確り食事も済ました。何か精力的に動き、長距離の移動も在った。現在、富山駅周辺の宿の居室で寛いで居る。些か雨は交っているが、酷く降っているという程でもない。
稚内を発った夜は氷点下6℃程度だった。羽田空港に下りた時の案内ではプラス8℃だった。案内の中で敢えて「プラス」とは言わなかった。東京辺りでは「氷点下」は稀だからであろう。大宮辺りもこのプラス8℃程度で変わりなかったと思う。動きっ放しで眠気を禁じ難くなり、少し深く短く眠り、また眼が冴えて起きていた。そうしている間に日付が変わった。出先では往々にして在る形だ。
早朝に至り、大宮の宿の居室で考えた。大宮の近在で少しゆっくりし、夕刻に移動し、移動した先で連泊でゆっくりしようということにした。そして朝早く、宿の朝食の前に大宮駅に足を運んで列車の券を入手し、宿に引揚げて朝食を摂った後、宿をネット予約ということにしたのだった。こういうような「早朝に考えて、直ぐに動く」というのが、「時間を設けて随意に」という場合の過ごし方というものだ。富山を目指してみることにしたのだった。
富山に関しては、日本海岸を列車で移動した際に通貨はしている。が、富山駅で下車して辺りを歩いたというようなことは全くしていない。凄く興味が在った。そこで、今般は富山に入って、少しいゆっくりすることとした。
その富山の前に大宮である。大宮では「武蔵一宮」こと氷川神社を訪ねた。朝の8時台から動き始めた。動く前に、列車で富山を目指すまでの間、嵩張る荷物を大宮駅のロッカーに預けた。
嘗ての帝国海軍で、軍艦に神棚を設けた時に艦の名に所縁の神社の神職を呼んで儀式を催したそうだ。<大和>は奈良県の大和神社の神職を呼んだと聞いている。<武蔵>に関しては氷川神社の神職が呼ばれたそうだ。「武蔵一宮」に因んでのことであろう。もう少しで2500年と伝えられる永い歴史を誇る氷川神社である。なかなかに立派だ。参拝して御朱印を御願いすれば、対応して頂いた神職は北海道に所縁と判った。開いた御朱印帳の頁の隣に旭川の上川神社で頂いた御朱印が見えた。その方は「懐かしい!」と口にされた。北海度王で活動した経過も在るそうだ。何か「大きな御縁」を感じた。
氷川神社で気を好くして、そのまま川越を訪ねてみた。川越駅で、その辺の地図でも頂こうと、観光案内窓口が開いていることに気付いて、係の方に訪ねた。判り易く元気に、熱心に色々と足得て頂き、そして話しながら見ていた地図を頂き、それを手掛かりに川越を歩いた。見所が多い。実に沢山歩いた。
<川越まつり>を紹介する展示施設が秀逸だった。関係者の皆さんが来館者に色々と説明して下さるのだが、それが非常に好い。結局、「地域の色々なことを語ることが出来る地元関係者」というのが最も貴重な訳だ。<川越まつり>は、江戸で盛んになっていた祭の色々な事柄を採り入れた。江戸の祭は明治期以降に少し姿を変えるのだが、川越の祭は、結果的に江戸時代の様子がかなり残ることになった。それが受継がれているというのだ。
大宮や川越で、殊に川越では沢山の写真を撮った。後日、その見聞を色々と綴ろうと思っている。
大宮駅で荷物を引き取り、新幹線乗場への長い通路を動き回って、新幹線の列車に乗った。東京・長野の新幹線が開通し、年月を経て、長野から更に富山や金沢への新幹線が開通しているが、ここまでその「北陸新幹線」に乗車してみた経過は無かった。もっと明るい時間帯に、外の様子をゆっくりと観るようにすれば好かったのかもしれない。列車は意外に混んでいた。全席指定で、ゴチャゴチャはしていないのだが、何となく窮屈だった。やや少数派の、大宮・富山間の乗車という形だった。
新幹線の駅を備えて大改装したと見受けられる富山駅、そして再開発されたのかもしれない富山駅の周辺は、何やら壮大な感じだった。そして宿に入り、一息入れた後、近くで「北陸の寿司」という手頃な御店を見付けたので立寄ってみた訳だ。
明日?如何しようか、余り決めていない。路面電車が動いている様子を既に見たが、「1日券」というモノも在るようだ。それを入手して、富山を少し歩き廻ろうとは思っている。
最初は少し慌てたが、始動してみれば今般の行動は「順調」と言えると思う。社寺を訪ねる都度、「感謝の意を表する」という感じだ。
旭川駅到着…(2023.12.24)
列車の「運休」により「稚内から旭川へ出られない」という展開を受けての「遠回り」である。夜11時から夜通し走って朝6時に札幌駅に着いて、僅かに30分間に足りるか足りない程度の滞在で札幌駅を列車で発ち、静かに移動を続けた。
札幌で乗り込んだ列車が岩見沢駅へ着く少し前、大雪によるポイントの切替の不具合が生じ、調整をしているという案内が在った。岩見沢駅にやや遅れて入線した。やがて少し先までのポイントの調整に時間を要するので暫く停車という案内が在った。結果的に33分程度の遅れとなった。そのまま、美唄、砂川、滝川、深川の各駅に33分程度遅れて進んだ。
↓そしてそのままの遅れで、午前8時半過ぎに旭川駅である。
↓結果的に、思い描いていたよりも早く「休日の朝」という風情が色濃い旭川に到着した。
↓乗継などで急ぐこともない。何れにしても、30分からの延着で、乗継はやや長く待つような結果になってしまっている。自身としては、身体を伸ばしながら「ここまで運んでくれてありがとう!」と暫し車輛を眺めていた。
↓少し見慣れた旭川駅である。
検めて「日曜日朝の旭川駅に在る」という状態から、「随意に動こうと設けてみた時間」を改めて「振り出しに…」という気分である。こうして無事に「出発」に至った感じであることを感謝したい。
札幌で乗り込んだ列車が岩見沢駅へ着く少し前、大雪によるポイントの切替の不具合が生じ、調整をしているという案内が在った。岩見沢駅にやや遅れて入線した。やがて少し先までのポイントの調整に時間を要するので暫く停車という案内が在った。結果的に33分程度の遅れとなった。そのまま、美唄、砂川、滝川、深川の各駅に33分程度遅れて進んだ。
↓そしてそのままの遅れで、午前8時半過ぎに旭川駅である。
↓結果的に、思い描いていたよりも早く「休日の朝」という風情が色濃い旭川に到着した。
↓乗継などで急ぐこともない。何れにしても、30分からの延着で、乗継はやや長く待つような結果になってしまっている。自身としては、身体を伸ばしながら「ここまで運んでくれてありがとう!」と暫し車輛を眺めていた。
↓少し見慣れた旭川駅である。
検めて「日曜日朝の旭川駅に在る」という状態から、「随意に動こうと設けてみた時間」を改めて「振り出しに…」という気分である。こうして無事に「出発」に至った感じであることを感謝したい。
札幌駅を発つ…(2023.12.24)
旭川空港から羽田空港へ飛ぶという段取りをしていた。早朝から旭川を目指し、昼に旭川に在って、空港へ向かおうと考えていた。しかし朝の列車が運休―前日の夕方には既に運休中で、翌朝の運休が発表になった…―で、稚内から旭川へ出られないという展開になった。そこで夜行バスに慌てて乗ることにした。
無事に、運行案内のとおりに午前6時頃の札幌駅に到着した。札幌駅辺りを歩きながら、「思っていたとおり、直ぐに旭川を目指し、旭川空港から飛ぼう」ということを思った。それが最も「変更」が無い。稚内から旭川へ出て空港を目指す段階で「遠回り」をしたというだけのことになる。
↓6時29分に発車する<ライラック>の「1号」が札幌駅で待機中だった。
↓この789系電車に乗り込んだ。
↓券売機で切符は求めた。
↓例によって身軽な旅だ。
↓更に、例によって旅路の前途を祝して…
789系電車が少しだけ明るくなろうとしている軌道を進む中、思っていたとおりに「午前中に旭川。昼に空港。羽田空港を目指して、夕方に首都圏」と出来ることで安堵していた。
しかし後から振り返ると、夜11時から夜通し走って朝6時に札幌駅に着いて、30分間も居ない感じで旭川を目指すという、何か妙に大胆なことをしていたことに思い至った。稚内から旭川へ出て空港を目指す段階で「遠回り」という結果だが、何やら豪快だ…或いは「独特な流儀」かもしれない。
無事に、運行案内のとおりに午前6時頃の札幌駅に到着した。札幌駅辺りを歩きながら、「思っていたとおり、直ぐに旭川を目指し、旭川空港から飛ぼう」ということを思った。それが最も「変更」が無い。稚内から旭川へ出て空港を目指す段階で「遠回り」をしたというだけのことになる。
↓6時29分に発車する<ライラック>の「1号」が札幌駅で待機中だった。
↓この789系電車に乗り込んだ。
↓券売機で切符は求めた。
↓例によって身軽な旅だ。
↓更に、例によって旅路の前途を祝して…
789系電車が少しだけ明るくなろうとしている軌道を進む中、思っていたとおりに「午前中に旭川。昼に空港。羽田空港を目指して、夕方に首都圏」と出来ることで安堵していた。
しかし後から振り返ると、夜11時から夜通し走って朝6時に札幌駅に着いて、30分間も居ない感じで旭川を目指すという、何か妙に大胆なことをしていたことに思い至った。稚内から旭川へ出て空港を目指す段階で「遠回り」という結果だが、何やら豪快だ…或いは「独特な流儀」かもしれない。
早朝に…:札幌駅(2023.12.24)
↓稚内から札幌迄、夜通し走ったバスを下りた。運行案内のとおり、午前6時頃に到着だ。
↑何処を如何走ったのかよく判らないのが夜行バスだ。そしてじっと座ったままでもあった。下車して、身体を伸ばしてバスを少し眺めていた。
↓この時季は殊更に「深夜の残滓」が色濃いように感じられる。午前6時過ぎは、未だ札幌駅も静かだ。
↓既に午前6時以前から動き始めている列車に乗るような人達が通るような箇所だけ灯りが点いている感じだ。
↓この像に迎えて頂いた。
「列車が運休?」と慌てて乗車した夜行バスで、無事に札幌入りで安堵した。こういう展開なら?最初から午前中に札幌から飛行機に乗るようにしておけば好かったのかもしれないが、旭川空港から乗る段取りにしていた。旭川を目指すことを考えながら、辺りを少し歩いた。
↑何処を如何走ったのかよく判らないのが夜行バスだ。そしてじっと座ったままでもあった。下車して、身体を伸ばしてバスを少し眺めていた。
↓この時季は殊更に「深夜の残滓」が色濃いように感じられる。午前6時過ぎは、未だ札幌駅も静かだ。
↓既に午前6時以前から動き始めている列車に乗るような人達が通るような箇所だけ灯りが点いている感じだ。
↓この像に迎えて頂いた。
「列車が運休?」と慌てて乗車した夜行バスで、無事に札幌入りで安堵した。こういう展開なら?最初から午前中に札幌から飛行機に乗るようにしておけば好かったのかもしれないが、旭川空港から乗る段取りにしていた。旭川を目指すことを考えながら、辺りを少し歩いた。
大宮駅東口…(2023.12.24)
東京都交通局5500形電車…:品川駅にて(2023.12.24)
羽田空港の駅で、列車に乗ろうと階段を下りていると「間もなく発車」ということになっていて、半ば駆け込むように乗車した。
↓そして品川駅に到り、列車の最後尾側から下車した。
↑羽田空港から京急の区間を走り、品川から先は都営地下鉄、京成、北総と幾つもの会社の路線を走る。この列車は北総の印旛日本医大へ向かうそうだ。
↓車掌が安全確認をして扉を閉めようとしていた。ここからは地下鉄の区間に入る。
↑車輛は2018年から2021年に27編成製造されたという都営交通の「5500形」である。この路線は色々な車輛に出くわす場所でもある。
何か「やや御無沙汰の“首都圏の電車”…」と少し列車を眺めてしまった。ここから、通路を進んでJRの列車に乗ったのだった。
↓そして品川駅に到り、列車の最後尾側から下車した。
↑羽田空港から京急の区間を走り、品川から先は都営地下鉄、京成、北総と幾つもの会社の路線を走る。この列車は北総の印旛日本医大へ向かうそうだ。
↓車掌が安全確認をして扉を閉めようとしていた。ここからは地下鉄の区間に入る。
↑車輛は2018年から2021年に27編成製造されたという都営交通の「5500形」である。この路線は色々な車輛に出くわす場所でもある。
何か「やや御無沙汰の“首都圏の電車”…」と少し列車を眺めてしまった。ここから、通路を進んでJRの列車に乗ったのだった。
B767…:羽田空港(2023.12.24)
旭川空港を発ったフライトは、強めな向かい風に抗いながら進み、定刻より少し遅れて羽田空港に到着した。
下りた後、「直ぐに乗り継ぐ」というような急ぐ用事が在るでもないので、ゆったりと通路を進んだ。
↓「ここまで運んでくれてありがとう!」という気分で、乗って来たB767を眺めた。最近は、やや見掛ける頻度が減ったような気がしないでもない型の飛行機だと思った…午後4時45分前後で、何となく照明が目立つのが時季らしい。
↑機内のど真ん中で、窓から外の景色を愉しむことは全く叶わなかったが、周囲に他の乗客が居ない、ゆったりした様子での移動だった。
↓反対側にも別なB767が駐機していた。
空港でこういう景色を愉しみ、途中で御手洗を拝借するような場面も交えて、広い空港ビルを歩き、外へ出る訳だ。
下りた後、「直ぐに乗り継ぐ」というような急ぐ用事が在るでもないので、ゆったりと通路を進んだ。
↓「ここまで運んでくれてありがとう!」という気分で、乗って来たB767を眺めた。最近は、やや見掛ける頻度が減ったような気がしないでもない型の飛行機だと思った…午後4時45分前後で、何となく照明が目立つのが時季らしい。
↑機内のど真ん中で、窓から外の景色を愉しむことは全く叶わなかったが、周囲に他の乗客が居ない、ゆったりした様子での移動だった。
↓反対側にも別なB767が駐機していた。
空港でこういう景色を愉しみ、途中で御手洗を拝借するような場面も交えて、広い空港ビルを歩き、外へ出る訳だ。
「メーカー希望小売価格 ¥28,900,000」:Mercedes-AMG SL 63:羽田空港(2023.12.24)
公衆電話ボックス…:大宮駅東口(2023.12.24)
<こりすのトトちゃん>…:大宮駅東口(2023.12.24)
予約した宿を探そうと、大宮駅東口の少し北寄りな辺りに出た。
↓こんな可愛らしいキャラクターの像を眼に留めた。
↑現在の「さいたま市」の以前、「大宮市」が「市制50年」を迎えた1990(平成2)年に「記念マスコット」となった<こりすのトトちゃん>である。1994(平成6)年に像が設置されたそうだ。
<こりすのトトちゃん>は大宮出身の「あすかけん」という絵本作家が生み出したキャラクターなのだそうだ。嘗ての「大宮市」では、自然や環境と調和しながら発展を目指して躍動する街のマスコットとしてリスを採用したようだ。序でに、サッカーの<大宮アルディージャ>でもリスをマスコットキャラクターに採用している。これは俊敏に走り回るリスがサッカーチームというイメージに合っているということと、リスが愛される動物だからということなのだという。
ほんの少しだけでも、馴染みが薄い街を歩けば、少しばかり面白いモノに出くわす…
↓こんな可愛らしいキャラクターの像を眼に留めた。
↑現在の「さいたま市」の以前、「大宮市」が「市制50年」を迎えた1990(平成2)年に「記念マスコット」となった<こりすのトトちゃん>である。1994(平成6)年に像が設置されたそうだ。
<こりすのトトちゃん>は大宮出身の「あすかけん」という絵本作家が生み出したキャラクターなのだそうだ。嘗ての「大宮市」では、自然や環境と調和しながら発展を目指して躍動する街のマスコットとしてリスを採用したようだ。序でに、サッカーの<大宮アルディージャ>でもリスをマスコットキャラクターに採用している。これは俊敏に走り回るリスがサッカーチームというイメージに合っているということと、リスが愛される動物だからということなのだという。
ほんの少しだけでも、馴染みが薄い街を歩けば、少しばかり面白いモノに出くわす…
上野東京ライン 宇都宮線直通…:大宮駅にて(2023.12.24)
品川駅で、ホームに出た時に現れた列車に直ぐに乗車し、列車を大宮駅で下りた。
↓こういう行先表示が出ていた。
「東北新幹線の建設に伴い分断された上野駅・東京駅間の東北本線列車線を再度敷設し、上野駅を起点とする東北本線系統の列車(宇都宮線・高崎線・常磐線)を東京駅へ乗り入れさせ、さらに東海道線の品川駅・横浜駅方面へ直通運転させる路線」というのに「上野東京ライン」という愛称が付いたそうだ。2015(平成27)年から、この「上野東京ライン」の列車が運行されている。
↓現れた列車に黙って直ぐに乗ったので余り観ていなかったが、2階建てグリーン車も連結した15輛編成の長大な列車だ。
↓長大な列車を何となく見送ってしまった。
↓大宮より先、宇都宮まで行く列車だ。車内はなかなかに賑わっていた。
一度だけ「湘南新宿ライン」というの―2001年に運行が始まったそうだ…―で浦和から新宿を経て横浜に至るという列車に乗車した記憶が在る。埼玉県側から、より直線的な経路で横浜辺りへ出るのがこの「上野東京ライン」なのだと聞いた。首都圏では、様々な改良が施され、新しい系統の列車運行が順次行われている訳だ。
徒歩での旅行が当然だった江戸時代には、江戸の中心から「1日で動ける最も遠めな辺り」ということで、大宮の辺りは宿場町として栄えた経過があるという。その江戸の中心から離れた「品川宿」の更に南西辺りの羽田空港駅から大宮駅へ、1時間10分程度で到着してしまった。大宮駅・品川駅間は38km弱であるようだ。
↓そんなことも想いながら、何となく駅名の看板を眺めてしまった。
大きな駅であるが、個人的にはなじみが薄い駅にやって来た訳だ。
↓こういう行先表示が出ていた。
「東北新幹線の建設に伴い分断された上野駅・東京駅間の東北本線列車線を再度敷設し、上野駅を起点とする東北本線系統の列車(宇都宮線・高崎線・常磐線)を東京駅へ乗り入れさせ、さらに東海道線の品川駅・横浜駅方面へ直通運転させる路線」というのに「上野東京ライン」という愛称が付いたそうだ。2015(平成27)年から、この「上野東京ライン」の列車が運行されている。
↓現れた列車に黙って直ぐに乗ったので余り観ていなかったが、2階建てグリーン車も連結した15輛編成の長大な列車だ。
↓長大な列車を何となく見送ってしまった。
↓大宮より先、宇都宮まで行く列車だ。車内はなかなかに賑わっていた。
一度だけ「湘南新宿ライン」というの―2001年に運行が始まったそうだ…―で浦和から新宿を経て横浜に至るという列車に乗車した記憶が在る。埼玉県側から、より直線的な経路で横浜辺りへ出るのがこの「上野東京ライン」なのだと聞いた。首都圏では、様々な改良が施され、新しい系統の列車運行が順次行われている訳だ。
徒歩での旅行が当然だった江戸時代には、江戸の中心から「1日で動ける最も遠めな辺り」ということで、大宮の辺りは宿場町として栄えた経過があるという。その江戸の中心から離れた「品川宿」の更に南西辺りの羽田空港駅から大宮駅へ、1時間10分程度で到着してしまった。大宮駅・品川駅間は38km弱であるようだ。
↓そんなことも想いながら、何となく駅名の看板を眺めてしまった。
大きな駅であるが、個人的にはなじみが薄い駅にやって来た訳だ。