チューリップ:大黒3丁目停留所の辺り…(2023.05.18)

「数分歩いてバス停へ」という程度のことが、積雪期には「小さな探検…」という気分になる場合、「数分の筈が、雪を漕いで10分を要した…」という場合も在る。そういう様子が“過去形”になって久しいような気がする。

夕刻にバス停へ足を運んだ。辺りに小さな緑地のような場所が設けられている。

↓「チューリップ!」と注目した。花が遅い当地でも、こういう花壇の花が観られる時季が漸く訪れた。
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と、少し和み、同時に気持ちが少し弾んだのだが、何やら「言い知れぬ違和感」が沸き起こる。

↓チューリップが…金網で囲われている…
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チューリップが「何故か囚われている??」と「言い知れぬ違和感」を覚えて、少し悲しい気分にもなったが…直ぐに気付いた。これは「エゾシカ対策」だ…

街中にエゾシカが現れて、彼らの領域内に在るかのように徘徊し、その辺の植物を所構わずに食んでいる。「花壇の花」のようなモノは彼らの“的”に掛けられてしまう。エゾシカは鑑賞用の花壇の花を食むことを避ける訳でも、区別出来るのでもないのだ。

エゾシカの故に花壇のようなモノを設えることを諦めるということも在るらしいが、それでも花壇を設えるとなれば、この大黒3丁目停留所の辺りの緑地に見受けられるように、金網等で囲うことになる。少し不思議な様子には“理由”が在る訳だ。

その“事情”は在ったとしても、時には近くで花を愛でて和みたいものだ…

第一副港辺りの眺め…:稚内港(2023.05.18)

20℃程度の気温であったものが、次の朝には13℃程度の気温となってしまった。特段に「異状」ということでもないのだとは思う。が、それでも「俄かに変に寒くなった…」という気がする情況ではある。

↓朝、稚内港の繋留濠である第一副港の辺りを歩いた。
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↑船や建物に留まらず、辺りを飛び回る海鳥の姿迄もが映り込む、滑らかな海水面が見受けられ、歩を緩め、または歩を停めて様子を見入ってしまった。

↓海鳥にとっては、繋留されている船もまた、沿岸の岩礁か何かのような「地形」という程度に認識されるのだろうか?船の辺りで翼を休める鳥は盛んに見掛ける。そして船の周りで海鳥が飛び回る。
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↓船の上に概ね等間隔で海鳥が陣取っている様が面白い。そこに“空席”でも探そうとするかのように1羽が飛んで来て様子を伺っていた。
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↓そんな海鳥の動きも観ながら歩を進め、繋留濠の最奥部近くに到った。
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↓曇天で雨が交りそうな気配ながら、非常に滑らかな海面が独特な雰囲気を醸し出していた。
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同じ場所でも日々様子が異なる。それ故に、何となくカメラを提げて歩き廻ることを止められない…「健康上の課題」の故に「少し歩く位が好いかもしれない」という話しも在るかもしれないが…

<納得のいくウニ丼>…(2023.05.18)

誰でも、住んで居る地域で普通に頂く機会が多いようなモノが「美味い」と思っているのだと思う。地域の名物であるとか、名店の味であるという必然性は無いと思う。その辺の店で売っている、極々平凡なモノであっても構わない筈だ、そういうようには思うが、それでも土地の産物の旬というようなことで、その佳いモノが在ると聞けば「時には…」と愉しんでみる場合が在るかもしれない。

「北海道」ということになると、他地域に知られる様々なモノが在る。主に食材だが、考えてみれば、それらを然程頻繁に頂くのでもない。結局、大都市圏等に各地の最良のモノは送り出される。故に各地で知られる様々なモノは概して高価である。それは同時に、各産地でも安価とは言い悪いということと同義でもある。

「北海道」ということでは、蟹や雲丹というイメージが非常に強いかもしれない。山の中のような、海産物とは縁遠いような場所で蟹の料理を供する旨を訴える幟を立てている例を何度も観たような記憶も在る程度だ。山の中のような場所で立寄って食事が摂れるのであれば、食事を摂ることが出来る旨が判れば好い筈で、蟹が供されているか否かは如何でも構わないような気もするのだが。

蟹や雲丹のような「北海道」というイメージと大きく重なっているらしいモノは、年中頂き易いというのでもない。旬が在る。実は最近、その雲丹の旬が巡って来ている。冬季に出回り悪かったモノが市場に現れ易くなっている。そして方々で供され始めている。

ハッキリ言って雲丹は安価でもない。雲丹を頂く機会が在ると思う。「人類で初めて雲丹を食べた人は、何を想ってあの“棘が在る丸っこいモノ”を掴んで、それを割って中の身を口にしたのか?」というようなことだ。或いは、海岸に打ち上げられた雲丹を海鳥が嘴で突いている様でも観て「あの妙な丸っこいモノの中身に、食べられる何かが?」とでも気付いたのか?そんな「だから?」というようなことを時々思うが、雲丹に限らず、「人類で初めて食べた人は?」と首を傾げてみたくもなる食材は色々と在るような気もする。

雲丹というのは、昆布の周辺に在って、昆布を齧って育つという生物だ。この近海の雲丹は、良質な利尻昆布を齧っている。何処の地域にも負けない程度に良質な餌を食み、好い感じに育っているという訳である。それを採集する訳だが、採集した後に殻を剥いて身を集めるのに手間が要る。それだけで安価にはならない理由となってしまう。その雲丹も、海産物全般に言えるが、出回る量等の諸条件で市況が形成される。今季は「やや高価」と聞いた。

御近所に<納得のいくウニ丼>を謳い、毎年の旬、夏季になると供している御店が在る。

「納得のいく」とは些か不思議に聞こえるかもしれない。「納得のいく」というのは「良質で間違いなく美味いモノ」という雲丹が用意出来たので、それを使用したウニ丼を供するという意味で付けた呼称であるようだ。言葉を換えると「雲丹を召し上がりたい?今日は佳いモノが入手したので、御薦め出来る」ということでもあると思う。

実は昨夕、その御店に立寄ってみれば、その<納得のいくウニ丼>が在った。御店に入った時には別なモノを頂くことを思い描いていた。が、誘惑に完全に屈した。

↓こういうモノの誘惑に抗ってみようとするのは「無駄な抵抗」の極みである…
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↓ムラサキウニだ…
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↓合掌して「頂きます!!」と唱和して頂いた…
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↓因みに添えられた「ホタテ稚貝の味噌汁」というのも、稚内ではポピュラーで美味いモノである。
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夕刻に持っていた小遣い銭を使い果たしたが、コンビニATMは7時から稼働だ。大きな問題は無い…更に、美味いものはプライスレスなのだ!

朝に…(2023.05.18)

前日迄とは少し空気感が違うような気がしながら、朝に戸外へ出た。

↓何か「足早に階段を数段下りる…」というような程度に「カタン…」と気温が下がったような感だ。前日の20℃に対して15℃を切った様子だ…
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↓或いは、前日の20℃の方が異例であったのかもしれない…こういうような程度に、上る傾向と思われた気温が不意に下がると、「何を着て戸外へ?」と戸惑わざるを得ない。
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人が少しばかり戸惑おうと、そういうことは一顧だにせず、天候は変わり、それらが折り重なって季節は移ろう。それにしても「暫く使わない?」と思った上着をその辺に置いていて、さり気なく「“使わない”を撤回…」である様子だ。

一等客車「い一号」:小樽市総合博物館(2023.05.14)

↓蒸気機関車の<しづか>の隣りに客車が鎮座している。
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↑<一等客車「い一号」>というそうだ。1892(明治25)年に現在の小樽市総合博物館の辺りに在った「北海道炭礦鉄道 手宮工場」で造られた客車であるのだという。台車は米国からの輸入品で客室部分を手宮工場で造ったそうだ。

↓少し入って中の様子を伺うことも出来る。
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「い一号」の“い”であるが…古く客車は“一等車”、“二等車”、“三等車”に分類され、“一等車”の車輌には“イ”、“二等車”の車輌には“ロ”、“三等車”の車輌には“ハ”の記号が充てられた。これは永く受継がれていて、例えば「キハ54」の「ハ」は三等車の流れを汲む普通客車なので使用されている記号であり、二等車の流れを汲むグリーン席客車では「ロ」の記号が使われている。そんなことを思い出していた。

↓進入可の辺り迄入り込んで中の様子を観た。
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↑細長く、両側が窓なので鉄道車輛という雰囲気は色濃いが、なかなか好い内装だ。ストーブが据えられたサロンのような雰囲気である。自身ではそういう仕様の車輌に乗車した記憶は余り無いが、北海道では古くは客車内にストーブという例は色々と在ったようだ。それはそれとして、ストーブもやや細工が細かいのが面白い。

この客車は「貴賓車」として扱われ、来訪した韓国皇太子が乗車したというような経過も在ったそうだ。やがて札幌の定山渓鉄道に払い下げられて利用され、使用されなくなって時間が経ち、1963(昭和38)年に国鉄に寄付された。そして小樽市総合博物館の前身の一つになっている国鉄の「北海道鉄道記念館」に保存・展示されて現在に至っているそうだ。

こういう古い時代の車輌を眺めるのも少し面白い。様々な様子を想像してしまう…

米国製蒸気機関車=7100形蒸気機関車の製造銘板:小樽市総合博物館(2023.05.14)

↓こんなモノが展示されていた。
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↑1880年製造の1号機が<義經>(義経)、2号機が<辯慶>(弁慶)、1882年製造の3号機が<比羅夫>、4号機が<光圀>、1884年製造の5号機が<信廣>、1885年製造の6号機が<しづか>と愛称が与えられているのだが、それらの機関車に着いていた製造銘板のレプリカだ。

↓直ぐ傍に展示されている<しづか>だが、左側の筒状になっている場所に銘板が着いているのが判る。各機にもこういう要領で銘板が着いていたのだ。
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↓1号機の<義經>(義経)の銘板。<義經>(義経)は京都の博物館に在る。
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↓2号機の<辯慶>(弁慶)の銘板。<辯慶>(弁慶)は大宮の博物館に在る。
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↓3号機が<比羅夫>の銘板。
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↓4号機の<光圀>の銘板。
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↓5号機の<信廣>の銘板。
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↓上記の着いている例を示した6号機の<しづか>の銘板。
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北海道にやって来た機関車の製造記録や残っている実物の銘板を細かく調べて、各機の銘板を特定して再現したのであろう。何れも製造開始年次と思われる年号と、工場での通し番号と思われる数字が在る銘板だ。

明治時代の機関車には史上の人名が採られたのだが、如何いうモノであれ、乗物に愛称が冠せられるというような感じは、個人的には好きだ。

義経と弁慶の主従については、平泉の戦いの後に抜け出して遠く北海道へ渡ってというような伝説も在るようだ。そういうことで、北海道で走る機関車に命名したのか?そして暫く経って、機関車を増備する際に「別れてしまっていた静が義経を追って北海道へ…」と<しづか>と命名したのだろうか?色々とかってに想像するのだが、<しづか>の後に同形機が増備された際には、こういうような愛称は無かったそうだ。

少し興味深く拝見した展示を記憶に留めたい。

<キハ82>:小樽市総合博物館(2023.05.14)

↓左の蒸気機関車<C55 50>に対し、右の特急列車用のディーゼルカーである<キハ82>も好い。長く活躍した型の車輌だ…
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↓列車愛称をカラーのイラストマークで掲出するのが一般的になり、現在もやっているので当然化しているが、それ以前は文字で愛称を示すだけだった訳だ。表示されている列車愛称は<北海>だ。
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<北海>という列車は、函館から「山線」と通称される古くからの函館本線を経て小樽を通り、札幌に入ってから旭川を目指す特急列車として登場した。後に「山線」経由の函館・札幌間の列車ということになる。

小樽では「特急のディーゼルカー」が現れる時は専ら<北海>であった訳で、ここの展示車輌も<北海>を掲出した状態なのだと思う。小樽を通る特急列車だが、1986(昭和61)年に<北海>が廃止となっているので、以降は「臨時列車」が運行される場合のみとなっている。(小樽を通る臨時の特急に乗車の機会が在った。停車時間等の都合だったと思うが札幌駅を出る前の臨時特急の写真だ。)函館・札幌間の特急列車に関しては、海側の苫小牧や東室蘭を経由する経路の列車が専らとなって久しい。

キハ82については、四国地方以外の全国各地で運用された経過が在る。車輛の変遷等を伝える、この博物館のような場所には相応しい車輌かもしれない。JR化の後、JR東海とJR北海道がキハ82を受継いで運用を続けたそうだ。キハ82は1990年代迄に定期運用を外れ、後継車種の部品取り等も含めて解体ということになった他、イベント列車、ジョイフルトレインというような形に改造を施される例も在ったが、2009年頃迄にそれらも廃止された。

キハ82には、記憶は朧気であるが、何度かは乗車したことが在ったと思う。ここで展示中のキハ82を少しぼんやりと眺めたのだった。

<C55 50>:小樽市総合博物館(2023.05.14)

↓日本国内で「蒸気機関車」とでも言った時に想い起すような形状は、こういうような感じであろうか?C55形蒸気機関車が在る。
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↓小樽市総合博物館では、こういう具合にディーゼルカーや電気機関車と並んで置かれている。昭和40年代半ば位であれば、実際に何処かの大きな駅でこういうような感じも視られたのかもしれないと想像した。
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C55は、1935(昭和10)年から1937(昭和12)年の期間に62輌製造されたそうだ。4社で手分けして製造されたようだが、<C55 50>は<汽車製造>という会社で1937(昭和12)年に製造されたという。北海道も含めて各地で活躍した型だ。

↓形式の「C55」と機番の「50」が在るプレートの左側の斜め下に「旭」と在る。これは旭川の機関区に在ったということだ。
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<C55 50>は旭川を拠点としていて、宗谷線でも走っている。稚内にも何度も来ていた蒸気機関車だ。因みに、稚内では嘗てこのC55の49号機が在ったが、戸外展示で傷みが激しくなり、解体撤去してしまった。そういう経過が在るので、この小樽の50号機は永く大切に保存して頂きたいと思っている。改良型で、より生産数が多いC57に比べて、C55は保存されている数も少ないのだ…

2019年5月に観た経過も在ったのだが、「その時よりも少々…?」と思った面も、些か残念ながら在った。が、それはそれとして、またこれに会いに博物館を訪ねたい感だ…

<C12 6>:小樽市総合博物館(2023.05.14)

↓少し久し振りに出会ったような気がした蒸気機関車だ。この後ろ寄りから近付いた。
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↓C12形である。2019年5月に観た経過も在った。
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↑石炭や水を積載するテンダーを連結しないタンク式の機関車である。走行可能な距離は少々短くなるが、身軽に様々な路線に入り込むことが出来るという好さが在る。

1932(昭和7)年から1940(昭和15)年の期間、そして間隔が開いて1947(昭和22)年に製造されていて、総数は282輌に上るというが、写真の6号機は1933(昭和8)年製だという。

こういう車輌を眺めるのが好きで、思い付いて博物館に寄ったのだった。非常に好かった。

早朝の小樽駅…(2023.05.14)

早朝に街へ出て散策をすることとした。

↓横断歩道を渡る時、中央分離帯の辺りに佇み、提げていたカメラを使った…
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↑日曜日の早朝5時半過ぎというような時間帯の静寂である。早朝から好天でもある。

こういう「何気ない眺めの写真」、または「だから?」というような画が、後から観て凄く好い感じである場合も多い…

「たばこ」…:小樽・龍宮通(2023.05.13)

↓思わず「おっ?」と注目した。
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↑正しく「街角の煙草店」という風情だ。角に在る建物の角部分を小さな店舗として、中の人が小窓を開けて来店客に応対するという構造だ。

何処の街でも「たばこ」の看板は見掛ける場合も在るのだが、こういう「街角の煙草店」という風情の場所は見る機会が激減していると思う。何種類かの煙草が求められるような感じではあったが、敢えて確かめる―煙草を買い求めてみる…―ということまではしなかったのだが。