航海安全、交通安全、商業農業の祖神として信仰を集めているという「住吉三神」は各地の神社で祀られている。海運や漁業、更に商工業の街として、海陸交通の要衝としての経過が在る小樽でも、「総鎮守」として祀られている。
↓その小樽の住吉神社へ足を運んでみた。
所用のために札幌へ出た。翌日の所用迄に間が在る訳だが、天候も好かったので小樽に出て散策をしてみようと思い立った。列車で小樽駅に出て、歩いて住吉神社を訪ね―文字どおりに「足を運んだ」のだった…―、南小樽駅から札幌駅へ列車で引揚げたのだった。住吉神社は南小樽駅から緩やかな傾斜を少し上ったような、歩いて10分も要しないような辺りに在る。
1864(元治元)年に「ヲタルナイ」「タカシマ」両場所の総鎮守として住吉大神を勧進するということになり、蝦夷地を統括した箱館奉行が寺社奉行に掛け合って、1865(慶応元)年に「ヲタルナイ運上屋の最寄りの地へ勧請奉祀」が許された。やがて1868(明治元)年に現在の神社の基礎となる社が起る。住吉神社は明治期以降の地域の歴史と共に歩むことになったのだ。
↓古くから多くの人達の尊崇の対象となっていた住吉神社は、小樽で成功した実業家達から色々と寄進を受けた経過が在る。そういう旨が紹介されていた。
↓緩やかな石段が組み合わされ、小高い辺りに色々な建物が見受けられる。
↓1934(昭和9)年竣工という社務所は凄く立派で、大変に栄えた小樽の総鎮守としての威光が感じられる。
↑小樽市の「指定歴史的建造物」だが、現在も普通に使用されている社務所だ。
↓街や港を見守り続けた総鎮守の持つ、名状し難い「何か」を感じる。「雰囲気」が在る場所だ。
↓新しいモノだと思ったが、手水鉢の龍が好い…
↓参拝をした。日々、無事に過ごしていることへの感謝の意を表した…
↓雰囲気の好い境内だ。
↓静かと言えば静かであったが、日曜日であったことから参拝する人達も存外に視掛けた。
↑時節柄か「七五三参り」の皆さんを何組か見掛けた。カメラマンが登場し、両親と着物姿の幼い姉妹が記念写真を熱心に撮っていた…
↓地域の歴史と共に在り続け、現在でも人々に親しまれているという社は好い感じだ。
↓御朱印も頂いた。専ら書置きということになっていたが、「海辺の街の総鎮守」ということを想わせる柄の、少し凝ったモノが在った。
以前にも住吉神社は訪ねていたが、年末だったので初詣の備えで何やらゴチャゴチャとしていたようで、ブログに写真を掲載していないようである。そこで今般は写真を掲載した訳である。
永山神社…(2023.09.29)
旭川駅との間を列車で往来する際、少し北になるのだと思うが、永山駅を何時も通り過ぎる。旭川駅・永山駅間は普通列車で12分程度である。普通列車を利用する場合、視る限りでは存外に乗降も多い感じの永山駅だ。「永山」という住所は旭川市内では存外に広い範囲であるように見受けられる。その「永山」の鉄道駅に近い辺りに、地域の歩みと共に在る社が鎮座すると聞き、訪ねてみたいと思った。今般、午後の一時を利用して足を運んでみた。
↓永山駅から10分程度も歩くと、鳥居に出くわす。
↓大きな標柱が据えられている。
↓「永山神社」と扁額も掲げられている。
↓永山武四郎将軍(1837-1904)の像が迎えてくれる。像の姿は、明治後期位の陸軍将官の礼装を身に着けているようだ。
↑この像は、「創祀100年」を記念して建立が計画されたもので、1994(平成6)年に建ったそうだ。
永山武四郎は薩摩の島津家中の武士の家に生まれている。「武四郎」の名で察せられるが四男だったという。長じて後に開拓使出仕となり、屯田兵の司令官として各地の開拓に携わり、旭川に設置された第7師団の師団長も務めている。
1891(明治24)年、岡山県から入植した人達が郷里の神社から天照大神、大国主神の御分霊を受けて祠を設けた。それが永山神社の基礎になっている。1898(明治31)年に社殿が設けられて以降、神社は地域の発展と共に存在感を増して行った。1914(大正3)年には「村社」ということになった。やがて村開拓の祖として敬愛される永山武四郎将軍を祀るということになり、1920(大正9)年に合祀した。
↓小さな鎮守の森を経て境内へ進むようになっている。
↓地域の人達に敬愛されて来た風格が感じられる社だ。
↓大正時代の社殿の老朽化が著しかったことから現在の社殿に建て替えた。1993(平成5)年から現在の社殿であるという。
この日は、やや強い俄かな雨が交じる場面も在ったが、雨に当たって難儀ということもなく過ごしていた。「何かに護られている」というようなことも想い、神社を訪ねて参拝ということを思い立った。そして、現在は旭川市の一部となっている永山の地名に名を遺す永山武四郎将軍を祀った神社を訪ねた訳だ。
↓参拝を記念し、永山神社の御朱印を頂いた。
↑地方に出る際、御朱印帳を持参する場合も在る。今般もスティック糊と合わせて持参し、書置き方式の御朱印を頂いて貼った。
北海道内では、村を興す、拓くというような場面で「入植した人達の郷里から神社を分祀」というようなことが行われ、それを基礎に発展した神社が「地域の社」として敬愛されている例が多く見受けられる。そういう神社を心の拠所のようにして、様々な努力を重ねた先人達に想いを巡らせてみるのも時には好いであろう。
↓永山駅から10分程度も歩くと、鳥居に出くわす。
↓大きな標柱が据えられている。
↓「永山神社」と扁額も掲げられている。
↓永山武四郎将軍(1837-1904)の像が迎えてくれる。像の姿は、明治後期位の陸軍将官の礼装を身に着けているようだ。
↑この像は、「創祀100年」を記念して建立が計画されたもので、1994(平成6)年に建ったそうだ。
永山武四郎は薩摩の島津家中の武士の家に生まれている。「武四郎」の名で察せられるが四男だったという。長じて後に開拓使出仕となり、屯田兵の司令官として各地の開拓に携わり、旭川に設置された第7師団の師団長も務めている。
1891(明治24)年、岡山県から入植した人達が郷里の神社から天照大神、大国主神の御分霊を受けて祠を設けた。それが永山神社の基礎になっている。1898(明治31)年に社殿が設けられて以降、神社は地域の発展と共に存在感を増して行った。1914(大正3)年には「村社」ということになった。やがて村開拓の祖として敬愛される永山武四郎将軍を祀るということになり、1920(大正9)年に合祀した。
↓小さな鎮守の森を経て境内へ進むようになっている。
↓地域の人達に敬愛されて来た風格が感じられる社だ。
↓大正時代の社殿の老朽化が著しかったことから現在の社殿に建て替えた。1993(平成5)年から現在の社殿であるという。
この日は、やや強い俄かな雨が交じる場面も在ったが、雨に当たって難儀ということもなく過ごしていた。「何かに護られている」というようなことも想い、神社を訪ねて参拝ということを思い立った。そして、現在は旭川市の一部となっている永山の地名に名を遺す永山武四郎将軍を祀った神社を訪ねた訳だ。
↓参拝を記念し、永山神社の御朱印を頂いた。
↑地方に出る際、御朱印帳を持参する場合も在る。今般もスティック糊と合わせて持参し、書置き方式の御朱印を頂いて貼った。
北海道内では、村を興す、拓くというような場面で「入植した人達の郷里から神社を分祀」というようなことが行われ、それを基礎に発展した神社が「地域の社」として敬愛されている例が多く見受けられる。そういう神社を心の拠所のようにして、様々な努力を重ねた先人達に想いを巡らせてみるのも時には好いであろう。
<小樽出世前広場>…(2023.10.01)
小樽の堺町通を何気なく歩けば、不意に英語で話し掛けられた。外国人の家族連れか何かで、「写真のシャッターを…」ということだった。最近は「写真=スマートフォン」で、液晶画面の上の指定箇所を押す“タッチパネル操作”だ。実は酷く苦手である。「如何なっている??」と判らない場合も多々在る。そういうことを頼まれた時は「チェックを!問題は無いだろうか?」と尋ねることにしている。今般は尋ねて正解で、何やら画が記録されていない様子だったので再挑戦で巧く運んだ。
↓その一行が記念写真を撮って去った場所がここだ。
↑何か順番待ちの人達が見受けられるような感じの場所だったが、折良く人通りが途切れた瞬間に「面白い!」と思って写真を撮った。
↓大き目な旧い建物が並び、それを利用している場所であるが、路地のような様子の場所に傘を沢山飾っている。
↓こういう設えは今季から始めたようだ。好評を博し、9月末まで延期したということなのだが、片付けてしまう前の段階で観られたということになる。或いは少し運が好かったかもしれない。
こういう「一寸したこと」も今季は多く見受けられ、加えて街の人出が増えているように見える場所も多い。小樽でも「少なくとも日本語ではないと思われる話し声」を耳にした場面も多かった。国内外各地の人達が行き交うようになって来た。
それにしても…写真は普通のデジタルカメラで撮りたい…
↓その一行が記念写真を撮って去った場所がここだ。
↑何か順番待ちの人達が見受けられるような感じの場所だったが、折良く人通りが途切れた瞬間に「面白い!」と思って写真を撮った。
↓大き目な旧い建物が並び、それを利用している場所であるが、路地のような様子の場所に傘を沢山飾っている。
↓こういう設えは今季から始めたようだ。好評を博し、9月末まで延期したということなのだが、片付けてしまう前の段階で観られたということになる。或いは少し運が好かったかもしれない。
こういう「一寸したこと」も今季は多く見受けられ、加えて街の人出が増えているように見える場所も多い。小樽でも「少なくとも日本語ではないと思われる話し声」を耳にした場面も多かった。国内外各地の人達が行き交うようになって来た。
それにしても…写真は普通のデジタルカメラで撮りたい…
朝に…:旭川駅周辺(2023.09.30)
X100F…(2023.09.29)
↓「純正レザーケース」に収まった、愛用のカメラである。
↑この状態で持参していると「旧いフィルムを使うカメラ?」と御尋ね頂く場合も時には在る。が、デジタルカメラだ。
↓頻繁に持ち歩くので、レザーケースは相当に年季が入ったような感じになっているが、中身は別段に傷んでいるという程でもない。
↑2017年9月に入手したという経過のモノだ。稚内・札幌間を駆足に往復して新品で求めていた。
↓こういうようにレンズキャップを外して撮ることになる。レンズ交換式ではないカメラだ。
出先の宿で、もう1台持っているX-Pro2を使って何となく撮ってしまった。使い易く、好い画を撮ることが出来るカメラだが、カメラそのものも麗しく、写真に収めると画になると思う。こうして時々撮ってしまう…そして何時も感謝しているモノでもある。「“持ち主”のおっちゃん」は、カメラを雪や氷点下気温の中でも、暑い日でも持ち歩き、日出時刻前という次元の早朝からドンドン使う。が、カメラは何時も確りと好い仕事をしてくれる。大変に有難い。
↑この状態で持参していると「旧いフィルムを使うカメラ?」と御尋ね頂く場合も時には在る。が、デジタルカメラだ。
↓頻繁に持ち歩くので、レザーケースは相当に年季が入ったような感じになっているが、中身は別段に傷んでいるという程でもない。
↑2017年9月に入手したという経過のモノだ。稚内・札幌間を駆足に往復して新品で求めていた。
↓こういうようにレンズキャップを外して撮ることになる。レンズ交換式ではないカメラだ。
出先の宿で、もう1台持っているX-Pro2を使って何となく撮ってしまった。使い易く、好い画を撮ることが出来るカメラだが、カメラそのものも麗しく、写真に収めると画になると思う。こうして時々撮ってしまう…そして何時も感謝しているモノでもある。「“持ち主”のおっちゃん」は、カメラを雪や氷点下気温の中でも、暑い日でも持ち歩き、日出時刻前という次元の早朝からドンドン使う。が、カメラは何時も確りと好い仕事をしてくれる。大変に有難い。
<BAR BER SUZUKI>…(2023.09.30)
バスに乗る迄に少し間が在り、美瑛の街を少しだけ歩いた。
↓こんな看板が眼に留まった。
↑文字らしいモノが下側に在るが、少し判らない…「アルファベットが逆??」と気付いた。
↓文字が読める向きに廻り込んだ。<BAR BER SUZUKI>…理髪店だ。
↑髪を切る様子の画になっている。
↓何処となく「欧州諸国の街」を思わせる感じだ。
「街並みの見え方」に高い意識を持っているという美瑛らしい様子かもしれない。
↓こんな看板が眼に留まった。
↑文字らしいモノが下側に在るが、少し判らない…「アルファベットが逆??」と気付いた。
↓文字が読める向きに廻り込んだ。<BAR BER SUZUKI>…理髪店だ。
↑髪を切る様子の画になっている。
↓何処となく「欧州諸国の街」を思わせる感じだ。
「街並みの見え方」に高い意識を持っているという美瑛らしい様子かもしれない。
旭川駅到着…(2023.09.29)
乗っていた列車は、列車の行き合いの関係で数分遅れたが、無事に旭川駅に到着した。
↓旭川駅で下車して、列車の後尾側へ…
↑「ここまで運んでくれて有難う!」という気分で、見慣れたキハ261系ディーゼルカーを眺める。この型が登場した当初から稚内・旭川間で走っている車輛だ。
↓直ぐ隣には789系電車が待機中だった。
↑旭川以遠に向かう乗客が乗換える列車だ。
↓こういう具合に並んで停車だ。
↓更に右側には、稚内から着いた乗客が乗換える列車の後に札幌へ向かう列車も待機していた。
↓右側の札幌行が間も無く発車だ。
こういう「到着時の旭川駅」という風情が凄く気に入っている…
↓旭川駅で下車して、列車の後尾側へ…
↑「ここまで運んでくれて有難う!」という気分で、見慣れたキハ261系ディーゼルカーを眺める。この型が登場した当初から稚内・旭川間で走っている車輛だ。
↓直ぐ隣には789系電車が待機中だった。
↑旭川以遠に向かう乗客が乗換える列車だ。
↓こういう具合に並んで停車だ。
↓更に右側には、稚内から着いた乗客が乗換える列車の後に札幌へ向かう列車も待機していた。
↓右側の札幌行が間も無く発車だ。
こういう「到着時の旭川駅」という風情が凄く気に入っている…
車窓…(2023.09.29)
月…:旭川にて(2023.09.30)
夕食を愉しんだ後に少し歩いていた。
↓何気なく見上げた…
↑煌々と輝くような月が見えた。
前夜は月も見えたが、上空を流れ散っている雲がやや多く、少し見え悪かった月だ。美瑛を訪ねた際に言葉を交わした方が、前日は戸外に在った時に雨に降られる場面も在って大変だったが、好い天候になったのが非常に善かったとしていたことを思い出した。
↓画の右側の建物は12階建てだ。高い天から月が下界を照らしている。
「何気なく天を見上げてみる」というような瞬間は意外に好いかもしれない…
↓何気なく見上げた…
↑煌々と輝くような月が見えた。
前夜は月も見えたが、上空を流れ散っている雲がやや多く、少し見え悪かった月だ。美瑛を訪ねた際に言葉を交わした方が、前日は戸外に在った時に雨に降られる場面も在って大変だったが、好い天候になったのが非常に善かったとしていたことを思い出した。
↓画の右側の建物は12階建てだ。高い天から月が下界を照らしている。
「何気なく天を見上げてみる」というような瞬間は意外に好いかもしれない…