夕べに…(2023.01.06)

近日中に友人と会う相談になり、馴染んだ御近所の御店に立寄る予定とした上は、その旨を御伝えに伺いたい。そう思っていれば、件の御店が新年の営業を開始したところであったので立寄ってみた。

↓ヌカニシン…鰊を糠漬けにして保存し、糠を丁寧に拭って、焼き魚として仕上げる。「実に地元らしい!」とも感じるモノだ…
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↓暫し他地域を訪ねて滞在した後というような状況下であると、この「地元らしい!」が非常に欲しくなる…
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↓そして手羽先揚げを摘んだ…
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馴染んだ御近所の御店で気に入ったモノを摘んで寛ぐのは心地好い。訪ねた当初の“用件”を半ば忘れそうになったが、それは確りと果たした。1月上旬、「馴染んだ御近所」が年末年始体制を終えて「通常」となって行くのは好い感じだ…

朝に…(2022.01.07)

「或いは“シーズン最低”というような感じ?」という低温な傾向が続き、「冷たい風が刺さる…」というように感じられる状態も続いた中、朝の時間帯に辺りを余り歩き廻っていなかった。

↓そんな中で「相対的に穏やか…」という程度に思った朝だった。
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↓稚内駅前辺りは、国道の管理という観点では「232号線の起点」であると同時に「40号線の終点」という位置付けになっているようだ。
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↑「ここから国道へ踏み出す」ということなら国道の管理の上での位置づけが如何であれ、「出発点」ということになるのだと思うが。

↓稚内駅のビルの硝子張りな部分への映り込みが美しい…
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↓風が微弱で、この時季として「穏やか…」な感じである。
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↓「穏やか…」を善として、少し歩き廻った朝だった…
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夕べに…(2023.01.05)

御近所で食事を摂る店が年末年始の休業を終えて営業を始めるのは、1月5日頃以降が多いような気がする。今季に関しては、1月1日から拙宅に在ってゆったりとしていた関係で「首を長くして待つ…」という気分も在ったかもしれない。

↓待望の灯りに引かれて御近所の御店を訪ね、店内の飾りを愛でた…
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↓お通しは「御煮しめ」だった。これが凄く好かった!
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↓「御雑煮」も頂いた。何か「凄く“御正月”!」という気分だった…
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↓刺身の盛り合わせを愉しみ、<白霧島>をロックで飲む…
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↓御店で「ざんぎ」と「北海道の流儀」で呼んでいる鶏の唐揚をゆったりと頂いた。
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↓デザート感覚でトマトも…
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こういうような「愉しい夕べ」が「還って来た」という程度に感じる…

WELCOME TO KOBE :三ノ宮駅周辺(2022.12.27)

↓何となく街へ向けて歩を進めようとすれば「WELCOME」の大きな看板に出くわした。「歓迎」という意を表して頂けるのは有難い。
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↑神戸を本拠地とする、サッカーのJリーグの<ヴィッセル神戸>による看板だった。

1990年代のサッカーのJリーグ以降だと思う。プロスポーツの世界で、本拠地=地元を前面に出すようになった。出始めの頃、「好い傾向かもしれない…」という程度に漠然と思っていた気もする。現在、そういうのはスッカリ定着していると思う。
posted by Charlie at 07:21Comment(0)兵庫県

三ノ宮駅にて…(2022.12.27)

京都駅で乗った列車は「新快速」だった。列車の発着案内で「新快速」が赤い文字で表示されるので「赤の列車」と呼ぶ方に出くわして「なるほど…」と思った。

この「赤」で目立つように案内される「新快速」は、滋賀県の北側である米原駅や他の駅、場合によって福井県側から琵琶湖の東岸を南下し、大津駅、山科駅、京都駅と進み、大阪駅に至ってから更に西進し、兵庫県内に入って神戸市内に到る。神戸市内から先は兵庫県内を更に進んで姫路駅、播州赤穂駅等に到る。速度が上る区間では時速130㎞程度で走るという。運賃の他に“別料金”は発生しないが、停車駅の感じ等とも相俟って「嘗ての急行列車や特急列車?」という雰囲気も在るかもしれない。

↓京都・神戸間を移動すべく乗っていた列車が三ノ宮駅に着いたので下車した。
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↑こうして何気なく視る分には、何か仕掛けが在るとも思い悪いかもしれない。

↓乗降が落ち着き「間もなく発車します」となると静かにロープが下りる。
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↓ロープが、ホームに列車が現れる前の状態になった。
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↓車輌の扉が閉まり、やがて列車は動き始める。
27-12-2022 X-Pro2 (17)

思わず、下車した列車が更に先を目指して動き始める辺りまで、様子を眺めてしまった。この「“扉”の替りの上下する“ロープ”」が一寸面白い。

JRの駅は「三ノ宮駅」である。阪急や阪神はターミナルであることを広く明示する意図で“神戸”を冠するようになってはいるが、地下鉄やポートライナーは「三宮駅」となっている。

聞けばJRの「神戸駅」が少し西に在るのだが、そこを目掛けて鉄道が通った。その際、少し東側の外国人居留地に近い側にもう一つ駅を開くということになった。その駅を名付ける際、目印になるようなモノが三宮神社しか無かったので、それに因んで命名した。現在のJRに受け継がれる「三ノ宮駅」の名が生れたのは「さんのみや」という読み方が知られていなかったからということであるらしい。

そして駅の周辺は「三宮」という住所でもないのだが、駅に因んで「三宮の辺り」というような理解になって行ったようだ。神戸の街全体が発展する中、三宮が交通結節点のようにもなって行った。1957年に至って神戸市の庁舎が三宮界隈に移転すると、辺りは益々賑やかになって行った。現在では「神戸駅」の辺りは相対的に静かで、新しく起こった色々なモノが見受けられるような感になっていると思う。

JRの駅は「古い時期の命名」を留め続けているということになる。一寸、面白い…

そういう話しも思い出しながら、三宮辺りの街へ踏み出してみた…
posted by Charlie at 04:42Comment(0)兵庫県

京都駅にて…(2022.12.27)

<青春18きっぷ>が手元に在った。そして神戸空港から新千歳空港へ飛ぶフライトを予約していた。新千歳空港到着後に利用する札幌の宿も取っていた。

フライトに間に合うように、京都から神戸へ向かえば好いが、ゆとりを持って神戸に入って街を散策するというようなことも考えた。

こういうことになると?京都・神戸間を<青春18きっぷ>で移動し、フライトの後に新千歳空港・札幌間でも<青春18きっぷ>で移動するのが好い。また<青春18きっぷ>については、神戸に至ってから一寸動き廻る場面でJRの列車に乗車するということも可能なのだ。

↓そう考えて、荷物を持って辿り着いた京都駅だ。何度、如何いうように眺めても、少し圧倒される空間だと思う。
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↑四条駅から地下鉄の京都駅に到り、とりあえずJRの列車に乗り換える分には地下の改札口から各ホームに出ることも可能だ。それを承知していながら、敢えて回り道をしてしまう。この独特な空間の雰囲気を愉しみたいのだ…

↓大阪駅を経て神戸の三ノ宮駅へ至ろうとしていた。列車が現れるホームに出て、何気なく京都駅の様子を伺う。
27-12-2022 X-Pro2 (10)
↑JR西日本のエリアでは、1990年代以降の「JR型」の車輌の他に、近年は置換も相当進んでいるようには見受けられるものの、「国鉄時代」からの古参車輌も存外に多く見掛ける。画の右側の電車のような車輌である。古参車輌の多くは、「JR型」の各車輌と然程変わらないような内装に改められている例が多いとも思う。

↓乗車すべき列車が現れるのを待ったホームから視える様子だ。軌道を挟んだ向こう側のホームに「京都」という駅名の看板が視えるのだが、その看板の有無と無関係に「JR西日本の列車本数が少し多い駅」の特徴が出ているような気がする。
27-12-2022 X-Pro2 (12)
↑向こう側のホームにベンチが在る。これは「線路側を向いて座っている」と「フラフラと立ち上がって線路に転落?」ということで「横を向いて座る」というように配置される。JR西日本で登場し、他の鉄道会社でも一部に見受けられる方式だと思う。手前には、何やらボクシングのリングを囲むロープのようなモノが在る。これは「ホーム扉」を意図した時、様々な規格の車輌が発着している関係で設置が難しいということになって考え出されたモノだ。列車が停まって乗降する時、ロープが高く上り、列車が発車する頃には画のようにロープは下りるのだ。これも「JR西日本の駅で見掛ける特徴的なモノ」という感じだ。(運用する車輌の企画が或る程度統一されている路線では、各地に在る「ホーム扉」と同じようなモノも見受けられる。)

自身は関西方面に出る場合には「各私鉄の列車に乗って…」という移動を志向する傾向が強いかもしれない。往路は阪急の神戸三宮駅から大阪梅田駅を経て烏丸駅と阪急の列車で神戸・京都間を移動した。これに対して復路はJR西日本の列車を利用した訳である。
posted by Charlie at 04:39Comment(0)京都府

「京都市営交通110年」:烏丸御池駅:烏丸線(2022.12.26)

↓京都の地下鉄の烏丸線で「電車が参ります」という場面になり、こうやって現れる電車を何気なく視るという感じに、仄かな愛着を感じるようになっていることに気付いた。
26-12-2022 X-Pro2 (156)

2022年に関しては、5月、7月末から8月冒頭、12月と京都を3回訪れ、地下鉄も積極的に利用し、少し慣れ親しんだ経過が在る。

↓何時の間にか駅の「ホーム扉」というようなモノも、各地の鉄道で御馴染なモノになったと思う。
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↓「京都の地下鉄」とでも聞くと思い浮かべる、長く使用されている型の車輌だ。因みに近鉄の路線にも乗入れていて、奈良でこの車輛を見掛る場合も在る。(逆に地下鉄烏丸線で近鉄の車輌を見掛る場合も在る。)
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↑列車の先頭に「110」のマークが視える。「京都市営交通110年」のマークで2022年の5月頃から掲出していたらしい。

京都では1912(明治45)年6月11日に路面電車を市によって運行したことを「市営交通の起り」としている。そこから110年経ったという訳だ。

これからも永く歴史を刻むのであろう…そんな想いで「110」のマークを掲げた車輌に乗り、四条駅へ移動した。
posted by Charlie at 04:35Comment(0)京都府

自販機コーナー…:烏丸御池駅:東西線・烏丸線連絡通路(2022.12.26)

京都の地下鉄では東西線と烏丸線が在って、両者は烏丸御池駅で乗換が可能なようになっている。

より新しい東西線がより深い辺りに軌道が敷設されている。東西線の列車で烏丸御池駅に着くと、階段やエスカレータを上って烏丸線を目指す。

東西線は島式ホームなのだが、烏丸線は対面式ホームだ。ぼんやりしていると、烏丸線の進みたい側と反対側へ向かう列車のホームに至ってしまう場合も無いではない。

この「京都の地下鉄の東西線と烏丸線」というのが、何か「札幌の地下鉄の東西線と南北線」の関係に似ているような気がする。京都の路線図の「オレンジ色の東西線と緑色の烏丸線」というのも、視た瞬間に「札幌??」と錯覚してしまう。

少しばかり札幌に縁深い者が京都で地下鉄を利用すると思うようなことをぼんやりと思いながら、東西線で烏丸御池駅に着き、烏丸線の南下する側の列車のホームを目指した。

↓売店でも在るのなら、少し冷やかそうかと思えば…飲料の自販機が並ぶスペースだった。
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多分、この十数年なのだと思うが、京都の地下鉄では駅構内等の商業利用で収益を上げることに熱心であるようだ。この「広めな場所に複数台の自販機」というのも、そんな努力の一環だと思えた。

「地下鉄」は非常に大規模な“装置産業”で、運営は色々と大変なのだと思うのだが、一利用者としては便利で快適な交通手段だ。今後もこの地下鉄に親しむ機会を設けたいという感だ…
posted by Charlie at 04:33Comment(0)京都府

鯨…:<HEP FIVE>:大阪・梅田(2022.12.26)

「大阪駅の傍の巨大な観覧車」というモノに関心が在った。行くのは簡単だが、1人で行動する中で試しに乗ってみるというのは、何となく行き悪いような気がして年月が経った。

商業ビルの上に据えられた観覧車は、直径75mで、最高到達点が地上106mにもなるモノだ。1998年にビルが開業した時に登場しているらしい。

その観覧車の据えられたビルを目指し、建物に入ってみた。

↓なかなかに大きなオブジェが館内に据えられていた…
26-12-2022 X-Pro2 (134)
↑赤系の塗装とも相俟って、一瞥して何なのか判らなかったのだが…鯨であった…「実物の鯨?」というような大きさだ…

↓大阪の梅田の天で遊弋する大きな鯨という感なのか?よく観ると奥に小ぶりな鯨も在って、これは「親子」を表現しているようだ…
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鯨はビルが開業した頃から遊弋し続けているらしい…何か非常に面白いと思った…
posted by Charlie at 00:10Comment(0)大阪府

大阪メトロ+近鉄電車+阪神電車…:なんば駅(2022.12.26)

↓誰が視ても「地下鉄!乗って移動?では入ろう…」という入口である。
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↑そう思って何となく入るのだが、地下鉄の<大阪メトロ>の他、出入口に<近鉄電車>も<阪神電車>も在る。

御堂筋線、四つ橋線、千日前線と3路線が運行されている<大阪メトロ>の「なんば駅」の出入口ではあるが、地下の通路で近鉄や阪神の列車が発着する大坂難波駅にも出入りし易い場所なのだった。

こういうような、様々な鉄道会社の色々な路線が入り交わっている辺りを訪ねるというのは、個人的に存外に好きだ。

この時?地下鉄御堂筋線で梅田へ移動したのだった…
posted by Charlie at 00:09Comment(0)大阪府

<金龍>…:大阪・難波(2022.12.26)

↓「過ぎる程!?」に目立っている看板だと思った…
26-12-2022 X-Pro2 (128)
↑店名に「龍」が入っているので、龍の形を設えて看板にしてしまった訳だ。

食事は済ませて「腹一杯…」な状態だったので敢えて寄ることはしなかったが、ラーメンの店らしい。

大坂の難波の界隈は、各々に趣向を凝らした、不思議な目立つ看板が多々見受けられる。また眺めに訪れたい感だ…
posted by Charlie at 00:07Comment(0)大阪府

回転寿司…:大阪・難波(2022.12.26)

「遅過ぎな昼食」と「早い夕食」との隙間というような、何か妙な時間に食事を摂ろうと歩き廻り、回転寿司の店に入った。利用客が多く集まる時間の“間隙”という感で、直ぐに席に案内されて落ち着いた。

↓率直に、こういうのを久し振りに視たような気がする。
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↑最近は、カウンターに据えられたタブレットを使う、紙に書くで注文し、寿司が順次届くような感じの場所が目立つと思う。本当に「回転寿司」で、小皿に載った寿司がレーンを回っていた。

席に案内されると、店員さんは「スマホにアプリを」と、自身にとっては「全く意味不明…」なことを言い出す。“スマホ”なるモノを持っていない…使わないとすれば、レーンのモノを取って頂くことになる。それで大いに結構!実は同行者が「御無沙汰している“回転寿司”が好いかもしれない…」と言うので、希望を叶えて差し上げようということも考えたのだった。自身は12月に回転寿司の店に入った経過が在ったが、そこはカウンターのタブレットで注文という仕掛けだった。こういうレーンは酷く久々な感じであった。

↓“一貫”の単位で供するマグロが在った…
26-12-2022 X-Pro2 (115)

↓所謂「光物」系統の魚は好きだ…
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↓眼に留まったネタを色々と試してみた。何れも好かった!
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↓こんな海老も好かった。
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ゆったりと寿司を摘まんでいる間、「御来店です!」という店員さん達の声は途切れず、何時の間にか「御待ち頂ければ…」というような声も交る程度に店は賑わった。辺りでは評判の好い店なのだと思った。肝心の店名を確り記録していない。どうも鮮魚等を扱う会社で手掛けている御店と見受けられた。偶然ながら好い御店に出くわしたと喜んでいる。

久し振りに「非常に“らしい”!!」という感じの回転寿司で、朝に宿でサラダと若干のおかずを摘まんだ程度で空腹であったことにも気付き、何やらたっぷりと頂いてしまった。

何となく「京都に住む者が大坂に一寸遊びに…」という気分で過ごした日だったかもしれないが、こんな食事も含めて、何もかもが記憶に残る感だった。
posted by Charlie at 04:53Comment(0)大阪府

道頓堀の界隈…:大阪・難波(2022.12.26)

大阪城公園から森ノ宮駅へ出て、地下鉄の長堀鶴見緑地線の列車に乗って心斎橋駅へ移動した。そして御堂筋を歩いて若干南下した。同行した友人は、大阪城公園や周辺に比して、何やら落着きの無い街路のような気がすると感想を漏らしていた。

↓そしてこの「グリコ」が視える辺りに至った。
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↓この「グリコ」が視える様子は「大坂の街中」というようなことで知名度が高い。年末で、何となく人出も多かったが、看板の人物のように両腕を挙げて記念写真を撮っているというような様子も随分と見掛けた。
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↓何やら「中途半端な時間帯…」という感だった。この辺りへ出てみたのは、「とりあえず食事…」という趣旨だった。
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↓少しばかり奇抜な大看板が目立つというのが、この道頓堀の界隈の特徴かもしれない。
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↓「派手!」が創り上げられた感じもする場所だ。
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↓様々な種類の飲食店が見受けられ、目移りが甚だしい。
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↓「大阪の難波」という、他地域にまで流布された“イメージ”が四方八方から降り注ぐようにも思った。
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↓確か「くいだおれ太郎」と言ったか?有名なキャラクターの人形だ。
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暫し、こうしてキョロキョロとしながら歩き廻ったのだった。
posted by Charlie at 04:47Comment(0)大阪府

豊臣秀吉公像…:大阪城豊國神社(2022.12.26)

大阪城天守閣の辺りから、幾つか選択肢が在る地下鉄の駅を目掛けて歩こうとした。往路はJR京橋駅を利用したので、復路は少し違う駅をと思い、結局は森ノ宮駅を目指すこととした。

↓途中でこの像に出会った。
26-12-2022 X-Pro2 (94)

↓何となく暫く振りにこの像を見上げたような気がした。
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↑手元の記録を紐解けば、2020年に立寄った経過が在るようだが、大阪城に在る豊國神社(とよくにじんじゃ)の豊臣秀吉公像だ。

この像は1903(明治36)年に大坂城内に登場した。そして中之島に在った豊國神社の境内に遷って広く親しまれていたが、戦時下の1943(昭和18)年に「金属類回収令」で供出されて姿を消したという。やがて1961(昭和36)年に神社が現在の大阪城に遷って以降、豊臣秀吉公像の再興が願い続けられ、2007(平成19)年にこの像が登場した。写真記録に在る嘗ての像の感じも参考にしながら制作された、高さ5.2mの像であるという。「数多の戦に勝利し天下統一を果たした」というイメージであるということだ。

こんな像を眺め、大阪城で少し愉しい想い出が出来たということに感謝し、御朱印を頂いたのだった。
posted by Charlie at 04:36Comment(0)大阪府

<MIRAIZA OSAKA-JO>(ミライザ大阪城)=旧第四師団司令部庁舎…(2022.12.26)

↓現在の大阪城天守閣と殆ど同時期に登場したという、天守閣の直ぐ傍に在る建物だ。
26-12-2022 X-Pro2 (86)

↓大阪を本拠地としていた陸軍の第四師団が司令部として使った建物だというが、「如何にも…」というように感じる。
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↓この天井の照明も「1930年代頃のモノ」と強く感じられる。
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この建物は、現在では<MIRAIZA OSAKA-JO>(ミライザ大阪城)と称し、物販や飲食のテナントが入っている。

↓館内はなかなかに趣深い…
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大阪城天守閣の見学に夢中になり「数分で午後3時…」という辺りまで昼食も摂らずに居た。ここの館内で昼食を摂ることを思い付いたのだが、ランチタイムの営業が終わったという時間帯になってしまっていた。そこで、街に出て食事を摂るという相談になった訳である。そういう少し変わった動きもまた、好い想い出かもしれない。
posted by Charlie at 04:34Comment(0)大阪府

大阪城天守閣を望む…(2022.12.26)

友人と連れ立って出掛けたというのは「大阪城を見学に…」という話しからだった。京都の山科駅から大坂の京橋駅へ列車で移動し、京橋駅から大阪城公園の天守閣を目掛けて歩いた。

↓広い公園の中でも、天守閣は大きな建物なので、少し離れた辺りからでも一寸目立つ。
26-12-2022 X-Pro2 (69)

↓少しずつ大きな天守閣に近付く。
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↓その威容を見上げるような位置に至った。
26-12-2022 X-Pro2 (71)

「石山本願寺」であった場所に豊臣秀吉が城を築いた。「大坂の陣」で城が消失してしまった。徳川幕府が改めて築城した。天守閣等、一部の建物は火災で焼失している。幕末期を経て、明治期以降は陸軍が城の用地を利用していた。昭和の初め頃、江戸時代の基礎の上に、現在の天守閣が「街のシンボル」として建てられ、城の用地の一部が公園化された。そして戦後、用地が色々と利用される経過が重なりながら現在に至っているが、大阪城天守閣は現在でも「街のシンボル」として親しまれている。

同行した友人と、こういうような場所の経過を語らいながら、建物の様子を眺めた他に辺りの景色も愉しみ、資料館になっている天守閣の中にも入り、展示等をゆったりと観ていたのだった。

↓江戸幕府が建てた天守閣の土台を利用しているが、伝わっている豊臣時代の様子を想定して建てたのが現在の天守閣であるという。
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↑館内展示に、江戸幕府が建てたモノを想定した模型が在るのだが「あの辺りの階段?入る時に上った様子と同じでは?」という様子が判る。江戸幕府が建てた天守閣は58m程度であったらしい。現在のモノは54m程であるという。大阪城公園を囲むように大きな高層ビルも多々見受けられるので、天守閣は相対的に小さく感じる場合も無いではないが。

↓何度も立寄ってみた経過が在る大阪城天守閣だが、友人と語らいながら、昼食を摂るのも半ば忘れて時間を掛けて見学したという出来事は、忘れ難い想い出になったと思う。
26-12-2022 X-Pro2 (77)

辺りに花が咲く木が多く植えられていることを話題にすると、友人は「その花の時季に再訪してみたい」としていた。色々な事が在った史跡でもあるが、人々に愛される憩いの場となっているという感を強くした。

「ど定番!」で「今更?」という場所かもしれないが、この天守閣が聳え立つ大阪城公園は好い…
posted by Charlie at 04:33Comment(0)大阪府

『名探偵コナン』…:大阪城公園周辺(2022.12.26)

少し進めば大阪城公園の、天守閣が遠くに視えそうな辺りに至る筈と思いながら歩を進めた。

↓こんなモノが在った…何やら子ども達の像だ…
26-12-2022 X-Pro2 (64)
↑『名探偵コナン』という人気アニメの劇中人物達であるという。奥のビルはテレビ局の本社で、制作されるアニメに放映に携わっているということになる。

『名探偵コナン』は1994年に登場の漫画を原案に1996年からテレビアニメになっている。漫画もアニメも、現在に至っても続いている。

上記の画の左側、眼鏡を掛けている少年が主人公のコナンだ。優れた頭脳を持つ高校生であったが、悪の組織の手で飲まされた謎の毒薬の副作用で身体が幼児化してしまい、小学1年生ということで幼馴染の家に居候しているということである。周囲の子ども達は、劇中に登場する仲間達、<少年探偵団>というのであろうか。

偶々、然程通行量が多いでもない中で通ったのだが、それなりに人気の記念写真撮影場所かもしれない。ここで写真を撮ると「出くわした子ども達と触れ合う…」というような画になるかもしれないが…
posted by Charlie at 04:31Comment(0)大阪府

球のオブジェ…:大阪城公園周辺(2022.12.26)

大阪のJR京橋駅に到り、大阪城天守閣の辺りを目掛けて歩いた。様々な会社が入っている大きなビルが建ち並ぶような一画をゆっくりと通り抜けるような感じになる。聞けば、明治時代以降は「砲兵工廠」という軍関係の施設として使用された部分が多かった区域であるらしい。戦後に長い時間が掛かって現在のような、オフィスビルが林立して大阪城公園の一部が在るというような姿になって行った場所であるようだ。

辺りはオフィス街で、行き交う人が利用するようなカフェのような御店や、細かい買物が出来そうなコンビニも幾分見受けられる場所だ。そういうカフェで一息入れるようなこともしながら大阪城天守閣の方向へ進む。

↓こんなモノが在った…
26-12-2022 X-Pro2 (62)
↑大きな球のオブジェ―人の背の高さ程度の大きさだ…―が在る様子は、「一枚の画」という感で、暫し見入った。

何を表現しようというのか?制作意図はよく解らないが、何となく面白い。
posted by Charlie at 19:11Comment(0)大阪府

正面展望:大阪環状線:大阪駅から京橋駅へ…(2022.12.26)

友人と連れ立って「大阪城を見学に…」と出掛けた。京都のJR山科駅で落ち合って新快速に乗車し、大阪駅に至って大阪環状線に乗換え、京橋駅へ移動することとした。

↓何となく…列車の先頭、運転台の脇の辺りに陣取った。
26-12-2022 X-Pro2 (41)

↓大阪の少し北寄りな街中を進む経路で、運転台の脇での正面展望は一寸面白い。
26-12-2022 X-Pro2 (42)

↓途中駅では停車の為に減速する。
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↓鉄橋を渡りながら、反対方向に進んでいる列車と擦違う。
26-12-2022 X-Pro2 (47)

↓弧を描くような軌道になっている箇所も存外に多い。
26-12-2022 X-Pro2 (50)

↓列車の運行頻度が高い路線なので、然程長くない乗車時間でも、存外に多く他の列車と擦違う区間だと思った。
26-12-2022 X-Pro2 (54)

↓目指していた京橋駅に着く。
26-12-2022 X-Pro2 (55)

↓乗車していたのは323系電車だ。正面に環状線をイメージした“環”のマークがデザインされている。
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↑国鉄時代から受け継がれていた古参車輌を入れ替えようと、2016年から2019年の間に22編成(各列車は8輌)が製造されたそうだ。最近の大阪環状線で出くわすのは、奈良や関西空港または和歌山というような列車以外は、大概がこの323系という様子になっていると思う。

大阪環状線を利用して移動するというのも、一寸愉しいと思った。
posted by Charlie at 19:06Comment(0)大阪府

京都市交通局のメッセージ…:階段:地下鉄 山科駅(2022.12.26)

知恩院を訪ねてみた後、最寄の地下鉄の東山駅へ向かい、山科駅へ移動した。JR山科駅の側へ出ようと地下を歩いた。

↓階段だが、何やら広告になっている。
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↑<KOTO Chika>または<kotochika>となっている。これは「コトチカ」と読む。多分「古都の地下」ということなのであろう。幾つかの地下鉄駅で展開されているようだが、所謂「駅ナカ店舗」というようなモノで、地下に色々な店が設けられている。調べると、山科駅の他、京都駅、四条駅、烏丸御池駅、北大路駅で展開しているようだ。

<kotochika>は京都市交通局が関わる事業であるそうだ。広告も交通局のメッセージであるが、次は本当に「皆様に訴える」というような内容であった…

↓通行人が偶々疎だったので、思わず立ち止まって読んでみた。正直、「一瞥する広告」ということでは文字数が多いような気がしないでもなかった…
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↑市民各々が、月2回余計に地下鉄等に乗車すると、利用者数の目標が達成出来る計算なのだという。便利な公共交通の利用を訴えるメッセージだ…公共交通が整っているということは、何処かからやって来て住み始めるにしても、何かの用事や単純な観光旅行で訪れるに際しても、「誰でも随意に動き回ることが叶う」ということで、凄く大切な事柄のように思う。

自身、12月23日午前の到着から、12月27日朝まで京都に在った。

12月27日は四条駅から京都駅まで、1回だけ地下鉄に乗車した。他は「月2回」どころか「日2回以上」の乗車だった。

12月23日、12月24日は1日乗車券で、詳しく覚え切れない程度に地下鉄に乗車した。12月26日も1日乗車券を使ったが、四条駅・東山駅、東山駅・山科駅、山科駅・四条駅の3回、地下鉄に乗車した。12月25日は四条・京都、太秦天神川・四条と2回、地下鉄に乗車した。

今般、地下鉄の四条駅に直結している阪急の烏丸駅と京都河原町駅との間の列車も多用した。あれは1駅間160円だが。何れにしても、京都は地下鉄等で動いて歩き廻るという感じが過ごし易いと思う。

全般的に「だから?」という話しになってしまっているかもしれないが…
posted by Charlie at 19:01Comment(0)京都府

祇園白川…(2022.12.24)

夜、宿へ引揚げようと辺りを歩き廻った…

↓祇園白川の辺りだ…
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↓独特な風情を眺めた…
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↓朝、昼、夜と精力的に歩き廻り、何か愉しかった一日を振り返りながら、悠然と引揚げていた…
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何か強く記憶に残るような感じの一日だった…
posted by Charlie at 11:27Comment(0)京都府

本能寺…(2022.12.24)

少しだけ古い記憶を辿る。寺町の老舗喫茶店を初めて訪れた時、「あの本能寺の傍?」と少し驚いた。やがて同行者も在る状況で京都に入り、ホットケーキと珈琲を愉しんで「想い出の店」という様相になったのだが、その時も「あそこが本能寺…」と脇を通り過ぎた。更に暑い盛りに辺りを動き回って老舗喫茶店に立寄った経過は在ったが、本能寺に立寄ったのでもなかった。

そういう経過を経て、今般はフランチャイズチェーンの中で、その名も「本能寺店」を号する場所でハイボールを頂いて寛いだという経過の中、御勘定を済ませながら、「直ぐ傍の本能寺に御参りに…」と言いながら退出したのだったが、本当に本能寺に立寄ってみたのだ。

場所に出くわして以来、随分と長い時間を経て、漸く本能寺に立寄ったということになる。

寺町の老舗喫茶店辺りから御池通側に歩を進めた側に入口が在るのだが、何か物々しい標柱が据えられている。かの織田信長に所縁の本能寺という訳である。
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↓辻説法に建つ日蓮上人というイメージの像が据えられている。本能寺は法華宗の寺である。
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織田信長が明智光秀の襲撃を受けて斃れた本能寺は、現在地に在ったのではない。現在地に関しては、豊臣秀吉が「寺を街の端の側に集め…」というように区画整理―寺町辺りが、秀吉の時代の「繁華な街の端」であったようで、幕末や明治初期までそういう感じであったようだ―の中で構想し、当時は織田信長が討たれた一件で焼け落ちて―明智勢は織田勢を追い詰めるべく火を使ったようだが、信長の警護の任に就いた人達が鉄砲を主要装備としていて、多量の火薬が当たりに在った関係で、事変に際して想像を絶する大爆発が起こって辺りが粉砕されたという説が在るようだ…―しまって、何れにしても再建せざるを得なかった本能寺を現在地の辺りに移転させたのである。

↓いよいよこの本能寺を御参りする。が、「本能寺」の「能」の字について、「やや独特な書体」が用いられていることに気付く。「能」には「ヒ」が入っている。「ヒ」は「火」に通じる。焼け落ちた歴史を思うと、「火」はロクでもない…そこで少し変わった書体が用いられるようになったらしい。
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↓そして中へ…本堂に詣でて、かの織田信長の歴史を伝える寺に辿り着いたことに感謝である…
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↓奥に織田信長を祀る廟も在った。
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少し前に訪ねた、織田信長を祀った建勲神社とも少し色合いが違う何かを感じるのが、この本能寺だった。

↓本能寺には<宝物館>(有料)が在って、織田信長に所縁の刀剣等、少し面白いモノが観られる。こういうのも一寸興味深い…
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↓<宝物館>は写真撮影は「御遠慮願います」なのだが、構わないというモノも在る。この甲冑がそういう構わないモノである。
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↓明治時代の前半、幕末期からの甲冑職人が「織田信長公のモノ」を想って造ったという甲冑が寺に寄贈された経過が在るのだそうだ。そのモノが飾られている。
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↑なるほど、かの織田信長が幾つかの合戦の際に着用したモノを想起させる。加えて、「武士の実用品」として甲冑が大事にされていた時代の最後の時期の「本物だけが備える何か」が感じられる。余計な説明抜きに「見事な工芸品」として見入ってしまうものが在った。

↓そんなことで、少し面白い時間を過ごしたと思う…
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「寄りそうで寄れない…」というような経過が在って、「漸く寄った!」で興味深かった本能寺である。少し強く記憶に残る場所となった…
posted by Charlie at 10:01Comment(0)京都府

一杯のハイボール…:京都市役所の傍(2022.12.24)

↓佳いウイスキーをグラスに注いで、ソーダで割って丁寧に混ぜたハイボール…こういう飲物を昼間から頂くのは好い…
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↑「本日のウイスキー」ということで御店で択んだウイスキーのハイボールを手軽に飲むことが出来る。「実に好い!!」と思った。

京都市本庁舎の立派な建築を望むような辺りにコンビニが在る。色々なオフィスも在る辺りで、地下鉄の駅の傍で、人が多いのでコンビニは繁盛しているように見える。そのコンビニの入口から脇の方へ入ると、何やら「居心地が好さそうな小さなバー」という空間が在る。少し意表を突かれる…

↓ウイスキー等の品揃えがなかなかに立派だ。<厚岸>というような、渋いレアなモノまであると、御店の方と言葉を交わし始めた。最近は「日本のウイスキー」が「変に(?)人気」で、意外に入手し悪い。この店は、サントリーやニッカのよく知られた銘柄が概ね一通り揃って並んでいて、視ていて頬が緩んだ…
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↓実際には「午後2時台」だったが、「バーでハイボールを傾け、言葉を交わした御店の方と暫し語らう」という「夜遅く…」のような行動様式で苦笑いが漏れた。
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フランチャイズチェーンであるというバーは「本能寺店」と号している。確か京都市本庁舎等、辺りの住所に「本能寺」と入っていたと記憶している。そんなことで「本能寺なら直ぐ傍」という話しになった。かの織田信長が討たれてしまった本能寺は現在地とは違う場所であった。現在地というのは“寺町”と呼び習わされるようになった地域が形成された、かの豊臣秀吉による区画整理で、本能寺が現在地辺りに建てられたという事が起源だ。

暫し愉しい感じで一息入れた場所である。御勘定を済ませながら、「直ぐ傍の本能寺に御参りに…」と言いながら退出したのだった。こういう「街角で気軽に1杯」という場所は、何やら嬉しい。記憶に留めたい。

>><お酒の美術館>>>本能寺店
posted by Charlie at 08:42Comment(0)京都府

廬山寺(廬山天台講寺)…(2022.12.24)

烏丸丸太町辺りで護王神社に参拝し、烏丸通を渡って蛤御門を潜って、「京都御苑の反対側」に至った。

↓少し古い歴史を誇る廬山寺(ろざんじ)が在る。
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↓廬山寺が在る辺りは、かの紫式部(970年代生まれと考えられ、1019年以降に他界したと見受けられる)の邸宅であったと伝えられている。
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「10世紀末から11世紀初頭」というような時代、世界中の様々な国々で「女性が文章を綴り、綴った文章が少し広く愛読され、それが何世代にも亘って、現在までの千年間にも亘って受継がれている」というのは、世界の様々な国々の文化史の中で類例が思い浮かばない。とりあえず「凄いこと!」のいような感じだ…

↓天台宗の流れを汲む高僧達が活動した経過の在る寺が、時代の荒波を潜り抜けた中で、現在の場所に至り、「かの紫式部の邸宅の跡に在る古刹」という具合になって行った訳だ。
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↓酷く年季が入った松の古木が記憶に残る感だった…
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↓寺の庭や、様々なモノをゆったりと拝観した…
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↓こういう場所も意外に好きだ…
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↓この廬山寺にも縁が在る元三大師(がんさんだいし)という高徳の僧が、鬼の姿になって災厄や疫病を退けたという言伝えに基づく「角大師御札」というモノが在るという。幾つかの天台宗の流れを汲む寺でこの御札は在るらしい。最近「厄除け?」というようなことを話題にしていたので、知人に向けた土産として、これを入手してみた。
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この「角大師御札」というモノに関しては、京都では存外にポピュラーであるというようなことも聞いた。それはそれとして、様々な意味合いで、京都で過ぎた永い歴史の様々な側面を想起させる小さな古刹というような場所を訪ねてみたことは興味深かった。
posted by Charlie at 10:35Comment(0)京都府

蛤御門:京都御苑(2022.12.24)

↓こういう標柱が据えられている箇所が在る。
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↑「蛤御門」(はまぐりごもん)という場所だ。

1864年の「蛤御門の変」または「禁門の変」と言われる事件の主要な舞台と伝えられる場所だ。前年に政変で不利な立場になって京都から追われてしまった長州が失地回復を目指し、京都守護職等の幕府勢力の排除を目論んで京都に出兵し、幕府勢力に敗れてしまったという一件で、天皇が在る場所である御所を巡る攻防の激戦地であった辺りに因んで「蛤御門の変」と呼ばれる。御所の門は「禁門」と呼び習わされることから、事件を「禁門の変」とも呼ぶ。

この戦闘に際しては、御所の周辺の邸宅で火災が発生し、延焼が拡がってしまい、一条周辺から七条周辺に至る広い範囲で火災に見舞われたという。京都の街の歴史では、「どんどん焼け」として伝えられているそうだ。

↓これがその蛤御門だ。
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↑多分、門の傍に京都守護職を担った会津の将士が警備のために陣取って、そこに長州勢が挑みかかって戦闘になったのであろう。画の左側を少し進むと、現在は同志社大学になっている辺り―少し北側ということになると思う―が薩摩島津家の邸宅が設けられていたという。恐らくそこで支度を整えてた薩摩の将士が進んで来て、会津勢を援護して長州勢に攻撃を加えたというような展開であったのであろう。

御所とその周辺はこの蛤御門を含めた幾つかの門も設えた塀で囲まれている。室町時代の後半辺りから、現在も「京都御所」として知られる京都御苑の周辺に御所が設けられ続けていたようである。蛤御門の眼前の烏丸通等、周辺の様子は時代毎に変わっていることであろうが。「蛤御門の変」または「禁門の変」の頃には、門の直近から烏丸通の幅目一杯、または近隣に両陣営の将士が散らばって激しい戦闘が繰り広げられたのであろう。

↓分厚い板で造られた門扉なのだが、経年劣化なのか、1864年の事件で飛び交った銃弾か何かで傷が着いたのか、何とも言い難い雰囲気が在る。
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↓「蛤御門の変」または「禁門の変」の頃を舞台にするような小説を多々読んでいる関係で、何やら非常に興味深くこの場所を眺めた。
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実を言えば、場所そのものに強い関心も在ったのだが、極めて「実用的な事由」でこの門を潜った。護王神社へ参拝し、烏丸通を横断するとこの蛤御門が直ぐに在る。広い京都御苑の敷地の反対側へ出る場合、日中の京都御苑の通り抜けが可能な時間なのであれば、ゆっくりと京都御苑の敷地を横断するのが近くて早いのである。そういう事由で、この蛤御門を潜り、反対側を目指したのであった。
posted by Charlie at 09:45Comment(0)京都府

護王神社…(2022.12.24)

烏丸丸太町の辺りを少し歩いた。

↓猪だ…
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↓猪が左右で対になっている…
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↓対の猪が在る神社である…
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↓足腰に御利益が在るとされる護王神社である。
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↓中にも猪が在る。
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↓これも対になった猪だ。
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↓嘗ての「10円紙幣」に、古代の朝廷の忠臣であったと伝わる和気清麻呂の肖像画が使われていたという。その和気清麻呂は猪に導かれ、悩んでいた足の萎える症状が恢復して元気になったと伝えられる。護王神社はその故事に因む神社だ。
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↓手水鉢の辺りにも猪だ…
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↓猪のマスコットを大量に並べている場所が在った…
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↓丸太町駅周辺を歩いて場所は承知していた護王神社だった。体調が十全でもない身近な人が在るので、参拝したいと思ったこと、加えて何処でも元気に歩き廻るということが出来ている自身に関して感謝の意を表したいと、この神社に立寄ったのだった。
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↓大変に大きく立派な生け花が飾られていた。有名社寺で時々見掛けるように思うが、こういうモノを眺めるのも存外に好きだ。
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↓休憩コーナーに掛けてみれば、何やら猪の立派な彫刻が在った…
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猪は力強く山野を駆けるというような感であろうか?そこから健脚というような連想で、和気清麻呂の言伝えが産れたのか?なかなかに興味深い。そして、今般立寄って、何となくこの護王神社が気に入った。
posted by Charlie at 07:25Comment(0)京都府

朝に…(2023.01.03)

「一寸、買物…」という程度に思い付き、休業日の朝に戸外へ出る…

↓顔や耳が冷たい、手の指がおかしくなるというような感じ、「厳しい寒さ」を思いながら拙宅から歩を進める。「氷点下二桁の気温」というデータを突き付けられ、何か酷く気分を害する…
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↓稚内は内陸部ではない。「氷点下二桁」という気温は“シーズン最低”に近い感じになると思う…
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↓所詮は「ほのぼのと長閑に過ごしていれば結構…」という休業日ではあるが、こういう低温は少し気分が沈むことも否定し悪い…
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<かにいくらめし>…(2023.01.02)

↓年が改まって「1月2日」となれば、前日以上に営業している御店が増える。そんな御店で一寸見付けた弁当を求めてみた。
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↓イクラと蟹の解し身と錦糸卵と…なかなかに按配が好い…
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↓「駅弁」と称して売られていたが…「普通のお惣菜の昼飯」という感じで求めて頂いた1月2日だった…
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「サーモン・まぐろ盛り合わせ」…(2023.01.01)

1月1日の朝から通常営業…ということで御近所のコンビニへ…

↓こんなモノに強く惹かれて求めてしまった…
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↓気に入っているような系統のネタの寿司が盛り合わせになっている。休業日、1月1日の「朝兼昼」な食事として悪くない内容だ…
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コンビニが通常どおりに営業している限り、独りであろうと、何処の街に在ろうと、動ける限り余り心配も無く暮らせる…そういう少し妙な事が頭を過った…

烏丸丸太町停留所…(2022.12.24)

↓一寸バスに乗った…
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<平安京創生館>の辺りで、眼に留めたバス停に間も無く現れるらしいバスに乗ると、地下鉄の丸太町駅辺りに行けると判った。そして利用した。往路は意外に歩いたが、復路は御蔭様で呆気なく着いた…

京都のバス停は、何も考えずに近くを通って「そう言えば〇〇へ行くが…間も無く現れるバスに乗れば…」という場合が存外に多い。停留所に何やら案内が色々と表示されるのだ。バスの交通網が便利になっている京都だ。が、個人的には地下鉄や私鉄の列車と徒歩という移動を酷く好む傾向も強いかもしれない。

↓南北に延びる通の名と、東西に延びる通の名を組合わせて地点を特定するという「京都の流儀」にほんの少し馴染んだ気がする。「地下鉄烏丸線は御乗換です」の停留所の名が「烏丸丸太町」だ。
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↓何時の間にか、京都の街でこの「地下鉄駅」のマークを視ると「これで地下鉄に乗って自在に動ける!」と妙に心強く感じるようになっていることに気付いた。
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京都の街中は「意外に歩ける…」という範囲に色々と集まっている面も在るが、それはそれとして、バスや地下鉄、私鉄という公共交通を利用してかなり自在に動き回ることが叶うという街である。そういうのが意外に好ましい…
posted by Charlie at 10:23Comment(0)京都府