<あべちか>…(2024.01.01)

天王寺駅と言えば、地下鉄やJRや近鉄、更に阪堺電車も発着している大きな交通結節点だ。

↓近くの谷町筋にこういう出入口が設えられ、各鉄道駅等へ通じるのだが、途中に<あべちか>という地下街が在る。
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↑昼食を摂るのに好適な時間帯なので、「何処かで食事?」という程度のことも思ったのだった。

↓或る意味で驚かされる光景に出くわした。
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↑1月1日は全店休業だった…地下鉄駅への通路として通り掛かる人達が散見し、清掃作業に勤しんでいる方が在ったというだけだった。

食事は他所に動いて摂ったが、この少し驚いた眺めも頻繁に観られる様子でもないので、少し興味深い。
posted by Charlie at 22:29Comment(0)大阪府

「I♡OSAKA」…(2024.01.01)

↓買ってしまった…
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↓「I♡OSAKA」は「I LOVE OSAKA」である。キーホルダーだ。
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↓こういう具合に、リュックサックに着けてみた。なかなかに按配が好い。同時に似たようなモノが並ぶ場合に、自身のモノを特定する目印にもなる。
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こんな極細やかなモノが酷く嬉しい場合が在る。
posted by Charlie at 21:33Comment(0)大阪府

大きな画…:動物園前駅(2024.01.01)

「とりあえず宿の最寄駅でロッカーに荷物を預けて、それから動き回ろう」という程度のことを思い、天神橋筋六丁目駅から地下鉄の堺筋線へ移動した。地下鉄の1日乗車券は、土日祝日には「620円」だ。これは気に入ったので、前日に続いて利用した。

↓動物園前駅の改札口を潜ると、何やら見えた。
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↓美しい画だ!暫し見入ってしまった。
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↑左の通天閣、右のあべのハルカス、両者の間の天王寺公園と、動物園前駅は何れにも近い。そんな街のイメージの美しいイラストだと思う。

↓特段に辺りに説明も無く、解説的な情報もとりあえず見付からないのだが、凄く画が気に入った。
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通天閣に近いということで、動物園前駅は何度も利用した思い出が在る駅だ。辿り着くと「この駅へ還って来た」という程度の感じ方をする場合も在る。或いは魅力溢れる地域ということになるのかもしれない。
posted by Charlie at 21:23Comment(0)大阪府

考えようによっては贅沢に過ぎる時間を過ごしている…=運行日誌(2024.01.01)

未だ大阪に在る。<あべのハルカス>と<通天閣>との間の地域で、寧ろ<通天閣>に寄っている辺りの宿に滞在している。居室で寛ぎ、「何時でも御休み頂いて結構」という態勢に入っている。

2023年12月31日は「早朝コース」でサウナを利用という辺りから動いて、相対的に静かであるような、一部に賑わっているような、そんな大阪の街で何となく過ごした。存外に体力を使ったのかもしれない。或いは、精力的に動く期間、通常の何倍も歩き廻ってしまうような暮らしを続けている形になっているので、多少長く眠る必要が在ったかもしれない。

夕方、宿に近い辺りで食事を摂ろうと、回転寿司の御店を訪ねて食事を愉しんだ。そこから引揚げ、何時の間にか深く眠った。気付いた時、腕時計のカレンダーは「MON1」になっていた。2024年1月1日だ。日付が改まると同時に、年が改まった。

振り返ると、もっと若かった頃には年末に時間を設けて他所に出て、年が改まった辺り迄を出先で過ごし、そこから引揚げるというようなことを繰り返したような気がする。そういうことからやや遠ざかり、何時の間にか年末に出先に在っても、年が改まる辺りに札幌の「居候所」と呼んでいた“親父殿”の家を訪れ、そこでゆっくりとする、札幌の街を歩くというような過ごし方をするようになっていた。昨年の12月以降、「居候所」に気兼ねなく立寄るような様子でもなくなって、今季は「出先で一寸過ごす?」と考えたのだ。

何かが特別なのでもなく、「普通に休業中」という様子で、加えて「他地域に滞在中」という様子で過ごしているが、年末は連泊で宿を取り悪かったので、天神橋筋六丁目駅傍の宿から動物園前駅傍の宿に移った。以前に利用している<通天閣>が見上げられそうな場所の宿ではない。あそこは取れなかった。少し近い辺りに同じチェーンの宿が在ったのである。

天神橋筋六丁目駅から動物園前駅へ移動し、モノをロッカーに預け―数が少ないので直ぐに塞がる。最後の1つが開いていて、それを利用した…―て、少し動いた。地下鉄の1日券は、休日には620円となる。これは使える!天王寺界隈を散策し、梅田に出て食事を愉しむ等し、動物園前駅にやって来て午後3時台に宿に入った。

午後4時10分頃だった。宿の居室で寛いで居れば「あれ?」と首を傾げた。不自然に揺らいだのだ。最初は「気の所為?」というのか、少し草臥れて強めな眠気が沸き起こって頭がフラりとしているというような気がしないでもなかった。が、どうやらそういうことでもない。地震が在ったらしいとネットのニュースで見た。やがて「自身が発生しました。エレベータの仕様は御控え下さい」と館内放送だ。と言って、避難誘導というのでもない。5分程で「自身が収まりました。エレベータは御利用頂けます」と館内放送だ。

「揺れ」と言えば、近年では、2018年に出先の札幌で経験している。実家に居候の形で停めて頂き、翌朝に用事で動くという話しだったのだが、未だ眠っていた早朝に「身体を揺す振られている??」というように感じた。寝過ごしていて、見かねた“親父殿”が「おい!遅れる!?」と起しに現れたのかという程度のことを思わないでもなかった。が、実際にやや大きく揺れていたのだった。あの時は、地震そのものよりも、事後の北海道内の殆ど全域というような超広域停電という様相で、それの方が大変だったと思う。

今般、そういうのは全くなく、大阪は至って平穏だ。元日なので、休業という場所が寧ろ目立つ。が、一部に「正月休みに人が出る」という場所が見受けられ、そういう場所だけが妙に賑やかという様子である。今般、<通天閣>や<あべのハルカス>が在る光景を眺めたかった。そういうのを確り眺めた。見聞等は何れブログに綴りたい。

明日は北上の途に就く。関東、北陸、関西と動き回った。関西に入ってからは、新たな場所を訪ねてみるというようなことは殆どしていない。詳しく知らなかった大阪天満宮を訪ねるということは在ったが…明日は空港へ向かう経路で早目に動き、更に進む等して、新しい場所に出会うようなこともして、そしてフライトに間に合うようにしたいものだ。

一条堀川界隈=西陣の辺り…(2023.12.29)

清明神社を訪ねた後、周辺を歩き廻った。住宅、商店等、そして新旧様々な建物が入り混じったような、静かな地区だった。南北に延びる堀川通と交わる東西の通の名を組合わせて「〇〇堀川」というような言い方をしているのが耳目に触れる。他方、この辺りに関しては「西陣」という呼び方も在る。「応仁の乱」の西軍が陣を布いた辺りであるということに由来するそうだ。

↓趣深い建物を眼に留めた。
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↓<塩芳軒>(しおよしけん)という老舗の菓子店らしい。
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↑御店は明治時代に起こっているらしい。建物もそういう時代の感じを伝え、価値在る景観を創り出しているかもしれない。

↓菓子店に限らず、幾つも価値在る景観を創り出しているかもしれないような建物が散見した。
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↓瓦の一部に鐘馗様を設えるというのも、京都では散見する。
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↓屋根に小さな窓が設えられている。旧い外観を残したまま、中は改装して普通に使用していることが窺える。
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こういうような、何世代もの人々の営為が感じられるような雰囲気の建物が散見するというのは好い感じだ。
posted by Charlie at 08:38Comment(0)京都府

清明神社…(2023.12.29)

地下鉄今出川駅の6番出口から出て、烏丸通を少し左手に御所を見ながら南下すると、一条通に行き当たる。細めな道路だ。そこを右側へ、西に進む。

↓行き当たるのは一条戻橋だ。
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↓そして広い堀川通を渡ってみると、こういう看板が在る。
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↓五芒星の形をした清明桔梗の紋が掲げられた鳥居が在る。
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↓安倍晴明の邸が在った辺りだという清明神社が在る。
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↓安倍晴明の像も在る。
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↓社殿の辺りは、初詣の準備が施されているようだった。参拝した。
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↓厄除桃も在る。
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↓こんな木も神社らしいので好きだ。
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↓鳥居の辺りに、紅葉している木が未だ在った。雪深い地域から来ているので、この様子は少し驚かされた。
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伝説的な人物を偲ばせるような場所の神社で、過去にも立寄っていたが、また寄ってみたくなって足を運んだ。京都を訪ねる都度にこういう場所は増える。今般は敦賀の清明神社にも立寄ったので、「それでは…」と京都でも立寄ってみたという側面が在る。
posted by Charlie at 08:18Comment(0)京都府

<0607>…:富山駅南口周辺:富山の路面電車(2023.12.27)

列車に乗ろうと富山駅へ向けて歩を進め、横断歩道に佇んだ。

↓路面電車が通り過ぎた。
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↑このまま進んで富山駅の高架下の停留所に着き、そこから富山港線に入って岩瀬浜に向かう電車だ。

富山の路面電車にも何となく親しんだ。早くも懐かしくなっている。
posted by Charlie at 07:58Comment(0)富山県

<人道の港 敦賀ムゼウム>…(2023.12.28)

↓敦賀の金ヶ崎緑地の端の側へ歩を進めると、「往年の街並み?」という風情の建物が見える。
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↓辺りの旧い建物の雰囲気を再現した建築群ということになる。
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↓「復元建物」というようなことで、説明をしたパネルも掲出されていた。
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敦賀は「開港」(国外との貿易を行う港)ということになって、古くからの伝統を踏まえて近在の国々との貿易拠点として栄え、発展して行った。やがてウラジオストクとの船での連絡を経て、日本と欧州とを列車で結ぶ経路の上に在る港という位置を築く。欧州との間で「玄関」ということになった訳だ。

そういう経過の故に、困難に直面した人達を支援したという経過の中で「敦賀」が登場している。そういう歴史を紹介する展示施設が<人道の港 敦賀ムゼウム>である。「ムゼウム」は、博物館や資料館を意味するポーランド語から採られた名だと聞く。

↓入口から中に入り、展示を確りと見学した。
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「人道の港」と称しているが、この「ムゼウム」で取上げているのは2つの出来事だ。

1920年頃、ロシア革命後に内戦の混乱が生じた。シベリアや極東にポーランド人が在ったのだが、そうした中に保護者を喪って“孤児”ということになった少年少女が多く在った。その“孤児”を支援する動きが在り、日本でも協力することになった時、ウラジオストクで彼らを乗せた船が着いたのは敦賀だった。そして“孤児”を援けるべく、敦賀から彼らを迎えた場所へ送り出したのだった。

1939年から1940年頃、欧州で戦雲が立ち込め、ユダヤ系の人達が迫害を受ける状況も生じていた中、日本を経て他所に移り住もうという人達の動きが在った。“難民”である。彼らの一部はポーランド辺りからリトアニアのカウナスに入って日本の通過査証を得ようとした。そういう事情で日本領事館を訪ねた多くの人達に、杉原千畝領事代理が査証を与えた。所謂「命のビザ」として知られる挿話だ。それを手にした人達が苦心の末にウラジオストクに辿り着き、船に乗り込んだ。彼らが最初に到着したのは敦賀だった。

そういう“孤児”や“難民”の件、敦賀での出来事等を色々な角度で伝える展示は非常に興味深かった。

↓更にこういう企画展示も在った。
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↑地元の高校生がムゼウムに纏わる活動を展開し、その縁で招きを受けてポーランド等へ研修旅行をした経過等、色々と興味深い紹介が在った。

敦賀駅周辺から金ヶ崎緑地辺り迄は、片道で30分弱は歩くのだが、そうやって訪れてみた価値は高かったと思う。今般、敦賀に立寄って、ここを訪ねられたことは非常に善かった。
posted by Charlie at 05:08Comment(0)福井県

半円形広場:金ヶ崎緑地:敦賀(2023.12.28)

敦賀の街を散策し、海側の都市緑地として整備が施されたような場所に至った。敦賀港のシンボル緑地というように位置付けられる「金ヶ崎緑地」ということであった。

↓何気なく歩いていて、足元にこういうモノを見た。
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↑「浦塩斯徳」で「ウラジオストク」だという。少し古めかしい書き方だ。或いはこの「浦塩斯徳」の「浦塩」から、ウラジオストクを「ウラジオ」というように言う場合も生じているのかもしれない。

↓「浦塩斯徳」の近くに「ナホトカ」も在った。
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↓「小樽」が在って、タイルが地図上に配置され、港の地名が表示されているのだと気付いた。
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↓地名は入っていないが、稚内やサハリンの辺りも判るようになっていた。
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↓真中辺りに「敦賀」が在って、「ここから拡がり、結ばれる」という海や港のイメージが表現されているということに気付いた。
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それにしても、不意に見掛けた「浦塩斯徳」に驚かされた。
posted by Charlie at 04:32Comment(0)福井県

清明神社:敦賀(2023.12.28)

↓敦賀の街を歩き廻っていて出くわした。
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↓かの“陰陽師”の安倍晴明を祀った神社が敦賀に在るという。
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↑“陰陽師”として活躍して行く前の時期に、陰陽道の研鑽を積む中で敦賀に在ったというように伝えられているということだ。

↓街角の小さな社だ。
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↓「清明桔梗」とも言われる「五芒星」の紋が在った。
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↓ここで安倍晴明に出会えた。善かったというように思う。
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安倍晴明が携わったという陰陽道は、大陸で纏められた知識等も含む、当時の最新の人文学の知識が結集したようなモノ、またはそうした知識を自ら整理して活用する術を工夫するという性質を帯びたモノであったのであろう。大陸の文物が入るような場所として、京都から最も近かったのが敦賀で在ったのかもしれない。この神社は、「安倍晴明」という名の故に、古代や中世からの敦賀を想像させてくれる存在になっていると思う。
posted by Charlie at 04:09Comment(0)福井県