↓休業日の午後にサウナを利用し、道草をしてしまうというようなことが恒例化してしまった。
↑2007年だったと記憶する。施設が最初に開業した頃に敢えて設えた「少し昔風な様子」が何となく好い。
↓午後4時を過ぎると馴染んだ御店に暖簾が出る…
↓とりあえずハイボールを頂き、何となく読書に興じた。
↓蟹の身とキュウリを和えた御通しが好かった。
↓手羽先焼は欠かせない…
↓やや小柄なカレイの宗八を焼いたモノを所望した。
↑髪型の「総髪」が「宗八」という呼び方の起りらしい。「総髪」の人を正面から見た形に似ているというのだ。「そうはつ」が転訛して「そうはち」になり、何時の間にか「宗八」の字が宛てられている。北海道や日本海側各地で好まれるのだという。稚内の御店でも比較的頻繁に見掛ける魚だと思う。
↓確りと綺麗に平らげた…
↓イカを所望すれば、大きな鉄板が活躍した。
↓ややボリュームが在るイカ焼きをゆっくり頂いた。
↓明太子のおにぎりを摘まんだ…
こんな「休業日の道草」が止められない感じになっている昨今だ…
多用途支援艦<すおう>…:稚内港(2023.05.28)
↓稚内港の天北1号埠頭に停泊中の、やや目立つ船を見付けた。
↓やや冷たい風が滑らかな海面を渡る様子も見受けられた中であった。
↓天北1号埠頭に入ることが出来たので、少し近付いた。
↓「4302」という番号が大書されている。これは海上自衛隊の金井に与えられる番号だ。“多用途支援艦「ひうち」型”の2番艦で<すおう>という船だ。
↑<すおう>は「周防灘」に因む命名ということだ。同型艦はこの<すおう>を含めて5艦在って、各地に配置されている。<すおう>は大湊基地に在る艦だ。
↓何やら海上油田の開発に関係して動き廻る支援船に少し似ている形だ。海上油田関係の船は稚内港に寄港した経過も在るので、何となく判るが、「前側が大きく、後側は平になっている」という感じはその種の船の特徴だと思う。
↑この<すおう>は後部の甲板に嵩張るモノ、重量物を積載して輸送出来る他、沿岸や沖合での諸活動の拠点となることが出来、火災時の消火や救援を行うことも出来、強力なエンジンで相当に大きな艦船を曳航するようなことも可能だ。他にも色々な役目を担うようで、正しく「多用途」な艦である。強力な武装が搭載されているのでもない―機銃を取り付けることが可能な台座が在るだけであるという…―のだが、多様な任務に就くことが叶う、或る意味では凄く「自衛隊の艦船らしい」という感じの艦であるかもしれない。
↓稚内港にやって来た<すおう>は、前日から一般公開が行われた。前日は立寄ることが叶わず、この朝に足を運んでみたが、都合により公開は中止になってしまった…
↓長さ65m、幅12m、深さが5.8mで喫水が3.5m、基準排水量が980tということで、際立って大きな艦でもないが、酷く小さいのでもない。なかなかに迫力が在ると思った。<すおう>は、2004(平成16)年に就役したという。
↑概ね40名が乗艦するのだという。
一般公開による中の見学は叶わなかったが、こういう渋い艦船を近くで観られたのは好かった…
↓やや冷たい風が滑らかな海面を渡る様子も見受けられた中であった。
↓天北1号埠頭に入ることが出来たので、少し近付いた。
↓「4302」という番号が大書されている。これは海上自衛隊の金井に与えられる番号だ。“多用途支援艦「ひうち」型”の2番艦で<すおう>という船だ。
↑<すおう>は「周防灘」に因む命名ということだ。同型艦はこの<すおう>を含めて5艦在って、各地に配置されている。<すおう>は大湊基地に在る艦だ。
↓何やら海上油田の開発に関係して動き廻る支援船に少し似ている形だ。海上油田関係の船は稚内港に寄港した経過も在るので、何となく判るが、「前側が大きく、後側は平になっている」という感じはその種の船の特徴だと思う。
↑この<すおう>は後部の甲板に嵩張るモノ、重量物を積載して輸送出来る他、沿岸や沖合での諸活動の拠点となることが出来、火災時の消火や救援を行うことも出来、強力なエンジンで相当に大きな艦船を曳航するようなことも可能だ。他にも色々な役目を担うようで、正しく「多用途」な艦である。強力な武装が搭載されているのでもない―機銃を取り付けることが可能な台座が在るだけであるという…―のだが、多様な任務に就くことが叶う、或る意味では凄く「自衛隊の艦船らしい」という感じの艦であるかもしれない。
↓稚内港にやって来た<すおう>は、前日から一般公開が行われた。前日は立寄ることが叶わず、この朝に足を運んでみたが、都合により公開は中止になってしまった…
↓長さ65m、幅12m、深さが5.8mで喫水が3.5m、基準排水量が980tということで、際立って大きな艦でもないが、酷く小さいのでもない。なかなかに迫力が在ると思った。<すおう>は、2004(平成16)年に就役したという。
↑概ね40名が乗艦するのだという。
一般公開による中の見学は叶わなかったが、こういう渋い艦船を近くで観られたのは好かった…
НЕВЕЛЬСКАЯ УЛИЦА (ネーヴェリスカヤ ウーリッツァ)=ネべリスク通り(2023.05.28)
稚内港天北1号埠頭辺りから国道側へ歩を進めようとした。国道に面した百貨店の建物の裏側が視えるような辺りに差し掛かり、「この辺り…暫く振りに通っている…」という程度に思った。
↓こんなモノが眼に留まった。歩を停め、偶々提げていたカメラを使った。
↑ロシア語の名前、「НЕВЕЛЬСКАЯ УЛИЦА (ネーヴェリスカヤ ウーリッツァ)」というモノが掲げられている。「ネべリスク通り」である。
↓反対側は、看板の一部が傷んでいた…確か、金属製の看板の痛みが目立って、修繕をした経過が在ったように思う。
「〇〇通」というような、街路に冠した名前は、一部の街では公に住所となっているが、そうでもない例、単なる通称という場合が日本国内では多いように思う。稚内でも「〇〇通」は通称で、そして定着している場合も、余り意識されていないと見受けられる場合も在る。
1972年に稚内市はサハリンのネべリスク市と友好都市提携をしている。1988年に当時のネべリスク市の市長に相当する「市執行委員会議長」の来訪が在った際、「友好都市15年記念」として、この通を「ネべリスク通り」としたのだ。
「1988年」は相対的には新しいかもしれないが、35年程も経っている。それでも公に住所となっているのでもない通称で、辺りに多くの人が出掛けるような何かが多く在るでもないので、「ネべリスク通り」が人口に膾炙するという程でもない。「知る人ぞ知る」という感であろうか?
思うと2022年はネべリスク市との友好都市50年ということであったが、特段に話題にはならなかった…
↓こんなモノが眼に留まった。歩を停め、偶々提げていたカメラを使った。
↑ロシア語の名前、「НЕВЕЛЬСКАЯ УЛИЦА (ネーヴェリスカヤ ウーリッツァ)」というモノが掲げられている。「ネべリスク通り」である。
↓反対側は、看板の一部が傷んでいた…確か、金属製の看板の痛みが目立って、修繕をした経過が在ったように思う。
「〇〇通」というような、街路に冠した名前は、一部の街では公に住所となっているが、そうでもない例、単なる通称という場合が日本国内では多いように思う。稚内でも「〇〇通」は通称で、そして定着している場合も、余り意識されていないと見受けられる場合も在る。
1972年に稚内市はサハリンのネべリスク市と友好都市提携をしている。1988年に当時のネべリスク市の市長に相当する「市執行委員会議長」の来訪が在った際、「友好都市15年記念」として、この通を「ネべリスク通り」としたのだ。
「1988年」は相対的には新しいかもしれないが、35年程も経っている。それでも公に住所となっているのでもない通称で、辺りに多くの人が出掛けるような何かが多く在るでもないので、「ネべリスク通り」が人口に膾炙するという程でもない。「知る人ぞ知る」という感であろうか?
思うと2022年はネべリスク市との友好都市50年ということであったが、特段に話題にはならなかった…