「一寸試しているんだ」と何やら嬉しそうに架電して来た“親父殿”の話し口調も思い出す。“親父殿”は新しい道具を入手して、それを試用するようなことを面白がるような一面が在ったと思う。
そういうことなのだが、昼、夕方と何回か架電で全く応答が無いのはやや珍しく、また夕方迄にこちらへの架電も無い。「何となく…変な感じだ…」と思った。そうすると拙宅の電話が鳴る。応えると架電の主は“賢弟”であった。「落ち着いて聴いてやって欲しい。亡くなった…」と言い出した。“親父殿”が急に逝去したのだ。結婚式や出産のような慶事は、何ヶ月も以前から楽しみにするようなものだが、弔事は「急に逝去…」で驚かされる場合も存外に多いものであろう。
言われても「実感」に乏しい。“親父殿”と離れて暮らすようになってかなり長い。会う頻度も或る程度限られる。最近は元気と言えば元気ながら、些か身体の動きが悪くなっていて、それは少し気にはなった。12月4日から12月5日朝に会った際、「些かの“不調”の度合いが進んでしまった?」と気にならないでもなかった。それでも前日の朝に「それでは…」と所用のために出て、そのままゆっくりと稚内へ引揚げるとして、再会を期して別れたばかりなのだ。「色々と有難う」と言えば、「何も出来るのでもなく」と“親父殿”は言い、年末にまた寄る旨を伝えて出発したのだ。
例えば「入院加療中のところ逝去」というような形であれば、医師による「死亡診断書」というモノが出て来る。“親父殿”は少し違った。「死体検断書」というモノが登場した。自宅内で遺体になってしまった状態で発見され、運び出されたという事例だ。警察経由で法医学者に依頼が為され、「死体検断書」というモノが作成される訳だ。誰かが他界した場合の諸手続では「“死亡診断書”の写しを添え」というような話しが在る訳だが、“親父殿”に関しては「死体検断書」であった訳だ。
札幌に辿り着いたのは12月8日の朝早くだった。札幌では里塚に巨大な火葬場が在るのだが、その火葬場の都合等にも鑑み、少し傷んだ“親父殿”の遺体に関して素早く火葬することとなった。やや体調の優れない“母上”と、「遺体」となってしまった“親父殿”を運び出す場面で奔走した“賢弟”、和やかに過ごして遺体を観る迄「何やら訳が判らん…」という感であった自身の3人で「御別れ」で出棺した訳だ。火葬場には“賢弟”と自身との2人で向かい、火葬場の職員の方の介助も得ながら、“親父殿”の骨を拾った。
「優しい人だった…」とは、「御別れ」に臨んだ“母上”が些か涙ぐみながら吐いた言だ。“親父殿”は、身近な人に関しても、他所の縁が深いでもない人に関しても、「些かの、入り込み過ぎない程度の距離を取りながらも、温かく見守るようにしたい」ということを貫いた人だと思う。そして「馬鹿息子」たる自身や“賢弟”に関しては、「勝ち目の低い戦に突入しようとする愚か者」という様相であっても、「俺は御前達の“親父”だ…飽くまでも応援する!」ということを貫いてくれていたと思う。
何時、何処で如何撮ったのか知らないが、実家の片隅に設けた、火葬した骨を入れた容器を置いている“祭壇”の前に「遺影」が在る。幾分在る選択肢から、自身が額縁の色等を指定した遺影だ。それを見詰め、もう会って和やかに過ごすことも無いと実感していた。
身近な人物との間に、物理的に声を掛け合うということとは少し異なる「呼び合う」というようなことでも在るのだろうか?そんなことも思っている。
以前に“親父殿”から架電で、話しを聴かされたことが在った。“親父殿”の兄、自身の“伯父上”ということになる。御無沙汰してしまっていると、“親父殿”は“伯父上”に架電して言葉を交わした。「何か…元気が無い…」と感じ、“伯父上”の息子、自身の“従兄”に架電でその旨を伝えた。そうしたところ、少し前に体調を崩した経過が在ったと知ることになった。“伯父上”の御近所に住んで居た“従兄”は連絡を受けた翌日、様子を観に訪ねてみた。そして…「叔父さん…驚かそうという訳ではない…父が…」と“伯父上”の逝去を伝えられたのだという。
この“伯父上”の件を“親父殿”から聴かされた時、「兄弟の絆」というのか、互いに「呼び合う」という何かが在ったのかもしれないと思っていた。そして今、自身と“親父殿”との間にその「呼び合う」が生じたのかもしれないのだ。「落ち着いて聴いてやって欲しい」と言われたが、別段に取り乱しているのでもないが、何やら「訳が判らん」という感じだ。何か考えようにも、考えが千々に乱れるような様子だった。
実家の玄関で、「色々と有難う」と言えば、「何も出来るのでもなく」と“親父殿”は言い、年末にまた寄る旨を伝えて出発という場面が「最後」だった。“母上”が泊りで施設に出ていたことを踏まえ、夕刻に自宅でのんびりと過ごしていた最中での逝去だった。“賢弟”とも話題にしたが、何やらの病気療養で何ヶ月間とか何年間に亘って苦しい思いをするというのでもなく、多少の御騒がせであったにせよ、「眠るように力尽きた」というのは、それはそれで善とすべきかもしれない。
こういう顛末…少し記憶に留めなければなるまい…
<カムイ>:789系電車:旭川駅(2022.12.13)
全く「急遽!」ということで、札幌・旭川・稚内と引揚げた直後に稚内・旭川・札幌と「直後に折り返す」というように移動した。そして札幌での色々なことを段落させ、引揚の道中へ。札幌から旭川へ動いた…
↓札幌・旭川間の移動は789系電車の特急列車が本数も多く、速く快適なのだが、何となく<カムイ>に出くわす確率が小さ目であるような気がしないでもない。何となく札幌駅の改札を潜り、<カムイ>に出くわすと、それだけで少し運が好いような気分になる。その<カムイ>が旭川駅に着いた。
↓着いた旭川駅で様子を見ると、列車は車内清掃等をしながら待機で、「次なる列車」ということで直ぐに折り返す運転で札幌を目指すことになっているようだ。
現在の時季、「午後3時半」というような時点で「かなり陽が傾いている…」という感じにもなる。下車後に改札を出て、宿にでも入って居室に居ると、直ぐに「暗い…」という感じになって行く…
↓札幌・旭川間の移動は789系電車の特急列車が本数も多く、速く快適なのだが、何となく<カムイ>に出くわす確率が小さ目であるような気がしないでもない。何となく札幌駅の改札を潜り、<カムイ>に出くわすと、それだけで少し運が好いような気分になる。その<カムイ>が旭川駅に着いた。
↓着いた旭川駅で様子を見ると、列車は車内清掃等をしながら待機で、「次なる列車」ということで直ぐに折り返す運転で札幌を目指すことになっているようだ。
現在の時季、「午後3時半」というような時点で「かなり陽が傾いている…」という感じにもなる。下車後に改札を出て、宿にでも入って居室に居ると、直ぐに「暗い…」という感じになって行く…
やきとり各種+鳥メンチカツ…:<旭川やきとりism>(2022.12.13)
札幌での所用が段落し、稚内へ引揚げる段となったのだが、旭川まで出てから翌朝の列車で北上するということにした。
日中に「プラス」の気温となっていたようで、足元が好くない感じであったが、旭川の街で夕食を愉しむことにした。
↓焼酎や日本酒等、各地の銘酒を頂きながら料理を愉しむという、旭川の街中で気に入っている御店に立寄った。
↑何時の間にか10年近くの期間に亘って立寄っている御店だ。旭川で時間が在って近くを通ると、何となく休みのタイミングに当たってしまう等して、少し御無沙汰だったので、ここに立寄ったこと自体が嬉しかった。
「やきとり」ということで、「X品で…」と申し出て、各種の鶏肉を焼いたモノ等を御提供頂く「コース的展開」で色々と頂くというような仕組みになっている。今般「5品」というように御願いした。
↓<小鶴>(芋の本格焼酎)の御湯割りを、通しのきんぴらごぼうを肴に啜りながら、料理の登場を待つ…
↑<小鶴>は「材料の感じ…」というのか、「芋!!」という味わいが濃い。芋の本格焼酎の人気が高い「現地」で人気が高いモノであるようだ。
↓最初は所謂「鶏精肉」である。モモ肉だ。
↑長野県の老舗に発注しているという七味唐辛子が在って、塩味の噛み応え在るモモ肉にそれを振って頂く。素晴らしかった…
↓生姜醤油漬けのササミ…
↑「鶏のササミを焼いた」という場合に在りそうな「パサパサ…」というのではない!しっとりと噛み応えが在って、味が程好く染みている。
↓レバー…これが凄く美味い!
↑絶妙な火加減で、とろけるように柔らかいと感じる他方、存外に「確り噛んでレバー」という感覚も遺っている。これは凄い!
↓手羽先…敢えて一般的な「開いて串に」という形を外し、素材の良さを愉しむことを主眼に焼いたというモノだ…
↑鶏肉では揚物等に使う“チューリップ”と呼び習わされるモノが在るが、そういうのを思い出した…
↓つくねはタレの味も在るが、玉子の黄身を点ける…
↑つくねそのものを摘んだ後、タレと卵黄に一口の米飯を入れるというようになっていたが、これが凄く美味い。
↓5種類を堪能し、石垣島からやって来た泡盛の<請福>を御湯割りで頂きながら寛いだ。
↓鳥メンチカツを御願いした…
↑鶏のミンチでメンチカツを作っているのだが、そこに「鶏ミンチを使ったオリジナルミートソース」というモノを添えている。驚く程に美味かった。
↓御手洗にこういうモノが掲示して在った…カウンターの席に1人で陣取って快適で、料理も酒も美味い…実に好い!
色々と在って旭川に到って、何となく寛ぎたい中、非常に愉しく過ごした。
↓昭和通のこういう看板…記憶に留めておきたい…
日中に「プラス」の気温となっていたようで、足元が好くない感じであったが、旭川の街で夕食を愉しむことにした。
↓焼酎や日本酒等、各地の銘酒を頂きながら料理を愉しむという、旭川の街中で気に入っている御店に立寄った。
↑何時の間にか10年近くの期間に亘って立寄っている御店だ。旭川で時間が在って近くを通ると、何となく休みのタイミングに当たってしまう等して、少し御無沙汰だったので、ここに立寄ったこと自体が嬉しかった。
「やきとり」ということで、「X品で…」と申し出て、各種の鶏肉を焼いたモノ等を御提供頂く「コース的展開」で色々と頂くというような仕組みになっている。今般「5品」というように御願いした。
↓<小鶴>(芋の本格焼酎)の御湯割りを、通しのきんぴらごぼうを肴に啜りながら、料理の登場を待つ…
↑<小鶴>は「材料の感じ…」というのか、「芋!!」という味わいが濃い。芋の本格焼酎の人気が高い「現地」で人気が高いモノであるようだ。
↓最初は所謂「鶏精肉」である。モモ肉だ。
↑長野県の老舗に発注しているという七味唐辛子が在って、塩味の噛み応え在るモモ肉にそれを振って頂く。素晴らしかった…
↓生姜醤油漬けのササミ…
↑「鶏のササミを焼いた」という場合に在りそうな「パサパサ…」というのではない!しっとりと噛み応えが在って、味が程好く染みている。
↓レバー…これが凄く美味い!
↑絶妙な火加減で、とろけるように柔らかいと感じる他方、存外に「確り噛んでレバー」という感覚も遺っている。これは凄い!
↓手羽先…敢えて一般的な「開いて串に」という形を外し、素材の良さを愉しむことを主眼に焼いたというモノだ…
↑鶏肉では揚物等に使う“チューリップ”と呼び習わされるモノが在るが、そういうのを思い出した…
↓つくねはタレの味も在るが、玉子の黄身を点ける…
↑つくねそのものを摘んだ後、タレと卵黄に一口の米飯を入れるというようになっていたが、これが凄く美味い。
↓5種類を堪能し、石垣島からやって来た泡盛の<請福>を御湯割りで頂きながら寛いだ。
↓鳥メンチカツを御願いした…
↑鶏のミンチでメンチカツを作っているのだが、そこに「鶏ミンチを使ったオリジナルミートソース」というモノを添えている。驚く程に美味かった。
↓御手洗にこういうモノが掲示して在った…カウンターの席に1人で陣取って快適で、料理も酒も美味い…実に好い!
色々と在って旭川に到って、何となく寛ぎたい中、非常に愉しく過ごした。
↓昭和通のこういう看板…記憶に留めておきたい…
雪庇(せっぴ)…(2022.12.11)
リブロースかつ定食…:<とんかつ 札幌 檍>(2022.12.11)
土曜日の昼食が凄く好かったということが在ったのだが、「で、日曜日の昼食?」ということになった。
↓今一度、とんかつを頂くこととした。
↓前日とは少し変え、「400g」を謳う「リブロース」を御願いしたのだった。
何か札幌で「御気に入り」を増やしたという感じだ…
↓今一度、とんかつを頂くこととした。
↓前日とは少し変え、「400g」を謳う「リブロース」を御願いしたのだった。
何か札幌で「御気に入り」を増やしたという感じだ…
<SNOW MIKU 2023>=<雪ミク電車>:幌南小学校前停留所付近:札幌の路面電車(2022.12.10)
すすきの停留所で<雪ミク電車>に乗車して移動した。
↓幌南小学校前停留所まで南下し、下車してみた。下車してこの<雪ミク電車>を眺めた。
↓毎年のように手の込んだ柄のラッピングが登場する。これが走り回っている様子が現れると、既に冬である…
この画の奥側の歩道橋に立ち入ることが出来ないようになっていた。撤去されるのか?換えられるのか?辺りの様子も変わろうとしている感だった…
↓幌南小学校前停留所まで南下し、下車してみた。下車してこの<雪ミク電車>を眺めた。
↓毎年のように手の込んだ柄のラッピングが登場する。これが走り回っている様子が現れると、既に冬である…
この画の奥側の歩道橋に立ち入ることが出来ないようになっていた。撤去されるのか?換えられるのか?辺りの様子も変わろうとしている感だった…
<SNOW MIKU 2023>=<雪ミク電車>:すすきの停留所:札幌の路面電車(2022.12.10)
↓すすきの停留所に進入する路面電車を眼に留めた。少し華やかなラッピングを施した車輛だ。
↓毎年、冬になると現れる<雪ミク電車>である。今季は<SNOW MIKU 2023>となっている。
2019年12月に<SNOW MIKU 2020>を観た経過が在り、このブログにも記事を公開している。それ以前にも、各々のシーズンの<雪ミク電車>を何度も見てはいるのだが。
↓とりあえずこれに乗車させて頂いた…
この車輛では、停留所の案内等、車内の放送は女性の声優さんの声になっている。毎年、なかなかに人気であるようで、何時の間にか存外に長くこの「冬のラッピング」は続いている…
↓毎年、冬になると現れる<雪ミク電車>である。今季は<SNOW MIKU 2023>となっている。
2019年12月に<SNOW MIKU 2020>を観た経過が在り、このブログにも記事を公開している。それ以前にも、各々のシーズンの<雪ミク電車>を何度も見てはいるのだが。
↓とりあえずこれに乗車させて頂いた…
この車輛では、停留所の案内等、車内の放送は女性の声優さんの声になっている。毎年、なかなかに人気であるようで、何時の間にか存外に長くこの「冬のラッピング」は続いている…
<かに将軍>札幌本店…(2022.12.11)
大きな看板のようなモノは、少し高い場所に設置すると大きさが判り悪いという場合が在るのかもしれない。
↓この大きな蟹…タラバガニをイメージしたモノと見受けられるが、酷く大きい。
↓何時頃からこういうモノが据えられていたか?かなり以前からであるような気がする。札幌都心の何箇所かでこういう看板は見掛ける。
「北海道」とでも言えば「蟹」というイメージは強いようだ。それ故にこの大看板を掲出した店が見受けられるのであろう。
蟹の大看板に関しては、必ずしも蟹の産地でもない大きな街で見受けられるモノだ。実は札幌は漁港を擁する海の街ではないので、蟹の産地ではない。が、北海道内の産物の大きな部分が集まる街ではあるかもしれない。
↓この大きな蟹…タラバガニをイメージしたモノと見受けられるが、酷く大きい。
↓何時頃からこういうモノが据えられていたか?かなり以前からであるような気がする。札幌都心の何箇所かでこういう看板は見掛ける。
「北海道」とでも言えば「蟹」というイメージは強いようだ。それ故にこの大看板を掲出した店が見受けられるのであろう。
蟹の大看板に関しては、必ずしも蟹の産地でもない大きな街で見受けられるモノだ。実は札幌は漁港を擁する海の街ではないので、蟹の産地ではない。が、北海道内の産物の大きな部分が集まる街ではあるかもしれない。