朝は気温が低目で雲が多かったが、日中は天候が好転し、陽射しが少し心地好い感じになったという一日だった。陽射しの御蔭で、空気が俄かに少しだけ温くなったのに対し、海水は冷たいままということで、「多少温い空気と冷たい海水とが触れ合う」ことで生じるらしい霧が夕刻近くに見受けられた。何か少し久し振りな気がした。
↓久し振りに夕刻に少しだけ歩いた。稚内港北防波堤ドームを地上側、柱列が視える側から眺めてみた。午後7時台だ…
↑夕刻に灯りが入り、少し遅めな時間帯迄は殆どの灯りが点く。(如何いう訳か点いていないモノが散見する場合も在る…)
↓好い感じな眺めだ…
↑御存じないのだろうか?この稚内港北防波堤ドームの柱列の前は駐車禁止だ…何台か車輌が停まっている理由が全く判らない…
↓酷く遅いでもない時間帯で、ジョギングや散策や愛犬の散歩というような人達が散見する場合も在る感だった。
こちらの側から稚内港北防波堤ドームを眺めてみるのも好い…
川辺の木…(2023.05.19)
↓少し気に入っている木を何気なく眺めた。
↑5月10日の様子と比べても「葉の感じ」が少し濃くなっていると思った。
概ね同じ場所で、時季の移ろいを確かめるかのように、同じ様な景色を眺め続けるというようなことをするのが意外に気に入っている。
↓辺りのモノとの比較で、存外に大きな木であることが判り易いように思う。
機会が在れば、またこの画の場所で歩を停めてみたい。
↑5月10日の様子と比べても「葉の感じ」が少し濃くなっていると思った。
概ね同じ場所で、時季の移ろいを確かめるかのように、同じ様な景色を眺め続けるというようなことをするのが意外に気に入っている。
↓辺りのモノとの比較で、存外に大きな木であることが判り易いように思う。
機会が在れば、またこの画の場所で歩を停めてみたい。
第一副港辺りの眺め…:稚内港(2023.05.19)
朝に…(2023.05.19)
Web写真展 <65RUS:SAKHALIN…> (自2023.05.20 至2023.06.10)
京都写真美術館は、「Web写真展」というインターネット上のギャラリースペースを設け、広く開放している。
「Web写真展」を介して作品の販売も可能であるが、文字どおりに「Web写真展」ということで場を利用することも可能である。
京都写真美術館というのは、訪ねてみたことも在るのだが、京都の地下鉄の東山駅から平安神宮へ向かう道筋に在るギャラリーだ。嘗ては料理店であったという建物を利用し、写真作品の展示販売を行う場所、各種写真展を順次開催する場所等が設えられている。写真作品を発表する活動を後援するような活動を続けていることになる。
訪ねてみて、開催中であった写真展を愉しく拝見した経過の後、京都写真美術館による「Web写真展」の存在を知り、作品を幾分拝見して愉しかったのだが、誰でも申し込んで写真を展示することも可能であると判った。更に、「Web写真展」を介して作品の販売を行うのでもなく、文字どおりに「Web写真展」ということで場を利用するのであれば、気軽に挑戦出来そうであると気付いた。
そういうことで実際に挑戦した経過は既に綴ってみた経過も在る。 『北の海辺から…:稚内港の風景』と銘打って、「Web写真展」を催したのだ。
自身で「写真を撮る」ということを一定程度積極的に行うようになったのは、「フィルムを使って撮り、事後に現像やプリントをする」というのが当然であった時代だ。専らフィルムを使った写真を撮る時期が続いていたが、或る時期からデジタルカメラが普及し始め、従前からのフィルムを使用するカメラとデジタルカメラを併用する感じとなった時期も少し在った。
そこから「フィルムがやや入手し悪い?」という雰囲気にもなり始め、デジタルカメラであれば「敢えてプリント」をせずにパソコン画面で眺める等する分には経費が無用ということで、フィルムを使わなくなって、専らデジタルカメラで写真を撮るようになって行った。そのデジタルカメラで写真を撮っていた中、2017年からはフィルムメーカーの流れを汲むデジタルカメラを愛用するようになり、求めたカメラが「持っているだけでも嬉しい」というような渋い、美しいモノなので酷く積極的に写真を撮るようになっているかもしれない。
『北の海辺から…:稚内港の風景』として京都写真美術館の「Web写真展」で公開したモノに留まらず、「こういうのは如何でしょうか?」と展示可能な写真は非常に多く在ると思っている。「何時か、何か機会を設けて…」というようなことを思うことも無いではない状況だった。主にモノクロ写真のブログ等、拙作写真は色々と公開はしている。が、それらはそれらとして、 『北の海辺から…:稚内港の風景』と異なるテーマの京都写真美術館の「Web写真展」を催してみたいというように漠然と考えるようになっていた。
漠然と考えていた中、思い至った新たな京都写真美術館の「Web写真展」としたのは<65RUS:SAKHALIN…>だ。
<65RUS:SAKHALIN…>の「65RUS」というのは、ロシアのサハリンで公道を走る車輌に着けられたナンバープレートに在る「地域コード」である。そこからこの<65RUS:SAKHALIN…>という題を思い付いた。
モノクロ写真のブログにサハリンの写真を使った記事は多々掲載している。そういう中から<65RUS:SAKHALIN…>に掲載する画を択んでみた。2018年から2019年初めにサハリンに滞在した際の画から幾分択んだ。
サハリンはロシアの中でもマイナーな地域かもしれない。1億人からの人口を擁する国で50万人に届かない人口の地域なのだ。それでも資源輸出が行われている等、やや大きな存在感は在るのかもしれない。
そういうサハリンだが、樺太時代の街の上にソ連時代の街という様相が入り込み、比較的新しいロシア時代の様相が更に被さるというようなことで、なかなかに独特な雰囲気が在る。そして冬季には雪や氷が在り、積雪期での暮らし振りを窺わせる様々なモノも見受けられる。そんな観点で、<65RUS:SAKHALIN…>の画を択んだのだ。
稚内からの物理的な距離は北海道内の他都市より近いサハリンである。が、現在は訪ね悪いと同時に、訪ねようとすれば「非常に遠い」ということになってしまう。何か妙に懐かしくなり、振り返っていた。そして<65RUS:SAKHALIN…>という今般の企画だ。
御愉しみ頂けると幸甚である。
「Web写真展」を介して作品の販売も可能であるが、文字どおりに「Web写真展」ということで場を利用することも可能である。
京都写真美術館というのは、訪ねてみたことも在るのだが、京都の地下鉄の東山駅から平安神宮へ向かう道筋に在るギャラリーだ。嘗ては料理店であったという建物を利用し、写真作品の展示販売を行う場所、各種写真展を順次開催する場所等が設えられている。写真作品を発表する活動を後援するような活動を続けていることになる。
訪ねてみて、開催中であった写真展を愉しく拝見した経過の後、京都写真美術館による「Web写真展」の存在を知り、作品を幾分拝見して愉しかったのだが、誰でも申し込んで写真を展示することも可能であると判った。更に、「Web写真展」を介して作品の販売を行うのでもなく、文字どおりに「Web写真展」ということで場を利用するのであれば、気軽に挑戦出来そうであると気付いた。
そういうことで実際に挑戦した経過は既に綴ってみた経過も在る。 『北の海辺から…:稚内港の風景』と銘打って、「Web写真展」を催したのだ。
自身で「写真を撮る」ということを一定程度積極的に行うようになったのは、「フィルムを使って撮り、事後に現像やプリントをする」というのが当然であった時代だ。専らフィルムを使った写真を撮る時期が続いていたが、或る時期からデジタルカメラが普及し始め、従前からのフィルムを使用するカメラとデジタルカメラを併用する感じとなった時期も少し在った。
そこから「フィルムがやや入手し悪い?」という雰囲気にもなり始め、デジタルカメラであれば「敢えてプリント」をせずにパソコン画面で眺める等する分には経費が無用ということで、フィルムを使わなくなって、専らデジタルカメラで写真を撮るようになって行った。そのデジタルカメラで写真を撮っていた中、2017年からはフィルムメーカーの流れを汲むデジタルカメラを愛用するようになり、求めたカメラが「持っているだけでも嬉しい」というような渋い、美しいモノなので酷く積極的に写真を撮るようになっているかもしれない。
『北の海辺から…:稚内港の風景』として京都写真美術館の「Web写真展」で公開したモノに留まらず、「こういうのは如何でしょうか?」と展示可能な写真は非常に多く在ると思っている。「何時か、何か機会を設けて…」というようなことを思うことも無いではない状況だった。主にモノクロ写真のブログ等、拙作写真は色々と公開はしている。が、それらはそれらとして、 『北の海辺から…:稚内港の風景』と異なるテーマの京都写真美術館の「Web写真展」を催してみたいというように漠然と考えるようになっていた。
漠然と考えていた中、思い至った新たな京都写真美術館の「Web写真展」としたのは<65RUS:SAKHALIN…>だ。
<65RUS:SAKHALIN…>の「65RUS」というのは、ロシアのサハリンで公道を走る車輌に着けられたナンバープレートに在る「地域コード」である。そこからこの<65RUS:SAKHALIN…>という題を思い付いた。
モノクロ写真のブログにサハリンの写真を使った記事は多々掲載している。そういう中から<65RUS:SAKHALIN…>に掲載する画を択んでみた。2018年から2019年初めにサハリンに滞在した際の画から幾分択んだ。
サハリンはロシアの中でもマイナーな地域かもしれない。1億人からの人口を擁する国で50万人に届かない人口の地域なのだ。それでも資源輸出が行われている等、やや大きな存在感は在るのかもしれない。
そういうサハリンだが、樺太時代の街の上にソ連時代の街という様相が入り込み、比較的新しいロシア時代の様相が更に被さるというようなことで、なかなかに独特な雰囲気が在る。そして冬季には雪や氷が在り、積雪期での暮らし振りを窺わせる様々なモノも見受けられる。そんな観点で、<65RUS:SAKHALIN…>の画を択んだのだ。
稚内からの物理的な距離は北海道内の他都市より近いサハリンである。が、現在は訪ね悪いと同時に、訪ねようとすれば「非常に遠い」ということになってしまう。何か妙に懐かしくなり、振り返っていた。そして<65RUS:SAKHALIN…>という今般の企画だ。
御愉しみ頂けると幸甚である。
旧 名取高三郎商店:小樽・堺町通:午後(2023.05.13)
「堺町」と書いて「さかいまち」または「さかいちょう」と読む地名は各地に見受けられるようだ。
新潟県長岡市、愛知県豊川市、京都市、大阪府岸和田市、兵庫県姫路市、岡山県津山市、広島市、高知市、北九州市に例が見受けられるらしい。序に鳥取県倉吉市にも「堺町」が在るらしいが、読み方は「さかえまち」であるという。
随分と多々在って、各々に由来も在るのであろうが、小樽にも「堺町」は在り、辺りが「堺町通」と呼び習わされている。街が興って行く経過の中、「2つの地区の境界」という意味合いで「堺町」という呼び方が起こったようだ。
小樽の堺町は古くからの商業地区ということになる。火災が繰り返されたことを踏まえ、明治時代の終わり頃に燃え悪い石、コンクリート等を用いた建物が登場した。それらは多く遺され、現在に伝わり、店舗等として利用されている例も多く在る。散策してみると、何か興味深い場所でもある。
↓やや早目な夕食の後、その堺町通に到った。
↑防火の意味も在るという“卯建”(うだつ)の大きなモノが設えられている、個性的な外観の建物だ。外壁は石材だ。
↓少し近寄って、独特な造りの建物を眺めた。
↓「小樽市指定歴史的建造物」の案内看板も在る。この<旧 名取高三郎商店>は指定されているのだ。
↓小樽駅が近い側へ通じる道を目指して堺町通を離れようとした時、この個性的な建物の外観を今一度眺めた。
小樽から引揚げて然程時日を経たとも言い悪いが、早くも「堺町通へまた…」と思い始めていることに気付く。
新潟県長岡市、愛知県豊川市、京都市、大阪府岸和田市、兵庫県姫路市、岡山県津山市、広島市、高知市、北九州市に例が見受けられるらしい。序に鳥取県倉吉市にも「堺町」が在るらしいが、読み方は「さかえまち」であるという。
随分と多々在って、各々に由来も在るのであろうが、小樽にも「堺町」は在り、辺りが「堺町通」と呼び習わされている。街が興って行く経過の中、「2つの地区の境界」という意味合いで「堺町」という呼び方が起こったようだ。
小樽の堺町は古くからの商業地区ということになる。火災が繰り返されたことを踏まえ、明治時代の終わり頃に燃え悪い石、コンクリート等を用いた建物が登場した。それらは多く遺され、現在に伝わり、店舗等として利用されている例も多く在る。散策してみると、何か興味深い場所でもある。
↓やや早目な夕食の後、その堺町通に到った。
↑防火の意味も在るという“卯建”(うだつ)の大きなモノが設えられている、個性的な外観の建物だ。外壁は石材だ。
↓少し近寄って、独特な造りの建物を眺めた。
↓「小樽市指定歴史的建造物」の案内看板も在る。この<旧 名取高三郎商店>は指定されているのだ。
↓小樽駅が近い側へ通じる道を目指して堺町通を離れようとした時、この個性的な建物の外観を今一度眺めた。
小樽から引揚げて然程時日を経たとも言い悪いが、早くも「堺町通へまた…」と思い始めていることに気付く。