色々とキャップは持っていて、外出時には被って出る場合が殆どだ。殊に気温がやや低い日に在っては、キャップ着用は必須であるように思っている。無帽では頭が寒い…
そういうことで、時々、眼に留まった新しいキャップを衝動的に求めてしまう。
↓極最近になって、衝動的に求めてしまったモノだ。
↑黒い生地のキャップで、黒い<虎>という文字のロゴが入ったモノだ。
↓<虎>とは?「阪神タイガース」である…
敢えて「漢字で“虎”」というような、回りくどいような感じが酷く気に入ってしまっている。
朝に…(2023.02.24)
雛人形…(2023.02.24)
街の図書館の入口を入った辺り、脇の方に「少し変わったモノが?」と気付いた。
↓近寄って観ると雛人形だった。
何年かに一度、何処かの商業施設の中というような雛人形を販売している場所を偶々通って人形を目にする場合は在ったような気がする。が「時季だから…」と敢えて飾ってみたようなモノを観たような記憶が薄い。
↓「御内裏様と御雛様♪」という訳だ。図書館のような文化施設の館内では、「時季だから…」と色々と飾るというのも好いかもしれない。
↑図書館では、時節の話題を提供するような掲示物や飾りも色々と用意している訳だが、こうして雛人形を飾るのもそんな取組の一環である訳だ。
↓比較的近年の好みで造られた人形のように見受けられた。
自身は男性で、兄弟も弟が在るが、結局男だけなので、家庭で雛人形を飾って如何こうというようなことをした想い出は無い。逆に“親父殿”が鯉幟を用意してくれた記憶は在る。他方、五月人形は記憶が無い。
「季節のモノ」を視て、来し方に少しだけ想いを巡らせるという場面も在るのかもしれない。
↓時には雛人形を眺めるというのも悪くはない。何やら華やかで愉しい。
↓近寄って観ると雛人形だった。
何年かに一度、何処かの商業施設の中というような雛人形を販売している場所を偶々通って人形を目にする場合は在ったような気がする。が「時季だから…」と敢えて飾ってみたようなモノを観たような記憶が薄い。
↓「御内裏様と御雛様♪」という訳だ。図書館のような文化施設の館内では、「時季だから…」と色々と飾るというのも好いかもしれない。
↑図書館では、時節の話題を提供するような掲示物や飾りも色々と用意している訳だが、こうして雛人形を飾るのもそんな取組の一環である訳だ。
↓比較的近年の好みで造られた人形のように見受けられた。
自身は男性で、兄弟も弟が在るが、結局男だけなので、家庭で雛人形を飾って如何こうというようなことをした想い出は無い。逆に“親父殿”が鯉幟を用意してくれた記憶は在る。他方、五月人形は記憶が無い。
「季節のモノ」を視て、来し方に少しだけ想いを巡らせるという場面も在るのかもしれない。
↓時には雛人形を眺めるというのも悪くはない。何やら華やかで愉しい。
射し込む光と影と…(2023.02.24)
夕べに…(2023.02.23)
週の半ばに祝日の故に休業日となった。「やや早い?」という午後5時台、戸外に在ったので「道草で夕食?」と思い付いた。
↓何時の間にか「午後5時台」が少し明るい感じになったように思う。営業が始まったばかりという感の、御近所の御店に立寄った。
↑“光”という面では既に「春」かもしれない。当地の場合は未だ気温も低く、雪も多く残っているので「冬」の様相であるとは思うが。
↓お通しの、味噌で味付けした茄子を摘み、<白霧島>をロックで嗜みながら料理の登場を待った。
↓刺身の盛合せを摘まんだ。こういう何種類もの魚を盛り合わせた感じは、「細やかな贅沢」という感じだとも思う。
↓そして「カスベの竜田揚げ」である。
北海道内では「カスベ」という呼び方が専らのように思うが、「ガンギエイ」という魚である。日本国内各地や近隣諸国で漁獲が見受けられ、色々な食べ方が在るようだ。
↓適当に味が滲みていて、柔らかい白身とコリコリとした軟骨とが組み合わさり、実に愉しい食感だ。
↑こちらの御店では、現在の店舗の以前という時代、多分40年以上も前にカスベを竜田揚げで供することを始め、現在に至る迄、好評を博し続けているという。
↓更に「イモもち」をデザート替りに摘まんだ。
休業日の夕刻、寛いだ時間が好かった。
↓何時の間にか「午後5時台」が少し明るい感じになったように思う。営業が始まったばかりという感の、御近所の御店に立寄った。
↑“光”という面では既に「春」かもしれない。当地の場合は未だ気温も低く、雪も多く残っているので「冬」の様相であるとは思うが。
↓お通しの、味噌で味付けした茄子を摘み、<白霧島>をロックで嗜みながら料理の登場を待った。
↓刺身の盛合せを摘まんだ。こういう何種類もの魚を盛り合わせた感じは、「細やかな贅沢」という感じだとも思う。
↓そして「カスベの竜田揚げ」である。
北海道内では「カスベ」という呼び方が専らのように思うが、「ガンギエイ」という魚である。日本国内各地や近隣諸国で漁獲が見受けられ、色々な食べ方が在るようだ。
↓適当に味が滲みていて、柔らかい白身とコリコリとした軟骨とが組み合わさり、実に愉しい食感だ。
↑こちらの御店では、現在の店舗の以前という時代、多分40年以上も前にカスベを竜田揚げで供することを始め、現在に至る迄、好評を博し続けているという。
↓更に「イモもち」をデザート替りに摘まんだ。
休業日の夕刻、寛いだ時間が好かった。
大黒3丁目停留所(国道40号側)…(2023.02.24)
↓国道沿いのバス停だ。街の南側から北側へ進むバスが発着する場所だ。
如何ということでもないバス停だが、除雪した雪で埋まっているという「妙?」な様子になってしまっていたのも視ているので、何か「通常化した…」と安堵感めいたモノを覚えた。
↓こういう様子であれば、下車する際も乗車する際も安心かもしれない。
辺りを何となく歩くと、様々なことに気付く場合も在る。
如何ということでもないバス停だが、除雪した雪で埋まっているという「妙?」な様子になってしまっていたのも視ているので、何か「通常化した…」と安堵感めいたモノを覚えた。
↓こういう様子であれば、下車する際も乗車する際も安心かもしれない。
辺りを何となく歩くと、様々なことに気付く場合も在る。
朝に…(2023.02.23)
稚内港北防波堤ドーム…(2023.02.23)
波止場横丁の夕べ…(2023.02.19)
オムライスとサンドウィッチと…(2023.02.19)
高野山金剛峰寺の大伽藍のイラストが入った御朱印帳…(2023.02.19)
高野山の大伽藍のイラストが入った御朱印帳を入手して、随分と気に入って愛用していた経過が在る。
↓こういう御朱印帳だ。
↓御朱印帳を抱えて高野山を訪ね、御朱印を頂きながら各所を巡ってみた。
↓御朱印を眺めて、訪ねてみた高野山の様子を思い出す。御朱印を頂きながら歩き廻るのも好い感じかもしれない。
↓こういう御朱印も好いモノだと、改めて思う。
↓右側は泊めて頂いた宿坊の、酷く迫力が在った愛染明王の御朱印だ。左側は高野山を下りた後に入った京都の東寺で頂いた御朱印だ。
↓京都の神泉苑で御朱印を頂いた。
↓京都で智積院に立寄った。少し経った後、天野山金剛寺を訪ねている。
↓奈良県内の當麻寺もなかなかに見所が多かった。
↑何となく立寄ったのだったが、當麻寺も強く記憶に残る場所だ。
↓訪ねてみて、事前に思った以上に観るべき場所が多く、少し驚いたのがこの當麻寺であった。
↓やがて画の左側だが、飛鳥寺にも立寄った。
↓岡山県に出て西大寺にも立寄った。
↓関西に戻って、石山寺や神護寺も訪ねた。
↓更に仁和寺に立寄っている。
方々を巡って御参りをした証に御朱印を頂くということが、自身の中で恒例化したのだが、思い付いて御朱印帳を入手し、方々を巡った想い出に御朱印を集めたというのが、何やら酷く好い感じだ。思い付いてこの御朱印帳を引っ張り出して眺めていたのだった。
※写真そのものは稚内の拙宅で撮っている。が、和歌山県、奈良県、滋賀県、京都府と各地の寺を訪ねた経過に関連するので「память」(メモリー)のカテゴリに記事を分類しておこうと思う…
↓こういう御朱印帳だ。
↓御朱印帳を抱えて高野山を訪ね、御朱印を頂きながら各所を巡ってみた。
↓御朱印を眺めて、訪ねてみた高野山の様子を思い出す。御朱印を頂きながら歩き廻るのも好い感じかもしれない。
↓こういう御朱印も好いモノだと、改めて思う。
↓右側は泊めて頂いた宿坊の、酷く迫力が在った愛染明王の御朱印だ。左側は高野山を下りた後に入った京都の東寺で頂いた御朱印だ。
↓京都の神泉苑で御朱印を頂いた。
↓京都で智積院に立寄った。少し経った後、天野山金剛寺を訪ねている。
↓奈良県内の當麻寺もなかなかに見所が多かった。
↑何となく立寄ったのだったが、當麻寺も強く記憶に残る場所だ。
↓訪ねてみて、事前に思った以上に観るべき場所が多く、少し驚いたのがこの當麻寺であった。
↓やがて画の左側だが、飛鳥寺にも立寄った。
↓岡山県に出て西大寺にも立寄った。
↓関西に戻って、石山寺や神護寺も訪ねた。
↓更に仁和寺に立寄っている。
方々を巡って御参りをした証に御朱印を頂くということが、自身の中で恒例化したのだが、思い付いて御朱印帳を入手し、方々を巡った想い出に御朱印を集めたというのが、何やら酷く好い感じだ。思い付いてこの御朱印帳を引っ張り出して眺めていたのだった。
※写真そのものは稚内の拙宅で撮っている。が、和歌山県、奈良県、滋賀県、京都府と各地の寺を訪ねた経過に関連するので「память」(メモリー)のカテゴリに記事を分類しておこうと思う…
冬季仕様らしい“チェルニャーシカ”…(2023.02.20)
金剛力士の御朱印帳…(2023.02.19)
↓金剛力士の画が入った表紙の御朱印帳が在る。
↑金剛力士の阿形が表になっている。
↓吽形が裏側の表紙で、これを抱えて各地を巡って御朱印を頂いた経過が在る。
↓金剛力士は東大寺の南大門に在る大きなモノを思わせるが、この御朱印帳を持って最初に訪ねたのは東大寺だった。
↓東大寺の境内の、御朱印を頂くことが叶う幾つもの御堂を巡り、長く受け継がれている仏像を詣でた…
↓東大寺は大仏の他にも、詣でるべき場所が多々在るのだ…
↓東大寺の広大な境内を巡った様子が思い出される…
↓東大寺の後は興福寺に立寄った。
↓興福寺の後は唐招提寺を訪ねた。
↓唐招提寺も、苦難の末に来日した鑑真の経過等、何か「強く訴えるモノ」を感じる場所だった。
↓唐招提寺の後は薬師寺を訪ねたのだった。
↓薬師寺に伝わる宗派の中で重要な仕事をしている玄奘三蔵を祀る場所の御朱印も頂いた。
↓大津の三井寺を訪ねた折りには、種々の御朱印を頂いた。
↓様々な堂宇を巡って御朱印を頂いた様子を時々思い出す。
↓三井寺の後は、札幌で成田山別院を詣でて御朱印を頂いた。
確かに方々を巡って御参りをした証に御朱印を頂くということが、自身の中で恒例化したのだが、思い付いて御朱印帳を入手し、方々を巡った想い出に御朱印を集めたというのが、何やら酷く好い感じだ。思い付いてこの御朱印帳を引っ張り出して眺めていたのだった。
※写真そのものは稚内の拙宅で撮っている。が、奈良県、滋賀県、加えて札幌と各地の寺を訪ねた経過に関連するので「память」(メモリー)のカテゴリに記事を分類しておこうと思う…
↑金剛力士の阿形が表になっている。
↓吽形が裏側の表紙で、これを抱えて各地を巡って御朱印を頂いた経過が在る。
↓金剛力士は東大寺の南大門に在る大きなモノを思わせるが、この御朱印帳を持って最初に訪ねたのは東大寺だった。
↓東大寺の境内の、御朱印を頂くことが叶う幾つもの御堂を巡り、長く受け継がれている仏像を詣でた…
↓東大寺は大仏の他にも、詣でるべき場所が多々在るのだ…
↓東大寺の広大な境内を巡った様子が思い出される…
↓東大寺の後は興福寺に立寄った。
↓興福寺の後は唐招提寺を訪ねた。
↓唐招提寺も、苦難の末に来日した鑑真の経過等、何か「強く訴えるモノ」を感じる場所だった。
↓唐招提寺の後は薬師寺を訪ねたのだった。
↓薬師寺に伝わる宗派の中で重要な仕事をしている玄奘三蔵を祀る場所の御朱印も頂いた。
↓大津の三井寺を訪ねた折りには、種々の御朱印を頂いた。
↓様々な堂宇を巡って御朱印を頂いた様子を時々思い出す。
↓三井寺の後は、札幌で成田山別院を詣でて御朱印を頂いた。
確かに方々を巡って御参りをした証に御朱印を頂くということが、自身の中で恒例化したのだが、思い付いて御朱印帳を入手し、方々を巡った想い出に御朱印を集めたというのが、何やら酷く好い感じだ。思い付いてこの御朱印帳を引っ張り出して眺めていたのだった。
※写真そのものは稚内の拙宅で撮っている。が、奈良県、滋賀県、加えて札幌と各地の寺を訪ねた経過に関連するので「память」(メモリー)のカテゴリに記事を分類しておこうと思う…
ちゃんちゃん焼き:夕べに…(2023.02.17)
積雪…(2023.02.17)
ライブ!! 松山隆宏 at 稚内某所…(2023.02.18)
昨年7月以来ということになった。冬の稚内へ、シンガーソングライターの松山隆宏がやって来た。比較的穏やかな天候の中、北海道内各地を巡って活動をする「旅の途中」ということで稚内にやって来たのだった。
松山隆宏は愛用のギターを演奏し、時にブルースハープも交えながら歌う。主に自作のフォークソングを披露する活動をしており、各地の小さな会場でのトークも愉しく、稚内にも何度も登場している。稚内での公演も「歴史」と言って差し支えない程度、既に足掛け30年近くに亘って、何度も様々な形で催されている。
↓近年、この松山隆宏のライヴに何度も足を運んでいる。過去の稚内でのライブを取上げた記事だ…
>>2017年3月
>>2018年2月
>>2019年3月
>>2022年7月
今般、友人が稚内公演の幹事役、事務局役を担うようなことになり、御誘いを頂いていた。全く“二つ返事”というような感じで、公演を楽しみにしていた。稚内で長く松山隆宏の公演を応援している人達が集う、温かい席になった。
↓何やらギターを多少鳴らしていたが…
↓長く交流が在る人達が待つ稚内に辿り着くと、小さな達成感のようなモノさえ在ると、朗らかに演奏や歌を始めた。
↓言ってみれば「大ベテランのギター奏者」ということになる松山隆宏の演奏は聴き応えが在る。ハッキリ言うと、「生の楽器演奏を聴く」というのは酷く愉しいものだ。
↓北海道上陸後、このギターを抱えて稚内へやって来てくれたと、聴き覚えも在る彼の作品を愉しんだ。
↓前半の締め括りに、気に入っているという楽曲をアレンジした「インストゥルメンタル版」を披露してくれた。美しい何処かの風景や、ギターケースを抱えて旅をして、出先で意気投合した人と酒でも飲むような松山隆宏の様子が出て来る、紀行番組風な映像が似合いそうな音で、じっくりと演奏に聴き入った。
↓暫しの休憩を挟んだ後半は、オリジナルTシャツを着用という姿で登場である。
↓ブルースハープも用意して、熱い歌と演奏を披露してくれた。
「行き止まりなんかじゃない♪ここが始まり♪ヤムワッカナイからあなたの街へ♪」の「稚内公演限定ヴァージョン」とでもいうべき「ヤムワッカナイから遥かな街へ♪」という熱唱も、後半が始まって直ぐに披露して頂いた。自身、彼のこの歌が酷く気に入っている。稚内でのサハリンの音楽家との交流、その昔、松山隆宏の祖父が樺太へ仕事に出てみた経過や、祖父に所縁の海を見詰めて稚内の海岸に佇んだようなイメージも織り込んだ歌詞と音が凄く好いのだ。
↓今回、松山隆宏公演に集まったファンが驚いたのがこの場面である。「ギターを手に…」というイメージの松山隆宏が、CDを録音した際にピアニストが演奏した伴奏の録音をバックに、ギターを抱えずに歌を披露したのだった。
↑稚内の想い出を歌った「ヤムワッカナイから遥かな街へ♪」に対し、嘗て沖縄県の小さな街に滞在して活動した際のイメージを歌ったという楽曲だった。少し意表を突く演出だ。
↓そして直ぐに「何時もの様子」に戻る…
↓この「ギターを手に…」というイメージは好い。
↓演奏と歌の世界に入り込んで、ゆっくりと愉しんだ夕べだった。
松山隆宏本人や友人や知人と愉しい夕べを過ごしたが、今や「大ベテラン!」という演奏家、シンガーによる「生の音」に触れる一時はとにかくも愉しかった。また何時かの「再会」を期したい感だ。凄く好い時間を過ごすことが叶った…
松山隆宏は愛用のギターを演奏し、時にブルースハープも交えながら歌う。主に自作のフォークソングを披露する活動をしており、各地の小さな会場でのトークも愉しく、稚内にも何度も登場している。稚内での公演も「歴史」と言って差し支えない程度、既に足掛け30年近くに亘って、何度も様々な形で催されている。
↓近年、この松山隆宏のライヴに何度も足を運んでいる。過去の稚内でのライブを取上げた記事だ…
>>2017年3月
>>2018年2月
>>2019年3月
>>2022年7月
今般、友人が稚内公演の幹事役、事務局役を担うようなことになり、御誘いを頂いていた。全く“二つ返事”というような感じで、公演を楽しみにしていた。稚内で長く松山隆宏の公演を応援している人達が集う、温かい席になった。
↓何やらギターを多少鳴らしていたが…
↓長く交流が在る人達が待つ稚内に辿り着くと、小さな達成感のようなモノさえ在ると、朗らかに演奏や歌を始めた。
↓言ってみれば「大ベテランのギター奏者」ということになる松山隆宏の演奏は聴き応えが在る。ハッキリ言うと、「生の楽器演奏を聴く」というのは酷く愉しいものだ。
↓北海道上陸後、このギターを抱えて稚内へやって来てくれたと、聴き覚えも在る彼の作品を愉しんだ。
↓前半の締め括りに、気に入っているという楽曲をアレンジした「インストゥルメンタル版」を披露してくれた。美しい何処かの風景や、ギターケースを抱えて旅をして、出先で意気投合した人と酒でも飲むような松山隆宏の様子が出て来る、紀行番組風な映像が似合いそうな音で、じっくりと演奏に聴き入った。
↓暫しの休憩を挟んだ後半は、オリジナルTシャツを着用という姿で登場である。
↓ブルースハープも用意して、熱い歌と演奏を披露してくれた。
「行き止まりなんかじゃない♪ここが始まり♪ヤムワッカナイからあなたの街へ♪」の「稚内公演限定ヴァージョン」とでもいうべき「ヤムワッカナイから遥かな街へ♪」という熱唱も、後半が始まって直ぐに披露して頂いた。自身、彼のこの歌が酷く気に入っている。稚内でのサハリンの音楽家との交流、その昔、松山隆宏の祖父が樺太へ仕事に出てみた経過や、祖父に所縁の海を見詰めて稚内の海岸に佇んだようなイメージも織り込んだ歌詞と音が凄く好いのだ。
↓今回、松山隆宏公演に集まったファンが驚いたのがこの場面である。「ギターを手に…」というイメージの松山隆宏が、CDを録音した際にピアニストが演奏した伴奏の録音をバックに、ギターを抱えずに歌を披露したのだった。
↑稚内の想い出を歌った「ヤムワッカナイから遥かな街へ♪」に対し、嘗て沖縄県の小さな街に滞在して活動した際のイメージを歌ったという楽曲だった。少し意表を突く演出だ。
↓そして直ぐに「何時もの様子」に戻る…
↓この「ギターを手に…」というイメージは好い。
↓演奏と歌の世界に入り込んで、ゆっくりと愉しんだ夕べだった。
松山隆宏本人や友人や知人と愉しい夕べを過ごしたが、今や「大ベテラン!」という演奏家、シンガーによる「生の音」に触れる一時はとにかくも愉しかった。また何時かの「再会」を期したい感だ。凄く好い時間を過ごすことが叶った…
朝の道草…(2023.02.17)
↓思い付いて、こんな様子を眺めてみるということをした。
↓日本国内では最も北に在るという<ドナルド>だが、何やら雪を被って寒そうだ…
↓<ドナルド>を眺めてみた後、一寸だけ道草をすることにした。
↓少しばかり眼に馴染んだ感じだ…
↓こういうような感じに、マフィンとチキンナゲット、加えて珈琲というように御願いした。
↓少しアレンジが加わったチキンナゲットが意外に好かった。
↓そしてソーセージエッグマフィンという伝統のメニューをゆっくりと愉しんだ。
↓鞄に入っていた読み掛けの小説を愉しみながら悠然と過ごしていた中、「もう少々何か…」という想いが沸き上がり、追加で少々御願いした。
↓このメガマフィンというメニュー…酷く好い!
冬季はやや歩き悪いのだが、時には少しだけ時間を設けて、道草をしてみるのも悪くはない。
↓日本国内では最も北に在るという<ドナルド>だが、何やら雪を被って寒そうだ…
↓<ドナルド>を眺めてみた後、一寸だけ道草をすることにした。
↓少しばかり眼に馴染んだ感じだ…
↓こういうような感じに、マフィンとチキンナゲット、加えて珈琲というように御願いした。
↓少しアレンジが加わったチキンナゲットが意外に好かった。
↓そしてソーセージエッグマフィンという伝統のメニューをゆっくりと愉しんだ。
↓鞄に入っていた読み掛けの小説を愉しみながら悠然と過ごしていた中、「もう少々何か…」という想いが沸き上がり、追加で少々御願いした。
↓このメガマフィンというメニュー…酷く好い!
冬季はやや歩き悪いのだが、時には少しだけ時間を設けて、道草をしてみるのも悪くはない。
朝に…(2023.02.17)
夕べに…(2023.02.16)
除雪関係車輌…(2023.02.15)
鮭のムニエル…(2023.02.15)
朝に…(2023.02.15)
夕べに…(2023.02.15)
↓<ラフロイグ>というのは、好き嫌いがハッキリと別れてしまうような感のウイスキーだと思う。久し振りにゆったりと頂く機会を設けた。
↓ウイスキーへの興味が強まった店主氏が豊富な種類を取り揃え、様々なウイスキーを手軽に愉しめるというようにしている御店に立寄った。
↓「おまかせ」で肴が供されるというようになっている。焼魚や刺身も添えられ、なかなかに好い内容だ。
↓この<ブッシュミルズ>も素敵なウイスキーだと思う。
御近所に1980年代前半から続く御店が在る。時々立寄るという感なのだが、長い経過の中で色々と想い出のような事柄も在る場所で、店主氏とそういう想い出、共通の知人の消息、その他の雑談で語らいながら「ウイスキーの夕べ」という趣で寛いでいた。
↓静かな夜が更けていく感である…
時にはこういう夕べも好いものだ。
↓ウイスキーへの興味が強まった店主氏が豊富な種類を取り揃え、様々なウイスキーを手軽に愉しめるというようにしている御店に立寄った。
↓「おまかせ」で肴が供されるというようになっている。焼魚や刺身も添えられ、なかなかに好い内容だ。
↓この<ブッシュミルズ>も素敵なウイスキーだと思う。
御近所に1980年代前半から続く御店が在る。時々立寄るという感なのだが、長い経過の中で色々と想い出のような事柄も在る場所で、店主氏とそういう想い出、共通の知人の消息、その他の雑談で語らいながら「ウイスキーの夕べ」という趣で寛いでいた。
↓静かな夜が更けていく感である…
時にはこういう夕べも好いものだ。
夜の風雪…(2023.02.14)
夕べに…(2023.02.14)
鍋焼きうどん…(2023.02.14)
風による造形…(2023.02.14)
「ふれてください」…(2023.02.14)
大黒3丁目停留所…(2023.02.14)
稚内の路線バスで<市内線>と呼ばれる路線は、街の北側に在るノシャップ停留所と街の南東部に在る潮見5丁目停留所とを結んでいる。途中、稚内駅前ターミナルを経由する。自身は南下するバスに乗車する場合は稚内駅前ターミナルから乗車する。
↓稚内駅前から10分余りも乗車すると大黒3丁目停留所に至る。
↑利用されなくなって久しい感の建物前に据えられた停留所だ。歩道の除雪の痕跡となる雪が建物の壁脇に堆くなり、「大黒3丁目」という円形の看板には雪が被っている。それでも時刻表も見ることが出来る。冬季は「こんな感じ?」という様子だ。
↓数歩進んで逆側から停留所を眺めた。
因みに、大黒3丁目停留所はこの「北から南へ」の停留所と「南から北へ」の停留所とが離れていて、「そう言えばあの停留所は?」と場所が判り悪い場合も生じているかもしれない。自身、夕刻には「南から北へ」の停留所を利用することも多いのだが。
冬季、雪の中でもバス停が利用可能であるように、随分な労力が費やされている。有難いことである。
↓稚内駅前から10分余りも乗車すると大黒3丁目停留所に至る。
↑利用されなくなって久しい感の建物前に据えられた停留所だ。歩道の除雪の痕跡となる雪が建物の壁脇に堆くなり、「大黒3丁目」という円形の看板には雪が被っている。それでも時刻表も見ることが出来る。冬季は「こんな感じ?」という様子だ。
↓数歩進んで逆側から停留所を眺めた。
因みに、大黒3丁目停留所はこの「北から南へ」の停留所と「南から北へ」の停留所とが離れていて、「そう言えばあの停留所は?」と場所が判り悪い場合も生じているかもしれない。自身、夕刻には「南から北へ」の停留所を利用することも多いのだが。
冬季、雪の中でもバス停が利用可能であるように、随分な労力が費やされている。有難いことである。
硝子張りの扉の辺り…(2023.02.14)
稚内駅のビルの真前で発着する路線バスを利用して移動しようとしていた。
氷点下9℃近くで風速が10メートルというような、些かキツい状態でもあった中、温かい缶コーヒーを“湯たんぽ”でもあるかのように握って手を温めながら、駅ビルの中に入って少しだけバスを待った。
↓硝子張りになっている箇所に酷く雪が吹き付けられている。
↓この扉を開けると戸外に出られる。
↓戸外に出てみたが…入口辺りに雪が吹き溜まってしまっていて、一度開けた扉が閉まり悪くなっているように見えた。
戸外に出る扉の奥にもう1枚、建物に出入りする扉が据えられる「二重」というような形が、この辺りの建物では散見する。
単純に雪が降り積もるのでもなく、こういうような吹溜りが生じている状況下では「一層酷い雪…」というように感じられる。と言って、観測データ上の降雪量は如何ということでもない量である場合が見受けられるようなのだが。
氷点下9℃近くで風速が10メートルというような、些かキツい状態でもあった中、温かい缶コーヒーを“湯たんぽ”でもあるかのように握って手を温めながら、駅ビルの中に入って少しだけバスを待った。
↓硝子張りになっている箇所に酷く雪が吹き付けられている。
↓この扉を開けると戸外に出られる。
↓戸外に出てみたが…入口辺りに雪が吹き溜まってしまっていて、一度開けた扉が閉まり悪くなっているように見えた。
戸外に出る扉の奥にもう1枚、建物に出入りする扉が据えられる「二重」というような形が、この辺りの建物では散見する。
単純に雪が降り積もるのでもなく、こういうような吹溜りが生じている状況下では「一層酷い雪…」というように感じられる。と言って、観測データ上の降雪量は如何ということでもない量である場合が見受けられるようなのだが。