大山祇神社の御朱印帳…(2024.01.01)

↓御朱印帳が在る。
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愛媛県の大山祇神社を訪ねた際に入手した御朱印帳だ。以来、神社の御朱印をこの御朱印に御願いし続けた。

大山祇神社で御朱印を頂いた後、これをバッグの隅に入れて方々を歩き、神社で御朱印を頂くということを続けた。
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↓直接御朱印帳に押印、貴重という他、用意の用紙を貼るという方式も在る。
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↓名古屋で御朱印を頂いた後、間隔が開いて奈良県に立寄ったという様子だ。
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↓見開きで用紙を貼るというようになっていたのが大神神社だった。
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↓岡山県や広島県でも御朱印を御願いした。
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↓かの織田信長を祀る建勲神社は見開きの御朱印ということだった。
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↓日付が在る頃の旅を懐かしく思い出す一助になるのも、御朱印帳の好さかもしれない。
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↓1月の旭川から8月の京都と間隔が開いている。
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↓関東方面に立寄った経過が在った年だ。
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↓2022(令和4)年末に関西に出た時の御朱印だ。
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↓右の頁は2022(令和4)年末だが、左の頁は2023(令和5)年になっている。
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↓実は御朱印帳はこの裏から開いても使用可能なのである。
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↓その裏から開く形でも使い続けた。
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↓礼文や美瑛と北海道内でも御朱印を頂いていた。
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↓旭川に小樽だ。
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↓旭川の上川神社の後、大宮の氷川神社で、御朱印を書いて頂いた神職の方が北海道所縁で言葉を交わしたという想い出も在った。御縁を感じた。
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↓川越でも何箇所か神社を訪ねて御参りした。
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↓富山の岩瀬に敦賀と年末の北陸を巡るということも在った。
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↓やがて北陸から京都に入って何箇所かの神社に御参りした。
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↓護王神社は再訪した。
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↓清明神社は後から用紙を貼った。
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↓大阪天満宮と難波神社で御朱印帳の頁が全て埋まった。
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自身、寺院用と神社用で2冊の御朱印帳を使い分けている。今般、神社用が表面のみではなく裏面も全て埋まった。社寺の御朱印を頂くというのも、「生かされている。何かに感謝の意を表しなければ…」という感を抱いた頃、2018年頃に始めたことである。この「大山祇神社の御朱印帳」は2020年の暑い時季に四国を訪ねた際に入手の御朱印帳で、2023年末まで4年間使い続けたということになる。御朱印帳は大切に保管する。が、御朱印を頂きながら各地を訪ねた想い出は、モノでもないかもしれないが、自身の中で大切に保ち続けたい感だ。12月31日迄に全ての頁を使い、1月1日に改めて見直して、振り返りながら各ページを写真に収めたということになる。

宿の居室…:各地の<東横イン>(2023.12.24-2024.01.03)

↓列車の運休で回り道を強いられながらも。旭川から東京へ飛んで、そこから久々の「首都圏の電車」で到った大宮で滞在した宿だ。<大宮駅東口>である。
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↓見慣れた感じのデスクだ。
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↓<富山駅新幹線口2>という場所だが、本当に“既視感”が強い。
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↓凄く見慣れた感じだ。
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↓移動を続け、辿り着いた敦賀である。
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↓<敦賀駅前>での居室だ。
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↓京都へ移動して、辿り着いた部屋だ。
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↓こういうような「何時もの如く」というのは悪くないと思う。
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↓<大阪天神橋筋六丁目>である。
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↓そして<あべの天王寺>だ。
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↓デスクの辺りも見慣れた感じだ。
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↑細かいことを言えば、ここのベッドとデスクの間の照明の感じが他所と少しだけ違った…

↓<札幌駅北口>である。
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↓デスクの辺りも「例のとおり」である。
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↓この<旭川駅東口>
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↓ここでもデスク辺りの感じは他所と変わらない。
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こういう「何処の街でも殆ど同じ」に強く意を配ったようなチェーンのホテルであるが、何処か他地域を訪ねようとすれば、凄く便利だ。結果的に、12月末から1月冒頭迄、このチェーンの宿を渡り歩いたかのようでもある。これはこれで好いのだが…北海道内、首都圏。北陸、関西圏と「何処でも同じ」の有難さに心動かされ、こういうような記事も起こしてしまう…「だから?」という話しだとも思うが…

護王神社…(2023.12.29)

前年に訪れた神社へ再度立寄って参拝するのも好いというように思う。神社への参拝に際しては、参拝する神社に無事に辿り着けたというようなこと、言葉を換えると自身が平穏に在ることへの感謝というような意思表示をするが、足腰の健康というような主題が在るという護王神社を訪ねて参拝した折には、身近な人達の健康に資するようにという想いも吐露していた。そこで、御蔭様で些か様子が好くなっていると、御礼の表明で御参りしてみたいというようなことを思ったのだ。

↓辺りを歩いて、こういう様子を視掛けて護王神社を再訪しようと思い立った。と言いながら、護王神社に導かれたのかもしれない。「神社」というのはそういう感じ方をさせてくれる場合が在るかもしれない。
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↓境内に和気清麻呂の像が在った。
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↑この人物の名は、かの道鏡が“御神託”で皇位を譲り受けるという一件が取り沙汰された際、“御神託”の宇佐八幡宮を訪ね、「そんな“御神託”等無い」と報告し、道鏡の皇位の件が沙汰止みになったという事件で出て来る。称徳天皇が側近の女官に確かめるようにと指示したところ、身体が弱いので宇佐八幡宮への旅が大変であるとして弟の和気清麻呂に依頼したという。道鏡は皇位を譲られた後は優遇すると和気清麻呂に伝えていたらしい。それはそれとして「そんな“御神託”なるモノは…」と正直に報告している。この挿話に「侠気溢れる」と少し共感する。その和気清麻呂の凛々しい像を少し見入った。

↓年末の神社である。初詣の準備で、翌年の干支の大きな絵馬が用意されていた。
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↓狛犬ならぬ「狛猪」が据えられている。
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↓この「狛猪」も面白い。
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↑和気清麻呂は足が不自由になってしまい、輿に乗って移動したが、猪に護られて輿で移動していた後、不自由だった足が快癒して、普通に騎乗して移動することも可能になったのだという。そんな説話から、和気清麻呂や猪という神社なのだ。

↓手水鉢のような箇所にも、猪のデザインが採り入れられている。
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↓社殿の趣も気に入っている。
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↑身近な人が相対的に健やかであることに、自身がまた京都を無事に訪ねられたことに感謝の意を表すべく参拝をした。

↓華麗な生け花と干支の龍の細工が奉納され、飾られていた。こういう生け花や細工というようなモノには、「永い歴史を誇る街に受継がれた何か」を強く感じる。
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↑そういうことを考える他方、この種の有名な神社に奉納するような生け花は、とにかく見栄えが佳く、出くわして眺めると嬉しい。

今般、この護王神社に立寄ることが叶って善かった。また立寄りたい場所でもある…
posted by Charlie at 05:53Comment(0)京都府

<大阪・関西万博>のラッピングを施した車輛…:出町柳駅(2023.12.28)

JR京都駅で嵩張るモノをロッカーに預け、駅前を東側へ少し歩いた。やがて京阪の七条駅で電車に乗った。乗った際、「何やら変わった車輛?」と驚いた。

↓出町柳駅に着いて、少し眺めてしまった。既に折り返し運転の体制に入っていて、淀屋橋へ向かうべく待機中という様子になっている。
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↑京阪の代表的な列車、大阪の淀屋橋と出町柳とを往来する特急であるが、編成を丸ごとラッピングという様子だ。

↓<大阪・関西万博>のラッピングである。
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↑京阪の特急列車に使用されている車輛の8000系電車は上側が黄色系、下側が赤系という2色塗分だ。この形で「全般が白地で柄が入っている」という姿になると「何や??」と一瞬訳が判らなかった。

↓最近、関西の鉄道各社でこの「<大阪・関西万博>のラッピング」が登場しているようだ。
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今般、関東へ飛んで北陸を巡って関西に至った。京都は関西圏で最初の場所だったが、最初から<大阪・関西万博>のラッピングに迎えられたような感じになった。
posted by Charlie at 04:45Comment(0)京都府

<いのうえの餃子>:出町枡形商店街:京都(2023.12.28)

稚内に在っても、方々から稚内に来ているという方と出くわして言葉を交わす場面も在る。

以前、近くの時々利用するコインランドリーで、旅行中の方と言葉を交わした。

そこの機械がコインだけが入れられるようになっていて、千円紙幣は脇の機械で100円硬貨に両替出来るようになっている。初めての方はそれがやや判り悪い場合も在るかもしれない。居合わせると、やって来た方がその「判り悪い」になっていて、「どないする?」と言い出したので、「そこの両替機で千円紙幣を100円硬貨にして、100円硬貨を入れて洗濯の機械を動かす」という旨を御伝えした。そうすると「無事に、普通に使えて善かった」ということになる。「あと何分の表示は?」ということになり、「光が強く当たって視え悪いが、この辺りに表示される。手でこうやって庇のようにすると見える」と言いながら示せば「なるほど」ということになった。

そういう切っ掛けで御話しした。京都から愛車を駆って北海道を訪ねているという方だった。聞けば、京都で<餃子の王将>のフランチャイズ店を長く営み、大きな大学を擁する地区の御店で「皿洗いをすれば一食」というようなことをして、学生等がそれを利用したという話しが多々在って、半ば伝説的な御店になっていたというようなことだった。そこを畳んで充電中であった訳だ。御話した時は「何れ遠からぬうちに、また店をやりたいというようにも思っている」とされていた。

やがて京都方面の地域の話題というようなモノを見れば<いのうえの餃子>というモノが紹介されていた。「あっ!?何時かのコインランドリーで出くわした人…思っていたとおりに店を開くチャンスが得られたのか…善かった!」と報に触れた。

敦賀から京都に着き、所謂「ランチタイム」に出遅れたような中途半端な時間帯であったが、そのコインランドリーで出くわした方の御店を訪ねてみようと思った。テイクアウトの料理を売るようなこともしている筈で、昼前に店を開けたのなら、夕方迄そのまま営業を続けるような感じだと推定した訳だ。

↓京阪の出町柳駅から近い出町枡形商店街に御店は在る。
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↓さり気なく直ぐ目の前に在った御店で、最初は通り過ぎて、辺りを一回りして「これじゃないか…」と判って、何やら苦笑いが漏れた。昨年の春に開いた、辺りでも相対的に新しい御店ながら、確り辺りに溶け込んでいるというような感じだった。
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↓餃子を頂いた。
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↑<王将>の流れを汲む、「餃子らしい」という感じのモノだった。

↓そして唐揚だ。
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こういう街で親しまれている料理を御願いし、「稚内で会っていて…」ということで店主氏と再会を祝し、「御活躍を!よい御年を!」と別れた。1人で営まれている小さな御店ながら、食事時間帯のピークを外れても来店客が完全に途切れるのでもなく、親しまれている様子が伺えた。店主氏も遠方の旅先で出くわしたという自身がふらりと立ち寄ったことを喜んでくれていた。

↓こういう「辺りの人々の暮らしの中に在る商店街」という場所の御店だ。そういう場所に何げなく御邪魔するのも時には愉しい。
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何やら「観光旅行の一環で京都に立寄っている」ということではありながら、「縁在った街の辺りで休業日を過ごすようなことになったのでフラフラしている」という様子になっていたかもしれない。
posted by Charlie at 04:26Comment(0)京都府