夕刻から、直ぐに休んでしまえそうな気がして、宿の居室に寛いでいた。が、何やら気分が昂揚して直ぐには寝入らなかった。が、眠ってしまうと、やや長く深く眠ったと思う。スッキリとした感じで眼を開け、起き出した。
宿の居室で寛ぎ、朝食も摂った。そのうちに窓から陽射しである。好い感じの朝だった。宿を出て、敦賀を少し散策することにした。これが存外に好かった。
敦賀では<ムぜウム>と称する展示施設が在って、ここでは孤児や難民がウラジオストクからの船で敦賀に上陸した際に、色々な人達が彼らの受け入れに協力したというような、敦賀で展開した物語を紹介していた。ロシア革命後の内戦で、保護者を喪った子ども達が在った件、第2次大戦が始まった頃の所謂「命のビザ」の件は承知していた。が、そういった支援が必要な事態に当時の日本の人達が関わり、殊に来日した彼らを最初に港で迎えることになった敦賀の人達の活動というようなことは、詳しくは知らなかった。大変に佳かった。
この<ムぜウム>を含めた何箇所かを見学する等しながら、かなり歩いた。やがて午後、敦賀駅で列車に乗った。あの駅では、名古屋へ行く特急列車、京都・大阪へ行く特急列車、京都へ至って大坂や神戸やその先の姫路迄という新快速の列車が毎時各々1本ずつ出るというような感じと見受けられた。
敦賀を出る新快速の列車は湖西線を経由する。滋賀県の主だった街は琵琶湖の東側に並んでいる。そちらを行き交う列車は本数も多い。他方、湖西線は琵琶湖の西側の路線で静かな地域だ。それでも京都やそこから先へ向かうのであれば、東側に比べて距離がより短い。言葉を換えると「速く先へ行ける」ということになる。故に一部の特急列車は、この湖西線を経由して京都へ向かうということも在ったようだ。
湖西線について、南側の一部は利用した経過を記憶しているが、北寄りな側は通り過ぎたことが少なくとも1回在ったというのに留まっている。そういう訳なので、湖西線を移動するというのは少し面白かった。
京都に着けば、京都駅のロッカーに荷物を預けて早速に動いた。
以前に稚内で出くわした京都の方―先方は旅行中でコインランドリーを利用しようとしていた。自身がそこに居合わせて言葉を交わしたという経過だった。―が今年の春に食事を摂る御店を開いたということが伝わっていた。「遅過ぎな昼食」ということでそこを訪ねた。そして再会を祝した。
そこから京都駅に動けば、直ぐに暗くなった。荷物を引き取って宿に移動だ。四条烏丸の何度も利用した経過が在る場所だ。チェックインして居室に入った。一息入れていたが、居室で飲むモノでも仕入れようと思い立った。同時に、昨年の12月に立寄ったミュージックバーを思い出し、訪ねてみた。御店の方達と再会を祝していた。
こうした経過も含め、様々な見聞は何れゆっくりと綴りたい。
実は「帰国」は、神戸空港から新千歳空港へのフライトを利用することを決めている。その前に大阪に滞在することは予定済みだった。京都は宿が取り悪い感じであったのだが、今日と明日とを押さえることが叶ったのだ。京都で何を如何するのか、実は何も決まっていない。明日の朝にでも考えよう。正しく「この街に在る蔵氏の中で何となく休日」という状況のようなものである。こういうのが好い…
京都駅壁面に映り込む京都タワー…(2023.12.28)
敦賀を散策した後、敦賀駅から湖西線を経由する列車に乗った。そして京都駅に着いた。
街に出て「遅過ぎ…」な昼食を愉しんだ後、ロッカーに預けた荷物を引き取ろうと京都駅に立寄った。
↓こんな京都タワーの見え方が凄く好い。
↓京都駅から正面の道路を渡った辺りに在るビルの上に京都タワーが載っているような感じだ。その京都タワーの部分が、京都駅の大きな硝子張りな壁面に映り込む。
こういう様子を観ながら「京都に…至った…」と感慨めいたモノが沸き起こる。東京へ飛んでから大宮に入り、富山に滞在し、金沢、福井を通って敦賀に至って過ごした。その敦賀から京都だ。最初の夜行バスから、随分と長い道程を経た感じだ。
そして何度も利用している四条烏丸の宿に移動した。居室で一息入れたところだ。
街に出て「遅過ぎ…」な昼食を愉しんだ後、ロッカーに預けた荷物を引き取ろうと京都駅に立寄った。
↓こんな京都タワーの見え方が凄く好い。
↓京都駅から正面の道路を渡った辺りに在るビルの上に京都タワーが載っているような感じだ。その京都タワーの部分が、京都駅の大きな硝子張りな壁面に映り込む。
こういう様子を観ながら「京都に…至った…」と感慨めいたモノが沸き起こる。東京へ飛んでから大宮に入り、富山に滞在し、金沢、福井を通って敦賀に至って過ごした。その敦賀から京都だ。最初の夜行バスから、随分と長い道程を経た感じだ。
そして何度も利用している四条烏丸の宿に移動した。居室で一息入れたところだ。
『ガラスのクレア』…:シンボルロード・モニュメント:敦賀(2023.12.27)
↓街中に、何か艶めかしいような不思議な光景が出現している…
↓敦賀の「シンボルロード・モニュメント」の一つで、『銀河鉄道999』の一場面を再現したモノである。
↑<999>の食堂車で“鉄郎”が働いている女性“クレア”に出会う場面だ。
『銀河鉄道999』の作中世界、“機械の身体”に“生命”を移して、「永遠の命」を謳歌するというようになっていて、“生身の人間”は被差別というような感じにもなっている。“鉄郎”は被差別というような状況を抜け、「永遠の命」を謳歌することが出来る“機械の身体”を得ようと旅をしている。旅の途次に出会った“クレア”は、“機械の身体”を得て「永遠の命」を謳歌することが出来るようになっている。しかもその身体は、文字どおりに輝いているが、美しいクリスタルの身体だ。「永遠の命」に「美しい姿」という、簡単に得られるのでもないかもしれないモノを得ているのだが、「それでも!」と「元に戻ろう」ということで、資金を得ようと“クレア”は<999>で働いているというのだ。
“クレア”の挿話は示唆に富んでいるかもしれない。簡単に得られるのでもないかもしれないモノを得て、それで充足するのか否かが判らない。「元に戻ろう」としているのだが、個々人が各々に持っている様々なモノこそが、誰にも得られない最も貴重なモノなのかもしれない。得難いモノを新たに得るのか、元来在る得難いモノを大切にするのか、それが完全な二者択一なのか、併存は可能なのか、そういうようなことを色々と考えさせる挿話だ。
↓何やら考え事でもしているような“鉄郎”の表情の雰囲気も好い。
敦賀の「シンボルロード・モニュメント」を眺めての散策はなかなかに好い。が、目下、歩道拡幅工事というようなことを進めていて、モニュメントの一部は一時撤去している。メンテナンスをして、歩道拡幅工事が竣工するような頃に戻って来るのだそうだ。
この敦賀の「シンボルロード・モニュメント」に出会えて善かった。
↓敦賀の「シンボルロード・モニュメント」の一つで、『銀河鉄道999』の一場面を再現したモノである。
↑<999>の食堂車で“鉄郎”が働いている女性“クレア”に出会う場面だ。
『銀河鉄道999』の作中世界、“機械の身体”に“生命”を移して、「永遠の命」を謳歌するというようになっていて、“生身の人間”は被差別というような感じにもなっている。“鉄郎”は被差別というような状況を抜け、「永遠の命」を謳歌することが出来る“機械の身体”を得ようと旅をしている。旅の途次に出会った“クレア”は、“機械の身体”を得て「永遠の命」を謳歌することが出来るようになっている。しかもその身体は、文字どおりに輝いているが、美しいクリスタルの身体だ。「永遠の命」に「美しい姿」という、簡単に得られるのでもないかもしれないモノを得ているのだが、「それでも!」と「元に戻ろう」ということで、資金を得ようと“クレア”は<999>で働いているというのだ。
“クレア”の挿話は示唆に富んでいるかもしれない。簡単に得られるのでもないかもしれないモノを得て、それで充足するのか否かが判らない。「元に戻ろう」としているのだが、個々人が各々に持っている様々なモノこそが、誰にも得られない最も貴重なモノなのかもしれない。得難いモノを新たに得るのか、元来在る得難いモノを大切にするのか、それが完全な二者択一なのか、併存は可能なのか、そういうようなことを色々と考えさせる挿話だ。
↓何やら考え事でもしているような“鉄郎”の表情の雰囲気も好い。
敦賀の「シンボルロード・モニュメント」を眺めての散策はなかなかに好い。が、目下、歩道拡幅工事というようなことを進めていて、モニュメントの一部は一時撤去している。メンテナンスをして、歩道拡幅工事が竣工するような頃に戻って来るのだそうだ。
この敦賀の「シンボルロード・モニュメント」に出会えて善かった。
『永遠の星の海へ』…:シンボルロード・モニュメント:敦賀(2023.12.27)
↓街角に、宇宙の軌道で車窓を望む風情の“鉄郎”と“メーテル”だ。
↑“銀河鉄道”が誇る特急列車<999>で旅に出たい“鉄郎”を導こうと“メーテル”が思う場面であるらしい。そこで『永遠の星の海へ』という題がモニュメントに冠せられている。
それはそれとして、この像を観た時に「『銀河鉄道999』というのはこういうイメージだ!」と強く思った。大宇宙を行き交う列車で旅をするという、大掛かりなSFという形ながら、何か凄く「人生を問う文学」という色合いを感じる『銀河鉄道999』である。暗い宇宙に設定された軌道を行く<999>の窓を眺めながら、出逢った人達や出来事に想いを巡らせる“鉄郎”が居て、傍に“メーテル”が静かに座っているという、正にこのモニュメントのような様子が、作品世界の雰囲気として直ぐに思い浮かぶ。
「『銀河鉄道999』は漫画作品もアニメ化作品も在るが、アニメ化作品では音楽も佳い。そして歌が入る作品も秀作が多いと思う。テレビシリーズの主題歌になった、朗々とした歌声の一部に児童合唱団の声が入る作品だが、アレの歌詞が好い。「人は誰でも幸せ捜す旅人のようなもの」、「君を招くよ 夢の軌道が」、「泣いてるような星の彼方に 青い小鳥が」というようなフレーズが殊更に気に入っている。
↓作品を意識する、しないを問わず、誰しもが列車の車窓を見て考え事でもするかのように、「自身の人生のより良い何か」を探しているのかもしれない。そんなことを想わせてくれたモニュメントだった。
ということを思った数分後、考えが至ったのは、最近の列車では窓の外を全く見ていないというような感じの人達を見掛ける場合が多くなったということであった。それは如何でも構わないのだが、このモニュメントに会える敦賀に立寄ることが叶って善かった。
↑“銀河鉄道”が誇る特急列車<999>で旅に出たい“鉄郎”を導こうと“メーテル”が思う場面であるらしい。そこで『永遠の星の海へ』という題がモニュメントに冠せられている。
それはそれとして、この像を観た時に「『銀河鉄道999』というのはこういうイメージだ!」と強く思った。大宇宙を行き交う列車で旅をするという、大掛かりなSFという形ながら、何か凄く「人生を問う文学」という色合いを感じる『銀河鉄道999』である。暗い宇宙に設定された軌道を行く<999>の窓を眺めながら、出逢った人達や出来事に想いを巡らせる“鉄郎”が居て、傍に“メーテル”が静かに座っているという、正にこのモニュメントのような様子が、作品世界の雰囲気として直ぐに思い浮かぶ。
「『銀河鉄道999』は漫画作品もアニメ化作品も在るが、アニメ化作品では音楽も佳い。そして歌が入る作品も秀作が多いと思う。テレビシリーズの主題歌になった、朗々とした歌声の一部に児童合唱団の声が入る作品だが、アレの歌詞が好い。「人は誰でも幸せ捜す旅人のようなもの」、「君を招くよ 夢の軌道が」、「泣いてるような星の彼方に 青い小鳥が」というようなフレーズが殊更に気に入っている。
↓作品を意識する、しないを問わず、誰しもが列車の車窓を見て考え事でもするかのように、「自身の人生のより良い何か」を探しているのかもしれない。そんなことを想わせてくれたモニュメントだった。
ということを思った数分後、考えが至ったのは、最近の列車では窓の外を全く見ていないというような感じの人達を見掛ける場合が多くなったということであった。それは如何でも構わないのだが、このモニュメントに会える敦賀に立寄ることが叶って善かった。
「佐渡酒造」…:シンボルロード・モニュメント:敦賀(2023.12.27)
↓「そこの人!旅かね?よう来なさった!如何かね?一杯…」というような声でも聞こえそうで、何やら頬が緩んだ。
↑清酒なのか焼酎なのかよく判らないが、一升瓶を片手に茶碗酒を呷って御機嫌なおっちゃんは、アニメの『宇宙戦艦ヤマト』でヤマトに乗艦している医師の佐渡先生だ。
あの『宇宙戦艦ヤマト』の原案を創った松本零士は福岡県の北九州市の御出身だった。福井県の敦賀市と「何か深い所縁??」と思った。
敦賀という場所は交通の要衝であるのだが、嘗ては「欧亜国際連絡列車」の経由地であった。東京からベルリンやパリまで、列車と連絡船で移動ということだった。この「欧亜連絡国際連絡列車」が敦賀港駅に入り、海を渡ってウラジオストクに至り、所謂“シベリア鉄道”の列車に乗換えて欧州を目指すということだった。そういう「鉄道」、「港」というキーワードの敦賀だ。1999年に敦賀港開港100年ということになった時、記念事業として「シンボルロード・モニュメント」が構想された。街の中心街で像を設置することになった。「列車や艦船が大宇宙を旅する」ということで『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』という人気作品が想起されるということになり、松本零士の許諾も得て、シリーズのイメージで像を造って設置することになったというのだ。敦賀は2023年12月現在で6万2千人余りの人口を擁するというのだが、歩いてみた街は、何やら静かだった。道路を車輛が行き交っている他方、歩行者は少ない。そこに『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』の作中人物達がやって来たということになる。
↓「そこの駅に新幹線の列車が入るようになるそうだ…少しは賑やかになるかね?旅の人!如何やって来なさった?」と“佐渡先生”は何時までも話しが尽きないというような風情であった。
少し敦賀を歩き廻って、この「シンボルロード・モニュメント」を眺めてみようと思い立ったのだった。
↑清酒なのか焼酎なのかよく判らないが、一升瓶を片手に茶碗酒を呷って御機嫌なおっちゃんは、アニメの『宇宙戦艦ヤマト』でヤマトに乗艦している医師の佐渡先生だ。
あの『宇宙戦艦ヤマト』の原案を創った松本零士は福岡県の北九州市の御出身だった。福井県の敦賀市と「何か深い所縁??」と思った。
敦賀という場所は交通の要衝であるのだが、嘗ては「欧亜国際連絡列車」の経由地であった。東京からベルリンやパリまで、列車と連絡船で移動ということだった。この「欧亜連絡国際連絡列車」が敦賀港駅に入り、海を渡ってウラジオストクに至り、所謂“シベリア鉄道”の列車に乗換えて欧州を目指すということだった。そういう「鉄道」、「港」というキーワードの敦賀だ。1999年に敦賀港開港100年ということになった時、記念事業として「シンボルロード・モニュメント」が構想された。街の中心街で像を設置することになった。「列車や艦船が大宇宙を旅する」ということで『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』という人気作品が想起されるということになり、松本零士の許諾も得て、シリーズのイメージで像を造って設置することになったというのだ。敦賀は2023年12月現在で6万2千人余りの人口を擁するというのだが、歩いてみた街は、何やら静かだった。道路を車輛が行き交っている他方、歩行者は少ない。そこに『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』の作中人物達がやって来たということになる。
↓「そこの駅に新幹線の列車が入るようになるそうだ…少しは賑やかになるかね?旅の人!如何やって来なさった?」と“佐渡先生”は何時までも話しが尽きないというような風情であった。
少し敦賀を歩き廻って、この「シンボルロード・モニュメント」を眺めてみようと思い立ったのだった。
「北陸新幹線 敦賀開業! 2024.3.16」…(2023.12.27)
521系電車:敦賀駅(2023.12.27)
4輛編成の電車を乗り継ぐ形で富山・金沢・福井と移動し、福井で列車が4輛編成が入って来るのか、待機しているのかと思っていれば2輛編成の電車が待機していた。思い込んでいたので、背中側に停車待機中だった列車に少し気付かなかったという妙な様子になっていた。
2輛編成の列車は所謂“ワンマン運行”で運転士が1人で乗務している。それでも沿線ではICカード乗車券が利用可能なので、運転士脇の扉だけを開閉するような方式とは違う。乗客の多くはICカード乗車券を利用していた。車中は座席が殆ど埋まって、立っている人達も存外に見受けられ、途中区間でドンドン入替る感じだった。
福井の南西側へ進む形で軌道が敷設されているのだと思う。鯖江、武生という辺りで乗降がやや多かったかもしれない。そして南今庄という駅で「つるが→」を駅名の看板に視たが、何やらトンネルに入り、列車は敦賀になかなか着かない。日中なので、トンネル区間の「暗さ」が際立つ。
南今庄・敦賀間には<北陸トンネル>が在るそうだ。13.8kmの総延長という、在来性区間では日本国内最長のトンネルなのだという。例えば、列車が「時速100kmで走行」とすれば「10km進むのに6分間を要する」という計算だ。何か10分間近くもトンネルだった気がしていたが、<北陸トンネル>の総延長をすれば得心である。
↓長い<北陸トンネル>を抜け、程無く敦賀駅に列車は到着した。
↑光の感じで美しく見えた521系電車である。
今般、金沢・福井・敦賀の区間で<青春18きっぷ>を使って列車に乗って移動した。こういうのは、自身にとって「最初で最後」という機会になったと思う。記憶に留めたい。
2輛編成の列車は所謂“ワンマン運行”で運転士が1人で乗務している。それでも沿線ではICカード乗車券が利用可能なので、運転士脇の扉だけを開閉するような方式とは違う。乗客の多くはICカード乗車券を利用していた。車中は座席が殆ど埋まって、立っている人達も存外に見受けられ、途中区間でドンドン入替る感じだった。
福井の南西側へ進む形で軌道が敷設されているのだと思う。鯖江、武生という辺りで乗降がやや多かったかもしれない。そして南今庄という駅で「つるが→」を駅名の看板に視たが、何やらトンネルに入り、列車は敦賀になかなか着かない。日中なので、トンネル区間の「暗さ」が際立つ。
南今庄・敦賀間には<北陸トンネル>が在るそうだ。13.8kmの総延長という、在来性区間では日本国内最長のトンネルなのだという。例えば、列車が「時速100kmで走行」とすれば「10km進むのに6分間を要する」という計算だ。何か10分間近くもトンネルだった気がしていたが、<北陸トンネル>の総延長をすれば得心である。
↓長い<北陸トンネル>を抜け、程無く敦賀駅に列車は到着した。
↑光の感じで美しく見えた521系電車である。
今般、金沢・福井・敦賀の区間で<青春18きっぷ>を使って列車に乗って移動した。こういうのは、自身にとって「最初で最後」という機会になったと思う。記憶に留めたい。