小樽に祝津(しゅくづ)という地区が在る。海辺だ。祝津は鰊漁の故に、相対的に早くから拓け、そして大変に栄えていた経過が在る地区である。小樽駅前から祝津へのバスは、本数が酷く多くもないのかもしれないが、「ハッキリ言って使えない…」というように少な過ぎるのでもない。程好いかもしれない。訪ねて面白い筈と考え、祝津へ足を運んだ。
↓好天に恵まれ、次第に気温が上がっていた中、こういう鳥居を眼に留めた。

↑小さな山、或いは丘陵というような感じの小高い場所が連なるように在って、細目に海岸部の平地が在るという地形だ。その海岸部から高い場所へ上るようになっている。
↓少し急な坂道が連なる中を上ると古い神社が在る。

↓何やら趣が在るのだが、この奥に覆屋が在って、そこに据えられている本殿が1863年の建築と言われている。小樽市内に現存する最も古い木造建築と見受けられるというのだ。

↓神社は1774年に創建と伝わるそうだが、その創建の頃から在ると見受けられる木が在った。

江戸時代には鰊漁が始まり、関係者が往来、または住むようになったという祝津である。神社もそういう中で起こったのであろう。そして神社は地元で受継がれた訳だ。
↓他にもなかなかに大きな木が在った。

↓振り返ると鳥居越しに海が見えた。

↓石の鳥居の柱に「紀元二千六百年」と刻まれている。“皇紀”である…

↓反対側の柱に「昭和十五年」と刻まれている。“皇紀”の「紀元二千六百年」は1940(昭和15)年だ。

祝津の鰊漁は明治期以降も隆盛だったというが、昭和30年代初め頃(1950年代半ば頃)迄に鰊が獲れない情況になって衰退したという。1940(昭和15)年は未だ鰊漁が隆盛で、地元の社会でこの恵比須神社が大きな存在感を持っていたと推察する。そこでこういう「紀元二千六百年」を記念する鳥居が奉納されたのであろう。
少し急な坂道を上り下りして、静かな古い社を訪ねてみたが、何か地域の盛衰の経過を想い起させた。興味深い。