所用を足し、旭川駅に至り、少し寛いで“北”へ引揚げる列車に乗るというのは、大きな安堵感に包まれる感じで好いと思う。
↓とりあえず駅舎に入った後、少しばかり時間が在ると、駅の反対側の川が見える辺りに出て、駅舎を何となく見上げる。
↓戸外で少し過ごし、建物内に入って改札を潜り、乗車すべき列車を待つことにする。
↓エスカレータを通って列車がやって来る乗場に出る。
↓乗るべき場所を確かめて、その辺りでやって来る列車を待つことにする。
↓札幌を発って、旭川を経て稚内を目指す列車が姿を見せた。
↓少し見慣れたキハ261系ディーゼルカーの初期型がやって来た。
↓稚内・旭川・札幌の区間で初登場したキハ261系ディーゼルカーである。既に長く活躍中の車輌で、稚内に在って「我が町の列車」という愛着も沸く車輌だ。
↓停車して、入口から車内へ。
↓荷物を棚に上げた。
↓旭川駅から列車は静かに動き始める。以降は稚内迄、ゆったりとしていれば善い。
この旭川・稚内の列車も少し馴染んでいるが、意外に好い感じだ。
<LAWSON>…(2023.12.18)
こんにちは…(2023.12.19)
朝に…(2023.12.19)
夕べに…(2023.12.18)
サウナを利用した後に道草をしたが、立寄った御店が“貸切”を控えていた関係で、文字どおりにハイボールを1杯頂いて直ぐに辞去した。そして御近所へ引揚げ、更に道草をしようとした。
↓街は「積雪寒冷地」という「風情(?)」に溢れるような雰囲気だった。
↓御通しを摘みながらハイボールを頂いた。
↓シーザーサラダも頂いた。
↓手前の鳥串に奥の豚串というのも御馴染になった。
↓鰊切込を摘まんだ。
↓タコめしは外せない。
ハイボールを何杯か頂きながら、やや早目な閉店前のラストオーダーの辺り迄、ゆったりとしていた。
↓イカ塩辛の御茶漬けも頂いてしまった。
そんなことをして寛いで居れば「知った顔」が御店に現れて驚いた。転勤が在る仕事に携わっている方で、他地域に転出して少し長くなる。所用で稚内に入ったということだった。御店はラストオーダーを過ぎてしまったので、先方は程無く辞去したが、何時かの再会を約して別れた。こういう「思い掛けないこと」というのは少し嬉しいものだ。
こうした「馴染んだ場所」での一時というのは、酷く好いものである。
↓街は「積雪寒冷地」という「風情(?)」に溢れるような雰囲気だった。
↓御通しを摘みながらハイボールを頂いた。
↓シーザーサラダも頂いた。
↓手前の鳥串に奥の豚串というのも御馴染になった。
↓鰊切込を摘まんだ。
↓タコめしは外せない。
ハイボールを何杯か頂きながら、やや早目な閉店前のラストオーダーの辺り迄、ゆったりとしていた。
↓イカ塩辛の御茶漬けも頂いてしまった。
そんなことをして寛いで居れば「知った顔」が御店に現れて驚いた。転勤が在る仕事に携わっている方で、他地域に転出して少し長くなる。所用で稚内に入ったということだった。御店はラストオーダーを過ぎてしまったので、先方は程無く辞去したが、何時かの再会を約して別れた。こういう「思い掛けないこと」というのは少し嬉しいものだ。
こうした「馴染んだ場所」での一時というのは、酷く好いものである。
昼に…(2023.12.18)
休業日の昼に馴染んだ御店に足を運んで、食事を摂りながら寛ぐということにした。
↓「ボトルキープ」の泡盛がほんの少し残っていた。一寸、ロックで頂いた。
↓やがて芋の本格焼酎を御湯割りで頂くことにした。低温の日には好い感じだ。新たな「ボトルキープ」である。
↓カツサンドが美味い。
↑この辺りでは、揚げたトンカツと野菜を炙ったパンに挟む感じのカツサンドは、この御店以外に供している例が思い当たらない。「各地の美味いカツサンドを求める旅」というようなことも面白いかもしれないと、店主氏達と話題にしていた。
↓休業日にはこのパフェが好い。
↓最近はこの「昼飲み」が「小さな御愉しみ」という様子だ。
思い付いて、休業日の昼に「ボトルキープ」で酒類も頂くようになったのだが、今2023年に関しては今般が最後になった。年が明ければ、また機会を設けられるであろう。
↓「ボトルキープ」の泡盛がほんの少し残っていた。一寸、ロックで頂いた。
↓やがて芋の本格焼酎を御湯割りで頂くことにした。低温の日には好い感じだ。新たな「ボトルキープ」である。
↓カツサンドが美味い。
↑この辺りでは、揚げたトンカツと野菜を炙ったパンに挟む感じのカツサンドは、この御店以外に供している例が思い当たらない。「各地の美味いカツサンドを求める旅」というようなことも面白いかもしれないと、店主氏達と話題にしていた。
↓休業日にはこのパフェが好い。
↓最近はこの「昼飲み」が「小さな御愉しみ」という様子だ。
思い付いて、休業日の昼に「ボトルキープ」で酒類も頂くようになったのだが、今2023年に関しては今般が最後になった。年が明ければ、また機会を設けられるであろう。