<蔵造りの町並み>と呼ばれる辺りを歩き廻っていた。
↓こういう建物を眼に留めた。
↑辺りの様子に馴染んだ感じ、特殊でもないとは思ったが「まつり会館」なる看板が気になって近付き、入ってみた。
如何いう場所なのか尋ねれば、「<川越まつり>の山車を展示している。本物が置かれている」ということで、有料の展示施設だった。「面白そう?」と入ってみた。
↓こういう具合に<川越まつり>の本物の山車が展示されている。
↑ビデオや三脚の使用等は御遠慮願うとのことだが、館内の写真撮影は構わないということだった。
この山車が飾られたホールでは、<川越まつり>を紹介する6分間程度のビデオが上映され、関係者が来館者に色々な話しをしてくれるようになっている。それを通じて、<川越まつり>のこと、祭に登場する山車のこと、それに関連する地域の歴史等を知ることが叶うのだ。
↓新旧色々なモノが混在しているが、29基の山車が在る。基本的に町内で山車を持っていて、祭では町内関係者が山車を曳く催事に参加する。1基は嘗て地元企業が製作して市に寄贈したモノで、山車の町内以外で希望する児童生徒の中から抽選で選ばれた人達が曳くというようにしているそうだ。
↓現在はこの<八幡太郎>の山車がホールに在る。
↓もう一つ<鏡獅子>の山車も在る。
↓背が高い山車はこういう骨組みになっている。これは<川越まつり>の発展に寄与しようと製作を手掛けた方が在ったが、志半ばで他界されたことを受け、御遺族が市に寄贈したモノということである。
↑頂上に「魂を降臨させる」という人形を載せるのだが、その頂上部分は「引っ込む」仕掛けになっていて、高さが少し低くなるのだという。
こういう山車を使う祭は、江戸で起こって盛んになり、それが川越にも伝わった。江戸では祭の山車が江戸城の中を練り歩いて将軍が観るという場面も在ったということで、城門を潜る場合の高さの制約というものが在るので「頂上部が引っ込む仕掛け」が考案されて普及したそうだ。それが「そのまま」に川越の祭で使う山車にも受け継がれているのである。
↓「江戸彫」と呼ばれる精密な彫刻が施された山車は見事なものだ。
↓西陣織等の華麗な布で飾るという場合も在るようだ。
こうした山車だが、新造すると「億円」の桁の費用を要するようだ。
↓山車を曳く人達は揃いの衣装を身に着ける。現在、ホールに在る山車の関係者の使う衣装が飾られていた。
祭に際しては、踊りや御囃子も在り、各々に進む山車が出会って、競うように御囃子の演奏が行われて掛け声を出し合うという賑やかな場面が繰り広げられるのだそうだ。
この<川越まつり会館>はかなり深い奥行きに設えられた建物に、画のような様々なモノが展示されている。素晴らしいのは、関係者の皆さんが熱心に判り易く御話ししてくれることだった。川越の人達が愛し、大切に受継がれている貴重なモノに関して非常に強く伝わる。そして祭に携わった様々な人達の談話のようなモノが館内に掲示されていたのも興味深く拝見した。
それにしても、川越の山車を使う祭は江戸で起こって伝わったのだというが、江戸では山車を使う祭が廃れてしまった。それは路面電車の架線のようなモノが街に広く張り巡らされ、背の高い山車が使い悪くなり、肩に担ぐ神輿を使うというのが専らになって行ったということのようだ。川越ではそれが残って受継がれた訳だ。ということは、「川越」でこそ「江戸の文化」が古き善き姿で受継がれているというようなことになるのかもしれない。
何となく眼に留まって立寄ったのだったが、凄く興味深い展示施設に出遭えた。非常に善かった。
<サッポロクラシック>…:旭川空港にて(2023.12.24)
AKJ=旭川空港のトートバッグ…(2023.12.24)
ジンギスカン…:旭川空港(2023.12.24)
稚内から夜行バスで早朝の札幌駅に着き、30分前後の札幌駅滞在で即座に列車で旭川へ出発し、雪によるポイント不具合で列車は遅れたものの無事に旭川に着き、悠然と過ごしてゆったりと旭川空港へ移動した。
午後の少し早目な時間帯のフライトである。そういう場合には、空港に少し早目に入って、空港ビルで昼食を愉しむという程度のことをするのが好いかもしれないと個人的には思う。
↓空港のビルん着いてみれば、こういう御案内が見受けられる。
↓こういう食事を愉しめる場所が確りと在るのだ。
↓「鉄板」というのに凄く惹かれた。
↓肉類を焼いたモノがメインということのようだ。
↓料理を御願いし、辺りで席を取って待っていると、料理等の準備が整った時に渡されたブザーが鳴る、或いは一寸振動するのだ。“フードコート”というような体裁の場所では多く見受けられる方式かもしれない。
↓御願いしたのはジンギスカンだ。ランチに一寸肉を摘まむというのが、何か酷く好いような気がしたのだ。
↓こういうような様子で供された。今般、敢えて米飯等は御願いせず、純粋に焼いたジンギスカンを摘まんだ。「茶代り?」にハイボールも頂いたが。
こうやって「本格出動に備えよ…」と旭川空港で過ごし、羽田空港へ向けて無事に出発したのだった。稚内・旭川間の移動で予定変更を余儀なくされてしまったが、このジンギスカンを摘まんでいた時点では「予定どおりではないか…」と気分が昂揚していたかもしれない。
午後の少し早目な時間帯のフライトである。そういう場合には、空港に少し早目に入って、空港ビルで昼食を愉しむという程度のことをするのが好いかもしれないと個人的には思う。
↓空港のビルん着いてみれば、こういう御案内が見受けられる。
↓こういう食事を愉しめる場所が確りと在るのだ。
↓「鉄板」というのに凄く惹かれた。
↓肉類を焼いたモノがメインということのようだ。
↓料理を御願いし、辺りで席を取って待っていると、料理等の準備が整った時に渡されたブザーが鳴る、或いは一寸振動するのだ。“フードコート”というような体裁の場所では多く見受けられる方式かもしれない。
↓御願いしたのはジンギスカンだ。ランチに一寸肉を摘まむというのが、何か酷く好いような気がしたのだ。
↓こういうような様子で供された。今般、敢えて米飯等は御願いせず、純粋に焼いたジンギスカンを摘まんだ。「茶代り?」にハイボールも頂いたが。
こうやって「本格出動に備えよ…」と旭川空港で過ごし、羽田空港へ向けて無事に出発したのだった。稚内・旭川間の移動で予定変更を余儀なくされてしまったが、このジンギスカンを摘まんでいた時点では「予定どおりではないか…」と気分が昂揚していたかもしれない。
「ベルリンの壁」…:統国寺:大阪・天王寺(2024.01.01)
↓こういうモノが在る。
↓多少汚れて、落書等も見受けられるコンクリートの壁だ。
↓こういうような具合に置かれている。
↓置かれているモノが、かの「ベルリンの壁」である旨が示されている。
「大阪に“ベルリンの壁”が在る。持って来て置いて在る」というように聞き及んだので探してみたのだった。政治の状況等で、同法が分断され、“壁”まで建てた歴史を伝えようということなのかもしれない。
↓天王寺駅辺りの谷町筋を歩み、脇に入った辺りの寺に「ベルリンの壁」が在る。
辺りでは「韓国の御寺」で通っている様子だ。1969(昭和44)年に在日本朝鮮仏教徒協会の傘下ということになった寺である。朝鮮・韓国の仏教儀礼と伝統儀式を挙行しつつ、朝鮮・韓国・日本の差異を超えて仏教儀式・布教を幅広く行うという活動を続けているようだ。実際、朝鮮半島に由来の人達がこの寺に墓所を設けて御参りをするようなことをしている様子が伺える場所である。
↓長い伝統を有する寺で、貴重な文物も大切に受継がれている。
↓なかなかに味わい深い建物が在る。
↓境内に据えられた仏像も面白い。
↓境内にはこうしたモニュメントも在った。
↑朝鮮半島に由来で、身近な人達との縁が薄い死者を弔うというような活動をしている様子だが、そういう関係でこうしたモニュメントも登場したのだと察した。
↓建物の改修工事の竣工記念ということだが、独特なデザインの大きな瓦がモニュメントになって飾られていた。
↓色々と在るが「分断」という歴史に想いを巡らせる「ベルリンの壁」がさり気なく在るというのは貴重だ。駐車スペースというように利用された辺りの脇に、この「壁」は据えられていた。
↓多少汚れて、落書等も見受けられるコンクリートの壁だ。
↓こういうような具合に置かれている。
↓置かれているモノが、かの「ベルリンの壁」である旨が示されている。
「大阪に“ベルリンの壁”が在る。持って来て置いて在る」というように聞き及んだので探してみたのだった。政治の状況等で、同法が分断され、“壁”まで建てた歴史を伝えようということなのかもしれない。
↓天王寺駅辺りの谷町筋を歩み、脇に入った辺りの寺に「ベルリンの壁」が在る。
辺りでは「韓国の御寺」で通っている様子だ。1969(昭和44)年に在日本朝鮮仏教徒協会の傘下ということになった寺である。朝鮮・韓国の仏教儀礼と伝統儀式を挙行しつつ、朝鮮・韓国・日本の差異を超えて仏教儀式・布教を幅広く行うという活動を続けているようだ。実際、朝鮮半島に由来の人達がこの寺に墓所を設けて御参りをするようなことをしている様子が伺える場所である。
↓長い伝統を有する寺で、貴重な文物も大切に受継がれている。
↓なかなかに味わい深い建物が在る。
↓境内に据えられた仏像も面白い。
↓境内にはこうしたモニュメントも在った。
↑朝鮮半島に由来で、身近な人達との縁が薄い死者を弔うというような活動をしている様子だが、そういう関係でこうしたモニュメントも登場したのだと察した。
↓建物の改修工事の竣工記念ということだが、独特なデザインの大きな瓦がモニュメントになって飾られていた。
↓色々と在るが「分断」という歴史に想いを巡らせる「ベルリンの壁」がさり気なく在るというのは貴重だ。駐車スペースというように利用された辺りの脇に、この「壁」は据えられていた。