「極々短い散策」と称して早朝の戸外に一定以上の頻度で出ていると思う。そういう場面で観る「東寄りな天の早朝」に関しては幾つか「類型」が在るように思う。
勿論、天の感じは毎日違い、全く同じということは在り得ない。が、「雲が殆ど無く、天全体が明るい」、「雲が全般に多く、天全体が薄暗い」という判り易い対極的な例が在るとは思う。加えて「低目な天に雲が多く、高目な天に雲が少なく明るい」と「低目な天に雲が少なく明るく、高目な天に雲が少し目立つ」という対極的な例も少し目立つように思う。
自身の理解では、上述の4つの「類型」が無制限に派生して、様々な見え方をするのが「東寄りな天の早朝」というように思っている。
実は今朝、4つの中の「低目な天に雲が少なく明るく、高目な天に雲が少し目立つ」という感じになっているように見受けられ、素早く様子を観に出たのだった。
↓帯のように雲が少し厚く多く見える場所が在り、それより高い辺り、低い辺りは雲が少なく、天が明るい。そしてそういう様が滑らかな海面に跳ね返っている。
↓やや左寄りの奥、風力発電の風車が林立する辺りの上空が、少し不思議な光に覆われたように見える。
↓朝陽が雲の高度を超えて姿を見せそうな気配が感じられた。
↓輝きが覗き始めている。
↓朝陽が光を少し解き放った。
現在の時季、少し寒い。それでもこういう様子が眺められると、少しだけ嬉しい。それだけのために「極々短い散策」と称して早朝の戸外に出てしまう訳だ。そういう在り方も善いと思っている。
旧長浜駅…(2023.04.03)
好天に恵まれ、琵琶湖を渡る風がやや冷たかったものの、桜が見事であった長浜は「忘れ難い街」ということになった。
↓その長浜で出逢った建物だ。
↑1882(明治15)年の建築で、当時の長浜駅なのだという。現在の長浜駅とは場所が少しだけ違うのだが…
「1882(明治15)年」というのは、各地で輸送網の要となる鉄道の敷設が図られ、盛んな活動が見受けられたような時期に相当する。日本海側と大阪等とを結ぼうということで、敦賀から長浜へ鉄道が敷設され、長浜・大津間の琵琶湖上を連絡船で結ぶ形で輸送が行われ始めたのだという。「最初の北陸線」というようなことになるのであろう。この旧長浜駅は、その当時に英国流の設計で、経費を抑えての建築ということでコンクリートで造った建物なのだという。
辺りの鉄道敷設の進展に伴って色々と事情が変わり、この旧長浜駅が駅舎として利用された期間は通算で7年程であったという。長く倉庫になっていたようだ。1958(昭和33)年に「現存する駅舎建築では最古」と鉄道記念物ということになった。以1882(明治15)年降、1980年代頃から資料館等として活用されて現在に至っているようだ。
↓辺りに桜も植えられ、何か凄く雰囲気が好かった。
↓桜の花弁が散り、辺りに花弁を敷いたようになっている様子も見受けられた。
↓桜と明治時代の建物との組合せが秀逸だ。
今般、旧長浜駅で時間を割いてゆっくりと見学をしたのでもない。が、この場所の様子は、何か忘れ難いものとなった。
↓その長浜で出逢った建物だ。
↑1882(明治15)年の建築で、当時の長浜駅なのだという。現在の長浜駅とは場所が少しだけ違うのだが…
「1882(明治15)年」というのは、各地で輸送網の要となる鉄道の敷設が図られ、盛んな活動が見受けられたような時期に相当する。日本海側と大阪等とを結ぼうということで、敦賀から長浜へ鉄道が敷設され、長浜・大津間の琵琶湖上を連絡船で結ぶ形で輸送が行われ始めたのだという。「最初の北陸線」というようなことになるのであろう。この旧長浜駅は、その当時に英国流の設計で、経費を抑えての建築ということでコンクリートで造った建物なのだという。
辺りの鉄道敷設の進展に伴って色々と事情が変わり、この旧長浜駅が駅舎として利用された期間は通算で7年程であったという。長く倉庫になっていたようだ。1958(昭和33)年に「現存する駅舎建築では最古」と鉄道記念物ということになった。以1882(明治15)年降、1980年代頃から資料館等として活用されて現在に至っているようだ。
↓辺りに桜も植えられ、何か凄く雰囲気が好かった。
↓桜の花弁が散り、辺りに花弁を敷いたようになっている様子も見受けられた。
↓桜と明治時代の建物との組合せが秀逸だ。
今般、旧長浜駅で時間を割いてゆっくりと見学をしたのでもない。が、この場所の様子は、何か忘れ難いものとなった。
平野神社(2023.04.04)
↓平野神社へ足を運んでみた。
紋に桜を使う平野神社は「桜苑」が知られていて、有料で入場することになっている。友人がその入場券を頂いたというようなことで、今季は少し「早い」感じの桜が完全に終わってしまう前に、何とか観に行こうという相談になった。
↓早速にその桜苑に入る。一部に盛りは過ぎたようにも見受けられたが、それでも桜が麗しい状況であった。
↓遠目に、または近くで、様々な桜を眺めた。
↓こういう明るい天を背景にした桜の感じは凄く好きだ。
↓脇に在る桜苑から社殿等が在る境内の側へ歩を進めた。
↓少し変わった種類の桜も多く植えられているようであった。
↓桜の時季に桜が咲く場所で過ごすことが叶っていることに感謝の意を表して参拝もした…
↓四柱の神が祀られているということが、奥側を視ると判る…平安京遷都から日が浅い頃に成立し、長く伝統が受け継がれて来た社である。
↓これも少し変わった種類の桜だ。
↓境内には物凄く大きな樟も在った。
↓これはなかなかの迫力だった…
こういうような永い伝統を誇る場所で、マダマダ未踏の場所も多いことに思い至った。今般、桜の時季に出会えたのは好かった。往路はタクシーでここに到り、復路はバスで京都駅周辺へ引揚げたのだった。
紋に桜を使う平野神社は「桜苑」が知られていて、有料で入場することになっている。友人がその入場券を頂いたというようなことで、今季は少し「早い」感じの桜が完全に終わってしまう前に、何とか観に行こうという相談になった。
↓早速にその桜苑に入る。一部に盛りは過ぎたようにも見受けられたが、それでも桜が麗しい状況であった。
↓遠目に、または近くで、様々な桜を眺めた。
↓こういう明るい天を背景にした桜の感じは凄く好きだ。
↓脇に在る桜苑から社殿等が在る境内の側へ歩を進めた。
↓少し変わった種類の桜も多く植えられているようであった。
↓桜の時季に桜が咲く場所で過ごすことが叶っていることに感謝の意を表して参拝もした…
↓四柱の神が祀られているということが、奥側を視ると判る…平安京遷都から日が浅い頃に成立し、長く伝統が受け継がれて来た社である。
↓これも少し変わった種類の桜だ。
↓境内には物凄く大きな樟も在った。
↓これはなかなかの迫力だった…
こういうような永い伝統を誇る場所で、マダマダ未踏の場所も多いことに思い至った。今般、桜の時季に出会えたのは好かった。往路はタクシーでここに到り、復路はバスで京都駅周辺へ引揚げたのだった。