曇天の早朝が少し続いていたのだが、何日か振りに明るい様子であることに気付いた。
↓「極々短い散策」と称し、少し戸外へ出てみた。
↓遠くの宗谷丘陵側の陸地は、厚い雲を思わせるような深い霧に包まれているようだった。
↓海鳥の活動も目立ち始めた…
↓雲のような霧の中から朝陽が一部だけ覗き始めた。
↓上る朝陽が雲のような霧の高度を超え、姿が殆ど視えるようになって来た。
↓滑らかな海面に“光の路”が形成され始めた。
↓光が解き放たれた感だ…
こういう様子が視られるのは4時頃だ。日出時刻は午前4時より少しだけ前の午前3時台になって来たようだが、雲のような霧の関係で朝陽が視えるようになるまでに少し時間を要したようだ。こんな様子に触れるのは好い…
旧 久保商店:小樽・堺町通:早朝(2022.05.14)
↓古い建物が連なる通を、「貸切?」という感じな早朝に歩き廻ると、「時間と空間を超え…」というような不思議な気分が沸き起こる場合も在る。
↑北海道内で「古い建物」とでも言えば、ぼんやりと思い浮かぶのはこういう感じであろうか?
↓少し離れて全般が判り易いように眺めてみた。
↑1907(明治40)年頃の建物であるという。
自身は、幼少期に「新興住宅地の草創期」というような状況下に在った関係で、「少し旧い時代に行き交ったモノの音や、人々の話し声が聞こえそうな古い建物」というモノに憧れのような何かを抱いているのかもしれない。そういうことなので、「商都」として街が発展していた明治期や大正期の雰囲気を想像させてくれる建物が幾つも見受けられる堺町通は非常にこう見b会場所だ…
↑北海道内で「古い建物」とでも言えば、ぼんやりと思い浮かぶのはこういう感じであろうか?
↓少し離れて全般が判り易いように眺めてみた。
↑1907(明治40)年頃の建物であるという。
自身は、幼少期に「新興住宅地の草創期」というような状況下に在った関係で、「少し旧い時代に行き交ったモノの音や、人々の話し声が聞こえそうな古い建物」というモノに憧れのような何かを抱いているのかもしれない。そういうことなので、「商都」として街が発展していた明治期や大正期の雰囲気を想像させてくれる建物が幾つも見受けられる堺町通は非常にこう見b会場所だ…
旧 塚本商店=現 後藤商店(2023.05.13)
↓なかなかに重厚な建物だ。
↑建物の先、画の奥で道路が交差している。そこを左折して進むと小樽駅の方向だ。右折して進めば小樽運河である。
↓建物には「後藤商店」の看板が掲げられている。しかしこの建物は「旧 塚本商店」として「小樽市指定歴史的建造物」に指定されている。「第68号」だそうだ。これを知って、少々の苦笑いが漏れた…
小樽では1904(明治37)年の火災で甚大な被害が発生したことから、それ以降は「燃え悪い建築」という意識が高まり、色々と工夫が施された。
↓1920(大正9)年に完成したというこの「旧 塚本商店」は、外壁をコンクリートで塗り固め、出入口や窓を防火戸で覆う工夫が施されている。
↑昔ながらの店舗兼住宅の大きなモノという感の形だが、往時の少し新しい工夫であったコンクリートで塗り固める壁を採用していた訳だ。
入ってみた経過はないが、飲食店が入居しているようだ。なかなかに存在感が大きな建物だ。
↑建物の先、画の奥で道路が交差している。そこを左折して進むと小樽駅の方向だ。右折して進めば小樽運河である。
↓建物には「後藤商店」の看板が掲げられている。しかしこの建物は「旧 塚本商店」として「小樽市指定歴史的建造物」に指定されている。「第68号」だそうだ。これを知って、少々の苦笑いが漏れた…
小樽では1904(明治37)年の火災で甚大な被害が発生したことから、それ以降は「燃え悪い建築」という意識が高まり、色々と工夫が施された。
↓1920(大正9)年に完成したというこの「旧 塚本商店」は、外壁をコンクリートで塗り固め、出入口や窓を防火戸で覆う工夫が施されている。
↑昔ながらの店舗兼住宅の大きなモノという感の形だが、往時の少し新しい工夫であったコンクリートで塗り固める壁を採用していた訳だ。
入ってみた経過はないが、飲食店が入居しているようだ。なかなかに存在感が大きな建物だ。
夕べに…(2023.05.19)
<小樽商工會議所>=旧 小樽商工会議所(2023.05.13)
堺町通から、嘗ての銀行の支店等の立派な建物が見受けられる辺りに進み、小樽駅前から運河に延びている通へ通じる辺りに足を踏み入れる。
↓旧い字体が入口に掲げられているような様子の建物を見掛けると、足を停めて「これは?」と注目してしまう場合も在る。
↑1933(昭和8)年に竣工したという旧い小樽商工会議所の建物だ。
昭和初期の貴重な鉄筋コンクリート造建築であるが、外装は彫刻も施した石で、玄関には大理石も使用されているのだという。地元の建築家が設計を手掛け、地元の会社で施工したのだそうだ。
↓独特な存在感を放つ建物だ。少し見入ってしまう。
この建物に関しては、改修を施し、隣接地に新しい建物を建て、両者を合わせて宿泊施設にするという話しが在った。諸般の事情で計画実現が危ぶまれた時期が在ったようだが、2022年に無事に開業している。「北館」と呼ばれるそうだが、新しい建物の側が出入口である。辺りに車輌が気になる程に少し多く駐車中だったので、そちらの写真は撮っていない。旧い商工会議所の建物は「南館」と呼ばれるそうだ。
旧い商工会議所は銀行等の企業が多々立地した辺りに建っていて、美しい建物は現在も利用されているのだが、現在の商工会議所は小樽駅に近い<小樽経済センター>というビルに入っているという。
小樽に関しては、「札幌に泊まって滞在中に時間を設けて寄ってみる」という来訪者が目立つことから、「小樽で泊まる“理由”になるような宿泊施設」ということになり、この旧い商工会議所の建物を利用することが計画されたようだ。少し興味深い…
↓旧い字体が入口に掲げられているような様子の建物を見掛けると、足を停めて「これは?」と注目してしまう場合も在る。
↑1933(昭和8)年に竣工したという旧い小樽商工会議所の建物だ。
昭和初期の貴重な鉄筋コンクリート造建築であるが、外装は彫刻も施した石で、玄関には大理石も使用されているのだという。地元の建築家が設計を手掛け、地元の会社で施工したのだそうだ。
↓独特な存在感を放つ建物だ。少し見入ってしまう。
この建物に関しては、改修を施し、隣接地に新しい建物を建て、両者を合わせて宿泊施設にするという話しが在った。諸般の事情で計画実現が危ぶまれた時期が在ったようだが、2022年に無事に開業している。「北館」と呼ばれるそうだが、新しい建物の側が出入口である。辺りに車輌が気になる程に少し多く駐車中だったので、そちらの写真は撮っていない。旧い商工会議所の建物は「南館」と呼ばれるそうだ。
旧い商工会議所は銀行等の企業が多々立地した辺りに建っていて、美しい建物は現在も利用されているのだが、現在の商工会議所は小樽駅に近い<小樽経済センター>というビルに入っているという。
小樽に関しては、「札幌に泊まって滞在中に時間を設けて寄ってみる」という来訪者が目立つことから、「小樽で泊まる“理由”になるような宿泊施設」ということになり、この旧い商工会議所の建物を利用することが計画されたようだ。少し興味深い…
<旧 三井銀行小樽支店>:午後(2023.05.13)
堺町通から小樽駅が近い辺りへ通じる道を目指して歩を進めた。
↓<小樽藝術村>と称する、数棟の建物から成る美術館の一部として使われているという建物なのだが、非常に重厚な壁で、歩を停めて見入っていた。
↑鉄骨鉄筋コンクリート造で、外壁に花崗岩を使っているということだが、これは1927(昭和2)年に竣工した建物であるという。
以前に眺めて写真に撮った際にも確かめたが、竣工して以来、「三井銀行小樽支店」、「帝国銀行小樽支店」、「三井銀行小樽支店」、「太陽神戸三井銀行小樽支店」、「さくら銀行小樽支店」、「三井住友銀行小樽支店」と銀行の組織改編や改名を経ながら、2002年に至るまで75年間程にも亘り、一貫して銀行店舗として利用され続けていたのだという。75年間の経過ということで登場する銀行名を追うだけで、何やら「日本の銀行業界の歴史」が滲む感じがする。
昭和の初めには、金融取引に関して小樽は大きな存在感を放っていて、全国展開しているような銀行が立派な建物を建てて支店を設けた。が、全国展開しているような銀行が北海道の拠点として支店を設けるのであれば札幌が好いという様子になっているのであろう。北海道の諸都市の中で、札幌の存在感は他を寄せ付けない程度に巨大になっているのだ。そういう事情で、三井住友銀行の時代に入って、小樽支店は札幌支店に統合という形になり、この建物が空いた訳である。
辺りの<小樽藝術村>という美術館として利用されているという建物の外観は何度も眺めているのだが、美術館に入ってみたことが無かったことに思い至った。そして「そのうちに時間が在れば…」という程度に考える。しかし、“時間”は「在れば…」ではなく「創る」とか「設ける」という性質のモノであるとも思う。
小樽から引揚げて然程時日を経たのでもないのだが、そして今般は「かなりゆっくり愉しんだ」という気で居るにも拘らず、「次の機会の“課題”」に続々と思い至ってしまう。
↓<小樽藝術村>と称する、数棟の建物から成る美術館の一部として使われているという建物なのだが、非常に重厚な壁で、歩を停めて見入っていた。
↑鉄骨鉄筋コンクリート造で、外壁に花崗岩を使っているということだが、これは1927(昭和2)年に竣工した建物であるという。
以前に眺めて写真に撮った際にも確かめたが、竣工して以来、「三井銀行小樽支店」、「帝国銀行小樽支店」、「三井銀行小樽支店」、「太陽神戸三井銀行小樽支店」、「さくら銀行小樽支店」、「三井住友銀行小樽支店」と銀行の組織改編や改名を経ながら、2002年に至るまで75年間程にも亘り、一貫して銀行店舗として利用され続けていたのだという。75年間の経過ということで登場する銀行名を追うだけで、何やら「日本の銀行業界の歴史」が滲む感じがする。
昭和の初めには、金融取引に関して小樽は大きな存在感を放っていて、全国展開しているような銀行が立派な建物を建てて支店を設けた。が、全国展開しているような銀行が北海道の拠点として支店を設けるのであれば札幌が好いという様子になっているのであろう。北海道の諸都市の中で、札幌の存在感は他を寄せ付けない程度に巨大になっているのだ。そういう事情で、三井住友銀行の時代に入って、小樽支店は札幌支店に統合という形になり、この建物が空いた訳である。
辺りの<小樽藝術村>という美術館として利用されているという建物の外観は何度も眺めているのだが、美術館に入ってみたことが無かったことに思い至った。そして「そのうちに時間が在れば…」という程度に考える。しかし、“時間”は「在れば…」ではなく「創る」とか「設ける」という性質のモノであるとも思う。
小樽から引揚げて然程時日を経たのでもないのだが、そして今般は「かなりゆっくり愉しんだ」という気で居るにも拘らず、「次の機会の“課題”」に続々と思い至ってしまう。