<旧北海製罐倉庫株式会社>(第3倉庫)…(2023.05.14)

↓何度も眺めている建物だが、何気なく見入ってしまう。不思議な迫力が在る建物だと何時も思う。
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2023年3月2021年8月2020年7月と立寄っているが、寄る都度に眺めたくなる場所だ。今般は雪が残っていた2023年3月よりも圧倒的に歩き易く、好天であったので、正直なところ少し歩き過ぎで消耗気味でありながらも、心地好く歩き廻っていた。

↓缶詰に使う缶を製造販売する会社の施設であった建物だ。画の建物は<第3倉庫>と呼ばれるそうだが、大正時代後期から昭和の初めに整備されたという4棟が「小樽市指定歴史的建造物」に指定されているのだという。
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↓何か「小樽の産業史」を伝える貴重な建物であると思う。
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小樽に関しても、少しずつ「眼に馴染んだ」、「気に入った」という眺めが増えているのかもしれない。そういう「付き合い方」が、他所の土地を訪ねる場合には愉しいのかもしれない。

日和山灯台…:小樽 祝津(2023.05.14)

↓岬の小高い崖の上に灯台が在る…
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↓小さな山のような地形の場所をゆっくり上るとこの灯台に近付くことが出来る。
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↓旧い書体で看板が据えられている。「日和山灯台」(ひよりやまとうだい)という。
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↓1883(明治16)年に、ここに灯台が設置された。小樽の海域の大切な灯台である訳だ。現在のコンクリート造の灯台になったのは1953(昭和28)年で、1986(昭和61)年に改修されているのだという。
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↓この種のモノは近くで観ると凄く存在感が在る。
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↓凄く爽やかな眺めである。
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↓眺望が素晴らしい…
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何やら「北国の初夏」というようなことも思うような、好天で少しだけ気温も上昇するような中で、寒風が強いのでもないという様子だった。気分は「一寸したハイキング」という感じだったかもしれない。今般は天候に恵まれ、小樽の風情を満喫出来たような気がする。そういうことに感謝したい…

<小樽あんかけ焼きそば>…(2023.05.13)

札幌での所用に先駆け、小樽に辿り着いて滞在するという段取りにした。早朝に稚内を発ち旭川に到り「臨時急行」というモノを見送り気に入っている車輛による列車に乗り、札幌に到って一息入れてから小樽へ移動したのだった。

やや強い安堵感の中、宿にモノを置いて辺りを少しだけ動き回り、やや早い夕食を愉しもうとした。

↓<小樽あんかけ焼きそば>というモノを頂いた。
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その起こりには諸説在るようだが、小樽では昭和の時代からこの「あんかけ焼きそば」の人気が高いのだという。方々の御店の人気メニューなので、「小樽の地元の人達の間で好評を博している」ということで、何時の頃からか<小樽あんかけ焼きそば>と称しているようだ。

↓小樽運河の眼の前に在る「出抜小路」(でぬきこうじ)という飲食店街に在る御店で、この「あんかけ焼きそば」を前面に押し出していた。
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↓何か凄く惹かれて、思わず立寄った…
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↓魚介類や肉やウズラ玉子等、様々なモノが入った「あんかけ焼きそば」である。この種のモノはかなり好きで、非常に愉しく頂いた。
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こういうような「“普段着”の一皿」に何となく巡り合うのが好い…

八重桜…:小樽運河周辺(2023.05.14)

早朝の小樽を散策した。

↓小樽運河に近い辺りで眼に留めた。
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↑咲き誇る八重桜が「ハート形」を形成しているようにも見える。面白い。

八重桜は他の桜よりも花の時期が少し遅いようだ。今般、随所に八重桜が咲いている様子が見受けられた。小樽運河周辺にも幾分植えられているようだった。

↓出先で花が咲いている様子に出くわすと「地元に歓迎して頂いている…」という程度の、少し嬉しい気分になるものだ。
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↓「八重桜」の名に違わず、花弁が幾重にも折重なっているような花だ。
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今般の小樽に立寄ったということに関しては、「八重桜が美しい時季だった」というように記憶することになるように思う。

恵比須神社…:小樽 祝津(2023.05.14)

小樽に祝津(しゅくづ)という地区が在る。海辺だ。祝津は鰊漁の故に、相対的に早くから拓け、そして大変に栄えていた経過が在る地区である。小樽駅前から祝津へのバスは、本数が酷く多くもないのかもしれないが、「ハッキリ言って使えない…」というように少な過ぎるのでもない。程好いかもしれない。訪ねて面白い筈と考え、祝津へ足を運んだ。

↓好天に恵まれ、次第に気温が上がっていた中、こういう鳥居を眼に留めた。
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↑小さな山、或いは丘陵というような感じの小高い場所が連なるように在って、細目に海岸部の平地が在るという地形だ。その海岸部から高い場所へ上るようになっている。

↓少し急な坂道が連なる中を上ると古い神社が在る。
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↓何やら趣が在るのだが、この奥に覆屋が在って、そこに据えられている本殿が1863年の建築と言われている。小樽市内に現存する最も古い木造建築と見受けられるというのだ。
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↓神社は1774年に創建と伝わるそうだが、その創建の頃から在ると見受けられる木が在った。
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江戸時代には鰊漁が始まり、関係者が往来、または住むようになったという祝津である。神社もそういう中で起こったのであろう。そして神社は地元で受継がれた訳だ。

↓他にもなかなかに大きな木が在った。
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↓振り返ると鳥居越しに海が見えた。
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↓石の鳥居の柱に「紀元二千六百年」と刻まれている。“皇紀”である…
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↓反対側の柱に「昭和十五年」と刻まれている。“皇紀”の「紀元二千六百年」は1940(昭和15)年だ。
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祝津の鰊漁は明治期以降も隆盛だったというが、昭和30年代初め頃(1950年代半ば頃)迄に鰊が獲れない情況になって衰退したという。1940(昭和15)年は未だ鰊漁が隆盛で、地元の社会でこの恵比須神社が大きな存在感を持っていたと推察する。そこでこういう「紀元二千六百年」を記念する鳥居が奉納されたのであろう。

少し急な坂道を上り下りして、静かな古い社を訪ねてみたが、何か地域の盛衰の経過を想い起させた。興味深い。

夕刻の小樽駅…(2023.05.14)

夕食を愉しんだ後、戸外に出た。

↓こういう様子を眼に留めた。
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↑午後7時台の様子だ。「灯りが多少目立ち始める」という感じになるのが午後7時台になっている昨今だ。中は何度も改装しているが、1934年の竣工―「北海道内初となる鉄骨鉄筋コンクリート造(RC造)の駅舎」ということだ…―以来、外観を変えていないという駅舎が、仄かに灯りに浮かび上がるように見えるのが美しいと思った。

↓好天に恵まれた日曜日が静かに暮れて行くという風情だ。
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時間を設けて精力的に歩き廻り、少し好い時間を過ごすことが叶った…