好天に恵まれた日曜日ということになった。旭川で思い付くままに歩き廻った。
夏が過ぎる程に暑かった、温い空気が少し長く続くと、紅葉または黄葉の情況が微妙だったと聞く。そしてその紅葉または黄葉の時季は、半ば過ぎようとしている。言わば「終盤」という雰囲気でもあった。
↓緑地に黄色系の葉が散らばっていた。北国では黄葉というのも目立つ。
↓晩秋の蒼天に、灯りでも灯したように、黄葉の木が散見する。旭川ではこういう都市緑地や道路脇の木々が存外に立派だ。(逆に、日頃暮らす稚内は、諸条件によってやや貧弱になっているのかもしれない…)
上川神社辺りから街の側へ、概ね南から北へ進むと、都市緑地のように整備された箇所が散見し、各々の呼称等を確かめるのでもないが、散見する木々の様が好かった。
↓やや厚目に黄色系の葉が散らばっていた様子を暫し見入った。
こうした「時季ならでは」という様子は好いものだ。今般、思い付いて旭川を訪ねて過ごし、こうした様子に出遭えたというのは幸いであった。
招き猫…(2023.11.04)
「水道メータ」…(2023.11.05)
好天に恵まれていた旭川に在って、結果的に「精力的に歩いた」ということになった。少しばかり「足取りが重めに」という程度にもなってしまっていた。
眼に留まったコンビニに立寄り、飲物を求めて御店の辺りに佇んで飲みながら一息入れようとした。
↓こういうモノが眼に留まった。所謂「マンホール」よりもかなり小さい感じがした。が、仕組みとしてはマンホールのように金属の蓋で、舗装した地面に開けた何かの目的の穴を塞いでいることに違いは無いであろう。
↑水道関係の機器が埋められているのだと思われる。蓋のデザインが旭橋であるようで面白い。
「足元に眼を留め、提げていたカメラを使う」というようなことは「歩き廻る」という中で出来ることだ。故に出先でも積極的に歩き廻る。と言って、その距離が酷く長い感じになる場合、何日間も「そう言えば歩いた…」という感覚が残存してしまう。何時迄も凄く若いというのでもないことに気付かされる。
眼に留まったコンビニに立寄り、飲物を求めて御店の辺りに佇んで飲みながら一息入れようとした。
↓こういうモノが眼に留まった。所謂「マンホール」よりもかなり小さい感じがした。が、仕組みとしてはマンホールのように金属の蓋で、舗装した地面に開けた何かの目的の穴を塞いでいることに違いは無いであろう。
↑水道関係の機器が埋められているのだと思われる。蓋のデザインが旭橋であるようで面白い。
「足元に眼を留め、提げていたカメラを使う」というようなことは「歩き廻る」という中で出来ることだ。故に出先でも積極的に歩き廻る。と言って、その距離が酷く長い感じになる場合、何日間も「そう言えば歩いた…」という感覚が残存してしまう。何時迄も凄く若いというのでもないことに気付かされる。