札幌駅北口の東寄り側に在る宿で過ごした。同じチェーンの西寄りの宿は何度も利用しているが、東寄り側の宿は初めてだった。それでも居室そのものの造作や丁度は同じような具合で、居心地は変わらない。他のサービスも似たような感じで、朝食が供される時間帯も全く同じだ。供される内容も似ている。
そういうことで、思い付いて動き回り、早目に居室で休んだ関係上、早目に眼が醒めた。朝食が供されるまでも間が在る。そういう時は?散策にでも出るのが好い。
札幌駅北口の東寄りから、鉄道高架の下を抜けて都心部に入り込む。そして未だ暗い感じが残る静かな街を南下する。
↓この辺りに至った…
↓創建時から場所が余り動いていないらしい時計台である。
↓遥かな時を超えて、静かに街を見守る風情が何となく好いかもしれない。
↓辺りを囲むようなビルの谷間に佇む様は、何か寂しそうでもあり、嘗ては必ずしも興味を持って眺めるのでもなかった。が、「周囲は如何であろうと、創建時から場所を殆ど変えず…」というのが、非常に貴重であるような気がして、何時の間にか「時々眺める」というようになった。
↓近付いて見上げてみた。
↓真正面の感じも好い。
↓既に長く時を刻んで来た時計が据えられているのだが、これからも時を刻み続けるのだろうか…
今般は「広角ズーム」を装着のX-Pro2を提げていた。この種の、交通量も少なくない道路に囲まれた街の名所で写真を撮ってみたい場合には重宝する。札幌駅北口辺りからであれば、この辺り迄出て、また引揚げる往復というような感じが「程好い朝の運動」になるかもしれない…
小樽運河…(2023.03.05)
小樽駅…(2023.03.05)
不意に思い付いて小樽に足を運んだ。多分…2021年8月に立寄った後は御無沙汰というように思う。小樽の博物館で、海を通じた活動を繰り広げたアイヌに関連する企画展が催されていて、偶々その企画展の最終日と聞き及んだことから「小樽へ?」と思い立ったのだった。
↓小樽駅に到着し、改札を潜って振り返った時の感じが気に入っている。
↑小高い辺りに軌道が敷設され、駅舎等の施設は少し低い場所になる。多数のランプが飾られた窓の向こう、高い辺りで列車が発着している。
↓好天に恵まれていた中で戸外に出た。
↓小樽駅の建物外観は1934年のモノだ。内部は改装が施されている。
↓少し離れて様子を眺めた。
↑中央に駅で、左がバスターミナルが在り、右寄りにタクシー乗り場が設けられている。この場所は、小樽の街の交通結節点という様相である。
今般、この小樽駅を起点に少し歩き廻った。時には好いのだが、積雪が少し融け、滑り易い感じの箇所も見受けられ、歩き悪い様子ではあった。
↓小樽駅に到着し、改札を潜って振り返った時の感じが気に入っている。
↑小高い辺りに軌道が敷設され、駅舎等の施設は少し低い場所になる。多数のランプが飾られた窓の向こう、高い辺りで列車が発着している。
↓好天に恵まれていた中で戸外に出た。
↓小樽駅の建物外観は1934年のモノだ。内部は改装が施されている。
↓少し離れて様子を眺めた。
↑中央に駅で、左がバスターミナルが在り、右寄りにタクシー乗り場が設けられている。この場所は、小樽の街の交通結節点という様相である。
今般、この小樽駅を起点に少し歩き廻った。時には好いのだが、積雪が少し融け、滑り易い感じの箇所も見受けられ、歩き悪い様子ではあった。
<ぶん公>…:小樽の“消防犬”(2023.03.05)
↓こんな像を見掛けた。
↑冬の寒さを凌ぐマフラーや帽子を着けている。何方かが贈ったということなのだと思う。
以前にも眺めて、その物語を知ったのだった。消防隊員に火災現場の辺りで拾われた<ぶん>は、消防隊の本部で飼われていて、消防隊員達に可愛がられていた犬だった。隊員達に可愛がられて育った<ぶん>は「消防隊の末席を温めている」というようなつもりだったのかもしれない。小樽の“消防犬”として、少し知られていたそうだ。
↓辺りは雪が堆く、些か動き悪い感じではあったが、<ぶん>は歩き悪そうに行き交う人達を静かに見詰めていた。
↑冬の寒さを凌ぐマフラーや帽子を着けている。何方かが贈ったということなのだと思う。
以前にも眺めて、その物語を知ったのだった。消防隊員に火災現場の辺りで拾われた<ぶん>は、消防隊の本部で飼われていて、消防隊員達に可愛がられていた犬だった。隊員達に可愛がられて育った<ぶん>は「消防隊の末席を温めている」というようなつもりだったのかもしれない。小樽の“消防犬”として、少し知られていたそうだ。
↓辺りは雪が堆く、些か動き悪い感じではあったが、<ぶん>は歩き悪そうに行き交う人達を静かに見詰めていた。
<旧北海製罐倉庫株式会社>(第3倉庫)…(2023.03.05)
↓非常に大きな存在感を示す建物だ…
博物館へ向かおうと小樽の街を歩いた。運河沿いの路を行けば善い筈だと、運河に沿って進もうとしていた。
↓この<旧北海製罐倉庫株式会社>の「第3倉庫」と呼ばれた建物は、大正時代後期から昭和の初めに整備が進んだ建物の1つであるという。
↑大正時代後期から昭和の初めは、カムチャッカ辺りまでを含む広い海域での漁業、所謂「北洋漁業」が盛んになっていった時代で、獲った水産物を缶詰に加工する際に使う缶を大量に保管して供給する必要が在った。小樽はそういう事業の拠点であった訳だ。
↓冬季は、運河の直ぐ脇で雪が堆くなっている、また積雪で足元が悪いという箇所が多く、些か歩き悪いのは止むを得ない。というより、好天に恵まれ、積雪が緩んで滑り易い様子になっていたという感でもあった。
↓光線が鮮やかで、陰影が明確になって、建物は存在感を増していたように思う。
こういう独特な建物を眺めながらの散策も好い。が、今般は足元が酷く悪く、少し慎重な足取りで進まざるを得なかった。
博物館へ向かおうと小樽の街を歩いた。運河沿いの路を行けば善い筈だと、運河に沿って進もうとしていた。
↓この<旧北海製罐倉庫株式会社>の「第3倉庫」と呼ばれた建物は、大正時代後期から昭和の初めに整備が進んだ建物の1つであるという。
↑大正時代後期から昭和の初めは、カムチャッカ辺りまでを含む広い海域での漁業、所謂「北洋漁業」が盛んになっていった時代で、獲った水産物を缶詰に加工する際に使う缶を大量に保管して供給する必要が在った。小樽はそういう事業の拠点であった訳だ。
↓冬季は、運河の直ぐ脇で雪が堆くなっている、また積雪で足元が悪いという箇所が多く、些か歩き悪いのは止むを得ない。というより、好天に恵まれ、積雪が緩んで滑り易い様子になっていたという感でもあった。
↓光線が鮮やかで、陰影が明確になって、建物は存在感を増していたように思う。
こういう独特な建物を眺めながらの散策も好い。が、今般は足元が酷く悪く、少し慎重な足取りで進まざるを得なかった。