公衆電話ボックス…:午後:大宮駅東口(2023.12.25)

川越から大宮に戻り、荷物を引き取って列車を待つ迄の間に辺りを歩いた。

↓この場所は「硝子張りの少し大きな壁」というように見える。公衆電話ボックスの硝子に、人々が行き交う様子が映り込む。
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縁が薄かった大宮だが、居心地は悪くなかった。何時か再訪しようと思いながら辺りで過ごした。

「壁」??「△」(さんかく)??:大宮にて(2023.12.25)

「大宮」という地名の由来になったという、「武蔵一宮」こと「氷川神社」を訪ねてみた後に大宮駅へ向かって歩いていた。

↓こういう様子を眼に留め、歩を停めて見入ってしまっていた。
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↑2階建ての建物の高さで窓が設えられた「壁」が忽然と現れたように見えたのだ。

歩を停めてよく観れば、「△」(さんかく)になっている2本の道路に挟まれた用地に、用地の形に確り合わせた建物を建てているということのようだ。光の当たり方の故も在って、「不思議な“壁”」というように見えたのだ。

「だから?」という話しだが、こういうことに気付くのが存外に面白い…

<0605>…:富山駅南口周辺にて:富山の路面電車(2023.12.25)

到着したばかりの富山駅の周辺を歩いた。

↓こういう様子を見掛けた。
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↑富山では路面電車が走っていると聞いていたが、早速出会った。

乗降する停留所に「市電」と在る。「市営交通の電車」ということではない。「市内電車」という意味であるという。富山地方鉄道が運行している電車の中、街の併用軌道を走り回っているモノを「市内電車」と呼び習わし、それを略して「市電」だ。

↓低床型の新しい感じの車輛が発車して離れて行った。
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「富山港線」というJR西日本の路線を路面電車に改めるという構想が出て、2006年に開業した。<富山ライトレール>という会社が富山駅の北側の路線を運行した。新造車輛を導入し、車輛には<ポートラム>という愛称が冠せられた。

やがて富山駅の高架化が行われ、富山駅の南側の併用軌道と「富山港線」とが連結されて車輛が行き交うことも可能になった。2020(令和2)年から、<富山ライトレール>は富山地方鉄道に吸収された。<ポートラム>は<0600形電車>という正式呼称になった。それでも<ポートラム>と呼ばれた頃と同じ外観で動いているようだが。

↓連接の美しい車輛だと思いながら眺めた。
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何か、初めて歩く街で、路面電車に早速に歓迎して頂いたかのようで嬉しかった…

公衆電話ボックス…:早朝:大宮駅東口(2023.12.25)

朝6時過ぎ、大宮駅へ足を運んだ。

前夜にも眼に留めていたが、未だ灯りが残る早朝の感じも少し面白いと思った。
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↑空いた公衆電話ボックスが5つ並んでいる。何度もこの辺りを通り掛かった。が、誰かが公衆電話ボックスを利用している様子は見掛けなかった。

大都市圏では、午前6時過ぎという時間帯に存外な人通りが見受けられると思う。そういうのは、過ぎる程に静かな街で暮らしていると「大きな違い…」と気になる。

小雨が交る夕べに…:富山駅南口にて(2023.12.25)

早朝、大宮の宿の居室でネット予約した宿は「富山駅南口」に近いということだった。

↓その「南口」を目指した。
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↓既に暗い中、些かの雨が交じる。駅の建物を振り返った。
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↑最上部に新幹線の軌道と乗降のためのホーム、中間に在来線、外科医が街と通じる部分という「新幹線を擁する駅」の典型的な構造だと思った。が、12輛編成の列車が発着する訳で、駅は巨大だ。

↓淡い雨雲に霞むような月が覗くが、何やら広壮な駅と駅前である
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↓「大きな“交通結節点”という設え」と地図を見て承知していたが、「眼で観る」と何となく驚く。
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↓背が高いビルが林立している様子が凄いと思った。
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↓JR駅に他の鉄道会社の駅も連結だ。
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富山には連泊する。後から少しゆっくりと様子を探ろうと思った。

富山駅到着…(2023.12.25)

「北陸新幹線」というモノが在る。東京から上信越を抜けて北陸地方に至り、大阪へ向かうという計画の路線である。

「東北新幹線」、「上越新幹線」の一部と連結する形で長野迄の新幹線が開通したのが1997年であるそうだ。その後、金沢までの区間は2015年に開通している。そして2023年、今年になって金沢の先、敦賀迄が開通するということになっていて、一寸話題になっていると思う。

振り返ってみると、学生時代に長野県内へ足を踏み入れた記憶が在るが、当時は所謂「長野新幹線」も開通していなかった。1990年代に舞鶴を訪ねようとした際、新潟から列車で敦賀に至って列車を乗換えた記憶が在る。他に2012年だったが、列車を乗り継いで稚内から青森に至り、青森から特急「日本海」に乗車して京都へ移動しようとしたことが在った。あの時、列車が雪で数時間も遅れ、金沢駅で特急<サンダーバード>に乗換えるように案内が在ったということが在った。

そういうように富山県や石川県を列車で通過したという記憶は在る。が、「駅に着いて街に出る」ということは全くやっていない。そこで、所謂「長野新幹線」の時代から現在まで、全く乗車経験が無い北陸新幹線の列車で富山を訪ねてみようかというようなことを思い付いた。

「思い付いた」としたが、少なくとも2015年に金沢迄の新幹線が開通して「北陸新幹線」という呼び方が登場した後から、新しい列車に乗って北陸地方を訪ねたいという希望は在った。「機会が在れば」とは言うが、こういうような何かをする“機会”というのは「在れば」ではなく「設ける」という筋合いのモノなのだと思う。今般、漸く「機会を設ける」ということが叶った。

余り詳しく考えず、「鉄道網の要」のようになっている大宮に至れば、様々な列車を利用する機会を設けられそうだと思い、今般は旭川空港から羽田空港へ飛んだ後に大宮へ向かった。そして「大宮・富山」で「北陸新幹線」の<かがやき>に乗車したのだ。

↓1時間40分程度の乗車で、列車は富山駅に到った。
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↑全席指定で、列車の最後尾の1号車に乗った。後ろから下車し、列車が混んでいて少しだけ窮屈だった関係で、身体を少々伸ばしながら「ここまで運んでくれて有難う!」と車輛を眺めていた。

↓そのうちに列車は金沢駅を目指して発車した。それを何となく見送った。長野駅迄はJR東日本の乗務員で、そこから先はJR西日本の乗務員だった。富山駅はJR西日本の駅ということになる。
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↑夕刻の移動で、現在の時季であれば、乗車中は寧ろ暗く、窓の外は見え悪い感じではあった。

↓こんなモノを見て実感する。富山駅だ…
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↓新幹線の富山駅に着いた!
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こうして富山の地を漸く踏んだのである。少し感慨が沸き起こる。

「初めて」な街…=運行日誌(2023.12.25)

確り食事も済ました。何か精力的に動き、長距離の移動も在った。現在、富山駅周辺の宿の居室で寛いで居る。些か雨は交っているが、酷く降っているという程でもない。

稚内を発った夜は氷点下6℃程度だった。羽田空港に下りた時の案内ではプラス8℃だった。案内の中で敢えて「プラス」とは言わなかった。東京辺りでは「氷点下」は稀だからであろう。大宮辺りもこのプラス8℃程度で変わりなかったと思う。動きっ放しで眠気を禁じ難くなり、少し深く短く眠り、また眼が冴えて起きていた。そうしている間に日付が変わった。出先では往々にして在る形だ。

早朝に至り、大宮の宿の居室で考えた。大宮の近在で少しゆっくりし、夕刻に移動し、移動した先で連泊でゆっくりしようということにした。そして朝早く、宿の朝食の前に大宮駅に足を運んで列車の券を入手し、宿に引揚げて朝食を摂った後、宿をネット予約ということにしたのだった。こういうような「早朝に考えて、直ぐに動く」というのが、「時間を設けて随意に」という場合の過ごし方というものだ。富山を目指してみることにしたのだった。

富山に関しては、日本海岸を列車で移動した際に通貨はしている。が、富山駅で下車して辺りを歩いたというようなことは全くしていない。凄く興味が在った。そこで、今般は富山に入って、少しいゆっくりすることとした。

その富山の前に大宮である。大宮では「武蔵一宮」こと氷川神社を訪ねた。朝の8時台から動き始めた。動く前に、列車で富山を目指すまでの間、嵩張る荷物を大宮駅のロッカーに預けた。

嘗ての帝国海軍で、軍艦に神棚を設けた時に艦の名に所縁の神社の神職を呼んで儀式を催したそうだ。<大和>は奈良県の大和神社の神職を呼んだと聞いている。<武蔵>に関しては氷川神社の神職が呼ばれたそうだ。「武蔵一宮」に因んでのことであろう。もう少しで2500年と伝えられる永い歴史を誇る氷川神社である。なかなかに立派だ。参拝して御朱印を御願いすれば、対応して頂いた神職は北海道に所縁と判った。開いた御朱印帳の頁の隣に旭川の上川神社で頂いた御朱印が見えた。その方は「懐かしい!」と口にされた。北海度王で活動した経過も在るそうだ。何か「大きな御縁」を感じた。

氷川神社で気を好くして、そのまま川越を訪ねてみた。川越駅で、その辺の地図でも頂こうと、観光案内窓口が開いていることに気付いて、係の方に訪ねた。判り易く元気に、熱心に色々と足得て頂き、そして話しながら見ていた地図を頂き、それを手掛かりに川越を歩いた。見所が多い。実に沢山歩いた。

<川越まつり>を紹介する展示施設が秀逸だった。関係者の皆さんが来館者に色々と説明して下さるのだが、それが非常に好い。結局、「地域の色々なことを語ることが出来る地元関係者」というのが最も貴重な訳だ。<川越まつり>は、江戸で盛んになっていた祭の色々な事柄を採り入れた。江戸の祭は明治期以降に少し姿を変えるのだが、川越の祭は、結果的に江戸時代の様子がかなり残ることになった。それが受継がれているというのだ。

大宮や川越で、殊に川越では沢山の写真を撮った。後日、その見聞を色々と綴ろうと思っている。

大宮駅で荷物を引き取り、新幹線乗場への長い通路を動き回って、新幹線の列車に乗った。東京・長野の新幹線が開通し、年月を経て、長野から更に富山や金沢への新幹線が開通しているが、ここまでその「北陸新幹線」に乗車してみた経過は無かった。もっと明るい時間帯に、外の様子をゆっくりと観るようにすれば好かったのかもしれない。列車は意外に混んでいた。全席指定で、ゴチャゴチャはしていないのだが、何となく窮屈だった。やや少数派の、大宮・富山間の乗車という形だった。

新幹線の駅を備えて大改装したと見受けられる富山駅、そして再開発されたのかもしれない富山駅の周辺は、何やら壮大な感じだった。そして宿に入り、一息入れた後、近くで「北陸の寿司」という手頃な御店を見付けたので立寄ってみた訳だ。

明日?如何しようか、余り決めていない。路面電車が動いている様子を既に見たが、「1日券」というモノも在るようだ。それを入手して、富山を少し歩き廻ろうとは思っている。

最初は少し慌てたが、始動してみれば今般の行動は「順調」と言えると思う。社寺を訪ねる都度、「感謝の意を表する」という感じだ。

旭川駅到着…(2023.12.24)

列車の「運休」により「稚内から旭川へ出られない」という展開を受けての「遠回り」である。夜11時から夜通し走って朝6時に札幌駅に着いて、僅かに30分間に足りるか足りない程度の滞在で札幌駅を列車で発ち、静かに移動を続けた。

札幌で乗り込んだ列車が岩見沢駅へ着く少し前、大雪によるポイントの切替の不具合が生じ、調整をしているという案内が在った。岩見沢駅にやや遅れて入線した。やがて少し先までのポイントの調整に時間を要するので暫く停車という案内が在った。結果的に33分程度の遅れとなった。そのまま、美唄、砂川、滝川、深川の各駅に33分程度遅れて進んだ。

↓そしてそのままの遅れで、午前8時半過ぎに旭川駅である。
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↓結果的に、思い描いていたよりも早く「休日の朝」という風情が色濃い旭川に到着した。
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↓乗継などで急ぐこともない。何れにしても、30分からの延着で、乗継はやや長く待つような結果になってしまっている。自身としては、身体を伸ばしながら「ここまで運んでくれてありがとう!」と暫し車輛を眺めていた。
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↓少し見慣れた旭川駅である。
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検めて「日曜日朝の旭川駅に在る」という状態から、「随意に動こうと設けてみた時間」を改めて「振り出しに…」という気分である。こうして無事に「出発」に至った感じであることを感謝したい。

札幌駅を発つ…(2023.12.24)

旭川空港から羽田空港へ飛ぶという段取りをしていた。早朝から旭川を目指し、昼に旭川に在って、空港へ向かおうと考えていた。しかし朝の列車が運休―前日の夕方には既に運休中で、翌朝の運休が発表になった…―で、稚内から旭川へ出られないという展開になった。そこで夜行バスに慌てて乗ることにした。

無事に、運行案内のとおりに午前6時頃の札幌駅に到着した。札幌駅辺りを歩きながら、「思っていたとおり、直ぐに旭川を目指し、旭川空港から飛ぼう」ということを思った。それが最も「変更」が無い。稚内から旭川へ出て空港を目指す段階で「遠回り」をしたというだけのことになる。

↓6時29分に発車する<ライラック>の「1号」が札幌駅で待機中だった。
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↓この789系電車に乗り込んだ。
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↓券売機で切符は求めた。
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↓例によって身軽な旅だ。
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↓更に、例によって旅路の前途を祝して…
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789系電車が少しだけ明るくなろうとしている軌道を進む中、思っていたとおりに「午前中に旭川。昼に空港。羽田空港を目指して、夕方に首都圏」と出来ることで安堵していた。

しかし後から振り返ると、夜11時から夜通し走って朝6時に札幌駅に着いて、30分間も居ない感じで旭川を目指すという、何か妙に大胆なことをしていたことに思い至った。稚内から旭川へ出て空港を目指す段階で「遠回り」という結果だが、何やら豪快だ…或いは「独特な流儀」かもしれない。

早朝に…:札幌駅(2023.12.24)

↓稚内から札幌迄、夜通し走ったバスを下りた。運行案内のとおり、午前6時頃に到着だ。
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↑何処を如何走ったのかよく判らないのが夜行バスだ。そしてじっと座ったままでもあった。下車して、身体を伸ばしてバスを少し眺めていた。

↓この時季は殊更に「深夜の残滓」が色濃いように感じられる。午前6時過ぎは、未だ札幌駅も静かだ。
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↓既に午前6時以前から動き始めている列車に乗るような人達が通るような箇所だけ灯りが点いている感じだ。
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↓この像に迎えて頂いた。
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「列車が運休?」と慌てて乗車した夜行バスで、無事に札幌入りで安堵した。こういう展開なら?最初から午前中に札幌から飛行機に乗るようにしておけば好かったのかもしれないが、旭川空港から乗る段取りにしていた。旭川を目指すことを考えながら、辺りを少し歩いた。

大宮駅東口…(2023.12.24)

↓何か、地方の核になっているような、やや人口が多い街で複数の路線が乗り入れている鉄道駅とでも言うと思い浮かべるような風情だと思って眺めていた。この辺りが「東口 中央」と言うらしい。“東口”と言っても“北”や“南”が在った…
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↑クリスマスイブの日曜日の夕べで、何となく賑わっている。聞けば、大宮駅周辺は東口の方が少し古くから繁華であったらしいのだが。

思い付きのようにやって来て泊まることにした大宮である。何となく居心地は悪くない…

東京都交通局5500形電車…:品川駅にて(2023.12.24)

羽田空港の駅で、列車に乗ろうと階段を下りていると「間もなく発車」ということになっていて、半ば駆け込むように乗車した。

↓そして品川駅に到り、列車の最後尾側から下車した。
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↑羽田空港から京急の区間を走り、品川から先は都営地下鉄、京成、北総と幾つもの会社の路線を走る。この列車は北総の印旛日本医大へ向かうそうだ。

↓車掌が安全確認をして扉を閉めようとしていた。ここからは地下鉄の区間に入る。
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↑車輛は2018年から2021年に27編成製造されたという都営交通の「5500形」である。この路線は色々な車輛に出くわす場所でもある。

何か「やや御無沙汰の“首都圏の電車”…」と少し列車を眺めてしまった。ここから、通路を進んでJRの列車に乗ったのだった。

B767…:羽田空港(2023.12.24)

旭川空港を発ったフライトは、強めな向かい風に抗いながら進み、定刻より少し遅れて羽田空港に到着した。

下りた後、「直ぐに乗り継ぐ」というような急ぐ用事が在るでもないので、ゆったりと通路を進んだ。

↓「ここまで運んでくれてありがとう!」という気分で、乗って来たB767を眺めた。最近は、やや見掛ける頻度が減ったような気がしないでもない型の飛行機だと思った…午後4時45分前後で、何となく照明が目立つのが時季らしい。
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↑機内のど真ん中で、窓から外の景色を愉しむことは全く叶わなかったが、周囲に他の乗客が居ない、ゆったりした様子での移動だった。

↓反対側にも別なB767が駐機していた。
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空港でこういう景色を愉しみ、途中で御手洗を拝借するような場面も交えて、広い空港ビルを歩き、外へ出る訳だ。

「メーカー希望小売価格 ¥28,900,000」:Mercedes-AMG SL 63:羽田空港(2023.12.24)

羽田空港に着いて、京急の駅へ向かって移動を始めた。

↓高価そうな自動車が展示されていた。
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↓渋い自動車だ…
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↓「モータースポーツ起源のスポーツカーという原点への回帰と、新しい時代のラグジュアリーの融合」、「スポーツカーデザインの長い歴史を新たに解釈し、かつてない次元へと飛躍」、「SLの伝統を受け継ぐ安全性と快適性においても、最新の英知」とメーカーが謳うシリーズだ…
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↓2890万円の自動車ということだった。
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こういう「高級品(!?)」がさり気なく展示されている。「東京」ということかもしれない…

<こりすのトトちゃん>…:大宮駅東口(2023.12.24)

予約した宿を探そうと、大宮駅東口の少し北寄りな辺りに出た。

↓こんな可愛らしいキャラクターの像を眼に留めた。
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↑現在の「さいたま市」の以前、「大宮市」が「市制50年」を迎えた1990(平成2)年に「記念マスコット」となった<こりすのトトちゃん>である。1994(平成6)年に像が設置されたそうだ。

<こりすのトトちゃん>は大宮出身の「あすかけん」という絵本作家が生み出したキャラクターなのだそうだ。嘗ての「大宮市」では、自然や環境と調和しながら発展を目指して躍動する街のマスコットとしてリスを採用したようだ。序でに、サッカーの<大宮アルディージャ>でもリスをマスコットキャラクターに採用している。これは俊敏に走り回るリスがサッカーチームというイメージに合っているということと、リスが愛される動物だからということなのだという。

ほんの少しだけでも、馴染みが薄い街を歩けば、少しばかり面白いモノに出くわす…

上野東京ライン 宇都宮線直通…:大宮駅にて(2023.12.24)

品川駅で、ホームに出た時に現れた列車に直ぐに乗車し、列車を大宮駅で下りた。

↓こういう行先表示が出ていた。
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「東北新幹線の建設に伴い分断された上野駅・東京駅間の東北本線列車線を再度敷設し、上野駅を起点とする東北本線系統の列車(宇都宮線・高崎線・常磐線)を東京駅へ乗り入れさせ、さらに東海道線の品川駅・横浜駅方面へ直通運転させる路線」というのに「上野東京ライン」という愛称が付いたそうだ。2015(平成27)年から、この「上野東京ライン」の列車が運行されている。

↓現れた列車に黙って直ぐに乗ったので余り観ていなかったが、2階建てグリーン車も連結した15輛編成の長大な列車だ。
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↓長大な列車を何となく見送ってしまった。
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↓大宮より先、宇都宮まで行く列車だ。車内はなかなかに賑わっていた。
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一度だけ「湘南新宿ライン」というの―2001年に運行が始まったそうだ…―で浦和から新宿を経て横浜に至るという列車に乗車した記憶が在る。埼玉県側から、より直線的な経路で横浜辺りへ出るのがこの「上野東京ライン」なのだと聞いた。首都圏では、様々な改良が施され、新しい系統の列車運行が順次行われている訳だ。

徒歩での旅行が当然だった江戸時代には、江戸の中心から「1日で動ける最も遠めな辺り」ということで、大宮の辺りは宿場町として栄えた経過があるという。その江戸の中心から離れた「品川宿」の更に南西辺りの羽田空港駅から大宮駅へ、1時間10分程度で到着してしまった。大宮駅・品川駅間は38km弱であるようだ。

↓そんなことも想いながら、何となく駅名の看板を眺めてしまった。
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大きな駅であるが、個人的にはなじみが薄い駅にやって来た訳だ。

「メリークリスマス!」:旭川空港(2023.12.24)

旭川空港で展望デッキに出てみた。自身が搭乗する前の便の飛行機が到着し、乗客が下りていて、そして乗って出発する乗客を迎える準備に勤しんでいるという風だった。

↓ボーディングブリッジの辺りに少し変わった人影が…
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↓サンタクロースが乗客達に手を振っていた…
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少し面白い。観て、何となく和んだ…

「大宮駅案内図」…(2023.12.24)

一寸、駅の様子を探ろうと、宿に荷物を置いた後に駅へ足を運んでみた。

↓「何やら、凄い場所に来てしまった…」という程度に思いながら、眼に留まった案内図を少し眺めた。
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↑「新幹線を含めて、多くの路線が乗り入れている駅」ということで、真中辺りを人が往来し、南北双方で列車の乗場に入り込むようになっていて、何やら色々なサービスが配されているような感じだが、丁寧に探さなければ、目指すサービスが見出し悪いかもしれない。

翌日のことを色々と考えるのが面倒になってしまい、辺りで食事を摂って、宿へ引揚げて休むことにした訳だ。

「緊急発進」からの展開…=運行日誌(2023.12.23-24)

出先の宿の居室で「後は何時でも御休みして頂いて構いません」という様子で寛ぐ夕べは好い。現在、その出先の宿に無事に至った。と言っても、些かの回り道のようなことをした場面も在ったのだが。

現在在るのは大宮だ。埼玉県さいたま市の大宮である。近年、好んで利用するチェーンのホテルに部屋を取った。少し馴染んだような居心地の居室が心地好い。

東京に在った学生時代、埼玉県内には何度も足を踏み入れている。その後?稚内に住むようになって、首都圏へ南下した際に、友人と出掛けたという記憶は在る。が、それも一度だけのことで、随分古い感じになっている。それ以来、多分、埼玉県内に足を踏み入れていない。そして埼玉県内に宿を求めたのは全く初めてだと思う。

大宮は江戸時代には中山道の宿場町だった。「武蔵一宮」こと「氷川神社」を要する地区で、それに因んで「大宮宿」と呼ばれるようになって行ったのだという。明治時代には、大宮に鉄道駅が誘致され、様々な路線の駅ということになり、やがて鉄道の拠点として大きな位置を占めるようになって行ったのだという。

そういう経過の大宮にとりあえず至って、後は「現場で何となく考えてみる」というように思い、この「クリスマスイブの日曜日」に大宮の宿に至ろうとしたのである。

何か「“今年”が程無く“フェイドアウト”…」という程度に感じられる時季だ。とりあえず無事に1年を過ごしたと言えると思う。残念なことも、嬉しかったことも在ったように思うが、「今日、ここに無事に在る」というようなことに感謝したいという感が少し募る。

こういうようになって来ると、少し時間を設けて随意に過ごしたいという気持ちが募る。そうなれば、別段に遠慮する必要は無い。時間を設けるというだけのことだ。そして、とりあえず大宮に至るべく動こうとした訳だ。

「12月24日の早朝に稚内駅から列車で出発」というように予定した。が…去る12月21日以来、何やら雪が多い。多少気になっていたが、12月23日夕方にJR北海道の運行情報を観た。翌朝の列車…12月24日の朝の列車は既に運休が決まってしまった。

こういうようになると?「夜行のバス」というモノを利用し、翌朝早くに札幌に在るという状態を目指すのが好いのかもしれないと思った。夜、稚内駅のビルに在るバスの窓口は21時30分に開くようになっているのだそうだ。とりあえずそこを目指すようにする。

日頃と変わらない様子で、御近所の御店に立寄って食事を愉しみ、その足で稚内駅のビルに在るバスの窓口へ向かった。開いた直後に係の方に訪ねた。そして片道1名で札幌迄の夜行バスの切符を求めることが叶った。それを手に拙宅へ引揚げた。

やがて支度をして、稚内駅のビルの前を目指した。雪が交る中である。「緊急発進」という気分だった。

稚内・札幌間の都市間バス、深夜便に乗車するのは久し振りだ。満席状態で少し混み合った車内だった。浅い眠りで、1回だけ御手洗を利用したが、場所まで進むのが窮屈で、少しだけ難儀した。順調に走り続けたようで、運行案内のとおり、概ね午前6時に札幌駅前に着いた。稚内へ向かうバスに乗車出来るのは「バスセンター」だけなのだが、札幌へ向かうバスは苗穂駅前、バスセンター、札幌駅前で下車出来るのだ。

未だ暗い札幌駅の辺りで、6時29分に旭川へ向かう特急列車が出ていることを知った。乗車券と特急券とを求めて乗車した。

岩見沢駅へ着く少し前、大雪によるポイントの切替の不具合が生じ、調整をしているという案内が在った。岩見沢駅にやや遅れて入線した。やがて少し先までのポイントの調整に時間を要するので暫く停車という案内が在った。結果的に33分程度の遅れとなった。そのまま、美唄、砂川、滝川、深川の各駅に33分程度遅れて着き、旭川到着も33分程遅れていた。列車の窓から外を伺う限り、札幌市内は然程の雪でもないが、岩見沢以北は少し雪が多目になっていた。朝から天候は悪くないが、昨夜遅くに存外な雪が降ったということなのであろう。

列車が遅れたとは言え、午前9時になる前に旭川駅に在って、駅の傍に在る「東川町で起こったカフェ」に立寄り、ゆったりと寛いで居た。これ自体、なかなかに好いと思う。

実を言えば、早朝から旭川を目指し、昼から旭川空港に至り、そこから飛ぶということを考えていた。いきなり阻まれた形になったが、夜行バス、雪の影響で少々遅れた列車で、過ぎる程のゆとりを持って旭川に到ることが叶ったのだ。これはこれで善い。気が向くように動けるということに感謝したいものだ。

旭川では予定していたフライトを利用出来た。空港へ移動し、飛行機に乗ったが、飛行機は「強めな向かい風」で定刻よりやや遅れて羽田空港に着いた。

羽田空港から先は、京急で品川駅に出て、品川駅でJRの<上野東京ライン>と呼ばれている列車、「宇都宮行」というのに乗り込んだ。首都圏は、列車本数が多く、乗客も多い。駅で何となく動いていれば、待つ間も無く目指す先へ向かう列車が直ぐに現れる。そして大宮に至ったのだ。羽田空港の地下に在る駅から列車に乗り、1時間10分程度で大宮駅に到ってしまった。速いと思う。徒歩での旅行が当然だった時代には、江戸の中心から「1日で動ける最も遠めな辺り」ということで「大宮宿」は或る程度栄えたのだという。現在の列車は、速度が上がる箇所は時速100㎞を超えている訳だから、「品川宿」のもっと向こうから「大宮宿」へ1時間10分程度ということなのであろう。

前夜から「動きっ放し」に近い。本格的に長い距離を歩き廻るようなことはしていないかもしれない。が…稚内・札幌の夜行バス、札幌・旭川の列車、旭川・東京の空路、羽田空港・品川・大宮の列車と相当な距離を動いている。宿の近くで確りと夕食も摂った。本当に「何時でも休んで…」という状態だ。明日のこと?正しく、明朝に考えることにする。

都市間バス 稚内・札幌間 深夜便…(2023.12.23)

早朝の列車が動かないのなら、前夜の夜行バスという手段が在ると思った。

↓夕方5時に間に合わずとも、「深夜便」の利用に関連して午後9時半からバス会社の窓口は開く。
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↑午後9時半に窓口が開くのを待って、何らの予約も無いが、乗車が可能か否かを尋ねるということにした。

↓券を入手出来た。あの稚内駅のビルのバス会社の窓口は、現金支払のみだった。
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↓支度をして、バスが出る午後11時の前、午後10時30分過ぎにターミナルへ行った。そして10時45分頃にバスは現れた。
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↓久し振りに都市間バスで札幌へ出る。
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「列車運休のお知らせ」…(2023.12.23)

↓「12月24日朝」という予定はダメだと前日夕刻に判ってしまった。
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↑使用すべき車輛が稚内に着かず、朝は列車を出す術が無いのかもしれないというようなことも思わないでもなかった。

未だ「何とか予定に合わせて動く?」という術を考えることも出来るかもしれないと動いた…

宵に…(2023.12.23)

↓夕食後に稚内駅の辺りに出た。
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↑出た時点で降雪は見受けられなかったが、何やら降り積もった雪が少し目立つ様子だった。

↓氷点下6℃ではあったが、風は弱く、然程キツい様子でもなかった。
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↓年末にはイルミネーションも点けている…
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夕べに…(2023.12.23)

↓野菜系の御通しを摘まみ、<白霧島>を頂いた。
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↑急遽、夜遅くから「行動」という展開も在る中、夕食をゆったりと愉しむことにしたのだ。

↓煮魚を所望した。カレイの一種のナメタだ。これが凄く気に入っている。
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↓鮭のちゃんちゃん焼きを御願いした。
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↓蓋をして蒸し焼きのようにする。
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↓好い按配になった。
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↓適宜、野菜と味噌と鮭を混ぜながら小皿に取って頂く。
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↓1日遅れで冬至のカボチャを頂いた。
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↓2023年も何度となく立寄った御近所だ。こういう場所は有難い。
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夕べに…(2023.12.22)

↓御近所の御店で供する牡蠣が凄く気に入っている。これを頂こうと立寄った。
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↓鳥皮串焼も好い。
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↓ソーセージを頂いた。
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↓トンハツの串焼きだ。
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↓そして豚串だ。
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↓2023年にも随分と立寄った。御近所の寛ぐ場所は有難いものだ。
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道路…(2023.12.22)

↓バスの運転台横に在る正面がよく見える席に陣取った。
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↑道路脇に避けた雪が堆くなっていて、道路幅が少しだけ狭くなり、車輛の擦れ違いに際しては少し慎重に運転するような様子だ。

市内の路線バス等は普通に動いているが、他地域とを結ぶ各種の交通等に乱れが生じている様子だ。

夕刻:大黒3丁目停留所周辺…(2023.12.22)

路線バスを利用して移動しようと、大黒3丁目停留所、街の北側へ進むバスが発着する場所を目指して歩を進めた。

↓除雪が施され、そこから時間を経る中で日中に存外に多い雪が降り積もった。歩道は雪に少々覆われ、通行人が一部を踏締めたという様子になっていた。
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↓それなりに堆く積もった雪の中に、除雪作業を通じて“路”が築かれた。そして降り続いた雪が足元に少々積もったという様子だ。
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↓この程度なら、未だ歩くことは出来る…
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↓停留所の手前で、停車するバスに近付くことが叶う通り道は開いていた。こういうのが無いと「如何したものか?」ということになる。
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↓そのうちにバスが見えた。
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↓俄かな大雪の“爪痕”が残る中、路線バスは普通に動いていた。有難い存在である。
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中庭…(2023.12.22)

↓稚内市立図書館の館内で、何気なく眼に留めた光景だ。
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↑一本の木が目立つ中庭に、降り頻った雪が積もって独特な景観を創り出している。

↓この木は、確かエゾヤマザクラだった。所謂「桜」である。“雪の華”に覆われた感じだ。
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↓中庭というのも、存外に雪の影響を受けるものなのだと思いながら眺めた。
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時にはこんな景色も好い。