↓その「欧州へ向かう」という経路に関する時刻表が伝えられ、展示されていた。少し見入ってしまった。

↑「日本・莫斯科・羅馬・伯林・倫敦・巴里間聯絡」という往時の書き方であるが、「日本・モスクワ・ローマ・ベルリン・ロンドン・パリ間連絡」ということである。
「浦鹽経由」と在る―「鹽」は「塩」である―のは「ウラジオストク経由」のことで、これに敦賀が関連する。他に「朝鮮経由」というのが在って、これは下関から海を渡る。
金曜日に東京を発って、土曜日に米原を経て敦賀港に至る。そして船に乗ると月曜日にはウラジオストクに至る。
火曜日にウラジオストクを発つと、水曜日にハバロフスクに至り、金曜日にチタである。チタを土曜日に発つと、モスクワは金曜日だ。ここまでで2週間要している。年代が明確に解り悪いが、なかなかの長い旅だ。それでも日本から欧州へ船を使うよりも速い訳だ。
モスクワを金曜日に発てば、ワルシャワが翌日の土曜日で、ベルリンはその後の日曜日だ。日曜日にベルリンを発つと、翌日の月曜日にパリである。
昭和の初め頃、外交等で欧州諸国を訪ねている事例が在るが、そういうのはこの「ウラジオストクに渡って列車」という経路も使っていたようだ。何か物凄く興味深い。