光の感じは既に春だ。が、何時までも風が冷たい…
↓8℃を切る気温になっているようだ。気温の様子を観る分には「なかなか季節が動かない…」というような気もしてしまう。
↓5mというような次元の風だ。キツいという程でもないにしても、歩くか佇むかで、身体に風が当たるのがハッキリわかる程度だと思う。その風が冷たい。
↓こういう様子だが、降雨を免れているのは好い。少し時間を設けて戸外を歩いた。
歩き廻って、移ろう季節を体感しようとしてみるという程度の過ごし方が、季節の境目には好いのかもしれない…
<東華菜館>の建物…:京都(2023.04.03)
天神橋筋六丁目駅で「始発」というような列車に乗込んで、朝6時台前半には京都河原町駅界隈に在った。そして辺りを歩き始めた。
↓鴨川に架かる四条大橋を東方向へ進みながら、反対側の車線を観る。特徴的な外観の建物が在る。
↓<東華菜館>という中華料理店の本店であるということだ。
↑かのヴォーリスが手掛けた建築である。 建物は大正末年に登場し、西洋料理店であったが後に中華料理店となった。1945年以降は<東華菜館>として営業しているのだという。
↓何度観ても目を奪われる建物だと思う。
↑序に言えば…「朝6時台」ながらも、存外に通行人が見受けられる。四条大橋の辺りは「街の真中」というようなイメージになるであろうか?故に通行人も多いのかもしれない。
通って建物を眺める都度、「そのうちにここを訪ねて…」ということを思うのだが、未だそれを果たせずに居る…
↓鴨川に架かる四条大橋を東方向へ進みながら、反対側の車線を観る。特徴的な外観の建物が在る。
↓<東華菜館>という中華料理店の本店であるということだ。
↑かのヴォーリスが手掛けた建築である。 建物は大正末年に登場し、西洋料理店であったが後に中華料理店となった。1945年以降は<東華菜館>として営業しているのだという。
↓何度観ても目を奪われる建物だと思う。
↑序に言えば…「朝6時台」ながらも、存外に通行人が見受けられる。四条大橋の辺りは「街の真中」というようなイメージになるであろうか?故に通行人も多いのかもしれない。
通って建物を眺める都度、「そのうちにここを訪ねて…」ということを思うのだが、未だそれを果たせずに居る…
岩見沢駅にて…(2023.04.02)
滝川駅から乗車の721系電車が岩見沢駅に近付く。列車の先頭側に乗車していた。
↓場所が空いていたので佇み、列車の進行する側を眺めてみた。
↓定位置に停車すべく、次第に減速している様子が何となく判る。
↓ホーム上の馬のオブジェも見えた。
↓もう一息だ…
↓列車は岩見沢駅に到着した。
↓札幌方向への列車迄、少しだけ間が在った。外に一寸だけ出てみる。
↓所謂、橋上駅なので外に出るとまた上に上る形になる…
↓跨線橋から構内を観る。滝川駅から乗って来た車輌が未だ停まっているようだ…
↓札幌方面へ向かう列車が現れた。733系電車だ。
↓岩見沢駅まで来ると、ロングシートの内装の車輌にも出くわす。岩見沢駅を発着する普通列車も、札幌都市圏の交通網の一部であることに思い至る。
早朝からの長い移動も、札幌で食事休憩という感じで段落はする。もう少しだ…
↓場所が空いていたので佇み、列車の進行する側を眺めてみた。
↓定位置に停車すべく、次第に減速している様子が何となく判る。
↓ホーム上の馬のオブジェも見えた。
↓もう一息だ…
↓列車は岩見沢駅に到着した。
↓札幌方向への列車迄、少しだけ間が在った。外に一寸だけ出てみる。
↓所謂、橋上駅なので外に出るとまた上に上る形になる…
↓跨線橋から構内を観る。滝川駅から乗って来た車輌が未だ停まっているようだ…
↓札幌方面へ向かう列車が現れた。733系電車だ。
↓岩見沢駅まで来ると、ロングシートの内装の車輌にも出くわす。岩見沢駅を発着する普通列車も、札幌都市圏の交通網の一部であることに思い至る。
早朝からの長い移動も、札幌で食事休憩という感じで段落はする。もう少しだ…
滝川駅にて…(2023.04.02)
旭川駅にて…(2023.04.02)
名寄駅にて…(2023.04.02)
↓乗っていた列車が名寄駅に到着した。
↓「ここまで運んでくれて有難う」という気分で、乗って来た車輌を眺める…
↓<青春18きっぷ>にスタンプを押して頂き、改札を潜った。とりあえず名寄駅前に出て一息入れる。
乗って来たキハ54が旭川へ向けて動き出す迄には1時間15分程度待たねばならない。先に現れる、旭川へ向かう特急列車迄は40分程度の待ち時間だ。前者で旭川に向かう場合、旭川以遠へ向かう普通列車は2時間少々の待ち時間だ。後者で旭川に出てしまうと、15分程度の待ち時間で、旭川以遠へ向かう普通列車に乗車可能だ。
これらを総合する。<青春18きっぷ>を使うべく、普通列車に乗り続けるのであれば、札幌等に出るために3時間以上の待ち時間が生じる。別途に名寄・旭川間の乗車券と特急券を求め、旭川から<青春18きっぷ>を再度使用するのであれば、特急列車を待つ時間だけドンドン進む感じになる。この後者を自身の中で「3千円で3時間を買う」と呼ぶ場合が在る。今般はその方式を採り、名寄駅の窓口で旭川へ向かう乗車券と特急券を求めた。
↓名寄駅のホームでは、乗車位置の案内にアルファベットが使用されている。「C」ということであったが、Cで始まる単語ということでcowが採用され、何やら牛の画が在る。
↓隣の「B」はBで始まる単語ということでbearが採用され、熊の画が在る。
↓列車が現れた…
↓減速しながら定位置へ停車する。<ラベンダー編成>である。未だ新しい感じである…
↓列車の先頭側、自由席に陣取って寛ぐ。
この「名寄で、旭川までの券を別途求めて特急列車を利用」という方式も、少し多用するようになったかもしれない。
↓「ここまで運んでくれて有難う」という気分で、乗って来た車輌を眺める…
↓<青春18きっぷ>にスタンプを押して頂き、改札を潜った。とりあえず名寄駅前に出て一息入れる。
乗って来たキハ54が旭川へ向けて動き出す迄には1時間15分程度待たねばならない。先に現れる、旭川へ向かう特急列車迄は40分程度の待ち時間だ。前者で旭川に向かう場合、旭川以遠へ向かう普通列車は2時間少々の待ち時間だ。後者で旭川に出てしまうと、15分程度の待ち時間で、旭川以遠へ向かう普通列車に乗車可能だ。
これらを総合する。<青春18きっぷ>を使うべく、普通列車に乗り続けるのであれば、札幌等に出るために3時間以上の待ち時間が生じる。別途に名寄・旭川間の乗車券と特急券を求め、旭川から<青春18きっぷ>を再度使用するのであれば、特急列車を待つ時間だけドンドン進む感じになる。この後者を自身の中で「3千円で3時間を買う」と呼ぶ場合が在る。今般はその方式を採り、名寄駅の窓口で旭川へ向かう乗車券と特急券を求めた。
↓名寄駅のホームでは、乗車位置の案内にアルファベットが使用されている。「C」ということであったが、Cで始まる単語ということでcowが採用され、何やら牛の画が在る。
↓隣の「B」はBで始まる単語ということでbearが採用され、熊の画が在る。
↓列車が現れた…
↓減速しながら定位置へ停車する。<ラベンダー編成>である。未だ新しい感じである…
↓列車の先頭側、自由席に陣取って寛ぐ。
この「名寄で、旭川までの券を別途求めて特急列車を利用」という方式も、少し多用するようになったかもしれない。
軌道上…:南稚内駅周辺(2023.04.02)
早朝に稚内駅を発つ…(2023.04.02)
↓思った以上に低目だった稚内の気温に些か驚いた。長い移動の末に辿り着く予定な地域での行動を念頭に、軽めな服装で動き始めたので、何やら寒々しい感じがした。
↓稚内駅を5時21分に出る普通列車に乗る場合、駅員さんが改札をしない。無人駅で列車に乗込む要領で、ホームに列車を待って、そのまま乗車するということになる。
↓毎年3回登場の<青春18きっぷ>のポスターが乗場手前辺りの通路壁に掲出されていた。今般、この<青春18きっぷ>を使う。
↑5時21分に出る普通列車で名寄駅迄行くのなら、名寄駅で<青春18きっぷ>の改札スタンプを御願いすることになる。
↓列車が現れた…
↓毎度のキハ54だ。この日は503号車だった。
↓乗客を迎えるべく待機を始めた。
↓御馴染な看板だ。
↓キハ54の503号車だが、この日は名寄駅迄の乗車を予定している。通常、名寄駅で停車していて、少し後の時間帯の旭川行の列車ということになる。故に眼前のキハ54は旭川駅迄の259.4㎞を走破することになる。
↓陣取った座席の辺りからの車内の眺めだ。
こうして「長い道程を踏み出す早朝」という風情の中に過ごすのは少し気持ちが弾むものだ。
↓稚内駅を5時21分に出る普通列車に乗る場合、駅員さんが改札をしない。無人駅で列車に乗込む要領で、ホームに列車を待って、そのまま乗車するということになる。
↓毎年3回登場の<青春18きっぷ>のポスターが乗場手前辺りの通路壁に掲出されていた。今般、この<青春18きっぷ>を使う。
↑5時21分に出る普通列車で名寄駅迄行くのなら、名寄駅で<青春18きっぷ>の改札スタンプを御願いすることになる。
↓列車が現れた…
↓毎度のキハ54だ。この日は503号車だった。
↓乗客を迎えるべく待機を始めた。
↓御馴染な看板だ。
↓キハ54の503号車だが、この日は名寄駅迄の乗車を予定している。通常、名寄駅で停車していて、少し後の時間帯の旭川行の列車ということになる。故に眼前のキハ54は旭川駅迄の259.4㎞を走破することになる。
↓陣取った座席の辺りからの車内の眺めだ。
こうして「長い道程を踏み出す早朝」という風情の中に過ごすのは少し気持ちが弾むものだ。
稚内港北防波堤ドーム…(2023.04.13)
前日は風が強い時間帯が長かった感で、10℃を超える気温というのが信じ難い程度に、冷たい強風に晒されて寒く感じられる様相だった。
その強風が、早朝に至って少し穏やかになっていて、そして天が明るい様子に見えたので、例によって「極々短い散策」と称して戸外へ出てみた。
↓明るいには明るいが、広く光が滲んで、全般に淡いような様子が面白いと思った。
↓前日より気温は下がっていると思った。直ぐに手が冷たくなってしまった…
↑遠景が見え悪い感じだ。薄いようでありながら、存外に厚い雲が低空に拡がっているようだ。
↓滑らかな海面を風が渡る。日出時刻辺りに至って、光は解き放たれず、何やら光が滲むような様相だった。
こういう具合の様子だが、午前5時より以前に足を運んでいる。明るい時間が長くなっているのだ…
その強風が、早朝に至って少し穏やかになっていて、そして天が明るい様子に見えたので、例によって「極々短い散策」と称して戸外へ出てみた。
↓明るいには明るいが、広く光が滲んで、全般に淡いような様子が面白いと思った。
↓前日より気温は下がっていると思った。直ぐに手が冷たくなってしまった…
↑遠景が見え悪い感じだ。薄いようでありながら、存外に厚い雲が低空に拡がっているようだ。
↓滑らかな海面を風が渡る。日出時刻辺りに至って、光は解き放たれず、何やら光が滲むような様相だった。
こういう具合の様子だが、午前5時より以前に足を運んでいる。明るい時間が長くなっているのだ…
<福寿>…(2023.04.12)
他地域へ出て、自身が住む辺りでは見掛ける機会が少ないような産品が売られている様子を眺めるのが好きだ。殊に、訪ねた地域で造られている酒類が並んでいるような場所を眺めるのが好い…
北海道へ引揚げる前、神戸空港に在った時だ。土産物等を売っている御店が空港ビル内に見受けられた。それらを眺めていると「これ…欲しい…」というモノを見付けてしまった。抱えて持ち帰るのはやや面倒なモノなのだが、送料を払って伝票を用意すれば、御店からモノは送って頂けるということが判った。一瞬考えて、そして求めてしまった…
↓求めたのはこういうモノだ…
神戸と隣の西宮には「灘」と呼ばれる地域が在って、酒造業で有名だ。江戸時代頃には、樽に詰めた酒を船積みして各地に送り出していた。灘は海が近く、輸送手段の船を利用し易い。そこで酒造の場所として、他の地域よりも抜きん出て行くこととなったのである。
その灘を擁する神戸の空港のビルで土産物を眺めていた。最初に眺めた辺りでは酒は扱っていない様子だった。「寂しい…」と思い、少し歩を進めて次に眺めた辺りに酒が在ったのだ。
↓求めたのは純米吟醸の<福寿>だ。様々な国の人達が集まる栄えある席で、「日本酒の代表」のように供されて好評を博している経過が在るようだ。
↓「神戸市東灘区」という住所がラベルに在る。正しく「灘の銘酒」である。
↓<福寿>は1751(宝暦元)年に起こった酒蔵に起源を有するという、伝統を誇る会社の製品だ。
↓果実のような吟醸香が心地好く、仄かに甘いような、芳醇な酒である。大阪錫器のタンブラーに注いで頂いた。
↑注がれた<福寿>の見た目や味だが、何か「仄かな甘みが在る白ワイン」というような雰囲気も在り、或いは外国の皆さんにも好評を博する感じかもしれない。
「健康上の課題」に鑑みて清酒は控えるようにしている面も在るが…それはそれ!灘の銘酒も時には好いであろう…
買い込んで、拙宅へ送ったのであれば、結果的に通販で取寄せているのと差は無いような気もする。が、違う!モノを造っている街で入手して、持ち運びの都合で送り込んだのだ。「気分」は大きく違う…
※ 写真そのものは稚内の拙宅で撮っているが、神戸の想い出に纏わるモノなので、記事は「兵庫県」のカテゴリに入れる。
北海道へ引揚げる前、神戸空港に在った時だ。土産物等を売っている御店が空港ビル内に見受けられた。それらを眺めていると「これ…欲しい…」というモノを見付けてしまった。抱えて持ち帰るのはやや面倒なモノなのだが、送料を払って伝票を用意すれば、御店からモノは送って頂けるということが判った。一瞬考えて、そして求めてしまった…
↓求めたのはこういうモノだ…
神戸と隣の西宮には「灘」と呼ばれる地域が在って、酒造業で有名だ。江戸時代頃には、樽に詰めた酒を船積みして各地に送り出していた。灘は海が近く、輸送手段の船を利用し易い。そこで酒造の場所として、他の地域よりも抜きん出て行くこととなったのである。
その灘を擁する神戸の空港のビルで土産物を眺めていた。最初に眺めた辺りでは酒は扱っていない様子だった。「寂しい…」と思い、少し歩を進めて次に眺めた辺りに酒が在ったのだ。
↓求めたのは純米吟醸の<福寿>だ。様々な国の人達が集まる栄えある席で、「日本酒の代表」のように供されて好評を博している経過が在るようだ。
↓「神戸市東灘区」という住所がラベルに在る。正しく「灘の銘酒」である。
↓<福寿>は1751(宝暦元)年に起こった酒蔵に起源を有するという、伝統を誇る会社の製品だ。
↓果実のような吟醸香が心地好く、仄かに甘いような、芳醇な酒である。大阪錫器のタンブラーに注いで頂いた。
↑注がれた<福寿>の見た目や味だが、何か「仄かな甘みが在る白ワイン」というような雰囲気も在り、或いは外国の皆さんにも好評を博する感じかもしれない。
「健康上の課題」に鑑みて清酒は控えるようにしている面も在るが…それはそれ!灘の銘酒も時には好いであろう…
買い込んで、拙宅へ送ったのであれば、結果的に通販で取寄せているのと差は無いような気もする。が、違う!モノを造っている街で入手して、持ち運びの都合で送り込んだのだ。「気分」は大きく違う…
※ 写真そのものは稚内の拙宅で撮っているが、神戸の想い出に纏わるモノなので、記事は「兵庫県」のカテゴリに入れる。
大阪駅→東梅田駅→天神橋筋六丁目駅…(2023.04.02)
早朝に稚内駅を発って、列車を乗り継いで札幌に到り、更に新千歳空港へ向かった。新千歳空港から神戸空港に飛び、神戸空港から三ノ宮駅に移動した。
↓三ノ宮駅で「大阪方向の列車は…」とホームに出て、直ぐに現れた列車に飛び乗った。車内に停車駅の案内が表示される。
↑「関西のJRの列車」と言えば<新快速>だ。速度が上がる区間では時速120㎞から130㎞程度で運転しているようで、停車駅が少ないので主要駅間の移動が速い。何時も「往年の急行列車や特急列車より速い?」というようなことを思ってしまう。三ノ宮駅の後、芦屋駅、尼崎駅で大阪駅に到る。30分前後だと思う。大阪駅から先も、新大阪駅、高槻駅、京都駅と30分前後である。
↓順調に大阪駅に到った。北海道内で<青春18きっぷ>を使用したが、三宮駅・大阪駅間でも使用した。こういうことが出来るのも好い…
↓何となくエスカレータを上り、大阪駅の構内の様子を眺めた。
↓大きな跨線橋のようになっている箇所の手前に改札口で、とりあえず出てみた。
↑色々な鉄道路線が交錯している大阪駅辺りである。「地下鉄谷町線」は左側へ進み、地下鉄なので多分地下に下りるのであろう。
↓乗換可能な鉄道路線や他の交通手段が多く、それを示すマークが沢山並んでいて目移りしてしまう。
↓表示を見ながら歩を進め、少しずつ地下へ進んで行く感じだった。
↓漸く「地下鉄谷町線」の駅へ進む地点に到った。大阪駅の少し東側の地下で、地下鉄の駅名は「東梅田駅」である。
↑大阪駅が在る辺りは、大阪の中では「梅田」と呼ばれる地区だ。JRの前身の国鉄の、そのまた前身の時代に「大阪のターミナル」として大阪駅という名で駅は出来た。が、他の鉄道会社や地下鉄の駅は「梅田」の名を用いている。後発の駅には「東」や「西」が付される場合迄在る訳だ。
↓東梅田駅に案内地図が掲出されているが、簡単に記憶出来ない程度に煩雑で、少し眺めていて苦笑いも漏れた。
↑大阪駅でJRの列車を下りて、地下鉄谷町線の東梅田駅へ歩くのであれば、10分弱は要すると考えなければなるまい。今般、もっと探して迷うかもしれないとも思ったが、それは免れた。掲出された案内表示を随時見ていれば迷わない訳だ…
↓東梅田駅で地下鉄の列車に乗車した。
↓走行中の地下鉄の列車という風情だ。正しくトンネル内である。先頭車輛だったので、様子が視えて面白かった。
↓東梅田駅、中崎町駅、天神橋筋六丁目駅だ。直ぐに天神橋筋六丁目駅の様子が視えた。駅間は然程長くないようだ。
↓下りたホームで列車を見送った。
↓何となく足が停まって、見入ってしまったホーム上の看板だ。「てんじんばしすじ6ちょうめ」と「6」が使われて「ろく」ではない…
↓壁面に在るこの看板も「6ちょうめ」だった。方々で「X丁目」の「X」が算用数字という例は多く在ると思う。
この地下鉄の駅に到り、何か「実に長い一日で、長い道程を…」と感慨深くなっていた。大阪辺りで地下鉄を利用するのも少し面白い。そんな思い付きと、京都方面の往来の便を考えて、天神橋筋六丁目駅傍に陣取ることとしたのだった。こうして辿り着いた時の様子を振り返ると、存外に訪ね易い場所であった。機会が在れば是非再訪もしたい。
※ 記事の最初、飛び乗った列車内での表示の画は、兵庫県側に在った時に撮っていることになる。が、全般に大阪駅からの移動に纏わる内容なので、記事は「大阪府」のカテゴリに入れる。
↓三ノ宮駅で「大阪方向の列車は…」とホームに出て、直ぐに現れた列車に飛び乗った。車内に停車駅の案内が表示される。
↑「関西のJRの列車」と言えば<新快速>だ。速度が上がる区間では時速120㎞から130㎞程度で運転しているようで、停車駅が少ないので主要駅間の移動が速い。何時も「往年の急行列車や特急列車より速い?」というようなことを思ってしまう。三ノ宮駅の後、芦屋駅、尼崎駅で大阪駅に到る。30分前後だと思う。大阪駅から先も、新大阪駅、高槻駅、京都駅と30分前後である。
↓順調に大阪駅に到った。北海道内で<青春18きっぷ>を使用したが、三宮駅・大阪駅間でも使用した。こういうことが出来るのも好い…
↓何となくエスカレータを上り、大阪駅の構内の様子を眺めた。
↓大きな跨線橋のようになっている箇所の手前に改札口で、とりあえず出てみた。
↑色々な鉄道路線が交錯している大阪駅辺りである。「地下鉄谷町線」は左側へ進み、地下鉄なので多分地下に下りるのであろう。
↓乗換可能な鉄道路線や他の交通手段が多く、それを示すマークが沢山並んでいて目移りしてしまう。
↓表示を見ながら歩を進め、少しずつ地下へ進んで行く感じだった。
↓漸く「地下鉄谷町線」の駅へ進む地点に到った。大阪駅の少し東側の地下で、地下鉄の駅名は「東梅田駅」である。
↑大阪駅が在る辺りは、大阪の中では「梅田」と呼ばれる地区だ。JRの前身の国鉄の、そのまた前身の時代に「大阪のターミナル」として大阪駅という名で駅は出来た。が、他の鉄道会社や地下鉄の駅は「梅田」の名を用いている。後発の駅には「東」や「西」が付される場合迄在る訳だ。
↓東梅田駅に案内地図が掲出されているが、簡単に記憶出来ない程度に煩雑で、少し眺めていて苦笑いも漏れた。
↑大阪駅でJRの列車を下りて、地下鉄谷町線の東梅田駅へ歩くのであれば、10分弱は要すると考えなければなるまい。今般、もっと探して迷うかもしれないとも思ったが、それは免れた。掲出された案内表示を随時見ていれば迷わない訳だ…
↓東梅田駅で地下鉄の列車に乗車した。
↓走行中の地下鉄の列車という風情だ。正しくトンネル内である。先頭車輛だったので、様子が視えて面白かった。
↓東梅田駅、中崎町駅、天神橋筋六丁目駅だ。直ぐに天神橋筋六丁目駅の様子が視えた。駅間は然程長くないようだ。
↓下りたホームで列車を見送った。
↓何となく足が停まって、見入ってしまったホーム上の看板だ。「てんじんばしすじ6ちょうめ」と「6」が使われて「ろく」ではない…
↓壁面に在るこの看板も「6ちょうめ」だった。方々で「X丁目」の「X」が算用数字という例は多く在ると思う。
この地下鉄の駅に到り、何か「実に長い一日で、長い道程を…」と感慨深くなっていた。大阪辺りで地下鉄を利用するのも少し面白い。そんな思い付きと、京都方面の往来の便を考えて、天神橋筋六丁目駅傍に陣取ることとしたのだった。こうして辿り着いた時の様子を振り返ると、存外に訪ね易い場所であった。機会が在れば是非再訪もしたい。
※ 記事の最初、飛び乗った列車内での表示の画は、兵庫県側に在った時に撮っていることになる。が、全般に大阪駅からの移動に纏わる内容なので、記事は「大阪府」のカテゴリに入れる。
神戸空港→三宮:ポートライナー(2023.04.02)
神戸空港を発着する便の増便が図られて旅客が著しく増加したような場合、その輸送能力に少し不安が無い訳でもないかもしれないが、ポートライナーはなかなか便利だ。神戸空港から20分弱で、神戸市内の交通結節点である三宮に至る。
↓そのポートライナーの先頭車輌、進行方向の正面が見える辺りに乗車する機会を得た。左寄りの軌道に上って三宮を目指すことになる。
↑ポートライナーは遠隔操作ということになるのだと思うが、乗務員が乗車していない。特段に運転台の様になっているでもない正面に座ることが叶う場合も在る。
↓軌道は意外に複雑に曲がり、勾配区間も存外に多い。
↓海上の橋のような箇所を進むが、左の奥に街や港の灯りらしいモノが覗く。
↓既に暗くなったが、それでも街の灯りの向こうに、街の後背に拡がる山地の影が僅かに判る。
↑偶々、最近読んだ小説に、神戸では“山側”、“海側”という言い方が多用されるというようなネタが在ったというようなことも思い出していた。
↓幾つもの駅に停車しながらポートライナーは進む。
↓少し目立つ橋が見える。
↓左の橋は、神戸空港やその陸寄りの場所等、神戸港の人造の島と街とを結ぶ<神戸大橋>である。
↓橋の直ぐ脇、或いは橋の一部のような場所の軌道をポートライナーが駆ける。進行方向には街の大きな建物の灯りが覗く。
↓神戸大橋の辺りを過ぎると「もう少し…」という感がする。
↓街が近い…
↓高架の道路等が入り組んだように見えて少し面白い。
↓高架の道路の下を潜るように、高架の軌道が設えられている。
↓背が高い駐車場の高い階層に駐車中の車輌が眼に入り、何か不思議な光景に見えた。駅でポートライナーを待って居る時に、駐車場の車輌が何となく見える場合も在るかもしれないなどと思った。
↓三宮が近付く中、ビルの間のような場所を進む。反対方向へ進むポートライナーの前照灯が眩しい。強い光源が迫って来るかのような不思議な光景だ。
↓左折すると三宮の駅だ。
↓三宮に到着である…
暗くなった頃の神戸空港に下立ち、夜の帳に包まれ始めたような中を進んで三宮に至った。こんな様子を写真に収める機会が在ったのは好い。またポートライナーを利用する機会を設けてみたいものだ。
↓そのポートライナーの先頭車輌、進行方向の正面が見える辺りに乗車する機会を得た。左寄りの軌道に上って三宮を目指すことになる。
↑ポートライナーは遠隔操作ということになるのだと思うが、乗務員が乗車していない。特段に運転台の様になっているでもない正面に座ることが叶う場合も在る。
↓軌道は意外に複雑に曲がり、勾配区間も存外に多い。
↓海上の橋のような箇所を進むが、左の奥に街や港の灯りらしいモノが覗く。
↓既に暗くなったが、それでも街の灯りの向こうに、街の後背に拡がる山地の影が僅かに判る。
↑偶々、最近読んだ小説に、神戸では“山側”、“海側”という言い方が多用されるというようなネタが在ったというようなことも思い出していた。
↓幾つもの駅に停車しながらポートライナーは進む。
↓少し目立つ橋が見える。
↓左の橋は、神戸空港やその陸寄りの場所等、神戸港の人造の島と街とを結ぶ<神戸大橋>である。
↓橋の直ぐ脇、或いは橋の一部のような場所の軌道をポートライナーが駆ける。進行方向には街の大きな建物の灯りが覗く。
↓神戸大橋の辺りを過ぎると「もう少し…」という感がする。
↓街が近い…
↓高架の道路等が入り組んだように見えて少し面白い。
↓高架の道路の下を潜るように、高架の軌道が設えられている。
↓背が高い駐車場の高い階層に駐車中の車輌が眼に入り、何か不思議な光景に見えた。駅でポートライナーを待って居る時に、駐車場の車輌が何となく見える場合も在るかもしれないなどと思った。
↓三宮が近付く中、ビルの間のような場所を進む。反対方向へ進むポートライナーの前照灯が眩しい。強い光源が迫って来るかのような不思議な光景だ。
↓左折すると三宮の駅だ。
↓三宮に到着である…
暗くなった頃の神戸空港に下立ち、夜の帳に包まれ始めたような中を進んで三宮に至った。こんな様子を写真に収める機会が在ったのは好い。またポートライナーを利用する機会を設けてみたいものだ。
夕べに…(2023.04.12)
朝に…(2023.04.12)
長浜駅前…(2023.04.03)
京都駅の一つ先、山科駅から列車で米原駅へ移動した。長浜駅へ向かう列車の接続が悪く、思い切ってタクシーで長浜港へ移動した。遊覧船に乗船したかった。
乗船する段取りが整い、乗船迄に間が在るので、辺りを散策して昼食も愉しんだ。その後、「復路は列車で…」ということで、散策の続きを兼ねて「長浜駅の場所を確かめておこう」と歩を進めた。
↓長浜駅前だ…
↑桜が艶やかで、この日の荒天と相俟って、何か晴れやかな気分で様子を見入っていた。
↓非常に好い状態の桜が観られた…
友人と出掛ける相談の中、何やら話しが二転三転して長浜に至った。友人はこの滋賀県の北寄りな辺りは初めてということだった。長浜には長く関心が在ったが、立寄る機会を設けられずに居たので、自身も初めての訪問であった。その初めての訪問で、長浜が「忘れ難い場所」という感になったのは大変に幸いである。思い付いて何処かを訪ねると、こういう「幸い」が発生する。それが好い。
乗船する段取りが整い、乗船迄に間が在るので、辺りを散策して昼食も愉しんだ。その後、「復路は列車で…」ということで、散策の続きを兼ねて「長浜駅の場所を確かめておこう」と歩を進めた。
↓長浜駅前だ…
↑桜が艶やかで、この日の荒天と相俟って、何か晴れやかな気分で様子を見入っていた。
↓非常に好い状態の桜が観られた…
友人と出掛ける相談の中、何やら話しが二転三転して長浜に至った。友人はこの滋賀県の北寄りな辺りは初めてということだった。長浜には長く関心が在ったが、立寄る機会を設けられずに居たので、自身も初めての訪問であった。その初めての訪問で、長浜が「忘れ難い場所」という感になったのは大変に幸いである。思い付いて何処かを訪ねると、こういう「幸い」が発生する。それが好い。
都島神社…(2023.04.05)
天神橋筋六丁目駅駅に近い宿から、漫然と歩き始めた。京都へ向かう前に、少し大阪を歩き廻ろうという意図で、特別な目的は無かった。
歩を進め始め、少し経って思い至った。京都へ向かう列車が便利な大阪駅や大阪梅田駅の方向へ向かうような意図も在りながら、逆方向にドンドン歩を進めてしまった。地下鉄の都島駅の辺りに至った。
↓こんな場所に行き当たった…
↑都島神社である。
↓社殿である。
この神社は「十五社神社」として1160年に起こったと伝えられる。15の神を祀ったので「十五社神社」と称したそうだ。1943年に地名にちなんで都島神社と称するようになった。1945年の空襲で社殿等が損なわれ、1949年に再建されたということだ。
↓石が敷かれた通路以外の砂地の場所へは「立入を御遠慮願います」となっている。整然と整備されている。
↓然程大きくはない神社だが、何か街中でこの辺りだけ「凛とした空気感」が漂っているように思った。
大阪で無事に愉しく滞在していることに感謝の意を表したいと、都島の地に永く在るという神社に参拝した。こういうような出会いも好いと思う。
歩を進め始め、少し経って思い至った。京都へ向かう列車が便利な大阪駅や大阪梅田駅の方向へ向かうような意図も在りながら、逆方向にドンドン歩を進めてしまった。地下鉄の都島駅の辺りに至った。
↓こんな場所に行き当たった…
↑都島神社である。
↓社殿である。
この神社は「十五社神社」として1160年に起こったと伝えられる。15の神を祀ったので「十五社神社」と称したそうだ。1943年に地名にちなんで都島神社と称するようになった。1945年の空襲で社殿等が損なわれ、1949年に再建されたということだ。
↓石が敷かれた通路以外の砂地の場所へは「立入を御遠慮願います」となっている。整然と整備されている。
↓然程大きくはない神社だが、何か街中でこの辺りだけ「凛とした空気感」が漂っているように思った。
大阪で無事に愉しく滞在していることに感謝の意を表したいと、都島の地に永く在るという神社に参拝した。こういうような出会いも好いと思う。
『悠久の祈り』:真宗本廟=東本願寺(2023.04.04)
上空…:明石海峡大橋周辺(2022.04.02)
列車を乗り継いで新千歳空港へ至り、無事に上空へ出て神戸空港を目指していた。稚内や新千歳空港周辺と、神戸空港周辺とでは明るくなる時間帯や暗くなる時間帯に「些かの時間差」が在る。そういう関係も在るのかもしれないが、神戸空港周辺で搭乗機が高度を下げていた頃、辺りは未だ真っ暗という程でもなかった。
↓眼下に明石海峡大橋の一部が見えている。なかなかの迫力だ。
↓見えているのは、橋の本州側、神戸市の西端部辺りの様子だ。辺りの緑地の街灯に灯りが点き始めた様子だ。
↓画のやや左側の半ばより少し上辺りに特徴的な形に土が盛られている場所が判る。これは「五色塚古墳」だ。上空からこれだけハッキリと判るということは、相当に大きい筈だ…
↑所謂“前方後円墳”で、この場所は往時の雰囲気を再現しているらしい。残念ながら近くへ足尾運んで観た経過は無い。
↓明石海峡大橋や古墳が見える舞子公園という辺りは神戸市の西端部辺りで、この上空を過ぎると神戸の街中と港の間に浮かぶ神戸空港は近い。
↓何時の間にかという感で、搭乗機は神戸空港に着陸した。
天の旅で、何となく窓側の席を占めると、こういうように「上空からの眺望」を愉しむことが叶う場合も在る。こういうのも好い感じだと思う。
↓眼下に明石海峡大橋の一部が見えている。なかなかの迫力だ。
↓見えているのは、橋の本州側、神戸市の西端部辺りの様子だ。辺りの緑地の街灯に灯りが点き始めた様子だ。
↓画のやや左側の半ばより少し上辺りに特徴的な形に土が盛られている場所が判る。これは「五色塚古墳」だ。上空からこれだけハッキリと判るということは、相当に大きい筈だ…
↑所謂“前方後円墳”で、この場所は往時の雰囲気を再現しているらしい。残念ながら近くへ足尾運んで観た経過は無い。
↓明石海峡大橋や古墳が見える舞子公園という辺りは神戸市の西端部辺りで、この上空を過ぎると神戸の街中と港の間に浮かぶ神戸空港は近い。
↓何時の間にかという感で、搭乗機は神戸空港に着陸した。
天の旅で、何となく窓側の席を占めると、こういうように「上空からの眺望」を愉しむことが叶う場合も在る。こういうのも好い感じだと思う。
波止場横丁の夕べ…(2023.04.10)
朝に…(2023.04.11)
フキノトウ…(2023.04.10)
CD…(2023.04.11)
大変に愉しく映画を観た経過が在った。酷く気に入って、直ぐに2回目を観に行ってしまうということまでしてしまった。
そうしている間に、映画で使った音楽を収めたCDの発売が在ると知り、思わず予約してしまった。
↓何やら「配達時不在」の連絡票が在ったので、郵便局で受け取ったのがこれだ。『シン・仮面ライダー 音楽集』である。
↑プラスチックのケースが紙のボックスに収まっている。ボックスの表側が「仮面ライダー」を名乗り始める主人公である。
↓ボックスの裏側は「第2号」で収録曲等が書かれている。
↓中のプラスチックのケースだ。主人公達の愛車の<サイクロン号>に描かれたマークだ。
↓2枚組で、ケースの真中に楽曲等の情報が書かれた冊子が入っている。こちらも<サイクロン号>に描かれたマークだ。
往年のテレビシリーズで使用された曲のアレンジも含めて、作品の渋い雰囲気、迫力のアクション、何やら不思議で妖しい空気感というようなモノを盛り立てる、様々な音の工夫も在る作品群で非常に愉しい。或いは何となく、或いは映画の気に入っている場面を思い出しながら、早速にこのCDに収録の音楽を愉しく聴いている。
時にはこういうモノを仕入れるのも好い。自身は「やや旧いタイプ?」で、音楽データが在れば好いというのでもなく、「見映えの好いディスクを手にしたい!」という程度に考える傾向が在る。
そうしている間に、映画で使った音楽を収めたCDの発売が在ると知り、思わず予約してしまった。
↓何やら「配達時不在」の連絡票が在ったので、郵便局で受け取ったのがこれだ。『シン・仮面ライダー 音楽集』である。
↑プラスチックのケースが紙のボックスに収まっている。ボックスの表側が「仮面ライダー」を名乗り始める主人公である。
↓ボックスの裏側は「第2号」で収録曲等が書かれている。
↓中のプラスチックのケースだ。主人公達の愛車の<サイクロン号>に描かれたマークだ。
↓2枚組で、ケースの真中に楽曲等の情報が書かれた冊子が入っている。こちらも<サイクロン号>に描かれたマークだ。
往年のテレビシリーズで使用された曲のアレンジも含めて、作品の渋い雰囲気、迫力のアクション、何やら不思議で妖しい空気感というようなモノを盛り立てる、様々な音の工夫も在る作品群で非常に愉しい。或いは何となく、或いは映画の気に入っている場面を思い出しながら、早速にこのCDに収録の音楽を愉しく聴いている。
時にはこういうモノを仕入れるのも好い。自身は「やや旧いタイプ?」で、音楽データが在れば好いというのでもなく、「見映えの好いディスクを手にしたい!」という程度に考える傾向が在る。
“梅田”…(2023.04.05)
マンホールの蓋…:大阪市水道局:都島(2023.04.05)
ジーンズの店…:都島(2023.04.05)
播磨国総社 射楯兵主神社(はりまのくにそうしゃ いたてひょうずじんじゃ):姫路
姫路駅前の路を真直ぐ進んで姫路城に至った後、城の敷地を歩き廻って、姫路神社が在って公園のようになっている側へ出る。そうすると姫路郵便局や大手前交番の辺りに至る。
↓姫路郵便局の直ぐ隣りのような場所の建物が酷く目立つ。これが「播磨国総社御門」というモノだという。
以前に姫路に立寄った際にも、この場所の大きな門の存在に気付いていたが、門を潜って中に入ってみたことは無かった。
↓門を潜ってみた。通路には兵庫県内の酒造会社が奉納した酒樽が積まれていた…
↓境内そのものに入る門が在った…
↓これが「播磨国総社」だ。総社で通っているようだが、射楯大神(いたてのおおかみ)と兵主大神(ひょうずのおおかみ)とを祀っていて、射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)という。
↓狛犬の感じが好い…
↓吽形は角が在る…
↓神の使いとされる「みゝづく」(ミミズク)である。
↓何となく気に入った像だ…
↓手水場の趣も好い…
↓最盛期は過ぎたかもしれないが、桜も好い感じだった。
↓姫路で心地好く過ごすことが叶ったことに感謝の意を表すべく、この社に参拝した。
↓境内の略案内図が在るが、さり気なく「みゝづく」(ミミズク)がキャラクター化されている。
↓古くからの神社で、戦国時代に活躍した黒田官兵衛のような人達も参詣しているようだ。そういう縁も念頭に、黒田官兵衛をキャラクター化していて、それが飲料の自販機に使われていた…
姫路やその周辺には、多分未だ訪ねたことがない興味深い場所は多く在るのだと思う。今般はこの総社を参拝してみたが、何となく姫路辺りとの縁が少し深まったかもしれないと勝手に思うようになった…
↓姫路郵便局の直ぐ隣りのような場所の建物が酷く目立つ。これが「播磨国総社御門」というモノだという。
以前に姫路に立寄った際にも、この場所の大きな門の存在に気付いていたが、門を潜って中に入ってみたことは無かった。
↓門を潜ってみた。通路には兵庫県内の酒造会社が奉納した酒樽が積まれていた…
↓境内そのものに入る門が在った…
↓これが「播磨国総社」だ。総社で通っているようだが、射楯大神(いたてのおおかみ)と兵主大神(ひょうずのおおかみ)とを祀っていて、射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)という。
↓狛犬の感じが好い…
↓吽形は角が在る…
↓神の使いとされる「みゝづく」(ミミズク)である。
↓何となく気に入った像だ…
↓手水場の趣も好い…
↓最盛期は過ぎたかもしれないが、桜も好い感じだった。
↓姫路で心地好く過ごすことが叶ったことに感謝の意を表すべく、この社に参拝した。
↓境内の略案内図が在るが、さり気なく「みゝづく」(ミミズク)がキャラクター化されている。
↓古くからの神社で、戦国時代に活躍した黒田官兵衛のような人達も参詣しているようだ。そういう縁も念頭に、黒田官兵衛をキャラクター化していて、それが飲料の自販機に使われていた…
姫路やその周辺には、多分未だ訪ねたことがない興味深い場所は多く在るのだと思う。今般はこの総社を参拝してみたが、何となく姫路辺りとの縁が少し深まったかもしれないと勝手に思うようになった…
姫路城…(2023.04.06)
時々思うことが在る。漠然と「日本の城」とでも言えば、多くの人達が思い浮かべる公約数的な感じは、「石垣の上に白い壁の大きな建物が聳え立って辺りを睥睨する」という感じで、固有名詞を出すなら或いは「姫路城」ということになるのではないだろうか?
大名の拠点としての姫路城は、諸説在るようだが、少なくとも南北朝時代の14世紀に登場しているのだという。大名の拠点として規模を拡げたのは、播磨の土着勢力であった時代の黒田官兵衛であるらしい。やがて羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の陣営が山陽道方面で活動する際の拠点となったようだ。その後、関ケ原の戦いを経て池田輝政が城主となると、一族で西日本に大きな知行地を抱えた池田陣営の総本部というようなことで大規模な改修が行われたのだという。そして現在も伝わるような姿になって行った。
明治期以降、色々な建物が取り壊される、傷んでしまうということも在ったようだが、天守閣等の多くの建物が補修されて保存されて行くこととなる。そして「往時の建物が伝えられている」という、貴重な城址になっている訳だ。
城址の建物に関しては、第2次大戦期の爆撃で焼失してしまっている例も多い。姫路も爆撃を受けた。が、夜間にレーダーを頼りに爆撃を行ったのだということで、城の濠に在る水がレーダーで判り、街外れの沼沢地か何かと見做して投下する爆弾を集中しなかったらしい。そして姫路城の建物は消失を免れた訳である。
そういう姫路城のことを想い起しながら、姫路駅から真直ぐと進む。明らかに外国人旅行者という風な人達が凄く多く、些か驚く。外国人旅行者の目線でも「日本の城」とでも言えば「あの姫路城というのが凄い」ということになるのかもしれない。国外にも広く紹介されていて、多くの人達が惹かれるようだ。
↓この時季は「城の建物と桜」を眺めながら敷地を散策というのが愉しいと思う。
↑以前に建物の中等はゆっくり観た経過が在る。そこでこの「城の建物と桜」を眺めることを愉しみたい訳だ。
↓姫路城の桜に関しては「散り始め」という話しが在った。が、盛りを過ぎたような雰囲気が少し在ったにしても、存外に桜は好い状態だった。
↓花の様子が伝えられる際の基準になる木…その木は確かに「散り始め」という様子に見えるが…
↓正しく「桜と天守閣」という風情だ。
↓脇の方にも廻り込みながら城や桜を眺めて愉しんだ。
↓こういう感じが気に入っている。
↓少し離れると濠も在る。
↓桜と城の建物が見える感じを、今般はゆっくりと愉しむことが叶ったという感じだ。
聞けば、明治期以降に城の辺りが公園か何かのようになって行った中で桜が植樹されることが盛んになったとのことで、江戸時代にはそれ程多くもなかったということであるらしい。経過は経過として、こうして桜の時季に華やかになるというのは好いように思う。
大名の拠点としての姫路城は、諸説在るようだが、少なくとも南北朝時代の14世紀に登場しているのだという。大名の拠点として規模を拡げたのは、播磨の土着勢力であった時代の黒田官兵衛であるらしい。やがて羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の陣営が山陽道方面で活動する際の拠点となったようだ。その後、関ケ原の戦いを経て池田輝政が城主となると、一族で西日本に大きな知行地を抱えた池田陣営の総本部というようなことで大規模な改修が行われたのだという。そして現在も伝わるような姿になって行った。
明治期以降、色々な建物が取り壊される、傷んでしまうということも在ったようだが、天守閣等の多くの建物が補修されて保存されて行くこととなる。そして「往時の建物が伝えられている」という、貴重な城址になっている訳だ。
城址の建物に関しては、第2次大戦期の爆撃で焼失してしまっている例も多い。姫路も爆撃を受けた。が、夜間にレーダーを頼りに爆撃を行ったのだということで、城の濠に在る水がレーダーで判り、街外れの沼沢地か何かと見做して投下する爆弾を集中しなかったらしい。そして姫路城の建物は消失を免れた訳である。
そういう姫路城のことを想い起しながら、姫路駅から真直ぐと進む。明らかに外国人旅行者という風な人達が凄く多く、些か驚く。外国人旅行者の目線でも「日本の城」とでも言えば「あの姫路城というのが凄い」ということになるのかもしれない。国外にも広く紹介されていて、多くの人達が惹かれるようだ。
↓この時季は「城の建物と桜」を眺めながら敷地を散策というのが愉しいと思う。
↑以前に建物の中等はゆっくり観た経過が在る。そこでこの「城の建物と桜」を眺めることを愉しみたい訳だ。
↓姫路城の桜に関しては「散り始め」という話しが在った。が、盛りを過ぎたような雰囲気が少し在ったにしても、存外に桜は好い状態だった。
↓花の様子が伝えられる際の基準になる木…その木は確かに「散り始め」という様子に見えるが…
↓正しく「桜と天守閣」という風情だ。
↓脇の方にも廻り込みながら城や桜を眺めて愉しんだ。
↓こういう感じが気に入っている。
↓少し離れると濠も在る。
↓桜と城の建物が見える感じを、今般はゆっくりと愉しむことが叶ったという感じだ。
聞けば、明治期以降に城の辺りが公園か何かのようになって行った中で桜が植樹されることが盛んになったとのことで、江戸時代にはそれ程多くもなかったということであるらしい。経過は経過として、こうして桜の時季に華やかになるというのは好いように思う。
稚内港北防波堤ドーム…(2023.04.10)
「稚内駅発5時21分名寄行」という普通列車に乗車しようとすれば「暗い…」という時季が過ぎたことには気付いていた。最近は日出が5時頃になっているらしい。
一般に、睡眠を「貯める」ような真似は出来ないとされている。が、前々夜に長く寝て、日中から夕刻に昼寝をしてしまい、前夜も早目にと「貯める」かのように眠った。そういうことで早目に起き出した。休業日も継続中である。そんなことで「極々短い散策」と称して、少し戸外に出てみた。
↓低空に薄めな雲が拡がり、光が微妙に滲む、何か淡い感じの天だ。海は静穏である。
↓多分5℃程度、或いはそれ以下に空気が冷えている。風は弱く、キツい感じは辛うじて免れている気はするのだが。薄い雲の向こうに朝陽が陰のように滲んでいる。
↓薄い雲に包まれるような域を超える程度に朝陽が上昇した。
↓静かに光が放たれるというような風情になって行った。
未だ少し寒い感じが続いているという事を強めに意識する朝という事になった…
一般に、睡眠を「貯める」ような真似は出来ないとされている。が、前々夜に長く寝て、日中から夕刻に昼寝をしてしまい、前夜も早目にと「貯める」かのように眠った。そういうことで早目に起き出した。休業日も継続中である。そんなことで「極々短い散策」と称して、少し戸外に出てみた。
↓低空に薄めな雲が拡がり、光が微妙に滲む、何か淡い感じの天だ。海は静穏である。
↓多分5℃程度、或いはそれ以下に空気が冷えている。風は弱く、キツい感じは辛うじて免れている気はするのだが。薄い雲の向こうに朝陽が陰のように滲んでいる。
↓薄い雲に包まれるような域を超える程度に朝陽が上昇した。
↓静かに光が放たれるというような風情になって行った。
未だ少し寒い感じが続いているという事を強めに意識する朝という事になった…
「ジンギスカンのやつ」に「チキンレッグ」と「アスパラ」をトッピングして「スープ大盛」の「5辛」で「小ライス」…=ランチのスープカレー(2023.04.09)
日曜日のランチ営業という近所の御店を何軒か思い描く。そして辿り着いたスープカレーの御店だ。
↓なかなかのボリューム感のスープカレーとなった。
↓「ジンギスカンのやつ」に「チキンレッグ」と「アスパラ」をトッピングして「スープ大盛」の「5辛」で「小ライス」という、思い付きによる独自な組合せだ。
↑ジンギスカン用の肉を焼いたモノ、トロトロに煮込まれた鶏の足、そこに季節の野菜という感のアスパラが加わるというのは素敵だった。手が込んだ、タップリのスープをゆったり頂くという感覚だ。こういう具合に、独自の組合せを模索する感じが愉しい…
↓食後には、老舗喫茶店の流れを汲むブレンドコーヒーをゆったりと頂いて寛ぐ。
何か俄かにこういう感じの「日曜日の昼食」という在り様が酷く気に入ってしまったかもしれない…
↓なかなかのボリューム感のスープカレーとなった。
↓「ジンギスカンのやつ」に「チキンレッグ」と「アスパラ」をトッピングして「スープ大盛」の「5辛」で「小ライス」という、思い付きによる独自な組合せだ。
↑ジンギスカン用の肉を焼いたモノ、トロトロに煮込まれた鶏の足、そこに季節の野菜という感のアスパラが加わるというのは素敵だった。手が込んだ、タップリのスープをゆったり頂くという感覚だ。こういう具合に、独自の組合せを模索する感じが愉しい…
↓食後には、老舗喫茶店の流れを汲むブレンドコーヒーをゆったりと頂いて寛ぐ。
何か俄かにこういう感じの「日曜日の昼食」という在り様が酷く気に入ってしまったかもしれない…
Одуванчики(アドゥヴァンチキ)…:タンポポ…(2023.04.03)
実は、米原駅から長浜港へ移動する際、列車の運行間隔が開いてしまう時間帯だったので、タクシーで移動していた。長浜の様子が余り判らない中で友人と連れ立った歩き廻っていた。「あちら側が公園や、駅へ続くような辺りの筈で…」と歩を進めた時、友人が足を停めた。
↓友人は「Одуванчики(アドゥヴァンチキ)!」と少し声を上げ、姿勢を低くしてそれを眺めた。タンポポのことである。
友人は幼少期、または少し長じてからも、春に戸外を駆け回って、タンポポを愛でるようなことを好んでいて、タンポポを見掛けると酷く懐かしく嬉しい気持ちになるのだという。止むを得ずに故郷を離れているというような事情も在る友人である。子ども時代を懐かしみ、道端の花を愛でる様が、何か少し眩しかった。
そんなことも記憶に留めようと、自身もこのタンポポを写真に収めておいた。
↓友人は「Одуванчики(アドゥヴァンチキ)!」と少し声を上げ、姿勢を低くしてそれを眺めた。タンポポのことである。
友人は幼少期、または少し長じてからも、春に戸外を駆け回って、タンポポを愛でるようなことを好んでいて、タンポポを見掛けると酷く懐かしく嬉しい気持ちになるのだという。止むを得ずに故郷を離れているというような事情も在る友人である。子ども時代を懐かしみ、道端の花を愛でる様が、何か少し眩しかった。
そんなことも記憶に留めようと、自身もこのタンポポを写真に収めておいた。