「日三月六年八十三治明」=「明治38年6月3日」の新聞…:稚内市立図書館(2023.05.30)

「あの新聞の縮刷版で、古いモノは何年頃から在りますかね?」と問い合わせを受けた図書館の方は、「37年が一番古いようですね…」と応じた。すると「どの“37年”ですかね?」と重ねて問われ、図書館の方は「“昭和37年”ですね…」と応じたのだという。

これを聞いて思った。「元号XX年」という言い方の場合、“37”という数字が出れば「“昭和”ですね?」と即座に出て来ても不自然ではないように思う。“令和”は未だ5年で、“平成”は31年だった。遡って“大正”は15年である。となると、図書館に資料として保存されている新聞で「37年」とでも言えば、「64年の1月」に“平成”へ改元した“昭和”と考えるのが自然だ。末年が1912年と古いが、“明治”も45年であったので、「37年」は在り得る。が、図書館等の場合には、相当に収蔵資料が多いような限られた場所でもなければ、“明治”の刊行物は余り見られないような気もする。

“明治”以降は、一代の天皇の下に用いる元号を原則的に1つということにしているので、改元の機会はそれ以前より大きく減っている。少し気になって歴代の元号の一覧を見たが、数年で改元している例が殆どで、時々20年程度の期間で使われた例が散見する。だから「元号XX年」という言い方の場合の“37”という数字は、即座に“昭和”、場合によって“明治”も在り得るという理解で、間違っているのでもない。

この図書館の方と雑談をしていて、「元号XX年」となって“37”という数字が出れば、即座に“昭和”、場合によって“明治”も在り得るという理解で、間違っているのでもないというようなことを話題にした。すると「思い出した!」ということになった。そしてモノを見せて頂いた。

↓図書館にこういう資料が在って、閲覧可能なのだという。上側の縁に「日三月六年八十三治明」とある。「明治38年6月3日」の新聞だ。「明治38年」は1905年ということになる。
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↑昭和30年代位迄、場合によって昭和40年前後と見受けられるが、何らかの契機で収集された明治38年の新聞が集められた綴りが在って、図書館に収められ、現在に受継がれているのだ。

↓紙面上側の記事について「変にカタカナが目立つ?」と思って気になって注目した。そして少し驚いた。「ロジェストウェンスキー提督を捕虜とせり」と在ったのだ。
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↑記事冒頭の「東電」は恐らく「東京発の電信」というようなことであろう。そして内容は、5月27日から5月28日であったと伝わる日本海海戦(外国語では「対馬の海戦」というような呼び方になるようだ。)の決着が着き、壊滅してしまったロシア側艦隊の司令官以下の将兵が捕虜として収容された旨等が伝えられているのだ。

明治時代は電信が使用され始めている時代で、「明治三十七八年戦役」とも呼ばれた日露戦争の頃ともなれば、何処かの記者が聴いて取材した内容が電信で方々に送られ、それが各地の新聞等に記事として掲載されることも普通になっていたのであろう。海戦の後の出来事が公に発表されてから数日を要しているようだが、これでも「対馬での出来事が、稚内で出ていた新聞に数日で記事となる」というのは、少し古い時代には考え悪かったのではないかと思う。

日本海海戦に関しては、『海の史劇』という小説が在る。同作は、明治38年の新聞で「ロジェストウェンスキー」と標記されているロジェストヴェンスキー提督が困難に満ちた半年にも及ぶ航海で対馬沖の戦場に至る迄のことも含めた、非常に興味深い内容だ。

↓少し先走るように「稚内で出ていた新聞」とした。<北光新聞>なる題字の下に「北光新聞社」という、新聞を出していた会社の住所が在る。「北見國宗谷郡稚内町大字稚内本通南二丁目十一番地」となっている。
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↑現在は「稚内市〇〇X丁目」という程度の住所の記載だが、当時は「北見國宗谷郡稚内町大字」である。確か「本通」は、現在では市内線の路線バスが走っている道道(北海道が管理する道路)だった筈だ。「南二丁目」は、多分、7階建ての市立病院の建物が目立つ中央4丁目周辺だと思う。が、何度か住所表示が変わっているので、少しよく判らない…

↓紙面を捲った。「稚内町役場公文」として、何やら予防接種の御案内が出ている。そして、日露戦争の日本海海戦に関する記事が続いていた。
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↑当時はロシアを「露」とではなく「魯」という字で略する場合が多かったようである。その、やや見慣れない「魯」の字が散見する。

ロジェストヴェンスキー提督は、日本海海戦の戦闘中に負傷して昏倒し、指揮を執ることが出来ない状態に陥り、降伏したロシア艦隊側の負傷者として収容されて、佐世保の病院に入院した。負傷したロシア艦隊側将兵の多くは提督同様に病院に入って治療を受け、一定程度の恢復の後に各地の捕虜収容施設に送られている。そうした捕虜収容施設の一つが在ったという松山で、収容中に他界してしまった将兵の墓地を訪ねてみた経過も在った。海戦の他、地上の戦いでも降伏将兵が在って、彼らは一様に捕虜として収容されていたのだった。当時は、「捕虜は罪人ではない」とし、松山では捕虜のロシア将兵を「縁在ってやって来ることになり、滞在している外国人達」という程度に迎えていたようである。松山の収容所では、居合わせた将兵の中で上位の階級に在った海軍のボイスマン大佐が、収容者達の代表格と目されていたようで、墓地ではボイスマン大佐の墓石が他の人達より大きい。この墓地で、御近所の人達や近隣の中学校の生徒達が草むしりや清掃をして、場所を大切にしているという話しがロシアの人達に伝わり、ロシアの人達からボイスマン大佐の胸像が贈られ、それも現地に据えられている。因みに松山の墓地では、他界した将兵の名を記した辺りに「露国兵卒」というような方が気が添えられ、ロシアを「露」という字で略するようになっていたようだ。

何か「一寸した雑談」が切っ掛けで、なかなかに興味深い“発見”が在った。

キャップ…(2023.05.29)

↓多少暑い感じになっても、後側がメッシュで通気性の好いキャップを用意した。暑い日の日除けというような活躍が期待出来る。
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↓「黒い地の上に黒い文字」が入っている。
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これは独自の文字等を刺繍することが可能というモノを求め、独自に指定した文字である。

↓こういうサービスを利用した。

【文字を選ぶだけ】 メッシュキャップでオリジナル刺繍キャップがつくれる ホワイト ブラック チャコール ネイビー




↓「黒い地の上に黒い文字」で「WAKKANAI」としてみた。
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これからの時季に活躍してくれそうなキャップだ…

波止場横丁の夕べ…(2023.05.29)

↓「連発に?」とは思ったが、2日間の休業日の第2日午後にまたサウナを利用してしまった。それはそれで好い感じではある。
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↓“道草”も「連発?」を厭わずに繰り返してしまった。
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↓そして御馴染になった暖簾を潜る。
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↓席に就いてハイボールを頂く…
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↓小ぶりな宗八を揚げたモノが御通しに登場した。この小さめなカレイは揚物も好い…
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↓手羽先揚げは欠かせない…
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↓そして明太子のおにぎりだ…
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「連発?」を厭わず、最近の「休業日らしい?」と思う感じを繰り返している。こういうのも悪くはないであろう…

川辺の木…(2023.05.28)

海や船が視える天北1号埠頭の辺りから国道側にゆっくりと歩を進めていた。

↓何時も通るような辺りに至ったが、木の枝が風で揺れると、何か木の葉が触れ合うような音が聞こえていた。
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↓雲がやや多目で、光は弱目であったが、木の葉の感じは既に春の終わり頃か初夏の様相かもしれない。
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こういう「木の葉の様子」というようなモノの着実な変化の他方、何時までも肌寒いような様子が続いているのが、或いは酷く「当地らしい」のかもしれない。

波止場横丁の夕べ…(2023.05.28)

↓休業日の午後にサウナを利用し、道草をしてしまうというようなことが恒例化してしまった。
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↑2007年だったと記憶する。施設が最初に開業した頃に敢えて設えた「少し昔風な様子」が何となく好い。

↓午後4時を過ぎると馴染んだ御店に暖簾が出る…
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↓とりあえずハイボールを頂き、何となく読書に興じた。
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↓蟹の身とキュウリを和えた御通しが好かった。
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↓手羽先焼は欠かせない…
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↓やや小柄なカレイの宗八を焼いたモノを所望した。
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↑髪型の「総髪」が「宗八」という呼び方の起りらしい。「総髪」の人を正面から見た形に似ているというのだ。「そうはつ」が転訛して「そうはち」になり、何時の間にか「宗八」の字が宛てられている。北海道や日本海側各地で好まれるのだという。稚内の御店でも比較的頻繁に見掛ける魚だと思う。

↓確りと綺麗に平らげた…
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↓イカを所望すれば、大きな鉄板が活躍した。
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↓ややボリュームが在るイカ焼きをゆっくり頂いた。
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↓明太子のおにぎりを摘まんだ…
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こんな「休業日の道草」が止められない感じになっている昨今だ…

多用途支援艦<すおう>…:稚内港(2023.05.28)

↓稚内港の天北1号埠頭に停泊中の、やや目立つ船を見付けた。
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↓やや冷たい風が滑らかな海面を渡る様子も見受けられた中であった。
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↓天北1号埠頭に入ることが出来たので、少し近付いた。
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↓「4302」という番号が大書されている。これは海上自衛隊の金井に与えられる番号だ。“多用途支援艦「ひうち」型”の2番艦で<すおう>という船だ。
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↑<すおう>は「周防灘」に因む命名ということだ。同型艦はこの<すおう>を含めて5艦在って、各地に配置されている。<すおう>は大湊基地に在る艦だ。

↓何やら海上油田の開発に関係して動き廻る支援船に少し似ている形だ。海上油田関係の船は稚内港に寄港した経過も在るので、何となく判るが、「前側が大きく、後側は平になっている」という感じはその種の船の特徴だと思う。
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↑この<すおう>は後部の甲板に嵩張るモノ、重量物を積載して輸送出来る他、沿岸や沖合での諸活動の拠点となることが出来、火災時の消火や救援を行うことも出来、強力なエンジンで相当に大きな艦船を曳航するようなことも可能だ。他にも色々な役目を担うようで、正しく「多用途」な艦である。強力な武装が搭載されているのでもない―機銃を取り付けることが可能な台座が在るだけであるという…―のだが、多様な任務に就くことが叶う、或る意味では凄く「自衛隊の艦船らしい」という感じの艦であるかもしれない。

↓稚内港にやって来た<すおう>は、前日から一般公開が行われた。前日は立寄ることが叶わず、この朝に足を運んでみたが、都合により公開は中止になってしまった…
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↓長さ65m、幅12m、深さが5.8mで喫水が3.5m、基準排水量が980tということで、際立って大きな艦でもないが、酷く小さいのでもない。なかなかに迫力が在ると思った。<すおう>は、2004(平成16)年に就役したという。
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↑概ね40名が乗艦するのだという。

一般公開による中の見学は叶わなかったが、こういう渋い艦船を近くで観られたのは好かった…

НЕВЕЛЬСКАЯ УЛИЦА (ネーヴェリスカヤ ウーリッツァ)=ネべリスク通り(2023.05.28)

稚内港天北1号埠頭辺りから国道側へ歩を進めようとした。国道に面した百貨店の建物の裏側が視えるような辺りに差し掛かり、「この辺り…暫く振りに通っている…」という程度に思った。

↓こんなモノが眼に留まった。歩を停め、偶々提げていたカメラを使った。
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↑ロシア語の名前、「НЕВЕЛЬСКАЯ УЛИЦА (ネーヴェリスカヤ ウーリッツァ)」というモノが掲げられている。「ネべリスク通り」である。

↓反対側は、看板の一部が傷んでいた…確か、金属製の看板の痛みが目立って、修繕をした経過が在ったように思う。
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「〇〇通」というような、街路に冠した名前は、一部の街では公に住所となっているが、そうでもない例、単なる通称という場合が日本国内では多いように思う。稚内でも「〇〇通」は通称で、そして定着している場合も、余り意識されていないと見受けられる場合も在る。

1972年に稚内市はサハリンのネべリスク市と友好都市提携をしている。1988年に当時のネべリスク市の市長に相当する「市執行委員会議長」の来訪が在った際、「友好都市15年記念」として、この通を「ネべリスク通り」としたのだ。

「1988年」は相対的には新しいかもしれないが、35年程も経っている。それでも公に住所となっているのでもない通称で、辺りに多くの人が出掛けるような何かが多く在るでもないので、「ネべリスク通り」が人口に膾炙するという程でもない。「知る人ぞ知る」という感であろうか?

思うと2022年はネべリスク市との友好都市50年ということであったが、特段に話題にはならなかった…

朝に…(2023.05.28)

休業日の朝に思い立って戸外に出て歩き始めた。

↓気温はやや上がっている…18℃らしい…
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↓そういう気温の他方で風が冷たい場合も在る。
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↓「何を着て出掛けようか?」という情況そのものが「時季らしい」ということになるであろうか?
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そんなことを想いながら、平日に頻繁にやっているように、休日の朝に歩き廻ったのだった。

第一副港辺りの眺め…:稚内港(2023.05.28)

稚内港の繋留濠である第一副港の辺りをゆっくりと歩いた。

↓繋留中の船に海鳥が多く集まっていた様子を眺め入っていた…
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↓海鳥と街の鳥とが多少入り混じる場合も在るような様子になっている。
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こんな様子を眺めながら歩くのが少し愉しい…

臨時急行<花たびそうや>…:南稚内駅のやや南側…(2023.05.27)

稚内駅へ向かう臨時急行の出発を旭川駅で見送ったという経過が在った。5月、そして6月最初の土曜日は、その旭川駅を発つ臨時急行が稚内駅にやって来る日ということになる。

↓南稚内駅のやや南側の軌道に沿った辺りに居合わせたので、カメラを引っ張り出した。少し向こうの踏切の警報機の音が聞こえ、列車が見え始めた。
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↓ヘッドマークを掲出したキハ40である。
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↓観光列車、イベント列車という運用も念頭に開創したキハ40を4輛連ねた列車が、南稚内駅へ向かっている。
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↓とりあえず「鉄道ファン」ということでもない人が観ても「可愛い!」という感想を漏らす列車が通り過ぎた。
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↓後尾になっている車輛にもヘッドマークが掲出されている。
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土曜日に旭川駅から稚内駅に北上した列車は、一晩は稚内に在って、翌朝に稚内駅を発って旭川駅を目指すことになる。

個人的に思う。観光列車、イベント列車ということでもなく、「隔日運行の稚内・旭川間の急行」というのを普段から運行すると、意外に便利なような気がしないでもない。

稚内は辿り着いた後、またここを起点に何処かへ出発するという感じの場所だと思う。この臨時急行のような列車がこれからも登場することを願っている…

第一副港辺りの眺め…:稚内港(2023.05.27)

↓稚内港の繋留濠である第一副港の辺りに到った。
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↑やや風浪が強いという感じだった…

↓船で海に出ると、存外に強めに揺れそうな様子だと、水面を眺めながら思った。
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↓上空の海鳥は、少し強風に流されるかのような感で飛んでいた…
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↓風が水面を渡るような漣も見受けられる。タグボートの向こう側で、何やら多くの海鳥が活発に動いていた。
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↓こういう何気ない眺めが、当地を離れるようなことにでもなった場合に、妙に懐かしく感じられるのではないかと想像する。
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「カメラを提げてその辺を歩く」というようなことが、存外に愉しい…

朝に…(2027.05.27)

↓15℃程度の気温が珍しくない感じにはなっている。他方、風が強く、その風は未だ少し冷たい…
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↓少し風が強い他方で気温がそこそこに上り、「何を着て出ようか?」と少し考える場合が増えたような感じだ。
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↓晴れているような、雲が多いようなという様子だ。多分、強風で雲がダイナミックに流れているのであろう。
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或いは、この時季の当地というのは、こんな感じなのかもしれない。

稚内港北防波堤ドーム…(2023.05.27)

深く眠ったような気がして、眼が醒めて、時計を見れば午前3時を少し過ぎたというような辺りだった。

↓ふらりと戸外に出てみた。午前3時台前半、稚内港北防波堤ドームは未だ消灯とはなっていなかった。
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↓この角度は画になると何時も思う…
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↓屋蓋の下の様子を眺めた。
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↓海側へ廻り込んでみた。風がやや強かった…
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淡い霧雨のようなモノも交る曇天の早朝だった。極々短い間、辺りに佇み、直ぐに引揚げた。

多少、温かいような感じになっても「続かない…」というのが「時季らしい」という感じなのであろうか。何か「強風で変わり易い天候」という感じになって行っていた日だ。

朝の道草…(2023.05.26)

↓「何時もの場所に、何時ものように…」という様子を観るのは悪くない。
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↓“彼”は何時もこういう様子で、好天の朝も、雨でも雪でもこの場所に在り続けている。
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↓そして道草である…
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↓朝の時間帯に供されるセットを御願いするが、「サイドはサラダ」というのが、最近は酷く気に入っている。
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↓その「サイドはサラダ」を頂く。
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↓そして「メイン」へ…ソーセージエッグマフィンは凄く気に入っている。
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こういう「ブレックファスト」で、珈琲を啜りながら、読み始めた面白い小説を読みながら寛いだ。そういう朝に時間帯の過ごし方が、何やら凄く好い。

朝に…(2023.05.26)

↓多少、気温が上がった。前日の強風が弱まっていた。
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↓朝には身体に当たって判る程度の風がやや冷たいとは思ったが、「少し温かく?」という様相だった。
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こういう様子で、日中には上着を引っ掛けずに辺りを少しばかり歩くことに抵抗感も薄くなったのだが…そういう様子が「続かない…」という感じだ。

稚内港北防波堤ドーム…(2023.05.25)

強風の日というのは、強風に由来する種々の妙な音というようなモノが生じ、屋内に在ってもそういう音の一部が聞える場合が在る。

早朝、拙宅の居室ではその「強風に由来する種々の妙な音」に気付いたのだが、その少し後に窓の外の明るさに気付いた。強風でややキツいので、秋が深まったような頃に持ち出す上着を引っ掛け、戸外に出てみた。

↓毎度のように「極々短い散策」と称して足を運ぶ辺りに佇んだ。
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↓「風が海面を渡る」という程度に表現してみるのだが、風が吹き込んで海面に漣が起こる様子が見受けられる。
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↓X100Fに搭載の23㎜レンズでは、稚内港北防波堤ドームの屋蓋と一緒に横位置では写し悪いような辺りから朝陽が覗く。「風が海面を渡る」と表現したい漣が見受けられる状態は途切れずに続いた。
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↓雲は殆ど無く、霧も見受けられない早朝だ。
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↓鳥が滑空する速度が速い?強風で押し流されているような感じにも見えた。
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↓稚内港北防波堤ドームの屋蓋と朝陽とを横位置の画で何とか収めてみた。ややバランスが悪い…
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↑夏季には朝陽の通り道はこういう具合で、画で言えば左にズレる。秋季や冬季はもっと右寄りだ…

強風がキツく、然程長くは留まらずに引揚げた。「一寸…」という感じで、こんな様子を眺めに出易い辺りに在るというのは幸いなことだ。

夕べに…(2023.05.25)

↓午後7時が近くなった頃の感じだ。画の御店で夜に点けている、看板が目立つようにする灯りは点いているのだが、何か「夜らしい」という風でもない。
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↑画の御店の真前に背が高い建物が在って、夕方頃にはその建物の影の関係で日陰にはなるのだが、午後7時近くに至っても「日中の時間帯の日陰」という明るさだと思う。スッカリと日が長くなっている昨今だ。

↓しめ鯖を頂く…脂が乗った鯖が好い…
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↓鳥皮…
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↓ホルモン…
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↓豚肉…
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という具合に、しめ鯖の後に各種串焼きを愉しんだ。

5月下旬に至り、各宿泊施設が混み合い始めているように見受けられ、夕刻はそうした宿泊施設を利用しているらしい、旅行中と見受けられる人達を見掛ける機会が増えた。そして見慣れない地域名のナンバープレートを着けた車輌が停まっている様子も見掛けるようになった。

↓何となく枝豆を摘まむ…
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こういう寛いだ夕べは好いものだ…

稚内の八重桜…(2023.05.24)

↓辺りの建物の壁に囲われるような辺りに木が在る。木の傍へ行く。八重桜である。
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↓建物の間に密かに佇むような感でもあるのだが、或いは強風の直撃を受け悪い場所で、木が好い感じに育っているのかもしれない。
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↑木の背後の建物が在り、その建物の前に通が在って、通の反対側に背が高いビルが建っている。ビルの屋上に在る看板が覗いている。

↓周辺を行き交う人達の中、少数の人達がこの八重桜に近付いて眺めているのだと思う。
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ひっそりと花が咲き、何時の間にか散って行く。そういう花に偶々出くわすというのが、何やら嬉しい…

<ガリンコ号III>:ドライドック…(2023.05.24)

稚内港の繋留濠である第一副港に沿って歩き、繋留濠の最奥部辺りに到ると、対岸のドライドックが視える。入渠している船の姿が覗いている場合も多い。

↓少し大きく廻り込まなければならないのだが、姿が覗いたドライドックに入渠中の船が変わっている感じであったので、敢えて近くに足を運んでみた。
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↑手前に1隻、奥に1隻という感じで船が2隻入渠し、作業が進められているようだ。

↓奥の船は<ガリンコ号III>だ。
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以前にも稚内港に入っていたことが在ったことを思い出した。

<ガリンコ号III>は紋別港から稚内港へ廻航したようだ。紋別・稚内間は、地上の道路では210㎞程度と言われる。海上を船が航行する場合の移動距離も大同小異と見受けられる。

紋別港で流氷の時季を中心に活躍する船であるが、初代の<ガリンコ号>が39トン、2代目の<ガリンコ号II>が150トンであったのに対し、<ガリンコ号III>は366トンと大型化している。そういう様子なので、メンテナンスに関しては、設備が整った稚内港が仕事を進め易いということになり、廻航したようだ。

↓稚内港で確りと御預りして、紋別港に送り返すことになる訳だ。
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時にはこういう、少し変わった船を眺めるのも面白い。

第一副港辺りの眺め…:稚内港(2023.05.24)

温かいという程のことではないが、陽射しの感じが好いと思いながら辺りを歩き廻る。温かく心地好いということにもならないが、歩くことがキツい程に寒い、逆に暑いというのでもない。或いは、時間を設けて少しばかり歩き廻るには好適なのかもしれない。

↓そういう程度に思いながら歩を進め、稚内港の繋留濠である第一副港の辺りに到った。様子を観て、歩を停めた。そして見入った。
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↑水面が鏡面の様相を呈し、天や繋留中の船や沿岸の構造物が、悉く水面に映り込んでいるような様子だ。少し驚いた。

↓繋留中の底曳船を見ると、「喫水線迄の船を鏡の上に置いた」というようにも見える。面白い。
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↓対岸の市場や水産加工場、辺りに停まるトラック、市場の建物から出ている何かの煙のようなモノに至る迄、全てを「鏡の上に置いた」というようにも見える。
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↓辺りは幾重もの防波堤の奥ということになる辺りで浪は弱い。それでも、水が揺らぐことなく、風が水面を渡る漣が起こらず、こんなにもハッキリと鏡面の様相を呈するというのは、少し珍しいかもしれない。
24-05-2023 X100F (15)

↓タグボートが視える辺りに歩を進める。繋留しているタグボートなども、鏡面のような水面にその姿が映り込んでいる。
24-05-2023 X100F (19)

↓歩いて来た側を振り返る。少し離れている建物の形も水面に映り込んでいる。
24-05-2023 X100F (20)

好天の中でこういうような様子を眺めるのは面白い。そして天候等の変化が在るので「同じ!」という様子が視られるというのでもない。そこが興味深い。

朝に…(2023.05.24)

↓好天で陽射しは感じが好いのだが、気温は直ぐには上昇しない…
24-05-2023 X100F (7)

↓風が身体に当たるのが判る程度になると、その風は未だ多少冷たい。
24-05-2023 X100F (8)

↓稚内駅のビルの背後に視える天がスッキリと爽快な感じだ。雲が殆ど無い…
24-05-2023 X100F (9)

遅々として季節が進まないようでいながら、光の感じが随分と変わっているということを感じながら、何時も通るこの辺りに佇んだ…

波止場横丁の夕べ…(2023.05.22)

休業日の午後には、サウナを利用するというのが好い。ということで利用して、素早く引揚げようとしたのだが、休憩室で座っていて居眠りに陥った。何となく午後4時近くになってしまった…

↓そういう時は道草をしてしまう。
22-05-2023 X100F (5)

↓暖簾が既に出ていた…
22-05-2023 X100F (6)

↓例によってハイボールを頂く。
22-05-2023 X100F (7)

↓御通しのホタテが凄く好かった…
22-05-2023 X100F (10)

↓御通しを頂いていた間に焼き上がった手羽先を愉しむ…
22-05-2023 X100F (13)

↓鉄板で豪快に焼き物を…
22-05-2023 X100F (16)

↓なかなかのヴォリュームのイカ焼きが出来上がった。
22-05-2023 X100F (18)

多少の肌寒さも否めない日だった。が、ゆったりと寛ぎ、気分が温まるような過ごし方も好い。

X-Pro2にXF10-24㎜F4を装着…(2023.05.14)

↓小樽駅に近い辺りで、カメラのレンズを交換した時に撮った画だ。X-Pro2の姿をX100Fで撮った。
14-05-2023 X100F (2)
↑左端の大き目なポーチにXF10-24㎜F4を容れて持ち歩いていた。X-Pro2にはXF16㎜F2.8を装着した状態であったが、換えたのだ。XF16㎜F2.8はポーチに容れて持ち歩いた。

X100Fが凄く気に入り、「少し違う画角の画…」という想いで、レンズ交換が可能なX-Pro2を入手したという経過だった。「少し違う画角の画…」という想いは在るが、それほど多彩なレンズを所持して使っているのでもない。が、それはそれとしてカメラやレンズは何れも愉しく使っている。

この画に写っているXF10-24㎜F4やXF16㎜F2.8は相対的に出番が多いかもしれないと思っている。X100Fに搭載の23㎜レンズも、XF16㎜F2.8レンズも、その画角はXF10-24㎜F4の範囲と被ってしまう。が、それで構わないと思っている。

XF10-24㎜F4については「X100Fと殆ど同じ画角で持っていて、撮る場面で広い範囲が視えるようにズーム」という使い方をすることが最近は増えた。以前は10㎜側で持って、24㎜側にズームしていた。結局、X100Fの画角に慣れて、それを基準に「もう少し広い範囲…」と考える場合が増えたのであろう。何時の間にか思考の傾向が替り、やることが「逆転」したのであろう。

XF16㎜F2.8については「やや広い画角」と最初から決まっていて変わらないので、少し広い範囲の画を量産するだけである。そしてXF10-24㎜F4より軽快であるのが好い。

広角系のレンズに関しては、「観た景色」という感じの画に好適であると思う。「広角系」の範囲ではあるかもしれないが、X100Fに搭載の23㎜レンズになると「眼前の様々な大きさのモノ」を「概ね何でも…」という具合に撮れるような気がする。そしてX100Fは、単焦点レンズを装着したX-Pro2より「更に軽快」であるのが酷く気に入っている。

大概、出先ではカメラ1台と交換レンズのポーチ等を入れたバッグを肩に掛け、電源を“ON”にすれば直ぐに使える状態のカメラ1台を提げて辺りを歩き廻るような感じだと思う。バッグに入るレンズは、XF10-24㎜F4が最も大きいモノで、他は小ぶりな単焦点レンズばかりだ。バッグは「カメラ機材を容れています」という雰囲気でもない、「その辺で用事を足す時の何気ない持物」という雰囲気だ。場合によって、「2号機」を敢えて持ち歩かない感じにする場合も在るが。

今般、小樽でもここで言及した機材である「X-Pro2にXF10-24㎜F4を装着」が活躍した。これからも使い続けると思う…

稚内港北防波堤ドーム…(2023.05.24)

深く眠ったというように感じながら眼を開ければ、未だ3時半頃だった。起き出して戸外の様子を伺えば凄く明るい。そして空気がひんやりとしていた。

↓少し温かめな上着を引っ掛け、「極々短い散策」と称して戸外へ出てみた。
24-05-2023 early morning X-Pro2 (2)

↓未だ午前4時にもなっていないが酷く明るい。若干の海藻が散る滑らかな海面に天の光が跳ね返っている。
24-05-2023 early morning X-Pro2 (4)

↓朝陽の一部が視え始めた。天に雲が視えない他方、遠くの海上に集めな霧が掛かっている様子が視える。
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↓朝陽が高度を上げ、光が解き放たれ始めた。
24-05-2023 early morning X-Pro2 (8)

↓朝陽が輝きを増し、海鳥も動きが活発になっているように見えた。
24-05-2023 early morning X-Pro2 (10)

夏季には、朝陽の通り道が上記の画で言えば左に大きく寄る。そういうことになると、X100Fに搭載の23㎜レンズでは朝陽の姿が画に入り悪い場合が多くなる。そこでX-Pro2に画角が広いXF16㎜F2.8レンズを装着したモノを使う。結局、所謂「広角系」のレンズを多用しているかもしれない。

如何いうレンズであろうと、馴染んだカメラを提げてその辺に出て、写真を撮りながら景色を眺めるのは悪くない…

夕べに…(2023.05.23)

夕刻に拙宅へ引揚げ、居室で少しばかり寛いで居れば「何か摘まみたい…」ということにもなる。

拙宅の御近所に関しては、馴染んだ立寄る場所が幾分在るので、特段に深く考えずに戸外へ出て、何れかの御店にふらりと立ち寄ってみるというだけのことである。

↓そんな行動様式で、立寄った御店で手羽先揚げを摘まんだ。
23-05-2023 X100F (23)

↓そして余り大きくなく、程好い感じなピザも所望した。
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↓少し離れていても眼に留まる、この灯りが点いていれば、ここは有力な「立寄るべき場所」の候補になる…
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こういう具合に過ごす夕べの一時というようなモノが非常に好ましい…

朝の道草…(2023.05.23)

朝から一頻り歩くが、拙宅の居室を発つ場面で何かを食べているのでもない。所謂“朝食”ということで、何処かで道草をしてみたくなる場合も在る。

↓こういうような按配のモノを頂いてみるのが存外に愉しい。
23-05-2023 X100F (16)

↓カップに入ったサラダを摘まむ…
23-05-2023 X100F (20)

↓そしてメガマフィン…
23-05-2023 X100F (17)

↓ソーセージ2枚、目玉焼き、ベーコンというようなメガマフィンは相対的に新しいメニューであるように思うのだが、なかなかに気に入っている。
23-05-2023 X100F (18)

サラダやメガマフィンの後には珈琲を頂いて寛ぐ。朝は慌ただしいというのでもなく、こういうモノを頂いてゆったりとする程度が好みだ…

川辺の木…(2023.05.23)

↓過去にも、少し気になって、間隔を開けて眺め、写真に収めていた木であるが、今季は何となく眼を向ける機会が増えた。
23-05-2023 X100F (13)
↑背後の天の感じ、光の加減で凄く美しいと思った…

↓辺りの一寸美しい感じに気付き、足を停めてカメラを向けてみるという程度の、気持ちのゆとりは忘れないようにしたい感だ…
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第一副港辺りの眺め…:稚内港(2023.05.23)

陽射しの他方、多少の肌寒さが在ることに不満を禁じ得ないような気はしながら、好天の中で歩き廻ること自体は悪くないと、辺りを少しばかり歩いた。

↓蒼天に適度な白雲という様子…そういう天の様が滑らかな水面に映り込んでいる。
23-05-2023 X100F (4)
↑稚内港の繋留濠である第一副港の辺りだ。

↓繋留濠に沿ってゆっくりと歩を進めた。
23-05-2023 X100F (5)

↓繋留濠の奥部に繋留していることが多い作業台船が、現場に向けて廻航しようとしているようだった。
23-05-2023 X100F (6)

↓自航することも可能になっているようだ。が、速度は出ないようで、ゆったりと作業台船が進み、滑らかな水面が大きめに畝っている。
23-05-2023 X100F (7)

↓作業台船が静かに去った後の感じだ。滑らかな水面が未だ揺らいでいるような感じだった。
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↓このタグボートの感じも、何か好い…
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↓雲と光と水面と、繋留中の船等が紡ぎ出す光景が、何やら好い感じだ。
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↓何となく振り返って眼に留まった、使われなくなって少し長いと見受けられる建物も独特な雰囲気を醸し出している。
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時に出くわすこういう感じが凄く愉しい…

朝に…(2023.05.23)

↓陽射しが少しばかり眩しいと同時に空気は冷たく感じるという様子の朝になった。気温は10℃を切った…
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↓冷たく感じる空気という中での心地好さを優先して、やや厚い上着を引っ掛けて戸外に出た。が、やがて陽射しの故に些かの暑さを感じる場合も生じる。「何を着て出る?」というようなことに悩んでしまうというような按配だ。
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↓空気が冷たいか温かいかを問わず、「蒼い天に白い雲」というような様子は凄く美しいと、足を停めて天を見上げていた。
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こういう画をさり気なく撮るというような「ほんの少しばかりのゆとり」というようなモノが酷く嬉しい場合が多く在る。

見上げた…:大通駅(2023.05.15)

地下鉄が通っているような大きな街では、地下鉄駅、地下鉄駅の通路、大きな鉄道駅の地下、大きなビルを地下で結ぶ通路、テナント等を容れた商業施設的な場所等、何と呼ぶのが精確なのかよく判らない雑多な「地下の空間」が拡がっている。

最近立寄っている幾つかの大きな街に関して、その雑多な「地下の空間」が拡がっているという様子を思い浮かべる。札幌も、そんな雑多な「地下の空間」が拡がっているという様子が見受けられる街の一つであると思う。

新さっぽろ駅周辺で所用を足した後、札幌駅から旭川駅へ移動を始める前に昼食を愉しむ意図で、地下鉄を利用して大通駅へ移動した。

↓大通駅の辺りは雑多な「地下の空間」が拡がっているという様子が見受けられる。昼食を摂りに立寄りたいエリアに近そうな辺りで地上に出ようとして、少し面白い様子を眼に留めた。
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↑地上の光が、照明による人工の灯りに交っているような気がしたのだが、光が入るような形になっていた。そして地上への階段も設置されていた。

↓地上に上ってみると、硝子張りを大胆に採り入れた形で出入口を造っていた。
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何時頃からか、大通駅辺りでは地下と地上とを結ぶ出入口の辺りで、硝子張りを採り入れるような凝った造形をするようになった。少し面白いと思う。