雲と鳥居と…:気比神宮(2023.12.28)

前日に敦賀に着いた。そして昼過ぎ迄は敦賀を散策しようということにした。<人道の港 敦賀ムゼウム><敦賀市立博物館>等々、前日に観ていない場所を訪ねながら、もう少し街を歩きたかったのだ。

↓気比神宮の鳥居の辺りを通った。
28-12-2023 X-Pro2 (99)
↑独特な拡がり方を見せる雲と鳥居との組み合わさった様子が面白いと思い、暫し足を停めて見入った。

↓初詣で大いに賑わうのであろうが、少しだけ静かな年末の風情が好いと思った。
28-12-2023 X-Pro2 (102)

この気比神宮の大きな鳥居のようなモノは、時季、時間帯、天候が変われば変わった見え方をする筈で、そういう様々な様子をも眺める機会が設けられれば幸いである。
posted by Charlie at 19:17Comment(0)福井県

丸型ポスト…:川越商工会議所前(2023.12.25)

↓古風な建物の辺りには、古風な郵便ポストが似合うと思う。
25-12-2023 X-Pro2 (48)

川越商工会議所は旧い建物が現役らしいが、このポストも現役である。
25-12-2023 X-Pro2 (47)
↑丸型ポストの脇に、駅や有名な景観の辺りへの矢印が入った道標が据えられている。こういうのを見ると「街が“歩く場所”を規定されている」という感じがする。街は車輌で通過する場所ということではなく、寧ろ歩き廻る場所だと個人的には思うので、こういう案内には交換を抱く。

さり気無く据えられた丸型ポストが何となく似合うような場所というのは、通り掛って心地が好いかもしれない。そんなことを想いながら辺りを通り過ぎた。
posted by Charlie at 19:07Comment(0)埼玉県

昼に…(2024.01.08)

休業の月曜日に昼食を摂りに出掛けた。

↓こういうコンビが迎えてくれた。
08-01-2024 X100F (3)
↑低温の雪は粘り気が弱く、雪ダルマを造るには不向きだ。これは数日前に少し湿り気が多い感じの雪だった時、御店の方が造ってみたのだそうだ。ビール瓶を開けた時の王冠を巧く使っていて、一寸面白い雪ダルマだ。

↓営業中を示す幟に導かれて御店に入った。入口辺りの雪ダルマが面白いと話題にすれば、御店の方は「話題にして頂く方も無く、少し寂しかった」と喜んで頂いた。
08-01-2024 X100F (2)

↓少しばかり戸外を歩いただけでも、温かい飲物でも欲しくなる氷点下の気温だ。<赤霧島>を御湯割りにして頂いた。何か「芳香が立ち込めるハーブティー」という気分で御湯割りを愉しんだ。
08-01-2024 X100F (4)

↓カツサンドを頂く。何か「休業日の昼食」という感じで、少し定着して来たかもしれない。
08-01-2024 X100F (6)

↓薩摩揚を焼いたモノを頂いた。こういうモノを摘みながらお湯割りというのも非常に好い。
08-01-2024 X100F (9)

↓プリンが載ったパフェを御願いした。
08-01-2024 X100F (12)

↓このパフェも「休業日の御愉しみ」という感じになって来ている。
08-01-2024 X100F (11)

↓昼の一時、随分と寛いだ。こういう場所も有難い。
08-01-2024 X100F (1)

<1日乗車券 エンジョイエコカード>…(2023.12.31)

↓路線網が充実している大阪の地下鉄だが、一日の中で何回でも随意に乗降できる券が販売されている。
31-12-2023 evening X100F (29)
↑各駅の自販機で求めると好い。「土日祝日」に関しては「620円」と破格なのが大阪の<1日乗車券 エンジョイエコカード>である。

今般は、この券を手に大阪を巡って散策していた。「随意に過ごす時間」には、そういうことをすることを好む。
posted by Charlie at 18:54Comment(0)大阪府

堺筋本町駅にて…(2023.12.31)

↓御堂筋から中央大通を東側へ歩き、堺筋に至った。そして地下鉄の堺筋本町駅である。
31-12-2023 X-Pro2 (76)

↓「西から東」へ歩を進めたので、「北」は左側になる。
31-12-2023 X-Pro2 (77)

↓堺筋本町駅では堺筋線と中央線、地下鉄2路線が発着している。両路線の始発と終発とが示されている。
31-12-2023 X-Pro2 (78)

↓堺筋線の乗場に入ると列車がやって来た。この路線では、相互乗入の阪急の車輌を見掛けることが多い。
31-12-2023 X-Pro2 (79)

↓天神橋筋六丁目駅を通って、阪急の軌道に入り、京都方面に向かう列車だった。
31-12-2023 X-Pro2 (80)

色々と相互乗入もしながら方々を結ぶ大阪の地下鉄も少し面白いと思う。また大阪を訪ねて地下鉄にも親しんでみたいものだ。
posted by Charlie at 18:52Comment(0)大阪府

気比神宮…(2023.12.27)

敦賀に着いて、宿を求めたのだったが、宿に入る前に是非とも気比神宮を訪ねてみたかった。

敦賀駅には観光案内の窓口も在り、辺りを歩き廻る際に使い易い地図も頂ける。ハッキリ言おう。自身にとっては、その種の紙の地図が最も使い易いのだ。その地図を参照して街を歩き、気比神宮に辿り着いた。

↓非常に大きな鳥居で、凄い存在感だ。
27-12-2023 X100F (89)
↑既に嵯峨天皇の時代である810(弘仁元)年には鳥居が設けられたと伝わる。そういう古い鳥居は災害等で損なわれた経過が在って、1645(正保2)年に礎石を現在位置に移して大きな鳥居を建てた。それが現在に伝わる鳥居であるのだという。扁額は有栖川宮威仁親王(ありすがわのみやたけひとしんのう)(1862-1913)の筆であるそうだ。

↓明治期以降に神社の格付けをしているが、「官幣大社」とは、「全ての神社の上に在り、社格のない特別な存在」とされた伊勢神宮を除いて、最上級の格付けである。
27-12-2023 X100F (88)
↑古くから「北陸道総鎮守」、「越前国一宮」とされて崇敬された神社だ。

『古事記』や『日本書紀』では仲哀天皇、神功皇后、応神天皇の時期にこの気比神宮の場所い纏わる記述が在るのだという。こういうような時代に関しては「西暦XXX年」と言い悪い面も在るが、西暦200年よりも以前に神社が起こっているというような話しになる。要は、相当に古くから在る神社という訳だ。そして古代、中世、近世と神社の経過が在って、明治期以降の近代になる。更に現代に迄、神社は受継がれている。

↓大きな鳥居を潜った後、社殿の辺りに至った。
27-12-2023 X100F (93)

↓国内外からの来訪者が散見した境内ではあったが、人通りが途切れる間隙も在った。「茅の輪くぐり」の設えが在る社殿の美しい様子を眺めていた。
27-12-2023 X100F (94)

↓少し前に雪が降り積もった日は在ったのだろう。些か雪は残っていたが、気になる程でもなかった。
27-12-2023 X100F (96)
↑重要な港を要する敦賀は第2次大戦期の戦禍で色々と古い建物等が損なわれている経過も在るという。気比神宮の建物も戦後の再建が多いそうだ。

↓確り参拝した。左側が気比神宮の御朱印だ。
01-01-2024 X100F (46)

↓気比神宮に立寄ることが出来て善かった。こういう眺めが「忘れ難い眺め」に数えられるようになると思う。
27-12-2023 X100F (102)
posted by Charlie at 18:50Comment(0)福井県

朝に…(2024.01.09)

自身の場合は「火曜日から土曜日」が「平日」という様子なのだが、その「平日」らしい感じが始まる朝に少し歩いた。

↓そういう朝、何か荒涼としたような雰囲気だった。
09-01-2024 X100F (1)

↓雪が断続し、意外に積もっているような様子で、気温は氷点下3℃台で余り上がっていない。
09-01-2024 X100F (2)

↓然程風は強くないので、戸外に佇んで辛いという程でもないが。
09-01-2024 X100F (3)

暫く稚内を離れていた経過が在ったが、この時季のこういうような様子の中に在ると「戻った…」と実感を強めざるを得ない。

夕べに…(2024.01.06)

↓そこそこに気温も下がり、程々に雪も積もっている。時季らしい感の夕べだ。夕食を摂ろうと御近所の御店に立寄った。年が改まって最初ということになった。
06-01-2024 X100F (11)

↓御通しの麻婆豆腐とポテトサラダを摘みながらハイボールを頂く。
06-01-2024 X100F (12)

↓シーザーサラダを頂く。
06-01-2024 X100F (15)

↓右のモツ串、左の鳥串と愉しんだ。
06-01-2024 X100F (17)

↓鰊切込を摘まむ。
06-01-2024 X100F (19)

↓タコめしは外せない。
06-01-2024 X100F (22)

年は改まっても「何時もの…」は健在という感じだ。こういうのが凄く有難い。

<船場センタービル>…(2023.12.31)

大阪では南北に延びる道を「筋」、東西に延びる道を「通」と呼び習わす。こういう区別が、存外に合理的で好いというように思う場合も多い。

その「筋」の代表的なモノである御堂筋で、南側の難波辺りを起点に北上し、本町に至った。

↓高速道路の高架の下に建物が在って、<船場センタービル>と称している。
31-12-2023 X-Pro2 (62)

↓大晦日なので、<船場センタービル>のテナントも閉まっている。が、それはそれとして、空間と光の醸し出す雰囲気は好い。
31-12-2023 X-Pro2 (63)

この辺りでは、地下鉄御堂筋線の本町駅が近いので、そこから地下鉄を利用して滞在中の宿に引揚げることが出来ると思った。が、一寸思った。御堂筋から東側の堺筋に進み、地下鉄の堺筋線を利用すると、特段に乗換えも無く、目指したい天神橋筋六丁目駅に至ることが叶うのである。

↓この辺りで東西を結ぶ道である中央大通に入って、東寄りを目指すこととした。
31-12-2023 X-Pro2 (64)

↓中央大通と並行するような高速道路の高架下には、相当に長い範囲で建物が建っている。何となく見ると「延々と続いている?」というようにも見える。
31-12-2023 X-Pro2 (65)

↓<船場センタービル>の「9」というような表示が在った。
31-12-2023 X-Pro2 (66)

↓少し進むと<船場センタービル>の「8」というような表示で「心斎橋筋」とも示されている。
31-12-2023 X-Pro2 (67)

<船場センタービル>は1970(昭和45)年にオープンしたという。辺りの東西を結ぶ道を拡幅して中央大通を整備しようとした際、移転をせねばならない様々な沿道の用地利用者の補償のため、従前利用していた面積が利用可能になることを目指し、高速道路の高架の下に10棟のビルを建てたというモノなのだ。「1号館」から「10号館」まで在り、写真は「9号館」や「8号館」ということになる。

↓進み続ける。「7」は「7号館」だ。「丼池筋」(どぶいけすじ)という表示も在る。
31-12-2023 X-Pro2 (68)

↓「6」は「6号館」だ。「三休橋筋」(さんきゅうばしすじ)という表示も在る。
31-12-2023 X-Pro2 (69)

↓「5」は「5号館」で「中橋筋」(なかばしすじ)となっている。
31-12-2023 X-Pro2 (70)

↓「4」は「4号館」で「藤中橋筋」(ふじなかばしすじ)となっているが、古くは難波橋筋(なにわばしすじ)と呼ばれた。街の変遷の中で難波橋が架け替えられて辺りに無くなり、新しい藤中橋が架かったことから藤中橋筋という呼び方が登場したのだという。
31-12-2023 X-Pro2 (71)

↓漸く地下鉄堺筋線の堺筋本町駅の出入口が見えた。
31-12-2023 X-Pro2 (72)

↓堺筋の辺りも、先程見ている御堂筋辺りと同じような設えが見受けられる。
31-12-2023 X-Pro2 (74)

結局、御堂筋から堺筋へ向けて中央大通を歩き、中央大通と交わる何本もの「筋」を見たということになった。他方、後から考えると御堂筋辺りの本町駅と堺筋本町駅とは地下鉄の中央線で結ばれて1駅間だった。それに乗車しても好かった訳だが、その時は「一寸だけ歩けば…」というようにしか考えなかったのだ。

<船場センタービル>について、御堂筋の辺りで中を通って地下鉄御堂筋線の駅に出入した、または館内の御店で食事を摂ったということは在った。が、高速道路の高架下に拡がる様子をゆっくり眺めるという機会は、設けられそうで設け悪いかもしれない。そういう意味で、何となく歩いて面白かった。出先では、こういうような「何となく面白い」を少しずつ重ねる程度の過ごし方をするのが好いのかもしれない。
posted by Charlie at 03:54Comment(0)大阪府

大正橋停留所…:大阪(2023.12.31)

大正駅の界隈を訪ねてみた。以前に立寄っているような御店を訪ねて昼食を摂るようなことを思い付いたのだったが、大晦日なので変則的な営業で開いていない感じだった。そこで駅の辺りで何となく一息入れていた。

↓バス停が在った。
31-12-2023 X-Pro2 (53)

↓幾つもの運行系統のバスが発着する大正駅傍には、運行系統別に停留所が設けられている。
31-12-2023 X-Pro2 (54)

大正区の鉄道駅については、JR大阪環状線の駅と、地下鉄の長堀鶴見緑地線の駅が在るばかりだ。従って古くから「区内はバスを利用」という様子で、「区内と少し先の交通結節点とをバスで結ぶ」ということでもある。そういう流れでバスの運行系統も多彩で、運行便数も多目だ。

↓鉄道高架を潜ってバスが近付く。
31-12-2023 X-Pro2 (55)

↓やって来たバスに乗って、なんば駅の辺りに出てみることにした。
31-12-2023 X-Pro2 (56)

この大阪市内のバスだが、特に何をするのでもなく後側から乗車し、下車時に均一運賃の210円を支払う。現金もICカード乗車券も使用可能だ。ICカード乗車券は乗車時と下車時の2回のタッチではなく、下車時に1階タッチだ。均一料金なので、寧ろ電子マネーで210円が単純に引き去られるというような様子だ。

大正橋停留所からなんば駅を目指すバスだが、<京セラドーム大阪>を望むような辺りから桜川駅辺りに至り、JR難波駅に通じる湊町を抜けて南海なんば駅を望むような辺りに到る経路を進んだ。

地下鉄で動き廻って、着いた駅から歩き廻るというようなことをするのが好きだが、時には街の路線バスも悪くはない。
posted by Charlie at 03:50Comment(0)大阪府

地下鉄一日券…:京都(2023.12.29)

↓この券が在ると、京都の地下鉄の烏丸線と東西線に朝から夜迄、何回でも随意に乗降可能だ。「一日券」である。
29-12-2023 evening X100F (16)
↑今般、四条駅でこの券を求めて利用した。

京都の街では様々な行先に細かく行けるバスの人気が非常に高いように思う。地下鉄は「線の動き」で大雑把なのに対し、バスは「面の動き」で隅々に届き易いということだと思う。

自身は、京都ではバスに乗る場合も在るのだが、寧ろ「地下鉄の駅まで出て、後はゆっくり歩く」というようなことをして方々を訪ねてみる場合が相対的に多い。今般の京都では地下鉄には乗ったが、バスには乗車しなかった。そんな場合も在る。

京都に限らず、こういう「地下鉄一日券」というようなモノは好きだ。この種の券を手に、気儘に、気楽に動き回ることが叶うような街が好いと思う。
posted by Charlie at 03:46Comment(0)京都府

こんばんは…:稚内市役所前(2024.01.09)

バスから下車して、歩道で歩を進めた。

「あそこはあのような様子だったか?」と、少し大きな木の傍に、何か見慣れないモノが在るような気がした。

↓こういう様子だ…
09-01-2024 X100F (6)
↑大きなエゾシカは、積もった雪に頭を突っ込むようにして、雪の下の草を食むのであろう。顔から角に雪が付着している。

何か、多少驚くような様子だ。

<ホテルロイヤルクラシック大阪>…(2023.12.31)

↓南海なんば駅に近い辺りで御堂筋に足を踏み入れると、酷く目立つ建物を眼に留めた。
31-12-2023 X-Pro2 (58)
↑大掛かりな和風の設えの上にビルが載っているような感じだ。

この辺りには1958年から2009年まで<新歌舞伎座>という劇場が在って知られていた。劇場が閉館して移転した後、用地と旧い建物がそのままになっていたが、2015年にそれが解体され、そして結婚式場とホテルなどの複合施設<ホテルロイヤルクラシック大阪>が建てられた。2019年に開業したそうだ。

↓建物の一部は、劇場の和風の意匠が継承されているとのことだ。
31-12-2023 X-Pro2 (57)

こういうような、古く在ったモノの意匠を取り込んで新たなモノを建てるというようなやり方は面白いと思った。今般は横断し悪い場所を歩いていて、反対側から「酷く目立つ建物?」とこの建物を観ていたのだった。
posted by Charlie at 00:00Comment(0)大阪府

ミックスモダン焼…:<ぼてぢゅう>(2023.12.31)

↓難波で眼に留めた看板だ。昼食の時間帯なので立寄ってみた。
31-12-2023 X-Pro2 (59)

「“ぼてっ”としたお好み焼きを“ぢゅうっ”と焼く」ということで<ぼてぢゅう>という店名になったという。1953(昭和28)年に創業したそうだ。

↓こんな具合に箸等が登場する。待つこと暫しという感じだ。
31-12-2023 X100F (23)

↓左から2番目が標準の“オリジナル”だ。左端が“甘口”で右側は“辛口”、“ピリ辛口”となって、計4種のソースから好みのモノを使う。
31-12-2023 X100F (25)
↑大阪辺りではソースについて、様々な種類のモノが出回って、各々に好みのソースを使うというような感じになっているようだ。

↓御願いしていた「ミックスモダン焼」が登場だ。
31-12-2023 X100F (26)
↑「モダン焼」と言う場合、「お好み焼き」に焼きそば麺が入る。相対的に「新しい」のが、焼きそば麺の入った「モダン焼」だ。老舗の<ぼてぢゅう>は、「発祥の店の一つ?」という説も在るらしい。

↓“ピリ辛口”のソースとマヨネーズを点けて「モダン焼」を頂いた。
31-12-2023 X100F (28)

↓ヘラで適当に切り分けた「モダン焼」を小皿に取って頂く。
31-12-2023 X100F (31)

「大阪で食べる…」とでも言えば、大阪以外の地域に在ると串カツやお好み焼きを思い浮かべるかもしれない。特段に意図したのでもないが、今般は双方共に頂いた。時にはこういうのも好い。
posted by Charlie at 19:12Comment(0)大阪府

<大東洋>…(2023.12.31)

早朝、宿の朝食前の午前5時台に散策に出た。天神橋筋六丁目辺りから、概ね地下鉄谷町線の上に相当するような箇所をゆっくり歩けば、中崎町駅の出入口を経て、梅田地区というような辺りに15分要するか如何かという感じで辿り着いてしまう。

↓その「梅田の辺り…」に至ると、こういう看板が目に入る。
31-12-2023 X100F (2)

↓サウナ、浴場にカプセルホテルが在って、建物内にはレストランも在る場所だ。
31-12-2023 X100F (3)

↓サウナ、浴場については、カプセルホテル滞在以外に日帰りでの利用も可能だ。早朝時間帯限定で、日中から夜の通常料金より少し安くなっている。勿論、深夜料金の加算も無い。そういう訳で一寸利用してみたのだ。
31-12-2023 X100F (4)

出先で、ゆっくりとサウナを利用するのも心地好い。ここは各々に温度帯が違うサウナが3つ設えられている。非常に好かった。

利用して、少し明るくなった頃に戸外に出れば、看板の灯りは「消灯時間」になっていた。こういうような施設は、記憶に留めたい。
posted by Charlie at 19:01Comment(0)大阪府

清明神社のトートバッグ…(2023.12.31)

清明神社を訪ねた際に求めてしまった。
31-12-2023 X100F (1)
↑五芒星の形の清明桔梗という紋や、清明神社の社殿の画が入っている。

連泊することになっていた大阪の宿で、朝食前の早朝に少々散策しようと思い付き、これを引っ張り出して使った。何か気に入った。

※ 写真は大阪の宿で撮ったが、モノは京都での想い出に纏わるので、記事は「京都府」のカテゴリに入れる。
posted by Charlie at 19:00Comment(0)京都府

500系新幹線…:<京都鉄道博物館>(2023.12.29)

↓博物館の展示車輛ならではという感じの角度、近さでこの新幹線車輛を眺め入った。
29-12-2023 X-Pro2 (141)

500系は1996(平成8)年から1998(平成10)年に製造された新幹線の電車だ。時速300kmでの営業運転を始めて実現した型の車輛である。現在ではJR西日本管轄の新幹線の中で各駅に停まる列車に、編成を短くしたモノが運用されるに留まってはいる。が、「高速への挑戦」という経過が感じられる外観は素敵だ。

↓何か「航空機」を思わせるような形だと思う。
29-12-2023 X-Pro2 (139)
↑以前にこれに乗車してみたことが在った。独特な丸みを帯びた断面という形状で、何となく面白かった。

これを間近に視られるのは少し嬉しい…
posted by Charlie at 07:00Comment(0)京都府

菅原院天満宮神社…(2023.12.29)

↓年末の神社では、新しい年の初詣を迎える準備が進んでいる。「辰年」の飾りが施されている。京都御所の敷地に近い、烏丸通に在る、かの菅原道真に所縁の場所に設けられた神社である。
29-12-2023 X-Pro2 (41)

菅原道真の邸宅であったという場所で、父の菅原是善(これよし)、祖父の菅原清公(きよきみ)も在って代々の邸宅だった。「菅原院」と呼ばれていた。そこが神社になって行ったのだ。

↓本殿で参拝した。
29-12-2023 X-Pro2 (43)

↓合祀されている梅丸大神である。
29-12-2023 X-Pro2 (42)

↓「天神」と言えば牛だ。
29-12-2023 X-Pro2 (44)

「烏丸の天神さん」という通称も在る場所であるという。本当に、烏丸通に沿う辺りにさり気なく在る。辺りを通り過ぎている経過も在るかもしれないが、今般は初めて立寄って参拝することが叶った。
posted by Charlie at 06:13Comment(0)京都府

辰巳大明神…:祇園白川:京都(2023.12.28)

夜、少し辺りを歩いた。

↓祇園白川の辺りを通り抜けた際に眺めた。
28-12-2023 X100F (33)
↑京都御所の辰巳の方角、南東側を護るということで祀られた祠が起りであるという。祇園という場所柄、芸事の上達を祈願する、また稲荷も合わせて祀られ、商売繁盛を祈るというようにもなっているようだ。

こんな街角の小さな社に時々気付くのが京都だと思っている。辰巳大明神は何度も観ているが、なかなかに好い感じだと思う。
posted by Charlie at 05:52Comment(0)京都府

京都駅…駅前の京都タワー…(2023.12.28)

敦賀から列車で移動して京都に入った。湖西線を経由する列車で、94kmの移動であった。

↓改札口を出て、コレを眼にした。
28-12-2023 X-Pro2 (153)
↑以前、初めて京都に入る同行者を伴い、東京の新宿から夜行バスに乗って京都に着いた。着いて直ぐにコレを眼に留めた。「京都に着いた!ここに確り“京都”と書いてある」というような話しをしたのを覚えている。

↓何度見ても、この京都駅の建物は広壮な空間を擁している。
28-12-2023 X-Pro2 (154)

↓高い天井や、日中は光が入るのは好い。
28-12-2023 X-Pro2 (155)
↑建物が登場して日が浅い頃の特撮映画で、怪獣“ガメラ”がこの場所で戦っていた作品が在ったことを、見る都度に何となく思い出す様子だ。

↓駅前へ歩を進めれば京都タワーの姿が覗く。
28-12-2023 X-Pro2 (151)

↓好天の中に京都に着くことが出来たと、暫し一息入れていた。
28-12-2023 X-Pro2 (158)

何時の間にか、京都も「時々立寄る、少し馴染んだ街」という感じになっているかもしれない。
posted by Charlie at 05:34Comment(0)京都府

<曽根崎お初天神通り>…(2023.12.30)

夕刻に梅田辺り、大阪駅に近い地区を何となく歩き廻ってみた。

↓こういう様子に眼を奪われた。
30-12-2023 evening X100F (20)

↓商店街のアーケードに、文楽の人形が在る。これは『曽根崎心中』のヒロインである「お初」であるようだ。
30-12-2023 evening X100F (21)

『曽根崎心中』との関係で「お初天神」の通称で知られる「露天神社」(つゆのてんじんじゃ)が近くに在る辺りに、第2次大戦後に飲食店等が集まるようになった。そこが商店街となって行く。1964(昭和39)年には「曽根崎センター街」ということでアーケードが完成している。1986(昭和61)年に至り、アーケードを改修する契機に「曽根崎お初天神通り商店街」と名称を変更してげ現在に至っているのだそうだ。

↓何か慌ただしく通り過ぎたが、ゆっくりと散策してみたいような、独特な雰囲気が放たれていたようにも思った。
30-12-2023 evening X100F (22)
posted by Charlie at 20:20Comment(0)大阪府

北前船…:岩瀬:富山(2023.12.26)

↓北前船の拠点となった経過が在る岩瀬に、こういうモニュメントが在る。
26-12-2023 X100F (50)
↑江戸期から明治時代初期に活躍した北前船の中、最大級とされた「千石船」を模したものとのことで、1987(昭和62)年に据えられたそうだ。

なかなかに佳く出来ていると思い少し眺め入った。長さ2m、高さ1.7m、0.7mという説明が在ったが、なるほど大きい。こうした船が活躍していた日本海側の港は、長く現在以上に大きな存在感を示していた訳だ。こういうようなモノに出会うのが面白い。
posted by Charlie at 19:33Comment(0)富山県

宵に…:中央商店街(2024.01.07)

↓拙宅へ引揚げようと歩き、この中央商店街辺りに至った。過ぎる程に静かな通で雪が渦巻いているかのような風情だった。
07-01-2024 X100F (51)

↓屋根の有無と無関係に雪が「吹き溜まり」になる様子が見受けられる。
07-01-2024 X100F (52)

↓こういう雰囲気も、何か名状し難い独特な何かを放っていると思う。
07-01-2024 X100F (53)

時にはこういう風情を愛でながら辺りを歩くことも悪くはないと思う。

宵の雪…(2024.01.07)

休業日の恒例で、サウナを利用して道草をして、ゆっくりと引揚げるという展開になった。

↓歩き始めると雪が交り始めていた。
07-01-2024 X100F (48)

↓雪は辺りを覆い始めている。
07-01-2024 X100F (49)

↓酷く視界が妨げられるのでもないが、それでも降る雪で見通しがやや悪い中を慎重な足取りで進んだ。
07-01-2024 X100F (50)

人通りが多いでもない街で、雪の宵に見受けられる光景だ。

愛用し始めて日が浅いジーンズの洗濯を終えた…(2024.01.07)

年末は出掛けていて、洗濯に勤しむでもなかった。そこでその分の作業に勤しもうと、休業日の朝から動いた。

↓入手後にそのまま使い始めて、使い続けていたジーンズを始めて洗った。
07-01-2024 X100F (3)

↓出先でもこれをそのまま使い続け、流石に汗が付く等で汚れていたと思い、洗ってみたのだが、デニム生地に特有な、それも厚めな生地に特徴的な色落ちの傾向が既に解る。
07-01-2024 X100F (4)

↓何か「出番が多い」という感じになりそうだ。
07-01-2024 X100F (5)

↓際立って厚めな生地で、外観も少し特徴的だと思う。
07-01-2024 X100F (7)

今後も大切に愛用し続けたい感だ…

児島ジーンズ KOJIMA GENES ジーンズ デニム 日本製 25oz ワンウォッシュ セルビッチ ストレート ワークパンツ RNB-125N 送料無料【児島ジーンズから新作ジーンズが登場!!】


<TRAVELER'S notebook>(トラベラーズノート)と万年筆…(2024.01.06)

2021年12月下旬に京都で入手の手帳ということになる<TRAVELER'S notebook>(トラベラーズノート)を現在も使い続けている。

↓現在はこういうような感じだ。
06-01-2024 X100F (4)
入手の翌年に「KYOTO」というメダルを入手して付けていて、翌々年にブラスの万年筆を入手している。モノは毎年、京都の御店で求めている。

↓万年筆はキャップを開けて、ペン先と逆側に嵌めて軸のようにして使うようになっている。試しに少し書いたが、なかなかに好い感じだと思った。
06-01-2024 X100F (5)

↓「2024年用」の予定表を使い始めた。「2022年用」、「2023年用」に続いて3冊目ということになった。
06-01-2024 X100F (7)

結局、こういうような紙の手帳を持っていて使うのが安心で、今後もこういうのを使い続けることになると思う。

「日本・莫斯科・羅馬・伯林・倫敦・巴里間聯絡」:敦賀鉄道資料館(2023.12.28)

敦賀という場所は、ウラジオストクとの間を船で結び、シベリア鉄道を経て欧州との連絡が行われる場所であった経過が在る。

↓その「欧州へ向かう」という経路に関する時刻表が伝えられ、展示されていた。少し見入ってしまった。
28-12-2023 X-Pro2 (80)
↑「日本・莫斯科・羅馬・伯林・倫敦・巴里間聯絡」という往時の書き方であるが、「日本・モスクワ・ローマ・ベルリン・ロンドン・パリ間連絡」ということである。

「浦鹽経由」と在る―「鹽」は「塩」である―のは「ウラジオストク経由」のことで、これに敦賀が関連する。他に「朝鮮経由」というのが在って、これは下関から海を渡る。

金曜日に東京を発って、土曜日に米原を経て敦賀港に至る。そして船に乗ると月曜日にはウラジオストクに至る。

火曜日にウラジオストクを発つと、水曜日にハバロフスクに至り、金曜日にチタである。チタを土曜日に発つと、モスクワは金曜日だ。ここまでで2週間要している。年代が明確に解り悪いが、なかなかの長い旅だ。それでも日本から欧州へ船を使うよりも速い訳だ。

モスクワを金曜日に発てば、ワルシャワが翌日の土曜日で、ベルリンはその後の日曜日だ。日曜日にベルリンを発つと、翌日の月曜日にパリである。

昭和の初め頃、外交等で欧州諸国を訪ねている事例が在るが、そういうのはこの「ウラジオストクに渡って列車」という経路も使っていたようだ。何か物凄く興味深い。

旧 敦賀港駅舎:敦賀鉄道資料館(2023.12.28)

↓何か味わい深い建物だと思う。
28-12-2023 X-Pro2 (75)
↑シベリア鉄道を介して欧州とを結ぶ列車が発着したという頃に使われたという、1913年竣工の建物を再現したという建物である。

↓鉄道関係のことを軸に、地域の歴史に纏わる話題提供となる展示が行われている施設だ。
28-12-2023 X-Pro2 (78)
↑1935(昭和10)年頃の様子として制作した模型が展示されていた。

↓記憶に残る場所である。
28-12-2023 X-Pro2 (76)
posted by Charlie at 05:37Comment(0)福井県

旧 大和田銀行本店:敦賀市立博物館(2023.12.28)

↓敦賀の街で、大変に目立つ建物を眼に留めた。
28-12-2023 X-Pro2 (81)

↓直ぐに「昔の銀行の建物?」と思い浮かぶような感じだ。
28-12-2023 X-Pro2 (82)

↓嘗ては大和田銀行という銀行の本店であった建物だ。1927(昭和2)年に竣工している。現在は敦賀市立博物館となっている。
28-12-2023 X-Pro2 (83)

↓こういう建物は中を確り見学したいので、博物館の入館券を求めて中に入った。ケースに入った展示物でもない、建物の写真撮影は可能ということだった。
28-12-2023 X-Pro2 (85)
↑方々で見たような設えだが、こういう感じが好い。

↓この時代の建物の、何か名状し難い独特な雰囲気に溢れていた。
28-12-2023 X-Pro2 (87)

大和田銀行は1892(明治25)年に、敦賀の有力な商人であった大和田荘七が個人経営の形式で設立した。支店網を拡げる等して積極的に活動を続けていて、県内の銀行としては福井銀行と並び称されていたそうだ。事業も拡大はしていたが、福井銀行には及ばず、次第に差が開いたという。やがて戦時下に「一県に銀行は一行」ということを目指すようになった際、合併の方式で福井銀行との話し合いが纏まらなかったようである。やがて1945(昭和20)年10月に三和銀行による吸収ということになり、大和田銀行の歴史は幕を閉じた。大和田銀行は53年間の経過だった。

大和田銀行の福井県内や石川県内の支店は福井銀行に営業譲渡となった。本店は三和銀行敦賀支店として暫く続いたが、やがて廃止に伴い、福井銀行へ営業譲渡となった。大阪市内に在った支店は、現在では三菱UFJ銀行の支店になっているという。(序でに言えば、三和銀行は合併でUFJ銀行となり、更に合併で三菱UFJ銀行となっている。)

↓貴賓室と呼ばれている部屋だが、何か応接室と会議室を兼ねたような設えだった。
28-12-2023 X-Pro2 (90)

↓「本店」なので、頭取以下の最高幹部がここに集った場面も在ったのだろう。
28-12-2023 X-Pro2 (91)

こういうような「建物そのものが展示品」という風情の博物館だった。やや慌ただしく建物を見学したという側面も在ったが。なかなかに面白かった。
posted by Charlie at 00:53Comment(0)福井県

朝に…(2024.01.06)

↓他地域を巡る等していて御無沙汰になったが「何時もの…」という感じで稚内駅前に足を運んだ。
06-01-2024 X100F (1)

↓冷たい風が少し身体に刺さるような感じで、示されている気温以上に寒く感じた。これもまた当地らしい…
06-01-2024 X100F (2)

↓こういう、当地の冬らしい感じが未だ続きそうだ。
06-01-2024 X100F (3)