馴染んでいる旭川の宿の居室に在って、「何時でも御休み頂いて結構」という態勢に入って寛いで居る。「帰国」で「北上」という展開の最中である。
前夜の札幌の宿では、起きて居たいだけ起きて居て、眠くなれば眠れば好いというような意識で過ごした。結果的に些か夜更かしになった。そして深く眠ったと思う。一度、眼を開けて御手洗を使用したが、その後も直ぐに眠った。最近の様子を顧みる中では「少しゆっくり…」という朝だった。
そういう程度に感じたが、それでも朝7時半前には、居室に出しているモノを片付けて、何時でも出発出来るというような様子になった。とは言え、ゆっくりと旭川に向かうという予定の日で、文字どおりに「のんびり」で全く構わない。宿の朝食を摂った後は、居室でゆったりと、拙宅の居室で時間が在る時のように寛いで過ごすこととした。
気になって羽田空港のフライト情報の出発便を見れば、多分、機材繰り等で不都合が在ったと見受けられる欠航が散見するが、朝早くからの多くの便が普通に「搭乗手続き中」、「搭乗中」、「出発済み」となっている。昨夕のような混乱は収束し始めていると見受けられる。勿論、昨夕の事故現場の始末等は未だ続くであろう。朝食会場のテレビで流れたニュースでも、事故に纏わる解説等が在った。
加えて北陸での地震の件も気になる。1月1日に大被害が生じているが、殊に被害状況が大きかった石川県では余震が今朝も見受けられた様子だ。それも朝食会場のテレビで流れたニュースで取上げられていた。
気懸りな話題が続いている最中、自身の手近な辺りの事柄も気になる。JR北海道の列車運行情報では、何らの問題も伝えられていない。各列車は普通に運行されているようである。また気象情報も、何となく曇天というのが今日、明日の各地の予報である。平穏であることに深く感謝したい感だ。
結果的に午前10時台の列車で札幌から岩見沢へ向かい、岩見沢で午前11時台の列車に乗り、午後1時前には旭川に着いた。凄く順調だった。12月24日には岩見沢の周辺で大雪による踏切の不具合が生じていたが、そういう様子は全く無い。岩見沢で乗換の列車迄に間が在り、駅前に一寸だけ出てみたが「雪の少なさ」に少し驚いた程だった。
旭川に到り、昼食を摂り、書店を覗いて、ファストフード店で一息入れ、やがて宿でチェックインを受け付ける時間帯に入ったので直ぐに宿に入って一息入れた。夕刻は、思い付いて出た。馴染んだ御店で夕食を愉しんだ。そして宿へ引揚げている。
結局、休業期間は精力的に行動している。そういうことだったので、「期間中の“休業”」というようなことにしていたかもしれない。「起きて居たいだけ起きて居て、眠くなれば眠れば好い」ということであるとは思うが、明朝は早起きで動く予定にしている。
<富山のくすりやさん>…(2023.12.26)
↓富山駅に近い辺りで眼に留まった像だ。
↓こういうのも在った。
↓2組の像は、こういう具合に配されていた。
↓<富山のくすりやさん>という像である。
「富山」と言えば「くすりやさん」という連想も在るかもしれない。柳行李に商品を入れて各地を巡り、使った分だけ代金を回収という“置き薬”という方式で各地の顧客との信頼関係を築く商売を続けて来た人達だ。訪ねた各地で、子どもに紙風船を土産に配っていて、子ども達が懐いたそうだ。堅実で地道な営業で資本が集積され、方々の見聞がもたらされ、地域の中で大きな存在であったということで、「くすりやさん」を顕彰する像を1992(平成4)年に建てたということだ。
↓善い感じの像なので、少し見入っていた。
↓こういうのも在った。
↓2組の像は、こういう具合に配されていた。
↓<富山のくすりやさん>という像である。
「富山」と言えば「くすりやさん」という連想も在るかもしれない。柳行李に商品を入れて各地を巡り、使った分だけ代金を回収という“置き薬”という方式で各地の顧客との信頼関係を築く商売を続けて来た人達だ。訪ねた各地で、子どもに紙風船を土産に配っていて、子ども達が懐いたそうだ。堅実で地道な営業で資本が集積され、方々の見聞がもたらされ、地域の中で大きな存在であったということで、「くすりやさん」を顕彰する像を1992(平成4)年に建てたということだ。
↓善い感じの像なので、少し見入っていた。
<7018>…:電鉄富山駅/エスタ前・富山駅 間:富山の路面電車(2023.12.26)
<蔵造りの町並み>…:川越(2023.12.25)
↓「江戸時代の蔵」のような建物が「普通の少し古くからの商店」という様子になっている様に出くわして驚いた。
↓「黒漆喰」という壁である。江戸時代の建築の技法らしい。
↓他方で明治時代後期以降という風な様式の建物も交じる。こういう様子が、江戸時代から明治、大正、昭和、更に平静を経た令和の現在迄、人々の営みが営々と受継がれている街であることを強く意識させてくれる。
↓一瞥すると、何かの資料館の“建物展示”というのか、「映画のセット?」というようなことも思ってしまうが、普通に商店としての活動が為されている様子である。
↓相対的に新しい建物に、古い建物が挟まれるようにして在るのが面白い。
↓多分、これが最初に建てられたような頃は「普通」だったのだと思うが、何か「酷く手が掛かりそうな建物…」と思いながら眺めていた。
国外から日本国内に入る方の中には「日本の旧い建物の在る街並みが観てみたい」という方も在るであろう。そういうようなことであれば、川越は「首都圏に在って日帰り」ということをし易い場所だと思う。川越そのものが首都圏の一部ということにもなるであろうが。
川越を訪ね、離れてから然程の時日を経ていないが、早くも「何時か再訪…」と考えていることに気付かざるを得ない。
↓「黒漆喰」という壁である。江戸時代の建築の技法らしい。
↓他方で明治時代後期以降という風な様式の建物も交じる。こういう様子が、江戸時代から明治、大正、昭和、更に平静を経た令和の現在迄、人々の営みが営々と受継がれている街であることを強く意識させてくれる。
↓一瞥すると、何かの資料館の“建物展示”というのか、「映画のセット?」というようなことも思ってしまうが、普通に商店としての活動が為されている様子である。
↓相対的に新しい建物に、古い建物が挟まれるようにして在るのが面白い。
↓多分、これが最初に建てられたような頃は「普通」だったのだと思うが、何か「酷く手が掛かりそうな建物…」と思いながら眺めていた。
国外から日本国内に入る方の中には「日本の旧い建物の在る街並みが観てみたい」という方も在るであろう。そういうようなことであれば、川越は「首都圏に在って日帰り」ということをし易い場所だと思う。川越そのものが首都圏の一部ということにもなるであろうが。
川越を訪ね、離れてから然程の時日を経ていないが、早くも「何時か再訪…」と考えていることに気付かざるを得ない。
川越商工会議所…(2023.12.25)
<大正浪漫夢通り>…:川越(2023.12.25)
川越を訪ねてみた日は荒天に恵まれた。冬の蒼天の下、心地好く歩き廻っていた。
↓古い建物が並ぶ辺りに差し掛かった。
↓半ば「時が停まった」かのような、少し不思議な気分になった。
↓古い外観を活かして利用するという方式で、色々な事業が展開していると見受けられた。
↓焼き芋か何かを売っているような様子だった。
この辺りは<大正浪漫夢通り>と名付けられている。明治時代後期や大正時代、または昭和初期という建物が残っている訳だが、昭和期にはアーケードが架けられた商店街だったそうだ。1995(平成7)年にアーケードを撤去し、古い建物を活かした「大正浪漫」をテーマにした街を目指し始めている。現在もそうした取り組みは続き、電線を地中化し、道路を石畳にするというようなことをしている。
↓こういう感じは、なるほど「大正時代」を想起させる。明治時代の終わりに近い辺りからコンクリートが各種の建築に多用されるようになっていて、画のような感じの建物も増えて行ったようである。
↓他方で、こういう感じの建築も以前から受継がれて、明治時代の終わりに近い辺り以降も新築されていたようだ。
「街並みそのもの」が「何かの展示」というような様子である。街には、国内外の旅行者が多く見受けられた。少し立寄って歩き廻るには好適な街であるとも思う。
↓古い建物が並ぶ辺りに差し掛かった。
↓半ば「時が停まった」かのような、少し不思議な気分になった。
↓古い外観を活かして利用するという方式で、色々な事業が展開していると見受けられた。
↓焼き芋か何かを売っているような様子だった。
この辺りは<大正浪漫夢通り>と名付けられている。明治時代後期や大正時代、または昭和初期という建物が残っている訳だが、昭和期にはアーケードが架けられた商店街だったそうだ。1995(平成7)年にアーケードを撤去し、古い建物を活かした「大正浪漫」をテーマにした街を目指し始めている。現在もそうした取り組みは続き、電線を地中化し、道路を石畳にするというようなことをしている。
↓こういう感じは、なるほど「大正時代」を想起させる。明治時代の終わりに近い辺りからコンクリートが各種の建築に多用されるようになっていて、画のような感じの建物も増えて行ったようである。
↓他方で、こういう感じの建築も以前から受継がれて、明治時代の終わりに近い辺り以降も新築されていたようだ。
「街並みそのもの」が「何かの展示」というような様子である。街には、国内外の旅行者が多く見受けられた。少し立寄って歩き廻るには好適な街であるとも思う。
積雪した歩道…;札幌駅周辺(2024.01.02)
先行する列車の遅延で減速運転となった列車は4分程遅れて札幌駅に着いたのだそうだ。それでも新千歳空港で半ば駆足という感じで飛び乗った列車で、何となく思い描いていたような午後9時半前に札幌駅に着くことが出来た。
予定した宿へ向かおうと札幌駅周辺に歩を進めた。
↓こういう様子に出くわした。歩道に積雪だ。
↑プラス寄りな気温で“雨”が交っている。車道は「濡れた黒いアスファルト」だが、車道には雪が残っている箇所が見受けられた。慎重に歩んだ。
今般は富山県、石川県、福井県と積雪も奇異ではない北陸地方に立寄った後に関西方面を経て北海道へ「帰国」だった。北陸地方では「雪の歩道」を歩くような場面は無かった。少し御無沙汰の様子に出くわし、「戻ってしまった…」ということを実感した。
予定した宿へ向かおうと札幌駅周辺に歩を進めた。
↓こういう様子に出くわした。歩道に積雪だ。
↑プラス寄りな気温で“雨”が交っている。車道は「濡れた黒いアスファルト」だが、車道には雪が残っている箇所が見受けられた。慎重に歩んだ。
今般は富山県、石川県、福井県と積雪も奇異ではない北陸地方に立寄った後に関西方面を経て北海道へ「帰国」だった。北陸地方では「雪の歩道」を歩くような場面は無かった。少し御無沙汰の様子に出くわし、「戻ってしまった…」ということを実感した。
コインロッカー…:三ノ宮駅(2024.01.02)
↓交通結節点となっているような駅では殊更に必要なモノだと思う。
↑「400円」という程度の価格が多いが、自身では小さ目のロッカーに、身軽とは言っても嵩張る荷物を預けて辺りを動き回る場合が多い。非常に重宝する。
この三ノ宮駅―JRの駅だけは、駅が起った時に「三ノ宮」と「ノ」を入れた表記が今でも残る。他の鉄道会社の駅は「三宮」になっている。―は、古くからの「単純に百円硬貨を投入するロッカー」である。何やら液晶画面のようなモノが在って操作するようになっているモノや、ICカード乗車券を使う仕組みのモノも在るのだが、個人的にはこの「百円硬貨投入」が最も使い易い。
今般、各地でコインロッカーを使った。こういうロッカーの様子も、何となく写真に収めてみたくなる。
↑「400円」という程度の価格が多いが、自身では小さ目のロッカーに、身軽とは言っても嵩張る荷物を預けて辺りを動き回る場合が多い。非常に重宝する。
この三ノ宮駅―JRの駅だけは、駅が起った時に「三ノ宮」と「ノ」を入れた表記が今でも残る。他の鉄道会社の駅は「三宮」になっている。―は、古くからの「単純に百円硬貨を投入するロッカー」である。何やら液晶画面のようなモノが在って操作するようになっているモノや、ICカード乗車券を使う仕組みのモノも在るのだが、個人的にはこの「百円硬貨投入」が最も使い易い。
今般、各地でコインロッカーを使った。こういうロッカーの様子も、何となく写真に収めてみたくなる。
壁面の植物…(2024.01.02)
ポートタワー…(2024.01.02)
<メリケンパーク>辺りで視掛けたグラフィティー:神戸(2024.01.02)
朝に…:新今宮駅の辺りで…(2024.01.02)
朝、JRの列車に乗って移動しようとしていた。新今宮駅が徒歩圏で利用し易いということに気付き、新今宮駅周辺へ歩を進めた。
↓そして振り返った。
↑明るくなって行く天を背後に、聳え立つ<あべのハルカス>が見える。暫し見入った。
大阪を離れることになった。例によって慌ただしい滞在ではあるが。「До свидания! Мой любимый город!」(ダ スヴィダーニヤ!モイ リュビームィー ゴーラド!)(再会の時迄!愛しき街よ!)というフレーズが頭に浮かんだ。ロシアの人気バンドの歌の歌詞に在るフレーズであるが。
「再会の時迄!愛しき街よ!」(До свидания! Мой любимый город!)ということで、何度も再会している大阪である。何時かまた…
↓そして振り返った。
↑明るくなって行く天を背後に、聳え立つ<あべのハルカス>が見える。暫し見入った。
大阪を離れることになった。例によって慌ただしい滞在ではあるが。「До свидания! Мой любимый город!」(ダ スヴィダーニヤ!モイ リュビームィー ゴーラド!)(再会の時迄!愛しき街よ!)というフレーズが頭に浮かんだ。ロシアの人気バンドの歌の歌詞に在るフレーズであるが。
「再会の時迄!愛しき街よ!」(До свидания! Мой любимый город!)ということで、何度も再会している大阪である。何時かまた…
通天閣の在る光景…(2024.01.01)
滞在した宿は、通天閣とあべのハルカスとの間位で、寧ろ通天閣に近い場所だった。最寄の地下鉄駅にはそんなイメージの壁画も据えられている。
そういう場所の宿に落ち着くと、「とりあえず通天閣を眺める」というようなことを思う。辺りはほんの少し勝手知っている(つもりになっている)ので、一寸様子を観に出た。
↓少しずつ暗くなって行く時間帯に辺りに至った。
↓照明が少しずつ目立つような感じになっている。
↓暗くなるに連れて加賀谷亜紀を増して行く感じだ。
↓通天閣を眺めるのが面白く、見上げると見える辺りを一回り歩いていた。
↓商店街からの眺めも好い。
↓この角度の眺望も悪くない。別な角度のような、辺りの店舗の過度な迄の装飾が在るでもなく、無骨なようで美しい通天閣のデザインが際立つような気がする。
何時の間にか、多少御無沙汰すると「そう言えば…観たい…」と感じる場合も生じるようになっている通天閣だ。今般は眺める機会を設けられて善かった。
そういう場所の宿に落ち着くと、「とりあえず通天閣を眺める」というようなことを思う。辺りはほんの少し勝手知っている(つもりになっている)ので、一寸様子を観に出た。
↓少しずつ暗くなって行く時間帯に辺りに至った。
↓照明が少しずつ目立つような感じになっている。
↓暗くなるに連れて加賀谷亜紀を増して行く感じだ。
↓通天閣を眺めるのが面白く、見上げると見える辺りを一回り歩いていた。
↓商店街からの眺めも好い。
↓この角度の眺望も悪くない。別な角度のような、辺りの店舗の過度な迄の装飾が在るでもなく、無骨なようで美しい通天閣のデザインが際立つような気がする。
何時の間にか、多少御無沙汰すると「そう言えば…観たい…」と感じる場合も生じるようになっている通天閣だ。今般は眺める機会を設けられて善かった。
「阪急 神戸三宮駅」を望む…(2024.01.02)
本州方面を訪ねる場合、「神戸空港から新千歳空港へ飛んで引揚げる」という選択をする場合が少なくないような気がする。関西方面の主要都市間は公共交通が便利で、神戸空港に関しては、交通結節点の三宮に在ればポートライナーで直ぐに入って飛行機に乗ることが叶う。気に入っている。それと相俟って、「神戸に何となく寄る」という場合も比較的多く在る。
今般、神戸空港へ入る前に兵庫県内で過ごす時間を設けた。その後、神戸空港へ入る前に食事を摂る等しながら神戸を散策しようと「三ノ宮駅」へ移動して街へ出た。
↓こういう様子に出くわした。「阪急 神戸三宮駅」である。
↓敢えて往年の建物の感じを組み込んだビルというのが好きだ。光の当たり方が好い感じで、暫し横断歩道の辺りで見入ってしまった。
↓少し近付いて、美しい建物を眺めた。
神戸の街には、こういうような「出くわして、一寸注目してしまう…」というような建物が存外に多いかもしれない。気に入っている立ち寄り先である。
今般、神戸空港へ入る前に兵庫県内で過ごす時間を設けた。その後、神戸空港へ入る前に食事を摂る等しながら神戸を散策しようと「三ノ宮駅」へ移動して街へ出た。
↓こういう様子に出くわした。「阪急 神戸三宮駅」である。
↓敢えて往年の建物の感じを組み込んだビルというのが好きだ。光の当たり方が好い感じで、暫し横断歩道の辺りで見入ってしまった。
↓少し近付いて、美しい建物を眺めた。
神戸の街には、こういうような「出くわして、一寸注目してしまう…」というような建物が存外に多いかもしれない。気に入っている立ち寄り先である。