小樽の博物館には様々な展示が在るのだが、夏季は屋外の展示が観られるのが好い。
↓屋外の展示が観られる場所の一隅に建物が在る。
↑建物の中に展示が在るのだが、場所の関係上、出入りして展示を観られるのは夏季のみとなる。
↓中にはこういう展示が在る。
↑これは俳優、歌手として活躍した石原裕次郎(1934-1987)の愛車であった<ロールスロイス シルバーシャドウ>である。
石原裕次郎は海運会社に勤務した父親の仕事の関係で、神戸で産れた後、小樽で幼少期(3歳から9歳)を過ごし、以降は逗子に在ったという。小樽には縁が深いと言える著名人である。
この石原裕次郎に所縁が深い小樽には、1991年に「石原裕次郎記念館」が開館した。人気ドラマで使用された車輌や、石原裕次郎の愛車が展示されていた。建物を老朽化等により、2017年に記念館は閉館した。その後、同館に展示されていた<ロールスロイス シルバーシャドウ>は小樽市に贈られた。大変に著名な、小樽に足跡の在る石原裕次郎の事績等を長く伝えるべく、車輌は博物館に展示されることとなったのだ。
↓石原裕次郎の等身大パネルと並んで、彼の愛車が展示されている。
↓これは博物館で初めて一般に公開されたということだが、石原裕次郎御本人が使っていたガソリンスタンドのカードや、「自動車安全運転センター」の安全運転証明書というモノも展示されていた。
↓石原裕次郎は、丁寧な造りで頑丈な、この車を愛していたようだ。
こうした「地域に縁の在る著名人に所縁の品」というような展示は面白いと思った。そして、この<ロールスロイス シルバーシャドウ>は、多分長く使ったと見受けられるが、酷く状態が好いことにも驚かされた。面白い展示を拝見した。
洗濯を終えた愛用のワークパンツ…(2023.06.04)
洗濯を終えた愛用のジーンズ…(2023.06.04)
着替えた衣類が少し溜まった時点で、バッグに容れて持出し、コインランドリーへ足を運んで洗濯をする。
機械が「洗って乾燥」という一連の仕事を済ませるのを待っているだけなのだが、コインランドリーへ行くと、何やら「“仕事”に勤しんだ…」という気分になる。そして終わると強く安堵する。
↓洗って乾燥も済んだジーンズを、バッグに容れて持ち帰る前に一寸眺めてしまった。
↓程々に年季が入っている。左上、“コインポケット”にオイルライターを押し込んで持ち歩いていた痕跡が出来てしまっている。
↓上側、着用時に左側になる辺りの色落ちがやや強めだ。ショルダーバッグを提げた時に擦れるからであろうか?
↓伝統を誇る「Levi's 501」である。
↑何時頃に入手したモノであったか、記憶が曖昧になってしまった。暫くは盛んに使ったが、余り使わないままに置いて在った期間も長い。暫く振りに着用してみると、なかなかに按配が好かった。そこで暫く使っていて、多少汚れたという感じだったので洗った訳だ。
こういうモノは、思い付いて写真に収めると少し画になる感じだと思う。
機械が「洗って乾燥」という一連の仕事を済ませるのを待っているだけなのだが、コインランドリーへ行くと、何やら「“仕事”に勤しんだ…」という気分になる。そして終わると強く安堵する。
↓洗って乾燥も済んだジーンズを、バッグに容れて持ち帰る前に一寸眺めてしまった。
↓程々に年季が入っている。左上、“コインポケット”にオイルライターを押し込んで持ち歩いていた痕跡が出来てしまっている。
↓上側、着用時に左側になる辺りの色落ちがやや強めだ。ショルダーバッグを提げた時に擦れるからであろうか?
↓伝統を誇る「Levi's 501」である。
↑何時頃に入手したモノであったか、記憶が曖昧になってしまった。暫くは盛んに使ったが、余り使わないままに置いて在った期間も長い。暫く振りに着用してみると、なかなかに按配が好かった。そこで暫く使っていて、多少汚れたという感じだったので洗った訳だ。
こういうモノは、思い付いて写真に収めると少し画になる感じだと思う。
雨交りな朝に…:稚内港郵便局周辺(2023.06.04)
自身が住んでいる辺りは「中央」という住所である。やや南下すると「港」という住所になる。
その港という地区にコインランドリーが在って、時々利用している。向かう途中から雨が交り、機械が仕事を済ませるのを待つ間に強弱の変化を加えながら雨は続いていた。
↓辺りに港郵便局が在る。正しくは「稚内港郵便局」と頭に「稚内」が付される。
↑手前の道路は、市内線の路線バスが行き交う道筋でもある。雨に濡れた路面に、郵便局の建物が映り込んで面白いと思った。
↓少し引いた感じで眺めてみた。辺りに宿泊施設が見受けられる。
この港郵便局の辺りは、稚内駅と南稚内駅との間のような感じで、何方かと言えば稚内駅が少し近いという感じだ。宿泊施設が複数在るのだが、駅から遠目かもしれない感じなので少し不思議だ。これは、初めて稚内の地に鉄道が開通した1920年代、この港郵便局の周辺が駅であったことから、「古くは“駅前旅館”」であった施設が受け継がれて現在に至っていると見受けられる。
稚内の鉄道は、この画の辺りにまで敷かれた後、少し北に延びて概ね現在位置に稚内駅が設けられ、更に稚内港北防波堤ドームの辺りに稚内港駅が設けられた。そして現在位置に南稚内駅が設けられ、現在の港郵便局周辺の駅は姿を消したのだ。
辺りの何気ない眺めに「歴史」が覗くという場合も在るものだ。
その港という地区にコインランドリーが在って、時々利用している。向かう途中から雨が交り、機械が仕事を済ませるのを待つ間に強弱の変化を加えながら雨は続いていた。
↓辺りに港郵便局が在る。正しくは「稚内港郵便局」と頭に「稚内」が付される。
↑手前の道路は、市内線の路線バスが行き交う道筋でもある。雨に濡れた路面に、郵便局の建物が映り込んで面白いと思った。
↓少し引いた感じで眺めてみた。辺りに宿泊施設が見受けられる。
この港郵便局の辺りは、稚内駅と南稚内駅との間のような感じで、何方かと言えば稚内駅が少し近いという感じだ。宿泊施設が複数在るのだが、駅から遠目かもしれない感じなので少し不思議だ。これは、初めて稚内の地に鉄道が開通した1920年代、この港郵便局の周辺が駅であったことから、「古くは“駅前旅館”」であった施設が受け継がれて現在に至っていると見受けられる。
稚内の鉄道は、この画の辺りにまで敷かれた後、少し北に延びて概ね現在位置に稚内駅が設けられ、更に稚内港北防波堤ドームの辺りに稚内港駅が設けられた。そして現在位置に南稚内駅が設けられ、現在の港郵便局周辺の駅は姿を消したのだ。
辺りの何気ない眺めに「歴史」が覗くという場合も在るものだ。