<辛味噌らーめん>…:<山頭火>旭川本店…(2023.11.05)

朝8時台から動き始め、ずうっと歩き廻った。途中に日帰り入浴施設を利用したということは在ったが、歩き廻る距離が自身の基準でやや長くなり、何か足取りが少々重い感じにもなった。

↓宿に向かう前に買物に寄ろうとしていた。その買物への道筋でこの御店を眼に留めた。
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↑なかなかの人気店で、御店の前に行列が出来ている場面も多い。行列の場所まで設えられている。が、午後2時頃というような中途半端な時間帯で、特段に行列も見受けられない。

↓宿の朝食を摂った程度なので、何か空腹であった。立寄ってみた。
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↓「御一人様ですか?」と直ぐにカウンターの空いていた席に通された。
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↓「辛味噌」を御願いした。「辛い」と言って、自身の感覚では「仄かに」というように思う。程好いバランスだ。
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↓この御店のラーメンは洗練されていて完成度が高いように思う。スープと麺とが巧く絡み、具材も適切である。
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時にはこういう一杯も好い…

<上川倉庫> 事務所棟等…(2023.11.05)

↓旭川の宮下通を歩くと、こういう様子が見受けられる。
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↑午後の光線で、寧ろ陰になっている感ながら、旧い建物の輪郭が光線に浮かび上がる感じだ。

<上川倉庫>は明治中期頃に起こり、物流に伴う倉庫業を手掛けて来た会社だ。煉瓦造の倉庫を多く持っていた。その煉瓦造の倉庫と事務所棟とが、建築の歴史という見地でも貴重であることから、現在は店舗や文化施設として利用されている。それが見える辺りを歩いたのだ。

こういう眺めは好きだ。

帰着…=運行日誌(2023.11.06)

雨交りな稚内に列車で着き、無事に帰宅した…

少し長く、また深く眠った中で朝を迎えた。存外にスッキリと醒めた。何やら「動けない…」というようにも思えた前夜の様子、「電池切れ?」というような様子が、少し普通に戻ったというようにも感じられた。この数日、眠っていた時間がやや短めであったかもしれない。その分をやや長く眠って取り戻したのかもしれない。睡眠で、人は身体の調子を整えているということなのであろう。そういうように思うが、年齢を重ねる中で、調子を整える機能の“力”が弱くなっている、または身体を使った後の“損耗”を感じる迄の時間を要してしまうというようになったのかもしれない。そんなことを想うことが増えたような気もする。

列車での移動を前に、宿の朝食を摂る前の時間帯に散策にでも出てみることを思い付かないでもなかった。が、移動後に細かい用事を足すというような事柄も思い出し、宿の居室で出発迄寛ぐということにした。そして「ウォーミングアップ」とでも言うのか、居室で飲むモノを仕入れに近くのコンビニへ歩いた。前日、宿に引揚げようというような頃には、些か足取りが重くなっていた。2日間連続で随分と歩いたが、前日にはその距離がなかなかのものになってしまっていたのだから、そういうことも在るであろう。コンビニへの足取りは軽かった。概ね平常のような様子で善かった。

宿の朝食は、「会場が混み合うので…」と弁当ケースのようなモノで居室へ持ち帰るのが専らという様子が多かったが、この朝は会場が混んでいなかったので、久し振りに会場でゆったりと頂くことも叶った。何か幸先が好い感じだ。他方、明るくなり始めた後は朝から曇天で、少しばかり薄暗い気がしないでもない。

やがて宿の朝食を摂り、寛いでから遅れないように駅へ向かい、やって来た列車に乗った。以降?車中では随分と長目に居眠りに陥っていた。意外に早いと感じながら稚内駅に着いた次第だ。

今般の見聞等は追って整理する。とりあえず無事に帰着し、これから細かい用事でも足すようにしたい。

<高砂酒造>…:旭川(2023.11.05)

↓明治時代からの建築というモノは、現在の街中では酷く目立つと思う。
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↓様々な理由は在ったのだと思うが、旭川は酒造業が栄えた経過が在り、現在でも酒造会社が立地している。この<高砂酒造>もそうした会社の一つだ。
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↓旭川駅前の宮下通を進んだ辺りで、比較的訪ね易い場所に在る酒造会社だ。
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↓酒造業者の間では伝統的な、そして御馴染の“杉玉”も在る。
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↓こういう古い時代の部屋の感じも伝えられている場所だ。
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↓明治期から昭和初期の商家の部屋という風情がよく伝わっていると思う。
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↓暫し眺め入っていた。
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↓こういう旧いロゴマークは趣深いとも思う。
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↓清酒醸造に関連する情報ということで、精米に関する展示が在って、何か興味深かった。
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↓売店で甘酒が売られていた。求めてみたが、これが美味かった。
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↓酒粕を溶いて作る甘酒という感じで、何か久し振りに頂いた。
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↓旭川に在っては「立寄り易く、同時に興味深い」という場所だと思う。
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「罪から清められた人は幸い」…(2023.11.05)

旭川の街を、朝から午後までにかなり長く歩き廻った。もっと寄ってみたい場所も在ったが、何から酷く歩き廻って、終いに「足の動きが好くない?」という具合、所謂「足取りが重い」という状況にも陥り、遅い昼食と一寸した買物という時間を経て宿へ引揚げ、早朝迄休んだ。

↓そういう日の午後にこんなモノに出くわした。
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↑「余り顧みられていない?」という風な、鉄道の脇の空地を囲う、草が酷く伸びた感じの場所を囲う古びたフェンスに掲出された看板だ。

人の“罪”なるモノは簡単に「清められる」という性質なのだろうか?誰しもが各々に“罪”とでも名付けるべきモノを負って人生を歩むのであれば、それが簡単に清算されるモノとも思い悪い。が、そういうモノが清められるのであれば、それは「幸い」とでも呼ぶ他に無いであろう。

「見過ごしそうな…否、多くの場合に見過ごしているであろう看板」だが、何か考えさせられた。

眞久寺…:旭川(2023.11.03)

旭川に着いて<ちろる>で一息入れてから更に歩いた。

↓「寺だ…」と思えば、何やら英語の看板が掲出されている。
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↑「Shingon-Buddhism Chisan-sect」というのは?「真言宗智山派」のことだ。こういう英訳になるのであろうが、「「Shingon-Buddhism」が英語話者の間で如何程に「判る」のかが不明だ。更に「Chisan-sect」の「智山派」である。そういう余計な事も思ったが、旭川の真言宗智山派の寺というのは興味深い。

「真言宗智山派」だが、これは空海が開いた真言宗の一派で、興教大師覚鑁(かくばん)(1095-1144)による「新義真言宗」に根を持つ一派だ。高野山の内部での対立が深まり、後に「新義真言宗」というように呼ばれた考え方の人達は根来寺に拠るようになった。時代が下り、根来寺は地域の一大勢力となるのだが、豊臣秀吉政権によって制圧されて荒廃した。そういう中で「新義真言宗」の活動を続けた人達は在った。徳川家康の時代になって、京都の智積院が起り、そこを本山とする活動をする人達が「真言宗智山派」というようになって行く。

その智山派は、明治期に開拓が進められる北海道での活動を企図した。1892(明治25)年に旭川村で寺が起り、1907(明治40)年に「成田山眞久寺」と号するようになった。それがこの、旭川の街に在る眞久寺が登場した経過ということになる。

↓何か「真言宗の寺」という雰囲気が濃い本堂だ。
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↓無事に旭川に着いたが、日頃の安寧に感謝しながら参拝をした。
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↓独特な趣が在る建物だ。
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↓脇の六角堂も美しかった。
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↓寺務所に立寄って御朱印も頂いた。
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↓北海道内の霊場巡りの御朱印が在る。
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↓そして大黒天で3種の御朱印が基本だ。
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↓そして限定の切り絵の不動明王が在って、現在こちらで頂ける計4種の御朱印を集めてしまった。
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眞久寺の礎が築かれたという1892(明治25)年頃と言えば、旭川辺りの開拓が本格化するような時代であったのだと思う。開拓されて行く各地では、その開拓の比較的早い時期に社寺も起こされている。そういう経過を想い起させる眞久寺だ。同時に、「成田山」の不動明王信仰の流れを色濃く汲むのが「真言宗智山派」の寺で、眞久寺もそういう流れの寺なのだと思う。

何となく辺りを歩き廻って、少し興味深い場所に出逢うことが叶った。こういう出逢いには感謝したい。

<ちろる>…:旭川(2023.11.03)

列車で旭川駅に着いた後、嵩張るモノをロッカーに預けて少し街を歩いた。

↓何となく眼に留まった様子だ。
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↑少し古い建物に入っている御店と見受けられた。

↓聞き覚えが在る<ちろる>という名。老舗の喫茶店だ。
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↑一寸立寄ってみた。初めてだった。

↓こういう中は雰囲気だ。
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↓席に着いて少し寛ぐこととした。
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↓何方かが寄贈したのだと思われる<ちろる>のマッチ箱のコレクションが飾られていたのを眼に留めた。
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<ちろる>という喫茶店は1939(昭和14)年に起こったそうだ。現在の建物での経過も長い。2011年頃にこの建物の内装を改め、店名を受継いで現在の御店になっているということであった。最近読了した小説『氷点』は1964(昭和39)年に発表されていて、作中の主要な舞台が現在の旭川市内であるが、そんな時代には既に営業していて知られていた御店だった筈だ。小説『氷点』にも、作中人物が立寄る喫茶店としてさり気なく<ちろる>と出て来る。多分、作者も立寄っていたのだと思った。

↓ブレンドの珈琲は“深煎り”、“中煎り”、“浅煎り”から択ぶ。“浅煎り”を所望した。苦み以外の珈琲の味が前面に出るような感じで、こういう感じも意外に好きなのだ。
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↓未だ午前中で、所謂「モーニングセット」を御願いした。こういう具合にトーストとゆで卵が供された。
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↓ジャムが択べるようになっていた。ブルーベリーを所望した。
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↓パンにブルーベリージャムを載せた。小さな瓶の中身で適量だった。
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↓未だストーブは点いていなかった。
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↓動かなくなってしまっているというが、旧い時計が飾られていた。この御店に流れた「時間」を象徴しているような気もした。
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↓少し感じが好い場所と出逢えた感じだ。
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