↓「専門店」と一口に言っても様々だと思う。「麻婆豆腐専門店」を謳っているのが少し面白い。小さな路地に在る、小さな御店だ。
↓何種類かの麻婆豆腐を供することに特化したような小さな御店である。
↓サイドメニューで御願いした揚げ餃子が先に登場したので一寸摘まみながら料理を待った。
↓好みで麻婆豆腐に振るという花椒(ホアジャオ)がカウンター上に置いて在った。中国の山椒という感じであろうか。
↓更に3種類の酢が用意されている。これも好みで点ける。
↓四川麻婆豆腐が登場した!
↓豆板醤のような調味料の感じよりも、花椒(ホアジャオ)のようなモノが多用されているかのような感じだった。
実は以前にも立寄っていて、その同じ御店だと気付いて「アレを是非久し振りに…」と頂いたのだった。こういうのも時には好い…
南京町…:神戸(2024.01.02)
神戸空港へ向かう前の一時、神戸の街を散策した。
↓こんな設えの在る一画が少し気に入っている。
↓天候が好かったので、こういう設えが映えていたと思う。
↓神戸の南京町である。
明治期に華僑の住む地区が形成され、南京町という通称が何時した定着した。やがて華僑はしない等に分散するようになり、南京町の辺りは普通の商業地という様相になって行った。それは現在でも原則的には余り変わらず、南京町の界隈に華僑が多く住んで居るということでもないようだ。第2次大戦後に辺りは少し荒廃してしまう。1976年頃から、南京町という地区の通称を大事にした街づくりが意図されるようになって行ったのだという。1980年代に「チャイナタウン」というようになって行く。そこに1995年の震災の被害が生じてしまうが、復旧を図る中で、プロパンガスやポリタンクの水を使って軽食のテイクアウト販売から出発し、それが好評を博した。そこから「気軽な食べ歩きも…」というようなことにもなって行ったのだそうだ。
↓軽食、本格的料理店、その他の雑貨店等が色々と集まっている南京町だ。最近も国内外の来訪者や地元や周辺の人達で賑わっている様子が見受けられる。
↓自身の目線では、「年中、何かの一寸した祭でも開催しているかのような一画」というように感じられる場合も在る。とりあえず賑やかだ。
何やら「中華風?」の設えが面白く、見上げるばかりだったのだが、なかなかの人出で、低い辺りは故人を特定し得るような画ばかりになりそうで、敢えて撮っていなかった…時にはこういう場所も悪くない。
↓こんな設えの在る一画が少し気に入っている。
↓天候が好かったので、こういう設えが映えていたと思う。
↓神戸の南京町である。
明治期に華僑の住む地区が形成され、南京町という通称が何時した定着した。やがて華僑はしない等に分散するようになり、南京町の辺りは普通の商業地という様相になって行った。それは現在でも原則的には余り変わらず、南京町の界隈に華僑が多く住んで居るということでもないようだ。第2次大戦後に辺りは少し荒廃してしまう。1976年頃から、南京町という地区の通称を大事にした街づくりが意図されるようになって行ったのだという。1980年代に「チャイナタウン」というようになって行く。そこに1995年の震災の被害が生じてしまうが、復旧を図る中で、プロパンガスやポリタンクの水を使って軽食のテイクアウト販売から出発し、それが好評を博した。そこから「気軽な食べ歩きも…」というようなことにもなって行ったのだそうだ。
↓軽食、本格的料理店、その他の雑貨店等が色々と集まっている南京町だ。最近も国内外の来訪者や地元や周辺の人達で賑わっている様子が見受けられる。
↓自身の目線では、「年中、何かの一寸した祭でも開催しているかのような一画」というように感じられる場合も在る。とりあえず賑やかだ。
何やら「中華風?」の設えが面白く、見上げるばかりだったのだが、なかなかの人出で、低い辺りは故人を特定し得るような画ばかりになりそうで、敢えて撮っていなかった…時にはこういう場所も悪くない。
車窓…:抜海駅・南稚内駅間(2024.01.04)
年に3回のシーズンに発売される<青春18きっぷ>を利用することがある。全国のJRの列車に乗車出来るが、列車種別は「普通列車」に限定ということになっている。要は急行券、特急券が不要な列車のみということだ。
<青春18きっぷ>を利用する場合、気に入っているのは夜を旭川で明かし、早朝6時に出る稚内へ向かう普通列車に乗車するという利用である。旭川駅に2輛連結で列車は現れるが、後ろの車輛が名寄駅で切り離しになるので、稚内迄向かうのなら最初から前方の車輛に陣取れば好いのだ。黙って乗っていれば、12時台に入った辺りで稚内に到着する列車だ。259㎞の区間を6時間程度で動くということになる。
稚内の南隣の町に在る豊富駅を過ぎて、列車が更に北上する。やがて稚内市の域内に入り、抜海に至る。残るは2駅なのだが、この抜海から少し進んで南稚内駅の手前、街の住宅街等が見える手前で日本海が車窓から見える箇所が在る。
↓「日本海が見える」ということだが、条件が好ければ日本海に浮かぶ利尻富士が見える場所でもある。
↓今般、非常に好い感じに日本海、利尻富士が見えた。
何か強く記憶に留まりそうな感じだ。
<青春18きっぷ>を利用する場合、気に入っているのは夜を旭川で明かし、早朝6時に出る稚内へ向かう普通列車に乗車するという利用である。旭川駅に2輛連結で列車は現れるが、後ろの車輛が名寄駅で切り離しになるので、稚内迄向かうのなら最初から前方の車輛に陣取れば好いのだ。黙って乗っていれば、12時台に入った辺りで稚内に到着する列車だ。259㎞の区間を6時間程度で動くということになる。
稚内の南隣の町に在る豊富駅を過ぎて、列車が更に北上する。やがて稚内市の域内に入り、抜海に至る。残るは2駅なのだが、この抜海から少し進んで南稚内駅の手前、街の住宅街等が見える手前で日本海が車窓から見える箇所が在る。
↓「日本海が見える」ということだが、条件が好ければ日本海に浮かぶ利尻富士が見える場所でもある。
↓今般、非常に好い感じに日本海、利尻富士が見えた。
何か強く記憶に留まりそうな感じだ。
そして帰着…=運行日誌(2024.01.04)
稚内の拙宅の居室に在る。とりあえず暖房を点けたが、温まるまでに些かの時間も要することであろう。
朝、旭川では早目に眼を覚まし、何となく起きて居た。そして予定どおりに、通り道のコンビニで車中向けの飲物等を持てめてから旭川駅へ向かい、待機していた列車に乗った。6時3分に旭川駅を出て北上する普通列車だ。<青春18きっぷ>が利用可能である。名寄迄は2輛なので、旭川駅ではその状態だ。そして名寄以遠は1輛での運行となる。
車中では眠ってしまっていた時間が長かった。何やら気付くと名寄の手前だった。名寄では2輛目を切り離した。それから1輛になった列車は更に進んだ。気付いたのは天塩中川駅の手前の駅に続くような辺りだった。そこで…エゾシカと接触である。ぶつかってしまったエゾシカを避けるという作業を乗務員(運転士)と、他に乗っていた鉄道関係者で懸命にやっていた。
多分15分近く遅れて幌延駅に着いたと思うが、幌延駅での長い停車時間が短くなり、幌延を定刻に発車すると、稚内にも定刻の12時7分頃に到着した。途中、天候が好かったので車窓は美しかった。
拙宅へ戻れば、玄関前に驚く程の雪が積もっていたのでもなかった。幸いだった。少しばかりという雪を除けた。そこから、直ぐ傍の店でラーメンを頂き、以降は居室で寛ぐという具合である。
今般、随意に過ごす時間を設けられたことは好かった。見聞に関しては追って綴って行く。こうした過ごし方が出来たことに感謝したい。
朝、旭川では早目に眼を覚まし、何となく起きて居た。そして予定どおりに、通り道のコンビニで車中向けの飲物等を持てめてから旭川駅へ向かい、待機していた列車に乗った。6時3分に旭川駅を出て北上する普通列車だ。<青春18きっぷ>が利用可能である。名寄迄は2輛なので、旭川駅ではその状態だ。そして名寄以遠は1輛での運行となる。
車中では眠ってしまっていた時間が長かった。何やら気付くと名寄の手前だった。名寄では2輛目を切り離した。それから1輛になった列車は更に進んだ。気付いたのは天塩中川駅の手前の駅に続くような辺りだった。そこで…エゾシカと接触である。ぶつかってしまったエゾシカを避けるという作業を乗務員(運転士)と、他に乗っていた鉄道関係者で懸命にやっていた。
多分15分近く遅れて幌延駅に着いたと思うが、幌延駅での長い停車時間が短くなり、幌延を定刻に発車すると、稚内にも定刻の12時7分頃に到着した。途中、天候が好かったので車窓は美しかった。
拙宅へ戻れば、玄関前に驚く程の雪が積もっていたのでもなかった。幸いだった。少しばかりという雪を除けた。そこから、直ぐ傍の店でラーメンを頂き、以降は居室で寛ぐという具合である。
今般、随意に過ごす時間を設けられたことは好かった。見聞に関しては追って綴って行く。こうした過ごし方が出来たことに感謝したい。
岩瀬諏訪神社…(2023.12.26)
富山駅の北側に在る富山港線を路面電車で移動し、起点・終点となる岩瀬浜に至り、辺りを歩き廻ってみた。岩瀬には古い建物等が遺る場所が在ると聞き、そういう辺りを歩き廻ってみたいと思った。
岩瀬浜の停留所から踏み出せば、何やら「古くから港であったらしい、少し大きい街の郊外」というような風情の場所だった。案内地図によれば、古いモノが在るような辺りであろうと、フラフラと歩いていた。
↓何やら「長い歴史」が滲むような神社が見受けられた。
↓立派な石の鳥居に「諏訪社」の扁額である。
↓境内には「神馬」も在った。
↓フラりと辿り着いた社は<岩瀬諏訪神社>という。
↓この場所に無事に至ったことに感謝の意を表すべく参拝した。
↓少し手が込んだ細工も施された社殿だった。
↓気さくで話し好きな、自身より何年か若いようである神職の方に御迎え頂き、岩瀬に関すること等の御話しも伺い、御朱印を御願いした。
古く「三津七湊」(さんしんしちそう)という言い方が在ったという。『廻船式目』という海事関係のことを綴った室町時代の書に、各地の重要な港が挙げられていて、それが「三津七湊」ということで10箇所在ったそうだ。
「三津」とは安濃津(三重県津市)、博多津(福岡県福岡市)、堺津(大阪府堺市)である。「七湊」とは三国湊(福井県坂井市)、本吉湊(石川県白山市)、輪島湊(石川県輪島市)、岩瀬湊(富山県富山市)、今町湊(=直江津)(新潟県上越市)、土崎湊(=秋田湊)(秋田県秋田市)、十三湊(青森県五所川原市)である。中世の重大港湾の殆どが日本海側であったということでもあって少し驚くのだが、岩瀬はこの「10大港湾」に数えられるような地域であったのだ。
江戸時代に入って以降も、岩瀬は所謂「北前船」による交易事業の拠点として栄えた。大まかに言えば、米を積んだ船を出してそれを売り、蝦夷地(北海道)の鰊粕を仕入れて肥料として販売する、その肥料を使った収穫が商品になるというような感じだった訳だ。江戸時代に北陸を知行地とした前田家だったが、岩瀬をかなり重要視していたという経過も在るという。
そうした所謂「北前船」の事業に携わった一族は、明治期以降も地域の有力な実業家として地域の様々な活動に携わったのだという。地域の教育に資する、現在でもその流れを汲む期間が活動している場所の設立や発展に資するようなことも手掛けているようだ。
↓そうした豊かな地域が育んだ「祭」の文化が現在でも受継がれているということでもある。
↓「岩瀬湊」の歴史を感じさせてくれた場所に巡り合えたことが非常に善かった。
何か初詣の準備、年末の何かと忙しいような様子の中、ふらりと訪れた旅の者を温かく御迎え頂いた岩瀬諏訪神社の皆様には感謝申上げたい。実は、北海道には富山県から移り住んだ人達の後裔も多いと聞く。漁業の盛んな地域であるので、そうしたノウハウが北海道に持ち込まれているというようなことも聞く。そして富山県辺りと北海道との物産の取引も盛んであった経過が在る。
思い付いて訪ねて善かった富山である。訪ねた少し後の北陸の地震災害から、少しでも早く立ち直って頂きたいものである。苛烈な被害が生じたのは、寧ろ隣の石川県である様子だが。今般の旅の想い出の故に、北陸には関心が向き続けるのだと思う。
色々と在るが、今般は富山を訪ねて好かった。
岩瀬浜の停留所から踏み出せば、何やら「古くから港であったらしい、少し大きい街の郊外」というような風情の場所だった。案内地図によれば、古いモノが在るような辺りであろうと、フラフラと歩いていた。
↓何やら「長い歴史」が滲むような神社が見受けられた。
↓立派な石の鳥居に「諏訪社」の扁額である。
↓境内には「神馬」も在った。
↓フラりと辿り着いた社は<岩瀬諏訪神社>という。
↓この場所に無事に至ったことに感謝の意を表すべく参拝した。
↓少し手が込んだ細工も施された社殿だった。
↓気さくで話し好きな、自身より何年か若いようである神職の方に御迎え頂き、岩瀬に関すること等の御話しも伺い、御朱印を御願いした。
古く「三津七湊」(さんしんしちそう)という言い方が在ったという。『廻船式目』という海事関係のことを綴った室町時代の書に、各地の重要な港が挙げられていて、それが「三津七湊」ということで10箇所在ったそうだ。
「三津」とは安濃津(三重県津市)、博多津(福岡県福岡市)、堺津(大阪府堺市)である。「七湊」とは三国湊(福井県坂井市)、本吉湊(石川県白山市)、輪島湊(石川県輪島市)、岩瀬湊(富山県富山市)、今町湊(=直江津)(新潟県上越市)、土崎湊(=秋田湊)(秋田県秋田市)、十三湊(青森県五所川原市)である。中世の重大港湾の殆どが日本海側であったということでもあって少し驚くのだが、岩瀬はこの「10大港湾」に数えられるような地域であったのだ。
江戸時代に入って以降も、岩瀬は所謂「北前船」による交易事業の拠点として栄えた。大まかに言えば、米を積んだ船を出してそれを売り、蝦夷地(北海道)の鰊粕を仕入れて肥料として販売する、その肥料を使った収穫が商品になるというような感じだった訳だ。江戸時代に北陸を知行地とした前田家だったが、岩瀬をかなり重要視していたという経過も在るという。
そうした所謂「北前船」の事業に携わった一族は、明治期以降も地域の有力な実業家として地域の様々な活動に携わったのだという。地域の教育に資する、現在でもその流れを汲む期間が活動している場所の設立や発展に資するようなことも手掛けているようだ。
↓そうした豊かな地域が育んだ「祭」の文化が現在でも受継がれているということでもある。
↓「岩瀬湊」の歴史を感じさせてくれた場所に巡り合えたことが非常に善かった。
何か初詣の準備、年末の何かと忙しいような様子の中、ふらりと訪れた旅の者を温かく御迎え頂いた岩瀬諏訪神社の皆様には感謝申上げたい。実は、北海道には富山県から移り住んだ人達の後裔も多いと聞く。漁業の盛んな地域であるので、そうしたノウハウが北海道に持ち込まれているというようなことも聞く。そして富山県辺りと北海道との物産の取引も盛んであった経過が在る。
思い付いて訪ねて善かった富山である。訪ねた少し後の北陸の地震災害から、少しでも早く立ち直って頂きたいものである。苛烈な被害が生じたのは、寧ろ隣の石川県である様子だが。今般の旅の想い出の故に、北陸には関心が向き続けるのだと思う。
色々と在るが、今般は富山を訪ねて好かった。
夕べに…:<旭川やきとりism>(2024.01.03)
↓こういう様子を見ると「旭川に無事に入って…」というようなことを少し強く感じる。
自身としては「或る程度、事前に思い描いた…」という範囲で行動をしていた何日間だが、通り過ぎた地域での災害や、大きな事故による交通の混乱という状況が傍らで生じていた。そういう中で、平穏に在ることに感謝したいと強く思う訳だが、そんな中で少し仕入れが不自由な新年早々で、少し馴染んだ御店に灯りが入っていたのは嬉しい。
↓この日は「本日のコース」に限定で料理を供するということだった。中身は「ここに寄る場合に御願いしているような感じ」である。これを頂くこととした。
↓御通しを摘んで<赤霧島>を御湯割りで頂きながら料理の登場を待つ。
↓「肉みそもろきゅう」は前菜的な感じで好かった。
↓「ポテトサラダ」はバランスが好い。調味料の味が濃すぎず、「美味いジャガイモ」を頂くような感じになっている。
↓「牛すじ肉豆腐」は秀逸だった。随分と時間を掛けて牛すじを煮込んでいるということで、トロリとした感じに仕上がっている。寒い冬季にはこういう料理が非常に好い。
↓手羽先の唐揚が好かった。
↓鶏の精肉…
↓「づけササミ」…
↓上州ネギ…
↓タレで味が付いた豚バラ…
焼き物、または串焼各種も「御薦め」の「おまかせ」ということで、日頃のこちらの御店の好い感じに纏まっていた。
↓そして鶏ひき肉のそぼろを使った握り飯も頂いた。握り飯ながら、具材が交った米飯をスプーンで頂くというような感じになった。これが美味い。
↓そして一口アイスクリームがデザートである。
ゆったりと夕食を愉しんでいたが、来店客は途切れず、比較的早めに「完売御礼」という様子になっていたようだった。
↓年が改まったが、今年も立寄りたい場所である。
自身としては「或る程度、事前に思い描いた…」という範囲で行動をしていた何日間だが、通り過ぎた地域での災害や、大きな事故による交通の混乱という状況が傍らで生じていた。そういう中で、平穏に在ることに感謝したいと強く思う訳だが、そんな中で少し仕入れが不自由な新年早々で、少し馴染んだ御店に灯りが入っていたのは嬉しい。
↓この日は「本日のコース」に限定で料理を供するということだった。中身は「ここに寄る場合に御願いしているような感じ」である。これを頂くこととした。
↓御通しを摘んで<赤霧島>を御湯割りで頂きながら料理の登場を待つ。
↓「肉みそもろきゅう」は前菜的な感じで好かった。
↓「ポテトサラダ」はバランスが好い。調味料の味が濃すぎず、「美味いジャガイモ」を頂くような感じになっている。
↓「牛すじ肉豆腐」は秀逸だった。随分と時間を掛けて牛すじを煮込んでいるということで、トロリとした感じに仕上がっている。寒い冬季にはこういう料理が非常に好い。
↓手羽先の唐揚が好かった。
↓鶏の精肉…
↓「づけササミ」…
↓上州ネギ…
↓タレで味が付いた豚バラ…
焼き物、または串焼各種も「御薦め」の「おまかせ」ということで、日頃のこちらの御店の好い感じに纏まっていた。
↓そして鶏ひき肉のそぼろを使った握り飯も頂いた。握り飯ながら、具材が交った米飯をスプーンで頂くというような感じになった。これが美味い。
↓そして一口アイスクリームがデザートである。
ゆったりと夕食を愉しんでいたが、来店客は途切れず、比較的早めに「完売御礼」という様子になっていたようだった。
↓年が改まったが、今年も立寄りたい場所である。
岩見沢駅にて…(2024.01.03)
↓札幌駅で乗車した列車が岩見沢駅に着いた。
↓721系電車を跨線橋から見下ろした。
↓乗換えの列車迄に少し間が在ったので、改札を潜って駅内のコンビニで飲物を求め、外に少し出てみた。
↓駅舎を何となく眺めたのだが、駅周辺の雪が少な目に思えた。「岩見沢」と言えば「とりあえず雪が多い」という感なのだが、歩く箇所は雪が融けている…
↓旭川へ向かう列車が現れたので跨線橋を通ってホームへ向かった。
↓北海道で用いられた農業用馬の木彫が据えられているホームだ。
↓なかなかに迫力が在る彫像だ。
↓721系電車を乗り継ぐ形で、札幌・岩見沢、岩見沢・旭川を移動することになった。
↓721系電車の車内だ。
↓こういう身軽な様子で移動していた。
↓前途を祝す…
<青春18きっぷ>を使用しての移動だった。日中にのんびりと動くには好適だと思う。“シーズン”にはこうした移動をする場合も在る。今回は「岩見沢駅の雪が少ない…」と驚いたが、沿線は全般に雪が多くはない様子だと思う。それでも、「急に大雪…」という様子にはなっている今季だ。12月24日がそうだった…平穏に過ごし、順調に動いていることに感謝したい。
↓721系電車を跨線橋から見下ろした。
↓乗換えの列車迄に少し間が在ったので、改札を潜って駅内のコンビニで飲物を求め、外に少し出てみた。
↓駅舎を何となく眺めたのだが、駅周辺の雪が少な目に思えた。「岩見沢」と言えば「とりあえず雪が多い」という感なのだが、歩く箇所は雪が融けている…
↓旭川へ向かう列車が現れたので跨線橋を通ってホームへ向かった。
↓北海道で用いられた農業用馬の木彫が据えられているホームだ。
↓なかなかに迫力が在る彫像だ。
↓721系電車を乗り継ぐ形で、札幌・岩見沢、岩見沢・旭川を移動することになった。
↓721系電車の車内だ。
↓こういう身軽な様子で移動していた。
↓前途を祝す…
<青春18きっぷ>を使用しての移動だった。日中にのんびりと動くには好適だと思う。“シーズン”にはこうした移動をする場合も在る。今回は「岩見沢駅の雪が少ない…」と驚いたが、沿線は全般に雪が多くはない様子だと思う。それでも、「急に大雪…」という様子にはなっている今季だ。12月24日がそうだった…平穏に過ごし、順調に動いていることに感謝したい。