「京都産 山椒」ボロネーゼ…:京都・四条烏丸:<BIGOLI>(2023.12.29)

日中に随分と動き回り、宿の居室で寛いでいた中、夕食を摂ろうと思い立った。

滞在している宿の近辺は食事を摂る御店には事欠かないが、気になっていたのは昨年12月に立寄っていた御店だ。正しいボロネーゼ」というようなモノを提供するとしている御店なのだが、時々思い出していた。確か、今年4月に京都に入った時には立寄る機会を設け損なったのだった。

↓そういうようなことを思い出し、少し足を運んでみた。佇まいは昨年12月に立寄った時と然程変わっているのでもない。
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↓年末のなかなかの賑わいの中、カウンターに席を用意して頂いた。有難い!そして食膳に赤ワインを…
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昨年12月に立寄った時よりもメニューが増えているような気がした。基本的には独自のボローニャ風の「太麺」なパスタに肉と様々なモノを合わせたソースを絡め、チーズを振るのだが、色々と工夫されたモノが在る。
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↓「御薦め」、「スタッフの間で人気」と色々と在ったが、御願いしたのは「京都産 山椒」というモノだ。とりあえず自身は“来訪者”であり、「京都産」には酷く惹かれてしまう。
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↑山椒を使ったソースで、少し太い独自なパスタを和えている。肉もタップリだ。

このパスタは熱い状態で供されたら、熱い間に元気よく頂くべきモノだと思う。山椒は肉やパスタに、なかなかに合う。仄かに辛いという感じでもあるが、単純に辛さの刺激が在るだけでもない味わいだ。そういうのが非常に好いのだ。

今般は「2回目…間隔は1年…」という感じで立寄った。また機会は設けたい。可能であれば「間隔1年」といわずにである。なかなかに好い感じの料理だと思う。

梅小路蒸気機関車庫:<京都鉄道博物館>(2023.12.29)

「今年最後の…」という表現が散見、または頻発する。<京都鉄道博物館>について、「今年最後の開館」ということで、明日からは年末年始の休館ということになるらしい。そんなことを聞けば…「行ってみよう」ということを思い付く。朝から方々を歩き廻ってみて、京都駅辺りでやや遅い昼食を摂った後、<京都鉄道博物館>まで歩いてしまった。

↓久し振りにこれが観たくなったのだ。「扇形」の機関車の車庫だ。
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↑長く“バック”で走るというのが苦手、または難しい蒸気機関車である。転車台で向きを換えるのだが、その転車台を中心に置いて扇形に車庫を設ける訳である。

↓何か「放射線状」に軌道が敷設されている様子を少し近付いて眺めた。
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↓方々に在った大きな扇形機関車庫の中、この梅小路は蒸気機関車の歴史を伝える場ということになり、資料館として長く活動していた。そしてJR西日本の博物館をこの梅小路蒸気機関車庫に統合し、<京都鉄道博物館>が登場した訳である。
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自身、幼少の頃に廃止直前時期の蒸気機関車が動いている場面を見たことを記憶している。そんな訳で蒸気機関車に少し思い入れが在る。この梅小路蒸気機関車庫には何度か足を運んでいる。今般、不意に思い付いて足を運んだが、そうしてみて善かった。

宵に…:祇園白川への道筋にて…(2023.12.28)

↓辺りを歩いていて、何となく歩を停めた様子だ。
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↑祇園白川辺りへ続く道筋で見掛けた光景だ。「造った」という程のことでもないのだろうが、何か「造られた」かのような景観だと思った。美しい…

こういうような何かを探すというような過ごし方が好いかもしれない。

大黒天…(2023.12.28)

祇園白川辺りから、京阪の祇園四条駅周辺へ抜け、四条大橋を渡って阪急の京都河原町駅へ抜ける。こういう経路を歩いていた。

↓祇園四条駅へ至る道筋で見掛けた。歩を停めて見入った。
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↑なかなかに趣が在る…夜間に照明を当てているので映えるのかもしれない。

歴史を誇る街は「そこらへんに立派なモノ」という例が見受けられると思う。この大黒天も、そんな例に相当するような気もする。

祇園 <Music Bar CABARET>…(2023.12.28)

漠然と「あの街に泊まる機会も設けて、少し時間を過ごしたい」と敦賀の宿を出て散策をした後、部屋を押さえることが叶った京都へ移動した。四条烏丸の少し馴染んだ宿に入った後、「想い出の御店」を思い出した。御店では、その名も<京都ウイスキー>を頂いて寛いだのだった。

一人旅の途次に在る自身のような者も含めて「何方でも気軽に立寄って御愉しみを…」という御店、しかも取り立てて高価でもない「普通」な範囲の料金で愉しむことが叶う御店という場所が愛おしく思い、「想い出の御店」として記憶に残っているままに、夜の四条通に踏み出し、烏丸駅・京都河原町駅間を阪急電車で移動し、四条大橋を渡って祇園白川を抜けて足を運んでみたのだ。

↓記憶のままに、御店は在った。約1年振りだったが、場所は憶えていた。
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↑「一見の旅人」の分際で不遜ながら、「憶えている場所」が在る地区を再訪している形ではあるので、「自身もこの街のファン」というように気持ちが昂る。

↓御店の人達と再会を祝し、<京都ウイスキー>を頂いた。
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静かにウイスキーを啜りながら、御店の方達と、居合わせた方も交えて様々なことを語らう「夕べの酒場」らしい一時を過ごすことが叶うというのは愉しい。自身にとって“旅先”という以上でも以下でもない京都なのだが、こういう場所が在ると、最早「馴染んだ街」という気分だ。御店では国内外の来訪者を積極的に迎えているのだが、そういう人達も自身のように、最早「馴染んだ街」という気分で夕べの一時を過ごしているのだと思う。

↓バーボンの<フォアローゼス>も頂いた。
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最近の話題として、何やら国産の人気ウイスキーが来年から大幅に値上げということが在る。そんなことで、御店の方達や居合わせた方と“酒談義”に興じた。国外の方に少し好評な日本酒を巡る話題から、日本酒の会社の一部で手掛けている“酒粕焼酎”が意外に美味しいモノで、他所ではかの<獺祭>の焼酎をソーダで割る「獺祭ハイボール」なるモノを供して好評だというような話題を提供させて頂いた。

こういう“酒談義”は「好物」で、「国産ウイスキーが高い?バーボンにしたら好い!」と、<フォアローゼス>も頂いた。が、内緒話をすれば、不意に既に地元から転出して久しく、音沙汰が在るでもない或る方が<フォアローゼス>を好んで呑んでいたというようなことを唐突に思い出していたのだった。

年末なので、大きな声で歌うのも好かろうと、年来の御気に入りである『悲しい色やね』を、ドラムス生演奏が入る「他所では考え難い」というカラオケで歌った。何やら、バックバンドを従えて絶唱するシンガーにでもなったような気分だった。時には好い。そして凄く愉しい。

↓特段に計画という程の何かが在るのでもなく、何となくやって来た京都である。そんな京都で、気軽に立寄れる場所が在るのは嬉しい。
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↑年末の、「営業収め」の少し前に立寄ることが叶って善かった。

愉しい一時を過ごし、「後は宿でバタンと休めば好い」という様子になった。細かいことは考えずに京都へ足を踏み入れて滞在し、「明日?明日の朝に何となく考えたら好い…」という流儀で過ごすのは、凄く贅沢だと思う。

<東横イン敦賀駅前>の建物…(2023.12.28)

天候も好かった中、朝から敦賀の街を散策した。なかなかに興味深い展示等も見学し、好い感じの光景にも出くわし、何か気持ち好く敦賀駅の傍に引揚げた。駅のロッカーに預けた荷物を引き取って、列車を待つ段取りとしようとした。

↓その時、何気なく見上げて、そして足を停めた。
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↑蒼天に白い雲が不思議な形状で拡がっている。その天に突き刺さるように建物が聳え立つ感じだ。建物は11階建てだ。

↓何か凄く好い眺めだ。
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↑敦賀の名残を惜しむように振り返りながら、同時に、単純に面白い光景だと思いながら愉しんだ。

前略 四条通から…=運行日誌(2023.12.28)

夕刻から、直ぐに休んでしまえそうな気がして、宿の居室に寛いでいた。が、何やら気分が昂揚して直ぐには寝入らなかった。が、眠ってしまうと、やや長く深く眠ったと思う。スッキリとした感じで眼を開け、起き出した。

宿の居室で寛ぎ、朝食も摂った。そのうちに窓から陽射しである。好い感じの朝だった。宿を出て、敦賀を少し散策することにした。これが存外に好かった。

敦賀では<ムぜウム>と称する展示施設が在って、ここでは孤児や難民がウラジオストクからの船で敦賀に上陸した際に、色々な人達が彼らの受け入れに協力したというような、敦賀で展開した物語を紹介していた。ロシア革命後の内戦で、保護者を喪った子ども達が在った件、第2次大戦が始まった頃の所謂「命のビザ」の件は承知していた。が、そういった支援が必要な事態に当時の日本の人達が関わり、殊に来日した彼らを最初に港で迎えることになった敦賀の人達の活動というようなことは、詳しくは知らなかった。大変に佳かった。

この<ムぜウム>を含めた何箇所かを見学する等しながら、かなり歩いた。やがて午後、敦賀駅で列車に乗った。あの駅では、名古屋へ行く特急列車、京都・大阪へ行く特急列車、京都へ至って大坂や神戸やその先の姫路迄という新快速の列車が毎時各々1本ずつ出るというような感じと見受けられた。

敦賀を出る新快速の列車は湖西線を経由する。滋賀県の主だった街は琵琶湖の東側に並んでいる。そちらを行き交う列車は本数も多い。他方、湖西線は琵琶湖の西側の路線で静かな地域だ。それでも京都やそこから先へ向かうのであれば、東側に比べて距離がより短い。言葉を換えると「速く先へ行ける」ということになる。故に一部の特急列車は、この湖西線を経由して京都へ向かうということも在ったようだ。

湖西線について、南側の一部は利用した経過を記憶しているが、北寄りな側は通り過ぎたことが少なくとも1回在ったというのに留まっている。そういう訳なので、湖西線を移動するというのは少し面白かった。

京都に着けば、京都駅のロッカーに荷物を預けて早速に動いた。

以前に稚内で出くわした京都の方―先方は旅行中でコインランドリーを利用しようとしていた。自身がそこに居合わせて言葉を交わしたという経過だった。―が今年の春に食事を摂る御店を開いたということが伝わっていた。「遅過ぎな昼食」ということでそこを訪ねた。そして再会を祝した。

そこから京都駅に動けば、直ぐに暗くなった。荷物を引き取って宿に移動だ。四条烏丸の何度も利用した経過が在る場所だ。チェックインして居室に入った。一息入れていたが、居室で飲むモノでも仕入れようと思い立った。同時に、昨年の12月に立寄ったミュージックバーを思い出し、訪ねてみた。御店の方達と再会を祝していた。

こうした経過も含め、様々な見聞は何れゆっくりと綴りたい。

実は「帰国」は、神戸空港から新千歳空港へのフライトを利用することを決めている。その前に大阪に滞在することは予定済みだった。京都は宿が取り悪い感じであったのだが、今日と明日とを押さえることが叶ったのだ。京都で何を如何するのか、実は何も決まっていない。明日の朝にでも考えよう。正しく「この街に在る蔵氏の中で何となく休日」という状況のようなものである。こういうのが好い…

京都駅壁面に映り込む京都タワー…(2023.12.28)

敦賀を散策した後、敦賀駅から湖西線を経由する列車に乗った。そして京都駅に着いた。

街に出て「遅過ぎ…」な昼食を愉しんだ後、ロッカーに預けた荷物を引き取ろうと京都駅に立寄った。

↓こんな京都タワーの見え方が凄く好い。
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↓京都駅から正面の道路を渡った辺りに在るビルの上に京都タワーが載っているような感じだ。その京都タワーの部分が、京都駅の大きな硝子張りな壁面に映り込む。
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こういう様子を観ながら「京都に…至った…」と感慨めいたモノが沸き起こる。東京へ飛んでから大宮に入り、富山に滞在し、金沢、福井を通って敦賀に至って過ごした。その敦賀から京都だ。最初の夜行バスから、随分と長い道程を経た感じだ。

そして何度も利用している四条烏丸の宿に移動した。居室で一息入れたところだ。

『ガラスのクレア』…:シンボルロード・モニュメント:敦賀(2023.12.27)

↓街中に、何か艶めかしいような不思議な光景が出現している…
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↓敦賀の「シンボルロード・モニュメント」の一つで、『銀河鉄道999』の一場面を再現したモノである。
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↑<999>の食堂車で“鉄郎”が働いている女性“クレア”に出会う場面だ。

『銀河鉄道999』の作中世界、“機械の身体”に“生命”を移して、「永遠の命」を謳歌するというようになっていて、“生身の人間”は被差別というような感じにもなっている。“鉄郎”は被差別というような状況を抜け、「永遠の命」を謳歌することが出来る“機械の身体”を得ようと旅をしている。旅の途次に出会った“クレア”は、“機械の身体”を得て「永遠の命」を謳歌することが出来るようになっている。しかもその身体は、文字どおりに輝いているが、美しいクリスタルの身体だ。「永遠の命」に「美しい姿」という、簡単に得られるのでもないかもしれないモノを得ているのだが、「それでも!」と「元に戻ろう」ということで、資金を得ようと“クレア”は<999>で働いているというのだ。

“クレア”の挿話は示唆に富んでいるかもしれない。簡単に得られるのでもないかもしれないモノを得て、それで充足するのか否かが判らない。「元に戻ろう」としているのだが、個々人が各々に持っている様々なモノこそが、誰にも得られない最も貴重なモノなのかもしれない。得難いモノを新たに得るのか、元来在る得難いモノを大切にするのか、それが完全な二者択一なのか、併存は可能なのか、そういうようなことを色々と考えさせる挿話だ。

↓何やら考え事でもしているような“鉄郎”の表情の雰囲気も好い。
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敦賀の「シンボルロード・モニュメント」を眺めての散策はなかなかに好い。が、目下、歩道拡幅工事というようなことを進めていて、モニュメントの一部は一時撤去している。メンテナンスをして、歩道拡幅工事が竣工するような頃に戻って来るのだそうだ。

この敦賀の「シンボルロード・モニュメント」に出会えて善かった。

『永遠の星の海へ』…:シンボルロード・モニュメント:敦賀(2023.12.27)

↓街角に、宇宙の軌道で車窓を望む風情の“鉄郎”と“メーテル”だ。
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↑“銀河鉄道”が誇る特急列車<999>で旅に出たい“鉄郎”を導こうと“メーテル”が思う場面であるらしい。そこで『永遠の星の海へ』という題がモニュメントに冠せられている。

それはそれとして、この像を観た時に「『銀河鉄道999』というのはこういうイメージだ!」と強く思った。大宇宙を行き交う列車で旅をするという、大掛かりなSFという形ながら、何か凄く「人生を問う文学」という色合いを感じる『銀河鉄道999』である。暗い宇宙に設定された軌道を行く<999>の窓を眺めながら、出逢った人達や出来事に想いを巡らせる“鉄郎”が居て、傍に“メーテル”が静かに座っているという、正にこのモニュメントのような様子が、作品世界の雰囲気として直ぐに思い浮かぶ。

「『銀河鉄道999』は漫画作品もアニメ化作品も在るが、アニメ化作品では音楽も佳い。そして歌が入る作品も秀作が多いと思う。テレビシリーズの主題歌になった、朗々とした歌声の一部に児童合唱団の声が入る作品だが、アレの歌詞が好い。「人は誰でも幸せ捜す旅人のようなもの」、「君を招くよ 夢の軌道が」、「泣いてるような星の彼方に 青い小鳥が」というようなフレーズが殊更に気に入っている。

↓作品を意識する、しないを問わず、誰しもが列車の車窓を見て考え事でもするかのように、「自身の人生のより良い何か」を探しているのかもしれない。そんなことを想わせてくれたモニュメントだった。
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ということを思った数分後、考えが至ったのは、最近の列車では窓の外を全く見ていないというような感じの人達を見掛ける場合が多くなったということであった。それは如何でも構わないのだが、このモニュメントに会える敦賀に立寄ることが叶って善かった。

「佐渡酒造」…:シンボルロード・モニュメント:敦賀(2023.12.27)

↓「そこの人!旅かね?よう来なさった!如何かね?一杯…」というような声でも聞こえそうで、何やら頬が緩んだ。
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↑清酒なのか焼酎なのかよく判らないが、一升瓶を片手に茶碗酒を呷って御機嫌なおっちゃんは、アニメの『宇宙戦艦ヤマト』でヤマトに乗艦している医師の佐渡先生だ。

あの『宇宙戦艦ヤマト』の原案を創った松本零士は福岡県の北九州市の御出身だった。福井県の敦賀市と「何か深い所縁??」と思った。

敦賀という場所は交通の要衝であるのだが、嘗ては「欧亜国際連絡列車」の経由地であった。東京からベルリンやパリまで、列車と連絡船で移動ということだった。この「欧亜連絡国際連絡列車」が敦賀港駅に入り、海を渡ってウラジオストクに至り、所謂“シベリア鉄道”の列車に乗換えて欧州を目指すということだった。そういう「鉄道」、「港」というキーワードの敦賀だ。1999年に敦賀港開港100年ということになった時、記念事業として「シンボルロード・モニュメント」が構想された。街の中心街で像を設置することになった。「列車や艦船が大宇宙を旅する」ということで『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』という人気作品が想起されるということになり、松本零士の許諾も得て、シリーズのイメージで像を造って設置することになったというのだ。敦賀は2023年12月現在で6万2千人余りの人口を擁するというのだが、歩いてみた街は、何やら静かだった。道路を車輛が行き交っている他方、歩行者は少ない。そこに『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』の作中人物達がやって来たということになる。

↓「そこの駅に新幹線の列車が入るようになるそうだ…少しは賑やかになるかね?旅の人!如何やって来なさった?」と“佐渡先生”は何時までも話しが尽きないというような風情であった。
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少し敦賀を歩き廻って、この「シンボルロード・モニュメント」を眺めてみようと思い立ったのだった。

「北陸新幹線 敦賀開業! 2024.3.16」…(2023.12.27)

敦賀駅で列車を下りた。改札口へ向かおうと通路を歩いた。

↓こういうモノを眼に留めた。新幹線の開業準備が続いていて、期待が高まっている様子が伺える。
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実は、金沢・敦賀間は<青春18きっぷ>を利用して移動した。多分、次のシーズンには出来なくなってしまうと思う。そして、馴染んだ関西方面に入るということも在って、「や彩急いで先へ!」と敦賀へ向かった訳である。

521系電車:敦賀駅(2023.12.27)

4輛編成の電車を乗り継ぐ形で富山・金沢・福井と移動し、福井で列車が4輛編成が入って来るのか、待機しているのかと思っていれば2輛編成の電車が待機していた。思い込んでいたので、背中側に停車待機中だった列車に少し気付かなかったという妙な様子になっていた。

2輛編成の列車は所謂“ワンマン運行”で運転士が1人で乗務している。それでも沿線ではICカード乗車券が利用可能なので、運転士脇の扉だけを開閉するような方式とは違う。乗客の多くはICカード乗車券を利用していた。車中は座席が殆ど埋まって、立っている人達も存外に見受けられ、途中区間でドンドン入替る感じだった。

福井の南西側へ進む形で軌道が敷設されているのだと思う。鯖江、武生という辺りで乗降がやや多かったかもしれない。そして南今庄という駅で「つるが→」を駅名の看板に視たが、何やらトンネルに入り、列車は敦賀になかなか着かない。日中なので、トンネル区間の「暗さ」が際立つ。

南今庄・敦賀間には<北陸トンネル>が在るそうだ。13.8kmの総延長という、在来性区間では日本国内最長のトンネルなのだという。例えば、列車が「時速100kmで走行」とすれば「10km進むのに6分間を要する」という計算だ。何か10分間近くもトンネルだった気がしていたが、<北陸トンネル>の総延長をすれば得心である。

↓長い<北陸トンネル>を抜け、程無く敦賀駅に列車は到着した。
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↑光の感じで美しく見えた521系電車である。

今般、金沢・福井・敦賀の区間で<青春18きっぷ>を使って列車に乗って移動した。こういうのは、自身にとって「最初で最後」という機会になったと思う。記憶に留めたい。

福井駅にて…(2023.12.27)

間も無く列車が着く時、ホーム上に夥しい人が居るのを見て驚いた。

↓列車は折り返し運転で金沢行となるのだった。その乗客が乗り込んで落ち着いた。少し身体を伸ばしながら様子を観ていた。
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↑521系電車というのも、なかなかに美しい車輛だと思う。

↓駅名の看板を眺めた。
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↑「←」の「えちぜんはなんどう」は「越前花堂」と書く。「→」の「もりた」は「森田」と書く。

富山から金沢を経て福井に至ったが、何か「漢字が読めない地名」、逆に「平仮名で示され、漢字が想像出来ない地名」が散見したような気がする。

例えば…「動橋」(いぶりばし)…「大土呂」(おおどろ)…「石動」(いするぎ)…「呉羽」(くれは)…「湯尾」(ゆのお)…「武生」(たけふ)…「能見根上」(のみねあがり)というような駅の名が、個人的には「漢字が読めない地名」、逆に「平仮名で示され、漢字が想像出来ない地名」だと思った。こういうのは「慣れ」だとも思う。北海道も、他の都府県の方にとって、「漢字が読めない地名」、逆に「平仮名で示され、漢字が想像出来ない地名」が色々在る。更に、こういうのは各地に各々に在ると思う。

↓車内で案内も在ったが、駅にも乗換列車の情報が掲出されていた。
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↓ホームに出て、敦賀行の列車が出ることが確認出来たが、車輛が視えない…
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↓と思っていれば、背中側に短い2輛の列車が待機中だった。
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↑これも521系電車だった。2輛が基本で、2つ組合わせて4輛編成となる。ここに至って2輛になったのだ。

金沢駅を発つ…(2023.12.27)

8時24分に金沢駅に着き、改札口を出てみた。8時29分に福井行の列車が出るのだが、その次は9時30分に福井行が出て、列車は9時8分に着く列車の折り返しなので、9時15分頃にでもホームに出て列車に乗り込んで寛いでいると発車という段取りだ。そういうことにして、一息入れた。一息入れたいことに加えて、金沢駅の外観を少し観たいということも考えなかったのではない。

↓金沢駅は壮麗な感じだ。何やら「大袈裟?」にも感じる程度に大きい。これも新幹線の列車が発着するからなのであろう。
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金沢駅で発着している北陸新幹線の列車だが、現在使用されている車輛は「E7/W7系」というモノだ。

JR東日本で新幹線車両に「E〇系」と名付けていて、金沢駅で発着している北陸新幹線の車輛は「7番目の型」なので「E7系」とするとした。車輛はJR西日本でも基本的に同じモノを持つので、JR西日本としては「W」の文字を使い、「W7系」とした訳だ。両方を合わせて「E7/W7系」としている。

「E7/W7系」は12輛編成の列車だ。各車輛は25mの長さだ。高速運転のために独特な形状になっている先頭車は26mで編成の先頭と後尾に連結される。ということは?あの12輛編成の列車は「26m×2輛+25m×10輛=52m+250m」で、302m余りという様子になる。

であれば、駅は「300m以上の列車を覆う屋根等を備えた構造物」ということになる。「300m」だが、これはあの高層ビルの<あべのハルカス>の高さだ。ということは、新幹線の駅は「<あべのハルカス>を横に倒したような幅の建物」ということになる。この長さが「300m」編成の列車の旅客定員は920名余りらしい。勿論、常時満席にはならないが、頻繁に列車が行き交う以上、相当な人数の乗客が毎日のように駅を出入することになる。しかも、新幹線の主要な駅は、街の交通結節点ともなり、近隣のオフィスや学校や、その他街を行き交う多くの人達が通る場所だ。ゆとりの在る造りが求められよう。加えて、多くの人が行き交えば、様々な需要が生じて、それに応えるサービス提供も可能でなければならないであろうし、そこに事業活動の好機を見出す人達という存在も看過出来ないことであろう。

↓金沢駅は、現在はJR西日本と同時にIRいしかわ鉄道の駅ということにもなっている。「金沢駅」の双方に両者のマークが掲出されている。
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↑硝子張りな壁面に、辺りを覆う硝子の屋根の鉄骨が映り込んでいて、少し面白い。

↓改札口の辺りに、新幹線の発車時刻表が掲出されていた。
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↓在来線の列車の時刻表も在った。
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↓蒸気と逆の側へ向かう列車の時刻表も在った。
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↓改札を潜ってみると、こういうように発車案内も掲出される。
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↑個人的な好みとしては、もう少し多目な本数の列車を御案内願いたいものだ。少し早めに駅に入る性分なのでそう思う。

↓こういうような場所も在った。
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↓ホームへ出てみた。
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↓こんな駅名の看板が好きだ。
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↑「金沢」に関しては「東」も「西」も在るようだ。一寸面白い。

↓521系はJR西日本のモノだ。関西で見掛ける233系とそっくりな外観だ。
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↓列車に乗り込んだ。身軽な荷物ながら、棚に上げてしまえば、席がゆったりと使える。
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↑この521系電車は「ボタンを押して扉を開閉」という様子だ。

金沢駅での滞在は極短かった。「何時かまた…」と思いながら、もう少し西へ進んだのだった。

越中→加賀→越前…または富山県→石川県→福井県…=運行日誌(2023.12.27)

「バタン!」と直ぐに休んでしまえそうな気はしたが、そういうことにもならず、敦賀の宿の居室で寛いで居る。半分を移動、半分を歩き廻るという感じで費やした1日だった。

前夜は「早目に休んで差支えない態勢」としていたが、本当に早く休んだ。深く眠っていて、眼が開くと日付が既に改まって、少し経ったという辺りであった。こういう様子になると、少し頭が冴え、直ぐにはサイド寝入ることは叶い悪い。そういう場合、結局は少し起きていて、そのうちに再度休むという以外に、何かを如何出来るのでもない。

そうしている間に早朝の時間帯に入った。富山の宿で支度をして出発した。

富山駅で列車に乗り込んだ。金沢駅へ向かう列車だ。新幹線が開業して、所謂「並行在来線」と呼ばれるようになった区間だ。富山県側、石川県側で各々の会社が携わるということになっている。金沢駅へ向かって行く中、車窓に「高速道路?」というような高架の構造物が見えた。列車が走る軌道と交差するように設えられた施設だ。何やら動いていた。新幹線の列車だった。新幹線に対して「並行在来線」と言っている軌道を行く列車に乗っていたが、新幹線の列車は「立体交差」していた。何やら苦笑が漏れた。「“並行”ではなく“立体交差”じゃないか!?」というのも言掛りじみた話しになるであろうが、在来線と新幹線とは役割が異なる異質なモノだと思う。

そういうようなことを考えていたが、何となく金沢駅に着いた。実は金沢で少し過ごすことを思わないでもなかったが、直ぐに金沢駅を発った。福井駅へ出て乗換え、敦賀駅に到ったのだ。敦賀に泊まることとして、非常に静かな街を散策した。各種資料館は今日が休館で、明日は開くらしい。明朝に寄ってみたい。

今般は「(“実質的”という例も含めて)初めて」というような場所を巡ることが続いている。稚内から「札幌へ夜行バスで出て、着いてから直ちに移動」で旭川に向かい、東京へ飛んだ。以降は大宮に滞在して川越を訪ね、大宮から富山に入った。富山から、金沢、福井で列車を乗換えて敦賀に至っている訳である。

この間の見聞は、既に一部に着手はしているが、順次綴ってみたいと思う。実は昼食が大ボリュームになっていたので、夕食は摂らないようにしてしまおうとしている。早目に「何時でも御休み頂いて構いません」という態勢にして、宿の居室で寛いで居る。明日?少々、敦賀を歩く。以降は、また移動する。

鼓門(つづみもん)…:金沢駅(2023.12.27)

金沢駅到着の後、直ちに移動を続けるのでもなく、金沢駅でほんの一息入れることにした。

↓微妙に小雨な駅前に一寸出てみた。一目観たかったという代物だ。
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↑通行中、または立ち止まっている人達との対比で判るが、驚く程に大きな門が駅前に設えられている。

↓柱の形状を観て「和楽器の鼓?」と思ったのだが、正しくそのとおりで、これは「鼓門」(つづみもん)と呼ばれるらしい。
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↑この鼓の形をイメージした柱は13.7mの高さだという。4階建てや5階建ての建物の高さであっても不思議てはない高さだ。

今般、少し迷って結局「降り立った」ということに留めた。嘗て大雪で数時間も遅れて雪塗れになった特急<日本海>を止む無く下り、京都や大阪へ向かう列車に乗換えたという出来事が在ったのが、この金沢駅だった。そこから随分と経つが、何とか金沢駅に「降り立つ」ということをしてみたかったのだ。

全く「だから?」という話しだ。が、それはそれとして、この鼓門には驚かされた。

「迎春」…:金沢駅の駅ビルにて(2023.12.27)

金沢駅の改札を出て、駅のビルの中を少し歩き廻ってみた。

↓8時半に商業施設が開店する。その施設の出入口辺りだ。明らかに「来る新年を賀す」という飾りだ。
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↑和風で美しい飾りだが、天井に「〇(円形)を中心に、囲むような5つと組合わせた」というピカピカの飾りが在る。この形?所謂「梅鉢紋」の形で、「梅鉢紋」は金沢を本拠地とした大名の前田家の家紋だ。細かく言えば、中央の部分の形は色々と在って、前田家の場合は、金沢の宗家、富山、大聖寺、七日市という所謂“支藩”で少しずつ変えていたそうだ。

前田家は「権威を示す」という意図か、「菅原道真の一族の後裔の流れを汲んでいる」と称したのだという。そして菅原道真に因む梅鉢紋を用いるようにしていた。そこから、江戸時代を通じて前田家一門の知行地であった北陸地方では「天神信仰」というような形の神道が盛んであったのだそうだ。加賀前田家の3代目である前田利常―かの前田利家が56歳の頃の息子であるという。兄の前田利長に子が無かったことから「養子」として後継者になった。―の頃から、梅鉢紋を多用するようになったらしい。

さり気ない飾りから色々な事を想い起した。何れにしても、こういうような明確で華麗な「迎える新年を賀す」という飾りは、今季で初めて観たかもしれない。年末の日々を出先で過ごしている。

IR521系電車…:金沢駅(2023.12.27)

「並行在来線」と言っている。2015年に富山・金沢間はJR西日本の所管を離れた。倶利伽羅駅・金沢駅は石川県の自治体や民間企業が出資して起こした「IRいしかわ鉄道」という会社が運行等を行っている。

富山駅から金沢駅を目指そうと列車に乗った。富山駅で改札を潜り、金沢駅から改札を出る分にはICカード乗車券を普通に利用出来る。途中駅から繋がっているJRの所管のままの各線に乗換える、金沢駅以遠のJRの列車に乗換えて更に動くということになるとICカード乗車券が使えないらしい。序でにJRの企画乗車券である<青春18きっぷ>も使えない。

とりあえず1時間程の移動となるが、富山駅から金沢駅への列車に乗った。JRの普通列車と変わるのでもない。車窓に「高速道路?」というような高架の構造物が見えた。列車が走る軌道と交差するように設えられた施設だ。何やら動いていた。新幹線の列車だった。新幹線に対して「並行在来線」と言っている軌道を行く列車に乗っていたが、新幹線の列車は「立体交差」していた。地域の「普通の移動手段」として多くの乗客で賑わった感じの「並行在来線」は、広域的な移動を担う手段の新幹線とは役割が大きく違う。「立体交差」の「異質」なモノを「並行」と呼んで、何やら経営体制を面倒にしているというように、個人的には感じた。

↓余計な事も考えながら様子を観ていれば、列車は金沢駅に到着した。着いた車輛は、折り返し運転ではなく、回送になるようだ。
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↑車輛の中は「主に関西圏で乗車した記憶が多々在るJR西日本の普通列車等」と何ら変わらない。外見も似ているが、利用した編成は塗装を新会社のデザインに改めていたようだ。

車輛は521系電車である。関西圏で見掛ける223系電車とそっくりだが、電気の供給方式が異なる北陸地方の状況に対応した機器が入っている。両系統の電車は、連結して動かすようにはなっていないということだ。内装は殆ど同じで見分けが出来ないので、関西圏の各列車で見掛ける223系の雰囲気を想い起した筈だ。

富山県内の区間、石川県内の区間を手掛ける会社に加え、新幹線の延伸という中で福井県内の区間を手掛ける会社も登場するようだ。所謂「北陸本線」は、幾つもの会社で携わる区間というようなことになっている。

金沢駅で一息入れ、更に先を目指すことにしてみた。

川越熊野神社…(2023.12.25)

川越はなかなかに面白い感じで、冬の蒼天の下を心地好く歩き廻った。

↓年季が入った石の鳥居を眼に留めた。
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↑川越熊野神社だ。

↓「神社」では「初詣の備え」という雰囲気が色濃い場所も多かった。ここも例に漏れないのかもしれないが、「茅の輪くぐり」の設えが見受けられた。
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川越熊野神社は、1590年に紀州熊野から分祀されたのだという。開運、縁結び、厄除けの神社として知られるそうだ。

↓無事に川越へやって来て、好い時間を過ごしていることに感謝の意を表すべく参拝し、御朱印を頂いた。
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↓「熊野神社」と言えば「八咫烏」(ヤタガラス)である。こういうキャラクターが在る。
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旧いモノが色々と伝わる川越で、長い伝統を受け継ぐ神社に出会えた。

<7018>…:富山駅:富山の路面電車(2023.12.26)

一日乗車券を入手し、富山駅の「市内電車」の乗場に足を運んだ。

↓こういう車輛が現れた。
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↑<7018>は1957(昭和32)年から1965(昭和40)年に22輛製造されたという<7000形電車>の1輛だ。殆ど還暦の車輛だ。本当に「昔ながらの…」という雰囲気を強く放つ車輛だ。

路面電車は、こういう年季の入った車輛と、比較的近年に登場の新しい車輛とが同じ軌道を行き交っている様子を観るのが面白いと思う。

時の鐘:川越(2023.12.25)

「冬の好天」という様相の中、JR川越駅を起点にゆっくりと街を歩き廻った。色々と旧い建物も残る川越は、歩き廻るのが愉しい街だと思う。

↓蒼天に映える感じの塔が視える。
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↓「蔵造りの街並み」の一隅に枝道のようなモノが在り、そこに聳え立っている塔だ。
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↑「時の鐘」であるが、「鐘撞堂」(かねつきどう)とも呼ばれるようだ。

↓江戸時代、17世紀半ばに登場したモノが、火災等で損なわれる都度に再建され、現在のモノは1893(明治26)年の火災の翌年に再建されたそうだ。
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↓街の人達に時刻を伝えるべく鐘が撞かれたという経過が在る場所だ。損なわれても再建され、街と人々を見守り続けた塔だ。「川越」の「象徴」のような存在感を放つ塔だ。
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好い感じでこの塔を眺めることが叶って善かった。

<とやま鮨>の「抗い難い誘惑」…(2023.12.26)

富山に着いて、宿に連泊することとした第一夜、宿の近所で<とやま鮨>に出くわした。「海の幸が豊富な地域で美味い」という富山県の魅力の一端を、手軽に御好みで愉しむことが叶う御店だった。

↓翌日には富山を離れようということにした中、前夜も寄った<とやま鮨>を再訪した。
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↓「氷見寒ブリ」の握りを頂いた。「シャリ小さ目」を指定出来るのも好いが、「富山のさかな」を代表するモノの一つと謳われるブリは秀逸だ。「寒ブリ」と言うが、冬季が旬であるようだ。
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↓ブリ大根を御願いした。煮込んだ「氷見寒ブリ」ということになる。これが美味い。
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↓「のどぐろ」も辺りを代表する魚であろう。その吸い物が素晴らしかった。
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↑「魚を使ったスープ」ということになるのだろうが、こういうモノは非常に好きだ。

↓「氷見寒ブリ」の「もつポン酢」は、大きな魚の胃を使うのだというが、何とも名状し難い美味さだ。歯応えが秀逸である。
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↓ホタルイカの沖漬けは、醤油で漬け込んだようなモノだが、今般はこれが凄く気に入った。
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↓そして「黒作り」は、塩辛のように少し濃厚で、イカ墨を使う。ホタルイカの美味しい頂き方だ。
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↓鯛、ヒラメにウマヅラハギの昆布〆と、白身魚の握りを3貫盛って頂いた。
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↓「サーモンいくら」も摘まんだ。
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なかなかに人気も高い御店と御見受けした。自身が立寄った時も何となく賑わっていた。前日に立寄った時は少し遅めで、やや静かであったが「売切れ御礼」のモノが散見した。それを頂くことが叶った。

結局「日本海の幸」は佳いのだ!改めて感じたが、同時に永く海の幸が愛され、料理が受継がれているというのは、富山県辺りの「地域の力」というモノなのかもしれない。「宿の直ぐ傍で気軽に立寄ってみた」ということではあったが、何か素敵な場所に出会った。

<T101>…:国際会議場前:富山の路面電車(2023.12.26)

↓街で見掛ける「市内電車」の停留所だ。
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↑「国際会議場前」という停留所だが、停留所の奥に見えている硝子張りの建物の壁が正しく<富山国際会議場>だ。1997(平成9)年に完成したそうだ。

↓路線図が掲出されている。「国際会議場前」は「環状線」の中の停留所だ。
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↑富山駅の北側、岩瀬浜から富山駅を経て環状線に入った電車は、また富山駅に到ってから岩瀬浜を目指す軌道に入る。何か「数字の“6”」のような形に敷設された軌道上を動いている感じだ。

↓電車が現れた。環状線は「単線」で、内回りと外回りとが並走しているのでもない。
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↑この「国際会議場前」という停留所では「電車が県庁前を出ました」、「電車が丸の内を出ました」と、2つ前、1つ前の停留所から出て向かっている旨を自動音声で停留所に居る乗客に伝える仕組みが在る。

↓カーブを曲がって近付く電車の背後には富山城だ。見えるのは1954(昭和29)年に建てられた、所謂“模擬天守”である。
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↓そして走っている車輛は<T100形電車>である。
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こういうような路面電車で気儘に街を動き回るのは、何処であっても愉しい。そして「初めて」な富山であったにも拘らず、何か「少しばかり馴染んだ街」という気分で動き回っていた。再訪を期したい。

「1日 フリーきっぷ」…:富山の路面電車(2023.12.26)

↓富山の街にはこういうモノが在る。
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↑「市電」と呼び習わされている「市内電車」と一部のバスに、「利用日」の一日を通じて何度でも随意に乗降可能な、所謂「一日乗車券」だ。

JR富山駅に隣接の、富山地方鉄道の駅に在る窓口で求めることが出来る。
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↑所謂「地方の私鉄電車」という感じの、専用軌道を車輛が行き交う路線の他、「市電」と呼び習わされている「市内電車」、加えて市内や近郊の路線バス、更に都市間バスも手掛けている富山地方鉄道で、ここの窓口を訪ねると各乗車券等を求めることは叶うようになっているようだ。気付いたのは「富山・名古屋」の都市間バスはポピュラーなようで、朝から夕方迄に「毎時1本」というような程度で運行されているようであった。

↓都市間バスに関しては、こういう具合に路面電車に大きな広告も掲出していた。
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↑広告を掲げている<7000形電車>は1957(昭和32)年から1965(昭和40)年に22輛製造されたそうだ。最近は順次新しい車輛に入れ替えられているようだが、「もう直ぐ還暦」または「既に還暦」という車輛だ。

↓話しを戻すが、「一日乗車券」はこういうように日付を“スクラッチ”で利用する。
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↑今般、窓口で「今日、これから直ぐ使う」と申し出ると、係の方が“スクラッチ”してくれたので、そのまま使用した。各地でこの種の券は出ている。“スクラッチ”で有効日が確定し、それを「市内電車」の乗務員に見せて利用する訳だ。

「街の中を自在に動き回る」という公共交通機関の「一日乗車券」は非常に好い。価格に関してガタガタ言いたいとも思わないが、1回の乗車で210円の「市内電車」に650円で何度でも乗降可能なのは有難い。が、それ以上に「細かいことをきにせずに、公共交通機関を利用、加えて徒歩で広く動き回ることが可能な場所での“行動の自由”が得られる」というのが非常に好い。

電車の乗務員(運転士)に、下車する際に「有難うございます」とこの券を提示して、富山の街を動き回ったのだった。

<T101>…:電鉄富山駅/エスタ前・富山駅 間:富山の路面電車(2023.12.26)

↓立山連峰が背後の遠景に見えている中、路面電車が途中で何度か信号停止もしながらゆっくりと進んでいる。
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↓連接方式を採用して低床型を実現している近年の車輛であることが、カーブの区間で判り易くなる。
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↓3連接になっている<T100形電車>だ。
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↑2010年に導入された型で<サントラム>という愛称が冠せられている。「サン」はこの種の低床型として「3番目」の型であること、そして「太陽」の「Sun」に引っ掛け、「燦然とと輝く」という願いが込められているのだそうだ。

↓美しいと思い、眺め入ってしまっていた。
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<0603>…:電鉄富山駅/エスタ前・富山駅 間:富山の路面電車(2023.12.26)

富山の路面電車は6つの運行系統が在るそうだ。それらの多くが、富山駅の高架下に集まる。電鉄富山駅/エスタ前から富山駅へ、逆に富山駅から電鉄富山駅/エスタ前へ動く場合、車輛が概ね90度のカーブ道路に敷設された軌道を走行する。

その様子が少し面白いのだが、電鉄富山駅/エスタ前の方角には、遠くに立山連峰が見える。「山々に抱かれた土地が海に向き合う」というような辺りに街が拓けて長い経過を歩んだ「富山」を強く意識させる光景だと思う。

↓<0603>が電鉄富山駅/エスタ前側から富山駅側へ進んでいる。
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↓連接の美しい車体が、立山連峰を背後にカーブ区間を走行する様は美しい。
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↓複線区間で、様々な年代の車輛が擦違う様子が面白いと思う。
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↓富山駅の北側、富山港線を路面電車化した際に登場した新造車輛が<0600形電車>である。富山駅の高架化により、路面電車の各路線が結び付いた。結果、それまでこの富山駅の南側には現れなかった<0600形電車>が現れるようになった訳である。
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↓画の左側が富山駅だ。
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「立山連峰を背景に路面電車が行き交う様子」に興味が在ったが、現場で様子を観られる時間が限られていた中、意外に好い場所を発見し、そこで少しゆっくり写真を撮っていた。こういう過ごし方も好い感じだ。

早目に休んで差支えない態勢に……=運行日誌(2023.12.26)

「些か早い?」とは感じながら、早目に夕食も愉しみ、宿の居室で飲むモノも仕入れているので、「何時でも御休み頂いて構いません」という態勢に入って、宿の居室で寛いで居る。前日や前々日よりも些か早めな時間帯にそういうことをしてしまっているというだけのことだ。

眠ければ眠り、眼が開けば起きていて、また眠れば好い訳で、面倒なことが在るのでもない。夜行バスに乗り込んだ後、連日のようにその「眠ければ眠り、眼が開けば起きていて、また眠くなれば眠る」という程度に過ごし続けている。その延長線上というものだ。

前夜は富山の宿の居室に在って、何となく「眼が冴える」という感じで「夜更かし傾向?」となってしまった。日中に精力的に動いたので、眠りたいという希望は強いのだが、「何時でも御休み頂いて構いません」という様子で、変に寛いでしまっていた。やがて休み、深く眠って眼を開け、また眠ってというようなことを繰り返していて、何やら早朝の時間帯に入っていた。或いは「身体の消耗」を「愉しい故の昂り」が凌駕し、昂った気分で眼が冴えているのかもしれない。気が張っているということではないのだから。

余り早くから動いても、色々な場所が開いているのでもない。少し「ゆっくり」という始動を意図して、朝は居室で寛いだ。居室は18階建ての建物の11階に在る。窓からの眺望も好い感じで、少し寛ぐには好適だと思う。

宿の朝食を頂いた後に一息入れて、午前8時台に始動ということにした。前日も似たようなものだが、今般はチェックアウトをして嵩張る荷物を預けるというようなことが無用だ。何処か「この街に在る中で休日を過ごす」という気分になる状況だ。「随意に過ごす時間を設ける」という中では、こういうように「出先」を強く意識しない程度に過ごすのが心地好いかもしれない。

富山では「市電」と呼んでいる路面電車が活躍している。、これは専用軌道の電車と区別して、街の併用軌道を行き交っている電車を「市内電車」と称し、それを略した言い方のようだ。この「市内電車」に650円で1日何回でも随意に乗降可能な“1日券”が在る。宿の直ぐ傍に在る富山地方鉄道の窓口で求められる。それを入手し、何となく市内を巡り、昼食後に宿で一息入れ、また出て、また引揚げて夕食まで更に一息である。

今般は岩瀬を訪ね、所謂「北前船」での繁栄の経過に触れることが叶った。これは非常に興味深かった。この他、「路面電車が在る街」、「立山連峰を望む街」という風情を少しのんびり愉しんだと思う。見聞等は何れゆっくりと綴りたい。富山はもう少しゆっくりと過ごすことも好いかもしれないと思った。今般、岩瀬で旧い「北前船」で活躍した人達の家を見学したが、他には資料館的な場所は訪ねていない。敢えてそうせずに、何となく動き回っていたという感じになる。

夕食は、前日にいきなり出会った<とやま鮨>を再度訪ねた。非常に気に入った!「氷見寒ブリ」のブリ大根、ブリのモツ、のどぐろの吸い物というような料理、気に入ったホタルイカの沖付けや黒作り、そして若干の寿司だ。何か「寿司が美味かった富山」というように記憶してしまいそうでもある。

12月23日の夜遅くに発ち、12月24日は動き続け、12月25日も精力的であった。ここで「少しだけゆっくり」というようになっていたかもしれない。それはそれで好いであろう。明日は富山を離れる。

<とやま鮨>…(2023.12.25)

無事に富山駅に近い宿に入った。日中に多く歩き、高速走行の新幹線とは言え、362㎞も移動している。(稚内・札幌間を思わせる距離だ。)少し寛ぐことが必要だと思った。

宿の居室で飲むモノ等を近隣の御店で求めるというのは、出先での恒例だ。御店で煙草を求めて“たばこ税”を払い、「感謝の納税」という程度に嘯いてもみる。そんなことで、宿の辺りで御店を探そうとした。

↓御店は直ぐに在ったのだが、その御店の少し手前に何やら気になる看板が出ていた。
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↓近付いてみれば…<とやま鮨>…
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↓夕食を摂ろうと立寄ってしまった。
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所謂「回転寿司」だが、カウンター席の辺りに在るタブレット端末で欲しいモノを御願いし、後から小皿を数えて精算する。手軽に御好みで鮨を摘まむことが叶う訳である。或いは最近はやっている方式かもしれない。

↓この時季は「氷見寒ブリ」が推しだという。2種類の握りに“炙り”が加わったモノを頂いた。
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↓少しこだわりの「昆布ガリ」というモノも在ったが、これも美味い。
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↓ホタルイカの「黒作り」というモノは独特だ。
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↓紅ズワイガニは解し身の軍艦巻きと、普通の握りと、“炙り”という組合せを御願いした。
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↓ホタルイカの「沖漬け」も凄く好みに合うモノだった。
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↓「北陸の寿司の王様」と謳っていた「のどぐろ」を“炙り”で頂いた。
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↓白エビは昆布で軍艦巻きのようにするというモノで、これも美味かった。
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↓時季としてやや気温が上がったかもしれないが、それでも寒い時季にはアラ汁が美味い。
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↓もう一つ「氷見寒ブリ」を摘んだ。
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富山県は海の幸が豊富な地域で鮨も美味い場所だという。「いきなり!」かなり愉しんだ。この御店…滞在した宿に酷く近い。「再訪」の強い誘惑に悩まされそうだ…