勝手な言い草ながら「旭川の別宅」という気分の場所となっている宿の居室で寛いで居る。「夥しい数」ということになってしまうのかもしれない。1日に撮影した(モノクロ)写真を何とか整理していた。「動いた…」という感の日だった。
少し早めに眠気が射し、抗えずに休み、何やら「深夜…」に起き出した。再度眠るということもし悪く、暫く起きていて、やがて再度休むことにした。それでも早目に起き出してしまった。
こういう時は早朝から動くに限る。5時15分かそれ位迄に身支度を整えて出た。
早朝の列車で美瑛に出た。そして路線バスで「青い池」を目指した。そこで愉しんだ後は白金温泉まで歩き、やがてバスで美瑛駅周辺へ引揚げた。
実は「ライトアップ」ということで、「青い池」を夕刻に訪ねるという、観光協会のバスが在って、それに乗車してみようとしていた。その時間まで美瑛町内に在った。
何となく収穫であったのは、郷土資料館の企画展で、美瑛の街並みの変遷に触れる機会が在ったことだ。旧い地図と写真とで見せる展示が凄く面白かった。昭和28年頃、昭和45年頃、昭和60年頃と並べていた。昭和27年に完成したという美瑛駅の建物は、その時代から現在まで変わっていない。壁に「美瑛軟石」という石材を使用している。明治44年頃から昭和40年頃迄、美瑛町内で石材を切り出していたらしい。そういう変わっていない美瑛駅の周りは変わり続けていた。現在では「御伽噺?」という麗しい街並みが整っている辺りになるが、昭和20年代から昭和50年代の様々な建物が在った様子の写真も興味深かった。
結局、「青い池」や「白髭の滝」は朝と夜に観たというような感じで興味深かった。
旭川へは午後7時頃に引揚げ、ふらりと辺りを歩いて「鮭ぶしらーめん」というモノを夕食として頂いた。これが酷く美味かった。北海道の鮭を、(鰹節の豊かなノウハウを有する)鹿児島県枕崎市の業者に依頼して「鮭節」に加工し、それを利用した出汁を使った塩ラーメンだ。一寸好いモノを知った。
美瑛の見聞は追って纏めることとしたい。「青い池」と「白髭の滝」との間の3km余りを始め、相当に歩いた。明朝はゆっくり過ごして差支えないのだ。今夜は、眠気に抗い悪くなった時点で眠るというだけのことだ。
旭川駅到着…(2023.11.03)
↓「他所の街の駅」ではあるが、旭川駅のこういう様子は少し見慣れている。
↑稚内駅で朝6時36分に出る特急列車に乗車し、車内での居眠りも交じった感の中、キハ261系ディーゼルカーは10時19分に旭川駅に着く。「ここまで運んでくれて有難う」と車輛を何気なく眺める。
↓隣のホームは少し見慣れないような気がした。
↑旭川以遠、札幌迄の列車に乗換えが出来るように、直ぐ隣に789系電車が待機している。通常は<ライラック>の仕様だが、<カムイ>の仕様が停車し、先頭に<ライラック>という列車愛称を掲出していた。
構内に放送が流れていた。「運用の都合で通常とは異なる車輛を使用しています。1号車のグリーン席が在りません。ご利用を予定されていた御客様は乗務員へ御申出願います」ということだった。
<ライラック>の仕様は6輛編成で「一部がグリーン席」という車輛を連結している。<カムイ>の仕様は5輛編成で、「一部がグリーン席」という車輛は連結していない。<カムイ>の場合、4輛が自由席で、1輛が指定席だ。今般は<ライラック>としての運用なので、少し様子が変わるのであろう。
↓やや見慣れない感じの眺めになっている。
時にはこういう様子も面白いと思いながら改札へ向かい、嵩張るモノをロッカーに預けて動き回り始めたのだった。
↑稚内駅で朝6時36分に出る特急列車に乗車し、車内での居眠りも交じった感の中、キハ261系ディーゼルカーは10時19分に旭川駅に着く。「ここまで運んでくれて有難う」と車輛を何気なく眺める。
↓隣のホームは少し見慣れないような気がした。
↑旭川以遠、札幌迄の列車に乗換えが出来るように、直ぐ隣に789系電車が待機している。通常は<ライラック>の仕様だが、<カムイ>の仕様が停車し、先頭に<ライラック>という列車愛称を掲出していた。
構内に放送が流れていた。「運用の都合で通常とは異なる車輛を使用しています。1号車のグリーン席が在りません。ご利用を予定されていた御客様は乗務員へ御申出願います」ということだった。
<ライラック>の仕様は6輛編成で「一部がグリーン席」という車輛を連結している。<カムイ>の仕様は5輛編成で、「一部がグリーン席」という車輛は連結していない。<カムイ>の場合、4輛が自由席で、1輛が指定席だ。今般は<ライラック>としての運用なので、少し様子が変わるのであろう。
↓やや見慣れない感じの眺めになっている。
時にはこういう様子も面白いと思いながら改札へ向かい、嵩張るモノをロッカーに預けて動き回り始めたのだった。