間も無く列車が着く時、ホーム上に夥しい人が居るのを見て驚いた。
↓列車は折り返し運転で金沢行となるのだった。その乗客が乗り込んで落ち着いた。少し身体を伸ばしながら様子を観ていた。
↑521系電車というのも、なかなかに美しい車輛だと思う。
↓駅名の看板を眺めた。
↑「←」の「えちぜんはなんどう」は「越前花堂」と書く。「→」の「もりた」は「森田」と書く。
富山から金沢を経て福井に至ったが、何か「漢字が読めない地名」、逆に「平仮名で示され、漢字が想像出来ない地名」が散見したような気がする。
例えば…「動橋」(いぶりばし)…「大土呂」(おおどろ)…「石動」(いするぎ)…「呉羽」(くれは)…「湯尾」(ゆのお)…「武生」(たけふ)…「能見根上」(のみねあがり)というような駅の名が、個人的には「漢字が読めない地名」、逆に「平仮名で示され、漢字が想像出来ない地名」だと思った。こういうのは「慣れ」だとも思う。北海道も、他の都府県の方にとって、「漢字が読めない地名」、逆に「平仮名で示され、漢字が想像出来ない地名」が色々在る。更に、こういうのは各地に各々に在ると思う。
↓車内で案内も在ったが、駅にも乗換列車の情報が掲出されていた。
↓ホームに出て、敦賀行の列車が出ることが確認出来たが、車輛が視えない…
↓と思っていれば、背中側に短い2輛の列車が待機中だった。
↑これも521系電車だった。2輛が基本で、2つ組合わせて4輛編成となる。ここに至って2輛になったのだ。
金沢駅を発つ…(2023.12.27)
8時24分に金沢駅に着き、改札口を出てみた。8時29分に福井行の列車が出るのだが、その次は9時30分に福井行が出て、列車は9時8分に着く列車の折り返しなので、9時15分頃にでもホームに出て列車に乗り込んで寛いでいると発車という段取りだ。そういうことにして、一息入れた。一息入れたいことに加えて、金沢駅の外観を少し観たいということも考えなかったのではない。
↓金沢駅は壮麗な感じだ。何やら「大袈裟?」にも感じる程度に大きい。これも新幹線の列車が発着するからなのであろう。
金沢駅で発着している北陸新幹線の列車だが、現在使用されている車輛は「E7/W7系」というモノだ。
JR東日本で新幹線車両に「E〇系」と名付けていて、金沢駅で発着している北陸新幹線の車輛は「7番目の型」なので「E7系」とするとした。車輛はJR西日本でも基本的に同じモノを持つので、JR西日本としては「W」の文字を使い、「W7系」とした訳だ。両方を合わせて「E7/W7系」としている。
「E7/W7系」は12輛編成の列車だ。各車輛は25mの長さだ。高速運転のために独特な形状になっている先頭車は26mで編成の先頭と後尾に連結される。ということは?あの12輛編成の列車は「26m×2輛+25m×10輛=52m+250m」で、302m余りという様子になる。
であれば、駅は「300m以上の列車を覆う屋根等を備えた構造物」ということになる。「300m」だが、これはあの高層ビルの<あべのハルカス>の高さだ。ということは、新幹線の駅は「<あべのハルカス>を横に倒したような幅の建物」ということになる。この長さが「300m」編成の列車の旅客定員は920名余りらしい。勿論、常時満席にはならないが、頻繁に列車が行き交う以上、相当な人数の乗客が毎日のように駅を出入することになる。しかも、新幹線の主要な駅は、街の交通結節点ともなり、近隣のオフィスや学校や、その他街を行き交う多くの人達が通る場所だ。ゆとりの在る造りが求められよう。加えて、多くの人が行き交えば、様々な需要が生じて、それに応えるサービス提供も可能でなければならないであろうし、そこに事業活動の好機を見出す人達という存在も看過出来ないことであろう。
↓金沢駅は、現在はJR西日本と同時にIRいしかわ鉄道の駅ということにもなっている。「金沢駅」の双方に両者のマークが掲出されている。
↑硝子張りな壁面に、辺りを覆う硝子の屋根の鉄骨が映り込んでいて、少し面白い。
↓改札口の辺りに、新幹線の発車時刻表が掲出されていた。
↓在来線の列車の時刻表も在った。
↓蒸気と逆の側へ向かう列車の時刻表も在った。
↓改札を潜ってみると、こういうように発車案内も掲出される。
↑個人的な好みとしては、もう少し多目な本数の列車を御案内願いたいものだ。少し早めに駅に入る性分なのでそう思う。
↓こういうような場所も在った。
↓ホームへ出てみた。
↓こんな駅名の看板が好きだ。
↑「金沢」に関しては「東」も「西」も在るようだ。一寸面白い。
↓521系はJR西日本のモノだ。関西で見掛ける233系とそっくりな外観だ。
↓列車に乗り込んだ。身軽な荷物ながら、棚に上げてしまえば、席がゆったりと使える。
↑この521系電車は「ボタンを押して扉を開閉」という様子だ。
金沢駅での滞在は極短かった。「何時かまた…」と思いながら、もう少し西へ進んだのだった。
↓金沢駅は壮麗な感じだ。何やら「大袈裟?」にも感じる程度に大きい。これも新幹線の列車が発着するからなのであろう。
金沢駅で発着している北陸新幹線の列車だが、現在使用されている車輛は「E7/W7系」というモノだ。
JR東日本で新幹線車両に「E〇系」と名付けていて、金沢駅で発着している北陸新幹線の車輛は「7番目の型」なので「E7系」とするとした。車輛はJR西日本でも基本的に同じモノを持つので、JR西日本としては「W」の文字を使い、「W7系」とした訳だ。両方を合わせて「E7/W7系」としている。
「E7/W7系」は12輛編成の列車だ。各車輛は25mの長さだ。高速運転のために独特な形状になっている先頭車は26mで編成の先頭と後尾に連結される。ということは?あの12輛編成の列車は「26m×2輛+25m×10輛=52m+250m」で、302m余りという様子になる。
であれば、駅は「300m以上の列車を覆う屋根等を備えた構造物」ということになる。「300m」だが、これはあの高層ビルの<あべのハルカス>の高さだ。ということは、新幹線の駅は「<あべのハルカス>を横に倒したような幅の建物」ということになる。この長さが「300m」編成の列車の旅客定員は920名余りらしい。勿論、常時満席にはならないが、頻繁に列車が行き交う以上、相当な人数の乗客が毎日のように駅を出入することになる。しかも、新幹線の主要な駅は、街の交通結節点ともなり、近隣のオフィスや学校や、その他街を行き交う多くの人達が通る場所だ。ゆとりの在る造りが求められよう。加えて、多くの人が行き交えば、様々な需要が生じて、それに応えるサービス提供も可能でなければならないであろうし、そこに事業活動の好機を見出す人達という存在も看過出来ないことであろう。
↓金沢駅は、現在はJR西日本と同時にIRいしかわ鉄道の駅ということにもなっている。「金沢駅」の双方に両者のマークが掲出されている。
↑硝子張りな壁面に、辺りを覆う硝子の屋根の鉄骨が映り込んでいて、少し面白い。
↓改札口の辺りに、新幹線の発車時刻表が掲出されていた。
↓在来線の列車の時刻表も在った。
↓蒸気と逆の側へ向かう列車の時刻表も在った。
↓改札を潜ってみると、こういうように発車案内も掲出される。
↑個人的な好みとしては、もう少し多目な本数の列車を御案内願いたいものだ。少し早めに駅に入る性分なのでそう思う。
↓こういうような場所も在った。
↓ホームへ出てみた。
↓こんな駅名の看板が好きだ。
↑「金沢」に関しては「東」も「西」も在るようだ。一寸面白い。
↓521系はJR西日本のモノだ。関西で見掛ける233系とそっくりな外観だ。
↓列車に乗り込んだ。身軽な荷物ながら、棚に上げてしまえば、席がゆったりと使える。
↑この521系電車は「ボタンを押して扉を開閉」という様子だ。
金沢駅での滞在は極短かった。「何時かまた…」と思いながら、もう少し西へ進んだのだった。
越中→加賀→越前…または富山県→石川県→福井県…=運行日誌(2023.12.27)
「バタン!」と直ぐに休んでしまえそうな気はしたが、そういうことにもならず、敦賀の宿の居室で寛いで居る。半分を移動、半分を歩き廻るという感じで費やした1日だった。
前夜は「早目に休んで差支えない態勢」としていたが、本当に早く休んだ。深く眠っていて、眼が開くと日付が既に改まって、少し経ったという辺りであった。こういう様子になると、少し頭が冴え、直ぐにはサイド寝入ることは叶い悪い。そういう場合、結局は少し起きていて、そのうちに再度休むという以外に、何かを如何出来るのでもない。
そうしている間に早朝の時間帯に入った。富山の宿で支度をして出発した。
富山駅で列車に乗り込んだ。金沢駅へ向かう列車だ。新幹線が開業して、所謂「並行在来線」と呼ばれるようになった区間だ。富山県側、石川県側で各々の会社が携わるということになっている。金沢駅へ向かって行く中、車窓に「高速道路?」というような高架の構造物が見えた。列車が走る軌道と交差するように設えられた施設だ。何やら動いていた。新幹線の列車だった。新幹線に対して「並行在来線」と言っている軌道を行く列車に乗っていたが、新幹線の列車は「立体交差」していた。何やら苦笑が漏れた。「“並行”ではなく“立体交差”じゃないか!?」というのも言掛りじみた話しになるであろうが、在来線と新幹線とは役割が異なる異質なモノだと思う。
そういうようなことを考えていたが、何となく金沢駅に着いた。実は金沢で少し過ごすことを思わないでもなかったが、直ぐに金沢駅を発った。福井駅へ出て乗換え、敦賀駅に到ったのだ。敦賀に泊まることとして、非常に静かな街を散策した。各種資料館は今日が休館で、明日は開くらしい。明朝に寄ってみたい。
今般は「(“実質的”という例も含めて)初めて」というような場所を巡ることが続いている。稚内から「札幌へ夜行バスで出て、着いてから直ちに移動」で旭川に向かい、東京へ飛んだ。以降は大宮に滞在して川越を訪ね、大宮から富山に入った。富山から、金沢、福井で列車を乗換えて敦賀に至っている訳である。
この間の見聞は、既に一部に着手はしているが、順次綴ってみたいと思う。実は昼食が大ボリュームになっていたので、夕食は摂らないようにしてしまおうとしている。早目に「何時でも御休み頂いて構いません」という態勢にして、宿の居室で寛いで居る。明日?少々、敦賀を歩く。以降は、また移動する。
前夜は「早目に休んで差支えない態勢」としていたが、本当に早く休んだ。深く眠っていて、眼が開くと日付が既に改まって、少し経ったという辺りであった。こういう様子になると、少し頭が冴え、直ぐにはサイド寝入ることは叶い悪い。そういう場合、結局は少し起きていて、そのうちに再度休むという以外に、何かを如何出来るのでもない。
そうしている間に早朝の時間帯に入った。富山の宿で支度をして出発した。
富山駅で列車に乗り込んだ。金沢駅へ向かう列車だ。新幹線が開業して、所謂「並行在来線」と呼ばれるようになった区間だ。富山県側、石川県側で各々の会社が携わるということになっている。金沢駅へ向かって行く中、車窓に「高速道路?」というような高架の構造物が見えた。列車が走る軌道と交差するように設えられた施設だ。何やら動いていた。新幹線の列車だった。新幹線に対して「並行在来線」と言っている軌道を行く列車に乗っていたが、新幹線の列車は「立体交差」していた。何やら苦笑が漏れた。「“並行”ではなく“立体交差”じゃないか!?」というのも言掛りじみた話しになるであろうが、在来線と新幹線とは役割が異なる異質なモノだと思う。
そういうようなことを考えていたが、何となく金沢駅に着いた。実は金沢で少し過ごすことを思わないでもなかったが、直ぐに金沢駅を発った。福井駅へ出て乗換え、敦賀駅に到ったのだ。敦賀に泊まることとして、非常に静かな街を散策した。各種資料館は今日が休館で、明日は開くらしい。明朝に寄ってみたい。
今般は「(“実質的”という例も含めて)初めて」というような場所を巡ることが続いている。稚内から「札幌へ夜行バスで出て、着いてから直ちに移動」で旭川に向かい、東京へ飛んだ。以降は大宮に滞在して川越を訪ね、大宮から富山に入った。富山から、金沢、福井で列車を乗換えて敦賀に至っている訳である。
この間の見聞は、既に一部に着手はしているが、順次綴ってみたいと思う。実は昼食が大ボリュームになっていたので、夕食は摂らないようにしてしまおうとしている。早目に「何時でも御休み頂いて構いません」という態勢にして、宿の居室で寛いで居る。明日?少々、敦賀を歩く。以降は、また移動する。
鼓門(つづみもん)…:金沢駅(2023.12.27)
金沢駅到着の後、直ちに移動を続けるのでもなく、金沢駅でほんの一息入れることにした。
↓微妙に小雨な駅前に一寸出てみた。一目観たかったという代物だ。
↑通行中、または立ち止まっている人達との対比で判るが、驚く程に大きな門が駅前に設えられている。
↓柱の形状を観て「和楽器の鼓?」と思ったのだが、正しくそのとおりで、これは「鼓門」(つづみもん)と呼ばれるらしい。
↑この鼓の形をイメージした柱は13.7mの高さだという。4階建てや5階建ての建物の高さであっても不思議てはない高さだ。
今般、少し迷って結局「降り立った」ということに留めた。嘗て大雪で数時間も遅れて雪塗れになった特急<日本海>を止む無く下り、京都や大阪へ向かう列車に乗換えたという出来事が在ったのが、この金沢駅だった。そこから随分と経つが、何とか金沢駅に「降り立つ」ということをしてみたかったのだ。
全く「だから?」という話しだ。が、それはそれとして、この鼓門には驚かされた。
↓微妙に小雨な駅前に一寸出てみた。一目観たかったという代物だ。
↑通行中、または立ち止まっている人達との対比で判るが、驚く程に大きな門が駅前に設えられている。
↓柱の形状を観て「和楽器の鼓?」と思ったのだが、正しくそのとおりで、これは「鼓門」(つづみもん)と呼ばれるらしい。
↑この鼓の形をイメージした柱は13.7mの高さだという。4階建てや5階建ての建物の高さであっても不思議てはない高さだ。
今般、少し迷って結局「降り立った」ということに留めた。嘗て大雪で数時間も遅れて雪塗れになった特急<日本海>を止む無く下り、京都や大阪へ向かう列車に乗換えたという出来事が在ったのが、この金沢駅だった。そこから随分と経つが、何とか金沢駅に「降り立つ」ということをしてみたかったのだ。
全く「だから?」という話しだ。が、それはそれとして、この鼓門には驚かされた。
「迎春」…:金沢駅の駅ビルにて(2023.12.27)
金沢駅の改札を出て、駅のビルの中を少し歩き廻ってみた。
↓8時半に商業施設が開店する。その施設の出入口辺りだ。明らかに「来る新年を賀す」という飾りだ。
↑和風で美しい飾りだが、天井に「〇(円形)を中心に、囲むような5つと組合わせた」というピカピカの飾りが在る。この形?所謂「梅鉢紋」の形で、「梅鉢紋」は金沢を本拠地とした大名の前田家の家紋だ。細かく言えば、中央の部分の形は色々と在って、前田家の場合は、金沢の宗家、富山、大聖寺、七日市という所謂“支藩”で少しずつ変えていたそうだ。
前田家は「権威を示す」という意図か、「菅原道真の一族の後裔の流れを汲んでいる」と称したのだという。そして菅原道真に因む梅鉢紋を用いるようにしていた。そこから、江戸時代を通じて前田家一門の知行地であった北陸地方では「天神信仰」というような形の神道が盛んであったのだそうだ。加賀前田家の3代目である前田利常―かの前田利家が56歳の頃の息子であるという。兄の前田利長に子が無かったことから「養子」として後継者になった。―の頃から、梅鉢紋を多用するようになったらしい。
さり気ない飾りから色々な事を想い起した。何れにしても、こういうような明確で華麗な「迎える新年を賀す」という飾りは、今季で初めて観たかもしれない。年末の日々を出先で過ごしている。
↓8時半に商業施設が開店する。その施設の出入口辺りだ。明らかに「来る新年を賀す」という飾りだ。
↑和風で美しい飾りだが、天井に「〇(円形)を中心に、囲むような5つと組合わせた」というピカピカの飾りが在る。この形?所謂「梅鉢紋」の形で、「梅鉢紋」は金沢を本拠地とした大名の前田家の家紋だ。細かく言えば、中央の部分の形は色々と在って、前田家の場合は、金沢の宗家、富山、大聖寺、七日市という所謂“支藩”で少しずつ変えていたそうだ。
前田家は「権威を示す」という意図か、「菅原道真の一族の後裔の流れを汲んでいる」と称したのだという。そして菅原道真に因む梅鉢紋を用いるようにしていた。そこから、江戸時代を通じて前田家一門の知行地であった北陸地方では「天神信仰」というような形の神道が盛んであったのだそうだ。加賀前田家の3代目である前田利常―かの前田利家が56歳の頃の息子であるという。兄の前田利長に子が無かったことから「養子」として後継者になった。―の頃から、梅鉢紋を多用するようになったらしい。
さり気ない飾りから色々な事を想い起した。何れにしても、こういうような明確で華麗な「迎える新年を賀す」という飾りは、今季で初めて観たかもしれない。年末の日々を出先で過ごしている。
IR521系電車…:金沢駅(2023.12.27)
「並行在来線」と言っている。2015年に富山・金沢間はJR西日本の所管を離れた。倶利伽羅駅・金沢駅は石川県の自治体や民間企業が出資して起こした「IRいしかわ鉄道」という会社が運行等を行っている。
富山駅から金沢駅を目指そうと列車に乗った。富山駅で改札を潜り、金沢駅から改札を出る分にはICカード乗車券を普通に利用出来る。途中駅から繋がっているJRの所管のままの各線に乗換える、金沢駅以遠のJRの列車に乗換えて更に動くということになるとICカード乗車券が使えないらしい。序でにJRの企画乗車券である<青春18きっぷ>も使えない。
とりあえず1時間程の移動となるが、富山駅から金沢駅への列車に乗った。JRの普通列車と変わるのでもない。車窓に「高速道路?」というような高架の構造物が見えた。列車が走る軌道と交差するように設えられた施設だ。何やら動いていた。新幹線の列車だった。新幹線に対して「並行在来線」と言っている軌道を行く列車に乗っていたが、新幹線の列車は「立体交差」していた。地域の「普通の移動手段」として多くの乗客で賑わった感じの「並行在来線」は、広域的な移動を担う手段の新幹線とは役割が大きく違う。「立体交差」の「異質」なモノを「並行」と呼んで、何やら経営体制を面倒にしているというように、個人的には感じた。
↓余計な事も考えながら様子を観ていれば、列車は金沢駅に到着した。着いた車輛は、折り返し運転ではなく、回送になるようだ。
↑車輛の中は「主に関西圏で乗車した記憶が多々在るJR西日本の普通列車等」と何ら変わらない。外見も似ているが、利用した編成は塗装を新会社のデザインに改めていたようだ。
車輛は521系電車である。関西圏で見掛ける223系電車とそっくりだが、電気の供給方式が異なる北陸地方の状況に対応した機器が入っている。両系統の電車は、連結して動かすようにはなっていないということだ。内装は殆ど同じで見分けが出来ないので、関西圏の各列車で見掛ける223系の雰囲気を想い起した筈だ。
富山県内の区間、石川県内の区間を手掛ける会社に加え、新幹線の延伸という中で福井県内の区間を手掛ける会社も登場するようだ。所謂「北陸本線」は、幾つもの会社で携わる区間というようなことになっている。
金沢駅で一息入れ、更に先を目指すことにしてみた。
富山駅から金沢駅を目指そうと列車に乗った。富山駅で改札を潜り、金沢駅から改札を出る分にはICカード乗車券を普通に利用出来る。途中駅から繋がっているJRの所管のままの各線に乗換える、金沢駅以遠のJRの列車に乗換えて更に動くということになるとICカード乗車券が使えないらしい。序でにJRの企画乗車券である<青春18きっぷ>も使えない。
とりあえず1時間程の移動となるが、富山駅から金沢駅への列車に乗った。JRの普通列車と変わるのでもない。車窓に「高速道路?」というような高架の構造物が見えた。列車が走る軌道と交差するように設えられた施設だ。何やら動いていた。新幹線の列車だった。新幹線に対して「並行在来線」と言っている軌道を行く列車に乗っていたが、新幹線の列車は「立体交差」していた。地域の「普通の移動手段」として多くの乗客で賑わった感じの「並行在来線」は、広域的な移動を担う手段の新幹線とは役割が大きく違う。「立体交差」の「異質」なモノを「並行」と呼んで、何やら経営体制を面倒にしているというように、個人的には感じた。
↓余計な事も考えながら様子を観ていれば、列車は金沢駅に到着した。着いた車輛は、折り返し運転ではなく、回送になるようだ。
↑車輛の中は「主に関西圏で乗車した記憶が多々在るJR西日本の普通列車等」と何ら変わらない。外見も似ているが、利用した編成は塗装を新会社のデザインに改めていたようだ。
車輛は521系電車である。関西圏で見掛ける223系電車とそっくりだが、電気の供給方式が異なる北陸地方の状況に対応した機器が入っている。両系統の電車は、連結して動かすようにはなっていないということだ。内装は殆ど同じで見分けが出来ないので、関西圏の各列車で見掛ける223系の雰囲気を想い起した筈だ。
富山県内の区間、石川県内の区間を手掛ける会社に加え、新幹線の延伸という中で福井県内の区間を手掛ける会社も登場するようだ。所謂「北陸本線」は、幾つもの会社で携わる区間というようなことになっている。
金沢駅で一息入れ、更に先を目指すことにしてみた。
自販機…:川越市役所周辺(2023.12.25)
川越熊野神社…(2023.12.25)
川越はなかなかに面白い感じで、冬の蒼天の下を心地好く歩き廻った。
↓年季が入った石の鳥居を眼に留めた。
↑川越熊野神社だ。
↓「神社」では「初詣の備え」という雰囲気が色濃い場所も多かった。ここも例に漏れないのかもしれないが、「茅の輪くぐり」の設えが見受けられた。
川越熊野神社は、1590年に紀州熊野から分祀されたのだという。開運、縁結び、厄除けの神社として知られるそうだ。
↓無事に川越へやって来て、好い時間を過ごしていることに感謝の意を表すべく参拝し、御朱印を頂いた。
↓「熊野神社」と言えば「八咫烏」(ヤタガラス)である。こういうキャラクターが在る。
旧いモノが色々と伝わる川越で、長い伝統を受け継ぐ神社に出会えた。
↓年季が入った石の鳥居を眼に留めた。
↑川越熊野神社だ。
↓「神社」では「初詣の備え」という雰囲気が色濃い場所も多かった。ここも例に漏れないのかもしれないが、「茅の輪くぐり」の設えが見受けられた。
川越熊野神社は、1590年に紀州熊野から分祀されたのだという。開運、縁結び、厄除けの神社として知られるそうだ。
↓無事に川越へやって来て、好い時間を過ごしていることに感謝の意を表すべく参拝し、御朱印を頂いた。
↓「熊野神社」と言えば「八咫烏」(ヤタガラス)である。こういうキャラクターが在る。
旧いモノが色々と伝わる川越で、長い伝統を受け継ぐ神社に出会えた。
<7018>…:富山駅:富山の路面電車(2023.12.26)
一日乗車券を入手し、富山駅の「市内電車」の乗場に足を運んだ。
↓こういう車輛が現れた。
↑<7018>は1957(昭和32)年から1965(昭和40)年に22輛製造されたという<7000形電車>の1輛だ。殆ど還暦の車輛だ。本当に「昔ながらの…」という雰囲気を強く放つ車輛だ。
路面電車は、こういう年季の入った車輛と、比較的近年に登場の新しい車輛とが同じ軌道を行き交っている様子を観るのが面白いと思う。
↓こういう車輛が現れた。
↑<7018>は1957(昭和32)年から1965(昭和40)年に22輛製造されたという<7000形電車>の1輛だ。殆ど還暦の車輛だ。本当に「昔ながらの…」という雰囲気を強く放つ車輛だ。
路面電車は、こういう年季の入った車輛と、比較的近年に登場の新しい車輛とが同じ軌道を行き交っている様子を観るのが面白いと思う。
時の鐘:川越(2023.12.25)
「冬の好天」という様相の中、JR川越駅を起点にゆっくりと街を歩き廻った。色々と旧い建物も残る川越は、歩き廻るのが愉しい街だと思う。
↓蒼天に映える感じの塔が視える。
↓「蔵造りの街並み」の一隅に枝道のようなモノが在り、そこに聳え立っている塔だ。
↑「時の鐘」であるが、「鐘撞堂」(かねつきどう)とも呼ばれるようだ。
↓江戸時代、17世紀半ばに登場したモノが、火災等で損なわれる都度に再建され、現在のモノは1893(明治26)年の火災の翌年に再建されたそうだ。
↓街の人達に時刻を伝えるべく鐘が撞かれたという経過が在る場所だ。損なわれても再建され、街と人々を見守り続けた塔だ。「川越」の「象徴」のような存在感を放つ塔だ。
好い感じでこの塔を眺めることが叶って善かった。
↓蒼天に映える感じの塔が視える。
↓「蔵造りの街並み」の一隅に枝道のようなモノが在り、そこに聳え立っている塔だ。
↑「時の鐘」であるが、「鐘撞堂」(かねつきどう)とも呼ばれるようだ。
↓江戸時代、17世紀半ばに登場したモノが、火災等で損なわれる都度に再建され、現在のモノは1893(明治26)年の火災の翌年に再建されたそうだ。
↓街の人達に時刻を伝えるべく鐘が撞かれたという経過が在る場所だ。損なわれても再建され、街と人々を見守り続けた塔だ。「川越」の「象徴」のような存在感を放つ塔だ。
好い感じでこの塔を眺めることが叶って善かった。
<とやま鮨>の「抗い難い誘惑」…(2023.12.26)
富山に着いて、宿に連泊することとした第一夜、宿の近所で<とやま鮨>に出くわした。「海の幸が豊富な地域で美味い」という富山県の魅力の一端を、手軽に御好みで愉しむことが叶う御店だった。
↓翌日には富山を離れようということにした中、前夜も寄った<とやま鮨>を再訪した。
↓「氷見寒ブリ」の握りを頂いた。「シャリ小さ目」を指定出来るのも好いが、「富山のさかな」を代表するモノの一つと謳われるブリは秀逸だ。「寒ブリ」と言うが、冬季が旬であるようだ。
↓ブリ大根を御願いした。煮込んだ「氷見寒ブリ」ということになる。これが美味い。
↓「のどぐろ」も辺りを代表する魚であろう。その吸い物が素晴らしかった。
↑「魚を使ったスープ」ということになるのだろうが、こういうモノは非常に好きだ。
↓「氷見寒ブリ」の「もつポン酢」は、大きな魚の胃を使うのだというが、何とも名状し難い美味さだ。歯応えが秀逸である。
↓ホタルイカの沖漬けは、醤油で漬け込んだようなモノだが、今般はこれが凄く気に入った。
↓そして「黒作り」は、塩辛のように少し濃厚で、イカ墨を使う。ホタルイカの美味しい頂き方だ。
↓鯛、ヒラメにウマヅラハギの昆布〆と、白身魚の握りを3貫盛って頂いた。
↓「サーモンいくら」も摘まんだ。
なかなかに人気も高い御店と御見受けした。自身が立寄った時も何となく賑わっていた。前日に立寄った時は少し遅めで、やや静かであったが「売切れ御礼」のモノが散見した。それを頂くことが叶った。
結局「日本海の幸」は佳いのだ!改めて感じたが、同時に永く海の幸が愛され、料理が受継がれているというのは、富山県辺りの「地域の力」というモノなのかもしれない。「宿の直ぐ傍で気軽に立寄ってみた」ということではあったが、何か素敵な場所に出会った。
↓翌日には富山を離れようということにした中、前夜も寄った<とやま鮨>を再訪した。
↓「氷見寒ブリ」の握りを頂いた。「シャリ小さ目」を指定出来るのも好いが、「富山のさかな」を代表するモノの一つと謳われるブリは秀逸だ。「寒ブリ」と言うが、冬季が旬であるようだ。
↓ブリ大根を御願いした。煮込んだ「氷見寒ブリ」ということになる。これが美味い。
↓「のどぐろ」も辺りを代表する魚であろう。その吸い物が素晴らしかった。
↑「魚を使ったスープ」ということになるのだろうが、こういうモノは非常に好きだ。
↓「氷見寒ブリ」の「もつポン酢」は、大きな魚の胃を使うのだというが、何とも名状し難い美味さだ。歯応えが秀逸である。
↓ホタルイカの沖漬けは、醤油で漬け込んだようなモノだが、今般はこれが凄く気に入った。
↓そして「黒作り」は、塩辛のように少し濃厚で、イカ墨を使う。ホタルイカの美味しい頂き方だ。
↓鯛、ヒラメにウマヅラハギの昆布〆と、白身魚の握りを3貫盛って頂いた。
↓「サーモンいくら」も摘まんだ。
なかなかに人気も高い御店と御見受けした。自身が立寄った時も何となく賑わっていた。前日に立寄った時は少し遅めで、やや静かであったが「売切れ御礼」のモノが散見した。それを頂くことが叶った。
結局「日本海の幸」は佳いのだ!改めて感じたが、同時に永く海の幸が愛され、料理が受継がれているというのは、富山県辺りの「地域の力」というモノなのかもしれない。「宿の直ぐ傍で気軽に立寄ってみた」ということではあったが、何か素敵な場所に出会った。
<T101>…:国際会議場前:富山の路面電車(2023.12.26)
↓街で見掛ける「市内電車」の停留所だ。
↑「国際会議場前」という停留所だが、停留所の奥に見えている硝子張りの建物の壁が正しく<富山国際会議場>だ。1997(平成9)年に完成したそうだ。
↓路線図が掲出されている。「国際会議場前」は「環状線」の中の停留所だ。
↑富山駅の北側、岩瀬浜から富山駅を経て環状線に入った電車は、また富山駅に到ってから岩瀬浜を目指す軌道に入る。何か「数字の“6”」のような形に敷設された軌道上を動いている感じだ。
↓電車が現れた。環状線は「単線」で、内回りと外回りとが並走しているのでもない。
↑この「国際会議場前」という停留所では「電車が県庁前を出ました」、「電車が丸の内を出ました」と、2つ前、1つ前の停留所から出て向かっている旨を自動音声で停留所に居る乗客に伝える仕組みが在る。
↓カーブを曲がって近付く電車の背後には富山城だ。見えるのは1954(昭和29)年に建てられた、所謂“模擬天守”である。
↓そして走っている車輛は<T100形電車>である。
こういうような路面電車で気儘に街を動き回るのは、何処であっても愉しい。そして「初めて」な富山であったにも拘らず、何か「少しばかり馴染んだ街」という気分で動き回っていた。再訪を期したい。
↑「国際会議場前」という停留所だが、停留所の奥に見えている硝子張りの建物の壁が正しく<富山国際会議場>だ。1997(平成9)年に完成したそうだ。
↓路線図が掲出されている。「国際会議場前」は「環状線」の中の停留所だ。
↑富山駅の北側、岩瀬浜から富山駅を経て環状線に入った電車は、また富山駅に到ってから岩瀬浜を目指す軌道に入る。何か「数字の“6”」のような形に敷設された軌道上を動いている感じだ。
↓電車が現れた。環状線は「単線」で、内回りと外回りとが並走しているのでもない。
↑この「国際会議場前」という停留所では「電車が県庁前を出ました」、「電車が丸の内を出ました」と、2つ前、1つ前の停留所から出て向かっている旨を自動音声で停留所に居る乗客に伝える仕組みが在る。
↓カーブを曲がって近付く電車の背後には富山城だ。見えるのは1954(昭和29)年に建てられた、所謂“模擬天守”である。
↓そして走っている車輛は<T100形電車>である。
こういうような路面電車で気儘に街を動き回るのは、何処であっても愉しい。そして「初めて」な富山であったにも拘らず、何か「少しばかり馴染んだ街」という気分で動き回っていた。再訪を期したい。
「1日 フリーきっぷ」…:富山の路面電車(2023.12.26)
↓富山の街にはこういうモノが在る。
↑「市電」と呼び習わされている「市内電車」と一部のバスに、「利用日」の一日を通じて何度でも随意に乗降可能な、所謂「一日乗車券」だ。
↓JR富山駅に隣接の、富山地方鉄道の駅に在る窓口で求めることが出来る。
↑所謂「地方の私鉄電車」という感じの、専用軌道を車輛が行き交う路線の他、「市電」と呼び習わされている「市内電車」、加えて市内や近郊の路線バス、更に都市間バスも手掛けている富山地方鉄道で、ここの窓口を訪ねると各乗車券等を求めることは叶うようになっているようだ。気付いたのは「富山・名古屋」の都市間バスはポピュラーなようで、朝から夕方迄に「毎時1本」というような程度で運行されているようであった。
↓都市間バスに関しては、こういう具合に路面電車に大きな広告も掲出していた。
↑広告を掲げている<7000形電車>は1957(昭和32)年から1965(昭和40)年に22輛製造されたそうだ。最近は順次新しい車輛に入れ替えられているようだが、「もう直ぐ還暦」または「既に還暦」という車輛だ。
↓話しを戻すが、「一日乗車券」はこういうように日付を“スクラッチ”で利用する。
↑今般、窓口で「今日、これから直ぐ使う」と申し出ると、係の方が“スクラッチ”してくれたので、そのまま使用した。各地でこの種の券は出ている。“スクラッチ”で有効日が確定し、それを「市内電車」の乗務員に見せて利用する訳だ。
「街の中を自在に動き回る」という公共交通機関の「一日乗車券」は非常に好い。価格に関してガタガタ言いたいとも思わないが、1回の乗車で210円の「市内電車」に650円で何度でも乗降可能なのは有難い。が、それ以上に「細かいことをきにせずに、公共交通機関を利用、加えて徒歩で広く動き回ることが可能な場所での“行動の自由”が得られる」というのが非常に好い。
電車の乗務員(運転士)に、下車する際に「有難うございます」とこの券を提示して、富山の街を動き回ったのだった。
↑「市電」と呼び習わされている「市内電車」と一部のバスに、「利用日」の一日を通じて何度でも随意に乗降可能な、所謂「一日乗車券」だ。
↓JR富山駅に隣接の、富山地方鉄道の駅に在る窓口で求めることが出来る。
↑所謂「地方の私鉄電車」という感じの、専用軌道を車輛が行き交う路線の他、「市電」と呼び習わされている「市内電車」、加えて市内や近郊の路線バス、更に都市間バスも手掛けている富山地方鉄道で、ここの窓口を訪ねると各乗車券等を求めることは叶うようになっているようだ。気付いたのは「富山・名古屋」の都市間バスはポピュラーなようで、朝から夕方迄に「毎時1本」というような程度で運行されているようであった。
↓都市間バスに関しては、こういう具合に路面電車に大きな広告も掲出していた。
↑広告を掲げている<7000形電車>は1957(昭和32)年から1965(昭和40)年に22輛製造されたそうだ。最近は順次新しい車輛に入れ替えられているようだが、「もう直ぐ還暦」または「既に還暦」という車輛だ。
↓話しを戻すが、「一日乗車券」はこういうように日付を“スクラッチ”で利用する。
↑今般、窓口で「今日、これから直ぐ使う」と申し出ると、係の方が“スクラッチ”してくれたので、そのまま使用した。各地でこの種の券は出ている。“スクラッチ”で有効日が確定し、それを「市内電車」の乗務員に見せて利用する訳だ。
「街の中を自在に動き回る」という公共交通機関の「一日乗車券」は非常に好い。価格に関してガタガタ言いたいとも思わないが、1回の乗車で210円の「市内電車」に650円で何度でも乗降可能なのは有難い。が、それ以上に「細かいことをきにせずに、公共交通機関を利用、加えて徒歩で広く動き回ることが可能な場所での“行動の自由”が得られる」というのが非常に好い。
電車の乗務員(運転士)に、下車する際に「有難うございます」とこの券を提示して、富山の街を動き回ったのだった。